記録と随想22――中野敏男著『ヴェーバー入門――理解社会学の射程』評(再論)(613日)

 

去る65日、現代倫理学研究会主催のテレワーク (ズーム) 会議で、中野敏男著『ヴェーバー入門――理解社会学の射程』(20201210日、筑摩書房、ちくま新書刊)の合評会が開かれました。小生もお誘いを受けてオン・ラインで参加 (というのでしょうか) いたしましたが、不慣れなこともあって、討論の途次、唐突に発言し、長広舌を揮い、大変失礼してしまいました。

その後、お詫びも兼ね、発言の趣旨をまとめ、一文をしたためて、参加者のフォーラム宛て、寄稿しました。ところが、そこには、もう少し広い範囲の方々にもお読みいただきたい論点と内容が含まれていますので、少々改訂を加え、このHPにも「記録と随想22」として収載いたします。

 

 

中野敏男著『ヴェーバー入門――理解社会学の射程』評(再論)

2021613 折原浩

 

去る65日の書評会では、小生、いきなり発言して、長広舌を揮い、まことに失礼しました。なにとぞご寛恕ください。

ただ、そこで提起した論点は、中野著が、学問的秀作であるうえ、親切で丁寧に書かれた好著であると重々認めたうえで、「賛辞よりも批判を」という著者の日頃の要請にしたがい、著書に提示されたマックス・ヴェーバー像には、ある欠落が認められ、そのかぎり「ヴェーバー入門」という表題設定に答えきれていないのではないか、という疑問を、正面から具体的に提起したつもりです。そこに織り込んだ論点の内容は、的外れではなく、学問上の書評会への問題提起として不適切とは思えません。具体的に例示として添えた内容も、その場かぎりの「思いつき」ではなく、当の批判への回答にあたる小生側のマックス・ヴェーバー全体像の一部をなし、当の全体像は現在、『マックス・ヴェーバー研究総括』(未来社刊予定)として執筆中です。

しかし、当日の発言は、時間の制約上、なんとも舌足らずでした。そこで、その趣旨を再度、ここに要約し、二三の討論発言にたいする私見も加えて、若干敷衍し、ご参考に供したいと思います。

 

. 中野著は、「ヴェーバー理解社会学入門」でも、「ヴェーバーの学問入門」でもなく、端的に「ヴェーバー入門」と題されています。

としますと、学問の形成と展開も根底において支える、マックス・ヴェーバーその人の生き方Lebensführungとその変遷を、どう捉えるか、という根源的また包括的な次元も射程に収めていて、著者の基本的な所見が示される、と期待されましょう。倫理学とは、本来、そういう学問ではないでしょうか。

たとえば (ということはつまり、小生が同じ質問を受けて答えるとすると、という意味ですが)、内容上、①「とびっきりの学校秀才として順風満帆の船出と航海」から、②「神経疾患によって挫折した『難船者』の生」を経て、「理性的・責任倫理的実存として状況に復帰する新生」という三階梯が、考えられるのではありますまいか。

としますと、かれの「科学論」は、第二階梯の「難船者」の思想模索として位置づけられましょう。つまり、いまや「難船者」として、それまでは馴染んでいた、同時代の(科学の方法も含む)思想前提を、もはや自明の所与としては受け入れられず、安んじて航海をつづけることはできず、同時代の主要な思想論争に悉くコミットして、そこに顕出された対立を対抗的な相互補完関係において捉え直し、止揚」しつつ、新しい岸辺に泳ぎ着き、世界を包括的統一的に見渡せる橋頭堡 (私見では、たんに「比較宗教社会学」に止まらず、それをも包摂する「比較歴史社会学」) を構築しようとした、というふうにも、捉えられましょう。

もっとも、小生はなにも、この問題への解答が、内容上、この ①- でなければいけない、などと主張するのではありません。表題に『ヴェーバー入門』と謳うからには、そういう肝要な次元にかんする著者の所見の開陳が期待され、小生の読み落としでなければ、それがどうもはっきりしないので、このさい明示していただけまいか、と要望するだけです。

なるほど、中野著には、その次元にかかわることとして、神経疾患そのものへの「新たな意味賦与」にかんするマリアンネ・ヴェーバー宛ての書簡が引用されてはいます(p. 81)。しかし、中野引用の直後に出てくる、「とはいえ、精神の苦しい作業が今後はできなくなる、とは思わない」という趣旨の一文が抜け落ちて、「訣別の決意表明」とのみ解されてしまっています。

 

2. ヴェーバーにおける生の変遷の第二階梯を、以上のとおり「難船者 (の思想模索)」として捉えますと、そのかれが、アカデミズム(のなんらかの専門的部署)に直ちには復帰せず、社会科学雑誌『アルヒーフ』の編集者として、同時代のあらゆる思想潮流に応接せざるをえない事情 (条件選択)とも相俟って、同時代の主だった思想の対立が、かれに押し寄せ、採り上げられ、対決され、考え抜かれ、「止揚」される光景が前面に現れ出ます。そのうち、シュモラーとメンガーの「社会科学方法論争」と、ヴィンデルバントとリッカートの「自然科学vs 文化科学」論 (「普遍化的法則定立学vs特殊化的個性記述学」) とは、ヴェーバーも真っ先に正面から対決している、同時代の主要な論争・論点で、看過されてはなりますまい。

中野著が、「倫理論文」末尾の例の警句 (「精神なき専門人、心情なき享楽人」) の出典を掘り起こして、シュモラーを再評価しているのは、確かに新発見であり、本書のメリットと評価されましょう。ところが、「社会科学方法論争」をヴェーバーが基本的にどう「止揚」しているのか、その論争で提起され、議論された諸観点を、かれがどのように「理解諸科学(後述参照) に採り入れ、それら諸観点に準拠して「理解諸科学」をどう分類し、編成し、どういう方向に収斂させていったのか、そういう、ヴェーバーによる肝心要の「止揚」の核心については、著者中野氏の所見が、どうもはっきりとは示されていないようなのです。

小生の解釈では、ヴェーバーは、メンガー――すなわち、「社会有機体」の結節環としての「諸個人」の「経験的性質」(⇨ 経験科学的「解明-理解」可能性)に着目して、「社会諸形象soziale Gebilde」の「原子論的」「精密的」解明と説明に道を開き、「全体論holism」と「原子論atomism」との対立を止揚しようとしたメンガー――寄りに歩んで、ジンメル、リップス、クローチェ、ミュンスターベルクらの所論も参照-摂取し、「対象も認識主体も共に人間である」という事情を、なにか「科学の『客観性』を損ねるバイアスの源」として排除するのではなく、逆に、「(外からの)観察に加えて(内からの)解明的理解も可能となる有利な条件」として積極的に活かし、方法論的に彫琢していきました。

しかもそのさい、ヴィンデルバントとリッカートの「自然科学」と「文化科学」を、「一般化(普遍化)的法則科学」と「特殊化 (個性化) 的現実 (歴史) 科学」と、故あって呼び換え、「解明的理解」を方法とする「理解諸科学die verstehenden Wissenschaften(「カテゴリー論文」の邦訳には、他ならぬ中野氏自身の訳文で、数箇所pp. 11, 16, 21, 24にそう明記されているのですが、65日当日、中野氏は、「『理解諸科学』とは、折原の頭の中にのみある観念で、文献的検証を欠く」と発言されましたが、左にあらず) を、「一般化 (普遍化) 的法則科学」としての「社会学」と、「特殊化 (個性化) 的現実 (歴史) 科学」としての「歴史学」(「宗教史学」、「法制史学」、「政治史学」、「経済史学」、「芸術史学」などの「連字符文化諸史学」) とに、二大分しました。そのうえで、前者が後者から素材をえて集積する「一般経験則」「法則論的知識nomologisches Wissen」を(「通俗心理学的知識」も加えて)「決疑論」的に「体系化」し (「道具箱」のカタログ一覧に整理し) ておき、特定の歴史的状況にかかわっては、後者「史実的知識ontologisches Wissen」とそのつど結合し、学問的応用 (「因果帰属」) にも、実践的予測にも、駆使していく態勢を整えたのです。

第三階梯の「新生」においては、両者を、方法論上は峻別しつつも、「緊張」関係において共に堅持し、そのときどきの状況に即して結合し、「明晰な」「責任倫理的」「生き方に不可欠の契機として、活かしていきます。むしろ、「責任倫理的」主体が実存的に直面する歴史的状況の側から、その構造的諸要素の因果帰属と予測のために、いかなる「一般経験則」「法則的知識」が必要不可欠か、が決まり、合理的「決疑論」から、合理的に迅速、かつ適切に引き出される、という相互補完関係が成立しています。 

  ところが、中野著は、どういうわけか、「理解科学」の「一般化的法則科学」的分肢としての「理解社会学」を、そういう有意味な被規定性、限定性から疎隔-剥離-抽象化し、したがって、「特殊化的現実科学ないし歴史科学」的分肢としての「歴史学」(「連字符文化諸史学」) との緊張関係からも解き放って、「一人歩き」させてしまっているようです。そのためでしょうか、他ならぬ「理解社会学」の (歴史学から素材をえて、「類型」を構成し、「経験の規則」を定立して、「決疑論」に体系化しておき、翻っては、歴史的「因果帰属」と未来予知に迅速-適切に適用して寄与する、そういう) 歴史学との相互補完関係における、限定された(まさに「一般化的法則科学」なればこその)長所(たとえば、本稿後出5.)を、かえって雲散霧消させてしまっている、と見受けられるのですが、いかがでしょうか。

それはともかく、中野氏が、「理解社会学」を、「理解科学」の「一般化的法則科学」的分肢という規定-限定から外す(科学論上ならびに文献上の)根拠を、伺いたいのです。

 

3. 中野氏は、「倫理論文」(初版、1904-05) さえも、「理解社会学の最初の実践例」と見て、そう主張します。しかし、ヴェーバー自身は、当の「倫理論文」の末尾で「この純然たる歴史叙述diese rein historische Darstellung(MWG,/18: 488) とは呼びますが、「社会学」ないし「理解社会学」とは称していません。それこそ、「中野氏の頭のなかにだけある観念(の、遡行的な推し被せ)」ではありますまいか。

「倫理論文」で、ヴェーバーは、「意味上の選択的親和関係」が問われるべき二項目、すなわち「資本主義の精神」と「禁欲的プロテスタンティズムの倫理」とを、かれ自身にとって「知るに値する」「価値関係性」をそなえた二対象として、まだ独話論的に選び出し、なるほど歴史的事象から豊富に例示は取り出して具体的な理解につとめはしますが、一方では「経済」「経済倫理」、他方では「宗教性」「宗教倫理」にかんする一般概念と、そのなかで両対象を社会学的に規定し、位置づけする類型概念 (たとえば、一方では「政治寄生的・時宜的暴利」対「持続的経営」、他方では「遁世的瞑想」対「現世内禁欲」) の構成には、手を染めていません。したがって、両対象を、「社会学」的「決疑論」のなかで「社会学」的に位置づけるにはいたっていません。そういう位置づけは、その後、「旧稿」(1910-14)で初めて実施されます。そのかぎり、「倫理論文」はまだ「社会学」ではないし、それによって自覚的に媒介されてもいません。「理解科学的な経済史学」と「理解科学的な宗教史学」との二領域にまたがる「意味的親和関係」の「理解歴史学的研究」とはいえても、「理解社会学」ではありません。

同時期(1904年)の「客観性論文」「緒論」でも、「『社会学』ないし『社会心理学』の研究動向に、隣接領域として関心は寄せ、『アルヒーフ』の書評欄で追跡していく」(趣旨)とは約束しますが、かれ自身としては、まさにそのとおり、「社会学」の外に身を置いています。

「倫理論文」のそういう限界を見据えて初めて、ではヴェーバーは、そこからなぜ、「社会学」を必要としたのか、という問いが立てられ、かれ流の (歴史家フォン・ベロー宛て1914621日の書簡にいう)「わたしの解する社会学die Soziologie, wie ich sie versteheMWGA,/8: 724) の創成が、探索され、説明されましょう。それは、たとえば西洋中世都市特性Eigenart」を、西洋古代都市のみか、中国の都市、イスラムの都市などとの比較によって (そうするには、比較の「共通の基礎」として、「都市」の概念・一般概念が必要とされます)、それらには「ない」ものとして特定し、それがなぜどういう歴史的諸条件の「布置連関Konstellationen ( 個性的星座 cumstella) から、西洋中世都市にのみ生成したのか、という歴史学 (現実科学」的ないし「歴史科学」的) 説明に道を開きます。

その延長線上で、「世界宗教の経済倫理」にいたって初めて、「(理解) 社会学」(「旧稿」) 、いうなれば「(理解) 歴史学」(連字符文化諸史学) とが方法論上の自覚のうえで、縦横に相互媒介されます。「理解社会学」という単次元ないし同一平面上における「最初の実践例」と「展開」(ないし外延的拡張) といった単線的関係ではありません。「難船者」の思索が、その苦渋のなかで、どのように進められ、窮境から脱していくか、もう少しきめ細かな追跡が、必要とされるのではないでしょうか。

 

4. さて、話が大分細かいことになってきまして、ここからさらに、浩瀚な「世界宗教の経済倫理」の方法と内容に立ち入るのは、いっぺんには少々無理と思われます。そこで、それは他日の課題とし、ここでは話題を変えましょう。

65日当日の討論では、おしまいのほうで、どなたか若い方が、(少々誇張を交えますが) つぎのような趣旨の発言をなさいましたね。すなわち、「『ヴェーバーがどうのこうの』と『密教集団』に立て籠もり、『自足完結的・自己満足的な議論にばかり耽って』いないで、『市民社会の議論の広場』に打って出て、各人がそれぞれ (『解明的理解』の方法を具体的な問題に適用して活かした具体的成果として) 所見を、そこに顕出し、その内容がその場の市民良識に照らして確かに説得力ありと認められるかどうか、試練に曝すとよい。そう認められるようなら、そういう所見を導き出した『ヴェーバーの方法』も評価し、学びもしよう。だから『ヴェーバー研究者』たる者、『書斎の静謐』『文献学的詮索』『対決と論争に乏しく、当たり障りのないやりとりに終始する研究会(シャンシャン大会)』といった、居心地のよい「殻Gehäuse」に閉じ籠もっていないで、市民社会の具体的問題にかんする具体的適用例を、各人がそれぞれひとつずつでも携えて、『市民社会の議論の広場』に乗り込み、議論の素材として提出してみてはいかがか」と。

そのとき小生、「ごもっとも」「待ってました」とばかり、秘かに拍手喝采し、我田引水ながら、小生自身のそういう応用的実践例を挙示して、まさにそういう批判的検討を願い出ようか、と思ったくらいでした。しかし、長広舌を揮った後でもありましたし、残り時間も迫っていましたので、思い止まりました。

ただ、ここでは、小生のそういう応用的実践例の内容と所在をご紹介してもよいとお許しいただけるならば、小生、1968年から1973年にかけて、「東大闘争」とその後の「東大闘争裁判ないし東大裁判闘争」にかかわり、東京大学の教授会や学内集会、および東京地裁の法廷という市民社会の場で(限られた場ではありますが)、「ヴェーバーがどうのこうの」とはいっさい語らず、ただ、東大構内で起きた教官と学生との「摩擦」「揉み合い」について、双方の所見、つまり具体的な「状況内理解歴史学」的データ(「史実的知識」)を、「理解社会学的一般経験則」(「法則的知識」)にリンクさせ、双方の「行為連関」として再構成しました。その結果、教授会および当局の事実誤認という大学として致命的な過ちと、それを踏襲-温存したまま (1969118-19日、安田講堂その他に) 機動隊を再導入した、さらに重大な過ちを、突き止め、「明証的」かつ経験的に妥当な」「理解科学的」論証に練り上げて、公然と論陣を張りました。なるほど、結果としては、「政治的勝利」ないし「裁判における勝訴」にはいたりませんでしたが、論証内容の学問的真理性はいささかも揺らぎませんでしたし、いまもって揺らいではいないと確信しています。一昨年、『東大闘争総括――戦後責任・ヴェーバー研究・現場実践』(2019、未來社)と題する一書を刊行し、そのなかで詳細に語っていますので、どうか存分に批判的にご検討ください。

もっとも、その拙著では、小生が「自家薬籠中のもの」とし、教授会や法廷における所見表明や弁論に活かしたつもりの、ヴェーバーの「理解科学的」方法とはどういうものか、について併せて読者にお伝えし、小生の応用が適正であったかどうか、存分に検討していただきたいと思い、その素材として、ヴェーバー著作からの引用も随所に交え、解説も加えました。しかし、大学の教授会や地裁の法廷という市民社会の現場における往時の発言では、「ヴェーバーによれば……」などと引証している余裕はなく、許されもせず、具体的な内容の主張のみを、もっぱら自己責任で、開陳-展開して論争するほかはありませんでした。

 

5. 最後に、市野川容孝氏からでしたでしょうか、そういう「市民良識の広場」における「理解科学」的所見表明が、翻って、当の「市民良識」にたいして、どういう関係で、どんな意義をもちうるか、という重要な問題提起があった、と記憶しています。E・レーデラーやA・シュッツやH・アレントなどを縦横に引用しての華々しい議論で、小生、十分には理解できませんでしたが、論点4. との関連で、上記のように集約してよければ、それには小生、当日も、「Enklave (自国の領内にある他国の飛び領地)」論として、いちおうはお答えしたつもりです。すなわち、Enklaveの住人である理解科学者は、その「囲繞地」との(「主知主義Intellektualismus」と「反主知主義Anti-intellektualismus」との対立も含む)緊張関係のただなかに立ち、「囲繞地」内に住む市民の日常経験知を、その先入観とともに引き受けながらも、まさに「一般化的法則科学としての社会学」の、そのかぎり「普遍的な」地平のなかに引き入れて、類型化、したがって相対化することができます。そうすることをとおして、市民の日常経験知が即自的には陥りやすい「自己中心性Egozentrismus-自種族 (自文化) 中心性Ethnozentrismus」からの脱却-解放を図れる、という見通しが立ちます。しかし、当日のお答えは、時間もなくて舌足らずだったことは否めません。

そこで、多少補足しますと、この問題については、じつは拙著『東大闘争総括』、pp. 208-09 (とくに注34) で、ヴェーバーがそもそも、「倫理論文」以降、それまで胸中に蓄えていた厖大な「一般経験則」「法則論的知識」「通俗心理学的知識」を、「社会学的類型概念」に鋳直し、彫琢し、「決疑論に体系化しておこうとしたのは、いったいなぜか、そうすることにどういう意味を見出し、認めたからなのか、という、まさに「ヴェーバー自身における理解社会学の創成」を理解科学的 (学問) に説明すべく、(方法論的根拠に加えて)市民社会的現実的意義の側面にも照射を当て、集約的には解説したつもりです。それを、いまここで敷衍しましても、それ以上には展開できそうもありませんので、もし興味を向けてくださる方がおられましたら、当該ページ、とくに注34をご参照いただければ、幸いです。

 

以上、またまた、老人の一徹で、しかもこんどは自説も持ち出して我田引水を繰り返し、お時間をとって、まことにもうしわけありません。

ただ、主張している内容は、小生の独善ではなく、マックス・ヴェーバーという稀有な個性とその学問的所産の真価を、若い世代のみなさんが、十全に汲み出し、健やかに活かしていってくださるように、と祈念するあまり、残り時間の少ない一学究として納得できないこと、疑問に思うことは、そのつど必ず論拠を添えて率直に提起したつもりです。中野著が、「前の小僧が売りたがる入」の類とは別格の、学問的秀作であることは、本稿執筆の前提です。

著者中野氏初め、書評会にご参加の諸兄姉のご健勝と、議論の健やかな進展-深化を祈り、今回はひとまず、以上の五点に止めさせていただきます。

 

2021613

折原浩