献本のご挨拶

 

今年は「45年ぶりの大雪」とのことで、そういえば1969年にも、東大安田講堂への機動隊導入のあと、学生たちの雪中デモをよく見かけました。

 さて、このたび、佐々木力著『東京大学学問論――学道の劣化』が、作品社より上梓されました。これに小生も「あとがき」を寄せております。つきまして、貴台には小生から、著者の了承もえて、一部献呈いたしたく、同封にて版元よりお送り申し上げます。

年度末でご多忙の折、このように挑戦的な本をお届けするのは、あるいはご迷惑かもしれません。しかし小生、この本の刊行には、「あとがき」も含め、昨今の思想状況にたいする批判的投企の意味があると考えております。ご海容のうえ、ご一読いただければ幸甚と存じます。

 

日本の知識人は、1945815日以後も、三木清を救出せず、拱手傍観して獄死に追いやりました。「物言えば唇寒し」「孤立を恐れて連帯は避ける」軍国主義下の習性を、直視し、清算していなかったのでしょう。むしろ「臭いものには蓋」をし、さればこそひたすら未来に「救済」を求め、「前のめりに」先を急いだのでしょう。知識人は現在、この出発点を、どこまで乗り越えてきているでしょうか。

1968-69年、全共闘系の学生は、知識人とくに大学教員のスタンスを衝き、研究棟の日常性を堰止め、「わだつみ像」を破壊して、その「被害者」意識の質を問いました。知識人は、この意味を汲み取ったでしょうか。敗戦直後には最良のオピニオン・リーダーと目されていた東大法学部教授・丸山眞男氏は、所属大学の医・文学部が、事情聴取を欠く学生処分を強行して、事実誤認と人権侵害の疑いが濃くなってきても、一個の科学者として事実を究明し、理非曲直を明らかにしようとはせず、法学部長・辻清明氏他との縁故関係を優先させ、半年近くも沈黙を決め込んでいました。ところが、旧制高校以来の友人・林健太郎文学部長の「軟禁」事件 (じつは、文学部学生が文処分の事実関係を問い質した団交が起きると、現場に足も運ばず、すかさず「人権侵害」と決めつけ、マスコミに「抗議」を発表して、機動隊導入への露払いを演じました。敗戦後知識人の「人権」感覚とは、卑近な利害が絡むと「身分」の「存在被拘束性」に囚われ、自律と普遍性を欠き、政治的随伴結果にも思い及ばない、こういう制約のもとにあったのでしょう。

では、当時教員を追及した学生たちは、その後どう生きたのでしょうか。機動隊導入によって旧秩序が強権的に回復されると、政治闘争に先細りして自滅するか、問題そのものは解決されていないのに、当の秩序に舞い戻り、日常性に縛られて、おおかたは批判性を失うか、鈍らせたのではないでしょうか。

静まり返った東大で、「独立法人化」のあと、佐々木処分が起きました。かつて冤罪の学生処分で火傷した東大ですが、こんどは教員に触手を伸ばし、近代市民法以前の「素人密室判告」で、性懲りなく「疑わしきを罰し」、すかさずマスコミに発表して、社会的抹殺を企てたのです。これに公然と異議を唱える同僚や学生が現れなかったとは、驚きです。「初日の遺産」のうえに眠りこけていたのでしょうか。

残念なことに、大学は見限って市民運動に転身し「市民の科学」を標榜してきた「批判的少数者」の間でも、一貫して反原発を唱えてきた「体制内反抗派」の佐々木氏にたいする関心と支援は、いまひとつのようです。小生は、微力ながら学問研究と市民運動との狭間に立ち、両極を見据えて、双方の連携を模索してきたひとりとして、この一連の問いを念頭に「あとがき」を草しました(201435日、折原浩)。