「第3 日独社会学会議」に向けて (4)

 

(承前)

4. 「カテゴリー論文」と「旧稿」冒頭 (Ⅰ「概念」篇-3「社会と経済」章) との関連

 Ⅰ「概念」篇-3「社会と経済」章も、「概念」篇-2「法と経済」章と同じく、三つの節から構成されています。しかし、前章とは異なり、§1で、早くも「社会と経済との原理的関係」が定式化され、§2では「ゲマインシャフト (社会) の経済的被制約性」が、「経済的利害関心にもとづくゲマインシャフトの閉鎖と拡張」の四類型によって、§3では逆に、「ゲマインシャフト (社会) の経済的意義 [経済制約性]」が、「ゲマインシャフトにおける (ゲゼルシャフト形成を維持するための) 給付調達-需要充足様式」の五類型によって、それぞれ例解されます。

  §1は、「圧倒的多数のゲマインシャフト形成態Vergemeinschaftungenは、経済となんらかの関係にある」との書き出しに始まり、「経済行為Wirtshaften」が、目的合理的行為一般ではなく、「経済的事態」に主観的に準拠してなされる目的合理的行為に限定されます[1]。「経済的事態」とは、「ある欲求ないし欲求複合にたいして、その充足に必要な手段および可能的な行為の準備が、行為者の評価において相対的に稀少knappな事態」の謂いです。そのうえで、経済行為が、主観的に抱かれた目的の観点から「需要充足Bedarfsdeckung(現にある自分自身の欲求を充足するための行為) と「営利Erwerb(希求される財の相対的「稀少性」という経済に固有の事態を利用して、その財の処分から自分自身の「利得Gewinn」を引き出そうとする行為) とに分けられます。

  そのあと(第2段)に、「社会的行為das soziale Handelnは、経済にたいして多種多様な関係にある」[2]という一文が出てきて、突如 «社会的行為» という «基礎概念» の術語が現れます[3]。これはおそらく、第一次編纂者による書き入れでしょう。というのも、つぎの段では、当の「多種多様な関係」について、①「経済ゲマインシャフトWirtschaftsgemeinschaft」、②「経済にも携わるゲマインシャフトwirtschaftende Gemeinschaft」、③「多目的中のひとつとして経済的目的も追求する混合ゲマインシャフト」、④「経済とはかかわりのないゲマインシャフト」、および ⑤「経済を統制するゲマインシャフトwirtschaftsregulierende Gemeinschaft」という分類 (「類的理念型」) が導入されますが、そのうちの①②および⑤は、それぞれつぎのように規定されています。すなわち、①は「関与者の主観的意味において、もっぱら経済的成果 (需要充足ないし営利) を目指すゲゼルシャフト行為によって基礎づけられたbegründetゲマインシャフト」、②は「主観的に目指された別の成果にたいする手段として、みずからの経済行為利用する、そうしたゲゼルシャフト行為によって基礎づけられたゲマインシャフト」、⑤は「(漁業組合やマルク組合仲間のように) 関与者の経済行為の統制を固有の目的とするゲゼルシャフト形成に媒介されたゲマインシャフトvergesellschaftete Gemeinschaft」という規定です。これらは、「カテゴリー論文で定立され、「旧稿に適用された基礎範疇――すなわち、「ゲマインシャフト関係」を「ゲゼルシャフト関係」の上位概念とし、しかも、ゲゼルシャフト形成は通例、その合理的目的「の範囲を越える」ゲマインシャフト関係を「創成する」という含意のある基礎範疇――を念頭に置いて、初めて意味が通ります。ところが、«基礎概念» 変更されている«ゲマインシャフト» «ゲゼルシャフト» 対概念を持ち込んだのでは、「«ゲゼルシャフト形成» によって基礎づけられた、あるいは媒介された «ゲマインシャフト»」とは何のことか、分からなくなります。ところで、術語変更の追跡を怠って、«基礎概念» の基礎範疇をそのまま「旧稿」に持ち込んでいた第一次編纂者は、これら (①②および⑤) の規定に直面して戸惑い、「これでは読者も当惑するにちがいない」と、じつは同義反復の上記一文を冠して、読者の「理解」を「助け」ようとしたのではないでしょうか。ところが、そのあと、(かれらには)「不可解な」術語用法の類例がつぎつぎに出てくるので、不得要領のまま、それ以上のテクスト介入は断念したのでしょう。

  さて、そのように多種多様であっても、圧倒的多数のゲマインシャフトは、一方ではその発生・存続・構造形式・経過において (「唯物史観」の想定する「一義的被規定関係」ではなくとも)「経済によって制約され」、他方では、それ自体として「固有法則性」をそなえ、経済以外の原因によっても構造形式を規定され、これはこれで「経済的意義を帯び」、「経済を制約」します。ただし、経済とゲマインシャフト行為との、そうした相互制約関係が、いつ、また、いかにして生ずるか、なにか一般的な定式化をおこなうことはできません。ただ、双方の「親和性」の度合い、すなわち、双方がそれぞれの存立において、どの程度、互いに促進し合っているか、それとも逆に、阻止ないし排除しあっているか (つまり互いに「適合的」か「不適合的」か) については、ある程度一般的な陳述も可能です。

 

そこで、ヴェーバーは、そうした適合的諸関係に、以下「じっさいの事象にかかわる諸章」(折原編では、「社会」篇と「支配」篇) で繰り返し論及するであろう、と予告したうえ、§2で、まずはゲマインシャフト行為の経済的被制約性――つまり、経済的利害関心が、どのように特定の性格をそなえたゲマインシャフト行為を引き起こし、(多くのばあい)ゲゼルシャフト形成をもたらすのか――につき、四つの類型を設定して例解します。

1.     ある経済的シャンスが「稀少」になって競争が激化すると、特定のメルクマール (属性、業績) を決め、その該当者で当のシャンスを対外的に独占し、ゲマインシャフトを閉鎖schliessenしようとする法則的傾向性が生じます。ゲマインシャフトの内部では、独占されたシャンスが、該当者に配分され、「輪番から、返還条件付き、終身、一定条件付きを経て、自由な『専有Appropriation(私的所有)へ」と、対内的閉鎖の度合いも強められるでしょう。そのさい、独占と配分、「(対外的-対内的) 閉鎖」のために、特定の秩序が制定され、「ゲゼルシャフト関係」が形成されます。「特定のメルクマール」が「業績」に求められるばあいが「ツンフトZunft」で、この一般概念には、「手工業ツンフト」の他、「戦士ツンフト」なども含まれましょう。

2.     一群の人びとが、あるゲマインシャフトの観念的-物質的利害関心を「代表vertretenする」役割を引き受け、これを「糧として生き」、規約を制定して「機関Organを設立するようになると(つまり「ゲゼルシャフト形成」がなされると)、かれら自身の「職業的berufsmässig」利害関心が、当のゲマインシャフトの存続Existenz (こんどは) 拡張Propagierungへの有力な支柱となり、従来の (間歇的で非合理的な)「臨機的行為Gelegenheitshandeln」も(計画的で合理的な)「経営Betrieb(継続的ゲゼルシャフト関係) に組織化されましょう。しかし他面、(当のゲマインシャフトの創始期には、関与者一般も抱いていた)意味や理想への情熱や信仰が冷めた後々までも、当の「存続と拡張」が自己目的として追求されることにもなりましょう。

3.     自発的加入にもとづく「目的団体Zweckverband」は通例、加入志願者にたいして、当の目的達成に必要な資格や能力「の範囲を越えてübergreifend」、行状や人柄までも審査の対象としますが、加入を認められた構成員は、まさにそれゆえ、審査に耐えて認証された「人物」として「正当化legitimieren」され、内部的にもさまざまな「コネKonnexionen」を培うことができましょう。「目的団体」(ゲゼルシャフト関係) への加入から、そうした「諒解関係」が「創成」されると、そのメリットを既得権として独占しようとする利害関心も「派生」し、ゲマインシャフトの (上記1. のばあいとは異なる)「閉鎖」が招来されましょう。

4.     第一次的には経済的なゲマインシャフトも、その「存続と拡張」への利害関心から、対外的に、経済上その他の利益」を約束したり[4]、他のゲマインシャフトに参入したり、みずから「経営」に乗り出したりもするでしょう。

これら1.4. はいずれも、「社会 (諸形象) の経済的被制約性」にかんする一般経験則ですが、内容としては、ゲマインシャフトがゲゼルシャフト形成をともないながら、あるいはゲゼルシャフト形成が諒解関係を派生させながら、閉鎖されたり、逆に拡張されたりするさい、背後ではたらいている経済的利害関心を鋭く取り出して定式化しています。この意味で、「かの合理化とゲゼルシャフト形成の過程が、すべてのゲマインシャフト行為を捉えて拡大-深化するありさまを、あらゆる領域について、発展のもっとも本質的な駆動力として追跡する」課題を、とくに経済との関連に力点を置いて追求する「旧稿」に相応しい、概念的導入部であり、具体的展開に向けての「台座」である、といえましょう。

 

他方、(経済によってそのように制約される) ゲマインシャフトのほうも、いったん成立し、構造形式がととのえられると、翻って経済を制約します。ヴェーバーは、こんどはこの側面について、§3で、ゲゼルシャフト形成をともなうゲマインシャフトにおいて、当のゲゼルシャフト行為を維持していくのに必要な給付が、どのようにゲマインシャフトの構成員に割り振られ、調達され、充足されるか、という観点から、つぎの五類型を設定し、そのうえで、それぞれの様式が、当のゲマインシャフトの経済に、どう反作用するか、を問います。すなわち、①オイコス的oikenmässig(純共同経済的rein gemeinwirtschaftlich、純実物経済的rein naturalwirtschaftlich、②(貨幣)貢租と市場(購入)によるabgaben- und marktmässig、③みずからの営利経営によるerwerbswirtschaftlih、④賛助と後援によるmäzenatisch、および、⑤積極的ないし消極的な特権付与=負担配分positiv od. negativ privilegierende Belastung(ライトゥルギーLeiturgieによる給付調達=需要充足、という五類型です。

このうち、たとえば①③および⑤が、私的資本の形成を排除したり、営利追求の方向転換を強いたりするのにたいして、②はひとまず、資本主義の発展に一義的に有利と見られましょう。しかし、それには、大衆課税のため、合理的に機能する「官僚制Bürokratie(という行政技術上の条件) が必要とされます。また、草創期の幼弱な「産業資本主義industrieller Kapitalismus」が、動産beweglicher Besitzにたいする過重な貢租賦課にあえいで窒息させられないためには、「動産にたいする事実上の優遇措置(ばあいによっては特権付与)」としての「重商主義Merkantilismus」が、 (少なくとも幼弱期を脱して資本蓄積の軌道が敷かれるまでの期間) 採用されなければなりません。

著者はここで、動産への課税という (一見特殊な) 問題に踏み込み、近世初頭以降のヨーロッパの世界史的特異性」に論及します。すなわち、そこでは、(「封建制Feudalismus」から「身分制 (等族) 国家Ständestaat」をへて「合理的官僚制」にいたる) 独特の支配構造をそなえ、ほぼ同等の勢力をもった政治形象が、ヨーロッパ亜大陸の覇権をめぐって互いに競争闘争し合いさればこそ「移動-離脱が自由な」動産をそれぞれの勢力下に引き止めておこうと、「重商主義」を採用し、それぞれのゲマインシャフト内の、これまた独特の産業資本主義」と提携し、その発展を促した、というわけです。

つまり、ヴェーバーはここで、「概念」篇を結ぶにあたり、(そういう「近代産業資本主義の政治社会的被制約性」を一環として含む)「普遍的諸要素のヨーロッパ近世に特有の個性的な互酬-循環構造」の一端を前景に取り出し、同時に、(そうした構造が成立する前夜における)「普遍的諸要因のヨーロッパ中世に特有の個性的な布置連関」への「因果帰属」を示唆しています。そのようにして、以下の「社会」篇、「支配」篇で、何に照準を合わせて一般概念(類-類型概念)を構成していくのか、「じっさいの事象にかかわる諸章」における「関心の焦点focus of interestの所在を予示している、と見ることができましょう。

 

以上が、「概念」篇-3「社会と経済」章の内容骨子です。これまた、「カテゴリー論文」で定立され、「概念」篇-2「法と経済」章でシュタムラー批判をとおして展開された「ゲマインシャフト行為と秩序の合理化にかんする四階梯尺度」が、こんどは経済との相互制約関係」に適用され、「社会」の合理化としてのゲゼルシャフト形成と、経済行為(とくにその合理的展開としての「近代産業資本主義」)との「適合的」関連が、一般的に定式化され、例解されて、以下「社会」篇、「支配」篇における)具体的展開への礎石が据えられ、あわせて、概念構成の方向と比重を規定する「関心の焦点」の所在が示されました。

しかも、「カテゴリー論文」との密接不可分の関連は、術語の一致と理論展開の脈絡ばかりでなく、前後参照指示のネットワークによっても立証されます。すなわち、この章には、全部で11個の参照指示が付され、そのうちの5個が前出参照指示ですが、上記§2中の3.すなわち「ゲゼルシャフト形成は通例、その合理的目的「の範囲を越える」ゲマインシャフト関係 (諒解関係) を創成する」というお馴染みの論点に付された、ふたつの前出参照指示Nr. 24Nr. 25が、いずれも「旧稿」中の前段を飛び越え、「カテゴリー論文」第29段の末尾に、(論点内容ばかりか、「ボーリング・クラブ」という例示・認識手段さえ一致する) 被指示箇所を見出します。

 

また、このⅠ-3の末尾には、従来版では 「社会」篇-1「家、近隣、氏族、経営とオイコス」章の冒頭に置かれ、唐突との印象を免れなかったつぎの一節を、繰り上げて配置するのが適正でしょう。そうすれば、Ⅱ-1章の不自然な出だしが是正され、この一節自体も、「概念」篇から「じっさいの事象にかかわる諸章」() への「架橋句」、後者全体の「構成 (にかんする) 指示句」として、その位置価を回復します。その一節とは、こうです。

「もろもろのゲマインシャフトの需要充足は、それぞれに特有の、しばしばきわめて複雑な作用をそなえているので、その究明は、この (個別事例はもっぱら一般概念の例示として参照される) 一般的考察には属さない。

  ここではむしろ、われわれの考察にとってもっとも重要な種類のゲマインシャフトにつき、その本質を手短に確定することeine kurze Feststellung des Wesens der für unsere Betrachtung wichtigsten Gemeinschaftsartenから始める (もろもろのゲマインシャフトを、ゲマインシャフト行為の構造・内容・および手段を規準として体系的に分類する課題は、一般社会学に属し、[その種の「一般社会学」は] ここではいっさい断念する)。そのさい、ここで論及されるのは、個々の文化内容 (文学・芸術・学問など) にたいする経済の関係ではなく、もっぱら『社会』にたいする経済の関係である。そのばあい『社会』とは、人間ゲマインシャフトの一般的構造形式allgemeine Strukturformen menschlicher Gemeinschaften にほかならない。したがって、ゲマインシャフト行為の内容上の方向が考慮されるのは、それらが特定の性質をそなえ、同時に経済を制約するような、ゲマインシャフトの構造形式を生み出すばあいにかぎられる。これによって与えられる限界 [内容上、どのような方向性をそなえたゲマインシャフト行為を、どのくらいの比重をかけて、どれだけの紙幅を割り当てて論ずるか] は、徹頭徹尾流動的である。いずれにせよ、ここで取り扱われるのは、きわめて普遍的な種類のいくつかのゲマインシャフトのみnur einige sehr universelle Arten von Gemeinschaften である。以下ではまず、そうしたゲマインシャフトの一般的な性格づけallgemeine Charakteristikがなされ、それらの発展諸形態Entwicklungsformenは、やがて見るとおり後段で、『支配』の範疇と関連づけて初めて、いくらか厳密に論じられよう。」(WuG: 212)

 冒頭にいきなり出てくる「ゲマインシャフトの需要充足」とは、明らかに、Ⅰ-3 §3で「ゲマインシャフトの経済的意義」の例解に採り上げられた題材「ゲマインシャフトにおける (ゲゼルシャフト形成を維持するための) 給付調達-需要充足」を受けており、この一節が元来、当該節§3の末尾にあったことを示しています。続篇の構成にかんする指示の範囲も、Ⅱ-1「家、近隣、氏族、経営とオイコス」章ばかりでなく、「社会」篇のみでさえなく、「支配」篇も含む、後続「じっさいの事象にかかわる諸章」の全体におよんでいます。後続の全篇が大きく、「われわれの考察にとってもっとも重要な」、しかも「普遍的な種類のつくつかのゲマインシャフトについて」、その「本質を手短に確定し」、「一般的に性格づける」「社会」篇と、「それらの発展諸形態を『支配』範疇と関連づけて取り扱う」「支配」篇とに二分されることも、確言されています。

  そのうえ、この一節には、続篇全体の叙述の本質にかんする、きわめて重要な限定が含まれています。「社会」篇と「支配」篇では、なるほど、古今東西の社会諸形象に、「概念」篇の基礎範疇と一般概念が具体的に適用展開されていきますが、なにもかも採り上げて体系的に分類する、というのではなく (その意味の「一般社会学」ではなく)、「われわれの考察にとってもっとも重要な」、しかも「普遍的な種類の」ゲマインシャフトで、「経済との関連をそなえているもの」というふうに(著者ヴェーバーの価値理念-価値視点-問題設定から)選定規準が立てられ、絞りがかけられます。じっさいには、このあと、当の規準に該当する社会諸形象として、家、近隣、氏族、種族、(宗教ゲマインデとしての) 教団、市場、政治団体、法仲間、階級、身分、党派、国民、(合理的、伝統的、カリスマ的な) 正当的支配体制、身分制等族国家、俗権-教権関係(皇帝教皇体制-教権制-神政政治体制)、都市(わけても、自治権を「簒奪」し、「非正当的支配」としていちはやく「合理的制定法支配」を樹立した「西洋中世内陸都市」類型)(未稿ながら) 近代的合理的国家アンシュタルト、近代政党、などの社会諸形象が、順次選び出され、それぞれにつき、「(われわれにとって知るに値する) 本質を手短に確定し」、「一般的な性格づけ」がなされていきます。ですから、「一般社会学」ではない、といっても、さりとて、個別事象をその個性に即して特質づけ、そうした特性を「現実の因果連関の一環」に見立て、しかるべき先行特性に「因果帰属」する「個性化」的・「現実科学」的ないし「歴史科学」的考察が、くわだてられるのではありません。ここでは、個別事象はあくまで例示認識手段として、一般概念 (類-類型概念) を構成する「一般化」的・「法則科学」的考察が意図され、そうした考察が、このあとじっさいに展開されていきます。この「旧稿」で、そのようにして構成される一般概念(類-類型概念)の決疑論体系を、中国、インド、古代パレスチナといった個別の文化圏に、こんどは個性化的に適用し、各文化総体の特性把握と因果帰属を達成しようとくわだてているのが、「世界宗教の経済倫理」シリーズです。「旧稿」の一般概念構成は、「世界宗教の経済倫理」シリーズにおけるそうした(「個性化」的な)社会学的考察との「相互補完」関係を認めたうえで、なおかつそれととくに区別しようとするばあいにかぎり、「(ヴェーバー流)一般社会学」と呼ぶのが適切でしょう。

 つぎに、(文学・芸術・学問・宗教といった) 文化内容を、どのように取り扱い、考察の射程に取り込むか、についても、絞りがかけられます。それらと経済との関係は、直接にではなく、「社会を媒介とする関係として、つまり、それらによって規定された社会の構造形式が「経済的意義を帯びるばあいそのかぎりで採り上げ、当の意義の大小に応じて論ずる、というのです。ところで、ヴェーバーの「(理解) 社会学的考察方法」によれば、「個々の文化内容」とは、「ゲマインシャフト行為が、行為者の主観的に抱かれた意味の内容に即し、特定の方向に分節化して開ける領域の、人間行為の所産にして規定根拠」を指しますから、この提言は、それぞれの(文化)領域ごとに、経済的に制約されて生ずる、ゲマインシャフト行為の構造形式を、それが経済を制約する「経済的意義の度合いに応じてしかるべき比重をかけ、しかるべき紙幅を費やして[したがって当然、量的には不均等に論じようという著者の意図の表白と受け止められましょう。このあと「じっさいの事象にかかわる諸章」では、宗教と支配(政治、法)というふたつの文化 (内容) 領域――当該「連字符社会学」の領域――が、なるほど他に優って大きな比重をかけて取り扱われます。しかし、それはなにも、「定稿ゆえの量的均衡」ではなく(モムゼンのように、「等量原則」を恣意的に持ち込むと、そう見えるだけの話で)、むしろ著者自身によって意図された整合的結果と解されましょう。

 

 それでは、「社会」篇、「支配」篇 に属する「じっさいの事象にかかわる」諸章では、「カテゴリー論文」で定立され、「概念」篇に継受され、「社会と経済の相互制約関係」の具体的探索に向けて編成され、例解もされてきた社会学的基礎範疇が、どのように「家」以下の社会諸形象に適用され、それらのゲマインシャフトに発生する「合理化とゲゼルシャフト形成の過程」が――さまざまな原生的ゲマインシャフトに簇生する当初の萌芽から、ある部位における一点突破を経て、全社会的な全面展開にいたる経緯とその諸条件に即して――、探り出されていくのでしょうか。「旧稿」の「社会」篇、「支配」篇で順次採り上げられる各社会形象につき、(膨大で、立ち入った解説は不可能ですが)少なくとも要点は摘記し、「旧稿」の「体系的統合」を見通せる地点への登攀をくわだてましょう。

 

2010113記、以下、5.Ⅱ『社会』篇の社会学的基礎範疇と体系的統合」につづく)

 



[1] 宗教上の教理にしたがってなんらかの内面的「救済財」を合目的的に追求する祈祷、「最適性」の規準にしたがう技術などは、それだけではまだ「経済行為」ではない、というわけです。

[2] WuG: 200.

[3]「旧稿」中に «社会的行為» が出現するのはここだけで、あとは無冠詞の「社会的な行為soziales Handeln」が、別の意味で、やはり一箇所に出てくるだけです。

[4] たとえば、存続を賭けて競争している宗派ないし宗教的ゼテが、勧誘の手段として、しばしば離婚-再婚条件を「ダンピング」する、というように。