記録と随想13: 「原生的状態」(「農民共同組織」) の理論構成と諸問題――マックス・ヴェーバーにおける「古代国家の発展図式」(『古代農業事情』)社会学的決疑論体系」(『経済と社会』旧稿) に再編成される経緯と意義(その1)(21日)

 

[承前]

§ 2 「原生的状態」(「農民共同組織」) の理論構成と諸問題

まず、「農民共同組織」にかんする叙述から、その構成要素を、洩れなく取り出し、(後の『経済と社会』(旧稿)における概念規定、改訂ならびに体系構成との比較にそなえてヴェーバー独自の用語法とりわけ原語表記に注意しながら、箇条書きし、その項目ごとに疑問点・問題点を後置していくと、つぎのとおりである。

 

1.「後代の都市Stadt遙かなる先駆形態ferne Vorläufer」として、「敵性の襲撃feindlicher Überfall」にそなえて「防壁Schutzwälle」が構えられる。

 

1’. 冒頭のこの一文にたいしても、ただちに、つぎの疑問が浮かぶ。すなわち、では、「防壁」の建設以前には、事情はどうだったのか ?、「敵」とは何か ?、どこから来るのか ?、ある規模の「人間群」が、互いに「敵対」し、「襲撃」と「防御」を繰り返す「狼」状態を、先行する対外関係の常態として想定できるのか ?、できるとすれば、いかなる根拠からどの程度の「普遍性」をもってか[1] ?

防壁への「定住」は、どのようにおこなわれたのか ?。「定住」の社会的単位(としての「集群Gruppe」ないし「ゲマインシャフトGemeinschaft」)は、どういう契機から形成され、いかなる「紐帯」「絆」によって、どの程度の「凝集性」を保っていたのか ?

この点につき、いきなり (無概念的に)「種族Stamm」を持ち出す議論[2]があるが、それでは「種族」とは何か ?、「部族」と同義か ?、とすれば、その「部族」とは何か ?、「氏族Sippe」「支族Phratrie」「民族Volk」「国民Nation」「人種Rasse」といった (しばしば混用される) 類似の語と、概念上はどう違い、それぞれどう区別されるのか ?

そもそも「農民共同組織」をなす「農民」とは何か ?、どのように暮らして (「生計を立てて」) いたのか ?、なぜ「農民」なのか ?、なんらかの「農耕」によって暮らしていたにはちがいないとしても、その「農耕」とは、いかなるものだったのか ?、とりわけ「家畜保有」をともなっていたのか ?、ともなっていたとすると、家畜の種類 (羊や山羊のような家畜か ?、牛や馬のような家畜か、馬はやがて軍事的に、戦車の牽引に用いられるようになるが、「原生的」な「襲撃」にも、そうした萌芽はあったのか) ならびに飼育様式 (遊牧か、放牧か、牧草地飼育か) は、どうだったのか ?、「多様」にはちがいなかろうが、なんらかの「類型化」はできないか ?

それというのも、ヴェーバーは、この「古代農業事情」の冒頭で、考察の範囲を、西アジアとヨーロッパに限定するにあたり、アジアとの歴史的「定住事情」の差異を取り上げて特筆している。すなわち、東アジアでは「遊牧に付随する粗放な耕地利用Ackernutzungから、酪農用家畜の保有を欠く園地農耕へと移行」した、ところが、ヨーロッパと中東では、それとは対照的に、「家畜飼育とりわけ酪農用家畜飼育の著しい優勢の後、[食料確保の余地が狭くなるにつれて] 土地をokkupierenして土地耕作に移行」した、という。そのさいの「土地専有Bodenappropriation」は、「耕牧地ゲマインシャフトFlurgemeinschaft」――「占拠領域Gebiet [] ゲマインシャフト」が、特別の牧草地区Weiderevieren」を設定して、その用益を [下位単位の] ゲマインシャフト群に (共有権(マルク)』『共用地(アルメンデ)』として) 割り当てる――という形態をとり、「その随伴現象」として「家畜所有個人主義Individualismus des Herdenbesitzes」が生まれた[3]、というのである。

ところが、この視点は、「古代国家」の「発展図式」と有機的には結びつけられ、「古代農業事情」のかぎりでは、初発の「断想」に終わっている、という印象をいなめない[4]

ところで、「農民共同組織」が形成されるさい、なんらかの「長Häuptling」は、まだ存立-「分化」していなかったのか ?、「分化」以前とすると、「防壁」建設指揮」は、誰が執ったのか ?、指揮なしに「自然発生的」に、あるいは各人が「輪番に」指揮を執っておこなわれた、というのか ?、「指揮」機能が創成され、特定の個人に「特化」して掌握されたとすると、そうした「分立」は、どういう機縁に発し、どういう経過をたどったのか ?

以上のように、考古学・文化人類学・民族学などの知見を援用して答えられるべき、数々の疑問が浮かぶ。こうした問題点を念頭において、ヴェーバーの叙述を、さらに追っていこう。

 

2.「農民共同組織」の内部では、「家ゲマインシャフトHausgemeinschaft」と「村落Dorf」が、個々人の生存を「経済的ökonomischに」保障している。

 

2’. では、「家ゲマインシャフト」とは何か ?、「家屋Hausを共にして生活している人間集合態」の謂いか ?、それとも、なんらかの「血縁Blut」関係が想定されているのか ?。とすると、「家ゲマインシャフト」は、(ここでは言及されない) 「家族Familie」と、どうちがうのか ?

 他方、「村落」とは何か ?、それは、「家ゲマインシャフト」とは異なり、なんらかの「近隣縁Nachbarschaft」による「近隣ゲマインシャフトNachbarschaftsgemeinschaft」ないし「地域ゲマインシャフトGebietsgemeinschaft(ないし、その下位単位) にはちがいなかろう。しかし、厳密にはどう概念規定されるのか ?

また、「家ゲマインシャフト」と「村落」とが、「個々人の生存を経済的に保障する」という場合、双方がそれぞれいかなる面でどのように「経済的生存保障」機能を果たし合うのか ?

そもそも経済」とは何か ?。そうした「本質」問題は暫くおくとしても、「経済的生存」の「諸必要 Bedürfnisse [ニーズ]」を、「日常的」・「恒常的」と「非日常的」・「間歇的」とに分けると、「家ゲマインシャフト」は前者に、「村落」は後者に、それぞれ対応する、と見てよいか ?

双方、とくに「家ゲマインシャフト」は、後段7. で提出される「生計ゲマインシャフトNahrungsgemeinschaft」と同義か ?、とすると、『経済と社会』(旧稿) の冒頭で提出される「経済ゲマインシャフトWirtschaftsgemeinschaft関連の諸概念 (「経済ゲマインシャフト」「経済営むゲマインシャフトwirtschaftende Gemeinschaft」「経済統制ゲマインシャフトwirtschaftsregulierende Gemeinschaft」など) と、どういう関係にあるのか ?

 

3.「農民共同組織」の内部で、「家ゲマインシャフト」と「村落」以外には、血の復讐団体Blutracheverband、祭儀団体Kultverband、防衛団体 Wehrverbandが、警察・宗教および政治的 [安全] 保障の機能を果たしている。ただし、こうした団体が、「古代の原初期Urzeit der Antike」に、いかなる構造をなしていたか、上記の諸機能が、あるひとつの団体に統合-掌握されていたのか、それとも、各機能がそれぞれ複数の団体に掌されていたのか、といった諸事情については、確定的なことはなにも分からない。

 

3’. ここには、前項2. の「ゲマインシャフト」とは異なる「団体Verband」が、いきなり登場する。それでは、「団体」とは何か ?、「ゲマインシャフト」とどうちがうのか ?、「ゲマインシャフト」が、どう組織され、どういう性格を帯びたときに、「団体」となるのか ?

なるほど、ここでは、(「団体」の概念は「自明の前提」とされたうえで)「団体」ごとの機能」とその「分化」という観点が、導入されている。ところが、たとえば「血の復讐団体」の場合、「農民共同組織」の構成員全員が「血の復讐」に「連帯責任」を負って、いざというときに決起するのか ?、それとも、「連帯責任」の範囲が、なにほどか限定され、特化した「団体員」に割り当てられるのか ?、後者の場合、その「常任戦闘員」はどのように選抜されるのか ?、「全員総決起」にいたるのは、どういう条件のもとにおいてか ?

つぎに、「祭儀Kult [礼拝]」とは何か ?、「宗教Religion一般のなかで、どういう位置を占めるのか ?、それ以前に、そもそも「宗教」とは何か ?、「生活」一般のなかで、いかなる位置を占め、どういう機能を果たすのか ?、「呪術Zauber」ないし「魔術Magie」と、どうちがい、どこでどう区別されるのか ?

また、「防衛」活動は、「敵性の襲撃」を受けたときに発生するにはちがいないとしても、純然たる「臨機的」活動に止まるのか、それとも、なにほどか「組織化」され、「多年生化」「恒常化」されるのか ?、「組織化」されるとすれば、そのさい、「指揮」を執るのは、誰か ?、逆に「襲撃」を「企てる」ときは、どうか ?、そうした「防衛」や「襲撃」は、「政治」とどう関連するのか ?そもそも「政治」とは何か ?

当の「農民共同組織」が、なんらかの事情で慢性的に戦争状態に置かれるとすると、「防衛」や「襲撃」に臨機的・一過的に携われば済む、というわけにはいかなくなり、いわば「常任戦争要員」とその「指揮者」を選抜し、常時、戦闘訓練を施し、武器・糧秣の備蓄も怠らない態勢への移行、すなわち「戦争準備態勢」の「合理化」が、企てられるであろう。

そのようにして、「ある範囲の『領域Gebiet』と在住者を、暴力行使ないし暴力行使の威嚇によって、秩序ある制圧 (-支配) 下に置こうとする――あるいは、当の『領域』の拡張を企てる――ゲマインシャフト行為」として「政治ゲマインシャフト行為politisches Gemeinschaftshandelnが発生するであろう。そして、当の「ゲマインシャフト行為」における「合理的」「ゲゼルシャフト結成」の初発の第一階梯として「常任戦争要員」の特別組織――すなわち、「メンナーハウスMännerhaus」に起居する「メンナーブントMännerbund」――が創設され、これがやがては、いっそう包括的な「政治団体」の「強制装置Zwangsapparat」に編成される、という発展方向が見通されている、といえよう。

 

ともあれ、上記のような疑問が、つぎつぎに浮かぶ。

ところが、一文をもって叙述されているこの三項目にかぎっても、こうした基本的に重要な諸点について、「明確な概念」が構成-提示され、展開されているとはいえない。つまり、この「古代農業事情」では、ヴェーバー自身がまだ多分に無概念的な思考水準にある、といわざるをえない。「家ゲマインシャフト」「村落」「血讐団体」「祭儀団体」「防衛団体」といった言葉だけを、日常語のまま慣用にしたがって素朴に使っており、いったん立ち止まって、各々の「自明性を破砕し、「経験の規則に準拠して明確な概念に練成するには至っていないのである。

したがって当然、そうした「社会諸形象Sozialgebilde [「社会的にかたちづくられたもの」「社会構成体]」にたいする「行為論的な――「行為」に分析-還元する――捉え返しもなされてはいない。種々の「ゲマインシャフト」や「団体」が、それぞれまるごと、「集合」あるいは「集合的主体」として、いきなり持ち出されている。素朴な「全体論 holism」のままで、「原子論 atomism」的「分析」がなく、したがって当然、「全体論と原子論との総合」がなされるわけはない。各「社会形象」について、逐一、構成員「諸個人の行為」にまで、いったん分解し(「還元」し)そのうえで、「行為」が「意味」上「分節化して画定される生活諸領域 (「政治」、「宗教」、「経済」……) ごとに、「家ゲマインシャフト」や「村落」や各種「団体」を、まずは「行為連関態」として捉え返し、そのうえで順次、そうした「連関」が多少とも「秩序づけ」られ、この「秩序」(行為が事実上準拠する「格率Maxime」のシステム) が「多年生化」「継続化」「恒常化」して、「行為連関態」がいわば「塊・単体『であるかのように』」一見「凝固」して現れる、そうした「社会形象」として、捉え返してはいない。ということはつまり、日常的思考習慣における「集合的主体」・「社会形象」の (無自覚な)「実体視」から脱し、当の習慣を斥けたうえ、各「社会形象」を構成し織りなしている諸個人の行為Handeln(主観的に「意味Sinn」を込めた「振舞い・行動Verhalten」)、とりわけ (「仲間のなかの第一人者primus inter pares」・「長Häuptling」から「首長Herr」「諸侯Fürst」「支配者Herrscher」にいたる) 規定的ausschlaggebend」諸個人の「行為」を、前景に取り出し、その「動機Motiv(主観的「意味」の次元における「行為の根拠」) にも遡って、そこからふたたび「社会形象」を捉え返し(それが「凝固」し、「固有法則性」をそなえている「かのように」現れるのは、「かくかくしかじか」のかぎり、というふうに)「説明する」、(じつはヴェーバーに独自の)理解社会学」的方法視点を、少なくとも具体的に貫徹するには至っていない、ということであろう。

 

4.「自由frei」人とみなされる「民仲間 Volksgenossen」はすべて、「土地所有Bodenbesitz」に関与し、「さほど多くはない奴隷を所有してbei mäßigem Sklavenbesitz」、[みずからも]「野良仕事Feldarbeit」に携わっている。

 

4’. ここに初めて、「自由人と奴隷」との分化、その契機としての「所有」といった概念が登場する。しかしここでも、さまざまな概念が、未規定のまま混み」になって、一挙に出現している。

まず、「民Volk」とは何か ?文面からはひとまず、「農民共同組織」の (奴隷以外の) 構成員一般で、土地と奴隷の「所有者Besitzerと解されよう。しかしそれでは、当の「民」が、どのようにして、まさに「民」・「民仲間Volksgenossen」として、対外的には「民」「仲間」としての「余所者」から、また対内的にも、同じく「非民」「非仲間」としての「奴隷」から、区別されるようになったのか ?、そうした「(民と非民との) 分化」、「対内関係と対外関係の二重性」ならびに「対内的『奴関係』」は、どのように創成されるのか ?

そうした対内的「仲間関係」形成は、「土地所有」また「奴隷所有(という「(所有) 対象との関係) と、どういう関連にあるのか ?もそも「所有」とは何か ?ある範囲の「人間群」が、「民仲間」への「ゲマインシャフト形成Vergemeinschaftungと同時に、あるいはそれを背景ないし基盤として、「非民」への「敵性」の「襲撃」を敢行し、「戦勝」の場合には、「戦利品」として、「非民」・「敵」の拉致・「奴隷化」と、「非民」の「土地」の「占取Besetzung」「占拠Okkupierung」がなされ、当の諸対象がなんらかの規準にしたがって「民仲間」間に分配」され、「所有Eigentum(最終的には、個々人の「私的所有Privateigentum) に帰する、という経過をたどるのか ?、つまり、奴隷や土地といった対象の専有は、個々別々にではなく、対外的ゲマインシャフト形成による集団的占取・占拠と、そのようにして一体として占取占拠された諸対象総体対内的配分として、同時におこなわれる、と見てよいか ?

とすると、当の「人間群」(やがて「民仲間」) が、「好機到来」とばかり「闇雲に」「襲撃」に打って出る、あるいは突発的な「襲撃」を受けて「条件反射的に「防御」に当たる、というのではなく、あるいはそれに止まらず、戦勝時の「戦利品 (対象) 分配(あるいは戦敗時の「痛み分け) 予め見越して、つまりある程度 (「理知ratio」をはたらかせ、結果を「計算」-「予想」し、その意味で)合理的rationalなんらかの「取り決め」をし (「協定を結び」)、そのようにして「民兵・戦士」を創出-「組織」することもあろう。とすれば、その場合には、「戦利品」としての「所有」対象(「土地」と「奴隷」)の「獲得Aneignung」を目当てに、「仲間」間で、(明文をもっては規定・確定されないとしても) なんらかの「規範Norm」・「準則Maxime」・「規則Regel」を定め、その意味で「秩序Ordnung制定」し、あるいは「そのようにして制定された秩序に準拠してsich an der gesatzten Ordnung orientiert」、「戦闘行為」という「ゲマインシャフト行為」に打って出るばかりか、事後の「所有」も、そのようにして集団的・一体的に「獲得」された「戦利品」としての「諸財Güter」総体を、一定の制定規則にしたがって「仲間」間に配分し、確保し、保障していくことにもなろう。といことはとりもなおさず、当の「民兵・戦士形成」が、「ゲマインシャフト形成」は「ゲマインシャフト形成」でも、単純な (「無秩序・無定型amorph」の) 「ゲマインシャフト形成」ではなく、同時に (制定秩序に準拠する) ゲゼルシャフト結成Vergesellschaftung」としてなされる、そのかぎり「ゲゼルシャフト結成」でもある、ということであろう。

となると、太古の (相対的にはもっとも)「原生的な」状態でも、少なくとも「農民共同組織」の階梯では、「戦争行」・「略奪行」ないしは「防御」が、「闇雲の」「突発現象」ではなく、上記の意味で「理知」にリンクされる常態となるや、そのかぎりで、すでにゲゼルシャフトが成立していることになろう。「太古からゲゼルシャフトありき」というこの命題は、「ゲマインシャフト (共同社会) からゲゼルシャフト (利益社会) へ」というF・テンニエス以来の学界-社会通念を覆す創見ではなかったか。

 

5.「政治的な長Häuptling」の地位と、たいていは「束の間ehemer」ないし「短期で一過的transitorisch」なその機能は、「たとえばゲルマン民族の場合とも異なってはいなかった」[5]と見てよい。「長」は、「戦争の脅威kriegerische Bedrohung」が迫るときに発生し、存立する。平和の時期には、「内紛が生じたときの『裁判官Richter』として、たいていの自然民族の場合と同様、[仲裁・調停・示談といった] 穏便な手段をもって対処する」のみである。

 

5’. ここに初めて、 (「民」の「水平的仲間関係」から「一頭地を抜く」)「長」が、(垂直的支配関係」への端緒として) 出現する。その機縁は、臨機的・一過的な戦争指揮機能の掌握に求められている。

平和時には、その「長」が、対内的関係において「内紛」が生じた場合の「調停者・裁判官」として振る舞う。ただし、(参照を指示されている)「古ゲルマンの社会組織」では、戦時の「長」とは別個に、平和時の裁判官が登場し、機能が分立する、というふうに語られている。

 

6. ところで、そのように「生まれたばかり」の「長」は、[なにかいきなり、専権的・恣意的に振る舞えるわけではなく、さまざまな制約に服さなければならず、まずは] 危険なしには「伝統Tradition」を破れない。したがって、伝統をもっともよく知る「長老たちdie ältesten Männer」が、おのずと長に助言し、長を補佐する [が、それは同時に、「長」が「長老たち」によって牽制され制約される、ということである]

他方、「政治案件」が、長老たち [からなる「予先審議機関Gremium (委員会)] の範囲を越え、「農民共同組織」の構成員全員に共有され、「政治問題politische Angelegenheiten」として重きをなす場合もあろう。そうなると、全員が「政治集会 (総会)」に招集され、参加して、討議に加わり、場合によってはなんらかの形で「決議」に関与することもあろう[いわば「直接民主制」的制約]。しかし、そうなるかどうかは、政治状況のいかんによる。

 

6’. このようにヴェーバーは、「発生状態」の「長」について、ただちにその制約関係に論を転じ、まずは「伝統」とその「自然な体現者」としての「長老たち」による掣肘を挙示する。しかし、それでは、「伝統」とは何か ?、„Gewohnheit [習慣]“ „Brauch[慣習]“ „Sitte [習俗] Konvention [慣習律]“ „Gewohnheitsrecht [慣習法] など[や、他方では「法Recht」]と、どこでどうちがうのか ?、「伝統」に準拠する複数個人の行為は、「伝統」の「規範的拘束」にしたがうかぎり、それなりの「規則性」を示し、その範囲内で「予測と計算が可能berechenbar」になろう。しかし、それでは、「規範的拘束」のそうした事実上の「妥当Geltung」は、何によって「効果あらしめ」られ、「保障garantierenされるのか ?

「伝統」がなにほどか「強固」に「(経験的に)妥当」し、「長」さえも縛るとすれば、「伝統」を破って「何か新しいものetwas Neues」をもたらす „Umsturz [顚覆]“ „Revolution [革命]“ „Neuerung [革新]“ „Reform [改革]“ は、そもそも不可能なのか ?、そうでなければ、いかなる場合に、どういう条件のもとで可能なのか ?、それぞれの類型的「随伴結果」はどう?

他方、「政治案件」が、「長老」の範囲をこえて全員に共有され、「政治集会」に持ち出されて、「長」も、(場合によっては) その「討議」あるいは「決議」に拘束されることもある。この提言には、言外になにか「原生的直接民主制」が示唆さいるとも解されよう。ヴェーバーはなるほど、「それも『政治状況』次第」と、「過当な一般化」にたいしては「釘を刺して」いるが、それでは、稀有にせよ、臨機的にせよ、「直接民主制」がともかくも実現されることは、あるのか ?あるとすれば、いかなる「政治状況」においてか ?一過的にせよ「直接民主制」が実現される場合、その効果は、その後、いかにどの程度持続しうるか ?、そのためにかえって、「悪転・リバウンドRückschlag」が生ずることもあるのか ?、あるとすれば、いかにどの程度にか ?

ここでも、こうした問いが、つぎつぎに浮かぶ。

 

7. 以上六項目の叙述に登場する(「農民共同組織」の)構成要因においては、諸個人の「社会的」「連携-団結Zusammenhangの絆はもっぱら「生計の共有-維持Nahrungsgemeinschaft [生計ゲマインシャフト]」に求められている。ところがやがて、「血Blut」の絆による「門閥Geschlecht」の結束が出現する。それはまず、「長」の「氏族Sippe」で優勢となり、意義を高める。

それというのも、ある「長」が、傑出して「武勲」を立てたとか、際立って鮮やかな「名裁定」をくだしたとか、の事跡は、[余人には達成できない「超人的」偉業と感得されるばかりでなく]「神々の寵愛によるvon den Göttern bevorzugt」功業と解されて、記憶に刻み込まれ、この契機が長」の地位を「正当化legitimieren」するからである。

 

7’. ここには、重要な理論的含みが、いくつも出揃っている。

まず、「長」個人の (後の用語では)「カリスマ的charismatisch」な功業から、やがて当の「即人的persönlich (純正) カリスマ」が「血統カリスマGentilcharisma」に「日常化veralltäglichen」されて、「長」一族(「氏族」)「結束」を固め、「権威」も高め、「門閥の形成にいたる経緯――「長」個人が、「一頭地を抜く」存在とはいえ、「仲間のなかの第一人者primus inter pares」として、「伝統」にも、「仲間衆」にも大幅に制約される状態から、この制約に逆らって「即人的persönlich」にも恣意・専権を揮い、これを梃子に、「勢力Macht」を強めて、「主人-首長Herr」にのし上がる経緯(「仲間関係」の「主従関係」への転態)――が、まだ「カリスマ」の概念も「その日常化」という理論的定式化もともなわずに素描されている。

しかもそのさい、「カリスマ」が、「人間業とは思われない」にせよ、それでもやはり「人間の経験的事実群のいわば最上級に止まる階梯から、人間界の背後に「精霊Geister」「霊魂Seelen」「神々 Götter」といった、なにか「超感性的übersinnlich(その意味で「超自然的übernatürlich) な「諸威力Mächte」が想定され、それらによって構成される「万神殿Pantheon」がいわば「高次の法廷」として、当の「長」や「長」一族を「認可」し、「カリスマ的」「血統カリスマ的」たらしめている、したがって、「長」や「長」一族は、たまたまたんに事実上、「功業」をなし遂げ、達成しつつある、というだけではなく、「故あって『正当にlegitim』そうあるほかはない」と感得される階梯、つまり「カリスマ的なもの」がいわば「格上げ」され、「宗教的」契機によっても媒介され、「正当化」されて、威力を弥増す事情[6]が、考えられている、とはいえよう。

ところで、ここに初めて登場する「氏族」とは何か ?、基本的には、「『祖先』したがって『祖先の霊』を『共有』する、ある範囲の『血縁』関係で、そう信ずることによって現実に、あるいは擬制的に、ゲマインシャフトをなしている人間群」というふうにも概念規定されよう。では、そこから、「相互間の性交の回避」「血讐義務」「財産相続権」その他が、どのように派生し、いかなる範囲におよぶのか?、たんなる「氏族」が「門閥」となるのは、どういう場合で、その標識は、何に求められ、どう規定されるのか ?、「種族」「支族」「部族」といった類例群 (「種族的ethnisch「ゲマインシャフト関係」) とは、どこでどう区別されるのか ?

 

8. ところで、「長」の「氏族」は、そうなって (「血統カリスマ」的に「正当化」され、「門閥」となって) 初めて経済上も、「自発的な贈り物freiwillige Geschenke」を受け取り、「戦利品」の分配のさい、「優先的に処遇Vorzug im Beuteanteil」されたり、場合によっては、特別に指定された「持分地ein speziell ausgewiesenes Landlos」を取得したりもする。

 

8’. となると、「原生的な」「社会層分化soziale Differenzierung」は、経済的条件によってではなく、「主として政治的、部分的には宗教的な」条件によって規定され、まずは「門閥」が分化し、これが結果として経済上の分化をもたらす、というふうに解されているのであろう。この点、ヴェーバーは、「古ゲルマンの社会組織」(1905) では、つぎのとおり明快に定式化している。

「……ゲルマン古代についても地中海古代についても、最古の社会層分化die älteste soziale Differenzierungは、われわれの知りうるかぎり、主としては政治的な部分的には宗教的な事情に起因し、主に経済的な原因に由来するのではない。……経済的分化なるものは、むしろ前二者の結果および随伴現象として、あるいはごく現代的な言い回しを使えば、前二者の『函数』として、理解されなければならず、その逆ではない。戦争の指揮や戦争終了後における不断の武技訓練が、法発見Rechtsfindung [個別事例における「正義」の発見・判決] とともに、昔からそうした局面で [卓越した力量・カリスマを] 確証bewährenされた英雄門閥Heldengeschlechterの手中に掌握されるということ、これらの門閥では、父権制的氏族vaterrechtliche Sippeが――父権制氏族がもっぱらそこに、排他的に成立したわけではけっしてないとしても―― (ときには宗教的な諸動機も協働して) 自由人大衆die Masse der freien Leuteに比べてはるかに強固な団結を維持しているということ、これらの事情こそが、かれら特有の [自由人大衆とは区別される] 地位を次第に強化し、奴隷所有や家畜所有にもとづく経済力の優越ももたらし、かれらがひとたびそうした地位を獲得するや、その維持にも与って力あったのである。『原始時代Urzeit』にもこうした用語を適用してよければ、『騎士的ritterlich』な生活様式Lebensführung[つまり「身分」要因] が、かれらを他 [の自由人大衆] から抜きん出させる。なるほど、そうした生活様式が、往々にして、いな、世襲の私的な土地所有が完全に発展を遂げている場合には、むしろ通則として、荘園領主のgrundherrlich地位と結びついていることは明らかであり、あるいは、荘園領主の地位が、そうしたところ [奴隷財産や家畜財産にもとづく経済力の優越] から発生することある。ところが、ある荘園領主が、同じ身分の他の自由な仲間übrige, freie Standesgenossenにたいして優位を占めることÜberordnung自体は、通則として、そうした事情 [奴隷財産や家畜財産にもとづく経済力の優越] から発生するのではけっしてないし、それと結びついているのでもない――ホメーロスやヘシオドスの時代にも、ドイツの英雄物語の時代にも、けっしてそうではなかった。とすると、後代の荘園領主の地位を『門閥』の優先的地位の結果随伴現象と見るのではなくて、むしろ前者を後者の原因と見なすとすれば、少なくとも通常の因果関係を逆転させることになる。荘園領主制の歴史的位置をそのように見るのは、土地が有り余っている時代には、たんなる土地所有自体はいずれにせよ経済力の基礎ではありえなかったのであるから、この理由ひとつをとってみても、すでに蓋然性をまったく欠く所見というほかはない。」(GAzSuWG: 554-55, MWG/6: 298-99, 世良晃志郎訳『古ゲルマンの社会組織』1969、創文社: 90-91)

 

201725日記。記録と随想14:「城砦王制」の理論構成と諸問題――マックス・ヴェーバーにおける「古代国家の発展図式」(『古代農業事情』) が「社会学的決疑論体系」(『経済と社会』旧稿) に再編成される経緯と意義 (その2、につづく

 



[1] この問題を根底から提起したのは、じつはマルクスであり、この問いに正面から答えたのが、筆者の知るかぎり、第一次世界大戦後のH・ベルクソンと、第二次世界大戦前後の滝沢克己である。

人間は「対象的・感性的自然存在gegenständliches, sinnliches Naturwesen」であるが、同時に「類的存在Gattungswesen」として (植物や他の動物とは異なり)、制作活動・労働の成果を個体外に「対象化」・「産出」し、しかも諸「対象」に「普遍的に」・「自由に」立ち向かえる。しかし、まさにそうであればこそ、諸「対象」を、手っとり早く「奪う」ことも、「失う」こともできる

この(一見)「必然」を乗り越えるには、「争奪」に志向している「閉じた社会」の「静的道徳-宗教」(譬えていえば、流れのまにまに漂い、互いに絡み合って「安定」を保っている「水草」群の掟」)を、(流れの底土に達している)動的宗教」によって乗り越え、各個人が(水草は水草でも)「底土」「根元」から「生のエラン」を受けて、(「対内道徳と対外道徳の二重性」を乗り越える)開かれた社会」をめざすほかにはない。これが、(哲学的命題定立にあたって、関連諸科学をよく研究したという)ベルクソンの回答であった。かれはいわば、デュルケーム社会学を「閉じた社会-道徳-宗教論」として「相対化」していたのである。

それにたいして、滝沢克己は、カール・バルトのキリスト教神学を、「神 われと共にあり(インマヌエルの原事実)」、「神-人の不可分・不可同・不可逆の原関係」に依拠する普遍神学に止揚し、(なぜか「偶像」を立てて止まない)人間個々人も、「ただの人」となり、「原関係」「根基」に立ち帰って、健やかに協調して生きうる、と説いた。「196869年学園闘争」の渦中における滝沢との出会いと筆者の応答については、本HP 2016年欄「記録と随想3: 1960年代における滝沢克己『原点』論の登場とその意義」、参照。

[2] 大塚久雄『共同体の基礎理論』1955、岩波書店): 27-30, 53-54.

[3] Cf. GAzSuWG: 1-2, MWG/6: 320-21, 渡辺・弓削訳: 3-4.

[4] ただし、この「断想」は、遺された文献のかぎりでは、『経済と社会』(旧稿)「政治ゲマインシャフト」章中の「階級Klasse論に、つぎのとおり再登場する。

家畜飼育者の間では、純然たる『むき出しの』所有Besitzそのものが、[家畜を持たない]無産者を、奴隷ないし隷民として、家畜所有者の権力に引き渡すことになるが、所有のそうした作用は、真の『階級』形成の前段階をなすにすぎない。とはいえもとより、そうしたゲマインシャフトにおける家畜貸与や債権のむき出しの苛烈さには、純然たる『所有』それ自体が、初めて、個々人の運命にとって決定的な力として現われている。

 この事情は、労働にもとづく農耕ゲマインシャフトdie auf der Arbeit ruhende Ackerbaugemeinschaftとは、著しい対照をなしている。債権者と債務者との関係は、いかに原始的であろうとも、金権貴族による『信用市場Kreditmarkt』が成立して、物資が乏しくなるにつれて利子率が引き上げられ、貸付業者の事実上の独占が生ずる、という諸都市において、初めて、『階級状況Klassenlage』の基礎となる。ここに『階級闘争Klassenkampf』が始まる。」(WuG: 532, MWG/22-1: 254-55: 浜島訳『権力と支配』: 219-20)

それでは、原初の定住事情において対照的に異なるアジアでは、純然たる「所有」にもとづく権力行使と「階級」形成が、当初から、少なくとも (「市場」形成と「資本主義」発展によ)農耕ゲマインシャフト」の解体にいたるまでは、欠けていたか、緩徐にしか進まなかった、というのであろうか。

ところが、仔細に検討してみると、この観点は、また別のコンテクストでも、つぎのように語り出されている。すなわち、西洋中世末期のフィレンツェ他、イタリアの諸都市では、商家の「家ゲマインシャフト」に、ポケット・マネーの規制を端緒として「合理的」「ゲゼルシャフト結成」が孕まれ、ここから「経営と家計との分離」・「経営の、家計からの分離」が、(空間的あるいは呼称上のみでなく、帳簿と法のうえでも) 進み、やがて「商会」「商事会社」といった「初期資本主義」的「経営Betrieb」が産み落とされた。ところが、当時、イタリアの取引中心地では、商業上の営利が、共通の労働の成果と見なされ、「家ゲマインシャフト」の構成員は、家長 (被相続人) の存命中にも、自分の相続持ち分を携えて、分離-独立し、「一家を構える」ことができた。それにたいして、イタリアでは営利が共通の所有に帰せられ、所有の一体的保持と各人の連帯責任が、原則として維持されていた。そのように、「家ゲマインシャフト」の解体が「進んだ」段階の南イタリアではなく、「遅れた」段階の北イタリアで、まさにその「遅れ」ゆえに、「家計」から分離した「経営」への「西欧に独自の転形Umformung」が達成された、というのである。

ところで、ヴェーバーは、この論点を導入する「前置き」として、つぎのような一般的観点を提示している。すなわち、「家ゲマインシャフト」と「家権力」の発展は、しばしばそれ自体として「固有法則性」を取得し、経済上は「非合理な」形象となり、翻っては経済を制約する。とはいえ、逆に、経済的諸条件による制約も顕著で、とりわけ「営利が共通の労働Arbeitにもとづく成果とされるか、それとも共通の所有Besitzに帰せられるか、に応じて、特徴的な差異を生ずる。前者の場合には、家権力がそれ自体としてはいぜんとして専権的autokratischであっても、その存続はしばしば不安定である。家権力から独立したければ、両親の家から離脱し、自分の家計を設立するだけでよい。未開農耕民の大規模な家ゲマインシャフトgroße Hausgemeinschaften primitiver Ackerbauvölkerはたいていそういう状態にある。……それにたいして、家畜所有総じて所有そのものが生存の主要な基礎をなしているところでは家権力は打破しがたいまでに強固となる土地所有も、土地が有り余っている状態から稀少 [knapp] な状態へと転ずる場合、その意義は甚大となる。一般に、門閥の緊密な結束der feste Zusammenhalt des Geschlechtsは、すでに縷々述べた [Nr. 44] 理由から、土地貴族に特有の属性であり、土地を所有していない者、あるいは零細な土地しか所有していない者は、通例、門閥的団体形成も欠いている。――ところで、同じような差異が資本主義の階梯にも繰り返し現れる(WuG: 228, MWG/22-1: 149-50, 厚東訳: 588-89

ヴェーバーは、こう前置きして、南北イタリアの「対照的差異」にかんする議論に入っている。

この論点については、三「断想」を関連づけて、いっそうの展開を企てることが可能と思えるが、ここではひとまず典拠の挙示に止めておく。

[5] この「ゲルマン民族の場合」については、ヴェーバー自身、「古ゲルマンの社会組織の性格をめぐる論争」(1905) で、カエサルの『ガリア戦記』623節を引用し、つぎのように述べている。「部族Stammが戦争をしかけたりしかけられて防いだりする場合には、戦争を指揮する役人magistratusが選ばれ、生殺与奪の権力を握る。平和のときには共通の役人はおらず、地方やパーグスの首長たちprincipesが、かれらの間で裁判をし争いを鎮める(GAzSuWG: 531, MWG/6: 270, 世良晃志郎訳『古ゲルマンの社会組織』、1969、創文社: 47、訳注13: 96-97、参照)

[6] 敗戦後日本の政治学者は、丸山眞男以来、この「正当化」「正当性」の「威力」について考えようとしなかった。水林彪の周到な問題提起 (「『支配のLegitimität』概念再考」、『思想』20073月号、所収) にもかかわらず、政治学者はおおかた、いまだに「正当化」「正当性」に独自の意義を理解せず、「正統-異端」の「正統」と混同して怪しまない。