随想23 中野敏男氏の応答 (6月18日)
への応答
(6月19日)
はじめに
去る6月13日付けで現倫研フォーラムに寄稿した拙文に、中野氏が早速応答を寄せてくださり、ご多忙のところ、恐縮です。ただ、残念ながら、小生の批判の趣旨が、どうも中野氏には届いていないようです。この点、もとより小生の表記のほうにも問題があろうかと思いますが、再度、反論して、論点を詰め、かみ合う議論に到達したいと思います。
まず、中野氏が設定された四項目の疑問にたいする小生の解答を、簡略に記しますと、
Ⅰ.『プロ倫』は理解社会学ではないのか ?
はい、「理解社会学」ではありません。
Ⅱ、「理解諸科学」は、全体としてヴェーバーの学問と認められるのか ?
「理解諸科学」は、「理解社会学」以外に、「理解歴史学」(細かく分けて「連字符文化史学」)、「理解心理学」(精神分析、ルサンチマン理論) など多々あり、「解明的理解」の方法を適用するかぎり、「ヴェーバーの学問」であろうがなかろうが、「理解科学」です。それを「全体としてヴェーバーの学問と認められるか」というふうに拘るのは、「ヴェーバーの『理解科学』は『理解社会学』のみ」とするパースペクティヴへの囚われではありますまいか。小生の批判は、もっぱらこのパースペクティヴの是正に向けられています。
Ⅲ.「学問論争」はどのように「止揚」されたのか ? ――ヴェーバー理解社会学の仕組み
「学問論争」一般ではなく、シュモラー-メンガー論争が、ヴェーバーによってどう「止揚」されたのか、その結果、「解明的理解」の方法と「原子論的-精密的方針」とが、どういう限定のうえに採用されたのか、が問題です。
ヴィンデルバント/リッカートの二分法も、「法則的知識」と「事実的(史実的)知識」として、「認識 (関心) の構造」に組み込まれるのではありますまいか。「ヴェーバー理解社会学の仕組み」 には直結させられないはずです。
Ⅳ.何を書くべきか? 何を読んで欲しかったのか?
生き方と学問とを、「平板な段階論」や「安易な直結」は戒めながら、関連づけ、連携させていきたいものです。ヴェーバーの生活史における ① ② ③ は、一仮説として採用は可能でしょう。それ以上のことを、小生は主張していません。
以上、中野氏の四項目に、筆者の所見を簡潔に対置しました。そのうち、必要とあれば、詳論もします。
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ただ、ヴェーバーの「理解社会学」は、昨今の状況で、それほど無視されているのでしょうか。
少々古いには古いのですが、向井守『マックス・ウェーバーの科学論――ディルタイからウェーバーへの精神史的考察』(1997、ミネルヴァ書房)、
同「『シュタムラー論文』の意義」(橋本努、橋本直人、矢野善郎編『マックス・ヴェーバーの新世紀――変容する日本社会と認識の転回』(2000、未來社: 240-56)は、読まれていないのでしょうか。
小生も、向井氏のお仕事には触発されて、「マックス・ヴェーバーにおける社会学の生成――Ⅰ.1903~07年期の学問構想と方法」(神戸大学社会学会編『社会学雑誌』、第20号、2003、神戸大学社会学研究会: 3-41)、
『マックス・ヴェーバーにとって社会学とは何か――歴史研究への基礎的予備学』(2007、勁草書房、とくに第二章「ヴェーバー社会学の創成と本源的意味――歴史科学研究への基礎的予備学」)を発表しています。
とくに前者には、上記四項目にたいする、もう少々詳細な解答が含まれています。
2021年6月19日 折原浩