新著『大衆化する大学院―― 一個別事例にみる研究指導と単位認定』(20069月、未來社刊)のお知らせ

20060913 折原浩

 今年3月の「京都シンポジウム」以来、長らくご無沙汰しました。

 前著『大学の未来――ヴェーバー学における末人跳梁批判』(20058月、未来社刊)のあと、「大衆化大学院における研究指導と学位認定」の問題を、東大院人文科学 (現人文社会系) 研究科倫理学専攻の羽入論文審査という一個別事例から探り出していく研究作業を進めてきました。同研究科のホーム・ぺージにこの問題にかんする公開討論のコーナーを開設してもらい、わたくしの問題提起、審査当事者の所見表明のあと、双方の見解を順次公表して、公開討論を進め、問題の所在をつきとめ、責任性の回復と事態の改善につなげていくという構想で、まず問題提起の書面をしたため、研究科長と羽入論文の主査あてに郵送しました。しかし、遺憾ながら、前者からは回答がえられず、後者からは拒否回答が送られてきました。そこで、わたくしの問題提起だけを、未來社より単行本として公表することにし、近々刊行の運びとなった次第です。

 以下に、「はじめに――問題提起」、本文目次、「あとがき」の一部、刊行挨拶状を収録して、ご参考に供します。

 なお、「京都シンポジウム」におけるシュルフター氏との討論と、その後進めている(当日報告の改訂)英訳稿につきましては、別途ご報告する予定です。

 

 

大衆化する大学院 ―― 一個別事例にみる研究指導と学位認定

          折原 浩

はじめに――問題の提起

. 羽入辰郎の応答回避 

 昨(2005)年825日に拙著『学問の未来――ヴェーバー学における末人跳梁批判』が、同じく915日には『ヴェーバー学の未来――「倫理」論文の読解から歴史・社会科学の方法会得へ』が、未来社から刊行され、今日(2006415日)で約半年になる。書評「四疑似問題でひとり相撲」(『季刊経済学論集』、第59巻第1号、20034)、前著『ヴェーバー学のすすめ』(20031125日、未來社刊) の公刊から数えると、約三年の歳月が経過している。

 これらの拙著/拙評で、筆者は、羽入辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪――「倫理」論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』(2002930日、ミネルヴァ書房刊、以下羽入書)の「ヴェーバー批判」に、正面から反批判を加えた。羽入が反論/反証しやすいように具体的論拠をととのえ、論点ごとに筆者のヴェーバー理解を対置し、羽入の応答を求め、論争を開始しようとした。ところが、羽入はこの間、拙著/拙評の反批判にまったく応答しない。

 また、去る20041月には、北海道大学経済学部の橋本努が、ホームぺージ(http://www.econ.hokudai.ac.jp/%7Ehasimoto)に「マックス・ヴェーバー、羽入/折原論争コーナー」を開設し、羽入を含むヴェーバー研究者/読者に、広く論争参加を呼びかけた。筆者はこの呼びかけに答え、一連の論考を寄稿したが、羽入は、このコーナーにも応答を寄せていない。

 知的誠実性を規準にヴェーバーを「批判」し、「詐欺師」「犯罪者」とまで決めつけた当人が、筆者の反批判には、知的誠実性をもって答えない。研究者として論争を受けて立ち、理非曲直を明らかにしようとしない。

. 羽入への研究指導と学位認定を問う

 そこで、筆者は、当の羽入辰郎に学位を与えた東京大学大学院人文科学(現人文社会系)研究科、とくに羽入への研究指導と学位請求論文の審査に当たった倫理学専攻に、改めて(『学問の未来』につづいて)この件にかんする所見の表明を求め、研究指導と学位認定の責任を問いたい。というのも、拙著で論証した羽入書の欠陥と羽入の応答回避から考えて、東大院人文社会系研究科とくに倫理学専攻は、羽入にたいする研究指導を怠り、知的誠実性をそなえた研究者に育成する責任/社会的責任を果たさないまま、学位は与えて世に送り出した、と推認せざるをえない。大学院・研究教育機関としての厳格な研究指導と適正な論文審査という条件のもとで初めて、そのようにして認定された学位に社会の信頼をえている当該責任部局が、根本的な欠陥をそなえた論文に、おそらくは問題のある審査で、少なくとも結果として学位を認め、そのかぎり学位認定権という職権を濫用し、社会の信頼を裏切っていたのではないか。

 こうした事態は、さまざまな分野で、専門職におけるモラル/モラールの低下と、虚偽/虚説捏造といった背信行為が、世間一般に有形無形の被害をもたらしている今日の社会状況と、けっして無関係ではあるまい。こうなった以上は、羽入書の欠陥を論証して、そこに結果として露呈された大学院教育の不備を指摘し、警鐘を鳴らした筆者が、その延長線上で、羽入の学位請求論文審査報告書も検討し、そこに窺われる研究指導と学位認定の問題点を、明らかにすべきであろう。そうした問題点は、この一個別事例かぎりのことではなく、いつどこで再発しても、あるいはもっと目立たない形で多発していても不思議はない、構造的背景したがって相応の普遍性をそなえた問題で、とくに大学院の大衆化」(増設/規模拡大にともなう定員/実員増)につれて深刻さを増してきているのではあるまいか。問題をそのように捉え返すことをとおして、現下の大学院・研究教育機関の実態に、広く関心を喚起し、不備/欠陥の是正と責任性の回復/向上に向けて、ひとつの捨石を置く必要があると思われる。いや、今日の社会状況を特段に考慮するまでもなく、大学院・研究教育機関のあり方をたえず点検して、現場に不備/欠陥があればそのつど是正していくことは、本来、学問とその未来に責任を負う研究者にとって、避けて通れない課題であり、社会にたいする責務でもあろう。

 

第一章 原論文提出から学位認定まで

第一節 表題ほかの変更

第二節 学位認定までの研究指導――対極二仮説の提示

第三節 注目を引く一事実――謝辞群中に主査/専攻主任の名がない

第四節 主査/専攻主任の「胸中」

第五節 論文「不出来」の類型的状況にたいする類型的対応

第六節 大学院「大衆化」とその随伴結果――「対等な議論仲間関係」の解体

第七節 第一類型の対応――学問上の規範に照らして「客観的に整合合理的」な「積極的正面対決」

第八節 第二類型の対応――なお「客観的に整合合理的」な「消極的正面決」

第九節 第三類型の対応――「客観的に整合非合理的」な「対決回避」――「権威主義」の二面性」

第一○節「権威/温情」的対応の系譜とその文化的背景

第一一節「前近代」と「超近代」との癒着

 

第二章 審査報告書「[論文] 内容要旨」の検討

そこで、以上(第一章)の三理念型構成を柱とする一般的仮説的な考察を踏まえ、一個別事例として羽入論文の審査報告書を検討し、仮説の検証に移りたい。

第一節「内容要旨」の構成

第二節 前置きに顕れた「二重焦点」とその意味

第三節「ピューリタン的calling概念の起源」の二義――「語源」と「宗教的/救済論的起源」

第四節「虎の子」可愛さのあまり――パースペクティーフの転倒とその動因

第五節「パリサイ的原典主義」の自縄自縛――「OEDの誤り」捏造

第六節『ベン・シラの知恵』発「言霊伝播」説――被呪縛者はだれか

第七節 実存的な歴史・社会科学をスコラ的な「言葉遣い研究」と取り違える

第八節 当然のことを「アポリア」と錯視、「疑似問題」と徒労にのめり込む

第九節『アメリカにうんざりした男』からの孫引きとその意味

第一○節「フランクリンの神」が「予定説の神」とは、誤訳の受け売りと誇張

第一一節「フランクリン研究」と「『資本主義の精神』を例示するフランクリン論及」との混同――ヴェーバー歴史・

    社会科学方法論への無理解

第一二節「直接的」という限定句の見落とし――文献学の基本訓練も欠落

第一三節 ふたたび「フランクリン研究」と「『資本主義の精神』を例示するフランクリン論及」との混同

第一四節「啓示」をめぐる迷走

第一五節 フランクリンにおける倫理思想形成の三段階を看過

第一六節 恰好の標語も引用しないと「不作為の作為」「故意の詐術」

第一七節「結び」で特筆の (ⅳ) 項が失当では、「ましてや他項においてをや」

 

第三章 審査報告書「審査要旨」の検討

第一節 誤字・脱字・悪文――「投げやりな」審査要旨

第二節 杜撰な審査報告書で「文学博士」量産か

第三節 審査委員の「倫理」論文理解は「トポス」論議水準

第四節 「無難な逃げ」の抽象的要約

第五節 羽入論文――研究指導欠落の対象化形態

第六節 無内容のまま「結論」に短絡――責任ある評価主体の不在

第七節「集団的意思決定にともなう制約」問題

第八節 第一類型対応から第三類型対応への越境

第九節 第三類型対応への越境を規定した(一般的、個別的)諸要因

 

小括

  一、研究科のホームページに公開討論コーナーの開設を要請

  二、審査委員に所見表明を要請

むすび――広範な討論への呼びかけ

  一、倫理学専攻者は「母屋の火事」にどう対応するか

  二、ヴェーバー学、広く歴史・社会科学に、ザッハリヒな批判と論争にもとづく「連続的発展の軌道」を敷設しよう

20051215日起稿、2006128日脱稿、2006415日改稿、200675日再改稿)

 

 

あとがき(より抜粋)

 ……[前略]……

 顧みると、筆者が、自分の所属する東京大学、しかも出身学部の文学部を、筆者には理不尽無責任と思われる措置について公然と批判するのは、1968-69年の「第一次東大闘争」、1977年の「文学部火災事件」につづいて、これで三度目である。過去二度の批判の論拠は、本書の第三章注4に挙げた文献に、公表され、記録されている。そこでは、批判の対象が、学問内容に直接の関係はない管理上の理不尽/無責任にかぎられていたが、今回は、批判の射程が、学位認定という中枢機能と(そこに顕れた)専門的研究の質と水準におよんでいる。

 筆者がこれらの批判とその公表をとおして意図したことのひとつは、日本の「学界-ジャーナリズム複合体制」に根を下ろし、第二次世界大戦後にも一向に変わっていない、ある「慣習律」にたいして、少なくとも挑戦を止めないことであった。すなわち、「学問的訓練をとおして錬磨される批判的理性の意義を、抽象的にはどんなに説いても、あるいは、抽象的にはどれほど過激な批判的言辞を弄しても、問題が自分の所属組織や出身母体や同業関係にかかわり、具体的な身辺の利害におよんでくると、とたんに批判を手控えて『口を拭う』、『身辺と余所』『内と外』の二重規準に囚われた『個別主義particularism』の慣習律」である。

 筆者は、いまから約四○年まえ、駆け出しの一教員として1968-69年「第一次大学闘争」に直面した。この事件は、当の慣習律を根本から問い返し、「『身辺と余所』『内と外』という二重規準の制約を超える理性的批判の具体的普遍化」に向けて、ようやく突破口を切り開くかに見えた。

 その渦中では、たとえばつぎのような議論が交わされた。まず、日本社会一般の「無責任の体系」を批判する「知識人」の言説は、読者のひとりひとりが、それぞれの所属組織ないしは現場で直面する具体的な無責任措置のひとこまひとこまに、公然と向き直って闘うことを想定/期待し、そうした個別の闘いを導いて日本社会全体の変革につなげようとする「呼びかけ」と解されなければならない。「日本社会全体の変革」「責任体系の確立」といっても、実態としては、個々の組織や現場における、そうした具体的な闘いの根気よい積み重ね以外にはありえない。ところで、ある「知識人」の著者が、一方では、批判言説をジャーナリズムに発表して読者に「現場の闘い」を呼びかけながら、他方、生身の一大学教員としては、自分の所属組織の具体的な無責任措置(たとえば、事実誤認のうえに「疑わしきを罰し」、教壇では説かれる「近代法/近代的人権保障の常識」を忘れる、「第一次東大闘争」で問われた、東大当局の措置)が明るみに出てきて、まさに読者と同じ立場で当の具体的無責任と闘うべき正念場に立たされたとき、身を翻して批判を手控え、事実関係の究明も怠り、(さらに困ったことに)そうしたスタンスの矛盾を衝く問題提起には一種「苛立った」拒否反応しか返せないというのは、いったいどうしたことか。「知識人」のそうした実態が闘争場裡で一瞬あらわになったとき、その「呼びかけ」を真に受けて自分の現場で闘ってきた読者ほど、それだけ痛く失望し、それまでの敬意が否定的批判に反転したのも、ゆえなしとしない。

 しかし、そこから生じた「知識人」言説にたいする批判は、外からの闘争圧殺と内的な衰退につれ、状況の弾みも手伝って、いきおい一面的に尖鋭化した。「自分では闘う気のない『言説のための言説』」、「『余所ごと』にかけては鋭利で華々しくとも、所詮は『慣習律』の『安全地帯』に身を置いた『綺麗ごと』」、「読者を二階に上げて梯子を外す無責任なアジテーション」、「初めから『負ける』つもりの『負け犬の遠吠え』」……と、告発は止まるところを知らなかった。

 こうした他者糾弾の激化と、それと表裏の関係にある自己絶対化とが、状況の重みを共有しない後続世代に、多分に同位対立の擁護論を誘発し、最奥の争点を曖昧にし、議論を「第一次大学闘争」以前の水準に戻してしまったことはいなめない。じつはそこで、著者ないし「知識人」一般の実存的限界を見きわめて「深追い」は避け、むしろ「無責任の体系」を批判し、その克服を目指す問題提起そのものは評価し、引き継いで、その闘いを(こんどは自分たちが、著者の限界を超えても)具体的に普遍化していくにはどうすればよいか、というふうに前向きに設定しなおす必要があったのではないか。そのうえで、各人の現場で二重規準を超える批判的理性の軌道転轍を一歩一歩進めながら、相互に交流/連帯し、「第一次大学闘争」の切り開いた地平を確実に定着させ、「当事者性を忘れたふやけた議論」が蒸し返される余地もないほどに、軌道を固め、実績を積むことが、肝要だったのではあるまいか。

 問題は、「知識人」批判の当事者が、その後「知識人」たとえば研究者となってどう生きてきたか、にあろう。他者に向けた批判を自分自身にも向け換え、「『身辺と余所』『内と外』の二重規準を超える理性的批判の具体的普遍化」に向けて、各人の現場でそれぞれ個別の問題と批判的に対決し、牢固たる慣習律と具体的に闘ってきたかどうか。かえって、「世界歴史」や「社会一般」の抽象論から出発して、せいぜい個別問題を演繹するだけの(キルケゴールにいわせれば「腑抜け」の)スタンスと議論に、いつのまにか舞い戻ってはいないか。逆にいって、自分の所属組織ないし現場の個別問題から出発して、その構造的背景を問いつつ、批判の射程を極力拡大し、広く関心と議論を喚起していくような「実存的な歴史・社会科学」のスタンスと方法は、どれほど会得され、鍛えられ、実を結んでいるだろうか。

 ……[後略]……

 

 

刊行挨拶状

拝啓

 朝晩しのぎよい候となりました。ますますご清祥のことと拝察いたします。

 このたび、拙著『大衆化する大学院―― 一個別事例にみる研究指導と学位認定』(未來社)を上梓いたしました。ご多忙のところたいへん恐縮ですが、お暇の折、ご笑覧たまわれれば幸甚と存じます。

 さて、2003年の羽入書批判を皮切りに、多岐にわたった論争提起も、主たる相手の応答がないまま、このへんで一区切りつけざるをえないか、と予想されます。つきましては、この機会に一点だけ、(それ自体としては好ましくなく、できれば避けたい)自己解説をお許し願いたいと存じます。と申しますのも、この間、「折原はなぜ、羽入書のようなつまらぬものにこだわり、山本七平賞選考委員ら『保守派論客』や「旧石器遺物捏造事件」の当事者はともかく、本来は『味方』のはずの東大院人文社会系倫理学専攻から、『大塚門下』、はてはヴェーバー研究の『中堅』や『若手』にまで、批判の矛先を向けるのか」という戸惑いと批判が広まっているように見受けられるからです。ところが、わたくしのほうから忌憚なくいわせていただければ、まさにそうした「批判」を生み出す「戦後進歩派ないし左翼」の問題点を指摘し、その克服に向けて捨石を置くことこそ、この間の四部作への状況論的意味づけのひとつにほかなりません。

 過日著者から贈呈を受けた『丸山真男』(岩波新書)の序章に、三島由紀夫と林房雄が対談して丸山に論争を呼びかけたところ、丸山が別の座談会には出て、「事実上黙殺するだけじゃなくて、軽蔑をもって黙殺すると公言します」と答えた、というエピソードが載っています(5頁)。さて、丸山は、三島と林の批判を「正面から受けて立ち」、「逆手に取って」、自説の正当性を主張することも、できたのではないでしょうか。ところが、著者は、そうしない丸山を容認し、しかも「丸山は、異質なものとの接触の意義を強調した」と説いています。「異質なものとの接触」とは、旧制高校の学寮とか、「東大法学部のリベラルな雰囲気」とか、同質空間の枠内にかぎられるのでしょうか。

 1968-69年の「第一次東大闘争」のあと、わたくしどもが「解放連続シンポジウム」を開設し、「お互いの職場で起きた問題の事実関係をともに究明しましょう」と、一資料として拙著『東京大学――近代知性の病像』(1973年、三一書房刊)を贈って参加を呼びかけたときにも、丸山は、ただ「断る」というのではなく、「お前などと付き合うひまがあったら自分にはなすべきことが山ほどある」とか、「お前のような精神的幼児がスルスルと助教授に収まっていられるところに『東京大学の病像』が顕れている」とか、いわずもがなの言葉を返してこられました(『丸山真男書簡集』5、みすず書房、309-10頁)。

「異質なもの」といっても、自分を受け入れてくれそうな範囲をあらかじめ決めて、「仲間内だけで気勢を上げる」あるいは「崇拝者の群に上機嫌で饒舌を振るう」ことはしても、その限界を越えて「異質なものに触れる」と、とたんに拒否反応を起こし、逃げを倨傲で糊塗するかのようです。「どんな対戦相手も受け入れ、勝敗は二の次に、フェアプレーに徹して闘い抜く」スポーツマンと対比して、なんとも偏狭で退嬰的なスタンスではないでしょうか。「上に向かっても下に向かっても、右にも左にも、フェアに対応し、必要とあれば『身内』にもいいにくいことをいう」度量が欠けていたのではないでしょうか。

 ところが、そうした脆弱性は、なにも丸山にかぎられません。「戦後進歩派ないし左翼」総体に浸潤し、目に見えない前提枠をなし、前記著者のような後続世代にも根を下ろしてしまっています。総じて「戦後進歩派なしい左翼」には、「政治運動あがり」はいても、スポーツマンがいません。先頃、『前夜』という雑誌が創刊され、わたくしも期待して定期講読を申し込んだのですが、「自分たちにとって異質なもの」たとえば現役の「保守派論客」群を取り上げ、それぞれの著作に即して批判を加える特集を組むとか、せめて一号に一人づつ取り上げて「叩く」とか、そういう「他流試合」は、少なくともいまのところ念頭にないようです。「身内」だけで「群れをなし」、「共鳴者をつのって気勢を上げる」だけでは、「縮小再生産」に陥らざるをないでしょう。

 こういうことでは、「戦後進歩派ないし左翼」は先細りするばかりで、それだけ「保守派論客」は「いいたい放題」となり、影響力を増すでしょう。とくに、拙著『学問の未来』で山折哲雄、養老孟司、加藤寛らとともに槍玉に上げた中西輝政が、論証(143-47頁)のとおり、学問上支離滅裂で、品性も問題ですが、それにもかかわらず、あるいはむしろまさにそれゆえに、日和見右翼のポピュリストともいうべき安部晋三の「ブレイン」に収まり、さらに悪影響をおよぼしそうな動きには、危惧と憂慮を禁じえません。いま、中西の著作をあくまで言説によって批判し、論証で影響力をそいでいく、「理性的批判の具体的普遍化」が、まずは京大の研究者に求められるのではないでしょうか。いな、いまや京大にかぎらず、誰しも身辺を見回せば、似たりよったりの人物がうごめいていましょうから、各人の専門にいちばん近く、もっとも問題のあるひとりに絞って、批判を集中し、論陣を張り、そのようにして自分の学問も鍛える相手のある具体的な思想闘争を、各自の現場で展開する必要があるのではないでしょうか。

「戦後進歩派ないし左翼」の問題提起と遺産を継承する一方、その限界は「理性的批判の具体的普遍化」によって越えていく以外、学問の「下降平準化」に歯止めをかけ、状況論的にも、「恣意に居直るポピュリズム」ともいうべき現下のファシズムをくい止めることはできない、と思うのですが、いかがでしょうか。「学界-ジャーナリズム複合体制」に現れた羽入辰郎は、政界の小泉純一郎および安部晋三と「等価」ではないでしょうか。太平洋戦争前夜の「知識人」も、一人一人は「おかしい」と思いながら、他人の顔色を窺うばかりで、個人としてはっきりものをいわず、ズルズルと破局にまで引きずられていったのではないでしょうか。この点を、敗戦直後、誰よりも反省し、批判したのが、丸山真男だったはずなのですが。

 

 というわけで、この間の四部作が、「理性的批判の具体的普遍化」への捨石として、状況論的にも活かされることを祈念してやみません。「中堅」「若手」のみなさんには、かぎりある老躯がいつかは持ち切れなくなる「槍」を、このへんで早めに、担ってくださるように!

 では、よい季節とはいえ、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。

敬具

20069

 

折原 浩