年次報告 2016 (12月31日)
今年は、
Ⅰ. ふたつの研究会に出席して、討論に加わり、
Ⅱ. このHPに新設した「記録と随想」欄に、11篇の論考を発表し、
Ⅲ. (昨年6月12日に起稿していた) ヴェーバー『経済と社会』(「旧稿」)「宗教社会学」章の第一次訳稿を、7月31日にひとまず脱稿し、
Ⅳ. 二論文を寄稿していた (別人編集の) 二論集が、年内刊行されました。
Ⅰ. ふたつの研究会とは、
⑴「ヴェーバー研究会21」第8回 (3月20日、東洋大学白山校舎) と、⑵「比較歴史社会学研究会」第2回 (9月18日、神戸大学インテリジェント
ラボ) です。
両研究会の後、討論発言を補充して、その趣旨を、Ⅱ.「記録と随想」の
1.「『職業としての学問』末尾の『デーモン』とは何か――マックス・ヴェーバーの人生と闘いを支えた究極の立脚点は何処にあったか」(3月28日、8月13日改稿)、
9.「市民生活における『人権Menschenrecht』と『共市民性Mitbürgertum』――ハイデルベルク市
市街電車内の一経験から」(9月28
日)、
10.「ヴェーバーの『パーリア民』概念と『ユダヤ人』観 再考」(10月2日~)、
にまとめました。
(ただし、この「記録と随想10」は、比較歴史社会学にかかわる昨今の研究状況に鑑み、補説Exkurs に深入りしたため、脱稿にいたっていません)。
Ⅱ. この1. 9. 10. 以外の「記録と随想2.~8., 11.」は、下記とのとおりです。
いずれも、そのときどきの状況で、問題提起を受けとめ、学問とくにヴェーバー研究に引き寄せて考え、状況への応答、あるいはその方針提起を、試みています。
2.「東日本に生きている僥倖――福島第一原発二号機は、いかにして格納容器爆発を免れたか」(4月8日)、
3.「1960年代における滝沢克己『原点』論の登場とその意義」(4月13日~)。(本HPの2015年欄に収録した「1960年代精神史とプロフェッショナリズム――岡崎幸治「東大不正疑惑『患者第一』の精神今こそ」(2014年11月8日付け『朝日新聞』朝刊「私の視点」収載) に寄せて」と、上記「記録と随想」1.「『職業としての学問』末尾の『デーモン』とは何か――マックス・ヴェーバーの人生と闘いを支えた究極の立脚点は何処にあったか」との続篇)、
4.「創文社の事業終結に思う――同社刊・ヴェーバー『経済と社会』邦訳をめぐる半世紀」(8月2日)
5.「台風10号の迷走に思う――科学の権能と科学者の責任」(9月1日)、
6.「台風10号の迷走に思う (つづき)――自然科学と社会科学、あるいは、社会科学の自然科学的契機」(9月6日)、
7.「因果帰属と市民生活」(9月10日)、
8.「マックス・ヴェーバーにおける生の危機と学問の再建」(9月14日~)、
11.「『故塩川喜信さんを偲ぶ会』『第二部』スピーチ」。
なお、今年のHP記事中、「記録と随想」欄には編入しませんでしたが、「山崎博昭プロジェクト」に宛てた、
「碑をめぐる追想――旧東独の旅と1960年代の精神史から」と、
「同プロジェクトへの賛同のお願い」も、
この状況発言の系列に属します。
Ⅲ.『経済と社会』(「旧稿」) の邦訳は、既に『名古屋大学文学部研究論集』132、135 (1998年3月、1999年3月)、『同社会学論集』19、21 (1998年3月、2000年12月)、『椙山女学園大学研究論集』31、32 (2000年3月、2001年3月)、『椙山女学園大学研究論文シリーズ』2、3、6、7、9
(2001年4月、同年6月、2002年1月、同年2月、同年3月) に分載していたレジュメに加筆し、推敲して、全文を訳出し、社会学にかかわる訳注は付し終えました。ただし、①この章自体の体系性を浮き彫りにし、②他章との有機的・体系的関連も明らかにし、③著者ヴェーバーにおける比較歴史社会学の創成経緯に即して位置づける、という趣旨の解説と、④夥しい宗教事象にかんする補注を、残しています。
「記録と随想10」の執筆途上で、補説に深入りし、年内に脱稿できなくなったのも、同稿の§6「『経済と社会』(「旧稿」) から『古代農業事情』への遡行の要請」でも触れましたとおり、昨今の研究状況を顧慮してのことではありますが、この③ヴェーバーにおける比較歴史社会学の創成経緯を、「古代農業事情」(第三版、1909) から「古ゲルマンの社会組織の性格にかんする論争」(1905) にまで遡って跡づけよう、という関心と重なったせいでもあります。
Ⅳ. 年内刊行の二論集とは、
庄司興吉編著『歴史認識と民主主義深化の社会学』(東信堂、2016年11月10日、初版第1刷発行)と
宇都宮京子・小林純・中野敏男・水林彪編『マックス・ヴェーバー研究の現在(生誕150周年記念論集)――資本主義・民主主義・福祉国家の変容の中で』(創文社、2016年11月25日、第1刷発行)とで、
前者には、「『現場からの民主化』と『社会学すること』――戦後精神史の一水脈」、
後者には、「歴史社会学と責任倫理――生誕100年シンポジウムの一総括」が、
それぞれ収録されています。
なお、今年の7月31日、1935年生まれの同い年で、1954年に大学入学、42年間、同じ大学で批判的少数者として生きた畏友、塩川喜信氏が、亡くなりました。10月29日、明治大学お茶の水校舎研究棟で、偲ぶ会が開かれ、筆者も、「第二部」(懇親会) で、スピーチをしました
(「記録と随想11」に収録)。盟友というには力足らずでしたが、同じ志に生きた友人に先立たれるのは、辛い思いです。ただ、故人が引き合わせたくれたのか、かれが代表をつとめていた「ちきゅう座」というサイト (http://chikyuza/net) を知り、活発な言論戦を繰り広げている同志たちに、おおいに励まされます。本HPの記事もいくつか、「スタディルーム」欄に転載されました。
以上です。
本ホーム・ページへの今年のアクセスとご高覧、まことにありがとうございました。
どうか、よいお年をお迎えください。
(12月31日記)