記録と随想19:「貴族政ポリス」の理論構成――マックス・ヴェーバーにおける「古代国家の発展図式」(『古代農業事情』)が「社会学的決疑論体系」(『経済と社会』旧稿)に再編成される経緯と意義(その3(5日)

 

[承前][1]

§4「貴族政ポリス」の理論構成

『古代農業事情』中の ⑶「貴族政ポリスAdelspolis」にかんする叙述から、その構成要素を、洩れなく取り出し、(後の『経済と社会』(旧稿における概念規定、改訂ならびに体系構成との比較にそなえてヴェーバー独自の用語法とりわけ原語表記に注意しながら、箇条書きしていくと、つぎのとおりである。

 

1. 古代における地中海沿岸地方の「古典的」状態にいっそう接近するのが、「貴族政ポリスAdelspolis」、すなわち、「貴族国家Adelsstaat」という類型にも同時にあてはまる場合の「ポリスPolis」である。

 

2. そこでは、「門閥Geschlechter」層が、ひとつの「アクロポリス (丘の上の城塞)」に拠って、農村地方を支配する。

 

3. この「門閥」層は、相応の規模の土地所有と債務奴隷Schuldknecht (ないし隷属民Hörige) 所有という経済的条件のもとで、武器を執る職業Waffenberufの訓練を受け、(「完全武装Panhoplie」という費用の嵩む形態における装備を自弁selbstausrüstenし、騎士的な貴族生活を営むことができる。したがって、

 

4. そうした社会層が発展しうるのはやはり、①地質Bodenquälitatが地代Grundrenteの発生をゆるす肥沃な土地、すなわち河岸の平地Flußebeneか、②貨幣利得Geldgewinnが入手可能な (外国商業に携われる沿海付近Küsteか、――このふたつのうちのどちらか、あるいは双方の条件を兼ねそなえている地理的空間においてである。

 

5. そこでは、かつて [第二階梯「城砦王制」期には]城砦王からレーエンを受けていた貴族が、いまや城砦王の支配から解放されて、「軍事的に編成され、自治をおこなう都市ゲマインデeine sich selbst verwaltende, militärisch gegliederte, städtische Gemeinde」をつくり上げる。この点こそ、初期中世の内陸におけkontinental類似の発展 [装備自弁の騎士門閥層による軍事的-政治的支配]、すなわち「封建的-領主的発展feudal-grundherrliche Entwicklung[2]と比べて、古代の特徴をなすところである(それにたいして、初期中世のイタリア [沿海諸都市における発展には、[古代における貴族政成立との]一定の類似性が認められる)

 

6. このゲマインデの指導Leitungは、①貴族「仲間の第一人者primus inter pares」としての王か、あるいは選出された役人Wahlbeamteによって、なされる。当初には  であったゲマインデでも、時が経つうちに、ほとんどすべて、② に移行する。

 

7. ただし、このゲマインデは、官僚制をそなえていない。この点が決定的に重要である[「官僚制をそなえた都市王制」との識別標識]

 

8. 騎士として生活し、都市の軍事制度に参画することができない者は、「門閥」の団体Verband der “Geschlechter” には加入できない。

 

9. この階梯では、「血Blut」すなわち「血統 Abstammung [家柄、血筋、毛並、出自]」の価値にたいする信仰が、いきわたっている。

 

10. この社会体制Sozialverfassung (唯一ではないが類型的労働力は、債務奴隷である。「貴族」とは、さしあたり「債権者」層であり、やがて地代寄生生活者層Grundrentnerschicht となる。農民は、さしあたり債務者であり、その結果、「世襲的に隷属臣民をなすerbuntertänig」存在となる。

 

11. 平場の農村には、「門閥」には属さない [としても、「自由な」農民がいるにはいるが、それと並んで、通例、債務によって奴隷に身を落とした者たちが、広汎な社会層として存立している。

 

12. この社会層はしはしば、法的にもauch rechtlich[奴隷] 身分Stand」として、自由人から区別されている。しかし、そうした特別の身分法的規制はなくとも、初期の債務法と訴訟手続法だけでこと足りた。この二法律が、支配者階級Herrenklasseによる裁判の支配Beherrschungと、そこから生まれる庇護民Klientel制度とむすびついて、同一の効果を達成したからである。

 

[56日記。記録と随想20:「官僚制をそなえた都市王制」の理論構成、につづく]



[1] 前節「§3『城砦王制』の理論構成と諸問題」(「記録と随想14」所収につづく。

[2] 中世内陸の騎士・貴族層は、農村に城塞・宮廷を構え、みずから都市に「集住」して「軍事ゲマインデ」を結成することはなかった。都市には、「職業団体」間の盟約による「都市ゲマインデ」が成立していたが、農村の騎士・貴族層は、この「都市ゲマインデ」に対峙して、その軍事的発展は抑え、商工業発展に追い込む要因となった。