年次報告(2013年12月30日)
1. 研究会議 出席
3月9日: ヴェーバー法理論・比較法文化研究会
3月16日: ヴェーバー研究会21 (定例会)
7月27日: ヴェーバー法理論・比較法文化研究会、ならびにヴェーバー研究会21と合同の「マックス・ヴェーバー生誕150周年記念シンポジウム」に向けての準備会
10月13日: ヴェーバー研究会21 (臨時会)
12月21日:「マックス・ヴェーバー生誕150周年記念シンポジウム」に向けての準備研究会 (下記2. 著作 ② の索引作成で疲れ、やむなく欠席)
2. 執筆
まず、①『東大闘争と原発事故――廃墟からの問い』(熊本一規・三宅弘・清水靖久と共著、2013年8月15日、緑風出版刊、300 ps.)に、第一章「授業拒否とその前後――東大闘争へのかかわり」(pp. 17-94) を寄稿しました。企画・編集主幹の清水が「はじめに」(pp. 9- 15)、第二章「さまざまな不服従」(pp. 95-157)、「あとがき」(pp. 293-300)、三宅が第三章「『主張することと立証すること』から原子力情報の公開を求めて」(pp. 159-230)、熊本が第四章「東大闘争から『いのちと共生へ』」(pp. 231-92) を、それぞれ執筆しています。
ちなみに、第一章の節区分 (内容目次) は、下記のとおりです。
はじめに、1.「60年安保と教官のデモ」、2.「大管法」と「国大協・自主規制路線」、3.「マックス・ヴェーバー生誕百年記念シンポジウム」、4. 教養課程の理念と現実、5. 入学式防衛から機動隊導入まで、6. コミュニケーションの途絶と学生の追及、7. 占拠学生からのヒアリング、8.「境界人」として、9.「春見事件」と「医学部処分」、10.「教育的処分」の「革命的」廃棄と「国大協路線」、11.「粒良処分」の事後処理、12.「東大解体論」の発端、13.「文学部処分」と「十月四日事件」、14.「文処分」解除と「教育的見地」、15.「理性の府」神話の崩壊――「大学解体論」と「自己否定論」の想源、16. 当局と全共闘との「同位対立」と「収拾連合」の形成、17.「1・18~19機動隊導入」、18. 全共闘支持の原則決定、19. 授業拒否――再争点化に向けての「捨て身」戦術、20. 実力行使の意義と落し穴、21.「文学部闘争」の継続、22.「東大裁判闘争」、23.「解放連続シンポジウム『闘争と学問』」、24. 人事院闘争と「教官共済基金」構想、25.『ぷろじぇ』同人の企画と「自己否定」のディレンマ、26. 授業拒否の敗北と総括、27. 授業再開と「公開自主講座『人間-社会論』」、28. ヴェーバー研究の動機と東大闘争、29. ヴェーバーの「比較歴史社会学」――「欧米近代」の来し方・行く末、30. ヴェーバーの科学論と「責任倫理」要請、31.「合理化」と「神々の争い」、32.「合理化」と「文明人」のディレンマ、むすび
なお、8月の刊行後、第一章本文で言及している方々をはじめ、関係者に献本しましたが、それに感想を寄せてくださった各位には、できるかぎり応答しました。そういう交信のうち、「東大闘争へのかかわり」の総括を補足する意味をもつ一文を、「一当事者への応答――『東大闘争と原発事故――廃墟からの問い』に寄稿した第一章「授業拒否の前後――東大闘争へのかかわり」の趣旨を補足して」と題して、本ホームページの別欄に掲載します。
つぎに、② (2012年5月に着手してはいた) 『日独ヴェーバー論争――「経済と社会」 (旧稿) 全篇の読解による比較歴史社会学の再構築に向けて』(未来社、2014年1月刊行予定、309+22 ps.) の執筆を継続しました。これをなんとか、2013年内には上梓しようと、11月5日に脱稿したのですが、最終段階で、索引の作成に思いがけず手間取り、刊行は年を越すことになりました。出版社では、筆者の念願を容れて、年内刊行にこぎつけようと懸命に努力し、待機してくれていたのですが、もっぱら筆者側の事情で、遅延をきたした次第です。
「なんとか年内に」というのも、この2013年が、ヴェーバーの論文「理解社会学のいくつかの範疇について」(通称「カテゴリー論文」「範疇論文」) 発表から数えて、ちょうど百周年にあたるからです。じつは、『経済と社会』の「旧稿」(1910~14) には、この「カテゴリー論文」で定立される社会学的基礎範疇が適用されており、この基礎範疇を把握しておかなければ、(未定稿ながら相応の体系的統合をそなえた)「旧稿」を、全篇として精確に (ということはつまり、それ自体の基礎範疇に即して) 読むことができません。
ところが、ヴェーバーの母国でこの百年間に企てられた三次にわたるテクスト編纂は、いずれも「カテゴリー論文」と「旧稿」との緊密不可分の関係を捉えきれませんでした。第一次 (マリアンネ・ヴェーバー編) および第二次 (ヨハンネス・ヴィンケルマン編) の「二部構成」編纂は、「改訂稿」(1919~20) を「第一部」、「旧稿」を「第二 (三) 部」に、それぞれ(執筆順とは逆に) 配置し、読者が、(原著者は「いくえにも変更されている」と明示的に断っていた)「改訂稿」=「第一部」の基礎範疇を、そのまま「旧稿」=「第二 (三) 部」に持ち込んで、同一ないし類似の術語にかぶせて読み、概念上の混乱に陥るほかはないような、いわば「合わない頭 (概念的導入部) をつけたトルソ」でした。それにたいして、第三次の『マックス・ヴェーバー全集』版は、読者が、こんどこそ原著者の意図と構想に即して「旧稿」全篇を読めるように、術語一覧や前後参照指示ネットワーク一覧といった編纂のための基礎資料を筆者が提供していたにもかかわらず、(原著者は「ひとつの企画」として相応の体系的統合を目指していた)「旧稿」そのものも、のっけから題材別の五分巻に分解し、(総ページ数3080、書架に並べると幅25cmの)「そもそも頭のない五死屍片」をしつらえ、枝葉を繁らせて、読者のまえに立ちはだかりました。テクスト編纂者ともあろう者が、「基礎範疇にかかわる術語が変更されているから注意せよ」という「改訂稿」冒頭への原著者の注記を、一貫して無視しつづけたのです。
そこで、筆者は拙著で、『全集』版「旧稿」該当巻の編纂責任者ヴォルフガンク・モムゼンやヴォルフガンク・シュルフターらの解体方針を、「旧稿」の読解不全による誤編纂として暴露するのみでなく、そうした否定的批判の根拠を積極的に展開して、「旧稿」を「旧稿」自体の基礎範疇に即して読むと、どう読めるか、その骨子を対置しました。「旧稿」に萌芽を現していたヴェーバーの「比較歴史社会学」構想を、「遠方の山並み」にたとえると、視界を遮っていた「眼前の草むら」をいったん取り払って、一望のもとに収めようとしたわけです。
拙著はまた、上記①の大学批判とも通底しています。というのも、「専門科学者」が、大学や学界の「無風状態」に安住して、批判を黙殺し、論争を避けていると、いつしか「集団同調性」「集団的無責任」に陥り、「存在」に拘束された卑近な「利害」に振り回される、という実態を、日本の敗戦後、「1968~69年大学紛争 (実験室状況)」後の、ふたつの「廃墟」のみでなく、「ドイツ学界の総力を結集した」という触れ込みの編纂事業についても、フェアな論争の限度ぎりぎりまで、論証して示したつもりです。内容目次は、下記のとおりです。
日独ヴェーバー論争――『経済と社会』(旧稿)全篇の読解による比較歴史社会学の再構築に向けて
はじめに
1. 本書の課題――「旧稿」全篇の読解にそなえ、テクストの編纂を問う
2.「旧稿」全篇を読む意義――比較歴史社会学の再構築
3. 本書の構成
第一章 先行編纂の根本問題――基礎範疇にかかわる術語変更の無視
4.「二部構成」編纂の経緯
5. 術語変更を明示する ›基礎概念‹ 冒頭の注記
6.「範疇論文」における「理解社会学」の方法定礎と基礎範疇の定立
7.「範疇論文」から ›基礎概念‹ にかけての術語変更
第二章 論争の争点――「旧稿」の基礎範疇
8.「範疇論文」と「旧稿」との術語の一致
9.「旧稿」の術語にかんする情報提供と『全集』版編纂陣の対応
第三章 基礎範疇は、いつ、どこで、定立されたか――「作品史」論争
10.「範疇論文」「第二部」は、前半か、後半か、いつ執筆されたか
11. ヴェーバーのリッカート宛て書簡
12. モムゼン「基礎範疇 後期成立」説の批判
13. ヘルメス「『第二部』前半」説の批判
14. 筆者の所見と論争へのスタンス
15.「旧稿」全篇の内容構成 (仮説)
16. 文献
第四章 モムゼン批判 (1) ――「範疇論文」をどう読んだか
17. 術語変更は「範疇論文」で起きたか
18.「範疇論文」における「ゲゼルシャフト行為」の定義、「団体」と「アンシュタルト」の概念
19.「範疇論文」と「旧稿」との間に「認識状態」の落差はあるか
20.「正当性諒解」の概念構成と 事象への適用
21.「秩序の合理化」概念と 事象「資本主義『経営』に特有の利害関心」
22.「術語の並行使用はともかく」と受け流せるか
第五章 モムゼン批判 (2) ―― ‹ゲゼルシャフト行為› の第一、第二用例、併せてⅠ「概念」篇(トルソの頭)の内容構成
23. 第一用例まで前段のコンテクスト――Ⅰ-3「社会と経済」章 §1「経済概念の社会学的意味転換」
24. 先行Ⅰ-2「法と経済」章 §1「法概念の社会学的意味転換」
25.「法と経済」章 §2「社会的秩序範疇としての習俗・慣習律・法、ならびに秩序変革の一般理論」
26.「法と経済」章 §3「法と経済との原理的関係」、「旧稿」全篇の課題設定
27. 第一用例―― ‹経済ゲマインシャフト› の定義と ‹ゲゼルシャフト行為› の動態
28. 第二用例――「社会と経済」章 §2「ゲマインシャフトの経済的被制約性」と§3「ゲマインシャフトの経済制約性」
29. Ⅰ「概念」篇からⅡ「社会」篇およびⅢ「支配」篇への架橋――「旧稿」における ‹社会形象› の選定規準と ‹文化› の「理解社会学」的取り扱い
第六章 モムゼン批判 (3) ―― ‹ゲゼルシャフト行為› の第三、第四用例、併せてⅡ「社会」篇の内容構成
30. 第四用例―― ‹ゲマインシャフト› における ‹ゲゼルシャフト結成› の萌芽と展開
31. ‹家ゲマインシャフト›、‹権威と恭順›、‹経営› と ‹オイコス›
32. ‹近隣ゲマインシャフト›、‹同胞的救難›、‹ゲマインデ›、‹村落›
33. ‹氏族ゲマインシャフト›、‹血の復讐義務› と ‹忠誠›
34. 第三用例―― ‹種族›、‹種族ゲマインシャフト› の ‹人為的› 構成
35. ‹宗教ゲマインシャフト›、‹ゲマインデ› としての ‹教団›
36. ‹市場›――‹ゲゼルシャフト行為› としての ‹交換› と ‹市場ゲマインシャフト›
37. ‹政治ゲマインシャフト› における ‹ゲゼルシャフト結成› の諸階梯――「範疇論文」における概念構成と「旧稿」における適用-展開
第七章 モムゼン批判 (4) ――「トルソの頭」の解体
38.「法と経済」章の 第三分巻「法」冒頭への繰り下げ
39.「法と経済」章の射程
40.「種族」章は「法と経済」章の概念構成を前提としている
41.「法と経済」章中の前出参照指示による「範疇論文」への架橋
42.「法と経済」章と「法」章との「一括」はマリアンネ・ヴェーバー
第八章 モムゼン批判 (5) ――「1914年構成表」の否認から 羅針盤なしの漂流へ
43.「1914年構成表」は「将来の夢と過去の遺物」か
44.「1914年構成表」の信憑性と妥当性
45. 参照指示の信憑性と「1914年構成表」の妥当性
第九章 モムゼン批判 (6) ――「都市」は「『支配』に紛れ込んだ異物」か、併せてⅢ「支配」篇の内容構成
46. ‹西洋中世内陸都市› の ‹非正当的› 権力簒奪とその諸条件
47.「1914年構成表」の項目と「都市」章の位置――「体系論」的考察
48. ‹支配› の一般概念
49. ‹合理的支配› としての ‹官僚制›
50. ‹伝統的支配› としての ‹家父長制› ‹家産制› ‹封建制›
51. ‹カリスマ的支配› と ‹教権制›
52.「都市」章編入仮説の「文献学」的検証――前後参照指示のネットワーク
第十章 モムゼン批判 (7) ――「執筆期順」編纂方針は成り立つか
53.「執筆期順」方針はまず適用不可能
54. 執筆期順と配列順とは別問題――前後参照指示による異期テクスト間の架橋と統合
55. 初期 ‹(商家) 経営› 論と 後期 ‹官僚制› 論との 参照指示による架橋
56. 初期 ‹オイコス› 論と 後期 ‹家産制› 論との 参照指示による架橋
57. 初期執筆・後段配置 ‹階級、身分、党派› 論と 後期・前段 ‹宗教› 論との架橋
第十一章 シュルフターのモムゼン批判――陣内論争の限界
58. 基礎範疇の「後期成立」説 (モムゼン)、「後期廃棄 (減衰)」説 (シュルフター) および「一貫維持」説 (折原)
59. 全方法論思索の積極的集約としての「範疇論文」と 別途発表の意図
60. モムゼンの読解不全にたいするシュルフターの批判――「作品史」上の「空中戦」
61. シュルフターの曖昧――術語用例の網羅的-具体的検索を欠く
62. 日付では一致する「成立説」と「廃棄説」
63.「1914年構成表」の信憑性と妥当性――「将来の夢と過去の遺物」説の批判
64.「全篇の統合」は「奇蹟」か
第十二章 シュルフター批判 (1) ――「支配」篇への基礎範疇の適用と 前出参照指示による「範疇論文」への架橋
65. ‹伝統的支配› 節における「諒解とその合成語」の用例
66. ‹カリスマ的支配› 節における基礎範疇の用例
67. 前出参照指示による ‹カリスマ的支配› 節の「範疇論文」への架橋
第十三章 シュルフター批判 (2) ――「宗教」章の ‹ゲマインデ› 概念と 分散諸用例との基礎範疇による統合
68. ‹ゲマインデ› の ‹第二範疇› としての ‹(宗教) 教団›
69. ‹第一範疇› は「都市ゲマインデ」か「村落ゲマインデ」か
第十四章 シュルフター批判 (3) ――基礎範疇の適用頻度は、執筆期ではなく、適用される対象の特性に依存
70.「社会と経済」章への基礎範疇の浸透と「諒解」が適用されない理由
71.「家、近隣、氏族」章に「諒解」が適用されない理由
72.「国民」章の内容構成と基礎範疇
73. シュルフター批判 (総括)
終章 編纂史の総括と今後の課題
74. 先行三編纂の功罪
75. 未定稿編纂の陥穽
76. 言論におけるフェア・プレーと学問一般の意義
77. 否定的批判の積極的転回と全体像構築
あとがき
索引 (人名、事項)
また、③(佐々木力著『東京大学学問論――学道の劣化』に寄せた)「あとがき」も、本文ともども、近日中に、作品社から刊行される予定です。その内容については、刊行後、機会をえて語りましょう。
(2013年12月31日記)