「総括」からの展開 6

『東大闘争総括――戦後責任・ヴェーバー研究・現場実践』(未來社) の書評 (討論)

第一報・謝辞

 

[この「総括からの展開」欄を開設した趣旨につきましては、前掲「総括からの展開35」の冒頭を、ご覧ください。723日記]

 

去る713日、東洋大学白山キャンパス 二号館スカイホールで、拙著『東大闘争総括――戦後責任・ヴェーバー研究・現場実践』(2019118日、未来社刊) の書評 (討論) 会が開かれました。ご多用のなかを、200人近い (とお見受けする) 方々がご参集くださり、拙著への忌憚ないご批評が披露され、活発な討論も交わされました。著者として、これほどうれしいことはありません。

顧みますと、去る1996323日には、今回とほぼ同じ顔ぶれの方々が、小生の東大教養学部停年退職を期に、「折原浩の仕事を中間総括する会」を主催し、小生を激励してくださいました。そのときには、今回のような「第二次中間総括の会」も開かれようとは、夢にも思いませんでした。ところが、今回、思いがけず、夢が叶い、新たな知友にも恵まれ、書評会にお迎えし、多方面から率直なご感想・ご批判を受けて、緊張を孕みながらも内容あるコミュニケーションの一時をすごすことができました。一現場実践者・一学究として、これ以上の幸運はないと、いまだ余韻に浸っております。

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当日は、「昼の部」の前半「東大闘争」関連では、清水靖久氏の司会で、八木紀一郎氏、近藤和彦氏、三宅弘氏から、後半「学問、主としてマックス・ヴェーバー研究」関連では、鈴木宗徳氏の司会で、三笘利幸氏、中野敏男氏から、各位の実践と研鑽を踏まえたご発言をいただきました。そのあと、清水、鈴木、両氏の司会で「総合討論」に入り、小生が答礼のご挨拶をしたあと、山本義隆氏も含め、多くの方々から、鋭いご批判も籠めたご発言が相継ぎ、一書評会として大いに盛り上がりました。さらにそのあと、会場を移して、「出版を祝う夕べ」が開かれ、ここでも多くの方々から、お心のこもったご発言をいただき、連れ合いの慶子と小生は、恐縮するばかりでした。主催者、参加者、また、連絡・資料作製・当日の運営などにご協力くださった、中野敏男門下の院生諸兄姉に、厚く感謝し、心より御礼申し上げます。

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さて、当日やりとりされた内容につきましては、答礼のご挨拶でも申し上げたとおり、後刻、当日の録音テープを聴いて、ご発言の趣旨を反芻し、小生なりに集約して、関連項目ごとに、この「総括からの展開」欄で「分割応答」していく方式を採りたいと存じます。

小生も、八十路の半ばにさしかかり、思考と表現には、近年とみに「きれ」がなくなってきました。そのため、当日の会でも、語り出すと「きり」がなくなり、討論の時間を圧縮しかねない、と危惧いたしました。また、多様なご発言内容を逐一受け止め、それぞれのご趣旨をよく心に留めて、その場で適宜、要約-再編成し、「てぎわ」よく応答する、(かつては、ゼミ担当教員や「解放連続シンポジウム『闘争と学問』」また「公開自主講座『人間-社会論』」の一主催者として、多少は習熟していた)「集約-即答話術」も、失って久しく、応答が「支離滅裂」に陥りはしまいか、とおそれました。

そもそも、この書評会自体、小生は半ば「まな板の鯉」で、さまざまなご批評を受けて反省の糧とする立場にいると心得てはおりました。とはいえ、著者としての応答も、できるかぎりまとめ、「東大安田講堂事件50周年」以後の議論や歴史研究に、「生き残り当事者」のひとりとして、ささやかながら寄与したい、という「野望」も捨てきれません。ですから、いくぶんか、そういう受動面と積極面とを併せもつ「難行」でもあったのです。その「ネック」を、「記録-分割応答」という手法で、なんとか乗り切れないか、と考えた次第です。

そういうわけで、書評 (討論) 会の内容につきましては、これから、この「『総括』からの展開」欄で、やや「細切れ」にはなりますが、できるかぎり項目ごとにまとめて、お答えしていきたいと思います。ここでは、当日の経過を、概略ご報告し、今後の応答と展開をお約束して、謝辞に代えさせていただきす。[725日記]