記録と随想20:「官僚制をそなえた都市王制」ならびに「専制的ライトゥルギー国家」の理論構成――――マックス・ヴェーバーにおける「古代国家の発展図式」(『古代農業事情』)が「社会学的決疑論体系」(『経済と社会』旧稿)に再編成される経緯と意義その4(58日~)

 

[承前][1]

『古代農業事情』中の ⑷「官僚制をそなえた都市王制bureaukratisches  Stadtkönigtum」ならびに 「専制的ライトゥルギー国家autoritärer Leiturgiestaat」にかんする叙述から、その構成要素を、洩れなく取り出し、(後の『経済と社会』(旧稿) における概念規定、改訂ならびに体系構成との比較にそなえて) ヴェーバー独自の用語法とりわけ原語表記に注意しながら、箇条書きしていくと、つぎのとおりである。

 

§5「官僚制をそなえた都市王制」の理論構成

 

1.「原始的な軍事王制primitives Heerkönigtum」の状態[2]からは、「貴族政ポリス」とは異なる方向への発展も生じうる。すなわち、(門閥貴族群にたいして) 王のほうが、経済力を増強し、従者団と軍事的権力手段との首長Herrとなり、軍隊を一種の体僕軍隊Leibeigenheerとし、階層的に編成される役人身分hierarchisch gegliederter Beamtenstandを創出し、完全に掌握して、これによって「臣民Unternen」を統治する。(この方向への発展において「合理化」が徹底されると、⑸「専制的ライトゥルギー国家」に到達する。)

 

2.「官僚制をそなえた都市王制」においては、「都市」は、王と王の宮廷役人Hofbeamtenとの居城Residenz となる。そのさい、「都市」が、① (エジプトのように) まったく自治をもたない場合もあれば、② (アッシリアのように) 宗教上の自治を認められる場合もあれば、  (たとえば、文書によって立証されている、バビロンのインムニテート特権のように) 王の統制下で、もっぱら非政治的な、地方行政と特定の特権とを、与えられている場合もある。

 

3. こうした専制的都市王制autoritatives Stadtkönigtumの比較的古い階梯において、平場の農村がどういう状態にあるかは、たいていの場合、ほとんど分からない。臣民の貢納義務および賦役義務Abgaben- und Robotpflichtenは、①(エジプトのように)ほぼ完全な国家社会主義にいたる場合もあれば、 私人間の取引に、自由な活動の余地がかなり大幅に残されている場合もある。この二形態のうち、どちらになるかは、王の家計の需要が、賦役Frondenによって充足されるか、それとも「租税Steuern」によって充足されるか、そうした需要充足の構造いかんによってきまる。すなわち、王制が、「賦役王制Frondenkönigtum」か、それとも「貢納王制Tributkönigtum」か、どちらの性格を強くもつか、によってきまる。

 

4. 「賦役王制」は、たいていの場合、「貢納王制」から発展を遂げる。「賦役王制」は、さらに発展して、つぎの「租税-、ライトゥルギー国家Steuer- und Leiturgiestaat」の形態に到達する。これは、「合理化」の過程Rationalisierungs”-Prozeß にほかならない。

官僚制をそなえた都市王制ないし河岸王制 Stromuferkönigtumにあっては、軍隊と役人は体僕として王に「直属gehörenし」、「臣民」は賦役および貢納を王に提供する義務を負う。そこからは、国家の需要充足が合理化されるにつれて、

つぎの ⑸「専制的ライトゥルギー国家autoritärer Leiturgiestaat」の類型が発展してくる。

 

§6「専制的ライトゥルギー国家」の理論構成



[1] 前節「§4『貴族政ポリス』の理論構成」(「記録と随想19」所収) につづく。

[2] 渡辺・弓削訳は、この「状態」を、最大の「財宝」を手中に収めた城砦王が、自分以外の城砦支配者を制圧して、自分の「家臣」にしてしまう「城砦王制」末期と見ている。