記録と随想40――拙著『マックス・ヴェーバー研究総括』への野口雅弘氏の書評への応答20221214日執筆、2023112日、僅かに改訂して収録

 

野口雅弘様

拝啓

長らくご無沙汰しました。

このたびは、『週刊読書人』紙上に、拙著『マックス・ヴェーバー研究総括』2022、未来社刊)への整然たる書評を発表してくださり、まことに有り難うございます。小生の執筆意図と論旨を的確に要約のうえ、「全体像」と ②「責任倫理」について、適切に問題を提起してくださいました。

①「全体像」につきましては、1957年に、金子栄一氏が『比較研究としての社会学』(創文社)を、「もとより特殊研究ではあるが、『全体像』構成をめざす」と言明して公刊されて以来、小生や同世代者は、「共通の課題を投げかけられた」と受け止め、各人がそれぞれの「全体像」に到達して、相互批判を交わし、そこから各人独自の個別研究に乗り出すべきだ、とも了解しました。ところが、そういう「全体像」への到達自体が、じっさいに着手してみますと、ヴェーバーの仕事の浩瀚-膨大さゆえ、途方もなく困難な課題と分かり、そうこうするうちに、かえって、「全体像」など問うのは止めて、各人の個別研究に直行し、「いち早く業績を挙げよう」という趨勢が、支配的となってしまったようです。

そこで小生、そういう動向は憂慮し、包括的で完璧な全体像は不可能としても、三主著の相互補完的関連には留意しながら、それぞれの主要な内容は読み取って総合的に活かす『批判的継承』への道筋はつけたい、それを一助とはして、欧米近代の一『マージナル・エリア』としての日本を、できれば普遍的な新思想・新文化創造の起点とすべく、せめてそういう議論は喚起したい、と思い立った次第です。その趣旨を、貴兄は的確に受け止め、集約してくださいました。

また、まさに「全体像」をめざすがゆえに、「包括者das Umgreifende(ヤスパース)としての「全体」は、「旅人にたいする地平線」のように、その都度後退し、けっして到達はできない、という関係が明らかになり、自覚されて、「自己相対化・『全体知』的固定化からの解放」の道が開け、相互交流もそれだけ円滑に進められるのではないか、と期待されました。ちなみに、1964年のヴェーバー生誕100年シンポジウムで、ヤスパースの意義が、たんに「精神病理学者・自然科学者としてザッハリヒカイトを重視-強調した」(丸山真男)と、平板に集約されるに止まり、そのまま疑われてはこなかったのですが、これも、ある専門学科における研究水準を象徴しており、それがいまもって改められないのは残念です。

つぎに ②「責任倫理」問題ですが、小生はかねがね、ヴェーバー多用する、さまざまな「二分法の論理的特性に注意を留めてきました。たとえば、[心意倫理Gesinnungsethik成果 (結果) 倫理Erfolgsethik(これがしばしば「心情倫理と責任倫理」と誤解-誤記されていますが)、「価値判断と事実認識」、「自然科学と文化科学」(「法則定立学と個性記述学」)、「観察と理解」などです。これらはいずれも、双方を形式論理的には峻別しながらも、たんなる区別や、ある個別学科を位置付けるための概念的準拠枠の提出に止まるものではないと思われます。むしろヴェーバーは、同時代の思想状況における「論争」の「対立二項-二極を、まずはそのように明晰に区別-概念規定し、しかしそのうえでは、双方をむしろ「対抗的相互補完関係」として捉え返し、いうなれば「弁証法」的に「止揚」「統合」しようとします。そこで、たとえば「心情倫理と結果倫理」にたいする「責任倫理Verantwortungsethik」という第三の範疇を立て、目標に据えて、両者間の緊張関係を引き受け、実践として現実に生き抜こうとするわけです。

ところが、戦後日本の「知識人」は、もともと、時流に抗う「心意Gesinnung」や「明晰Klarheit」は持ち合わせない「結果至上主義者」だったのでしょうか。直前の「軍国主義者」にも、自分たちの先を行こうとしていた「左翼急進派」にも、「心情主義」という(それ自体として否定的で「便利な」)レッテルを貼って、自己義認自己正当化に到達しようとし、そういうイデオロギーを、なんとヴェーバーの「心意倫理Gesinnungsethik」にもおしかぶせて、誤解・誤読・誤記を普及―定着させてしまったようです。そういうことでは、キルケゴールの純粋「心意倫理」と、ヘーゲルーマルクス流の畢竟「歴史的結果倫理」との対立を「止揚」しようとした、ヴェーバーの思想的境位(詳しくは、前著『東大闘争総括』、第Ⅲ部をご参照ください)に迫ることはできますまい。そろそろ、そういう呪縛を払拭して、再出発すべき時期に来ているのではありますまいか。

ちなみに、小生には、ヴェーバーに取り組む以前に(当時はまだ、世界思潮の双極をなしていた)実存主義とマルクス主義との対立の狭間に落ち、「難船者」「マージナル・パースン」として脱出口を模索した一時期がありました。そのうえで、双方を架橋する媒体として、ヴェーバーの思想的営為に着目し、かれの生活史と思想形成の動態をフォローしたのです。そのため、(第一次世界大戦直後の、学生団体の委嘱にもとづく学生向け講演)『職業としての政治』『職業としての学問』のみから「心情倫理と責任倫理」論を読みとった人とは、おのずと異なる解釈-読解に行き着いたのかもしれません。

 

拙著の企図を正面から受け止めてくださった貴兄の書評に、同じく正面から応答すべく、思わず長文をしたため、お時間をとって、申しわけございません。

それでは、どうかご自愛のうえ、良い新春をお迎えください。

敬具

20221215

折原 浩

 

なお、本書状は私信ではありますが、内容上、『週刊読書人』紙上に公表された書評への応答で、公開への支障はなく、むしろ応答内容を期待される読者もおられると予想されますので、このホームページに掲載-公表させていただきます。

2023112

折原 浩