記録と随想33――中野敏男氏と重田さんの一方的通告にたいする応答(中野著評関連:通算10(98日)

 

 

川本隆史様、大川正彦様、現倫研会員のみなさま、

 

お二方には、現倫研のこのフォーラムについて、常日頃ご配慮いただいていることに、感謝いたします。

小生も、思いがけない機縁からではありましたが、このフォーラムを重視し、学問論争のアリーナとして尊重し、全会員の方々に責任を感じながら、発言をつづけております。

 

ところが、今回、中野敏男氏から、「潮時だから『論争』から下りたい」という趣旨の一方的通告がなされました。

小生、「またしても」と、気侭で無責任な振る舞いに失望します。

現倫研会員で、発言はなさらなくとも論争の内容と推移を見守ってくださっている方々への当事者責任を、中野氏はいったい、どう感得しているのでしょうか。当事者責任の自覚など、そもそもなくて、あれやこれやの抽象論で、具体的争点をはぐらかし、批判にまともには答えず、「逃げる潮時」を窺っていたのでしょうか。

 

この間の中野氏の対応は、自分の去就を「超越的規準(たとえば「知的廉直」の要請) に準拠して「責任倫理」的に自己制御するすべを知らず、「感じるまま、思いのまま」に気楽に生きる、この国の文化風土を、こよなく反映しているようです。じつは、そういう文化風土を、根底から「生き方」の問題として捉え直し、比較歴史社会学を構築して、具体的・経験科学的に究明していったのが、マックス・ヴェーバーだったのですが。

 

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ところで、中野氏と軌を一にするかのように、今回、重田さんからも、(重田さんご自身が提起なさった) 第一と第三の問題点にかんする、小生の応答続篇 (その2) を読む前にも、その内容の如何を問わず、ご自分のほうからは「コメントしない」と一方的に通告してこられました。これまた、同じ文化風土に培われた、同じ心性(マンタリテ)の表明でしょうか。

小生は、重田さんお一人にたいする応答であると同時に内容上、このフォーラム参加者全員にたいするお約束であり、それゆえ責任でもある、という関係を重んじて、(重田さんがコメントをなさろうがなさるまいが) 続篇 (その2) をまとめ、近々、ここに発表させていただこうと思います。

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中野氏にたいしても、同様に対処いたします。

ただし、このフォーラムの開設者-組織者で、経過維持-管理の責任を負っておられる川本隆史氏と大川正彦氏に、中野氏が窮状を訴えて、ご両所が「これ以上は無理」との裁定をくだされれば、小生も、それにしたがいます。

それまでは、根本的な誤謬を抱えた『入門書』が、著者自身の「知的廉直」と「整合合理的判断」によって絶版とされるのではなく、この国の初心の読者を欺きつづけるかぎり、小生の責任倫理にもとづく批判をまっとうするまでです。

 

202198

折原