大西晴樹様

拝啓

 

 鬱陶しい季節となりました。

 さて、先般は、ご編著『イギリス革命論の軌跡――ヒルとトレヴァ=ローパー』(蒼天社刊)をご恵送たまわり、まことに有り難う存じました。

 わたくし、(2001年度まで)教職にありました頃には、専門を同じくする(あるいは専門に近い)方々からご恵送いただくご著書なり、論文抜き刷りなりに、拝読して応答したいとつねづね思い立ちながら、ついつい多忙にかまけて、怠慢/失礼を重ねてきてしまいました。そこで、2002年3月には、定年を待たずに退職して、時間を確保し、年来の研究課題に専念するとともに、ご恵送いただくご著書や論文抜き刷り(とくに若い人たちの習作)には、一言でもコメントして応答したい、と考えてはおりました。

 ところが、じっさいには、思いがけず、羽入辰郎著『マックス・ヴェーバーの犯罪――「倫理」論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』という途方もない書物が「言論の公共空間」に登場して、これへの対応を余儀なくされました。内容上は、学問的なヴェーバー批判の体をなさないばかりか、恣意に居直って罵詈雑言と自画自賛を連ねる、知性領域におけるファシズムの萌芽とも見られる代物ですが、これを保守派論客が絶賛し、「山本七平」章を授与して推奨するという状況が出現し、学問そのものの存立基盤を危うくしかねない軽佻浮薄なポピュリズムの潮流として、放っておくわけにはいきませんでした。そこで、内在批判と外在考察をくわだて、やむなく年来の研究も中断し、念願していた(各位からの恵送著書/論文への)応答も断念せざるをえませんでした。ようやく、この間インターネットに発表してきました反批判論稿を改訂/増補して、『学問の未来――ヴェーバー学における末人の跳梁 批判』と『ヴェーバー学の未来――「倫理」論文の読解から歴史・社会科学の方法会得へ』というふたつの著書にまとめ、校正の段階に入って、やっと一息ついたところです。

 そこで、ご恵送いただいたご著書に、内容的な応答はともかく、御礼をしたためる余裕ができました。まだ全篇を拝読してはおりませんが、山本通さんご執筆の第七章は、興味深く拝読いたしました。エラスムス主義/人文主義的合理主義と、宗教改革系譜の禁欲的合理主義との関係は、ヴェーバーも、「倫理」論文末尾の研究プランには明記していた問題です。小生は、この研究プランは、けっして放棄されず、むしろヴェーバーは、世界宗教シリーズで「兵站線を伸びきるところまで伸ばした」うえで、やはり最後には、「全兵力」を近世以降に戻し、(「禁欲的プロテスタンティズム」の普及地域ごとに)細分された歴史研究に集結させるつもりで、着々と準備をすすめていた、と考えております。プロテスタンティズム・テーゼの内在的で的確な読解を踏まえ、ヴェーバーがやり残した仕事に、「ヴェーバーをもってヴェーバーを越える」研究がなされることに、小生も異論のあろうはずがなく、大いに「生産的限定論争」がなされてほしいと思います。

 羽入書は、ヴェーバー・テーゼの「歴史的妥当性」問題にはまったく関心がないと言い放ち、ただただ「知的誠実性」を問うとして、ヴェーバーが「杜撰」な資料処理をし、「詐術」を弄したとこじつけ、トータルに葬ろうというのですから、驚くほかはありません。本質的には「子どもの火遊び」にすぎませんが、現代大衆社会の学問風土には、燃えやすい引火物や耐火性に乏しい家屋が多いうえに、火を煽り立てる風も強く、思わぬ大火にもなりかねず、火種を絶って警鐘を鳴らすことが必要でした。

 御礼の遅れたお詫びと近況報告かたがた、ご著書ご恵送に、厚く御礼申し上げます。

 今年も、この分では異常気象が予想されます。くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。

敬具

2005年6月28日