恵贈著作 (Kindly sent, gratefully received writings) 2011年度

 

本欄開設の趣旨

小生は、教養課程の教員を長年勤め196596、「解放連続シンポジウム『闘争と学問』」196972や「公開自主講座『人間-社会論』」197794を開いていた関係もあって、多方面・多領域の知友から、しばしば著作のご恵贈を受けます。また、発表した拙作との関連で、未見の方々からも、著作や論考の抜き刷りを送っていただくことがあります。

そのつど、手にとっては、ご恵贈に感謝し、心血を注がれた作品を、しかるべく熟読し、なにがしか感想もお伝えしたいと心がけてはきました。しかし、在職中は多忙にかまけ、退職後も、年来の仕事を細々とつづけるかたわら、歴史の勉強も始め、応答がなかなか思うにまかせません。

そこで、この欄を開設して、少なくとも著作拝受の事実は記録し、(専門や当面の関心事にかかわりが深い場合には)少々の雑感も書き添えて、とりあえずはお礼に代えたいと思います。そのうえで、いつか、老生の関心が恵贈著作に近づき、精読する機会をえましたら、そのつど感想を付記していきます。(私的に恵贈された著作につき、感想を公表するのはいかがか、とも考えましたが、公刊された著作にかんすることでもあり、とくにお断りがないかぎり、ホームページへの掲載は、さしつかえないのではないかと判断しました。もとより、ご異議があれば、取り下げます。)

その昔、故上原淳道先生(東大教養学部で、東洋史担当の先輩同僚)が、長年、謄写印刷の『読書雑記』を、ほぼ月一通の頻度で、表裏手書きの封筒に入れて郵送してくださっていたことがあります。小生は、碌に応答もせず、いただきっぱなしで、思い出しては恐縮するばかりです。先生の顰みに倣うことはとうていできませんが、ホームページ上のこの形式でしたら、なんとか続けていけるのではないかと思います。しかし、この形式でも、お礼と応答が大幅に遅れることが多々ありましょう。その節は、どうかご海容ください。(2009712日の本欄開設時に記。2010219日、本欄2010年度版に転記、2011213日、少々改訂のうえ、ここに再録)

 

1. 13日着、大黒正伸著『パーソンズ社会理論の方法的構想力---- 一般理論から「媒介」の理論へ』(創価大学大学院、文学研究科博士論文、20093)

 [昨年11月、いわき明星大学で開かれた第三回「日独社会学会議」で初めてお目にかかった大黒氏から、ヴィーン、ボストンで撮られた写真とともに、贈られました。]

 

2. 17日着、平凡社の関正則氏より、小林正弥著『サンデルの政治哲学----<正義とは何か』(20101210日、平凡社刊、375ps.)

 

3. 119日着、ブルデュー、加藤晴久訳『自己分析』(2011130日、藤原書店刊、198ps.)

[加藤晴久大兄。拝啓。大寒の候、いかがお過ごしでしょうか。

  さて、先日はご髙訳・ブルデュー著『自己分析』(藤原書店刊) をご恵送たまわり、まことにありがとうございました。いつぞや、フランス語・フランス文学会のワークショップでお目にかかったとき、「ブルデュー晩年の三部作は、なんとしても完訳したい」と仰っていましたが、『パスカル的省察』『科学の科学』につづき、こんどの『自己分析』で、見事にその計画を完遂されたわけで、ご同慶のいたりです。

ブルデューは、(小生も含め) 他に専門領域をもつ社会学者には、とても片手間には取り組めない大物です。その点、École normale supérieureの寄宿舎生活から、フランスの大学、学界、文化一般にいたる消息に通じた貴兄が、著者ブルデューとの信頼関係にもとづき、かれの三部作を、「忠実さの芸術」によって日本語に訳出してくださったことは、余人をもっては代えがたい、貴兄ならではのお仕事として、他面、社会学畑への大いなる貢献としても、感謝いたさねばなりません。かれのHomo academicus論その他は、小生も摂取して活かすべきだ、とよく分かってはいるのですが、なかなか深入りする余裕をもてず、残念です。そのうち、専門の仕事が一区切りついて、挑戦できれば、と願ってはおりますが。

 

さて、今回の『自己分析』ですが、客観化された作品群ばかりでなく、その背後にある動機-体験連鎖も、誤解をおそれることなく、自己切開して読者に提供し、反省性の極をも開示しようとした、ブルデューの勇気ある企図には、感嘆し、満腔の敬意を表します。しかし、それと同時に、率直にいって、「ここまでやらなければならないのか」、「なにかしら痛ましい」という感懐を払拭しきれないのも確かです。

業績の規模も質も段違いですから、比較するのも躊躇われますが、自分の仕事の総括として同じことができるか、と問われるとしますと、小生にはとてもできない、と答えるほかはありません。貴兄はいかがでしょうか。

小生も、若いころには、当時自分が陥っていた窮境から脱しようと、「生活史的反省」と題する自己分析を同人誌に載せたことがあります。しかし、その後は、限定された役割を果たし終えた、その「もぬけの殻」を顧みたことはありません。老境にさしかかったいま、自分の仕事をできるかぎりまとめて若い世代に伝えたい、との願いと責任は感じますが、それだけで勘弁してほしい、あとは運命に委ねるばかり、とも思います。

ここのところの感じ方には、文化一般の差異を別とすれば、選りすぐりの秀才をoriginalité distinction[卓越]へと動機づけて止まない、École normale supérieureの重圧がはたらいているようにも思えます。寄宿舎生活を体験された貴兄は、いかがお考えになりますか。サルトルもブルデューも、École normale supérieure出の「大知識人」で、その非凡さを最後まで示す責任をまっとうしたのでしょう。小生は、そこに感嘆すると同時に、痛ましさも感じます。

同じNormalienでも、デュルケームは、originalité distinctionの重視には批判的でした。そこでかれは、各人が独自の体系を競って誇示するけれども一代限りで終わってしまう「哲学」から、控えめでも確実な継承、したがって累積が可能な、経験的-実証的知識へと力点をシフトさせ、社会学を創始しました。しかし、そのかれも、科学としての社会学に基礎をおく世俗的道徳体系の樹立と普及をめざし、ローマ・カトリック教皇にとって代わる「ソルボンヌの予言者」として、教壇から「道徳の科学」を説き、「使徒」をフランス中に送り届けて、第三共和政の精神的基礎を固めようとしたあたり、やはりとてつもない責任感に生きる「大知識人」でした。その点、ブルデューは、デュルケームが創始した伝統の、最良・最高の継承者だったといえるのではないでしょうか。継承への責任ゆえに、誤解や揶揄も覚悟のうえで、自己分析まで提供したのでしょう。

さて、小生も昨年、後期高齢者の仲間入りをし、先輩や知友で他界する人が増えるにつけても、このあたりで、自分が考えてきたことを、それなりにまとめ、後続世代に伝えていかなければ、と考えるようになりました。じつは昨年、196869年大学闘争以来の友人で、岡山大学 (教官共闘) の好並隆司氏 (東洋史専攻) が亡くなり、「お別れの会」に出掛けて、故人との接点と共通の課題を、確かめようと思いました。ところが、会は大盛況で、その場では多くを語れなかったものですから、帰宅後、「スピーチ補遺」をビデオに収録し、関係者に送りました。それを貴兄にも見ていただければ、と思い立ち、関係者への挨拶状とともに、一部同封させていただきます。いまから振り返って、196869大学闘争とは何であったか、その延長線上で、いまなにをなすべきか、を考えてみました。お暇の折、ご笑覧いただければ幸甚と存じます。

 

では、なお厳寒の砌、くれぐれもご自愛のほど、お祈りいたします。敬具。2011130]

 

4. 124日着The Protestant Ethic and the Spirit of Capitalism, The Revised 1920 Edition, translated and introduced by Stephen Kalberg, 2011, Oxford University Press, 442ps.

[Dear colleague Stephen Kalberg,                                                                                                             

thank you very much for kind sending your newly translated "Protestant Ethik".

It is a great contribution, that you have so acculately and fluently translated and introduced the PE and the related writings by Weber.

Even if only taking up the one point, where you put it into "a steel-hard casing (stahlhartes Gehaeuse)" and the note 133 you add there, it is quite apparent, that your new work is far more excellent than that by Parsons.

Readers in English-speaking regions are very happy to have these reliable texts.

 

In Japan, I have long criticized Ohtsuka Hisao's translation with regard to the point, for example, that he perhaps intentionally made ambiguous the condition, under which the "last humans" come forth. I believe that your exact translation to limit it clearly to the third case, ossification, will bring about good results, also in Japan, too.

Sincerely yours, Feb. 3, Hiroshi Orihara]

5. 125日着舩橋晴俊氏より、環境総合年表編集委員会編『環境総合年表----日本と世界』(20101123日、すいれん舎刊、805ps.)

[拝復。厳しい寒さがつづきます。

  さて、先日は、ご懇篤なお便りを添えて、ご労作『環境総合年表—-日本と世界』(すいれん舎刊) をご恵送たまわり、まことにありがとうございました。

  昨年3月の多摩校舎における、クラウス・オッフェ氏を招いての国際シンポジウムでは、「熟議民主主義と大学の役割」にかんする討論のさい、「大学そのものの役割と、そこにおける熟議には絶望した個々の教員が、大学外で、学生とともに住民運動・市民運動にかかわり、その成果を学内に持ち帰って交流する役割」とを区別し、「ここにお集まりのみなさんも、多分後者ではないか」という趣旨の発言をいたしましたが、こんどのお便りでは、貴兄はじめ、法政大学教員有志のみなさんが、総長と理事の選挙をかちとる「学内市民運動」を地道に進められ、その成果が、当のシンポジウムにも、サス研の設立にも結実している事情をご教示くださったわけで、自分の乏しい経験を過当に一般化していた傲慢を反省し、貴兄をはじめ、法政大学有志のみなさんに、心よりお詫び申し上げます。

  貴兄が仰ってくださるように、当時の駒場の活性が、貴兄に、理科系から社会学科への文転を促す一契機になったとすれば、ほかならぬ社会学、とりわけ環境社会学の発展にとって、まことに慶賀すべきことであったと、ご同慶に存じます。顧みますと、当時は、宇井純さんの公開自主講座に、飯島伸子さんが、(文学部の社会学研究室からではなく) 医学部保健学科の園田恭一さんの研究室から、紅一点として顔を出され、「社会学のものばなれ」を批判しておられたと記憶しております。その飯島さんの基礎工事を土台に、貴兄を中心とする環境社会学者が、広汎な実践家の協力のもとに、こうした総合年表の作成という大事業を短期間になしとげられたのは、驚くほど急速な進歩で、感嘆のほかはありません。なるほどそれは、日本における環境破壊がどれほど深刻であったか、現にあるか、という実情の反映とも解されましょう。しかし、さればこそ、そうした実情に、知的・学問的に対抗して、環境系の制御を志向する力量も目覚ましく発展、蓄積され、世界に先駆けて、この画期的な総合年表も完成されたわけです。ご計画にもあるとおり、これが英訳されて、広く世界、とくに非欧米諸国に普及していけば、欧米中心的な世界-世界史像を相対化し、維持可能な世界システムを構想する基礎資料ともなりましょう。

小生、直接にはなにごともできませんでしたが、この間の経緯を見守ってきたひとりとして、貴兄ほか関係者のご努力に、心から拍手を送らせていただきます。

  そればかりか、貴兄は、大学、学会における目覚ましいご活躍に加えて、学術会議のほうにも、活動の場を広げておられるようですね。ただ、ご健康には、どうかくれぐれもご留意ください。この点にかけては、小生、自分の経験からして、退職後にも、研究の時間は十分にあります、とご助言することができます。

以上、ひとことお詫びと御礼まで。

まだまだ寒気がつづきそうな砌、くれぐれもご自愛のほど、祈念いたします。敬具。2011131]

 

6. 127日着、岸江孝男・辻村信一・遠山稿二郎・山崎清著『東大全共闘から三島由紀夫へ』(2011118日、明文書房刊、243ps.)

[拝啓。厳しい寒さがつづいています。

このたびは、貴兄を含め四人の著者のご労作『東大全共闘から三島由紀夫へ』(明文書房刊)をご恵送いただき、ありがとうございました。いつぞやお送りいただいた『東大全共闘から神経病理学へ』(2010118、同じく明文書房刊)の続篇とお見受けし、早速拝読しました。

 前著と同じく、なぜ『……三島由紀夫へ』なのか、と戸惑いながら、読み進めましたが、結局答えは見出せませんでした。なるほど、前著と同じく、貴兄のご主張――「かつてかかわった『全共闘運動』とは何だったのか、各人が、その後の人生でそれとどう向き合ってきたのか、現にどうか、につき、正面から、しかもいまの若い世代にも分る言い回しで、伝えていかなければならない」――は、活かされ、貫かれていると思いますし、答える三人の方々も率直で、その点は、前著と同じく好感をもって拝読しました。

ただ、あとのほうになると、論旨が変わってくるようです。つまり、全共闘運動が、1969以降、後退局面に入り、内ゲバから連合赤軍事件の方向に、最悪の仲間殺しに、頽落していくなかで、――そこのところを、誰も(当事者も、周辺の人間も)切開せず、語りたがらず、沈黙しているけれども、その経過を「総括」するのでなければ、あの運動の正負の遺産をきちんとつぎの世代に引き渡す歴史的責任が果たせない、という趣旨です(この点にかぎって、「内ゲバ」問題にたいする小生の発言としては、「日々の闘いのなかで――東大闘争・中公闘争・内ゲバをめぐって」[『情況』19743月号所収、拙著『大学-学問-教育論集』1977三一書房、に再録]を参照していただければ幸いです。内ゲバを止められはしませんでしたが、ただ黙過していただけではありません)。新著全体の論調は、この方向に収斂している、と読めます。

としますと、まず、その趣旨と前半の三島由紀夫論とが、どう結びつくのか、よく分かりません。ひとつの著作としては、主題的統一性に欠ける、といわざるをえないのではないでしょうか。

 

 つぎに、その方向と関連して、今度の『東大全共闘から三島由紀夫へ』の215218ページには、二著作の刊行を呼びかける、1997715日付けの貴兄の文章が再録されていますね。そこで貴兄はまず、菊地昌典、折原浩、最首悟の三人を「これら、68年当時教官であった人々は、あのころ教養課程の学生であったわれわれにとっては、仰ぎ見るような、高いところにいるイデオローグであった」と一括りにし、「あれから四半世紀がゆうに過ぎたが、われわれ最年少であった者たちは、当然かれらが何らかの総括をあきらかにするものと考えていたし、多くの人々はそれを心待ちにしていたことだろう」と述べ、そのあと、三者を突如、山本義隆氏とも一括りにして、「しかし、山本義隆氏の完全なる沈黙に象徴されるように、それはなかった」(216ページ、アンダーラインによる強調は引用者)と断定し、「われわれ、すなわち当時の最年少世代で、かつ、まだなお元気のある者が、1968年からの数年間の動きの記録、あるいは、われわれが何を考えていたのかということを[読者としては「一世紀あとの人間」も想定して]書き残しておく必要がある」と、訴えておられるわけです。

 この点について、小生はまず、貴兄のそういう訴えとプロジェクトそのものには、全面的に賛成です。ですから、『東大全共闘から神経病理学へ』をただちに拝読し、感想をしたため、この種の討論がもっと広くおこなわれるように、と祈念して、その趣旨をお伝えしました。

ただそのさい、同書『東大全共闘から神経病理学へ』の58ページに、「東大全共闘のえらい人たち、つまり指導的立場にあった人たちは最後まで総括をしないだろう」(『東大全共闘から三島由紀夫へ』218ページに再録)と書かれているのを確かに読みましたが、よもや、その「えらい人たち」に小生も含められている、とは思ってもみませんでした。というのも、名指された四人は、東大全共闘へのかかわり方も、かかわる位置も、それぞれ異なっていたからです。とくに、菊地昌典氏と小生は、教授会メンバーでしたから、一方では東大全共闘の厳しい追及を受けて応答し、他方では東大-東大教官のあり方を、闘争の経過に即して(教授会メンバーでない助手共闘の最首氏とは異なり、教授会の内部でも同僚研究者にたいしてもしたがってどうしても論証的に)批判しなければならない「マージナル・マン」の位置にいました。それを、全共闘の中心メンバーで、教官追及の先頭に立っていた山本義隆氏と一括するのは、遺憾ながら、ひどく荒っぽいカテゴライゼーションというほかはありません。

しかも、小生は、自分の「立ち位置に即した所見や総括は、自己限定のうえ、機会あるごとに公表してきました。『大学の頽廃の淵にて』(1969)、『人間の復権を求めて』(1971)、『東京大学――近代知性の病像』(1973)、『大学-学問-教育論集』(1977)、『学園闘争以後十余年―― 一現場からの大学-知識人論』(1982)(東大を停年退職して名古屋大学に再就職するさいの)『ヴェーバーとともに40年――社会科学の古典を学ぶ』1996など、在職中の著作の過半は、直接間接、東大闘争にかかわるものです。

そこでは一貫して論証性を堅持しようとつとめましたが、それは他面、論証性に乏しい全共闘運動にたいする積極的批判-総括でもありました。たとえば「処分は不当」と繰り返し唱えながら、どう不当なのかを(たとえば法廷で)論証できないのでは、大学闘争としては話になりませんし、論証ができない分、自分の主張をそれだけ暴力で押し通そうとする方向に傾かざるをえないでしょう。

貴兄が、小生のスタンスと発言を引証なさることなく、「山本義隆氏の完全なる沈黙に象徴される[のと同じように、総括をしない]」と一括して「総括」なさるのは、なんとも非論証的な独断と受け止めざるをえませんが、いかがでしょうか。

ちなみに、小生は、最首氏、西村秀夫氏らとともに、駒場で、1969年から72年にかけては「解放連続シンポジウム『闘争と学問』」を、1977年から1992までは「公開自主講座『人間社会論』」を、それぞれ開設して、運営していましたから、貴兄が尋ねてきてくださりさえすれば、いつでも直接応対できるところにいました。「仰ぎ見るような、高いところにいるイデオローグ」「東大全共闘のえらい人たち」などではありませんでした。付言すれば、新著中に吐露されている石田雄氏にたいする評価も、著しく公正を欠いています。

なお、山本義隆氏については、前便でもお伝えしたとおり、科学史という専門領域ではよい仕事を発表されながら、全共闘運動については発言を拒む、というのでは、丸山眞男氏と同じことになってしまうので、やはり、「自分たちの闘いはこうだった」と発言して、継承すべき課題と克服すべき問題点を総括的に示し、後続世代に伝えてほしい、と思っています。というよりも、かれもやがて、みずから集大成した資料を駆使して、そうした総括に取り組んでくれるであろうと期待しています。

最後に、貴兄は「彼らは私たちより年上なのだから、やがて死んでいくでしょう。死ぬのは加藤一郎代行だけではなく、われわれも死んでいきます。ですから全共闘の指導者層しか知らないことを、ディテールであっても書くか語るかして残しておいてください」(219ページ)と語っておられます。小生は、上記のとおり「全共闘の指導者層」には属しませんでしたが、たしかに当時、全共闘運動の追及に応えて大学闘争に立った「造反教官」のひとりとして、しかも、いまでは後期高齢者として、「後続世代に伝えるべきことを、いまのうちに語っておかなければならない」と考えてはいます。

昨年11月末には、岡山大学の盟友であった好並隆司氏が亡くなり、その「お別れの会」では、故人との接点を確かめ、そこから今後の課題を再設定する総括を述べたい、と思って出掛けましたが、大盛況で、とても時間がありませんでした。そこで、帰宅後、「スピーチ補遺」のビデオを作成し、いまの若い人たちにも伝わる言い回しで、簡潔にまとめてみました。それを一部、主催者や関係者への贈呈挨拶状を添え、ここに同封してお送りしたいと思います。お暇の折、ご笑覧のうえ、三人の共著者にもご紹介いただければ幸甚です。

それでは、なお厳寒の砌、ご自愛のほど、お祈り申し上げます。敬具。201122日。折原浩。

 

 付録、「スピーチ補遺」ビデオ、贈呈挨拶状。

拝啓。今年も残り少なくなりました。お元気にお過ごしでしょうか。

小生も、今年で後期高齢者となり、師走に入ると、多少ゆったりと一年を振り返ることができるようになりました。

今年は、9月と11月に開かれた、ふたつの国際シンポジウムを除けば、1970年以来の盟友で、923日に亡くなった好並隆司氏のことが、まっさきに思い出されます。小生も、「お別れの会」(1128日、岡山ロイヤル・ホテル) に出席して、故人との接点を確かめ、そこから紡ぎ出される今後の方向と課題を、改めて噛みしめようと思いました。ところが、会は、220人もの出席をえて、たいへん盛り上がり、当然ながら、故人について小生の思いを語り尽くす時間はありませんでした。そこで、帰宅後、ビデオ『好並隆司先生 お別れの会』第一部 (当日会場から) および第二部(折原スピーチ補遺)を編集して、主催者、関係者にお送りした次第です。

 それをここに同封して、貴台にもお送りしようとするわけですが、その趣旨は、1970年から40の歳月が流れた、この時点で、当時を振り返り、いまなにをなすべきかを考える「よすが」ともなれば、という思いにあります。

  独立法人化以降、大学が急速に変貌し、現職の方々が多忙にあえいでおられるいま、そんなことに師走の時間を割く余裕はない、と一蹴されるであろうことも予期しますが、さればこそ、これをお送りしようとの思いを禁じえません。

  そういうわけで、ご寛恕のうえ、お暇の折り、ご笑覧いただければ幸甚と存じます。

  それでは、向寒の砌、どうかくれぐれもご自愛のうえ、よいお年をお迎えください。敬具。1223日。折原浩]

 

7. 130日着、森川剛光 “Platonic Bias in der Sozialtheorie, Über den Begriff des Handelns bei Hannah Arendt und eine philosophische Kritik an der soziologischen Praxistheorie“, Archiv für Rechts- und Sozialphilosophie, vol. 962010Heft 4, S.498-515.

 

8. 22日着、佐藤健二著『社会調査史のリテラシー----方法を読む社会学的想像力』(2011131日、新曜社刊、604ps.)

[拝復。立春とはいえ、寒さがつづきますが、ますますご清祥のことと拝察します。

さて、このたびは、浩瀚なご高著『社会調査史のリテラシー――方法を読む社会学的想像力』(2011131日、新曜社刊)をご恵送たまわり、まことにありがとうございました。長年にわたるご論考を集大成された、重厚な作品とお見受けします。

つい最近、『ヴェーバー全集』のⅠ/223 “Recht” が刊行され、『経済と社会』(旧稿) に該当する五分巻が出揃いました。そこで、小生としましては、残された課題として、この五分巻の統合的解釈-再構成に専念したいと存じます。そのため、遺憾ながら、ご高著を精読して、実のある感想を申し述べる余裕がなく、まことに申しわけございません。

ただ、ホーム・ページの「恵贈著作」欄には、ご恵送の事実を記し、できればなるべく早く、しかるべき感想も付記させていただこうと、念願しております。

それでは、時節柄、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。敬具。201124。折原浩]

 

9. 22日着、佐々木力著「江戸のピュタゴラス主義」上・下 (『思想』通巻第10414220111月、2月号)

[佐々木力様。拝復。

先日は、お便りと、『思想』12月号掲載の「江戸のピュタゴラス主義」(上、下) の抜き刷り、その他 (資料類) をご恵送いただき、まことにありがとうございました。

まずは、大著『数学史』の上梓後、『ガロア伝』を仕上げられ、『日本数学史』の一環をなす「江戸のピュタゴラス主義」へと、つぎつぎに作品を発表していかれる、精緻ながらたくましいお仕事ぶりに、感嘆するほかはありません。

早速、「江戸のピュタゴラス主義」を拝読しましたが、江戸期の「詳證学」が、朱子学的・易学的世界観に接続され、そのうえに展開されえ、それがライプニッツにも理解され、評価された、という事実、福沢諭吉においては前者が西洋的世界観に置き替えられ、「窮理」も軍事科学色を濃くしてくる、という点に、たいへん興味を覚えました。

貴兄ははや、「江戸のピュタゴラス主義」を一章とする『日本数学史』の執筆に取り掛かっておられるのではないか、と拝察しますが、その進捗を期待しますとともに、あまり無理をなさらないように、ともお勧めします。『思想』への論文掲載点数では、貴兄がすでに西田幾多郎を抜き去っているのではないでしょうか。

 

パリの科学アカデミー他、内外の予定講演では、本領を発揮され、いっそうの高揚の機会として、存分に楽しく過ごしていらしてください。

それでは、また寒さが戻ってきた模様、くれぐれもご自愛ください。早々。212日。折原浩]

 

10. 22日着、佐久間孝正著『外国人の子どもの教育問題----政府懇談会における提言』(2011120日、勁草書房刊、204ps.)

[拝復。立春のあと、寒さが多少やわらぎましたが、また戻ってきたようです。ご清祥のことと拝察いたします。

  さて、先日は、ご懇篤なメールと、ご高著『外国人の子どもの教育問題----政府内懇談会における提言』(2011120日、勁草書房刊) をご恵送たまわり、まことにありがとうございました。

「多文化共生」にかんする貴兄のお仕事には、かねがね「ヴェーバー『からの』研究」として刮目し、追跡させていただいておりました。それがこのたび、イギリス初め各国の実情との周到な比較研究-実態分析を踏まえた、「政府内懇談会における具体的な提言」にまで集大成されたことに、まずは感嘆いたします。

 ご提言の背景をなす長年の比較研究を要約された第Ⅰ部からも、たとえば、①イギリスでは近年、東欧系の移民が、旧植民地からのそれを凌駕するにいたった、②日本でも、朝鮮系の在住者を、中国からの入国者が追い抜いた、③インド系の入国者は、英語を使いたがり、日本の公教育学校への編入学と長期滞在は避けようとする、など、数多の事実を教えていただきました。

 また、それらの事実、実情を踏まえた、第Ⅱ部の具体的提言につきましても、①日本語教育の専門性の確認としかるべき制度化、②外国人児童一人一人の日本語修得の度合いに手厚く応ずる、学年-進学制度の弾力的運用、③文化的・伝統的背景をもつ儀礼・儀式にかかわる強制の排除、など、実態を踏まえた適切なご提言に、いずれも「もっとも」と納得し、首肯しながら拝読した次第です。

さらに、政権交代後、政府部内にも、こうした問題に具体的に取り組もうとする関心と熱意が芽生え、懇談会も創設される、といった実情があり、「政治主導による官僚主義(『鉄の檻』)の排除」といったポピュリズムの(不勉強で抽象的な)スローガンのほうがむしろ問題で、そんなものに押し流されてはならない、という点も、改めて具体的にご教示いただきました。

そのうえで、一点、「グローバリゼーション」という概念につきましては、これによって捉えられる事態の広がりを事実認識にかぎっては認めるにせよ、それをそのまま価値理念として追認してもよいか、というよりも、両者を曖昧に混同していてよいのか、という一般的な問題につき、小生がかねがね考えておりますことをお伝えして、いつか機会があればご教示を賜りたいと存じます。これはけっして、貴兄あるいはご著書への批判ではありません。

 小生、在職期間中、自分のゼミなどに外国人留学生が出席しますと、そういう機会を、かれらが背後に背負っている多様な言語や文化にかんする「定点観測」に利用しました。そのさい、たとえば、日本語を勉強していないアングロ・サクソン系の留学生が、いきなり英語でしゃべり始め、本人は悪気でなくとも傍若無人と映ることが、しばしばありました。そういうとき、小生は、あえてこう窘めることにしていました。「日本には『郷に入っては郷にしたがえ (Do in Rome as the Romans do)』という諺があります。わたしは、あなたのお国に出掛けたときには英語で、ドイツではドイツ語で話します。フランスでは、挨拶にはフランス語を使いますが、そのあと、フランス語を話せないことを詫び、英語ですませる許可をえてから英語を話します。あなたはどうですか」と。

この問いに、アングロ・サクソン人留学生は、はたと当惑して「カルチャー・ショック」を受け、非アングロ・サクソン系の留学生も、驚いて考え込みます。しばらく黙っていますと、質のよいアングロ・サクソン人留学生は、(英語でですが)日本語ができないことを詫び、英語で話すことの許可を求め、そのうえで英語を話し始めます。どうしていいか分からずに戸惑っている留学生には、小生から、そうするように促します。そのようにして初めて、多文化間の対等な会話と交流が始まり、対等な多文化共生の契機が生まれると思います。

ところが、こういうばあい、日本人の大学教師は大部分、初めから「物分かりよく」、あるいは「得意気に」英語で応対し、先手を打って「気まずさ」を避けようとするでしょう。小生は、そういうところに、(遡れば、アメリカ軍の絨毯爆撃・機銃掃射・原爆投下による非武装市民の無差別大量殺戮に、精神的にも打ちのめされ、「掌を返す」ようにアメリカ流「自然法的民主主義」にコミットし、アメリカ文化の相対化と対等視を放棄してしまった)「敗戦後近代主義」の文化的奴隷根性とその後遺症が露呈されると見ます。

英語の「グローバルな」汎通性は、(なにか言語としての発達度や便利さといった)文化的優越によるのではないでしょう。そうであれば、「エスペラント」が通用していたはずです。むしろ、19世紀にはイギリスの帝国主義的植民地支配により20世紀には「出遅れた鬼子」としてのアメリカの世界戦略により、いずれにせよ経済力を背景とする軍事力によって、支配者の言語が全世界に押し付けられた結果として捉え返されましょう。

ところで、言語としての汎通性の事実と権力支配とのこの互酬-循環構造を、なにか不可避かつ価値中立的であるかのように隠蔽するのが、「グローバリゼーション・イデオロギー」にほかなりません。このばあいにも、「自分は『イデオロギー』に囚われず、価値中立的・科学的に思考している、と思い込んでいる人間が、おそらくはもっとも徹底的に(「没価値的に」)『イデオロギー』を経営している」にちがいありません。

さて、「多文化共生」論が、このイデオロギーと癒着しますと、「なんであれ、欧米『先進国』の『優れた』措置や制度に、『遅れた』わが国も見倣わなければならない」、たとえば「マイナリティーが欲するなら、日本語を英語で代替することも認めなければならない、それによってマイナリティーとしての『人権』も、よりよく保障されよう」といった (既成事実に屈伏する) 方向に押し流されましょう。「高度成長」に乗り、「エコノミック・アニマル」になりきって、恥とも思わず、「経済大国」にしがみつこうとするマジョリティーにとっても、そのほうが「便利」(つまり「グローバリゼーション」への「適応」にとって「有利」)とあれば、ますますもってそうなろう、と危惧されます。

それにたいして小生は、「グローバリゼーション・イデオロギー」で装われた、経済力と軍事力との互酬-循環構造の制覇にたいして、どんなに微力でも、そのつど異を唱え、日本語と日本文化を擁護していきたいと思います。とはいえ、「ヘロデ主義」的「脱亜入欧米路線」の「同位対立」的な裏返しとしての、偏狭なナショナリストとなって、そうしよう、というのではありません。むしろ、「人間存在」の原点から、自国語と自国の文化を大切にしたうえ、それに普遍性を与えていくような、開かれた文化的愛国者でありたいと願っています。

としますと、この価値理念からは、国際的文化交流にたいする、研究者・教育者としての、上述のような個々の態度決定ばかりでなく、外国人の子どもにたいする教育という当面の問題についても、相応の指針が演繹されるように思われます。

イギリス人が、現在、かつての植民地からの移民を手厚く遇するとすれば、(それはそれとして、個別的には高く評価するにせよ、他面)それは、旧宗主国としての歴史的責任で、みずからの帝国主義的侵略にたいする相応の「罪滅ぼし」とも見られましょう。日本も、朝鮮や中国などからの移入者にたいしては、欧米列強に追随して植民地支配をおこなった過去の歴史的責任にもとづき、相応に手厚く処遇しなければなりません。その手厚さ、親切さを、朝鮮や中国以外の国々からの移入者に押しおよぼしても、理念上いっこうに差し支えありますまい。ただ、そのばあい、外国人の児童にたいしても、日本語教育を中心に据え、日本語にもとづく他教科の教育をメインストリームとする、という原則は、どんなことがあっても堅持しなければならない、と思います。

たとえば、インド人入国者のコミュニティーで、英語教育が求められるとしても(それはインド人が、遺憾ながら、長年の植民地支配から身につけてしまった文化的隷属性から脱しきれずにいる証左でもありましょうから)、日本の公教育学校が、そうした要求に答える必要は毛頭ありませんし、そうすることはかえってインド人のためにもならないでしょう。それでもかれらが、どうしても英語教育を求めるというのであれば、自分たちでそういう学校を設立-運営し、親たちがどちらかを自由に選択するまでで、よいのではないでしょうか。「『グローバル化』につれて『国際語』としての英語にたいする需要が高まるいっぽうだから、かれらの要求も『もっとも』で、そのほうが日本人にとっても万事『都合がよい』」という方向に、引きずられることがないように、と思うわけです。

どうも、「釈迦に説法」のようなことになってきて、たいへん恐縮です。最初にも触れましたとおり、これは毛頭、貴兄またはご著書への批判ではありません。ヴェーバーの比較歴史社会学を同時代史に向けて展開しながら、「グローバリゼーション・イデオロギー」の蔓延を苦々しく見据えるにつけ、つねづね一般的に危惧していることを、ご著書に触発されて率直に語らせていただき、御礼に代えようと願ったにすぎません。失礼の段、どうかご寛容ください。

それでは、なお寒さの砌、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。敬具。2011210日。折原浩]

 

[追伸。早速、ご懇篤なお便りをいただき、恐縮に存じます。

前便でお伝えした、日本語と日本文化(さしあたり日本語による学問)を大切にしていきたいという趣旨に関連し、この問題を小生なりに考え始めた契機とその後の二三の挿話をお伝えして、前便を多少補足させていただきたく、再度ご一考をお煩わせする失礼をお許しください。

いつぞやパキスタンのビデオをお贈りしてご覧いただきましたが、じつは、その取材旅行のさい、ちょっとした「カルチャー・ショック」を受けました。「朝日旅行」のツァーに就いてくれた現地ガイドのパキスタン青年が、流暢に英語を話すのを聞いて、感心して褒めたところ、意外な答えが返ってきたのです。「あなたが、そう褒めてくださるのはうれしいのですが、わたしたち自身にとっては、じつは哀しいことなのです。なぜならば、わたしたちは、植民者の言葉を押し付けられ、自国語で学問することができなくなりました。あなたは,自国語の日本語で学術論文も書かれるそうですが、わたしたちは、そうしたくとも、できないのです。それだけ英語に熟達せざるをえなかった、というわけです」と。

また、ヒンドゥ・クシュ山脈のハイバル峠を訪ねたときに就いてくれた現地ガイドは、近辺のアフガニスタン国境地帯に住む「パシュトゥーン」という精悍な部族出の青年でしたが、これまた、おそらくはパキスタンではしかるべき就職先がなく、旅行社のガイドをしているらしい、正真正銘のインテリでした。「これから行く遺跡近辺には、付近に住む少年たちが出没して、物(ボールぺンなど)をねだるかもしれません。しかし、かれらはそれでも、この国の将来を担う『小国民』です。ですからどうか、物乞いには応じないでください」というのです。小生、逆のことを勧めるガイドにはたびたび出会っていましたが、それとは正反対なので、びっくりしました。

なるほど、じっさいには、「もっとも」と思って、その要請にしたがったばかりに、ハイバル峠とペシャワール近辺で撮った貴重な8ミリテープを、群がってきた少年たちに掏摸取られてしまい、災難ではありました。しかし、それだけに、このふたりのパキスタン青年ガイドの言葉は、記憶に焼きついて離れませんでした。

小生自身、敗戦直後の小四のころ、進駐軍のジープが焼け野原の街角にとまり、甘味に飢えた少年に向かってチュウインガムを投げ、同年配の餓鬼仲間が争ってとびつき、奪い合うのを、最後列から覗き見ながら、どうしてもそれだけはすまい、と痩我慢したものでした。

  その後、’60年安保から’68’69年学園闘争のころまでは、なにかそういう気風が残っていたように思います。しかし、高度成長以後、日本人の生活がアメリカナイズされ、物質的には豊かになるにつれて、その気概は失せ、大勢順応が支配的となりました。

たとえば、公共交通機関にも、英語のアナウンスが入るようになり、(それ自体は外国人にたいしても親切で、よいと思うのですが) たとえば「名古屋」を“Nagôya“、「松戸」を“Matsúdo“という具合に、日本語としては変なアクセントで発音するまでになっています。そういうときこそ、正しいアクセントで発音して、聞き取る外国人にも、日本語が英語とは異なるアクセントをもつことを知らせ、正しい日本語に慣れてもらうべきだと思うのですが、そうはせずに、なんでも英語流に合わせようと競い合って、怪しまないのです。

こういう文化的隷属性は、学会にも忍び込みます。1999年に、日本社会学会の評論編集委員会が『社会学評論 スタイルガイド』を編集して会員に配布したことがあります。そのとき、小生も理事で編集委員だったのですが、引用文献の表記法につき、「:」や ; ,」といった記号のあとは半角空けるのが普通なのに、「ASR(『アメリカ社会学評論』)の編集委員会は空けずに詰めているから」といって、それに従おうという原案がつくられました。そこで、小生は、「かりにASRの編集委員会が、『これは奇怪しかったから、普通の表記法に統一しよう』といって改訂したら, そのときどうするのですか」と問い返したのですが、埒が明かず、「もし原案をそのまま理事会にかけるのであれば、そのときには小生の少数意見を理事会でも発言しますから、その旨ここで了承しておいてください」とまで迫って、やっとASR方式への追随を阻止したことがあります。

ことほどさように、いずれも小さな発現形態なのですが、文化的隷属性というのは、こういう形をとって、じわじわと浸透し、その弊害を悟ったときにはもう手遅れ、というようなものではないかと思います。ですから、ちょっとしたことでも、気がついたときには、面倒でもひとつひとつ是正していくことが肝要と思われます。なにも、声高に「文化的独自性」や「独創性」を誇示し、呼号する、というのではありません。日常的に「おかしいことはおかしい」といって、是正を重ねていくことが大切と思います。

しかし、なによりも、学者としては、明晰な日本語の論文を書き、「日本語は論理的でない」というような偏見を払拭していくことが、わたくしどもの専門的責任でありましょう。

またしても「釈迦に説法」のようなことになりましたが、貴兄にはぜひともお伝えしたいという思いで、前便を補足させていただいた次第です。

ようやく日差しも明るくなってきました。どうかくれぐれもご自愛のうえ、いっそうご活躍のほど、祈念いたします。敬具。2011218。折原浩]

 

11. 25日着、厚東洋輔著『グローバリゼーション・インパクト----同時代認識のための社会学理論』(2011225日、ミネルヴァ書房刊、 290ps.)

[拝復。寒さも多少やわらぎましたが、ますますご清祥のことと拝察します。

さて、このたびは、ご高著『グローバリゼーション・インパクト――同時代認識のための社会学理論』(2011225、ミネルヴァ書房刊)をご恵送たまわり、まことにありがとうございました。長年にわたるご論考を集成された作品とお見受けします。巻末の「文献紹介」欄では、拙著『マックス・ヴェーバーとアジア』に言及してくださいまして、ありがとうございます。

つい最近、『ヴェーバー全集』のⅠ/223 “Recht” が刊行され、『経済と社会』(旧稿) に該当する五分巻が出揃いました。そこで、小生としましては、残された専門的課題として、この五分巻の統合的解釈-再構成に取り組み、「頭のない五死屍片」批判を実あらしめたいと思います。そのため、遺憾ながら、ご高著を精読して、感想を申し述べる余裕がなく、申しわけございません。

ただ、ホーム・ページの「恵贈著作」欄には、ご恵送の事実を記し、できればなるべく早く、しかるべき感想も付記させていただこうと、念願しております。

それでは、時節柄、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。敬具。201124。折原浩]

 

謹告

現在刊行中の『マックス・ヴェーバー全集』は、一昨年暮れのⅠ/24 „Wirtschaft und Gesellschaft, Entstehungsgeschichte und Dokumente“ につづき、昨年暮れにはⅠ/223 „Recht“ が公刊され、この2月3日、予約講読者のひとり折原の手許にも到着しました。これで、『経済と社会』「旧稿」該当巻が、すべて出揃ったことになります。

さて、『経済と社会』(旧稿)のテクストは、「二部構成の一書」という(マリアンネ・ヴェーバーおよびヨハンネス・ヴィンケルマンによる)編纂から解放された後にも、しかるべき編纂方針にかんする十分な議論がなされないまま――先行編纂にたいする批判的総括も、旧稿で用いられている社会学的基礎範疇や旧稿全体の体系的統合にかんする、立ち入った議論も、抜きに――、『全集』版編纂陣により、いきなり題材別の五分巻に分断され、逐次刊行の既成事実が積み重ねられてきました。原著者マックス・ヴェーバーにより、独自の構想に即して執筆されたテクストが、従来の「合わない頭をつけたトルソ」から、こんどは頭のない五死屍片に解体されてしまったわけです。

折原は、この間一貫して、『全集』版の拙速な編纂方針に異を唱え、社会学的基礎範疇を表示する術語の一覧や(体系的統合のテクスト内在的指標としての)前後参照指示ネットワーク一覧といった基礎資料を独自に作成して編纂陣に送り届け、『ケルン社会学・社会心理学雑誌』や『マックス・ヴェーバー研究』誌に、批判論考も発表して、編纂陣の再考を促してきました。しかし、編纂陣は、提供資料や批判論考を形式的に注記するだけで、実質的な反批判は対置せず、既定方針を押し通しました。

昨年11月に、いわき明星大学で開かれた「第三回 日独社会学会議」でも、「カテゴリー論文」と「価値自由論文」の編纂担当者を引き受けたと伝えられているヨハンネス・ヴァイス氏に、「旧稿」に適用されている社会学的基礎範疇が他ならぬ「カテゴリー論文」で定立されている事実を示し、氏の解説において「カテゴリー論文」側から「旧稿」に「扇の要」を据えてほしい、と要望しました。しかし、ヴァイス氏は即答を避けられ、むしろ「(折原が)持論を書著として発表するように」と促されました。

折原としても、『全集』版編纂陣には、「批判的ながら再編纂への協力として、できるだけのことはした」ので、こんどは(編纂陣が本来なすべきだったことを、編纂陣に代わって示す)積極的批判に転じ、「旧稿」を内容的に再構成し、全体像として提示する仕事に、着手したいと思います。再着手というのも、この仕事については、途中まで準備を重ねてきていたのですが(名古屋大学、椙山女学園大学の紀要類に発表した論稿)2002の退職後、状況論的な考慮から羽入書批判にかかずらわり、その後、「比較歴史社会学」関係の論稿も(こちらは積極的に)公表して、専門的課題としての『「経済と社会」の再構成----全体像』執筆のほうは、中断を余儀なくされていました。それと同時に、この間の「比較歴史社会学」関係論稿でも、「旧稿」の「一般社会字」(社会学的類-類型概念の決疑論体系) については、十分にスペースを割いて網羅的に解説することができず、歴史学者との相互交流にも支障をきたして、不充足感がつのっていました。そこで、『全集』版「旧稿」該当巻が、第三分巻「法」を最後に、ひととおり出揃ったこの機会を捉えて、『「経済と社会」の再構成----全体像』の仕事に立ち帰り、しばらく専念したいと思います。そのため、この「恵贈著作」欄への記載とくに感想付記は、しばしば中断を余儀なくされると思いますが、なにとぞご了承のほど、お願い申し上げます。215日記]

 

12. 219日着、大河原礼三著『第二イザヤと「僕の歌」』(中間報告)(26ps.)

 

13. 37日着、野崎敏郎著『大学人ヴェーバーの軌跡――闘う社会科学者』(2011228日、晃洋書房刊、38423407 ps.

[拝復。このたびは、ご高著『大学人ヴェーバーの軌跡――闘う社会科学者』(2011228日、晃洋書房刊、38423407 ps.)をご恵送賜り、まことにありがとうございました。

ここに収録されたご論稿各章は、紀要にご発表のつど、抜き刷りを拝読して、なにがしか感想をお伝えしてきましたが、こんどは、適切な表題を付して纏められた待望の一書を、通読することができ、感銘を新たにしました。大学と大学行政をみずから問題とし、精神神経疾患による心身の不安定を生涯抱えながら、つねに「知的誠実性」と「フェア・プレー」の原則に忠実に闘った、ヴェーバーの姿、その実存の軌跡が、初めて発掘された第一次史料とその的確な解釈により、見事に彫琢されていると思います。

顧みますと、大学という組織は、大学人にとってあまりにも身近で、卑近な利害も絡んでいるため、問題として対象化され難く、とかく「ことなかれ主義」でやり過ごされがちです。とくに、日本の社会学者は、大学をむしろ安泰な足場と感得して、「敗戦後近代主義」の価値感覚に依拠し、家族・親族から農村・都市・企業経営体・労働組合・官庁をへて病理集団にいたる、外の諸集団・諸組織は、問題として見据え、そうした諸対象に見られる「封建遺制」「前近代性」を実証的に剔抉することはできました。しかし、足元の大学だけは、196869年全国学園闘争で鋭く問われるまで、みずから問おうとはしませんでした。それに相応して、ヴェーバー研究も、大学人ヴェーバーの軌跡と(そのなかから紡ぎ出された)大学論を見過ごすほかはなかったわけです。

小生も、196869年全国学園闘争前夜の196263年「大管法闘争」の渦中で、大学とくに教授会の体質を、一現場で問題と痛感し、そのことが素地となって、196869年全国学園闘争における学生・院生からの問題提起を正面から受け止め、ヴェーバーについても「職業としての学問」などに表明され客観化された「学問論」を、(それだけ切り離してではなく)かれの主体的・実存的な生き方の所産-結実として、捉えようとはしました。「上に向かっても下に向かっても、自分の属する階級に向かっても、嫌がられる(「耳に痛い」)ことをいうのが、われわれの学問の使命である」という(卑近な「流れに抗して」「不都合な事実」の直視を迫る「知的誠実性」の)要請を、ささやかな大学闘争を支えるモットーとしてきました。しかし、小生は、その域を越えて、大学人ヴェーバーの実存の軌跡を、第一次史料によって追跡し、その全体像を構築するという課題には、手を染めることができませんでしたし、かりにできたとしても、とうてい貴兄による成果の域には到達できなかったでしょう。

 

 しかし、それだけに、貴兄のお仕事の意義は、小生がだれよりもよく評価できると確信します。内容上、個々の論点としても、ヴェーバーが、1919年の6月までハイデルベルク大学哲学部の「無給・無年金の正嘱託教授」として在籍し、自宅で学生指導に当たっていた事実を初め、1910年の論争であれだけ鋭く対立したフェリクス・ラッハファールをも、フライブルク大学に招聘するに相応しいとフェアに評価して、リッカートやベロウに推薦していた件など、貴兄によって初めて発掘され確証された事実を無視しては、今後、ヴェーバーの生活史も、その所産としての学問も、語れなくなりましょう。ラートゲン専攻の貴兄が、カールスルーエ公文書館で、バーデン州の二大学に関連する記録に遭遇されたことは、ヴェーバー研究にとってまことに幸運でした。と同時に、その切っ掛けを逃さず、執拗にくいさがって、芋づる式に事実を明るみに出してこられた、貴兄の丹念なご努力と、透徹した成果に、満腔の敬意を表します。

 

 その結果、ご高著は、学問方法上も、大きな意義を帯びることになりました。

先刻ご承知のとおり、ヴェーバーは、史料の虫食いの箇所に何が書いてあったのか、というような一見些細な問いに、千年の関心が寄せられていると思いなし、なにごとも忘れて、その解読に没頭-沈潜するといった「真理三昧」のスタンスを、学者の要件として説きました。ところが、成果への予測はくだし難い、そういうひたすらなる専念を、なにか「愚かなこと」「専門バカ」としてあざ笑い、むしろ手っとり早く成果を挙げ、それで名声をえようとし、「独創性」を誇示し、秘かに、あるいは公然と自画自賛する、といった風潮が、近年とみに蔓延り、(そういう風潮をもっとも嫌った) ヴェーバーそのひとの研究のなかにも (一見それとは分からない形で) 浸透しています。

一例を挙げますと、ヴェーバーの生活史について語ろうとすれば、どうしても1898年以降の精神神経疾患に直面し、これを採り上げざるをえません。ところが、素人なりに精神病理学ないし精神医学の文献を繙き、多少とも予備知識をもってアプローチしますと、その種の疾患の原因と症候(病像形成)のうち、前者には、(本人に面接も問診もせず、カルテにも目を通さない) 素人が、的確な判断をくだせるわけがなく、そのことくらいは素人にもよく分かります。そうした要件はみたしている専門的精神病理学者のヤスパースでさえ、病因の判定は慎重に控えていました。素人にもできることといえば、不可知の病因の作用と記述された症候にたいする当事者の(健全に保たれている意識による)対応とその「意味」を、「理解社会学」的に解明することに尽きます。

ところが、日本の「ヴェーバー研究者」のなかには、「無知の無知」ゆえに「畏れを知らず」、自信たっぷりに病因論に踏み込んで、臆断を弄ぶ人たちがいます。そのさい、病因を機能論的に解釈して、(じつは自分が主張し、ヴェーバーに読み込もうとしている)ある問題解決に(ヴェーバー自身が)到達した (と見る) まさにそのとき、「病気も嘘のように消え去った」とか、「治癒した」「全快した」と称して、生活史上の重い事実を、自分の主張の「引き立て」役にしつらえ、そういう「鮮やかな」虚像を、(「マックス・ヴェーバー××学入門」や「マックス・ヴェーバー○○思想入門」ではなく)なんと『マックス・ヴェーバー入門』と大言壮語して憚りません。

貴兄もご承知のとおり、そういう強引な方法的主観主義・操作主義にたいして、小生はかつて、(そうした「独自な解釈」の取得方法とも併せ)根拠を明示して批判を加えました。しかし、当人は、小生の批判に正面から答えません。むしろ、内容上の反論ではなく、「相手を『くそぐそにやっつける』ことで、『小賢しくも』自分の厳密性を誇示しようとしている」というふうに、誤った動機論に捩じ曲げて批判をかわし、反転攻勢を装っては逃れようとします。そうすると、第三者も、「触らぬ神に祟りなし」とばかり、論争に触れたがらず、触れたとしても、「当たり障りなく」「両説を併記」して「お茶を濁す」ばかりです。「関係者(ヴェーバー研究者)として、争点そのものにつき、双方の所見を批判的に吟味-検証したうえ、独自の判定をくだし、個人責任をもって明示する」という「知的に誠実な」対決は、回避されるのです。

こういう退嬰的な論争回避風土のため、ヴェーバー研究を含む日本の社会科学には、「論争を通じて真偽ないし適否を判定し、連続的な進歩を達成していく」という軌道が、敷設されません。これは、頑として批判を受け付けず、論争を回避し通した大塚久雄氏を初め、「敗戦後近代主義」の「知的不誠実性」の悪しき後遺症というほかはありません。

ところが、貴兄はこのたび、ヴェーバーの生活史における精神神経疾患の「快癒」説を、はっきり「錯誤」「牽強付会」と判定され、数多の史料により、マリアンネ・ヴェーバーの『伝記』における希望的観測記述さえ是正して、明快に論証されました(pp. 257372383384)。この一点にかぎっても、ご高著は、「知的誠実性」をめぐる大学人ヴェーバーの闘いを、対象として叙述するばかりでなく、著者自身が、ほかならぬ著者自身の状況で、同じ闘いを闘い、日本の社会科学に「連続的発展軌道」を敷設しようとしている証左とも読め、両面で画期的です。他の諸点でも、ご高著は総じて、「錯誤」「牽強付会」に甘んずるマンネリズムを鋭く暴露して論詰する戦闘性にかけて、ここ数年に公刊されたヴェーバー研究の類書に例を見ないほど、鮮やかです。これにたいしては、「相手を『くそぐそにやっつける』ことで、『小賢しくも』自分の卓越性を誇示しようとしている」というような、例の「すり替え」非難が、あるいは引き起こされかねない、と危惧するほどです。しかし、そんなものは、論争回避風土の退嬰的反応として、無視されてしかるべきでしょう。

なお、内容に戻って一点、第一次世界大戦後におけるヴェーバーの正教授職・講義復帰のさい、数ある打診のうち、ミュンヒェン大学の招聘に応じたのは、「学者として、学生とともに、学問を通じて」戦後復興を担うため、(直接)政治からは撤退すべく、それにはミュンヒェン大学の正教授職が恰好だったため、と説明されているように読みました。しかし、動機はそのとおりとして、それならばいっそ、ハイデルベルク大学の正教授に復帰するほうが適切だったのではないか、との疑問も浮かびます。それにもかかわらずミュンヒェンを選んだのには、そこではなんといっても政治の動きが激しく、直接に加担するのではなくとも、その動静を近くで観察し、演習の題材にとりいれたり、論評したりするのに好適、との判断が、一因としてはたらいたのではないか、との印象も受けました。この疑問が、小生の思い違いでないか、ご著書を再読して確かめようとは思いますが、なにか機会がありましたら、ご教示に与れれば幸甚と存じます。

以上、ご高著を拝読して、感想の一端をお伝えし、御礼に代えさせていただきます。

このたびの東北関東大震災では、アパートの七階に住んでおりますため、激しい横揺れに、本棚や茶箪笥から、本やガラス器が飛び落ちて散乱しました。しかし幸い、転倒防止具で支えてあったため、転倒は免れ、事なきをえました。若いころと違って、一挙に片づけて仕事に戻るだけの体力がなく、余震も頻繁につづいているので、少しずつ修復につとめています。そうしながら、原発反対の物理学者グループを友人とし、かれらの主張に賛同してきたひとりとして、ことここにいたった経緯に根本的な批判を抱きながらも、いまはただ、「誤った前提のうえに乗ってしまった」当事者たちの、それなりに真摯な放射能封じ込めの努力と、各勢力の動静を見守りつつ、「想定外」などと言い訳できないこの大事故が、今後の日本と世界に、どういう対応を引き起こしていくか、小生としてどう対応すべきか、いろいろ考えております。

では、気候も不順の砌、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。

敬具。320日。折原浩]

 

14. 311日着、Yagi, Kiichiro, Austrian and German Economic Thought: From Subjectivism to Social Evolution, Routledge, 180 ps.

[拝復。先日は、ご高著 Austrian and German Economic Thought: From Subjectivism to Social Evolution, Routledge, 180, ps. をご恵送賜り、まことにありがとうございました。

まずは、ご高著が、定評あるRoutledge叢書の一環として上梓され、国際的水準の規準的労作と評価されたことに、祝意を表し、ご同慶に存じます。

  卒読するに、ご高著は、メンガー兄弟からヴィーザー、ベーム・バヴェルク、ワルラスへというオーストリア学派の展開を、(貴兄によって再評価されたクニースを含む)ドイツ歴史学派との対比において追跡し、シュムペーターの「進化」概念を採用して、ヴェーバーの経済社会学を「進化論」的に再解釈し、よってもって日本の「マルクス-ヴェーバー問題」を再評価する、という内容構成とお見受けします。最終章Evolutionist reading of Max Weber’s economic sociology: a reappraisal of the „Marx--Weber problemは、2006年春の京都シンポジウムにおけるご発表の改訂稿のようで、当時を懐かしく思い出しました。

  さて、小生は、貴兄の以前のお仕事に学び、「当初は意図されなかった合成果」としての「新制度形成 (の一類型)」にかんする「C・メンガー-ヴェーバー関係」という貴兄の問題提起を受け止め、その後、『ヴェーバー学のすすめ』(2003、未来社刊: 11922)、『マックス・ヴェーバーにとって社会学とは何か』2007、勁草書房刊: 2234などで、できるかぎりの応答してまいりました。そのさい、古代パレスチナにおける「宗教的兄弟団」(という新社会制度) の「創始と普及」にかんする歴史的実証研究を踏まえた、『古代ユダヤ教』中の理論的定式化 (RS: 87-88, 188, 内田芳明訳、上、1996、岩波文庫: 206-08, 439) を、(ヴェーバーの思想展開に内在して、文献的に突き止めうる)「メンガー-八木」問題提起への最終解答と見なすことができるのではないか、という所見を述べました。そこで、この応答にたいする問題提起者としての貴兄のコメントを期待してきたのですが、これまでも、また、今回のご高著でも、(小生の所見はともかく) 上記ヴェーバーの理論的定式化にたいする論及も見出せないようです。なるほど、「宗教的兄弟団」の生成という三千年も前の事例は、近現代の経済発展ないし資本主義という経済社会学のフィールドからは外れているので、貴兄としては、意義を認められないか、あるいは、専門家としての禁欲を守っておられるのか、それとも、ヴェーバー理論そのものに、なにか内在的難点を探知して、論及されないのか、そのあたりのことが知りたいと思いますので、機会があれば、なにほどかご教示いただければ幸甚と存じます。

  なるほど、ヴェーバーは、「変異 variation、淘汰selection、普及diffusion、維持conservation」という「進化」理論そのものの深化-精緻化は知らず、上記定式化のかぎりでは、(淘汰理論の妥当性を認める)「普及」過程から、事件としての「創始」を切り離して、これを「まったく具体的な宗教史的、しかもしばしばきわめて個人的な事情と運命」に帰するのに急であったかに見受けられます。しかし、それはそれで、それ以前の「維持」過程に逆らう「新機軸」の選択で、少なくとも「具体的な宗教史的」問題状況 (たとえば「神義論」問題の尖鋭化) を背景とする、それへの対応として、なお解明の余地が残されています。さればこそ貴兄も、この局面に「カリスマ」理論の適用を示唆して (p. 144)、シュムペーターによる継受を注記しておられるのでしょう。

  なお、些細な点ですが、貴兄は、「価値合理性」というカテゴリーの定立を、「社会学的基礎諸概念」(1920) における「発明invention」と表記しておられます (pp. 139, 144)。ところが、ヴェーバーの方法論の展開において、「価値合理性」と「目的合理性」との区別 (厳密にはその区別に連なる概念構成) は、「客観性論文」(1904) では、「われわれがあるものを具体的に意欲するのは、『そのもの自体の価値のため』か、それとも、究極において意欲されたもの[の実現]に役立つ手段としてか、どちらかである」(WL: 149, 富永・立野訳: 30-31)というふうに、また、「カテゴリー論文」(1913) では、「予想志向的erwartungsorientiert」と「価値志向的wertorientiert」との区別 (WL: 442, 海老原・中野訳: 46) として姿を現しています。したがって、「発明」というよりも、すでに実質上定立されていた対概念の「昇格」と表記したほうが適切か、と思われますが。

以上、ご高著への感想の一端をお伝えし、御礼に代えさせていただきます。

今回の東北関東大震災では、アパートの七階に住んでいて、激しい横揺れに見舞われ、本棚や茶箪笥から、本やガラス器類が飛び出して散乱しました。しかし、家具類そのものは防振具で支えてあったため、転倒は免れ、事なきをえました。若いころと違って、一挙に片づけて仕事に戻るだけの体力がなく、震度35の余震も頻繁につづいているので、少しずつ修復につとめています。そうしながら、原発反対の物理学者グループを友人にもち、かれらの主張に賛同してきたひとりとして、ことここにいたった経緯に根本的な批判を抱きながらも、いまはただ「誤った前提のうえに乗ってしまった」当事者たちの主観的に真摯な尽力と、各勢力の動静を見守りつつ、「想定外」などと言いわけできないこの大事故が、今後の日本と世界に、どういう「新制度創始variation」を引き起こすか、小生としてどう対応すべきか、いろいろ考えております。

では、気候も不順の砌、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。敬具。323日。折原浩]

 

15. 311日着、三室勇・木本生光・小鶴隆一郎・熊本一規著『よみがえれ!清流球磨川――川辺川ダム・荒瀬ダムと漁民の闘い』(201141日、緑風出版、232 ps.)

[熊本一規様。拝復。先日は、ご高著『よみがえれ!清流球磨川――川辺川ダム・荒瀬ダムと漁民の闘い』をご恵送賜り、まことにありがとうございました。ご高著は、奇しくも311に、拙宅に到着しました。

  早速卒読しますと、漁民・住民の闘いが、川辺川ダム建設計画を阻止したばかりか、既設の荒瀬ダムも撤去させたとの由、しかも、そういう勝利の鍵が、「漁業者個々人の財産権」(という一見「近代ブルジョア法的」権利)の自覚と主張にあり、この闘争方針が、全国の埋立・ダム・原発などの阻止闘争にも活用できるとの由、目を見張るほど鮮やかで実践的な論旨に、思わず快哉を叫びました。これもみな、各地の漁民・住民運動に長年寄り添って、漁民自身による権利の自覚と主張を促し、具体的な提言と経験を積み重ねてこられた貴兄ならではのご努力の賜物と感服しています。

じつは、このところ、法政大学の舩橋晴俊君が主宰する「サステイナビリティ研究教育機構」の催しに出掛けて、勉強させてもらっています。さる221日には、「地域のお金を地域と地球に活かす――再生可能エネルギーによる地域と都市の新たな連携に向けて」と題するフォーラムが開かれましたが、その会場はさながら、かつて宇井さんの「公害原論」が開設された当初のような熱気に溢れていました。ただ、違いは、舩橋君とも話したのですが、「こういう方向性を追求すればいい」というポジティヴで実現可能な提言がなされるようになり、その点に「運動としての成熟」が見られることです。舩橋君らの幅広い運動と、貴兄の運動とは、地域の個別闘争と密着する度合いにかけては大いに異なるのですが、目指す方向性は一致しているように思われます。その点、全共闘世代がそれぞれの分野で、着実に経験を積み、成長を遂げてきている証左として、頼もしく、心強く感じます。三宅弘君らによる「情報公開法」制定運動も、着実な論証をともなう運動が、当初には「よもや」と思われた成果を勝ち取れた実例として、また、近代ブルジョア法の論理を逆手にとって具体的に活かす手法において、一脈通じるものがあるように思います。

ところで、今回の東北関東大震災は、貴兄の職場やお住まいでは、いかがでしたか。

小生は、アパートの七階に住んで、激しい横揺れに見舞われ、本棚や茶箪笥から本やガラス器類がいっせいに飛び出してきたのには驚きました。一瞬、ジンメルのいう「対外的脅威-排斥と対内的緊密の同時性」法則がはたらいて、夫婦喧嘩がパタリと止み、自転車用のヘルメットをかぶって部屋の中央に寄り添い、鎮まるのを待ちました。幸い、本棚や家具類は防振具で支えてあったため、転倒は免れ、事なきをえました。しかし、若いころと違って、一挙に片づけて仕事に戻るだけの体力がなく、震度35の余震も頻繁につづいているので、毎日少しずつ修復につとめています。

そうしながら、原発反対の物理学者グループ(小出昭一郎、白鳥紀一、高木仁三郎、土田敦、山口幸夫氏ら)の主張に賛同してきたひとりとして、ことここにいたった経緯に根本的な批判を抱きながらも、当面はただ「誤った前提のうえに乗ってしまった」当事者たちの主観的には懸命の努力と、各勢力の動静を見守りつつ、「想定外」などと言いわけできないこの大人災が、今後の日本と世界に、「自然の威力も人工的技術によって制御しきれる」と妄信する近代文明信仰を確実に掘り崩しながら、どういう影響を、どこまでおよぼすことになるか、小生としてどう対応すべきか、いろいろ考えています。それにつけても、かつて、原発設置のさいには、電力会社や国や自治体に言いくるめられ、漁業権の委譲を余儀なくされた沿岸漁民が、こんどは「財産権としての漁業権」を自覚し、回収すべく、委譲の更新を拒否する、という方向で、既設ダム撤去とパラレルの闘争を組み、原発廃炉に追い込むことはできないものか、他方、それとともに、再生可能なエネルギーへの転換という方向で、舩橋君らの運動と連携していくことはできないか、などなど。

今日のところは、感想の一端をお伝えして、ご高著への御礼に代えます。では、気候も不順の砌、くれぐれもご自愛のほど、お祈りします。慶子からも、くれぐれもよろしく申し出ています。敬具。324日。折原浩

 

16. 412日着、小路田泰直著『邪馬台国と「鉄の道」――日本の原形を探究する』(2011421日、洋泉社、220ps.

 

17. 418日着、牧野雅彦著『新書で名著をモノにする「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」』(2011420日、光文社、187ps.)

 

18. 423日着、西角純志著『移動する理論――ルカーチの思想』(2011413日、お茶の水書房、18834 ps.

 

19. 428日着、三宅弘著「内閣府行政透明化検討チーム・『情報公開法制度改正の方向性について』に関する論点整理」(『獨協ロー・ジャーナル』第6号、2011318日発行、pp. 47-93)、同「個人情報の保護と個人の保護」(『ジュリスト』No. 1422, 2011. 5. 1-15pp. 75-84)、および、右崎正博・三宅弘編『情報公開を進めるための公文書管理法解説』(2011320日、日本評論社刊、276ps.)

[このたびは、お便り、抜き刷り二篇とともに、ご編著『情報公開を進めるための公文書管理法解説』(日本評論社刊)をご恵送たまわり、まことにありがとうございました。「開かれた公文書館」の厳存が、行政その他の透明化を促進するうえでどれほど力になるか、計り知れないものがありましょう。「情報公開法」制定とその後のご健闘により、またひとつ、画期をなす成果を挙げられたことと、ご同慶のいたりです。早速、ご恵送を下記ホーム・ページ「恵贈著作」欄に記録し、そのうち機会をえて熟読しましたら、感想など付記させていただきたいと念願しております。とりあえず、ご恵送に厚く御礼申し上げます。敬具。516日。折原浩]

 

20. 59日着、加納格著「ロシア難民と国際社会――1921年」(『法政大学文学部紀要』61号、201010月、pp. 23-40)、同「ロシア帝国と極東政策――ポーツマス講和から韓国併合まで」(『法政史学』75号、20113月、pp. 1-29

 

21. 513日着、根津朝彦著「荒瀬豊の思想史研究――ジャーナリズム批判の原理」(『国立歴史民俗博物館研究報告』163号、20113月、pp. 63-97

[このたびは、お便りとともに、『荒瀬豊の思想史研究』をご恵送たまわり、まことにありがとうございました。荒瀬氏は、1968年の夏、東大医学部長豊川行平が『「疑わしきは罰せず」とは英国法の法理で、わが東大医学部はそんなものには支配されん』と豪語したとき、いちはやく反対を声明し、かつ東大法学部教官の発言を問い求めた大先達でした。その後、発言が聞かれなくなり、どうなさっているのか、ご案じしていました。早速、ご恵送を下記ホーム・ページ『恵贈著作』欄に記録し、そのうち機会をえて熟読しましたら、感想など付記させていただきたいと念願しております。とりあえず、ご恵送に厚く御礼申し上げます。敬具。516日。折原浩]

 

22. 514日着、富永健一著『社会学――わが生涯』(2011525日、ミネルヴァ書房刊、4617 ps.

[このたびは、ご高著『社会学――わが生涯』(ミネルヴァ書房刊)をご恵送賜り、まことにありがとうございました。たいへん親しみやすい語り口で、膨大な富永社会学の山並みを見渡せる楽しい本です。山登りをめぐる城戸浩太郎氏との交流も、感銘深く拝読しました。さて、つぎは何をおまとめになるか、楽しみです。とりあえず、ご恵送に厚く御礼申し上げます。敬具。516日。折原浩]

 

23. 519日着、鈴木規之・稲村務編「越境するタイ・ラオス・カンボジア・琉球,(琉球大学 人の移動と21世紀のグローバル社会 Ⅲ)」(2011315日、彩流社刊、4167ps.)

 

24. 525日着井上俊・伊藤公雄編、田中紀行・白鳥義彦他著「社会学的思考(社会学ベーシックス 別巻)」(2011530日、世界思想社刊、288ps.

 

25. 528日着、佐久間孝正著「在日コリアンと在英アイリッシュ、オールドカマーと市民としての権利」(2011524日、東京大学出版会刊、27517ps.

 

26. 529日着、滝沢克己協会「思想のひろば 第22号」(2011331日、滝沢克己協会刊、136ps.)

 

27. 617日着、丹辺宣彦・新城優子・美濃羽亜希子著「地域再生の展望と地域社会学、産業グローバル化先進都市豊田の地域コミュニティー形成」(20115月、地域社会学会年報第23集、別刷、pp. 53~66

 

28. 617日着、青木道彦「二人のメアリ時代亡命者の活動と一六世紀半ばのイングランド教会の状況(聖学院大学総合研究所紀要o.41)」(20083、聖学院大学総合研究所、別刷、pp. 112~131

 

29. 617日着、青木道彦著「[史料解題] Willam Bradshaw,“English Puritanism“ (1605)(聖学院大学総合研究所紀要No.46)」(20101月、聖学院大学総合研究所、別刷、pp. 19~55

 

30. 627日着、盛山和夫著「経済成長は不可能なのか、少子化と財政難を克服する条件(中公新書)」(2011625日、中央公論新社刊、257ps.

 

31. 726日着、三宅弘氏より奥津茂樹編集・発行「情報公開DIGEST」(2011726日、特定非営利活動法人 情報公開クリアリングハウス刊、38ps.)

 

32. 727日着、ジュヌヴィェーヴ・フジ・ジョンソン著、船橋晴俊+西谷内博美監訳「核廃棄物と熟議民主主義 倫理的政策分析の可能性」(2011810日、新泉社刊、297ps.)

 

33. 728日着、ウルリッヒ・ベック、鈴木宗徳、伊藤美登里編「リスク化する日本社会 ウルリッヒ・ベックとの対話」(2011728日、岩波書店刊、274ps.

 

34. 83日着、熊井英水著『究極のクロマグロ 完全養殖物語』(2011715日、日本経済新聞社刊、228ps.

 

35. 84日着、古川順一著「小林純『ヴェーバー経済社会学への接近』」(20117月 53-1 経済学史学会「経済学史研究」pp. 134-35

 

36. 818日着、岩城弘子氏より、丸山ワクチン患者・家族の会著「すぐわかる丸山ワクチン」(日本医科大学付属病院ワクチン療法研究施設内、丸山ワクチン患者・家族の会刊、19ps.

 

37. 818日着、岩城弘子氏より、丸山ワクチン患者・家族の会著「“私と乳がん”の話をしましょう 丸山ワクチン患者・家族の会懇談会3~乳がん患者と語る~」(2011514日、日本医科大学付属病院ワクチン療法研究施設内、丸山ワクチン患者・家族の会刊、53ps.)

 

38. 98日着、 蘆野つづみ著「蘆野つづみ詩集 風の詩」(20118月、発行者 蘆野つづみ、115ps.

 

39. 99古城利明著『「帝国」と自治――リージョンの政治とローカルの政治』(2011830日、中央大学出版部刊、291ps.

[このたびは、お便りとご高著『「帝国」と自治――リージョンの政治とローカルの政治』をご恵送たまわり、まことにありがとうございました。世界システム分析は、かつて花崎皋平氏に勧められて以来、邦訳を買いためて、いつか勉強しようと思ってきたのですが、ヴェーバー研究に目鼻がついてから、と先延ばししていました。貴兄が、その枠組みで日本とイタリアを比較して位置づけておられることに啓発され、この機会に取り組み、まとめて勉強しようか、と促されます。早速、ご恵送をホーム・ページ「恵贈著作」欄に記録し、そのうち機会をえて熟読しましたら、感想など付記させていただきたいと念願しております。とりあえず、ご恵送に厚く御礼申し上げます。敬具。911日。折原浩]                                         

 

40. 912日着小路田泰直・住友陽文・布川弘・西谷地晴美「『想定外』と日本の統治――ヒロシマからフクシマへ」(史創研究会 [代表: 小関素明] 編『史創』No. 12011825日、〒京都市北区等持院北町56-1、立命館大学文学部 小関素明研究室 刊、全77ps. 定価980円)

[このたびは、『史創』創刊号をお送りくださり、まことにありがとうございました。68-69年学園闘争当時から、自然災害にともなう原発事故を精確に予測し、警告していた物理学者はいたのですが、ほとんど「干され」、「原子力村」が独走していました。正論を唱える批判的少数者が「干され」ずに、その発言が傾聴されるよう、大学内外で、学問分野を問わず、広く議論を創出していくことが一法かと思います。その趣旨で、『史創』の創刊は、まことに時宜をえた企画とご同慶に存じます。早速、ご恵送をホーム・ページ「恵贈著作」欄に記録し、そのうち機会をえて熟読しましたら、感想など付記させていただきたいと念願しております。とりあえず、ご恵送に厚く御礼申し上げます。913日、折原 ]

 

41. 917日着、魚住孝至著『芭蕉 最後の一句――生命の流れに還る』(2011915日、筑摩書房刊、309ps.)

[拝啓。夜になると、盛んな虫の声に、ようやく秋の訪れを感ずる今日この頃、お元気のことと拝察します。

さて、このたびは、ご高著『芭蕉 最後の一句――生命の流れに還る』(2011915日、筑摩選書刊)をご恵送いただき、まことにありがとうございます。

貴兄の宮本武蔵論と芭蕉論とがどのように通底しているのか、興味をそそられます。

早速、ご恵送を下記のホーム・ページ「恵贈著作」欄に記録し、そのうち機会をえて熟読しましたら、感想など付記させていただきたいと念願しております。

とりあえず、ご恵送に厚く御礼申し上げます。敬具。918日。折原 ]

 

42. 102日着、野口雅弘著『官僚制批判の論理と心理』(2011925日、中公新書刊、187ps.

[拝復。このたびは、ご高著をお送りいただき、まことにありがとうございます。ヴェーバー官僚制論にかんする多義的解釈の決疑論を、一方では時代状況、他方では当の官僚制論そのもの多様性と関連づけながら提示し、官僚制批判と官僚制擁護、双方の一面的過熱を抑制して「中を行く」スタンスを育成しようとする、貴兄ならではの好論とお見受けします。

  早速、ご恵送をホーム・ページ「恵贈著作」欄に記録し、そのうち機会をえて熟読しましたら、感想など付記させていただきます。

別の話になりますが、いま、ジークフリート・ヘルメスの論文と著書を読んでいます。ひょっとすると、貴兄のボン時代の同僚ではないかと想像するのですが……。敬具。102日。折原浩]

 

43. 1014日着、青木秀男氏より、社会理論・動態研究所紀要『理論と動態』(3号、20101027日、〒732-0026広島市東区中山中町15-33、社会理論・動態研究所刊、128ps.)

[紀要『理論と動態』をご恵送いただき、まことにありがとうございます。とりあえず、ホーム・ページの「恵贈著作」欄に、ご恵送の事実を記録し、近々拝読の機会をえましたら、感想など付記させていただきたいと、念願しております。貴研究所のいっそうのご発展を祈念いたします。早々。1015。折原浩]

 

44. 1019日着、『季刊 iichikoNo. 112 (2011年秋、特集「剣術の文化学」、1020日、三和酒類株式会社・日本ベリエールアートセンター刊、127ps.)

[魚住孝至「宮本武蔵『五輪書』の思想」などを収録]

 

45. 1027日着、三戸公著『科学的管理の未来――マルクス、ウェーバーを超えて』(2000年、未來社刊、225ps.

 

46. 1030日着、岩城弘子氏より、西村一郎著『協同っていいかも? ――南医療生協 いのち輝くまちづくり50年』(20111110日、合同出版刊、223ps.)

 

47. 116日着、松井克浩著『震災・復興の社会学――ふたつの「中越」から「東日本」へ』(119日、リベルタ出版刊、254ps.

 

48. 1110日着、佐々木力著「ベイコン主義自然哲学の黄昏」(『思想』第1051201111月号、pp. 117-63)

 

49. 1111日着、熊本一規著『脱原発の経済学』(1130日、緑風出版刊、227ps.

 

50. 1119日着、杉山光信編『日高六郎コレクション』(20011116日、岩波書店刊、353ps.

[拝啓。このたびは、ご編著『日高六郎コレクション』20111116日、岩波書店刊)をご恵送たまわり、まことにありがとうございました。昔懐かしい数篇もあり、ざっと目を通しました。小生は、日高さんに触発され、教壇と書斎にとどまって時代と向き合い、ジャーナリズム以外で発言し、学問上敗戦後近代主義と批判的に対決してきたつもりですが、再読は必要と感じます。さしあたり、ご恵送を下記ホーム・ページ「恵贈著作」欄に記録し、そのうち機会をえて熟読しましたら、感想など付記したいと念願しております。とりあえずご恵送に厚く御礼申し上げます。敬具。20111123日。折原浩]

 

51. 123日着、西谷能英著『出版文化再生――あらためて本の力を考える』(20111130日、未来社刊、495 ps.

 

52. 1210日着、福岡安則・黒坂愛衣編 (話者 有村敏春) 『生き抜いて サイパン玉砕戦とハンセン病』 20111110日、創土社刊、189ps.

 

53. 1216日着、山脇直司著『公共哲学からの応答――311の衝撃の後で』(20111215日、筑摩書房刊、222ps.

[時宜をえた応答とお見受けします。]

 

54. 1225日着、横田理博著『ウェーバーの倫理思想――比較宗教社会学に込められた倫理観』(20111226日、未来社刊、462ps.