折原 浩
マックス・ヴェーバー研究総括
――ヴェーバーの生き方と学問を、時代状況のなかで捉え、国際論争を含む議論の活性化、明晰とフェア・プレー、責任倫理の覚醒をとおして、個人の自律と社会の民主化をめざす。
研究内容としては、主著『科学論集』『経済と社会』『宗教社会学論集』のうち、遺稿『経済と社会』のテクスト編纂を問題とし、初~五版の「二部構成」編纂を「合わない頭をつけたトルソ」、現行の『全集』版を「そもそも頭のない五死屍片」として批判。著者マックス・ヴェーバー自身による本来の「頭」を冠する『経済と社会』「旧稿」の体系的再構成試案を提唱。そのうえで、三主著の相互補完的読解にもとづく「(後期)ヴェーバーの全体像」を素描。「比較歴史社会学」の方法を定礎し、「世界宗教の経済倫理」三部作によって例解。社会学と隣接諸科学とくに歴史学との相互交流による応用的展開と新世界像の構築をめざす。
内容目次
はじめに――本稿執筆の機縁と経緯
§1.「解放連続シンポジウム『闘争と学問』」における「思想的ルーツ」の問い返し
§2.「マルクス主義的『全体知』『流出論』の超克に向けて
§3. 再開授業、「公開自主講座『人間-社会論』、および「寺小屋教室」におけるヴェーバー講読
Ⅰ.『経済と社会』の「二部構成」編纂
§4. 信頼して読める『宗教社会学論集』と、信憑性に問題のある『経済と社会』
§5.『経済と社会』初版の「二部構成」編纂事情
§6.「二部構成」編纂による「意図されない誤導」
§7. 第二次ヴィンケルマン編纂も「二部構成」を踏襲――「合わない頭をつけたトルソ」
§8. 第三次『全集』版では「頭のない五死屍片」に解体
§9. テクストの整備が「全体像」構築の前提にして急務
Ⅱ. 編纂問題をめぐる日独間論争
§10.「全体像」構築をめぐる思想状況――ベンディクス著への米、独の反響
§11. テンブルックの画期的問題提起――「『経済と社会』との訣別」
§12. 日高六郎の要請「本店-出店意識から脱却せよ」
§13.「旧稿」再構成の準拠標――前後参照指示とその信憑性
§14. テンブルックのコロキウムと『ケルン誌』への寄稿
§15.『全集』版編纂陣の「怪」
§16. シュルフターの「双頭説」提唱
§17. 京都シンポジウム――学問論争と即人的交流
§18. 専門誌『マックス・ヴェーバー研究』への寄稿――英語圏への問題提起
§19.学問論争と即人的礼節を区別するフェア・プレー
§20.『全集』版「カテゴリー論文」側から「扇の要を据える」最終提案
§21. テクスト編纂への否定的批判から「全体像」の積極的提示へ
Ⅲ. 職歴と勤務から
§22. 名古屋大学就任講義「比較宗教社会学のパースペクティヴと欧米近代のエートス」
§23.「客観性論文」の「補訳」――古典教材研究の補充
§24. 併せて「邦訳のスタンス」への問題提起
§25.『科学論集』再読――方法論から経験的研究への転進経緯
§26. 名古屋大学最終講義「マックス・ヴェーバーにおける歴史と社会学」
Ⅳ.「羽入書問題」――学問研究と状況内企投
§27.「学問の自由」濫用を言論で是正する論争義務と社会的責任
§28.「倫理論文」の内容骨子
再確認――視野狭窄の是正に向けて
§29.「倫理論文」の方法中心的読解から、歴史的検証も交え、「宗教社会学」に視圏拡大
§30.「末人の跳梁」状況にたいする「知識社会学」的批判
§31. 大学の中枢機能 (研究指導と学位認定) に即して東大闘争を継続
Ⅴ. 歴史学者家との相互交流から――「比較歴史社会学」に向けて
§32.「ヴェーバーにとって社会学とは何か」の問い返し
§33. ヴェーバー自身における歴史家との交流のスタンス
§34. 任意の個別研究としての「倫理論文」とその限界突破――「西欧近代文化総体」の特性把握と因果帰属に向けて
§35. ラハファールの「倫理論文」批判とヴェーバーの応答
§36. 人類史を貫く「人間協働生活」の類-類型概念と決疑論体系――「一般化」的「法則科学」としての「ヴェーバー社会学」
§37.「日中社会学会」における国際交流――アジア論への視圏拡大とパラダイム変換に向けて
Ⅵ.「世界宗教の経済倫理」の方法中心的読解
⑴――「ヒンドゥー教と仏教」
§38. マルクス「インド村落共同体」論とヴェーバーの批判
§39.「カースト秩序」――閉鎖的出生「身分」の階層序列編成
§40.「カースト秩序」の「精神」――「輪廻-業」教理に媒介された伝統主義
§41. インド知識層の「世界像」構築
§42. インド知識層の「救済追求軌道」――「遁世的瞑想」
§43.「カースト秩序」の因果帰属――普遍的諸要因の個性的布置連関
§44. 未来予知――「イギリス支配下の平和」の終焉と「印パ紛争」
(中略)
Ⅶ.「世界宗教の経済倫理」の方法中心的読解
⑵――「古代ユダヤ教」
(中略)
Ⅷ.「世界宗教の経済倫理」の方法中心的読解 ⑶――「儒教と道教」
(中略)
Ⅸ. ヴェーバー「比較歴史社会学」の到達限界と意義――他文化との対照による「自文化中心性」からの脱却
(中略)
おわりに――ヴェーバー「比較歴史社会学」の継受と展開による世界像の再構築に寄せて
マックス・ヴェーバー研究総括
折原 浩
はじめに――本書執筆の機縁と経緯
去る2019年7月13日、東洋大学二号館スカイホールで、拙著『東大闘争総括――戦後責任・ヴェーバー研究・現場実践』(2019年1月18日、未來社刊)の書評-討論集会が開かれました。昼の部の前半「東大闘争」関連では、清水靖久氏の司会で、八木紀一郎・近藤和彦・三宅弘の三氏から、後半「学問、とくにマックス・ヴェーバー研究」関連では、鈴木宗徳氏の司会で、三笘利幸・中野敏男の両氏から、それぞれ問題提起があり、小生が答礼のご挨拶をしたあと、フロアからのご発言も交えて「総合討論」に入りました。
そこでやりとりされた内容は、多様かつ豊富で、とても短時間にはお答えしきれないと悟りましたので、当座はご発言の趣旨を確認するに止め、詳細な応答は、追って小生のホーム・ページの「『総括』からの展開」欄に、各論に分けて発表したい、と申し出ました。ところが、八木・近藤・三宅、三氏のご発言については、そのとおり趣旨確認に止められたのですが、三笘氏のご発言にたいしては、そこに籠められた問題提起と、中野敏男氏ほか、ヴェーバー研究者からの常日頃のご批判も併せて念頭に置き、1968-69年東大闘争以降の小生のヴェーバー研究を振り返るにつけても、主要な研究テーマとその変遷を、状況内企投とも関連も見据え、こんどはヴェーバー研究の側から総括してみる必要があろうか、とも思えてきました。三笘氏は1969年生まれとの由で、「東大闘争のことは、歴史としてしか知らず、もっぱら学問研究に志し、その一端として初めて、折原浩のマックス・ヴェーバー研究に出会った」と洩らされました。そこで、三笘氏よりも若い世代を念頭に置き、「小生が、東大闘争以降 、ヴェーバー研究としては何をめざし、何をなしたか、何はやり果せなかったか」と問い返し、『東大闘争総括』中の関連論及も敷衍して、多少詳細に語り、後続世代による批判的継承にそなえたい、という願いが沸いてきたのです。執筆内容も、当初予定した枠組みからははみ出て、立ち入った応答と補充にもおよびました。
そういうわけで、八木・近藤・三宅、三氏の問題提起と、フロアからのご発言には、当初の予定どおり、後日、ホーム・ページ「『総括』からの展開」欄で、各々の内容に分け入ってお答えすることとし、このさいはいっそ、小生の『マックス・ヴェーバー研究総括』を先に書き上げたい、と思うにいたった次第です。
ヴェーバーは、晩年の講演で、「学問は、単線的(ないし弁証法的)進歩にさらされる文化領域なので、その研究に携わる者は、自分の仕事もやがて乗り越えられると認め、そうであるからにはむしろ、乗り越えられることを目的として仕事をしなければならない」(趣旨)と語りました。とすれば、そこから一歩を進めて、自分の研究成果が「乗り越えられ」やすいように総括しておくことも、仕事の一環として認められましょう。
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7月13日書評討論集会の発言者・三笘利幸氏は、氏の誕生とほぼ同時に世に出た拙著『危機における人間と学問――マージナル・マンの理論とヴェーバー像の変貌』(1969、未來社)、とくにその第二部「ヴェーバー論」を、徹底して読解され、小生のヴェーバー研究の動機と基軸を、鋭く取り出し、明快に解説してくださいました。拙著で用いた言い回しに置き換えれば、ヴェーバーの生き方と学問的労作を、わたしたち自身の時代状況のなかで捉え返すと、そこには「自律的個人への転生」を促す「内 (精神) からの革命」の契機・「実践的起動力」が認められます。とくに主著のひとつ『宗教社会学論集』は、(欧米近代以降の「没意味化」状況を剔抉し、その批判的克服をめざす)「覚醒予言性」を帯びているようで、これを引き出し、わたしたち自身における議論の活性化と「責任倫理」の覚醒につなげることができそうに思われました。「ヴェーバー研究」も、学問研究として専念すると同時に、そういう状況内企投としての意味にも即して捉え返し、心して進めることができましょう。
ただ、それだけに、小生が、拙著『マックス・ウェーバー基礎研究序説』(1988、未来社)以降、当の『宗教社会学論集』(以下『論集』と略記)の読解から、『経済と社会』とくにそのテクスト編纂への批判に向けて、研究上の「舵を切り」「二正面作戦に出た」という、その「旋回」については、当の「焦点移動」の根拠が説明不足、という批判的問題提起が潜んでいる、ともお見受けしました。この点は、中野敏男氏他、多くのヴェーバー研究者によるご批判にも、核心部分で重なっているように思われます。
小生、じつは、今回の三笘・中野両氏による問題提起を受けて初めて、当の「二正面作戦」の動機と、それ以降の展開との (小生にとってもっとも基本的で重要な) 核心を、自分からは語れずにきた、と気がつき、反省と釈明を迫られました。詳しく語り出すと、これまた長くなり、『マックス・ヴェーバー研究総括――戦後責任・東大闘争・現場実践』と題する一書にも膨れ上がりかねないのですが (じっさいにも、そうなりますが)、1968-69年東大闘争以降における状況内企投とヴェーバー研究との関連について、こんどはヴェーバー研究の側に主軸を据え、その動機と変遷を前景に引き出し、総括を試みますと、要旨、以下のとおりです。[2020年7月28日現在。続稿執筆中]