記録と随想18:「記録と随想14: 『城砦王制』の理論構成と諸問題――マックス・ヴェーバーにおける『古代国家の発展図式』(『古代農業事情』)が『社会学的決疑論体系』(『経済と社会』旧稿)に再編成される経緯と意義その2)」への補遺 (55 日)

 

はじめに

前稿「記録と随想14: 『城砦王制』の理論構成と諸問題――マックス・ヴェーバーにおける「古代国家の発展図式」(『古代農業事情』)が「社会学的決疑論体系」(『経済と社会』旧稿)に再編成される経緯と意義 (その2)」では、『古代農業事情』中の「城砦王制」にかんする叙述から、その構成要素を取り出し、(後の『経済と社会』(旧稿) における概念規定、改訂ならびに体系構成との比較にそなえて) ヴェーバー独自の用語法とりわけ原語表記に注意しながら、箇条書きし、その項目ごとに疑問点・問題点を後置する試みをおこなった。そのさい、筆者は、当の「⑵『城砦王制』にかんする叙述」として、『古代農業事情』中、. Einleitung (序論) 2. (MWG,/6: 363-64; 渡辺金一・弓削達訳では「() (2)『城砦王制』」と中見出しが付けられている箇所: 58-60) を採り上げたが、そのかぎりでは、⑴「農民共同組織」に出現した「(政治的な)Häuptling」が ⑵「城砦王制」の「王König」に転進する経緯について、十分な説明がなく、問題点と見て、私見をもって補った (2’. 3’.)

ところが、それはじつは、筆者の早とちりで、ヴェーバーは、2. の叙述のあと、3. (MWG,/6: 364-65; 渡辺・弓削訳「() (3)『貴族政ポリス』」) では「貴族政ポリスAdelspolis」、4. の前半 (MWG,/6: 365; 渡辺・弓削訳「() (4)『官僚制をそなえた都市王制』」) では「官僚制をそなえた都市王制bureaukratisches Stadtkönigtum」、それぞれの類型を設定して、二方向への発展の分岐を見通したうえ、4. の後半 (MWG,/6: 365-67; 渡辺・弓削訳「() (3)(4)の国家形態と経済との関係」) で、いったん2.「城砦王制」に立ち帰り、1.「農民共同組織」からの発展も跡づけながら、3.「貴族政ポリス」と4.「官僚制をそなえた都市王制」への発展の岐路に論を進める、という (いわば「二段構え」の) 叙述構成を採っていた。

本来ならば、筆者としても、① 当該叙述の前後を広く照合して、ヴェーバー自身の思念内容を的確に把握し、 後段「各論」の具体的叙述内容も十分咀嚼したうえで、『古代農業事情』における「古代国家の発展図式」から、『経済と社会』(旧稿) における「社会学的決疑論体系」への再編成という主題に、論を進めていくべきであった。ここに、「記録と随想14」の不備をお詫びし、2’. 3’. の問題提起に答えているヴェーバー自身の論点を、4. の後半から繰り入れて、補遺とする。ちなみに、こういうことは、遺憾ながら、ヴェーバー読解の途上で頻繁に起きてしまうが、せめて、こうした補正を重ねることで、一歩一歩、かれの論旨に迫っていきたい。201754日記]

 

補遺1.「長」が「王」に推転する基礎は、外国商業による「財宝」の蓄積: ――

「第二の類型 [城砦王制] 一般は、まったく例外なしに、つぎのような事情にもとづいて発展してくる。すなわち、[「農民共同組織」に登場する] Häuptlingが、たとえばドイツの占領以前に (部分的にはそれ以後にも) カメルンの『王たちKönige[1]がおこなったように、外国商業Außenhandelを独占するか、あるいは、みずから独占するにいたらなくとも、なんらかの仕方で外国商業に貢物提供の義務を負わせて、『財宝Hort』を蓄積するのである。こうした財宝が、すべての原始的primitivな――つまり、ニーベルンゲン、ミュケーナイ、ユダヤ、ペルシア、およびインド[2]の――『王たち』に不可欠の基礎をなしている」MWG,/6: 365-66; 渡辺・弓削訳: 62-63)。

 

補遺2. 農民の債務奴隷化: ――

「農民の経済的隷属化が、これと結びついている。すなわち、ヨセフ伝説 (創世記47: 15-26) に典型的に描かれているとおり、農民は、困窮の年に、消費および播種のため穀物の貸し付けを受ける。そして、それと引き換えに家畜・土地・身体を差し出して、債務奴隷Schuldknechtschaft [の身分] に身を落とし、収穫物の一部を提供する条件で、家畜・土地・身体の返還を受け、これらにたいして小作人Koloneとしての権利を与えられるのである」(MWG, /6: 366, 渡辺・弓削訳: 63)

 

補遺3. ⑵「城砦王制」以後の発展が、⑶「貴族政ポリス」に向かうか、それとも、⑷「官僚制をそなえた都市王制」(をへて ⑸「独裁的ライトゥルギー国家」に「合理化」される方向) に向かうか、双方を分ける契機: ―― 

「発展がその後 [⑵「城砦王制」以後]⑶「貴族政ポリス」の状態に向かうか、それとも「官僚制をそなえた都市王制」に向かうか、の岐路には、明らかに錯綜した、片や地理的、片や純歴史的な、諸条件が介在している (後述を見よs.u.)(MWG, /6: 366, 渡辺・弓削訳: 63)

この「後述」の箇所として、全集版は、「各論」ギリシア章中のS. 468-73 (渡辺・弓削訳で、「9. 初期の植民」と「10. 城砦王制の衰退とその諸契機」という中見出しを付された二節) を、渡辺・弓削訳は、S. 94 (全集版ではS. 456-57) を、それぞれ注記して、所見が分かれている。しかし後者は、なにかの間違いと思われる。この箇所で、著者は「ギリシアにおける初期の家ゲマインシャフト形態」を論じている。しかしこれが、⑵「城砦王制」以降における発展の分岐を規定した主要な「純歴史的」条件とは思われない。

 

補遺4. にも にも共通の内部事情: ――

[この論点については、⑶「貴族政ポリス」と ⑷「官僚制をそなえた都市王制」とを概観したあとに、採り上げる。]

 

このあと、記録と随想19:「貴族政ポリス」の理論構成と諸問題――マックス・ヴェーバーにおける「古代国家の発展図式」(『古代農業事情』)が「社会学的決疑論体系」(『経済と社会』旧稿) に再編成される経緯と意義 (その3につづく201755日記]



[1] MWG,/6: 366の訳注62によると、(ドイツ帝国が1884年に植民地とした) カメルンの「村落長Dorfhäuptlinge」にたいする英語の呼称が ”kings” であったという。

[2] ここでヴェーバーが、『古代農業事情』の「序論」冒頭における対象範囲の画定 (ヨーロッパとオリエント) からは逸脱して、インドの王に言及している事実が、注目を引く。かれが1916年に『社会科学・社会政策論叢』に発表した「世界宗教の経済倫理」シリーズの第二作「ヒンドゥー教と仏教」には、つぎのような叙述がある (この箇所、深沢宏訳 [1983、日貿出版: 80-81] は、ヴェーバーの比較歴史社会学におけるインド論の位置づけに支障をきたしかねないので、全文、訂正して、訳出する)。「ヴェーダ聖典に現われるインドの古い軍王たちHeerkönigeは、『マガーヴァン [気前のよい施与者]』仲間の第一人者primus inter pares であり、この『マガーヴァン』とは、[オデュッセウスが漂着したコルキュラ島の住民] ファイアークス人Φαίαξの『貴族die Edlen』に相当する者たちであった。インドの古典時代 [紀元前400年から紀元400年にかけて] には、この門閥Geschlechterに代わって、『クシャトリア』カーストが登場するが、これも後代、実態としては消滅している。最古の資料によって辛うじて解明できるインド軍制Militärverfassungの最初期には、自分の氏族Sippenと従臣Gefolgschaften (王の民Königsleute) とを麾下にもつ、ホメーロス風の [ホメーロスの叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』に出てくる類例に似た] 城砦王たちBurgenkönigeが登場する。北欧の狂暴戦士Berserker、イスラエルの猪武者Moschua、カリスマをそなえた戦争長 (首領) charismatische Kriegshäuptlinge、カリスマ的『勇猛戦士Degen』の流儀で闘うカリスマ的英雄戦士は、一時期、普遍的に広まったuniversell verbreitet現象であるが、当時のインドではそういう時代はすでに後景に退いている。インドの叙事詩時代 [紀元400年以降] には、そうした現象の痕跡が留められているにすぎない。ましてや、戦士への『カリスマ覚醒』教育、壮丁の戦闘訓練のための『メンナーハウス』起居、戦闘能力・勤務資格を失った老人の『隠居』身分への引退というような、カリスマ的英雄戦士時代に特有の諸制度にいたっては、同じく普遍的に広まったuniversell verbreitet現象ではあるが、インドの初期には、ますますもって、後退してしまっていた」(MWG,/20: 128)

なお、この論点については、MWG, /6: 465 (渡辺・弓削訳: 187-88); /22-5: 175 (世良晃志郎訳『都市の類型学』、1964、創文社: 177 ) にも、関連叙述がある。