記録と随想38――新著『マックス・ヴェーバー研究総括』贈呈挨拶状(2022年9月26日記、2023年1月8日、僅かに改訂して収録)

 

拝啓

 例年になく猛暑がつづき、台風もひっきりなしにやってきた後、ようやく秋らしい日和が戻ってきました。お変わりなくご清祥に、お過ごしでしょうか。

 さて、このたび、前著『東大闘争総括』(2019年、未来社刊)の姉妹篇『マックス・ヴェーバー研究総括』を、同じ書肆より上梓いたしました。つきまして、一部、同封にてお送り申し上げます。お暇の砌、ご笑覧たまわれれば幸甚と存じます。

 この拙著は、元はといいますと、(「東大闘争」も「ヴェーバー研究」も直接には知らず、何かのきっかけで双方、とくに後者に、距離をとって接近した)後続世代の若い読者を想定し、(双方に跨がる)一研究者の来し方と到達限界を、つとめて客観的に伝え、批判的乗り越えへの一素材は提供しようと思い、執筆に着手した次第です。

ところが、その途上で、ふたつの問題に直面しました。ひとつには、「公開自主講座『人間―社会論』」(1977~93年)の連続講義で、ヴェーバーの三主著(『科学論集』『経済と社会(旧稿)』『宗教社会学論集』)の相互補完的・総合的読解にもとづく「全体像構成」、とくにその核心にある「比較歴史社会学」の内容・到達限界・方法の解説と、「世界宗教の経済倫理」三部作からの具体的例解を企て、講座の聴講者にはお伝えできたと思うのですが、その中身を論文や著書の形で公刊するにはいたっておりませんでした。他方、「ヴェーバー没後100年」(2020年)の思想状況を瞥見しますと、そういう「全体像」をめざす関心(と、まさにそれゆえ「包括者」には到達できないという限界の自覚にもとづく、自己相対化と「全体知」の克服)はとみに薄れ、その共有にもとづく開かれた相互交流と独自の展開も、途絶えて久しいように見受けられます。

そこでこのさい、「世界宗教の経済倫理」三部作の内容構成と論理展開を、改めて採り上げ、小生自身の到達点を、後続世代による批判的継承ヘの一素材として、外化・対象化しておきたいと考え、Ⅴ~Ⅷの四章を追加し、増補いたしました。そんなこんなで、今回は、思いがけず時間を費やし、予定どおりの期日には脱稿できず、各位にたいへんご迷惑をお掛けしてしまいました。ここに改めてお詫びいたします。

敬具

2022年9月26

 折原 浩