論評: NHK Eテレ「日本人はなにを考えてきたのか」「近代を超えて~西田幾多郎と京都学派」(20131月放送、2014810日、AM 1: 002: 30 再放送)

 

「近代を超えて~西田幾多郎と京都学派」を拝見しました。

 

人間存在の根源を求めて思索した西田でしたが、時代が侵略戦争へと向かうとき、(社会科学的分析と批判に乗り出さず、引きずられて抽象的な言辞を弄し、侵略戦争を正当化する) 弟子たちに、一言「止めろ」といえず、みずからも最終的には軍部の要請に応じて、言葉を弄したようです。

水面で互いに絡み合いながら安定を保とうとする水草群の一部 (知識人部分) で、水底に根を下ろし、絡み合う仲間がいなくとも、孤立無縁でも「流れに抗する」 (少なくとも沈黙は守れる) 水茎ではなかったのでしょう。

 

西田の直系・京都学派には属さず、西田の勧めでカール・バルトのもとに留学した滝沢克己は、戦後になって、その点を深く反省し、学園闘争にコミットしました。番組が、その滝沢を採り上げなかったのは、残念です。

 

ただ、その滝沢も、学園闘争当時、提起された具体的問題にかんする社会科学的な分析はなく、いきなり「人間の原点」「絶対矛盾的自己同一」「神と人との不可分・不可同・不可逆の原関係」「インマヌエルの原事実」に直行する言説は、小生にはいささか不満でした。その主観的意図に反して、闘う学生の関心を、状況における具体的事実の愚直な究明から、抽象的ラディカリズムに逸らすのではないか、これでは、時代状況の大波をかぶると、抵抗できず、再度、京都学派の二の舞を演じるのではないか、と危惧されました。

 

その後、「滝沢克己協会」ができて、『思想のひろば』という機関誌を発行していますが、小生は、寄稿していません。そうする力量も余裕もありません。

というよりも、滝沢哲学を、自分の直面する状況で、どう具体的に活かすか、が肝要で、各人のそうした取り組みを抜きに、その報告なしに、西田-滝沢哲学の意義を抽象的に論じても始まらない、と思うからです。

抽象的にしか語れない存在論を確信しつづけるのはよいとして、それに反する(広義の)偶像崇拝に直面したとき、具体的に立ち向かい、相手が強くて当面どうにもならないと察したら、引きずられて言葉を操るのではなく、せめて沈黙すること、これが「最後の一線」で、番組のメッセージともとれます。小生は、1969-72年、東大闘争裁判が集結し、授業と教授会に復帰した後、しばらくはそうするほかはありませんでした。

 

なお、戦後の丸山ら社会科学的知識人も、815後に、いち早く三木清を獄中から救い出し、そのうえで、かれらの戦争責任を徹底的に問うべきでした。しかし、丸山らは、そういう手順を踏まず、前のめりに「戦後復興」「民主化」に走りました。かれら自身、そういう啓蒙的知識人のままでしたから、「1968-69年学園闘争」に直面しても、「目に見えない壁を乗り越えて」学生の問いに向き合おうとはせず、機動隊再導入の責任をもっぱら相手に転嫁し、「あとから繰り言を弄した」のも当然、と思われます。

 

一言、感想まで。2014812日 折原浩