「恵贈著作」欄を閉じ「記録と随想」欄を新設するにあたって (2016215)

 

2015年「年次報告」の末尾で、2009年来連載してきた「恵贈著作」欄を閉じ、近々その理由を述べたい、と付記しました。

 

理由の第一は、消極的な事情です。

この間、およそ「著作」へのかかわり方が、著者によって随分違う、と分かってきました。

「謹呈 著者」の短冊一枚を挟んだだけの著書が、著者本人からはなんの挨拶もなく、出版社から代送されてくることも、しばしばありました。なるほど、そのこと自体は「学界」の長年の慣行で、書籍を世に出すことは「学者人生最大の快挙」と受け止め、慶賀し合ってもいいではないか、とも思いました。

しかし、なかには、ごくわずかですが、こちらが正直「やれやれ」とは思いながら、なんとか繙読のうえ、感想をしたためて送っても、「梨の礫」になるか、あるいは (著書が採り上げている争点の専門的内容には届かないと、初めから詫びている) 非専門家の批評を、「分かっていないのにはびっくりした」と頭から見下す「学知の傲りacademic arrogance」の権化のような人もいる、と分かりました。

小生としましては、196869年東大闘争で、「学者」における「学知の傲り」が厳しく問われて以来、自分の著作贈呈には神経を遣ってきたつもりです。著作もまた「状況への一投企」として、その意味にかんする思念を伝える挨拶状は必ず添付し、応答には返信をしたためました。しかし、その流儀をなにか一般化して、著作者すべてに強いるのは傲慢とも感じました。

他方、学者が依然として「学知カリスマ」ないし「専門学知」を「至上価値」と感得し、著書刊行を最大の「自己義認」「自己正当化」の種とし、それで自己完結してしまっている現状は、たいへん遺憾に思いました。しかし、まさにそうであればこそ、その現状を見据え、そういう著作も、あえてこちらから「状況への投企」に見立て、そのようなものとして応答しようと、「恵贈著作」欄を企画し、開設しました。そうすることが、そういう著者をも、「状況への思想的投企」のコンテクストに引き戻す一助にもなろうかと、なんとか時間を遣り繰りして繙読し、応答し、HP読者にも紹介して、コミュニケーションの範囲を広げようと、主観的には善意をもって取り組んできたつもりです。

 

しかし、そういう多様性のなかで、個別の礼状は抜きに、HPの「恵贈著作」欄にだけ、著作到着の事実を発表していくやり方が、こちらの意図からは離れて「一人歩き」し、なにか一方的な誇示のようにも解されかねず、他方、恵贈者のお一人お一人にたいしては ”one of them” として扱うことになって、やはり失礼と感じながら、そこのところを考え抜いて決断することなく、実質上は二重応答になることが、しばしばありましたし、著作にかんする考え方の違いがはっきりして、いかんともしがたい、と感得されるにつれて、ますますそうなってきました。

あるいは、当初から感じていた無理が、七年足らずで、老身に耐え難くなった、というべきかもしれません。老齢は、狭い集中力はともかく、多方面に関心を配る力量の衰えとして、真っ先に現れます。

 

ただし、もとより、そういう「学知の傲慢」を露わすような対応が、すべてだったというわけではありません。筆者として、内容上どうしてもお応えしたいと思う恵贈著作は多く、それを契機に、内容的な交信がつづき、大いに裨益されたことも、多々あります。そういう著者に、衷心より謝意を表しますとともに、そういう関係は、できれば今後も維持したいと思います。

ただ、「恵贈著作」欄を開設しているかぎりは、恵贈に与る年平均50点以上の著作にたいして、一様に応答する義務が生じているようにも感得され、すると、それが果たせずにいるという負い目も免れられません。そこでいっそ、「恵贈著作」欄は閉じ、一般的には、個別の礼状に戻りたいと思います。

場合によっては、礼状に添えて任意に採り上げた論点への応答内容は、老生の判断で (逐一、著者の許諾をえることなしに)、老生の所感のかぎりで、この「記録と随想」欄の一範疇として、本HPにアップロードしていきたいと思います。そのようにして、著作を「状況への投企」のコンテクストに戻そうとする「恵贈著作」欄を開設したさいの意図は、縮小された範囲ではあれ、維持してまいります。

これまでの「恵贈著作」欄へのアクセスに衷心より感謝いたしますとともに、「記録と随想」欄にも関心をお寄せいただければ幸いです。

 

第二の理由としては、昨今のマス・コミ報道や解説記事には、そのつど即時に対応していかなければならない問題点が目立ってきた、という事情があります。もとより、老生がそれらに網羅的に対応することは、望むべくもありません。しかし、どうしても看過できない問題点には、「老いの一徹」でも、責任をもって発言していきたいと思います。

 

このHPには、すでに、

2012欄には :

「ヴェーバーの科学論と原発事故」;

「『ゆっくりとラジカルに――内田雄造追悼文集』のこと」;

196869年大学闘争と反原発運動――ある座談会への問題提起メモ」;

2013欄には :

「エチル化学労組の闘いに学ぶ (現代技術史研究会M分科会主催・記録映画『エチル化学労組』上映会にて);

「ヴェーバー科学論ほか再考――福島原発事故を契機に」

2014欄には :

「論評: NHK-Eテレ 戦後史証言『日本人は何をめざしてきたのか』『知の巨人たち』第三回『民主主義をめざして~政治学者 丸山眞男』」;

「『宇井純セレクション』全三巻の刊行に寄せて――逝去八年後の追悼」;

「戦後精神史の一水脈(改訂稿)――北川隆吉先生追悼」

2015欄には:

1960年代精神史とプロフェッショナリズム――岡崎幸治『東大不正疑惑「患者第一」の精神今こそ』(2014118日付け『朝日新聞』朝刊「私の視点」収載)に寄せて」

1960年代の問題状況――舩橋晴俊君の思想形成に寄せて(『舩橋晴俊先生を偲ぶ会』における発言要旨)」

「碑をめぐる追想――旧東独の旅と1960年代精神史から(『108山﨑昭博プロジェクト』への一賛同人としての投稿・『私にとっての108』に収録)など、

状況への発言が収録されています。

 

この「記録と随想」欄は、その延長として、随時、自由な発言を書き止め、ITという老生には格好のコミュニケーション手段を、フルに活用していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

(2016216日記、218日改訂)