新型コロナウィルス禍とマックス・ヴェーバー没後100

 

 

 

H君、ご懇篤なお見舞いのメール、ありがとうございます。

 

「スペイン風邪」は、19183月から192010月にかけて、約二年半の長きにわたり、何波かの「後期大群発」が猖獗をきわめ、猛威を振るい、数千万人が肺炎を併発して犠牲となったそうです。なるほど、当時は、電子顕微鏡が発明される以前で、ウィルス禍とは分からず、手の打ちようがなかったにちがいありません。マックス・ヴェーバーも、おそらくは犠牲者のひとりだったと思われます。第一次世界大戦後の困窮と思想的混迷のさなか、講義や講演後の議論といった「三密」に身をさらし、働き盛りの年齢とはいえ、基礎疾患も抱え、過労もつのっていたのでしょう。

そうこうするうちにも、「宿主」側に抗体や免疫が育ち、優勢ともなって、さしもの大群発も、いわば「自然終息」を迎えたようです。人類とウィルスとの「動的平衡」の一齣といえるのかもしれません。

 

ところで、ちょうどヴェーバー没後100年にあたる今回の感染拡大は、つとにウィルス禍と分かっており、やがては治療薬やワクチンも開発され、普及して、感染の拡大も、人為的・医療技術的に、比較的早期に抑制され、「収束」されるのではないか、と予想されますし、そう期待せずにはいられません。

ただ、開発から普及までには、医療体制の不備・不全、最悪の場合には「崩壊」、また、政治や行政の対応力不足の現状、これに照応する国民側の自己制御力の脆弱性、など、さまざまな難関が立ちはだかっているように見受けられます。それらは本来、社会問題・社会科学の問題で、そのようなものとして究明され、解決されなければならないはずです。

 

また、今回の災禍が、最終的には「自然終息」ないし「人為的収束」にいたるとしても、まさにそのことによって、科学技術一般への過信が復活し、あるいはかえって強化され、たとえば、原発の存続・再稼働による放射能禍への警戒を緩め、再生可能エネルギーへの転換を遅らせる、という方向に誘導されはしないか、また、政治や行政による強制や管理が、強化・巧妙化されはしないか、など、「意図されない随伴諸結果」も含め、社会科学者として対応すべき問題が多々残されるにちがいありません。

 

まさにそのとき、ヴェーバー没後100年を迎えようとしているわけですが、「没後100年記念シンポジウム」の準備会員はじめ、ヴェーバー研究者のみなさんが、この問題にどう関心を向け、各人の学問に取り入れていくか、注視したいと思います。

 

いずれにせよ、今後、幾重もの困難が予想される折、どうかくれぐれもご大切になさってください。ご健勝を祈ります。

 

2020425

折原 浩