記録と随想47:誤訳が踏襲される非学問的精神-文化風土に、どう抗していくべきか(『マックス・ヴェーバー研究総括』の補遺⒈ 続篇)(226日)

 

マックス・ヴェーバーは、晩年の講演『職業としての学問 Wissenschaft als Beruf』で、「大学の教師は、教壇上から聴講者・学生に向けて、自分の世界観的-倫理的(とりわけ政治的-党派的)価値評価を、披瀝すべきでない」と、「教壇価値評価 Kathederwertungenの禁欲」を要請しました。ちなみに、かれは、この「教壇価値評価の禁欲」を、「(学問研究そのものにおける)価値判断からの自由Wertfreiheit」とは区別し、それ自体を、「教育政策上の実践的態度決定」のひとつと考え、そのように位置づけていました)

ところが、尾高邦雄訳『職業としての学問』1936年初刷1980年第441994年第70、岩波文庫。以下、単に「邦訳」と略記)では、当該の箇所が、「まことの教師ならば、教壇の上から聴講者に向かってなんらかの立場を――あからさまにしろ暗示的にしろ――強いるようなことのないように用心するであろう。なぜなら、事実をして語らしめるというたてまえにとって、このような態度はもとよりもっとも不誠実なものだからである」と訳出されています49頁。太字は引用者、以下、同様)。

さて、この訳文そのものは、一見、学問における「事実の尊重」と「立場強制の回避」というごく「常識的なこと」を語っているようで、なんの問題もなく読めそうですし、じっさいにも、そう読まれて、戦前―戦中―戦後と、版を重ね、語り継がれてきたにちがいありません。

しかし、はたして、それでよいのでしょうか。

原文は、Aber der echte Lehrer wird sich sehr hüten, vom Katheder herunter ihm irgendeine Stellungnahme sei es ausdrücklich, sei es durch Sugestion――denn das ist natürlich die illoyalste Art, wenn man „die Tatsachen sprechen läßt――aufzudrängen (MWGA,/17: 96-97) と記されています。

ここで、原文の主文は、確かに、「……まことの教師ならば、教壇の上から聴講者に向かって、なんらかの立場を――あからさま [顕示的] にせよ、暗示によって [黙示的] にせよ――強いることのないように用心するであろう」と、邦訳通りに読めます。しかし、原文は、その「強い [] 」に、「あからさま [顕示]」と「暗示」との二種類を区別し、そのうえで、後者にのみ、denn以下läßtまでの挿入節を付し、暗示」のなかでも事実をして語らしめるという仕方Art」が、「当然のことながらnatürlichもっとも不誠実die illoyalsteである」と断じているのです。ところが、邦訳では、その「事実をして語らしめる」が、なにか首肯すべきたてまえ」に「格上げ」され、それに照らして、「教壇の上から聴講者に向かってなんらかの立場を強いる」「態度そのものが、「あからさま」であれ、「暗示によって」であれ、一律にもっとも不誠実」と解され、そう表記されています。

ちなみに、著者ヴェーバーは、1917年に汎文化科学誌『ロゴス』に発表した別の論文「社会学的および経済学的諸科学における『価値自由』の意味Der Sinn der „Wertfreiheit“ der soziologischen und ökonomischen issenschaften」でも、まったく同じ趣旨を、つぎの通り簡潔に表明していました。……daß man gerade unter dem Schein der Ausmerzung aller praktischen Wertungen ganz besonders stark, nach dem bekannten Schema: die „Tatsachen sprechen zu lassen“, suggestiv solche hervorrufen kann (MWGA, /12: 458).まさに、あらゆる実践的価値評価をことごとく排除しているかに見せかけながら、『事実をして語らしめる』という周知の範式に則って、暗示的に、実践的価値評価を呼び起こし、特段の効果を収めることはできるが…… [云々] 」。

ただし、ここでも、「事実をして語らしめる」「範式」とは、じっさいにはどういうことなのか、何を意味するのか、具体例を挙げて、分かりやすく説明されてはいません。

ところで、まずは一般論として、およそ翻訳に携わる訳者は、原文に細心の注意を払い、必要なら他の関連箇所や関連文献も参照して、副文の付いた複雑な長文も、原意に忠実に精確に訳出すべきではないでしょうか。

なるほど、この場合のように、そうするよりもむしろ「訳者の常識を読み込んで意訳」したほうが、(同じ「精神-文化風土」のもとで、同じ「常識」を生きている)読者には「分かりやすく」、なにか「風格のある文体」として「好まれ」「受け容れられる」かもしれません。しかし、その種の「意訳」は、「分かりやすい」だけに、かえって、原文との間に立ちはだかり別の(おそらくは正しい)読み方 (訳文をめぐる)議論とを、初めから遮ってしまうことに、なりはしないでしょうか。

たとえば、当初には「この訳文は、なにかおかしい」と感じ、「著者自身が、こういうことを言うはずはないのだが……」と立ち止まって、「ありうべき原意」を汲み出そうと思考を凝らし、必要なら他の関連箇所や関連文献も調べて、やがて「著者にふさわしいと思われる『真意』」にたどり着き、そちらを「検証」して「合点」「納得」し、そうして初めて、「自分の『常識』による、当初の『思い込み』の『難』ないし『誤り』に気が付き」、早速、訳文を「訂正」「補正」したうえ、場合によっては、「当の『常識』を培っている『精神-文化風土』そのものも、問い返し、改めようと試みる」といった、学問研究としてごく真っ当な探索と読解が、のっけから排除されて、「問題のある訳文と常識が、長年、幅をきかせつづける」というようなことが、起きてはこないでしょうか。

ところで、この場合には、ヴェーバーなぜ、「教壇価値評価の禁欲」を要請するのか、また、その見地から、「事実をして語らしめる」という「暗示による教唆」を、なぜもっとも不誠実な仕方」として非難し、斥けるのか、いな、それ以前に、そもそも「事実をして語らしめる」とは、どういうことなのか、といった肝心要の問題点が、(ヴェーバーらしく具体例を挙げて)簡明に説明されてはいません。「周知の図式」といっても、「なんのことか、どうもよくは分からない」というのが、正直なところではないでしょうか。33日記、つづく]

そこで、この点を問題として念頭に置き、まずは、妻マリアンネ・ヴェーバーの『マックス・ヴェーバー伝』を繙いてみましょう。そうしますと、マックス・ヴェーバーは、若い頃(司法官試補の時期)から、年少者(たとえば、弟カールの家庭教師としてヴェーバー家に出入りしていた神学生Vの「自己形成の模索に、並々ならぬ関心を寄せ、V氏との対話に、繊細な配慮を傾けて止をなかったようです。かれは、V氏が問いかけてくる、人生の実践的諸問題について、そのつど快く応答し、V氏にとって選択肢とはなりうる様々な解答例を、かれ自身のそれも含めて、ふんだんに提供し、それぞれの利害得失を詳細に論じながらも、「V氏自身がどういう決定にいたったのか」と問い返すことは慎重に避けた、とのことですなぜならば、「V氏のような自己形成期の青年は、自分がいったん他人に言表したことには、どうしても囚われがちで、さらなる探究自由な選択をみずから制限してしまいやすいので、そうはならないように」――つまり、「若者自身の選択による自己形成の自由」を最大限に尊重しながら、極力、支援しようと――、つねに気遣っていた、というのです。[3月6日記、つづく]

さて、マリアンネ・ヴェーバーは、若いマックス・ヴェーバーのそういう慎重かつ繊細な気配りと態度が、じつは後年、「教壇価値評価の禁欲要請にも持ち越され、その核心にあってはたらいていた、と述べています。そこで、(つい先日、この「記録と随想43」でも採り上げた)顧慮」にかんする「現存在分析の対概念を援用して、当の気配りと態度」を特徴づけますと、こうもいえましょうか。すなわち、「マックス・ヴェーバーは、若いころから、垂範 (例示) -解放的顧慮 vorspringend-befreiende Fürsorgeを心がけ、その『達人』でもあった」と。そのばあい、「垂範 (例示) -解放的顧慮」とは、「相手の前で跳んで見せ、相手に実存可能な地平を開き、相手自身の選択にそなえる」類型で、「尽力的-支配的顧慮einspringend-beherrschende Fürsorge」、すなわち、「相手のなかに跳び込んで、相手を押しのけ、相手の選択を肩代わりし、(善意をもって)相手の自由を奪ってしまう」類型とは対照的です。

としますと、マックス・ヴェーバーの場合、核心にあるその素地に、下記のような状況的諸要因が加わって、「教壇価値評価の禁欲」要請が形成された、と見ることができそうです。すなわち、

1) 今日、大学の講堂-教室では、聴講生-学生が「批判を掲げて講師-教師に立ち向かう」ことは許されず(許されても、対等な議論の継続は至難で、学生はむしろ、特定の専門学科に配属され、所定の単位を履修すべく義務づけられいる、というのが実状でしょう。としますと、講師-教師が、聴講生-学生のそういう被拘束状態に、いわば「付け込む」形で、自分「個人のpersönlich」実践的価値評価を鼓吹するのは、「場違いのうえ、いかにもフェアでない」とヴェーバーは断じます。他方、

2)聴講生-学生が、そのように義務づけられて履修すべき、専門諸科学の専門的知識(専門的知識を獲得するための)思考方法は、なにか「それのみが、各人の人生にとって唯一価値のある課題にのし上がった」というわけではなく、むしろ、そう誤解されて、かつては世界を動かすほど大きな意義を帯びていた、世界観的-倫理的な実践的価値評価の問題が、それだけ貶価され、専門科学教育と同列ないしそれ以下に、格下げされることには「我慢がならない」としても、さりとて逆にЛ・トルストイのように)「科学(的専門知識と思考方法)は、『いかに生きるべきか』という『唯一』肝要な問いに(直接かつ端的には)答えないから『まったく無意味である』」と決めてかかるのも、これまた一面的で性急に過ぎましょう。

むしろ科学、というよりも(反省的-哲学的諸学科を含む)学問は、まさにその権能の範囲内で、① 各人の信奉する究極-最高の実践的価値理念と、個々の実践的目的定立との「整合性の検証、② 当の目的を実現する手段の、目的にたいする「適合度の検証、③ 当の「適合的」手段を採用して、所与の現実に企投する場合に生じうる、「結果ならびに随伴諸結果Haupterfolg und Nebenerfolge(つまり目的達成とその副産物-犠牲の予測、には役立ち、というよりも不可欠で、それなしには「明晰で責任倫理的なklar und verantwortungsethisch実践」は成り立たないでしょう。また、

) 今日の文化発展総体を「比較歴史社会学」の視点から総合的に見渡しますと、往時には(キリスト教的)一神教のもとに、ひとつの「調和的全体」に統合され、収まってもいた、宗教、倫理、政治、経済、芸術、性愛などの生活諸機能・文化諸領域が、それぞれ固有法則的 eigengesetzlich に分化-発展」を遂げ、それぞれが別個の価値秩序」をなし、「互いに非和解的に対立-葛藤し合う」までにいたっています(「価値秩序の神々の争い」)。そこに生じてくる個々人の精神状況、つまり、(まとまっていて、集団的に支持され、したがって安んじて頼れる、あるいは、格闘できる)確たる統一的価値体系が不在で、個々人が「価値秩序の神々の争いの「狭間」に置かれ、「それだけ不安に駆られながら、自分個人の persönlich選択を迫られ、ときには釈明も求められる」というような窮境は、とりわけキリスト教専一の統一的支配に歴史的に馴染み、もっぱらその鋳型のなかで自己形成を遂げてきたヨーロッパ人、とくに「自己形成期」の若者には、まさにその「常態」が、ともすれば「耐え難い重荷」と感得され、忌避されがちでしょう。そこからはむしろ、そういう不安な状況に「新しい価値体系」を掲げて「新しい宗教」を樹立しようとする「預言者」か、あるいはせめて「人生に方位を定立し、教唆してくれる指導者」を求めて、(専門諸科学の専門的研究者にすぎない)大学の教師にも、なにかその種の役割を期待し、「預言者」に「祀り上げ」ようとする企てが、引きも切らず登場し、寄り集まって奔流ともなりかねない趨勢さえ窺えます。まさにそういう事態を、ヴェーバーは、「時代の運命を直視できない弱さ」として突き放し、「運命の直視」を迫ります。[3月8日、つづく]

さて、ここでいったん本題に戻り、「教壇価値評価の禁欲」要請の核心にある「垂範(例示)-解放的顧慮」と「フェア・プレー要請」の視点から捉え返しますと、そういう「教壇預言」のうちでも、「あからさまな押しつけ」はかえって、当人の「錯誤」ないし「囚われ」と見分けやすく、「相対化」して乗り越えるのも、それだけ容易でしょう。ところが、「事実をして語らしめるやり方」(事実認識に見せかけて、「事実」とくに「既成事実」への屈従に誘導し、それだけ事実認識と見紛われ混同され常態化しやすい「暗示による教唆」)は、むしろ「巧妙に洗練されて(ソフィステイケイテッド)」おり、かえってそれだけ卑劣かつ有害な欺瞞、つまり「もっとも不誠実な手法」とも見なされましょう。

ところが、邦訳では、その「事実をして語らしめる」「暗示による教唆」が、なにか首肯すべき「たてまえ」と見誤られ、ヴェーバーにとっては「もっとも不誠実な手法」が、当の「たてまえ」に掲げられ、 (この國の精神-文化風土のもとで醸成される) 一種独特の「風格」さえ漂わせて、語り出されています。この文体が、(同じ精神-文化風土のもとにあって、岩波文庫の権威-権威主義に馴染んだ)読者には、けっこう「受け」がよく、このままでは「訳の最長不倒記録」を更新しつづけかねないでしょう。

ところで、この「事実をして語らしめる」という範式は、なにも「教壇における世界観的-倫理的(とくに政治的-党派的価値評価の教唆」にかぎって、利用されるわけではありますまい(後段あるいは別稿では、小生が「1968-69年全国学園闘争-全共闘運動」以降、真っ向から対立し、一貫して闘ってきた、いっそう巧妙な、別の典型例を、採り上げて、詳細に論ずる予定です)

早い話、たとえば、「今日、価値ある学問的業績は、いずれも専門家によって専門家的に』成し遂げられたものばかりで」と強調しつづければ、当人は「事実認識」のつもりでいても、容易に「専門に閉じ籠れという説教に推転を遂げ、もっぱらそういう「意義変化 Bedeutungswandel」ないし「機能変換Funktionswechsel」の相のもとで、語り継がれるでしょう。

また、じつはヴェーバー自身も、ある学生団体の依頼による晩年の講演『職業としての学問』の結びは、講壇上で学問的著作『古代ユダヤ教』(この著作そのものは、「率直な知的廉直schlichte intellektuelle Rechtschaffenheitの徳」を守って達成されたにちがいない、専門的事実認識の集積ですが、そこ)から、明示的ではあれ、ある実践的教訓を引き出しています。すなわち、「ユダヤ民族の歴史的運命――捕囚期以降、新しい『預言者』の出現とヤハウェによる『革命』を二千年以上の長きにわたって待望し、『パーリア民』としての結束を維持してきた運命――は、なるほど人の心を震撼して止まない」けれども、同時にただ待ちこがれているだけでは、なにごとも達成されえないと教えてもいる。そこで、「そういう態度は改めて自分の仕事に就き an unsere Arbeit gehen、『その日その日の要求Forderung des Tages真っ当に取り組もうgerecht werden――人間としても職業としても menschlich sowohl wie beruflich。そうすることは、各人が、それぞれの人生の糸 [複数] を捉えて離さない守護霊Dämonを見出し、その声に耳を傾けるならば、外連味(けれんみ)なく率直にschlicht und einfachおこなえることであるMWGA,/17: 111太字は引用者)

ところが、邦訳では、この箇所が、こう表記されています。「……この民族の恐るべき運命はわれわれの知るところである。このことからわれわれは、いたずらに待ちこがれているだけではなにごともなされないという教訓を引きだそう、そしてこうした態度を改めて、自分の仕事、に就き、そして「日々の要求――人間関係のうえでもまた職業のうえでも――従おう。このことは、もし各人がそれぞれの人生をあやつっている守護霊をみいだしてそれに従うならば、容易にまた簡単におこなえることである」74頁、太字は引用者)と。

なるほど、この訳文も、「何気なく読み流し」ますと、原文と「同じ」とも「大同小異」ともとれて、「無疑問的に受け容れられ」かねません。しかし、ヴェーバーは、「価値諸秩序の神々の争い」のため、「各人が、統一的価値体系のもとに、安んじて価値判断をくだすことができず、つねに不安にさいなまれて、新しい『預言者』や『指導者』を呼び求めて止まない」上記3)精神状況を、直視しながらも、あるいはまさに直視するがゆえに、「そうだからといって各人が『その日その日の要求さえも回避し、もっぱら新しい『預言』や 『当為教唆』を求めて彷徨いつづけるのではなく、むしろ、そういう『弱さゆえの徒労』とは、きっぱり縁を切って」、さしあたり「その日その日の要求」ともかくも「真っ当に取り組もうと提言しているのです。

そのさい、「『その日その日の要求』に『真っ当に取り組むとは、どういうことなのか」、「どう取り組め』ばよいのか、そのうえで何をなすべき』か、…………」といった、更なる問いへの応答と選択は、聴衆個々人の判断に委ねています。「何かに『従おう』と直接指示して、相手の問いと模索は押しのけ断ち切ってしまう「尽力的-支配的顧慮」は、注意深く避け、むしろ問いと模索を触発して、選択はあくまで相手の自由に委ねようとしているのです。そのかぎり、「教壇価値評価禁欲要請」の核心にある「垂範(例示)-解放的顧慮」は、ここにもやはり活きてはたらいている、と見ることができましょう。

ところが、邦訳は、この「真っ当に取り組もうgerecht werden」を「従おう」、「人間としてmenschlich」を「人間関係のうえで」と、(おそらくはこれまた訳者の常識を読み込んで意訳」し、「この國における既存の日常生活秩序、とりわけそこで優勢な人間関係』に『従順な』ライフ・スタイル」を教唆し、鼓吹している、あるいは少なくとも「そういう問題を孕んでいる」と見受けられるのですが、いかがでしょうか。

しかし、いまここでは、そういう「意訳による『意義変化』の問題」に直行はせず、むしろ「意訳を問い返す」前提として、そもそも「その日その日の要求」とは何か、それに「真っ当に取り組む」とはどういうことなのか、なぜ「そうしなければならない」のか、「そのようにして、行き着く先どこか」、「そこからはなんらかの展望が開けるのか」、「開けるとすれば、どのようにしてか」と問うてみることにしましょう。ここでも、「その日その日の要求」が、「事実をして語らしめる」と同様、引用符で括られていて、なにか「曰くありげ」ですが、これまた、出典が明示され、解説されてはいません。[3月11日記、つづく]

さて、倫理論文の読者は、著者マックス・ヴェーバーが、やはりその末尾に近く、「倫理論文」全篇の論旨を簡潔に要約した後、つぎのように述べている事実をご存知でしょう。すなわち、「『近代の職業労働 Berufsarbeit禁欲的特性を刻印されている』と捉えるのは、これまたけっして新しいことではない」と断ったうえで、「専門の労働に専念し、それにともなって、人間性のファウスト的な全面発達は断念することが、今日の世界ではおよそ価値ある行為の前提であり、したがって『実行Tat』と『断念Entsagung』とは今日では互いに引き離し難く制約しあっている」と敷衍します。そのうえで、市民的生活様式のそういう禁欲的基調を、すでにゲーテもかれの人生知の高みから(ヴィルヘルム・マイスターの)遍歴時代』と、ファウストの生涯に与えた結末とによって、われわれに教えようとしていたMWGA,/9: 421;梶山力訳、安藤英治編『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神》』、第2刷、1998年、未来社: 355-56、太字は引用者)と語り出します。

そこで、わたしたちも、『遍歴時代』と『ファウスト(の「結末」)に、どういう人生知」が語られ、その内容をヴェーバーがどう汲み取っているのか、と問題を立て、その種の(ゲーテ研究との「境界」領域の)問題群に、(「記録と随想43」の場合と同様、「門外漢」としての自己限定のうえで、つとめて慎重に) 立ち入っていきたいと思います。

『遍歴時代』の第二、三部の巻末には、ある事情で、それぞれ「遍歴者のこころにおける省察」「マカーリエの文庫から」と題された箴言集が、収録されています。そして、前者の初めのところに、あの有名な文言が出てきます。「人はどうして自分自身を知ることができるか。けっして省察によってではなく行動によってである。君の義務を果たそうと試みたまえ。そうすれば君はただちに、君が何ものであるかを知るだろう。ところで君の義務とは何か。その日その日の要求。」Johann Wolfgang Goethe, Wilhelm Meisters Wandeljahre, 2. Teil, d-t-v-Gesamtausgabe, Bd.18, 2. Aufl., 1970, München: 40; 関泰裕訳『ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代』中、1964、岩波文庫: 202太字は引用者、以下、同様[318日記、つづく]

さて、『遍歴時代』の意義は、副題に「諦念のひとびとdie Entsagendenとある通り、(人生のあらゆる領域をくまなく巡り歩いて、全人的な発達と調和に到達しようとする「ファウスト的欲求」と「普遍人」の理想は断念し、特定の分野への自己限定と節度ある活動を説いた点にある、と見られましょう。ヴィルヘルムは、遍歴の果て、外科医として立とうと決意します。また、ファウストも、最後には、干拓事業に身を捧げ、「協同の精神によって、日ごとに自由と生活を闘いとる、自由な土地に、自由な民とともに住みたい [住したい]」と念願します。そして、「瞬間」に向かって、思わず、「留まれ、おまえはいかにも美しい」と呼びかけますが、これが、(そういう「自己充足は避け休みなく探求と遍歴をつづけるかぎりで、そうする力は与えよう」という)メフィストフエレースとの当初の契約を破ることになり、事切れて倒れますFaust, eine Tragödie, 2. Teil, 1831, 11560-585, d-t-v-Gesamtausgabe, Bd. 9. Aufl.,1969, München: 335; 相良守峰訳『ファウスト』第二部、1958、岩波文庫: 461-63)。

ヴェーバーが、『遍歴時代』と『ファウスト』の意義同様に解していたことは、「倫理論文」の末尾からも、ひとまずは明らかでしょう。

しかし、ゲーテの思想は、多面的で、奥行きも深く、そう簡単に要約するわけにはいきますまい。かれは、「特定分野への自己限定」と「日常的義務の履行」を、なにか初めから「人生のすべて」と決めてかかったのではなく、やはり「遍歴の果て故あって、そういう「人生知」にたどり着いたのでしょう。そして、そのさいには、そうすることがどのように自分自身を知る」ことに通じるのか、そもそも「自分自身を知る」とはどういうことなのか、についても、考え抜いていたにちがいありません。[321日記、つづく]

そこで、その辺りの消息を尋ねますと、まず注目されるのは、『遍歴時代』の第3部第13章で、友人レナルドーの日記中に引用されている、遍歴者ヴィルヘルムの箴言風の文章です。「人間は誰でも、自分の生涯の最初の瞬間から、はじめは無意識に、つぎには半ば意識して、自分がその位置において、たえず制約をうけ制限されているのを知る。けれども、誰も自分の生存の目的や目標は知らず、むしろ生存の秘密は至高の手によって隠されているので、誰もが手さぐりするばかりで、掴みかかってみたり、放してみたり、立ちどまったり動いたり、ぐずぐずしたり、急ぎすぎたりするのである。しかも、われわれを混乱させるあらゆる誤りは、どんなにさまざまな姿で発生することだろう」a.a.O.: 167-68; 関訳、下:201。「どんなに思慮ぶかい人間でも、日常の世俗生活にあっては、瞬間にたいして賢明であることを余儀なくされる。だから、全般的なことにかけてはなんら明晰に達することがない。かれは、この先どこへ向かうべきか、本来何をし、何をしないでおくべきか、確実にそれを知ることは滅多にない」a.a.O.: 168; 関訳、下:201。また、「マカ―リエの文庫から」には、「人間は、現象の無限の制約によって重荷を負わされすぎているので、根源制約者である唯一者を認めることができない」a.a.O.: 211; 関訳、下:268とあります。

 さて、こういう被制約状態を起点に据えますと、まずは、これにたいする直接的な反応として、「自分の被制約性に苛立ち、制約を脱して全体性を回復しようと無制限な活動に打って出ようとする」人々が、つぎつぎに現れるでしょう。しかし、ゲーテによれば、そういう「無制限な活動」は、「どんな種類のものであれ、けっきょくは破滅」a.a.O.: 42; 関訳、中:231します。「植物学者の間で、彼らが『不完全』と呼んでいる植物の『類 []』がある。それと同じように、不完全な不備な人間があるということも、言いえられる。その人のあこがれや努力がすること行うことと釣り合いのとれぬ者が、すなわちこれである。どんなにとるに足らぬ人間でも、自分の能力と熟練との限界内で動いているときには、完全であることができる。しかし、なくてはならぬあの適当な度合いが欠ければ、美しい長所でさえも、曇らされ、廃棄され、破壊される。[ところで] この不幸は、近代において一層ひんぱんにあらわれるだろう。なぜなら、あくまで高まった現代の諸要求を、しかもきわめて急速な運動のなかにあって、誰がいったい満足させることができるだろうか。自分の力を知り適度と思慮とをもってそれを利用する賢明で活動的な人間のみが、活世界において成功をおさめるだろう」a.a.O.: 42; 関訳、中:234-351

ちなみに、この洞察は、フランスの社会学者エミール・デユルケーム1858-1917が、ヨーロッパ各国の各種の自殺率を指標とする近代分業社会の「社会病理学」的研究『自殺論』1897において、自殺の類型的要因を、「無規制 anomie, dérèglementによる欲求-活動の無限昂進」と、他方「自己本位主義égoïsmeによる反省・自己省察の無限肥大とに求めたさい、前者の主導仮説としてはたらいていたものです。[324日記、つづく]

さて、ゲーテは、その種の無制約的追求は斥けたとしても、もとより、当初の被制約状態をいわば「宿命」として受け入れ、「生涯、そこに留まれ」と説いたのではありますまい。

レナルド-は、前出の二節につづけて、こう語っています。「幸いにして、これら[人間の被制約性による]すべての問題や、その他百千のふしぎな疑問は、諸君のたえまなき活動的な生活の歩みによって答えられる。その日の義務を即座に守ることをつづけよ。そうしながら、諸君の心情の純粋さ精神の確かさを吟味せよ。そのあとで、諸君が休み時間にほっと息をつき自分を向上させる余裕を見出すなら、そのときこそ諸君はたしかにまた、崇高なものにたいする正しい立脚点をも得たのである。われわれはいずれにしてもこの崇高なものに、敬しつつ帰依し、あらゆる出来ごとを畏敬をもって見その中により高い導きを認めなくてはならない」a.a.O.: 168; 関訳、下:201

また、『遍歴時代』に「モンターン」(『終業時代』には「ヤルノー」)という名で登場する一重要人物に、ゲーテは、つぎにように語らせています。「……いまは一面性の時代だ。それを理解して、自分のためにも他人のためにもその心で働く者は、仕合わせだよ。ある事柄においては、これはまったく、文句なしに、わかりきったことなんだ。たとえば、有能なヴァイオリニストになるために技をみがいてみたまえ。そうすれば、楽長が好意をもってオーケストラのなかに君の地位を指定してくれるだろうことを確信してよろしい。君自身を一つの器官としたまえ。そうすれば、人類が好意をもって一般生活のなかで君にある地位をみとめてくれるだろうことを期待してよろしい。が、まあ、こんな話はやめよう! それを信じようとしない者は、自分の道を行くがいいんだ。そういう者も、ときには成功するだろう。しかし、ぼくはあえていうが、下から上にむかって献身していくことは、どこでも必要なんだよ。ひとつの手仕事に自分を限定することが一番いいことなんだ。そうすれば、どんな低脳にだって、それは間違いなく一つの手仕事になろうし、上等の頭の持ち主にとっては、一つの技術ともなろう。そして最上の頭の者なら、一つをやることが一切をやることになるのだ、あるいは、もっと逆説めかずにいえば、その人が正しくやってのける一つのことのなかに、その人は、正しくなしとげられる一切のことの喩えを見るのだ」a.a.O.: 34-35; 関訳,上: 70)。[330日記、つづく]

ここには、特定分野への自己限定を通してさればこそ、いわばそこを突き抜けて、ある「普遍的-根源的なもの」に触れることができる、という洞察が、語り出されています。個々人は元々、現象の無限の制約に「振り回され」て「関心を雲散霧消させ」がちですが、ある特定の一分野に自己限定し、みずからを「一つの器官」として精神を集中し、「恣意的な思いや計らいを去って、ひたすら事柄に就く」修練を重ね、そのうえで、自分の「心情の純粋さと精神の確かさを吟味」し、「休み時間にほっと息をつ」く、ある無心の境地で、初めて(その分野のみでなく、あらゆる領域に及んでいる)「唯一者による根源的制約」の、その分野における現前に直面し、それを素直に受けて立つことができる、というのです。そのうえで、(それまでは幸いにして「根源的制約」にたいする背反は免れていた)日常的営為も、今度は自覚的に、「根源的制約」に沿い、それをいっそう精確に映し出すように、心してととのえていかなければならない、と自覚すること―― それこそ、人間が人間として、本当に「自分を知る」ことである、とゲーテは考えていたのではありますまいか。

としますと、マックス・ヴェーバーもまた、……[44日記、つづく]

 

[この間、高齢者肺炎に罹患し、休養を余儀なくされました。なるべく早く回復し、執筆を再開する予定です。423日記。]