年次報告2017 (1230)

 

 

今年は、58日に、「記録と随想20」を、本ホーム・ページに掲載して以来、半年以上にわたって、ご無沙汰してしまいました。

 

38日には、「記録と随想17: 癌医療にかかわって―― 一患者の困惑と選択」と題するお知らせをしていましたので、あるいは、手術後の経過がよくないのでは、というご心配をお掛けしてしまったかもしれません。

214日に、国立ガン研究センター東病院に入院、16日に浸潤性乳管癌の摘出手術、22日に退院いたしました。それ以後、術後の定期検診を受けていますが、いまのところ転移も再発もなく、その間の検査で肺癌を疑われた影も、無意識のうちに罹っていた肺炎の炎症跡だったようで、幸運にも小康をえております。そういうわけですので、どうか他事ながらご放念ください。

 

さて、旧臘には、橋本努氏(東大大学院総合文化研究科相関社会科学専攻に在学当時以来の長年の友人)から、アカデミック・ジャーナリズムシノドスの企画レジェンダリー・インタヴュの第一回として、小生のマックス・ヴェーバー研究につき、十数項目の質問が寄せられ、応答を依頼されました。入院中は、それまで習慣としてきたデスク・ワークによる「抑止」から解放され、その意味では「手持ち無沙汰」になったせいか、橋本質問への応答に連なる着想が、止めどなく沸き出てきました。そこで、それらを病院でメモしておいて、退院後敷衍し、質問項目ごとに、比較的忠実な応答にまとめました。313日に執筆を開始し、410日には脱稿して、即日、橋本氏にメールで送り、69日に「未完のマックス・ヴェーバーを引き受ける人生」と題して発表されました。そんな事情で、応答依頼時の予想よりもおそらくははるかに長文となってしまったのですが、そのままシノドス”に掲載してくださったことに、橋本氏ならびに編集部に、厚く御礼申し上げます。橋本氏とは、氏のホーム・ページ上に掲載された、ある「論叢」200405年、後に橋本努・矢野善郎編『日本マックス・ヴェーバー論争――『プロ倫』読解の現在』、2008、ナカニシヤ出版、に収録)への関与以来の、愉しい協同作業でした。

 

その後、58日までは、「マックス・ヴェーバーにおける古代国家の発展図式(『古代農業事情』) 社会学的決疑論体系(『経済と社会』旧稿) に再編成される経緯と意義」と題するシリーズ: ――

 

プロレゴーメナ: 記録と随想12  (114)「敗戦後日本社会科学の二隘路(「『民主化』と『戦争』」問題の看過、経験科学的「国家」論と「帝国主義的資本主義」論の欠落)、

その1 : 記録と随想13  (25) 「原生的状態」(「農民共同組織」) の理論構成と諸問題、

その2: 記録と随想14  (425) 「城砦王制」の理論構成と諸問題、

   補遺: 記録と随想18  (55) 「城砦王制」の理論構成と諸問題、

その3: 記録と随想19  (56)「貴族政ポリス」の理論構成、

その4: 記録と随想20  (58)「官僚制をそなえた都市王制」ならびに「専制的ライトゥルギー国家」の理論構成、

 

――を、途中までは仕上げ、脱稿して、ホーム・ページに発表しました。

 

しかし、そのあと、急遽、予定を変更し、橋本質問に触発されて以来ふくらむばかりの着想群を、(与えられた質問項目ごとの応答に圧縮して再編成するよりもむしろ) そのまま敷衍し、推敲して、「マックス・ヴェーバーと東大闘争――1935年生まれの戦後史・学問・現場実践」(仮題)にまとめておきたい、と思い立ちました(下記に、本日現在の内容目次を添付します)。小生としましては、こちらを先行させ、来年2018年の夏までには脱稿して、201911819日の「安田講堂50年」前後には、世に出ているようにしておきたい、と念願しております。

 

そのあと、できることなら、『経済と社会』(旧稿)中の「宗教社会学」章の新訳を、(上記のシリーズを継承し、「社会学」的「決疑論体系」構築への経緯と意義に焦点をあてた)解説と訳注を付して、2020年の「ヴェーバー没後百年」までに仕上げられれば、と祈念しております。訳稿はほぼ仕上がっていますが、解説はともかく、例示として引用されている夥しい宗教史事象にかんする訳注にまで、手がまわるかどうか、体力-気力次第です。

 

 本ホーム・ページへの今年のアクセス・ご高覧、まことにありがとうございました。五月以来のご無沙汰につき、お心遣いいただいた各位には、重ねてお詫びかたがた、御礼申し上げます。

どうかみなさま、よい新年をお迎えくださいますように。(1230日記)

 

 

添付資料: ――

マックス・ヴェーバーと東大闘争――1935生まれの戦後史・学問・現場実践 [20171230日現在、内容目次、折原浩]

 

はじめに

 

. 軍国少年・理科少年・野球少年から戦後思想の渦中へ

   §1. 軍国少年

§2. 理科少年

§3. 野球少年

§4. 受験対策で清水幾太郎著『社会的人間論』に出会う――「境界人」論の端緒

§5. 文転後の混迷――「マルクス主義か実存主義か」

 

. マックス・ヴェーバーとの出会い

   §6. 戦争責任と「倫理論文」――集団同調性と超越的権威の不在

   §7.「欧米近代」における「合理的禁欲」の歴史的生成

§8. ヴェーバーの「欧米近代」批判――「独善」と「業誇り」

   §9.「責任倫理」的「理性的実存」――「欧米近代」批判の帰結

 

. 混迷の収束へ――「実存主義とマルクス主義」の両極対立とヴェーバー

§10. キルケゴールとヴェーバー――「軽いマント」か「鋼鉄の殻」か

   §11. 戦後「実存主義」評価――「ひとしなみ実存称揚」と「実存文献読みの実存知らず」

   §12. マルクスの「共産主義」理念―― 人間規定と「疎外」の止揚

   §13. マルクス「疎外論」の思想史的被制約性と「全体知」的陥穽

§14. 戦後「マルクス主義」評価――「前近代」権威主義と「超近代」官僚主義との癒着

   §15.「社会主義」の諸問題――エートス・科学技術・ルサンチマン

 §16.「負の螺旋」――「叛乱(アノミー)」と「圧政(権力主義)」の悪循環

§17. 学問領域における「人間疎外」としての「学知主義」

§18. ヴェーバーの思考特性――「原子論」と「全体論」との総合

   §19.「学問の自由」「大学自治」論に潜む「流出論理」

 §20. ヴェーバーの大学闘争  

 

. 東大闘争前史

 

1. 1960年「安保闘争」

   §21. 樺美智子さんの死

 §22.「『政治の季節』と『学問の季節』の単純循環」から「螺旋状発展」へ

 §23. 戦後学生運動の「存在被拘束性」と院生の登場による条件変化

 

2. 1962-63年「大管法闘争」

§24「大管法闘争」――政治的防御に止めず、大学論を樹立する好機

 §25.「大管法」諸案の狙い――学内管理体制の中央集権化と国家権力機構への編入

 §26. 東大学内の問題状況――「学知の灯台下暗し」

 §27.「大管法反対声明」発表の挫折――現場における実存的企投には難渋

 §28.「教養」教育の理念――古典を教材とする「社会学する」スタンスの育成

 

3. 1964年「マックス・ヴェーバー生誕百年記念シンポジウム」

 §29.「巨人」を隠れ蓑とする「身の丈に合った実践」の回避――内田芳明批判

 §30. フェア・プレーを「語る」と「体して生きる」との違い――安藤英治批判

 §31.「ダイモーン」とは「学知の問題」か――大塚久雄批判

   §32.「学知」かぎりの「脱呪術化」論――丸山真男批判

 §33.「求道」と「ザッハリッヒカイト」とは「二律背反」か――丸山真男批判

 §34.「パーリア力作型」の剔抉と諦観――内田義彦批判

 §35.「パーリア」と「禁欲」との識別標――「対内倫理と対外倫理の二重性」

§36.「科学者の責任」と「身分」の呪縛――大河内一男批判 

 

4. 1965-67年「学問の季節」における日常闘争

 §37.「日常の闘い」としての教授会発言――「耳に痛い」ことを丁重に 

§38.「全学教官懇話会」における発言――大学の専門課程は「就職予備校」か

 §39.「戦後学制改革」の痕跡――「教養」教育の模索と「パーリア力作型」の陋習

 §40.108羽田闘争」――山﨑博昭君虐殺と死因をめぐる虚偽報道

 

. 東大闘争

 

1.「紛争」への関与

§41.「入学式防衛」から第一次機動隊導入まで

§42. 学生-教員間のコミュニケーション途絶

§43. 占拠学生からのヒアリングと学内への情報提供

§44.「境界人」として「社会学的アンガージュマン」へ

 

2. 医学部紛争と医学部処分

§45. 医学部紛争の背景――医療制度再編と青医連の「クラフト・ユニオン」的要求

§46.「春見事件」と医学部処分

§47.学生処分制度と「プロフェッショナル」の責任

§48.「春見事件」の「摩擦」を「行為連関」として再構成

§49.「教育的処分」の「革命」的廃棄と「国大協・自主規制路線」

§50. 人を欺く語り口とその由来

 

3. 文学部紛争と文学部処分

§51. 東大紛争における文処分の位置と背景

§52.104日事件」の「摩擦」にかんする学生側主張内容

§53. 夏休み明け「処分解除」――「火種」の抹消

§54.『学内弘報・資料』による教授会情報の一方的散布

§55.「民主制」の問題傾向と「プロフェッショナル」の使命

§56.「林文学部長軟禁事件」のコンテクストと意義

§57.「沈む泥船のファッシズム」

§58.「なにがなんでも収拾」への動きと「黄ヘル・ゲバルト部隊」の導入

§59. 真相究明の手がかり――121日半日公開文書における叙述の変更と類型的沈黙

§60.先人の視点と技法――マンハイムの知識社会学とヴェーバーの因果帰属論

§61.104日事件」の「摩擦」を「行為連関」として再構成――「築島先手」の「明証的理解」とその「経験的妥当」性

§62.残された詰め――本人の証言による「築島先手」仮説の立証

 

4.「紛争」への関与から「現場の闘い」へ

§63.「理性の府」神話の崩壊――「大学解体・自己否定」論の登場

§64.「負の螺旋」

§65.「境界人」から「闘い」へ

§66.「政治の神」と「学問の神」との相克――ヴェーバー「責任倫理」論の再解釈

 

5. 文処分撤回闘争の継続と帰結

§67. 文処分「取り消し」――「なかったことにしようや」

§68.「築島 仲野行為連関」の真相――初の直接対質による究明と確認

§69. 堀米文学部長による「築島先手」裏付け発言

§70. 後日談――「東大百年祭」抗議学生への処分画策と事前阻止

 

. 廃墟からの新生に向けて――解放連続シンポジウム「闘争と学問」から公開自主講座「人間-社会論」へ

 

あとがき―― 1960年代精神史に寄せて                  

[つづく、20171230]