橋本努様

拝復

 こちらも、村里に金木犀の香りがただよう季節となりました。さて、9月29日付けのお便りと、拙著『学問の未来』への書評(東洋経済)コピー、まことにありがとうございました。

 お便りの内容に沿っていくらか応答を試みますと、まず、ご多忙のところを、お送りしたDVDビデオを見てくださって感想をお聞かせくださり、ありがとうございます。歴史のリアリティを感得するには、やはり現地に赴いて、実物や風景を見聞することが重要とのご指摘は、そのとおりと思います。小生も、あのビデオに出てくるアウグスブルク市の「フッゲライ」(団地のはしりともなったであろう16世紀の救貧集合住宅)を訪れて初めて、「フッガーも確かに道徳的な人物ではあったけれども、当の道徳が経済的営利追求そのものにリンクされてはいなかった」というヴェーバーの位置づけの意味がはっきり掴めました。なにしろ、小生の世代には、「前期的商人」とは、皇帝や教皇庁と結託した「およそいかなる意味でも極悪の人」という先入観が根を下ろしていて、「商人としては悪徳を厭わないけれども、あるいはまさにそれゆえ、慈善事業には私財をはたく(フランクリンとは「類型論的」に異なる)道徳性の一面もそなえていた」という事実には、大塚久雄先生他の本を読んでいただけではどうしても思い至らなかったろうと思います。

 また、「つねに薄暗い天候に覆われていて、深く内面に沈潜していくような心性を喚起」する、「ドイツ語の『ガイスト(精神)』が生じる原風景」というのも、鋭いご指摘と思います。それだけに短い夏は爽やかで、市民が街路にテーブルと椅子を持ち出して談論風発するとか、夏以外は始終、南国への憧憬にさいなまれる、といった面もあります。一年間滞在していますと、9月から寒くなり、どんよりと曇った日々がつづくのには堪えがたくて、翌年2月には、アルプスを越えてイタリアに逃げ出しました。ヴェーバーが頻繁にイタリアに旅行し、ゲーテの『イタリア紀行』に倣って「南から北への地理的舞台の転換(『古代』から『中-近世』へ)」を重視したのも、もっともと納得がいきましたし、翻って日本の冬はなんと良い季節なのだろうと感じるようにもなりました。

 なお、アメリカ/ロシア/(現代)中国などは、山や丘をブルドーザーで切り崩した広い平面の上に人工的に築き上げられる文明、それにたいしてヨーロッパと日本は、狭い自然の地形を活かした文化(たとえば「坂道の三叉路」)といった対照も、風景に触れなければなかなか感得できないのではないでしょうか。

 そういうわけで、ビデオケーションには、活字によるコミュニケーションとは一味違う意義があるように思います。じつは、小生の恩師尾高邦雄先生は、まだ海外旅行が珍しい1960年代に、海外出張から帰国されると、院生を自宅に招いて、撮ってこられた写真をスライドにして、いちいち解説をつけて見せてくださいました。「君たちに見てもらうのがいちばん楽しい」とおっしゃり、プロジエクターを「カシャッ、カシャッ」と操作しながら、一齣一齣丁寧に説明してくださるのです。院生は、「明日のゼミもあるがなあ」と時計を気にしながらも、ときに質問を挟み、根気よく傾聴していたものでした。ところが、尾高先生と同じくらいの歳になり、たまに息抜きを兼ねて海外旅行に出掛けますと、尾高先生のお気持ちが分かるようになり、同じことをしたくなります。しかし、いまの院生や中堅/若手の諸君は、当時とは比較にならないほど忙しく、こちらが片田舎に引っ込んでいることもあり、上映会にお招きして延々と講釈する、というわけにはいきません。そこで、一息つくときにでも見てもらえるビデオの編集を思い付きました。一社会学徒の目で見た世界各地の風景に即興の文化比較を添え、こちらからお送りして、好きなときに笑覧していただけるのなら、それもまた、たまにはいいだろうというわけです。

 現在、ロンドンの同時多発テロと、悲惨な地震で世界中の話題になっているパキスタンについても、一巻のビデオに編集してあります。(すでに下水道やゴミ回収システムが完備していて、19世紀ヨーロッパの大都市に優る、清潔好きのインダス文明)モエンジョダロやハラッパの遺跡から、西北辺境州のガンダーラ美術をへて、(ちょうど産業革命前夜の雰囲気をたたえる)手工業、(財政を圧迫する)軍隊、(産業開発よりも優先される)宗教、(ごく一部のエリートしか中等教育を受けず、識字率も低い)教育の現状、とはいえ、人々が、そのように貧しく、かつ貧富の懸隔は大きいけれども、やはりひとつの自足的な生活-文化圏をなしてゆったりと誇りをもって暮らしている実情、などが収まっています。最近のニュースをご覧になるときなど、あるいはご参考になるかもしれませんので、よろしかったらディスクをお送りします。

 

『東洋経済』に寄せられた『学問の未来』への書評は、かぎられたスペースでこれ以上のイントロダクションはないだろうという卓抜な一文として拝読しました。これによって、羽入書と拙著とを対比しながら、「倫理」論文を読もう、読み直そうという読者が出てきてくれるといいのですが。貴兄もたぶん、そこのところに目標を絞って書いてくださったのでしょう。ありがとうございました。

 貴兄は「これまで『プロ倫』に対する本格的な研究がほとんどなかった」といわれますが、その責任の過半は、大塚久雄先生のお仕事を内在的に乗り越えようとしない大塚門下のスタンスにあると思います。『学問の未来』では、「フランクリンの神」=「カルヴィニズムの予定説の神」という羽入氏の誤解の切っ掛けは、大塚先生の誤読と誤訳にある、とはっきり論証しています。拙著は、全体として、羽入氏を批判すると同時に、「返す刀」で大塚先生/大塚門下を批判しています。これに、大塚門下はどう答えるのでしょうか。貴兄とともに見守りたいと思います。

 貴兄のHP上における論争の記録を刊行してもよいという出版社がみつかりそうとのこと、なによりとご同慶に存じます。出版にとっては分量が膨大なことがネックになりかねないと思いますが、小生の寄稿は、全部収録していただいても結構と思いますが、『学問の未来』『ヴェーバー学の未来』に改訂/収録した(他の寄稿者への応答ではない)元稿については、論争におけるコンテクストを明示し、そのなかに位置づけて、「内容は両著(の何章何節)を参照」としていただいて、全体を圧縮するのも一案かと思います。いずれにせよ、なにかご協力できることがありましたら、なんなりとお申し出ください。貴兄が編者としてこの論争をどう総括なさるか、楽しみです。

 

『ヴェーバー学の未来』については、終章の「パラダイム転換」にふたつの問題を提起してくださり、ありがとうございます。両者は密接に関連していますので、結びつけて応答しましょう。

 まず、内田芳明さんの「周辺/辺境区別論」はともかく、小生の「辺境-周辺からの文化-文明創造という視点」は、ヴェーバーの「辺境における文化接触に触発された驚きが新宗教-新思想の源泉となる」という視点、大塚先生の「生産力の発展によって生産関係が段階的に継起するつど、中心が前段階の辺境に移動する」という観点、このふたつ以外に、A・J・トインビーの「諸文明の『親子関係』論」を主要な柱のひとつとしています。つまり、「親(世代)文明の中心では、『支配的少数者』が、『世界国家』として覇権を握ろうとして、経済力・軍事力に頼り、『驕りhubris』にとらわれ、内面的に瓦解していくのにたいして、その『世界国家』に繰り入れられた地域の『内的プロレタリート』のなかから、『創造的少数者』が出現し、いっそう普遍的な『高等宗教』を創始して、新生の文明を担う」という議論です(ただし、トインビー自身は、現代の『世界国家』の中心アメリカ合衆国で、そこに繰り込まれた黒人がプロテスタンティズムに帰依するところに、かつての「世界帝国」ローマにキリスト教が下から浸透したのにも比すべき、西洋文明の転生/存続の可能性を求め、自著の理論的帰結をみずから裏切っているようです)。ですから、トインビー文明論の理論的帰結に沿う方向で、「ラディクスにかかわる基礎論としての滝沢普遍神学を踏まえた新文明の構想」を目指しますが、「目標として、社会の近代化を掲げる」わけではありません。ただし、「西洋近代」の少なくとも学問とその社会的編制基盤については、「真理」や「理性」をあざ笑うかのごとき、ポストモダニズムの思潮とは一線を画し、(たとえばヴェーバーのような)西洋近代科学の到達点を内在的に越えようと志していますから、安易に「反近代主義」を説いたり、「近代批判者としてのヴェーバー」といったスローガンを掲げたりはしません。

 貴兄が第二点として指摘されている問題について、小生は、「対極の狭間にこそ自由がある」という見地に立っていて、辺境における驚きから新思想が芽生えるというのも、そうした(伝統と新来思想との)対極形成の一変種/一類型と位置づけています。とすると、ルターも、ヴイッテンベルクという当時のヨーロッパの「辺境」(の農民的伝統のただなか)で、「ローマ・カトリック教会がなぜかくも堕落して、神と平信徒との間に立ちはだかり、イエスの教えを裏切るにいたったのか」と驚き、その実態を直視し、ひたすら「神人の不可分・不可同・不可逆の一点」を求め、そこから(当時のキリスト教の枠内で)新思想を創始した先人のひとりといえましょう。そのルターを、「神義論の首尾一貫性」や「後世への影響(歴史的文化意義)」といった、(それ自体として制約された)観点を絶対化して、なるほど「伝統主義」に傾いたとはいえ、カルヴィニズムなどの「禁欲的プロテスタンティズム」に比して劣っていたかのように位置づけるのは、「成功物語 success story」として歴史を構成したがる向きの本末転倒というほかはありますまい。拙著で、「ヴェーバーが指摘するルターの『限界』とは、特定の観点から見た歴史的『文化意義』の『限界』にすぎず、本質的/宗教的な限界の謂いではない」と繰り返し断って強調したのも、そうした誤解/曲解(の上塗り)を防ぎたかったからです。『ヴェーバー学のすすめ』では第二章注36(137~8ぺージ)で、この問題に触れています。「対極間の狭間にある自由」の問題を、大胆に「東西文明の狭間」という局面に置き換えてみるとどうか、という問題です。かつてゼミで提起していたこの問題を正面から受け止め、『アジアにおける文明の対抗――攘夷論と守旧論に関する日本、朝鮮、中国の比較研究』(2001年、お茶の水書房)をものしてくれたのが、藤田雄二君でした。かれの早逝は、かえすがえすも残念です。だれか、若い研究者で、かれの遺志を引き継いでくれる人が現われないでしょうか。

 貴兄の追記によると、ハイエクは70歳代で、三年間鬱病になりながら、もっとも独創的な三部作を書いたそうですが、小生は、とても独創性は目指せませんから、幸い鬱病とは無縁です。この九月で70歳代に入りましたが、せいぜいこの年代を老齢安定期としてすごし、ささやかながら仕事ができればと考えています。若いころとちがって、いろいろなことを同時にこなすことができず、目下軌道を「ヴェーバーにおける社会学の生成」、『「経済と社会」(旧稿)の再構成――全体像』の仕事のほうに戻していこうと、心身の調整に手間取っています。倫理学専攻との公開論争は、先方にも少し時間をとってもらって、追々着手するとしましょう。

 来春、シュルフター氏が来日するとのこと。となれば、モムゼン没後の全集版『経済と社会』(旧稿)該当巻の再編纂をどうするか、という懸案につき、こちらからも構想と代案を用意しなければなりません。この研究分野では、小生が羽入書批判に時間を取られている間に、「理解社会学のカテゴリー」を「(トルソの)頭」にすえて「トルソ=旧稿本文」を読む方向で、雀部幸隆「ウェーバーの政治ゲマインシャフト形成論」(椙山女学園大学『人間関係学研究』第3号、2005年3月)、松井克浩「ゲマインシャフトの重層性と『諒解』」(日本社会学会『社会学評論』第55巻第2号、2004年)という優れた労作が発表されました。この二論文により、この分野における空白が埋められ、これからは小生も参入し、これらの方々と「抜きつ抜かれつ」の形で「旧稿」の再構成にも弾みがつくでしょう。その意味で、この二論文の発表は、小生には大きな喜びです。旧稿の再構成が済めば、「儒教と道教」「ヒンドゥー教と仏教」「古代ユダヤ教」、三部作の読解と展開にも着手できましょう。70歳代のうちにこの仕事を進め、2020年の「ヴェーバー没後百年」を迎えられるかどうか。

 北海道では、もうそろそろ紅葉の季節ともなるのではないでしょうか。くれぐれもご自愛のほど、祈り上げます。 

敬具 

2005年10月10日 

折原 浩