「第3回 日独社会学会議」に向けて (1)

 

  来る112022日、いわき明星大学で、第3回の「日独社会学会議」が開催されます(プログラムについては、別項「第3 日独社会学会議」開催のお知らせ、をご参照ください)。折原は、その第三日目に、「『経済と社会』(旧稿)の社会学的基礎範疇と体系的統合」と題して報告します。

この会議には、カッセル大学名誉教授のヨハンネス・ヴァイス氏他、ドイツから多数の社会学者の参加を期待できますが、とくにヴァイス氏は、『マックス・ヴェーバー全集』編纂陣の依頼を受けて、「カテゴリー論文」と「価値自由論文」の編纂を担当されるそうです。

折原としては、かねてからの持論、すなわち、『全集』版「旧稿」該当巻Ⅰ/22に「カテゴリー論文」を前置し、そこで定立されている独自の(改訂稿の『社会学的基礎諸概念』で変更される以前の社会学的基礎範疇に準拠して「旧稿」全篇を読み、その「体系的統合」を突き止めなければならない、という所見を、直接ヴァイス氏に披瀝し、氏が「カテゴリー論文」の編纂と位置づけによって「旧稿にも扇の要を据えてくれるように、全力を傾注したいと思います。折原にとっては、これがおそらく、『全集』版「旧稿」の編纂にかんする、ドイツ編纂陣への「最後の意見表明」となるでしょう。

そこで、少々早いのですが、報告への準備稿の執筆を開始し、例によってこのホームページに連載していきたいと思います。なぜ、「旧稿」篇の体系的解釈を要するのか、その理由を、「ヴェーバー社会学」の「固有価値」と(一般ならびに特別の)「応用価値」から説き起こしたいので、そのままでは制限時間を越える長さになること必定です。したがって、いったん思い通りに書き上げ、あとで圧縮します。なお、術語その他に、頻繁に原語を添えているのは、当日同時通訳をしてくださる方の負担を少しでも減らすためで、他意はありません。(20101017日記)

 

 

『経済と社会』(旧稿)の社会学的基礎範疇と体系的統合

Soziologische Grundkategorien und systematische Integriertheit

 des alten Manuskripts vonWirtschaft und Gesellschaft

折原浩

問題の所在――「旧稿」の誤編纂による読解不全の現状

本日、わたくしに与えられたテーマは、ご案内のとおり「『経済と社会』(旧稿)の社会学的基礎範疇と体系的統合」です。じつは、この「日独社会学会議」の前回(第2回、2001年)にも、「ヴェーバー全集Ⅰ/22(『経済と社会』〈旧稿〉編纂の諸問題」と題して、同じ趣旨の報告をいたしました[1]。また、2006年春の京都シンポジウム「マックス・ヴェーバーと現代社会――ヴェーバー的視座の現代的展開」でも、『全集』版編纂者のヴォルフガンク・シュルフター氏を迎え、「理解社会学のいくつかのカテゴリーについてÜber einige Kategorien der verstehenden Soziologie(以下、「カテゴリー論文」と略記)を「旧稿」に前置すべきかいなか、という争点をめぐって、議論をたたかわせました[2]

ではなぜ、それほど「旧稿」の編纂問題に拘るのか、といいますと、原著者マックス・ヴェーバーが「旧稿」の執筆に着手した1910年から、今年でちょうど100年になるのですが、「旧稿」はいまだに、全体として精確には読まれていない、と思われます。ではどうしてそんなことになるのか、と問われますと、(「旧稿」が桁違いに浩瀚で難解なことはひとまずおくとして)そのテクストが、全体として精確には読めないように、誤って編纂されているため、と答えるほかはありません。マリアンネ・ヴェーバー編、ヨハンネス・ヴィンケルマン編ばかりか、『全集版もしかりで、全世界のヴェーバー読者に、全体として精確に読めるテクストを提供する編纂責任が、果たされていない、と折原は考えます。

 

それでは、「旧稿」の編纂は、どこで誤っているのでしょうか。

ご承知のとおり、マリアンネ・ヴェーバー編も、ヨハンネス・ヴィンケルマン編も、原著者のふたつの未定稿を、執筆順とは逆に、「改訂稿」(191820)を「第一部」、「旧稿」(191014)を「第二(三)部」に配置し、「二(三)部構成の一書ein Buch in zwei od. drei Teilen」にしつらえ、これを「著者畢生の主著」として世に送り出していました。

ところで、原著者は、「第一部」第一章「社会学的基礎諸概念Soziologische Grundbegriffe」(以下、«基礎概念» と略記。「改訂稿」関連の文献と術語には «   » を付けて区別します冒頭の注で、つぎのように断っています。「『ロゴス』誌第四巻の論文[「カテゴリー論文」(1913)]に比べて、ここ [«基礎概念» (1920)] では、できるだけ理解しやすいように、術語は極力、簡潔に改め、したがってまたずっと変わってきているmehrfach verändert[3]

つまり、「旧稿」に適用されている術語は、さしあたり執筆期の一致から、「カテゴリー論文」の術語(そこで定立される基礎範疇に当てられた術語)である公算が大ですが、「改訂稿」ではそれが「ずっと変わってきている」というのです。としますと、「旧稿」・「第二 () 部」の術語は「改訂稿」・「第一部」の術語と「同一である」と決めてかかるわけにはいきません。まずは、「カテゴリー論文」「旧稿」「改訂稿」、三者の術語を、網羅的に拾い出し、その間の異同を逐一検出しなければなりません。

そこで、その作業をじっさいにやって見ますと[4]、「旧稿」の術語は、「カテゴリー論文」の術語と一致し[5]、「改訂稿」の術語は、そこから確かに変更されています。ここでいくつか実例を先取りしますと、「カテゴリー論文で定義され、「旧稿に適用されている「ゲマインシャフト行為Gemeinschaftshandeln」「諒解行為Einverständnishandeln」「ゲゼルシャフト行為Gesellschaftshandeln」が、«基礎概念» では脱落します (そのうち、「ゲマインシャフト行為」は、«社会的行為soziales Handeln» に置き替えられます)。また、「旧稿」では、「法秩序」が、「『強制装置Zwangsapparat』によって『経験的妥当empirische Geltung』を『保障garantieren』された『制定秩序gesatzte Ordnung』」と定義され、適用されていますが、そのメルクマールをなす「強制装置」が、「改訂稿」では姿を消します。

他方、「ゲマインシャフト関係 (形成) Vergemeinschaftung」と「ゲゼルシャフト関係 (形成) Vergesellschaftung」とは、「旧稿」にも「改訂稿」にも、同じ語形で頻繁に出てくるのですが、語義は変更されています。すわなち、「カテゴリー論文」と「旧稿」では、双方が「上位-下位(概念)」の関係にあるのにたいして、«基礎概念» では、フェルディナント・テンニエス流の「対(概念)」に変更されます。「カテゴリー論文」と「旧稿」の「ゲマインシャフト関係 (形成)には、«主観的に感じられた共属Zusammengehörigkeit» にもとづく «共同社会» «共同態» という«基礎概念»で変更された後の含意はまったくなく、「ゲゼルシャフト関係」も包摂する「社会関係」一般を意味します(「ゲゼルシャフト関係」は、「ゲマインシャフト関係のうち、目的合理的に制定された秩序に媒介された特例」で、必ず「ゲマインシャフト関係」ですが、「ゲマインシャフト関係」は必ずしも「ゲゼルシャフト関係」ではありません)。この種の語義変更が曲者で、語形が同一のため、語義概念も「同一」ときめてかかりやすく、そうするとどうしても、混乱と誤読が生じてしまうのです。

しかも、これらの術語で指示される概念は、いま挙げた数例からも示唆され、後段でも論証されるとおり、「旧稿」の社会学的基礎範疇で、「旧稿」全篇がそのうえに構成され、統合されている土台そのものです。したがって、そこに生じた概念上の混乱は、個々の適用部位にかんする理解ばかりか、全篇の読解にも持ち越され、精確な体系的解釈を妨げるほかはありません。

そうした混乱と誤読の実状については、追々詳らかにしていくこととし、ここではいったん編纂問題に戻りますと、およそ編纂者は、原著者と読者との仲保者として、原著者が明言している以上、どのように術語が「変わってきている」のか、自分の編纂するテクストの全篇に当たって調べ、「旧稿」と「改訂稿」との間にある差異を明示し、少なくとも読者に、「第一部」の術語をそのまま「第二 () 部」に持ち込んで「旧稿」を読むことのないように、警告を発する責任がありましょう。しかし、マリアンネ・ヴェーバーもヨハンネス・ヴィンケルマンも、その責任を果たしませんでした。かれらは、「旧稿」・「第二 () 部」の術語は「改訂稿」・「第一部」のそれと「同一」であると思い込み、さればこそ、新旧二稿を「一書」に合体して怪しまなかったのでしょう。

 

ところが、そうした「二 () 部構成の一書」では、読者がごく自然に、普通の書籍を読むのと同じように、「第一部」の冒頭から順次読み進めていきますと、第一章 «基礎概念» 変更後の術語を、そのまま「旧稿」・「第二(三)部」に持ち越し変更前の (同形ないし類似の) 術語にかぶせて「読む」ように、仕向けられるほかはありません。そのさい、読者が、新旧両稿間の術語の不整合に気がつき、たとえば「«基礎概念» 中の «Vergesellschaftung»[6] は、『第二 () 部』の同じ語形Vergesellschaftungと同義ではなく、そのまま『第二 () 部』に持ち込むと、概念上は齟齬をきたす」と察知し、そこから (同一視に誘導する) 編纂そのものを疑問に付し、独自に語義の詮索に乗り出せば、ことなきをえましょう。しかしそれは、読者の一人一人に「編纂者の肩代わりをせよ」「マリアンネ・ヴェーバーやヴィンケルマン以上のことをせよ」と要求するようなもので、いかにも無理です。むしろ読者も、編纂者と同じく不整合に気がつかないか、あるいは気がついてもそこから術語の網羅的検索に乗り出し、「旧稿」の術語には固有の(「第一部」«基礎概念» で定義される、変更のそれとは異なる概念規定が与えられている事実と、その出典 (「カテゴリー論文」) とを突き止め、整合的richtigな概念規定に即して「旧稿」を精確に読み直すところまでは、なかなか到達しないでしょう。じつは、「旧稿」読者のうち、最高度の専門家ともいえる邦訳者、しかもそのうち自分が邦訳を担当する部分の術語の意味を «基礎概念» に遡って確認しようとした良心的訳者も、おそらくはまさにそれゆえ、不整合を感知し、«基礎概念» から持ち込んだ術語と、持ち込み先「旧稿」における用例のコンテクストとの齟齬に戸惑い、訳語の選定に迷いながらも、そのつどルビを振る (良心的) 措置にとどまり、邦訳底本の誤編纂を問い返すにはいたっていません[7]

そういうわけで、『経済と社会』初版以来の誤編纂・(意図せざる) 誤誘導のいわば後遺症が、原著者による術語の変更を看過ないし無視する混乱と誤読として、いまだに尾を引いています。しかも、問題は、術語用法上の些細な誤差にはとどまりません。問題が、そのようなものとして軽視されがちであるとしても[8]、じつはそうであればあるほど、ことが「ゲマインシャフト」や「ゲゼルシャフト」といった社会学的基礎範疇にかかわる概念上の混乱であるだけに、それらの術語を用いた個々の部分が精確には解き明かされないばかりか、そうした基礎範疇のうえに構築された全篇の体系的統合を見通すことも困難となります。そのようにして「旧稿」は、それ独自の社会学的基礎範疇に準拠して体系的に読解されることなく、一世紀が過ぎました。

 

それでは、前世紀末から刊行され始めた『全集』版はどうでしょうか。

遺憾ながら、『全集』版の編纂陣は、「旧稿」独自の社会学的基礎範疇に依拠する全篇の再構成・編纂という課題を、初めから断念し、放棄しました。そうする代わりに、全篇を、題材別に五分巻(第一「諸ゲマインシャフト」、第二「宗教ゲマインシャフト」、第三「法」、第四「支配」、第五「都市」)に分け、別々の編纂担当者を当て、それぞれ別個の刊行を急ぐ解体方針を採用したのです。

さて、「二(三)部構成の一書」編纂が、マリアンネ・ヴェーバーの創作した虚構で、ヴィンケルマンがそれを踏襲したうえ、原著者自身の構想と称して正当化していたことは、1977年、フリードリヒ・H・テンブルックの画期的批判によって暴露されました[9]。そのあとを受けた『全集』版編纂陣としては、そうした先行編纂にたいする批判的総括を徹底させ、(テンブルックの批判によって初めて) 永年の誤編纂から解放されたテクストを、こんどこそ原著者自身の意図に即して適正に――したがって、「旧稿」自体の社会学的基礎範疇にもとづく全篇の体系的構成を見通し、全体として精確に読めるように――再編纂すべきでした。しかし、じっさいには、そうすることの困難を回避し、「羹に懲りて膾を吹く」かのように、無難な解体に走ったのです。

第五版までの『経済と社会』が「合わない頭を付けたトルソTorso mit einem verkehrten Kopf」であったとしますと、『全集』版「旧稿」該当巻は、(なるほど、分巻のひとつひとつをとってみれば、相応の編纂がなされていると認めるにせよ、全体としては)「そもそも頭のない五死屍片fünf Stücke einer Leiche ohne Kopf」というほかはありません。原著者本来の構想と基礎範疇が、どこにも明示されていません。そのため、五分巻を相互に繋げ、「ひとつの企画として相応の統合性をそなえた全体」として読むことができず、その手掛かりさえ、(『全集』版編纂者また各分巻編纂担当者の「解説」としても)与えられていません[10]。けだし、『全集』版編纂者自身もまた、マリアンネ・ヴェーバーやヴィンケルマンと同じく、「旧稿」を全体として精確に読んではいなかったのでしょう[11]

 

それにたいして、折原は、ドイツの『全集』版編纂陣が、全世界のヴェーバー読者に、全体として精確に読めるテクストを提供してくれるように、期待しました。ただ、日本からの『全集』版予約講読者が、全体の三分の二を占める実情を考慮するにつけても、ドイツにおける編纂の成果をひたすら待望する「受益者感覚」に甘んじていていいのか、――そういう日本学問の永きにわたる欧米依存のスタンスに、かねがね疑問を抱いていました。したがって、この件にかんするかぎり、日本における細密なヴェーバー研究の進捗も踏まえ、編纂そのものにも協力し、できることなら応分に寄与して、日独の学問的交流を対等な関係に近づけたい、と考えたのです。そこで、「旧稿」テクストの適正な編纂には欠かせないと思われる (にもかかわらず、編纂陣内ではなぜか着手されていない) 術語一覧や参照指示ネットワーク一覧のような基礎資料を作成し、そのつど独訳しては編纂陣に送り届けました[12]。もとより、ドイツの編纂陣が全世界に最良の『全集』版テクストを提供してくれるように、ひたすら願ってのことです。

なるほど、『全集』版編纂陣の「旧稿」解体方針には、趣旨一貫して批判を対置しました。しかしそれも、「批判のための批判」ではなく、本来は編纂者がなすべきことを (編纂者に代わって) なし、採用可能な具体的提言にまとめる「積極的批判positive Kritik」で、『全集』版テクスト編纂への「批判をとおしての協力」のつもりでした。

 

そのさい、確かに、「全体として精確に読める」という水準には拘りました。それには理由があります。従来どおり、「旧稿」中の「連字符社会学」群から、任意のひとつ(「宗教社会学」なり「法社会学」なり「支配の社会学」なり「都市社会学」なり「経済社会学」なり)を、全篇の体系構成におけるそれぞれの位置価Stellenwertには拘らず、読者側の専門的観点から任意に抜き出して活用するというのも、なるほど一法で、それに異を唱えるつもりはありません。しかし、それだけでしたら、旧来の諸版でもけっこう役に立ち、『全集』版の編纂に殊更期待しなくても済む話です。『全集版の新編纂には、まさに『マックスヴェーバー全集一環として、安易な題材別分割とは正反対に、原著者マックス・ヴェーバーそのひとが、ひとつの企画として、そうした多様な題材群を、どのように理論的体系的にひとつのヴェーバー社会学」に統合しようとしていたのか、また、それはなぜか、そうした本来の姿と固有価値」を、少なくとも従来版以上に復元し、更新のメリットを示すことが、要求され、期待されていたのではないでしょうか。

 

また、折原が、「全体として精確に読める」水準に拘るにつけては、そうした一般的・形式的理由に加えて、ヴェーバーの学問総体にたいする折原なりの思い入れがあります。「ヴェーバー社会学」の「固有価値Eigenwert」を突き止め、その「固有価値」を十全に踏まえた「応用価値Anwendungswert一般ばかりでなく、わたくしたち日本人にとって特別の「応用価値」活かすには、どうしても「旧稿」全篇の精確な読解とその「潜勢Potenzの継承を必要とします。この点、次節で少し敷衍してご説明しましょう。

 

1. 「ヴェーバー社会学」の「固有価値」と「応用価値」――人間協働生活の総体にわたる類-類型概念の決疑論体系を提供し、普遍史的パースペクティーフへの脱皮を促す「歴史研究への基礎的予備学」

ヴェーバー著作のうちでもっとも慣れ親しまれている「倫理論文」を起点に据え、そこから議論を始めますと、この論文はご承知のとおり、「(近代) 資本主義の精神」と名づけられる「経済倫理Wirtschaftsethik」を研究対象とし、その特性Eigenartを「職業義務観を核心とするエートス」として把握し、これを「禁欲的プロテスタンティズム」の「宗教倫理」に因果帰属kausal zurechenする「純然たる歴史叙述rein historische Darstellung[13]です。末尾では一瞬「精神なき専門人、心情なき享楽人」の輩出、という未来予知にも踏み込んでいます。

ところで、ヴェーバーは、同年に発表された「客観性論文」[14]で、かれの考える「社会科学」ないし「社会経済学」に、① (研究対象を位置づける) 予備研究、②当の対象の特性把握、③その特性が「なぜかくなって、他とはならなかったのか」を説明する因果帰属、および 未来予知、という四つの階梯を設定しています。としますと、「倫理論文」には、そのうちの①だけが、少なくともそれと分る叙述としては出てきません。ですから、「倫理論文」はひとまず(歴史的変遷を貫いて存続してきた「人間協働生活」の総体にかんする、なにか包括的なパースペクティーフのなかに) 研究対象の特性とその因果帰属先を位置づけることはない、「任意の個別研究」だったといえましょう。

ところが、「倫理論文」のふたつの章のうち、「問題 (提起)」と題されている第一章の末尾では、宗教改革期という西欧史の一断面につき、宗教・倫理・思想・社会・政治・経済といった (人間行為の分節化) 諸領域の間に「おそろしく複雑な相互作用gegenseitige Beeinflussungen」があったと想定し、この論文では、「宗教上の運動」が、職業倫理との「選択的親和関係Wahlverwandtschaften」を介して「物質文化の発展」におよぼした影響のあり方と方向に、研究課題を限定する、と断っています[15]。また、本論をなす第二章「禁欲的プロテスタンティズムの職業倫理」の末尾では、残された研究課題のひとつに、「プロテスタンティズムの禁欲自体が、逆に、その生成過程と特性において、社会的文化諸条件の総体、とりわけ経済的条件によって深く影響されている」という側面の究明を挙げ、「倫理論文」をこう結んでいます。「わたしにはもとより、一面的な『唯物論的』歴史観に代えて、これまた同じく一面的な、文化と歴史にかんする唯心論的な因果的説明を定立するつもりは毛頭ない。両者とも等しく可能であるが、予備研究Vorarbeitとしてではなく、結論として主張されるとなると、等しく歴史的真理には役立たない」[16]と。

ということは、裏返せば、「等しく歴史的真理に役立つ、唯物論的また唯心論的な予備研究は可能」と想定され、(潜勢としては) 主張されている、とも解せましょう。では、そうした予備研究とは、いかなるものでしょうか。そこでは、唯物論と唯心論との対立が、いかに止揚され、(人間行為の分節化) 諸領域間の「おそろしく複雑な相互作用」の究明に、どう「役立て」られるのでしょうか。いずれにせよ、「倫理論文」の著者には、この「純然たる歴史叙述」における自己限定の枠を突破し、近代ヨーロッパ人の実存と運命を、総体として捉え返さずには止まない、なにか包括的な展望と認識への「潜勢」が漲っている、というほかはありません。

 

さて、発表は二年後(1906年)の「文化科学の論理学の領域における批判的研究」(以下、「マイヤー論文」と略記)では、この「潜勢」が、問題の再定立に結晶します。「『近代』文化の総体、すなわちヨーロッパに『端を発する』……[宗教上は] キリスト教的・[経済上は]資本主義的・[政治上は] 法国家的な文化」を、「多種多様な観点から、文化諸価値の巨大な糸玉として」捉え、(西欧の)「近世」を越え、「中世を経て古代にまで」因果遡行を進める、というのです。さしあたりは西洋文化圏の枠内で、研究対象の領域が、宗教と経済倫理から、経済システムと政治-支配体制、法制と国制も含む文化総体へ、また、因果帰属の遡及限界も、近世から中世、古代へと拡大されたわけです。

また、「マイヤー論文」では、「因果帰属の論理」が、自然科学における「比較対照試験」を (人為的な試験は不可能な) 歴史現象に適用する「思考実験Gedankenexperiment」として定式化されました。そして、この論理が、1910年のフェリクス・ラハファールとの論争を契機に、「倫理論文」のテーゼに (そこからやがて「近代文化総体の因果帰属」の全範囲に) 適用されます。そのばあい、文字通りの比較対照試験であれば、じっさいの歴史的経過を「実験群」とみなし、条件Xとしての「禁欲的プロテスタンティズム」だけがなかった「対照群」をしつらえ、両群における結果Y(近代)資本主義の精神」の出現率を比較することになりましょう。ところが、そうした対照群の人為的設定は、歴史を元に戻して組み立て直すようなもので、じっさいにはもとより不可能です。そこで、次善の策として、「禁欲的プロテスタンティズム」と機能的に等価の「世俗内的で合理的な禁欲innerweltliche, rationale Askese」がなかった――というよりも、宗教が別の (たとえば「現世適応Weltanpassung」や「遁世的瞑想weltflüchtige Kontemplation」の) 方向に発展した――、欧米以外の文化圏を、ひとまず「対照群」に見立て、実験群としての欧米と比較し、そうした思考実験を最大限、「史実的知識ontologisches Wissen」と「法則的知識nomologisches Wissen」によって制御し、検証していくよりほかはありません。

ここで「ひとまず……見立てる」といったのは、他の文化圏における条件X 以外のX, X, ……は、歴史上それぞれ別様に与えられていて、実験群と同一に制御されてはいないからです。それでも、ある対照群においてX 以下はいずれもYの生成に有利と見られ、なおかつそこにはY が出現していないとすれば、Y の生成には条件X を欠くことができない、ということになります。「世界宗教の経済倫理」で真っ先に採り上げられる中国文化圏は、まさにそうした対照群に「見立てられて」います[17]

そういうわけで、「マイヤー論文」で定立された「西洋近代文化総体の特性把握と因果帰属」という問題が、ここでさらに、非西洋文化圏との比較という普遍史 (世界史・人類史) 大のパースペクティーフに投入され、縦横に問われ、論じられることになりました。

 

では、この「潜勢」をつきつめていくと、どういうことになりましょうか。

たとえば、「倫理論文」では任意に因果帰属の終着点とされ、いわば「孤立させられ」「宙に浮いていた」禁欲的プロテスタンティズムも、「キリスト教」の歴史的展開における特定の一宗派として捉え返されましょう。さらに、その「キリスト教」自体も、儒教、道教、ヒンドゥー教、仏教、ユダヤ教、イスラームその他、歴史上別様に発展した「世界宗教」とは異なる特定の一歴史的宗教、遡れば古代ユダヤ教から派生した一「異端」運動として、いずれにせよ、人類の宗教発展総体における特定の歴史的一分肢として、相対化されましょう。

そのようにして、人類の宗教発展総体における位置づけ(当事者としては「自己認識」)への道が開かれます。すなわち、すべての世界宗教とその分肢について、他の宗派ないし他の世界宗教の類例にはないそれぞれの特性が問われ、そうした相互比較によって抽出され、浮き彫りにされる各宗派ないし世界宗教の「特性一覧(カタログないし「決疑論」)のなかに、その一項目(ばあいによっては二項目間の「混成形態」)として、位置づけられるでしょう。

宗教以外の (経済倫理、経済システム、政治-支配体制、法制、国制など)、人間行為の他の分節化領域についても、まったく同様です。

 

ところで、そのような類例比較を企てるには、まず、何について比較するのか、何が類例をなすのか、その範囲を決める比較の観点をあらかじめ一義的に確定しておかなければなりません。たとえば、宗教についてならば、「宗教性Religionsität一般を、「理解科学verstehende Wissenschaft」の観点から、人間行為の「解明-理解が可能な」一分節(つまり「宗教的行為」領域)として措定し、その領域の (「どこにでもある」という意味で) 普遍的な構成要素や発展傾向[18]について、あらかじめ「類概念Gattungsbegriffe」を規定します。そのうえで、そうした類概念を携え、それに該当する諸事例を、もろもろの文化圏を渉猟して収集し、類例として相互に比較します。そのようにして、各文化圏に特有で他にはない分化形態ないし分岐傾向を突き止め、それぞれについてこんどは「類的理念型gattungsmässige Idealtypen」を構成し、「決疑論Kasuistik」体系に編成します。

宗教以外の諸領域についても、まったく同様です。

 

そうしておけば、ある領域のある新しい対象をとりあげて、研究に着手するばあいにも、手持ちの包括的決疑論体系から、関連のある類-類型概念を取り出し、新しい対象との照応-遠近関係を測り、当の対象を位置づけ他にはないその特性を把握して、因果帰属に送り込むことができましょう。因果帰属についても、同様にしてその特性を位置づけることができるはずです。そのようにして、どんな「任意の個別研究」も、人類史を貫いて存立してきた人間協働生活の諸領域-諸要素にかんする「類-類型概念」の決疑論体系 (これが「(ヴェーバー流の) 一般社会学」) を媒介として、それぞれ「人類史の一環」として位置づけられ、意味づけられましょう。

というわけで、もとはといえば西洋の中世(『中世商事会社の歴史』)と古代(『ローマ農業史』)に立ち向かう実証史家として出発したヴェーバーの問題設定が、「倫理論文」のような「任意の個別研究」の限界を突破し、領域、遡及限界、および文化圏のいずれについても拡大して、普遍史・世界史・人類史の性格を帯びてくればくるほど、個々の研究において因果帰属すべき特性(被説明項)も、因果帰属先の特性(説明項)も、(みずからの「価値理念」に照らして主体的に選び出されるにせよ) 無媒介にではなくあらかじめ「普遍史・世界史・人類史のパースペクティーフ」のなかに位置づけする必要が、それだけつのってくるにちがいありません。いまや、この必要に応える「歴史研究への基礎的予備学fundamentale Vorarbeit für historische Studien」として、(「客観性論文」の四階梯でいえば)「予備研究」と「特性把握」に跨がる位置に、「(ヴェーバーにとって)わたしの解する社会学die Soziologie, wie ich sie verstehe(「ヴェーバー社会学」) が創成されます。

かれは、『社会経済学綱要』(の第一回配本・第一分冊) に「序言Vorwort」を寄せた191462日から、ほどなくして歴史家フォン・ベローに書簡を送り(同月21)、「旧稿」の脱稿を予告しながら、「旧稿の本質的企図と構想をつぎのとおり簡明に伝えています。「わたしはこの冬、『社会科学綱要』[『社会経済学綱要』の誤記] へのかなり包括的な寄稿を印刷にまわすでしょう。この寄稿は、『ディレッタントは比較する』という烙印を押されるのも覚悟で、もろもろの政治団体の形態を、比較しつつ体系的に取り扱うvergleichend und systematisch behandelnものです。思うに、[西洋] 中世都市に特有なもの、ですから、まさに歴史学がわれわれに提示すべきもの……は、他の (古典古代、中国、イスラームの) 都市には欠けていたものを確証することによってのみ、展開することができますし、他のすべてについても同じことがいえます。そのうえで、そうした中世都市に特有なものを因果的に説明することが、まさに歴史学の課題です。……ところで、わたしの解する社会学こそ、そうしたきわめてささやかな予備研究Vorarbeitを提供することができます。」[19]

 

この事情は、「ヴェーバーの社会科学方法論」について一般に語られている議論に乗っかる形で、つぎのとおり敷衍することができましょう。ハインリヒ・リッカートに倣ってヴェーバーのいう「文化科学Kulturwissenschaft」では、研究対象の「特性」が、なるほど研究者の「価値理念Weltideen」との関係づけから、「知るに値するwissenswert」要素・側面・傾向として抽出され、「歴史的個性体historisches Individuum」としての「理念型」にまとめ上げられます。ここまでは、従来もよく論じられてきたとおりです。しかし、その「文化科学」もやはり「経験科学empirische Wissenschaft」であるからには、その「特性把握」が、研究者個人の「独話論的」(ましてや「独善的」)臆見の表明であってはなりません。特性把握は、自分とは価値理念を異にする――ばあいによっては他の文化圏に属する――研究者との対話ないし論争のなかで、その経験的妥当性を問われ、争われ、認証されるような、普遍妥当性客観性をそなえなければなりません。としますと、個々の研究者が、当初には自分の価値理念から直接無媒介に選び出す「特性」も、経験科学者として、そうした普遍妥当性をそなえた客観的特性把握に鍛え上げるには、類例比較によって、その特性が「他にはなく、そこにのみある」事実を立証し、対話と論争に委ねるほかはありますまい。そうした類例比較をとおして、個々の特性を客観的に捉え返し、「類的理念型」を構成し、「決疑論」に編成して、客観的な特性把握と因果帰属にそなえる学[20]――その意味における「歴史研究への基礎的予備学」――として、いまや「ヴェーバー社会学」が、「普遍史・世界史・人類史への道」を歩むヴェーバーに、まさにさればこそ必要とされ、主体的に担い直され、方法的に基礎づけられ、理論的・体系的また具体的・実証的に展開されました。

そのようにして、社会学が、「理解科学」の類型論的また「法則科学Gesetzeswissenschaft」的分肢として整備されたうえ、おなじく「現実科学Wirklichkeitswissenschaft」的分肢としての歴史研究(そのつど特定の研究対象にかかわる「現実の個性的特性把握」と「因果帰属」)に応用、展開され、そういう歴史研究の個々の成果が翻って社会学に編入され、そのようにしてそれだけ内容豊かにされる社会学が、また、つぎの「歴史研究への基礎的予備学」として活かされる、社会学と歴史学との相互媒介」「漸進的相乗的相互補完関係を創り出していこうというわけです。こうした根源的動機と、そこから生まれてくる「潜勢」に、折原は、「ヴェーバー社会学」の、他の類例にはない固有価値」を認めます。

 

では、その「固有価値」は、翻って、どういう応用価値」を帯びるでしょうか。

「ヴェーバー社会学」を学んで「普遍史・世界史・人類史」規模の類例比較に習熟することは、翻って、当の学ぶ者自身が、自分の属する文化圏で当面幅を利かせている価値理念への直接的捕縛unmittelbares Verhaftetseinから解放され、みずからをいわば「普遍史・世界史・人類史の地平」に引き上げ、そうすることをとおして当初の価値理念を相対化relativierenし、こんどは自覚的に態度決定する自由を、教養教育効果としてともなうにちがいありません。この、いうなれば「『井のなかの蛙』からの脱却」という効果に、折原は、「ヴェーバー社会学」の、上記固有価値ゆえの「応用価値」一般を認めます。

  しかも、日本を含む「欧米近代のマージナルエリア (周辺・境界・外縁を含む被影響圏)」では、欧米の同僚という類例にはない特別の応用価値」への可能性も開けます。というのはこうです。ここ四~五世紀間に、欧米列強の侵略を受け、少なくともその重圧のもとに、「強制されたが欲する」形で「開国」を余儀なくされ、「近代化」を迫られた当該諸地域 (インド、ロシア、中国、日本他) には、そうした共通の条件から、ふたつの文化現象が類型的に発生します。一方は、「経済力を背景とする軍事力」において圧倒的に優勢な「欧米近代」に倣い、その「武器」を逆手にとって対抗しようとする「ヘロデ主義」と、これにたいする反動(「同位対立」)として、相手に背を向けて伝統に立て籠もる「ゼロト主義」との対抗的併存です。他方では、欧米近代との「新たな文化接触」によって (「近代文化に飽和したkulturgesättigt」地域の人びとには絶たれて久しい)「近代化」への(同調や共鳴ではなく「驚き」を触発され、その「意味」を問い、そこから「新たな世界像」を模索し構築するシャンスが生まれます[21]

日本では、大掴みにいって、1860年代の「幕末開国」このかた、欧米近代への「ヘロデ主義」的対応が、圧倒的に優勢でした。学問も、欧米近代を、一方ではその負の現象形態 (たとえば、第二次世界大戦におけるアメリカ軍の絨毯爆撃・原爆投下・機銃掃射による非武装市民の無差別大量殺戮) について、他方ではその根源 (ユダヤ・キリスト教とギリシャ・ローマ文化) に遡って、批判的に問い返そうとはせず、むしろそれを、(たとえば「戦後 (生産力) 復興」の)「目標・規範・理想」に見立てるばかりでした。もっぱらその方向をめざして「背伸び」し、「人間存在の根源的原点からは浮き上がった、いわば「存在被拘束的seinsgebunden上げ底状態 (それと自覚することなく) 前提とし、「欧米近代」に「追いつこう」「追い抜こう」と奮闘してきたのです。そうした「上げ底」のうえに類型的に発生する (「へロデ主義」的「同調over-conformity: übermässige Abgestimmtheit」としての)「欧米近代人以上の近代主義」からは、「欧米近代」を総体として問い返そうとしたマックス・ヴェーバーも、なんと「欧米近代」の擁護者に、つまりは自分たちの守護神」に、祀り上げられてしまいます。

しかし、本来の「ヴェーバー社会学」は、そういうものではなかったでしょう。「普遍史・世界史・人類史のパースペクティーフ」をそなえた「ヴェーバー社会学」は、上記の「固有価値」にもとづく「応用価値」一般からして、「マージナル・エリア」の文化状況で学ぶ者をも、まずは、「へロデ主義」への直接的捕縛 (あるいは、「ゼロト主義」との「同位対立」) から解放する方向に作用します。しかもそのうえ、「存在被拘束的」な「上げ底」状態そのものが疑われ取り払われるならば、歴史的には受け入れられ、幾重にも折り重なってきた古今東西の諸文化と、改めて新たな文化接触」を遂げることができ、それによって「近代化」への「驚き」を触発され、問題を、(従来のように)「近代化における人間問題」ではなく、「人間における近代化問題」というふうに立て直し、「普遍史・世界史・人類史の地平」で「新たな世界像」の模索に乗り出す(「マージナル・エリア」に特有の)可能性も開けましょう。

そのさいにも、「ヴェーバー社会学」は、「上げ底のうえに林立する蛸壺の群れから、(さしあたりは) 歴史学者と社会学者を誘い出し、「対話」と「論争」に向けて解放し、マージナル・エリアの「多文化重畳性」という所与の制約をかえって「地の利」として活かす「知の媒体」として、(ここでも特別の)応用価値」を帯びて作用するでしょう。

しかし、日本でそうした特別応用価値」を活かすには、ヴェーバー研究に携わる社会学者の側が、「上げ底」上の「蛸壺」(「没意味専門経営」) に閉塞した「任意の個別研究」に、「旧稿」から抜き取った諸断片を「任意に応用する」、従来支配的だった慣行に、安らかに跼蹐しているわけにはいきません[22]。むしろ、「旧稿」全篇の体系的解釈をとおして「ヴェーバー社会学」の「固有価値」を、その範囲・射程において見きわめ、そこに宿る一般また特別の応用価値」を活かせるように、歴史学との相互交流を深め、「歴史研究への基礎的予備学」として、その包括性体系性を整備していく必要がありましょう。往時より大幅に専門化・細分化の進んだ今日、かつてヴェーバーがひとりで企てた「比較歴史社会学verstehend historische Soziologie的総合を、「誰かひとりがヴェーバーに代わって」というのは至難のことですから、わたくしたちは、歴史学者と社会学者との相互交流をとおして追求していきたいと思います。それには、まず手始めに、「旧稿」を、「歴史研究への基礎的予備学」という「固有価値」に即して、「全体として精確に」読解し、ヴェーバーの到達点を見定めなければなりますまい。

以上が、全体として精確に読める「旧稿」テクストを、待望し、追求してやまない理由です。

(20101019日現在。このあと、2. 「カテゴリー論文」における社会学的基礎範疇の定立 つづく)

 



[1] 鈴木幸寿、山本鎮雄、茨木竹二編『歴史社会学とマックス・ヴェーバー――マックス・ヴェーバーにおける歴史と社会』下、2003、理想社: 93-127、参照。

[2] Cf. Orihara, Hiroshi, Max Weber’s ‘Four-Stage Rationalization-Scale of Social Action and Order’ and its Significance to the ‘Old Manuscript’ of his ‘Economy and Society’: A Positive Critique of Wolfgang Schluchter, in: Max Weber Studies, vol. 8. 2., July 2008: 141-62.

[3] WuG: 1, 阿閉・内藤訳: 5. 下線による強調は引用者、以下同様。

[4] 拙著『ヴェーバー「経済と社会」(旧稿)の再構成――トルソの頭』、1996、東大出版会: 320-28; Orihara, Hiroshi, Über den ‚Abschied’ hinaus zu einer Rekonstruktion von Max Webers Werk: „Wirtschaft und Gesellschaft“, . Wo findet sich der Kopf des Torsos: Die Terminologie Max Webers im „2. und 3. Teil“ der 1. Auflage von „Wirtschaft und Gesellschaft“, Working Paper No. 47, Juni 1994, University of Tokyo, Komaba.

[5] この全称判断は、シュルフターの所見、すなわち「旧稿」にはふたつの執筆期があり、後期には「カテゴリー論文」の規準的意義が薄れたという見解には抵触しますが、この問題には後ほど論及します。

[6] 混同を避けるため、«基礎概念» の術語にはギュメを付しています。

[7] 世良晃志郎訳と武藤他訳におけるVergesellschaftungの訳語一覧。

[8] とりわけ「誤読こそ創造なり」と豪語し、文献の精確な読解を蔑視する「独創性」崇拝者には。

[9] Tenbruck, Friedrich, „Abschied von ‚Wirtschaft und Gesellschaft’“ in: Das Werk Max Webers: Gesammelte Aufsätze zu Max Weber, 1999, Tübingen: 123-56.

[10] とりわけ、「カテゴリー論文」からの引用が、現在では稀覯本に属する『ロゴス』誌版からなされ、読者による参照、検証を困難にしているのは、まことに不可解です。

[11] 編纂者のひとりヴォルフガンク・モムゼンの誤読例。

[12] 術語一覧については、前注4、参照。参照指示ネットワーク一覧については、cf.『ヴェーバー「経済と社会」の再構成――トルソの頭』: 301-19; Orihara, Hiroshi, Über den ‚Abschied’ hinaus zu einer Rekonstruktion von Max Webers Werk: „Wirtschaft und Gesellschaft“, . Das Authentizitätsproblem der Voraus- und Zurückverweisungen im Text des „2. und 3. Teils“ der 1. Auflage als eine Vorfrage zur Rekonstruktion des „Manuskripts 1911-13“, Working Paper No. 36, Juni 1993, University of Tokyo, Komaba.

[13] RS: 204. ヴェーバーは後年、この論文を『宗教社会学論集』に収録しますが、本文では「社会学論文」とは呼んでいません。

[14] ここでは、「社会学」が、まだ本文には登場せず、外から関心を寄せるべき一隣接学科として、(おそらくはテンニエスやジンメルら) 別人の営みとして、扱われています。

[15] RS,: 83.

[16] RS,: 205-06.

[17] 拙著『マックス・ヴェーバーとアジア――比較歴史社会学序説』2009、平凡社: 14-21、参照。

[18] たとえば、①霊魂、神々、悪霊といった「超感性的諸力übersinnliche Mächte」、そうしたさまざまな「神性観念」からなる「万神殿Pantheon」の構成、② (神性観念と現世の状態との比較観察から生まれてくる)「神義論の問い」に答える 「二重予定」説や「霊魂輪廻と業」説のような「教理」、③神性観念や神義論からなる「世界像Weltbild」によって規定される「救済目標」と「救済道」、④救済道を歩もうとする「信仰者-帰依者」の集合態、とくに「祭司」「予言者」「平信徒」から構成される「(ゲマインデとしての) 教団」の構成、⑤「平信徒」をなすさまざまな社会層それぞれの、宗教性への「相性」など、「旧稿」の「宗教社会学」章で概念構成されている諸要素や発展傾向。

[19] Ⅱ/8: 723-24.

[20]「因果帰属にそなえる」というのは、「ヴェーバー社会学」が、対象特性の位置づけに必要なばかりでなく、因果帰属に不可欠の、「客観的可能性」にかんする「法則的知識」を提供するからです。本稿では、この点の立ち入った議論は省略しています。

[21] Cf. RS : 220-21, 内田訳『古代ユダヤ教』中、1996507-09; 藤田雄二『アジアにおける文明の対抗――攘夷論と守旧論にかんする日本、朝鮮、中国の比較研究』2001、お茶の水書房。

[22] 去る919日、一橋大学で、「ヴェーバー法理論・比較法文化研究会」の第一回公開シンポジウムが開かれました。そのさい、折原は、コーディネーターの国制法制史学者・水林彪氏から「ヴェーバー『経済と社会』(旧稿)全体の構成と「法社会学」章の位置」と題する報告を依頼され、大いに当惑すると同時に反省を強いられました。というのも、狭義の「ヴェーバー研究」に閉じ籠もっているかぎり、そうした過大なテーマには、「自分が報告を依頼されたら困るので、同僚にも依頼しない」という暗黙の自主規制がはたらき、めったなことでは、設定され、依頼されることもないでしょう。ところが、いったんその枠を取り払うと、そうしたテーマも、歴史学者と社会学者との対等な相互交流の第一歩として、歴史学者から投げかけられるのも当然で、「ヴェーバー研究」内部の事情を持ち出して断るわけにはいかず、ヴェーバー社会学者として受けて立たざるをえない、と思い知った次第です。他方、そういう対外的応接のために、「旧稿」全体の読解不全という実情が、なにほどか隠蔽されることがあってはなりますまい。