記録と随想34――「生涯を阿修羅として」(中野著評関連論考: 通算12)104日)

 

1969529日、東京・文京公開堂で開かれた (東大助手共闘主催の)「全国造反教官報告集会」で、作家で京大助教授の () 高橋和巳氏は、こう発言されました。「教授会で恩師と対立するのは、生爪を剥がされるように辛い。しかし、原理原則に悖るわけにはいかないから、生涯を阿修羅として生きるほかはない」(趣旨)と。

この発言は、文学的にすぎて、当時の政治集会の雰囲気にはそぐわず、聴衆には「『恩師』との人間関係に、まだ拘っているのか」と冷やかにあしらわれたようです。しかし、小生には、「上に向かっても、下に向かっても、自分の属する階級に向かっても、(原理原則にしたがえば)嫌がられる真理を言ってのけることこそ、われわれの科学の使命である」(趣旨) というヴェーバーの言表 (18955月、フライブルク大学就任講演『国民国家と経済政策』) とも響き合い、当事者の窮境における洞察と決意が、さればこそ鮮やかに語り出された名言として、感銘深く、記憶に残りました。

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小生も、(教養課程における同人雑誌やクラス雑誌への習作に端を発し、専門課程と院生期にも維持され、「1962-63年大管法闘争」で、大状況の政治課題も射程に入れて確立した)「作風」、すなわち「自己と状況について思考を凝らし、自分の文章に紡ぎ出し、批評を受けてはまた考える」というスタンスを堅持して、大学現場における「人間関係」絡みの問題も、研究内容上の問題 (とくに「学界権威者」が犯している誤謬) についても、「奇怪しいことは奇怪しい」とはっきりいってのけ、嫌がられつつも、そのつど論争を提起しようとつとめてきました。そうすることによって、学問本来の「単線的」ないし「弁証法的」進歩を達成し、併せては、職業現場の諸問題も、「人間関係」に引きずられて右顧左眄するのではなく、「事実と理非曲直に即して」解決しようと企て、ひいてはそういうスタンスの育成をとおして「日本社会の根底からの近代化・民主化」にも寄与しようと、めざしてきたつもりです。

ところで、そうすることは、「阿修羅」とはいわないまでも、場合によっては、恩師とも同僚とも後輩とも真っ向から対立して、「針の筵にも座る」険しい道ではありました。しかし、「即人的な礼節」は失わず、論証のスタンスは堅持して、協力できる同僚とは協力し、たとえばある理不尽な人事提案を、第一高等学校-東大教養学部の長年の慣例は破っても、教授会における業績審査の内容ある議論によって、(おそらくは開校後初めて)否決に導いたこともあります。

ただし、小生にとってそれ以上に重要と思えるのは、ヴェーバー研究の内容上の問題にかぎっても、この国の学界では「自明の真理」とみなされていた権威者の誤謬説を、論証によって批判し、改めようとつとめてきたことです。たとえば、➀「事実をして語らしめる」という (ヴェーバー自身にとっては「もっとも誠実な」) 論法を、なんと「学問の建前」と誤解している尾高邦雄説や、➁「ルサンチマン」を「社会的に圧迫された『不遇者』一般の反感」と解し、「返り討ちを恐れて内攻し、『心理的に抑圧verdrängenされ』、『倫理的非難』に屈折-『昇華sublimieren』されて発現する復讐欲」という (ニーチェによって発見された) 特性は逸してしまっている大塚久雄説、等々です。

そういう場合、詳細な解説つきの論証的批判が、学問上の誤謬を正していく「進歩」の一契機として、原理原則上は歓迎されてしかるべきだったのですが、この国の精神風土のもとでは、「人間関係対内倫理」を優先させて、「権威者への怪しからぬ叛逆」とも「故なき内輪揉め」とも感得され、当の「権威者」にも「取り巻きの『弟子』連中」にも、白眼視されて、うやむやに葬り去られるのが常でした。D・リースマンのいう (近代の)伝統志向」が、(近代の)内部志向」の熟成を待たずに(近代の)他者志向」と癒着し、短絡的に結合した、「人間関係 (優先) 主義」の文化-精神風土のもとでは、「学問上あたりまえのこと」が、「阿修羅となる」覚悟がなければ言表できず、表明されても大勢として正面からは受け止められず、「うやむや」にされてしまうのです。現状でも、学問内容における理非曲直を顧みようともしない「人間関係主義」の曖昧な情緒的主張が、大手を振って罷り通っているではありませんか。

そういう風土のもとで、小生、「1968-69年東大闘争」から数えて約50年、紆余曲折は経ながらも、基本的には、自分の原理原則をそのつど具体的に明示し、無原則の「人間関係主義」に抗い、そのかぎり「阿修羅として」生きてきました。その経過における主要な正面対決は、拙著『東大闘争総括――戦後責任・ヴェーバー研究・現場実践』(2019、未來社)で、ひとつひとつ採り上げて総括していますので、ここでは繰り返しません。

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さて、ここにきても、(ヴェーバーの生と学問の躍動する姿を追えず、瑣末な文献上の語呂合わせに跼蹐している) 中野敏男著の根本的欠陥に直面し、論証的批判をもって立ち向かうほかはありませんでした。この現倫研フォーラムの土俵をお借りして、そうなしえたことは、小生が「阿修羅としての生」を放棄せず、力のかぎり貫徹しえた最終回にもなろうかと、清々しい思いです。その意味でも、この機会を与えてくださった川本、大川両氏はじめ、現倫研会員のみなさまに、心から感謝いたします。

小生、この9月で86歳になり、正直、体力-気力の衰えはいかんともなしがたいところにきています。むしろこの間、身心の健康を維持し、「阿修羅として生きて」こられたのも、そのときどきの対立者も含め、各位の陰陽のお力添えによる『有り難い』ことと、ひとしお感謝の念も覚えます。

  つきましては小生、この辺で、いっさいの公的関与活動からは退き、あとひとつ残された課題『マックス・ヴェーバー研究総括』の執筆に専念したいと存じます。

  この間、「マックス・ヴェーバー研究会21」「比較歴史社会学研究会」等々の運営にお力を尽くされ、支えてこられた、宇都宮京子氏・荒川敏彦氏・鈴木宗徳氏・水林彪氏ほか、関係者各位に深甚の謝意を表し、各会の健やかな発展をお祈り申し上げます。

 

2021104

折原浩