新著『マックス・ヴェーバーにとって社会学とは何か――歴史研究への基礎的予備学』(200712月、勁草書房)の経緯と趣旨

2008222日 折原浩

 

 

しばらくご無沙汰しておりましたが、旧臘、『マックス・ヴェーバーにとって社会学とは何か――歴史研究への基礎的予備学』を、勁草書房から上梓いたしました。ここに、その経緯と趣旨をご紹介したいと思います。

 

昨年春、水林彪氏(一橋大学法学部)から、著書『日本天皇制史論』2006、岩波書店)と論文「『支配の正当性Legitimität』概念再考」(『思想』20073月号所収) の恵送を受けました。氏は昔々、わたくしが東大教養学部で社会学の入門講義を始めて二年目1966年度)の聴講生で、講義の後、しばしば質問を携えて尋ねてきてくれたものでした。それで、よく覚えてはいたのですが、ずっと音信は途絶えていたものですから、40余年ぶりに思いがけず、立派な研究成果を送っていただき、「教師冥利に尽きる」思いでした。そこで早速、著書と論文を読み、専門の関係で著書への書評は無理としても、「支配の正当性」概念にかんする論文のほうには、一ヴェーバー研究者として応答しようと思い立ちました。ところが、いったん執筆を始めると、どんどん膨れ上がり、とうとう小著の形をなすにいたった次第です。

というのも、わたくしは、20歳代の「駆け出し」から定年退職にいたるまで、入門ないし概論の講義を、満足にこなせたためしがありません。いつも不満が残り、聴講者にすまないという忸怩たる思いがつのりました。退職後も、ヴェーバー『経済と社会』(旧稿)の再構成をめざす研究をつづけながら、時折、「いまだったら、この例解も(しかるべき箇所に教材として)補充できるのだが」などと考え込み、「自分の幻の講義を追いつづけている」始末です。ところが、同年代の元教師の話をききますと、同じようなことが誰にでも起こっているようです。わたくしのばあいにも、そういう元教師の「業」が、水林論文に触発され、40余年遅れの「補充」に駆り立てられたのかもしれません。

また、昨秋には、雀部幸隆著『公共善の政治学――ウェーバー政治思想の原理論的再構成』と 松井克浩著『ヴェーバー社会理論のダイナミクス――「諒解」概念による「経済と社会」の再検討』が、ともに未來社から刊行されました。小著は、(両著でそれぞれの角度から取り上げられる)『経済と社会』(旧稿)を、「ロッシャーとクニース」以降の「ヴェーバー社会科学方法論」に遡り、「カテゴリー論文」の基礎概念に即して捉え返そうとする試みですので、両著の議論内容には、ひとつの「プロレゴーメナ(序論)」として結びつくことができます。両著との関連には、「ヴェーバー研究の『新しい風』に寄せて」(『未来』34月号所収) で、もう少し立ち入って論じています。

 

さて、小著も、そのように、状況内の機縁から生まれ、両著との連携をめざす一投企ですが、内容はといえば、「ヴェーバーにおける社会学の生成と体系」という年来の専門的研究領域に属し、本来はもっと早く上梓していてしかるべきだったと思います。ただ、この間わたくしは、当の専門研究を、「ヴェーバー『経済と社会』(旧稿)の再構成」――「旧稿」のテクストそのものを、初版以来の誤編纂から解き放ち、原著者の構想に即して組み換え、歴史・社会科学の共有財産として、「全篇を通して読める古典」に蘇らせる――という課題と結びつけ、(遺憾ながらこの課題の自覚に乏しい)『マックス・ヴェーバー全集』版新編纂への積極的批判としても、同時に並行して進めてきました。積極的批判とは、相手を「やっつける」のではなく、相手の問題点を指摘し、相手とともに、あるいは(やむをえなければ)相手に代わって、当の問題と取り組み、解決して、学問を一歩前進させる営為の謂いです。このばあいについていえば、『全集』版編纂陣に、「旧稿」該当巻Ⅰ-22を、(その基礎概念にもとづく体系的構成をそなえた)「全篇を通して読める古典」に蘇らせ、全世界の読者に、その真価に相応しい形で提供してくれるように要望し、さればこそ進行途上の逸脱――すなわち(原著者ヴェーバーが基礎概念を展開している)「カテゴリー論文」との分断や、(その当然の帰結としての)体系的構成の欠落(「頭のない五死屍片」への解体)といった根本的問題点――を指摘し、そうした「否定的批判」に止まらず、「カテゴリー論文」との統合や体系的再構成に向けての資料をこちらから独訳して提供し、編纂陣の翻意を促し、ヴェーバー読者にとって至当な要望を叶えてくれるように仕向ける論争、というよりも批判的協力活動、ということになりましょう。

他方、わたくしはこの間、編纂陣(とくにモムゼンとシュルフター)との論争の渦中で、そうした積極的批判であればこそ、「旧稿」全篇にかんする「自分の解釈」を自説として打ち出すことよりも(それでは、「ご説ごもっともでも、テクスト編纂は、複数ありうるいちいちの解釈をこえる、相応に客観的な規準にしたがわなければならない」という論法で『かわされて』しまうので)、たとえばテクスト中に張り巡らされている前後参照指示ネットワーク400余例)の検出や、術語用例の網羅的検索といった (テクスト解釈のいかんには依存しない) 文献学的基礎作業を優先させ、そこからえられる資料を、編纂陣に提供し、論文に添付して公表してもきました。ところが、そうした側面に力点を置くあまり、反面いきおい(「一私人の解釈にすぎない」として「あしらわれ」かねない)自説の提起は極力禁欲する、という方向に傾いていたことも否めません。

 

しかし、ドイツ編纂陣への積極的批判は奏効せず、『全集』版「旧稿」は、概念的導入部も体系的構成も欠く五分巻(従来版「合わない頭をつけたトルソ」に代わる「頭のない五死屍片」)として公刊され、既成事実が積み重ねられました(第三分巻『法』、第六分巻『編纂資料集』は未刊)。そこでわたくしも、態勢を立て直し、不毛に終わった禁欲は解除し、「旧稿」全体の体系的読解と再構成に向けて、自説の積極的提示に踏み切り、小著に集約した次第です。今後は、雀部著と松井著には採用され、共有された「旧稿」研究の(「カテゴリー論文」の基礎概念に即して「旧稿」全篇を体系的に読解し、再構成していくという)軌道に乗って、小著のプロレゴーメナにつづく本論の執筆にも着手し、日本における歴史・社会科学基礎論の連続的発展に、些かなりとも寄与したい、と念願しております。

 

 

ご参考までに、小著の内容目次を、下欄に記します。

 

はじめに――問題提起

 

第一章「カテゴリー論文」――思想諸潮流の相互媒介による社会学の定礎と基礎概念構成

1.「方法的個人主義」にもとづく「社会形象」の分析的/動態的説明方針――「社会科学方法論争」の一止揚形態

2.「自由な」「合理的」行為の戦略的意義――さまざまな「非合理」の索出経路

3.「正当性」論の思想的源泉――マルクス「イデオロギー論」とニーチェ「ルサンチマン論」との相互媒介による一止揚形態

4.「社会形象」の創始と普及――メンガー「無反省的生成」視点の「間領域的」適用 

5.「社会生活」の経験的現実における流動的相互移行関係――シュタムラー批判の眼目

6. 社会的行為ないし秩序の「合理化」にかんする四階梯尺度

7.「団体」と「アンシュタルト」――「多年生」社会形象とその構成員補充様式

8. 可逆的相互移行関係としての、ゲマインシャフト秩序の「合理化」

9. ゲマインシャフト秩序の「合理化」とその帰結――「文明人」の窮境

10.「カテゴリー論文」の基礎概念における「支配」とその「正当性」

11. 基礎概念における「カテゴリー論文」と「旧稿」支配篇 との直結関係

12.「カテゴリー論文」から「社会学的基礎諸概念」にかけての用語法の変更

13.「旧稿」に「社会学的基礎諸概念」を持ち込んだのでは読解不可能――「ゲマインデ」論と「階級」論による例証

14.『経済と社会』従来版および『全集』版の編纂問題――「羅針盤なしの漂流」

 

第二章 ヴェーバー社会学の創成と本源的意味――歴史科学研究への基礎的予備学

1.「客観性論文」における「社会学」へのスタンス

2. 社会科学の四階梯構想と「現実科学」の「法則科学」的成分

3.「倫理論文」の研究手順とその「現実科学」的/「歴史科学」的性格

4.「二重予定説」と「禁欲」の生成――「倫理論文」の「法則科学」的成分①

5.「宗教的禁欲」から「近代資本主義の精神」への転態――「倫理論文」の「法則科学」的成分②

6.「マイヤー論文」における因果帰属の方法と「法則的知識」の役割

7.「法則的知識」の日常的貯蔵庫と「飛び地」

8.「客観性論文」の四階梯構想における「予備研究」とその意義

9. 特性把握の対話的論証には比較が、比較には類概念が必要

10.「倫理論文」の一特性――テーマの位置づけを欠く一特殊研究

11.「倫理論文」以降の研究計画――特殊研究としての拡充から普遍史的・総体論的捉え返しへ

12. 計画の変更とその意味――「孤立的」特殊研究を「文化発展総体のなかに位置づける」ため、さしあたり「宗教と社会の普遍史的関連」を比較研究

13.「マイヤー論文」における「価値分析」――「キリスト教的-資本主義的-法国家的」近代文化総体の特性把握と因果帰属には、包括的な「基礎的予備研究」が必要

14.「類的理念型」にかんする補足説明

小括

 

第三章 ヴェーバー社会学における「正当性」問題――歴史・社会科学における基礎論と応用研究との相互交流に向けて

1. 水林論文の要旨

2. 水林説の正しさ

3. 敷衍したい二点――「正当性」論の体系的位置と「潜勢」

4. 歴史・社会科学研究における「固有価値」と「応用価値」との同時並行的追求

5.「ヴェーバー研究」の二途――「への道(基礎論)」と「からの道(応用研究)

6.「への道」の陥穽――事実離れ、歴史離れ

7. 基礎論から応用研究への可能な寄与 

8. 初心を顧みて

9.1910-14年草稿」の三部構成と章別

10.「支配」の類概念と、類型化規準としての「正当性-諒解」の根拠

11. 西洋中世世界の特性――「統一文化」的性格の欠落

12. 中世内陸都市――非正当的支配としての合法律的支配

13.『経済と社会』初版から『全集』版にいたる「都市」篇位置づけの曖昧

14. 封建制と身分制国家――都市の非正当的自律と正当的支配体制の官僚制的合理化にいたる諸条件の布置連関

15.カリスマの領域別分立とその発展形態――王制と祭司支配

16. 皇帝教皇体制と神政政治体制、教権制と教会

17. 教権制の社会経済的被制約性――封建制下の例外的自律とその条件

18. 教権制の官僚制的合理化とその意義――近代資本主義への条件形成による間接的寄与

19.「社会学的基礎諸概念」における「正当性」問題――「支配の正当性」から「秩序の正当性」へ

20.「旧稿」における「支配の正当性」――「積極的に特権づけられた」支配者の「自己義認・自己正当化要求」にもとづく命令権力の正当化

21.「世界宗教の経済倫理」「序論」からの補説――「自己義認・自己正当化要求」のパリサイ性

22.「社会学的基礎諸概念」における「秩序の正当性」――「秩序制定者の『自己義認・自己正当化要求』にもとづく正当化」視点の脱落 

23. 戦勝者と戦敗者の「自己義認・自己正当化要求」――『職業としての政治』における問題設定の尖鋭化

小括

 

あとがき

 

索引