著作(kindly sent, gratefully received writings2010

 

本欄開設の趣旨:

小生は、教養課程の教員を長年勤め(196596)、「解放連続シンポジウム『闘争と学問』」(196972)や「公開自主講座『人間-社会論』」(197794)を開いていた関係もあって、多方面・多領域の知友から、しばしば著作のご恵贈を受けます。また、発表した拙作との関連で、未見の方々からも、著作や論考の抜き刷りを送っていただくことがあります。

そのつど、手にとっては、ご恵贈に感謝し、心血を注がれた作品を、しかるべく熟読し、なにがしか感想もお伝えしたいと心がけてはきました。しかし、在職中は多忙にかまけ、退職後も、年来の仕事を細々とつづけるかたわら、歴史の勉強も始め、応答がなかなか思うにまかせません。

そこで、この欄を開設して、少なくとも著作拝受の事実は記録し、(専門や当面の関心事にかかわりが深い場合には)少々の雑感も書き添えて、とりあえずはお礼に代えたいと思います。そのうえで、いつか、老生の関心が恵贈著作に近づき、拝読する機会をえましたら、そのつど感想を付記していきます。(私的に恵贈された著作につき、雑感を公表するのはいかがか、とも考えましたが、公刊された著作にかんすることでもあり、とくにお断りがないかぎり、ホームページへの掲載は、さしつかえないのではないかと判断しました。もとより、ご異議があれば、取り下げます。)

その昔、故上原淳道先生(東大教養学部で、東洋史担当の先輩同僚)が、長年、謄写印刷の『読書雑記』を、ほぼ月一通の頻度で、表裏手書きの封筒に入れて郵送してくださっていたことがあります。小生は、碌に応答もせず、いただきっぱなしで、思い出しては恐縮するばかりです。先生の顰みに倣うことはとうていできませんが、ホームページ上のこの形式でしたら、なんとかつづけていけるのではないか、と思います。そのため、お礼と応答が数カ月遅れることも、少なからずあろうかと思いますが、どうかご海容ください。2009712日の本欄開設時に記、2010219日、本欄2010年度版に転記)

 

1.  (2009) 1221日着、井上勲著『坂本竜馬――海洋の志士』、20091221日、山川出版社。

 

2.  18日着、 平沢信康氏より、鹿屋体育大学 身体儀礼文化フォーラム予稿集『体育大学における<修養的教養>の未来――武道礼法を中心に――』、2009125日刊、鹿屋体育大学(鹿児島県鹿屋市白水町10994-46-5172

 

3.  115日着、土谷邦秋・岸江孝男共編『東大全共闘から神経病理学へ』、1月18日刊、明文書房 (東京都文京区本郷2-16-10 三興ビル03-5842-2436)

[拝復

このたびは、ご編著『東大全共闘から神経病理学へ』をご恵送いただき、ありがとうございました。

封を切り、なぜ「神経病理学へ」なのか、と一瞬戸惑いながらも、1968-69年に駒場SⅡⅢの全共闘運動を担った団塊世代の、四十年後の回想討論ということで、一気に興味深く拝読しました。岸江さんが、聞き手として、いまの若い人たちにも分かるように、適切な解説を交えながら、他の三氏も率直に応酬していて、爽やかな印象を受けました。

 

こういう討論が、他の科類でも、運動仲間の間で交わされて、どんどん世に送り出されていくといいですね。それは、闘争を担った諸君の世代的責任でもあると思います。とくに、小生としましては、全共闘運動をへて研究者になった諸君が、闘争の意味をどう捉え返し、現在の研究-教育活動にどう活かしているのか、と問題を立て、同じような討論をまとめ、冊子にして発表してくれれば、と願っています。

 

大学の現状については、基礎研究を重視し、批判的思考力をそなえた若者を、少数者でもよいから、社会のどこかに確保していかなければならない (現状では、それが、容易ではなく、「偽物」が蔓延って困るのですが)、他方、手職を身につけるコースも対等に尊重されなければならない、という遠山さんのご主張に基本的に賛同します。それは「大学」を減らせ、ということに直結はしないので、「手取り足取りでもよいから、綿密な指導をすると、結構伸びる学生もいる」という面を重視しながら、淘汰されるものは淘汰されるのを待つ以外にはないでしょう。学生本人も、親御さんたちも、だんだんそのあたりのことには気づき始めているのではないでしょうか。

 

全共闘運動の「意味」はなんであったのか、というとことになりますと、小生は、東大教官が、自分の職場の状況から提起されてくる問題には、当事者双方の主張を比較して検証するというような、ごく常識的な知的対応が採れない、いいかえれば、「自分にとって不都合な事実を直視する勇気」としての「知的誠実性」をそなえていない、という実態を、満天下に明らかにしたことだった、と思います。その点、土屋さんの総括と、ほぼ同じです。

 

ただ、小生はとりわけ、案件そのものが学生処分だったのに、「公権力による不利益処遇一般について、当事者の権利を保障する」という研究-教育課題を共通にかかえている法学部の教官、とくに日本社会の他ならぬ「無責任の体系」を批判してきた丸山眞男氏が、処分案件そのものへの検証と発言を回避し、背信的態度を採り続け、その点に批判を向けると、「精神的幼児」とか、「パリサイの徒」とか、それこそ「小児病」的に、一種苛立った拒否反応を示して「決めつけ文句」を連発するほかはなかった事実、その後、「自分にはもっと大事な仕事がある」と豪語しながら、脱亜入欧米路線の先輩・福沢諭吉を祖述し、アメリカに遊学するばかりで、(小生から見ると)ほとんどなんの仕事もしていない事実には、「ああ、やっぱり」と思いました。「戦前派 (開戦時青年、発言可能) 世代」による「敗戦後近代主義」の精神的脆弱性と存在被拘束性が象徴的に示されていた、といえましょうか。小生は、こうしたスタンスを、専門のヴェーバー研究と歴史-社会科学一般について問いつづけ、乗り越えたいと考えています。

 

かれらは、開戦時にも、1968-69年と同じような「黙学追世」のスタンスで、少なくとも消極的には戦争に荷担し、敗戦後になると、戦勝国アメリカ流の自然法的民主主義・社会契約論・議会主義に素早くコミットし、敗戦を「終戦」「第二の開国」「解放」「革命」と言いくるめ、軍国主義批判・「無責任の体系」批判によって「自己義認・自己正当化」を遂げ、みずからは「無責任の体系」にどっぷりと漬かっていて、全共闘に「なにを問われているのか」さっぱり分からず、「軍国主義者もナチスもやらなかった暴挙」云々と、闇雲に「決めつけ文句」を連発して鬱憤を晴らすほか、なすすべがなかったわけです。

 

しかし、その光景をしかと見届けた諸君が、その意味を後続世代に確実に伝えないため、ふたたび(丸山逝去の日に東大構内の銀杏の樹が倒れたというような「神憑り」的な)「丸山崇拝」の雰囲気が復活している状況は、無視できません。それも、全共闘運動が、政治運動に傾斜し、内ゲバから浅間山荘事件へと頽落していく負の経過について、批判的総括がなされず、「こうすればよかった」という代案が示されないため、「やはり丸山の憤激が正しかったのではないか」というムードが、状況論的に復活してしまうのだと思います。

そうした批判的総括は、全共闘運動を担った人びと自身の責任で、その点、小生は、山本義隆君が、発言することを切望しています。かれが、専門の科学史ではよい仕事をしながら、そうした要望には一種苛立った拒否反応しか示さないとすれば、「なーんだ、丸山と同じではないか」という疑惑が生じてしまいましょう。

 

とりとめない話になりましたが、少々感想を記して、御礼に代えます。

なお、小生、ホームページに、「恵贈著作」欄を設けていますが、ご編著恵贈の事実を記し、この返メールをそこに付記してもよろしいでしょうか。

共編者、共著者のみなさんにも、よろしくお伝えください。早々。117日。折原浩]

 

4.  121日着、『季刊iichikoNo. 105, 2010年冬季号、特集 ラテンアメリカの文化学。

 

5.  124日、日中友好会館で開かれた「安藤彦太郎先生とのお別れ会」にて、駒場で小生のゼミのメンバーだったご子息・安藤潤一郎氏より、同氏著「中華民国期における『中国イスラーム新文化運動』の思想と構造」、『中国のイスラーム思想と文化』、20091230日刊、勉誠出版(東京都千代田区神田神保町220603-5215-9021、所収、を贈られる。

 

6.  125日着、大河原礼三著『聖書の平和思想を現代にどう生かすか』130日刊、現代書館 (東京都千代田区飯田橋3-2-503-3221-1321)

 

7.  128日着、富田武著『戦間期の日ソ関係 19171937』、127日刊、岩波書店。

 

8.  26日着、日経BP出版局の黒沢正敏氏より、マックス・ウェーバー、中山元訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、125日刊、日経BP (東京都港区白金1-17-3NBFプラチナタワー、編集03-6811-8650、販売03-6811-8200)

[拝復。このたびは、黒沢様より、中山様のご髙訳をご恵送たまわり、まことにありがとうございました。

ただいま、ある仕事の仕上げ段階にあって、ご髙訳をしかるべき密度で拝読している余裕がなくて残念ですが、ひととおり目を通させてはいただきました。浩瀚で難解な原論文を、常識的には最高水準の先訳がふたつあるとはいえ、訳注も加え、よくここまで読みやすい文体で訳出し終えられたものと、まずはご努力に敬意を表します。

 

ただ、小生は、訳者が翻訳家であれ、専門研究者であれ、アマチュアであれ、学問上適正な翻訳は、日本語としても読みやすいはずで、翻訳刊行後も、読者の批判を受けながら訳文を是正していかなければならない、という前提に立ちます。つきましては、この「倫理論文」についても、大塚訳、梶山訳に見られるいくつかの問題点をチェック・ポイントとして、ご髙訳に当り、管見を述べて、ご参考に供したく存じます。

 

(1)54ページの5-6行目に、「ベンジャミン・フランクリンがごく稀なほど誠実な性格の人物だったことは、彼の自伝から明らかである」とあります。原文は、……Benjamin Franklins eigener Charakter, wie er gerade in der immerhin seltenen Ehrlichkeit seiner Selbstbiographie zutage tritt, und ……です。原著者は、「フランクリン自身の性格が、(誠実か老獪かではなく)、ともかくも稀にみるほど正直に自伝に表白されている」といいたかったのではないでしょうか。なるほど、自伝を読みますと、「曖昧宿に行って病気にならないかどうか心配した」という趣旨のことまで正直に書いてあります。この表記を、フランクリンの性格そのものが誠実である、と解するのは、先二訳と同じです。これはたんに語学上の問題であるばかりか、アメリカを代表する人物を誠実な人物に見立てたいという「敗戦後近代主義」の願望が、後々の世代まで、なお尾を引いてしまっている証左ともとれるのですが、いかがでしょうか。なお、この問題点について、小生は、『学問の未来』(2005、未来社刊) 237-38ページで、指摘しております。

(2)22ページ以下の、Berufにかんする語義詮索の注には、さぞかし苦労されたことでしょう。関連する各国語をカタカナ表記で訳す方針を採られたようですが、ヘブライ語が原語のままで残されています。この点も、統一する必要がありましたら、拙著『ヴェーバー学の未来』(2005、未来社刊)の115ページに、ローマ字風の発音表記を出しておきましたから、ご参照ください。

(3)59ページと492ページで、Gehäuseを「檻cage」と訳出され、504ページの訳注32で、釈明しておられます。しかし、この「檻」という訳語は、パーソンズの英訳から、ミッツマンの『鉄の檻』をへて、日本の「悲観主義」者に襲用されるようになったもので、原語Gehäuseのニュアンスを切り落とす、いかにもアメリカ人らしい生硬な表記です。ドイツ語のGehäuseには、精神の「凝結態」として、どんなに硬くても、そこで新たな生命が育まれ、守られ、やがて殻を破って誕生するという、「生と形式の弁証法」(卵の殻と雛の関係) が表明され、ヴェーバーも、他の箇所では、そうした新しい生命の可能性に言及しています (拙稿「ヴェーバー研究の『新しい風』に寄せて」、『未来』20083月号、3-4ページ、参照)

(4)最後の予言のところですが、494ページの「この文化の発展における『末人』……」の「この」が、直前の、三つの可能性のうち、どれを受けるのか、全体をうけるのか、はっきりしません。この問題については、小生が大塚訳に疑義を呈し、安藤英治さんが引き取って、論争として提起された経緯があります (安藤著『歴史社会学への出立』、1992、未来社、461ページ注52、参照)。安藤著の参照を明記しておられ、この論争を踏まえられたはずのご髙訳には、この問題にはっきり態度決定する責任があると思うのですが、いかがでしょうか。

(5)また、第三の可能性が、「不自然極まりない尊大さで飾った機械化された化石のようなものになってしまう」と訳されていますが、原語は、mechanisierte Versteinerung, mit einer Art von krampfhaftem Sich-wichtig-nehmen verbrämtですね。このkrampfhaftemという一語は、著者が神経疾患のさなか、妻に宛てた手紙のなかに、自己診断のキーワードとして出てくるもので、研究主体ヴェーバーと、作品「倫理論文」とを結ぶ媒介環ともなっていると思います (拙著『ヴェーバー学のすすめ』2003、未来社、12ページ以下、参照)。大塚訳も、梶山訳・安藤篇も、このkrampfhaft の意義に気づかずに、訳し落としていて、「倫理論文」にすら籠められている、近代西欧文化にたいするヴェーバーの実存的批判を汲み出せないでいる、ここにも「敗戦後近代主義」の限界が露呈されている、というのが、小生の持論ですが、新訳者が、やはり先訳の読み落としを踏襲しておられるようなのは、ちょっと残念です。小生が訳者であれば、ここにこそ、長い訳注をつけます。先刻ご承知のとおり、翻訳もやはり、訳者の思想を表明するほかはありません。

 

以上、こちらから意識して、改訳してほしかった問題点に当たっているので、もとよりご髙訳の全体を否認しようというのではありません。ただ、ご訳業の進行途上で公表されている、「倫理論文」そのものにかんする論争と関連文献は、ご多忙でも参照され、その問題提起に答える、あるいはその水準を超える訳文としていただきたかった、という思いは禁じえません。というのも、先刻ご承知のとおり、いったん学術論文の邦訳として公表される以上、「学者でなく翻訳家の邦訳だから、日本語として読みやすければよい」ということにはならないからです。むしろ、一専門研究者として、本来こう訳してほしかったと思う問題点を、「積極的批判」として提示することは、専門研究者としての、訳者にたいする協力義務である、と考えまして、さしあたり気がついた五点を、お伝えいたしました。そういう趣旨ですので、どうか悪しからずご了承ください。

ご髙訳が、広い範囲で、読みやすい新訳と評価され、版を重ねるように、とお祈りします。早々。26日。折原浩]

 

9.  215日着、三島淑臣監修『滝沢克己を語る』(生誕百年記念論集)38日刊、春風社 (横浜市紅葉ヶ丘53、横浜市教育会館3階、045-261-3168)

 

10.  218日着、小林純著『ヴェーバー経済社会学への接近』、215日刊、日本経済評論社。

 

11.  219日着、熊本一規著『海はだれのものか――埋立・ダム・原発と漁業権』、215日刊、日本評論社。

[折原浩、慶子宛てに贈られました。小生も、去る123日、船橋晴俊氏に誘われて、「法政大学サステイナビリティ研究教育機構」の設立記念シンポジウムに出掛け、「化石燃料から風力や太陽光といった再生可能なエネルギーへの転換」「雨水を流さずに溜める雨水循環都市への転換」という具体的な話をききました。細かいところでは、意見の違いがあるかもしれませんが、熊本君が各地の住民運動に寄り添いながら紡ぎ出してこられた成果と、「維持可能な循環型社会へ」という大きな方向性において一致している、とたいへん力強く感じました。小生は、この方向性を、比較歴史社会学の「大きな物語」とつなげられないかと模索しています。]

 

12.    224日着、中富清和氏より、2009年度本欄にご紹介した論文「ベルクソンとアインシュタインのエネルギー概念についてOn the concept of energy by Bergson and Einstein」が、英文のまま、ハンノーファー・ヨーロッパ自然科学アカデミーの論文集 (2008) にも掲載され、さらにポーランド語にも訳されて刊行される由、また、新たに執筆された「孔子の正義論 A Theory of Justice by Confucius」が、ロシア語にも訳されて『科学通報Научный Вестники』誌 (2/2009) に掲載された由、お知らせと、それぞれの抜き刷りを恵送いただきました。

 

13.    38日着、佐々木力著『数学史』、225日刊、岩波書店。

919 ps.の大著。数学を、歴史的、社会的諸条件に制約された人間の営みとして、古今東西にわたって概観した、文字通り圧巻の通史。おそらくは、日本いや世界で初めての画期的な業績でしょう。81ページ以下、656ページ以下におけるマックス・ヴェーバーからの引証も、まことに的確で、膨大な素材のこの一端からも、著者の超人的な読破量の水準の高さが例証されます。数学というと、とかく難解で近寄りがたいと感じてしまうのですが、これなら老生にも判読できるかもしれない、と希望を与えてくれます。そのうち、しかるべく襟をただして熟読させていただきます。

 

14.    38日着、野崎敏郎著「マックス・ヴェーバーとミュンヒェン大学――大学と現実政治との狭間で苦闘する社会科学者」(『仏教大学社会学論集』、第50号、20103月、pp. 5168)、および「駆け足のドイツ研修を終えて」(『仏教大学年報』、第59号、2009年、所収))

[著者は、「カール・ラートゲンとマックス・ヴェーバーの足跡を探り、かれらの活動の歴史的意味と現代的意義を考証する」という明確な目的をもって、20084月からドイツに留学され、ハンブルク大学を拠点に、各地で調査研究に従事され、このたび無事帰国されました。その成果が、早くも、上記紀要に発表されたのです。第一次世界大戦における敗戦直後のヴェーバーが、一進一退の病状と、刻々と変わる政治状況を睨みながら、ハイデルベルク、ヴィーン、ミュンヒェン、ボンの四大学からの招聘と就任条件を勘案しつつ、けっきょくは、「ハイデルベルクにいつでも帰ってきてくれ」と送り出す同僚に、後ろ髪をひかれる思いでミュンヒェンに旅立つ姿が、第一次資料によって掘り起こされ、見事に彫琢されています。

野崎氏の研究によって、「ヴェーバーの神経疾患が『嘘のように消え去った』」とか、「すでに早い時点で、ハイデルベルク大学を退職していた」というような、伝記にかんする従来の通念は、根本的に改められなければなりません。『職業としての学問』『職業としての政治』の解釈(とくに邦訳の解釈)も再考し、改訳すべき時がきていると思います。ぜひ、一連の紀要論文をまとめて、著書として刊行され、野崎氏の研究成果がヴェーバー研究者を初め、わが国の歴史-社会科学界に広く共有されるように、と祈念いたします。

それにつけても、ヴェーバーが、第一次世界大戦敗戦前後の無理が祟り、56歳の働き盛りで早世した事実そのものを、わたくしたちとしてどう受け止めるべきか、――ヴェーバーという人物は、あの状況で、政治にコミットせずにはいられなかったでしょうし、政治と学問との緊張が、かれの学問そのものを彫りの深いものとしている関係は認めるとしても、緒についたばかりの比較歴史社会学への道がぷつっと絶たれたことは、なんとも痛ましく、残念です。その「本番」への「潜勢」を思うと、ハイデルベルクでかれを送り出したヤスパースと同じく、なんとか無理をせずに生き延びられなかったか、との思いを禁じえません。

いずれにしましても、海外研修を含むご研鑽の成果が、広く世に知られるように、祈念してやみません。]

 

15 314日着、竹内郁郎/宇都宮京子編『呪術意識と現代社会――東京都二十三区民調査の社会学的分析』、2010212日刊、青弓社、296 ps.

 

16316日着、唐木田健一著「創造性論議の落とし穴」(岡部恒治、戸瀬信之、西村和雄編『新版 分数ができない大学生』、2010310日刊、ちくま文庫、pp. 6185)

 

17317日着、水林彪著『国制と法の歴史理論――比較文明史の歴史像』、2010315日刊、創文社、639 ps.

[後日返信: 

水林彪様。拝啓。シンポジウムの後、学兄の大著『国制と法の歴史理論--比較文明史の歴史像』を拝読いたしました。「シンポジウムまでには必ず拝読する」とお約束していながら、準備に追われて叶わなかったのですが、やっとお約束を果たしてほっとすると同時に、学兄のお仕事の重さに圧倒されています。

 

『天皇制史論』の第一章に集約された学兄の比較文明史観が、その背後に、どれほどの苦闘と蓄積を経て形成されたものか、まったく分からなかったのですが、ようやくアウトラインは掴めました。主だったものだけでも、利谷・藤田「世界史の基本法則」史観、稲本「フランス近代法史」論、石井・村上「日独比較国制史」論、滋賀「中国法制史」論と、それぞれの最前線で誠実に対決され、さればこそ、それらを止揚する形で、水林「比較文明史的国制史」論を一歩一歩形成してこられた足跡とご努力に、敬服するばかりです。とくに滋賀「中国法制史」論の意義が画期的だったのですね。

 

それにひきかえ、小生は、マックス・ヴェーバー一本槍できて、もっぱらその視点から、『天皇制史論』第一章に、「世界史の基本法則」史観を読み込みそれに矛先を向けていたわけで、汗顔のいたりです。

 

これからは、日本国制史・法制史、比較国制史・法制史、比較文明史方法論の三分野にわたるお仕事を少しずつフォローし、とくに本番の研究成果から学びつつ、本物の水林史観とヴェーバー史観を対質させる方向で、努力していきたいと思います。

 

先日の第一回も、「大成功」などと言ってしまいましたが、学兄にはご不満だったでしょう。第二回以降は、三分野のお仕事を踏まえた議論を心がけたいと思いますので、なにとぞご海容のほど、お願いいたします。

 

11月下旬には、全集版「カテゴリー論文」の編纂を担当するヨハンネス・ヴァイスが日本にやってきて、日独社会学会で報告・討論ができますので、しばらくそちらの準備に専念します。

 

今日は、とりあえず読後感の一端をお伝えしたく、メールしました。

長雨の候、ご自愛のほど、お祈り申し上げます。10日。折原浩]

 

18318日着、日中社会学会会長中村則弘氏より『日中社会学研究』、第17号(200910月)、189 ps.および第17号増刊号(別冊子で、200966日の講演「マックス・ヴェーバーの比較歴史社会学における欧米とアジアとくに中国」当日稿を収録)

 

19320日着、藤原聖子著『「聖」概念と近代――批判的比較宗教学に向けて』2005330日刊、大正大学出版会、365 ps.

 

2044日着、平沢信康氏より、教育改革に係る事業成果報告書『修養的教養に主眼を置いた学士課程教育の再構築――武道教育における礼法指導を中心に』、2010331日刊、鹿屋体育大学、366 ps.

 

2146日着、森田良民氏より、「BCG (Business, Consumer/Customer, Government) のトライアングルから見えるもの」、「韓国勢躍進の『なぞ解き』――社会の構造変革と『ものづくり』革新」、「豊かな暮らしと、人とひととのつながりを実感できる社会」、「世代別の情報化」(株式会社オプティマ刊)

 

224 7日着、名古屋大学大学院環境学研究科社会学研究室編『名古屋大学社会学論集』、第30号、2009220日発行。

[スタッフ総執筆で、174 ps.の、内容充実した研究室開設60周年記念号です]

 

23. 47日着、丹辺宣彦氏より、『産業グローバル化先進地域の階層構造変動と市民活動――愛知県豊田市を事例として』、20103月刊、名古屋大学大学院環境学研究科社会学講座、260 ps.

 

2448日着、木田献一・金井美彦訳『油注がれた者――マルティン・ブーバー聖書著作集第3巻』、2010320日刊、日本キリスト教団出版局、167ps.

 

25. 412日着、デュルケーム/デュルケーム学派研究会『ニューズレター』、第10号、20091225日発行、14 ps.

[20009月に開設された研究会が、年二回の研究例会を重ねて、今年10年目を迎えられた由、若い世代の会員も増えつつあるそうで、ご同慶のいたりです。デュルケーム研究から遠ざかって久しい老生にも、毎号『ニューズレター』をお送りいただき、恐縮に存じます。いっそうのご発展をお祈り申し上げます。

とりわけ、ここ十数年、日本の自殺者数が、連続して三万人を越えています。この現状に、心を痛めると同時に、この問題に取り組む研究者に、精神医学者や臨床心理学者が多く、社会学者の協力が見当たらないようなのは、寂しいことです。小生も若い頃、デュルケーム『自殺論――社会学研究』(1897)の適用-展開を志して、「疎外による苦悩の分析――戦後日本の自殺を手がかりとして」(北川隆吉編『疎外の社会学』、現代社会学講座Ⅵ、1963、有斐閣刊、pp. 73-158)を発表し、現在も責任は感じているのですが、遺憾ながら、現状分析に取り組む余力がありません。研究会にお集まりの新進気鋭の方々が、この問題との取り組みを通して、デュルケームの偉業を現在に活かしていただけないものか、と思うのですが。2010423日記]

 

26. 415日着、三宅弘氏より、「行政文書情報公開訴訟における検証物提示命令の可否」(竹田省・末川博創刊『民商法雑誌』第140巻第6号、2009915日刊、pp. 700-20) 「書面交付による行政指導と放送の自由――放送法違反による電波法761項の適用について」、(『放送法と表現の自由――BPO [放送倫理・番組向上機構]放送法研究会報告書』、20102月刊、pp. 123-57、「公文書管理法の修正過程と公文書管理条例制定・情報公開法改正への展望」(『獨協ロー・ジャーナル』第5号、2010319日刊、pp. 3-33)

 

27. 430日着、中富清和氏より、”Mutual Respect between Bohr and Heisenberg”, in: Navigare necesse   est, pp.477-93; “The Code of Ethics of the Enterprise Samurai”, in: Czlowiek Swiat Filozofia, Warszawa, 2009, pp. 393-405; “’Bushido’ of the Enterprise, in: Management in the New Economy, Hannover, 2009, pp. 13-31; ヴァシリ・グリツエンコ著、中富他共訳「ロシアの情報伝達・意識の哲学について」、山陽学園大学『山陽論叢』、第16巻別冊、2009pp. 83-93; etc.

 

28. 51日着、田島毓堂編『日本語学最前線』、201055日、和泉書院刊、754ps.

[名古屋大学文学部で、1996-99年の間、同僚としてお付き合いいただいた田島先生が、門下生の論文40余篇を、内外の査読者による公正な審査をへて、厳選され、ご自身で再校、三校もなさったという、文字通り最前線の集大成。先生は七十歳をすぎて、相撲をとられ、自転車通勤をつづけておられる由。]

 

29. 53日着、石田雄著『誰もが人間らしく生きられる世界をめざして――組織と言葉を人間の手にとりもどそう』、201021日刊、唯学書房、219ps.

[帯に「貧困と暴力に抗して」、「軍隊を体験した政治学研究者の遺言」とある、この渾身のご本には、早速一読して、つぎのような、渾身の返信をしたためました。

石田雄先生、玲子様。拝復。「経済成長の自己目的化」による異常気象も、大自然には屈伏したかのごとく、ようやく爽やかな、例年どおりの五月となりました。ご清祥のことと、拝察いたします。

さて、本日は、ご高著『誰もが人間らしく生きられる世界をめざして――組織と言葉を人間の手にとり戻そう』(唯学書房刊)をご恵送たまわり、まことにありがとうございます。早速、一読させていただきました。

先生がご高齢にもかかわらず、このように、市民運動から「人間運動」へと進まれ、そこから「組織」それぞれの本来の目的と、人間の「言葉」とを回復しようとなさり、しかもそのお「言葉」を発信され、より広い運動を呼びかけておられるスタンスに、深い感銘を受けました。小生も、先生のお歳まではなんとか頑張りたいと、奮い立たされる思いです。研究と社会運動との狭間で、社会の最底辺に身を置こうと志され、その目線から、現行政治と政治学を批判しつづけられる人は、遺憾ながら、他にはおりますまい。

 

わたくしも、ご高著に触発されて、ふたつのことをご報告させていただきます。ひとつは、東大教養学部の旧同僚が、疑わしい「セクハラ」容疑で処分された件につき、当人と「対面的な人間としての対話」をつづけております。処分の主役を演じた東大法学部教員は(女性であれ、男性であれ)、かつての「196869年東大闘争」から、「公権力による不利益処遇につき、当事者の権利を保障する」という「組織」本来の目的に照らし、みずから「疑わしきを罰した」権力行使者として、事実を確かめて反省を汲み取ろうとした気配がなく、権力を揮われる側の痛みへの感受性も欠いたまま、権力の座に居すわりつづけているように見受けられます。この件につきましては、いずれ当事者とともに、「196869年東大闘争」の意義を再度問いかける文書を発表する予定でおります。

 

いまひとつは、「911事件」という局地的国際犯罪を「新しい戦争」にすり替えたアメリカ権力者の「言葉」に、日本の政治学者もジャーナリストも絡めとられて、厳然たる事実にもとづく自分の「言葉」を発せられなかった件についてです。アメリカは、「真珠湾を除いて、本土を攻撃されたためしがない(だから真珠湾のばあいと同様、どんな報復攻撃も辞さない)」といきり立ち、アフガン戦争からイラク戦争へと雪崩込み、「愚かな勝者の驕り」を露わにしました。ところが、アメリカばかりか、日本の政治学者もジャーナリストも、そういう愚論に、正面きって反論することができませんでした。「なるほど真珠湾奇襲は、フェアではなかったけれども、軍事施設に限定されていた、それにたいする報復攻撃としてのアメリカの絨毯爆撃・原爆投下・機銃掃射は、非武装市民の無差別大量殺戮というほかはなく、ナチスのホロコーストとスターリンの大粛清と並ぶ、20世紀最大級の『人道にたいする犯罪』ではなかったか」と、弱者 (敗者) の立場から「強者アメリカの驕り」を窘める「言葉」を発せられなかったのです。そういう「敗戦後近代主義」の弱腰 (当時、フルブライト基金によるアメリカ留学生で、ライシャワーの弟子であった故小田実氏も、「神風特攻隊を出した国民のひとりとして、……」などと、不可解にも卑屈な前置きをして発言された、と記憶しております) が、その後、イラク戦争に自衛隊を派兵し、今回の普天間基地問題にも、「アメリカの基地はいらない」と明言して対決できず、初めから「日米同盟」を前提として窮地に追い込まれるような関係を、その後、いまにいたるまで引きずらざるをえない、その元凶であった、といわざるをえません。アメリカの基地を百余もかかえるかぎり、日本はまだ、敗戦後の「属国」です。小生は、この惰性を問い、敗戦後「民主」主義のタブーを切開し、克服する企てを、『マックス・ヴェーバーとアジア――比較歴史社会学序説』で開始いたしましたし、今後も展開していく所存です。

 

ちなみに、「196869年東大闘争」の争点につき、「組織」の自己保存の利害に逆らい、「同僚批判のタブー」を破り、事実に即した討論を呼びかけた小生の「言葉」に、石田先生ご自身の師匠・「敗戦後近代主義」の旗頭・丸山眞男氏は、「おまえのような精神的幼児と議論している暇はない、わたしにはもっと大切な仕事がある」と、苛立ち、いきり立った「言葉」の返信を寄せられました。そこで、当の「もっと大切な仕事」とはなにか、と問い返し、その後もできるかぎり注視しておりましたが、丸山氏は、(「脱亜入欧米路線」の先達・福沢諭吉を祖述されるばかりか)目的も明示せずにアメリカに遊学されたと聞き、「ああ、やはりな」と思い知らされました。ここに一例を見るとおり、丸山氏は、ある時点以降、ジャーナリズムや崇拝者群の「寵児」となられ、ご自分の実存をすり抜けた「きれいごと」の「優等生インテリ」に堕され、問題の所在を見失われて、保身に右往左往された、と小生は愚考いたします。「永久革命としての民主主義」など、「歯の浮くようなきれいごと」も、そうした類で、小生なら、せいぜい「日常生活を一歩一歩改善していこう」というにとどめ、研究者としては、古代ギリシャの、重装歩-三段櫂船水の民主制、古代ローマの、奴隷狩り戦争にいたる民主(共和)制、ナポレオン・ボナパルトの独裁を呼び出したフランス革命、スターリン独裁にいたったロシア革命など、「民主制」と「革命」の末路に思いを馳せ、そうした帰結を避ける構想があるのかいなか、そうした考察を避けた「無責任な自己弁解・自己正当化」ではなかったか、と問いたいところでした(が、それこそ、そんな暇はありませんでした)

その点、欧米文化-学問の受け売りの域を越え、丸山氏流の「優等生根性」を棄て、日本の最底辺の日常生活に降りていこうと志され、そこから新たに視点を定立されようとした石田雄先生は、立場上内容上唯一「丸山師匠を乗り越えた真実の弟子」とお見受けいたします。孫弟子らは、「丸山氏逝去の日、東大構内の『大銀杏が倒れた』」などと「神がかり」の丸山崇拝に舞い戻り、安住してしまっています。大塚門下からも、「師匠を真っ向から批判できる真実の弟子」はついに出なかったようです。総じて「敗戦後近代主義」の限界と見ざるをえません。また、「宇宙開発」という狂気の沙汰に、莫大な予算をつぎ込み、子どもたちの夢をそうした方向に誘導している日本政府と日本ジャーナリズムの、 (「技術進歩」即「善」と前提してかかり、その目的への反省を欠いて、大勢に流される) 無責任とも、闘っていかなければなりません。

 

そのように、小生は、「戦争と貧困との悪循環を絶つ」という先生のご主張を、もう少し視野を広げ、普遍史的な比較歴史社会学のパースペクティーフで捉え返し、その地平から、アメリカ追随批判を怠った「敗戦後近代主義」とも論証的に闘い、けっして同位対立の反動には堕さずに、双方の「存在被拘束性」を乗り越えていきたいと存じます。

日本は世界一の長寿国ですが、アフリカ諸国の平均寿命は、エジプトとチュニジアを除き、すべて約半分以下の四十歳代に低迷しています。これも「自己責任」でしょうか。普遍史における「先進国」総体の責任を問わず、もっぱら第二次世界大戦における敗戦国の戦争責任のみをあげつらう視野狭窄は、それ自体、普遍史上きわめて特異な「西欧近代における経済力と軍事力との互酬-循環構造」の西方への侵略の突端(アメリカ離脱衆国)の世界戦略には好都合でも、人類史上はじつに愚かな、一時的にして近視眼的なイデオロギーを生み、議論をその枠内に制約します。

 

ここにしたためましたことは、けっしてご高著への一面的批判ではなく、世代の相違から生ずる力点のシフトゆえ、とご理解いただければ幸甚と存じます。もとより、ご賛同を求めることはいたしません。小生には、日本の軍隊で 「ひどい目」に遭った経験はなく、近代技術の粋を集めたアメリカ軍の皆殺し作戦こそ、(おそらくは日本の軍隊以上に)ひどい合理的暴力でしたし、「自由」「民主主義」など、なんと「正当化」されようとも、目を背けるわけにはいかない「敗戦体験」でした。「敗戦」を「終戦」「第二の開国」「解放」「革命」などと言いくるめた「言葉」は、(いち早く敗戦後の時流に乗り、「軸足を移し替えた」小賢しい似非インテリの)自己欺瞞による「自己義認・自己正当化」ではなかったでしょうか。いまなお、そういう虚偽が、尾を引いて、(やや飛躍と解されるかもしれませんが)年々自殺者三万人をこえる破局を招いているのではありますまいか。

 

これは、小生より前世代また同世代の戦争犠牲者の二重に無念の思いに、どういう「レクイエム」を捧げることができるか、の問題でもあります。もとより、「戦争犠牲者」には、明治藩閥政府が、欧米列強の圧力に押され、自分たちで国内の覇権を握るために呼び出した上位権威・上位権力「天皇ファッシズム」による、朝鮮、中国、東南アジアへの侵略-加害――すなわち、地球的国際的規模での「抑圧移譲」――の犠牲者も含まれます。失礼ながら、石田先生には、なお丸山氏と同じく、「抑圧移譲」を日本国内のみ、あるいは東アジアのみの問題として矮小化しておられる――ということはつまり、「敗戦後近代主義」の島国根性に囚われ、普遍史的な比較歴史社会学のパースペクティーフに到達してはおられない――と窺えるのですが、いかがでしょうか。

 

小生は、丸山氏とは異なり、先生ご夫妻からのご反問があれば、黙殺することなく、かならず応答申し上げる、とお約束いたします。もとより、小生にとって「大切な仕事」は、たくさん残されてはおりますが、「自己内対話」などと称してナルシズム(自己愛)に耽るようなことは、けっしていたしません。

では、よい季節とはいえ、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。敬具。53(憲法記念日)。折原浩

 

3058日着、加藤晴久著60年の『できごと』――『たたかわなくてはならない。試みなかったという恥をまぬがれるためだけであっても』」、『環』(特集「日米安保を問う」) vol412010 Spring: 314-15.

[拝復。ようやく新緑の候となりましたが、ますますご清祥のことと拝察いたします。

さて、このたびは、『環』に掲載のご論稿「60年の『できごと』」をご恵送たまわり、まことにありがとうございます。

早速、卒読し、小生も「60年安保」のことを思い出しました。あの頃は、樺さんの虐殺に抗議して、文学部の教授・助教授も、(茅総長が正門前で、「慎重に」と呼びかける声を尻目に) 国会までデモし、大学院生も、「先生方を守ろう」と意気込んで街頭行動に加わったものでした。その後、「政治の季節」が終わり、貴兄は、エコール・ノルマール・シュペリュールに留学して研鑽を積まれることになったわけですが、小生は、居残って、62-63年の「大学管理法闘争」に取り組みました。

池田内閣は、「所得倍増計画」を発表して大衆を鎮撫する一方で、「大学が革命勢力の拠点として利用されている」と「大管法」構想を打ち出してきました。これにたいして、東畑・中山・有沢といった学界長老が、「大学・国大協の自主的判断に委ねたほうがよい」といって池田をなだめ、「国大協自主規制路線」が定着します。その間、小生は、院生から助手・講師・助教授と集めた「大管法反対」の署名に、主任教授にも加わってもらおうとして「かわされ」(詳しくは、ホームページに掲載している「『適正規模』の社会学研究室」をご参照ください)、大学に問題がある、将来教員となっても「職場でこそ、闘わなければならない」と思い知らされました。そこから、「国大協自主規制路線」を「地でいく」ような、「医学部の卒後研修闘争」にたいする処分にも、これは「看過できない、闘わなければ」と踏み切った次第です。

貴兄も、紙幅があればもっと語りたいことがある、と付記しておられますが、いつか、そういう機会をもてればと思います。とりあえずは、下記ホームページの「恵贈著作」欄に、ご恵送の事実を記します。今日のところは、ご恵送に心より御礼申し上げますとともに、時節柄くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。敬具。2010518日。折原浩]

 

31.  515日着、高橋伸夫著『組織力――宿す、紡ぐ、磨く、繋ぐ』、2010510日、ちくま新書刊、235ps.

[拝復。ようやく新緑の候となりましたが、ますますご清祥のことと拝察いたします。

  さて、このたびは、ご高著『組織力――宿す、紡ぐ、磨く、繋ぐ』(筑摩書房刊) をご恵送たまわり、まことにありがとございます。

  早速、卒読し、はるか昔のこと、貴兄が東大教養学部社会科学科に助手としてご着任のころ、「『ぬるま湯』には独自の意義があり、『能力主義』『業績主義』『成果主義』は間違っている、業績ある者は、賃金格差をつけなくとも、それなりに十分報われており、業績には劣る者も、同等に処遇されていることに発奮して努力する、双方のそうした思いと協力によって組織全体のモラールも高まる」というご持論を、ユーモアも交えながら、力説されていたお姿を、感銘深く思い出します。ご持論を、Betriebとしての国家、あるいは国家連合、さらには人類にも適用して、拡大して展開するとどうなるか、などとの思いに誘われます。

  もっと精読し、感想をしたため、御礼すべきところですが、このところ各方面からご恵贈いただく著作が多く、他方、なにぶんにも老境に入って、思い通りに読書が進みません。

  そこで、とりあえずは、下記ホームページの「恵贈著作」欄に、ご恵送の事実を記し、そのうちできるかぎり速やかに精読して、しかるべく感想を付記させていただこうと存じます。

  今日のところは、ご恵送に心より御礼申し上げますとともに、時節柄くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。敬具。518日。折原浩]

 

32.  519日着、佐々木力著「地球科学の大学者の生涯をかけた学問的闘いの記録――秀逸な批判的精神を存分に発揮」、『図書新聞』、第2966号、2010522日号、所収。

[以前、泊次郎『プレートテクトニクスの拒絶と受容――戦後日本の地球科学史』2008年、東大出版会)を読み、地球科学 (地学) の分野でも、東京大学の権威主義と、日本共産党のスターリン主義的科学政策との狭間で、都城秋穂という俊秀が、アメリカへの学問的亡命を余儀なくされ、そのことによって、日本におけるプレートテクトニクス理論の受容が遅れた、という事実は知っていた。こんどその都城秋穂の自伝と通史が、東信堂から刊行された由で、佐々木力氏が、紹介を兼ねて書評を寄稿している。この事実は、分野を越えて、いまなお問題を投げかけ、「批判的少数者」として生きることの困難と大切さを示唆しているように思われる。]

 

33. 616日、飛雁会(1954年度入学・LⅡ3組の同窓会)にて、畏友青木道彦氏より、同氏著『エリザベスⅠ世――大英帝国の幕あけ』(2000120日、講談社現代新書刊、255ps.)と、同氏執筆の「ピューリタンとは何か――研究視角の再検討」を第10章に収録した佐藤清隆他編『西洋史の新地平――エスニシティ・自然・社会運動』(20051225日、刀水書房刊、257ps.)を贈られる。なお、『聖学院大学総合研究所紀要』(2009, No. 46)には、同氏による史料解題William Bradshaw, “English Puritanism”(1605) が収録されている (pp. 19-55)

 

34. 72日着、舩橋晴俊著『組織の存立構造論と両義性論――社会学理論の重要的探究』、2010630日、東信堂刊、235ps

 

35. 78日着、泊次郎著「知的誠実とは何か――クーンをめぐる二冊の本」、UP, No.453, July 2010, pp. 33-38 所収。

 

36. 79日着、雀部幸隆著「『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』批判的再考」(1) (2・完)、名古屋大学『法政論集』第234 (20103)、第23520106月)号、所収。

 

37. 715日着、川上周三著『フィラデルフィアの宗教とその社会――日系アメリカ人キリスト教徒の物語を中心にして』、2010720日、専修大学出版局刊、188ps

 

38. 726日着、徳永恂著「本は烈しく読むべかりけり――本の読み方と十代の私と」(『総合図書目録』、新曜社、2010年、pp. 44-46、「美談の『修正』と『解体』」(『ドイツ研究』第44 2010年、研究余滴、pp. 177-89)

 

39. 730日着、花崎皋平著『田中正造と民衆思想の継承』、201081日、七つ森書館刊、253ps.

 

40. 823日着、田嶋美喜著「費達生の人生――中国蚕糸業の近代化」、山田辰雄編『有名と無名のあいだ――東アジアの人物研究』、201071日、放送大学大学院、浜口・山田研究会発行、pp. 73-104.

 

41. 919日、「ヴェーバー法理論・比較法文化研究会」第一回公開シンポジウム (於一橋大学) にて、中国人民大学院から参加された高仰光准教授より、『《ザクセンシュピーゲル》研究』、20082月、北京大学出版社刊、290ps. を贈られる。

 

42. 919日、同じ機会に、東島誠氏から、「中世自治とソシアビリテ論的転回」(歴史科学協議会編『歴史評論』、第596号、199912月、pp. 32-45) および「非人格的なるものの位相――石母田正『日本の古代国家』で再構成されたもの」(歴史学研究会編『歴史学研究』、第782号、200311月、pp. 31-36を贈られる。

[次回研究会 (20111) までに必読]

 

43. 926日着、中富清和 ’Theory of Peace by Confucius: From the Viewpoint of “Philosophy of Nothiungness and Love”’ in: Skepsis (A Journal for Philosophy and Interdischiplinary Research), ⅩⅩⅠ/i-2010, Athens, pp. 65-84;「進化と不進化――ベルクソンとファーブル」、『フランス哲学・思想研究』、142009年、24-37; ‘Une synthèse philosophique du Christianisme, du Bouddhisme et de l’Islam’, in: Ministrare, tom. 1, 2010, Warszawa, pp. 627-38; A Macedonian Translation of Nakatomi’s ‘On the Synthesis of the Theory of Relativity and the Quantum Theory’, in: Philosophia, vol. 7, June 2009, pp. 101-19.

 

44. 101日着、919日にシンポジウムでお目にかかった田中茂樹氏より、「近代法の原型としてのヘーゲルの抽象法論」(『阪大法学』第145146号、19883月、pp. 189-210) と「ウェーバーの法社会学における目的合理性の概念」(『阪大法学』第153154号、19903月、pp. 525-57) の送付を受ける。

 

45. 106日着、柳父圀近著『政治と宗教――ウェーバー研究者の視座から』、2010925日、創文社刊、345ps

[拝啓。長かった酷暑も遠のき、よい季節となりました。

 このたびは、ご高著『政治と宗教――ウェーバー研究者の視座から』(創文社)をご恵送たまわり、まことに有難うございました。

 いつもながら、関連文献を渉猟され、バランスのとれた公正な評価を心がけられる温厚なご学風が、随所に感得され、敬服しております。

 

 4章冒頭では、Legitimitätの訳語にかんする水林論文と拙著に言及してくださいまして、ありがとうございます。

水林君にも伝えました。

直接の反論提起ではないようで、一読して持説を改める必要は感得しておりません。小生には、正当性という言葉には、「正当化」されて前面に押し出されてくる「正当性」「合理性」で、つねに背後の動機を疑ってかからなければならないというニュアンスこそあれ、倫理的なニュアンスがあるとは思えませんが、これはヴェーバーの用語法に馴染んでしまったからでしょうか。「正当性信仰」も、当初には「正当性諒解」から出発して理論展開されており、そんなに強烈な、あるいは確信的な「服従動機」を表すとは思えません。いずれにせよ、ヴェーバーの概念については、訳語を選ぶとしますと、正統-異端の軸との混同(正統-異端論の捨象・軽視)を招くので「正統」は好ましくないと思います。

 いずれ、改めて検討したいと思いますが、とりあえず、感想まで。

 

 では、時節柄、ご自愛のほど、お祈り申し上げます。敬具。1010日。折原浩]

 

46. 1025日着、近藤和彦編著『イギリス史研究入門』、20101015日、山川出版社刊、408ps.

 

47. 1027日着、ブルデュー著・加藤晴久訳『科学の科学――コレージュ・ド・フランス最終講義』、20101030日、藤原書店刊、290ps.

 

48. 1030日着、松井克浩著「ヴェーバー『社会理論』の可能性――支配の『正当性-諒解』論を手がかりに」、『季報唯物論研究』第113号、20108月、pp. 10-21

 

49. 1120日着、高橋伸夫著『ダメになる会社――企業はなぜ転落するのか?』、20101110日、ちくま新書刊、221ps

[拝啓

今年も残り少なくなりました。

先日は、ご高著『ダメになる会社――企業はなぜ転落するのか?』(ちくま新書) をお送りくださり、ありがとうございました。

早速、興味深く拝読し、終章で、転落しない企業経営の要件として「託されし者の責務をはたすリーダーシップ」を挙げ、それを「資本主義の精神」「世俗そのものの内部における聖潔な職業生活」とも呼び換えておられることに、強い印象を受け、ある感慨を覚えました。そこで、一ヴェーバー研究者の「責務」として、というとちょっと大仰ですが、ともかくも接点を投げかけられたものと受け止め、二三管見をお伝えしたいと存じます。

 

(1)「資本主義の精神」とは、大塚訳4445ページでヴェーバー自身も断っているとおり、近代資本主義を資本主義一般から区別する契機です。他方、「近代政治の精神」「近代科学の精神」「近代芸術の精神」として現れる「近代市民的職業エートス」の、近代経済の領域における一分肢と考えられます。としますと、「近代の精神」と呼んだほうが、正確で、無理がないと思えるのですが。

 

(2) その中身は、①「時は金なり」「信用は金なり」の二標語に表明されているとおり、個人の全生活時間も対他者関係も、すべてを捧げて「貨幣増殖」に専念せよ、と説く「定言命令」、②「正直」「誠実」「勤勉」「節約」といった徳目の遵守を説くけれども、対他者関係における効果に力点が移動し、場合によっては「外観の代用で十分」として「偽善」に傾く「功利的傾向」、③それでもなお、「純然たる功利主義」には帰着せず、「職業における熟達・有能さ」を人生最高の倫理的価値とする職業義務観、といった対抗的諸要素の過渡的統合形態と考えられます。ですから、この統合が崩れ、背後から①と②を引き止めている③が弱まって、①と②とが相乗的・相互補強的に並走しますと、容易に「粉飾決算」「エンロンの精神」に移行し、帰着するでしょう。

 

(3) 翻って、肝要な③の歴史的始原は、いちおう「プロテスタンティズム」に求められましょう。しかし、これは、中世修道院における「世俗外的・遁世的救済追求」の軌道を、「世俗に転轍して、世俗的職業生活の宗教倫理的意義を修道院生活と等価と見ながら、「伝統主義」に傾いて「禁欲」は(神にたいする秘かな不信から、それだけ人為に頼る「わざ誇り」として)敵視したルター派と、その世俗内的救済追求軌道のうえで、「禁欲」も引き継いだ(カルヴィニズム、敬虔派、メソディスト派、洗礼派などの)「禁欲的プロテスタンティズム」(ピューリタニズム)とに大別されます。なるほど、「禁欲的プロテスタンティズム」といえども、もとより「信仰」を重視はしますが、その質がルター派とは異なり、「有効な信仰fides efficax」でなければならない、と説きます。そこから、行為・実践を強調し、能動性を帯びますが、同時に、上記②の萌芽も孕むわけです。

 

(4) さて、貴兄は、「世俗そのもののただ中における聖潔な職業生活」という語句を、愛好されるというか、肯定的に引用されますが、これは、大塚久雄氏が、「訳者解説」の401ページで、ルターの宗教倫理を特徴づけている言葉ですね。大塚氏自身は、そこから「ただしかし、ルッターおよびルッター派のばあいその教義的限界によって、職業の世俗内的尊重とはなっても、ついに禁欲とはなりえなかった。『キリスト教的禁欲』を『世俗内的禁欲』として確立したのは、さきほど説明した禁欲的プロテスタンティズム諸派だったのです」(402ページ、アンダーラインは引用者) とつづけ、ヴェーバー解説と見紛われやすい言い回しですが、氏自身の信条 (敗戦後近代主義者としてのヘロデ主義的生産力信仰) を語り出しています。

しかし、貴兄はおそらく、大塚氏の信条まで肯定して、かの語句を引用なさったのではないでしょう。その齟齬にこそ、小生が、貴兄のお仕事とそのスタンスに、(ヴェーバー研究の領域における「敗戦後近代主義」批判者として) 共鳴する所以があろうか、と思います。

 

(5) そのようにして、「ダメにならない会社」「転落しない経営Betrieb」の条件は、比較歴史社会学のパースペクティーフに移して問われることになりましょう。そうなると大問題ですが、一点、ヴェーバー自身が、日本には、ルターに先駆け、すでに13世紀に、同質の「信仰宗教性」が出現し、しかも、ルターと同じく、「わざ誇り」として「禁欲」を忌避した、と指摘していた点が、注目されます。これも、敗戦後近代主義の「禁欲」重視のパースペクティーフに覆われて、十分に注目され、掘り下げられてこなかった論点のひとつです。

  このようにいいましても、小生はただ、ヴェーバー研究をとおして、敗戦後近代主義の先入観を問い返し、パラダイムを転換していこうと考えているだけで、なにか「禁欲」を敵視して捨てたとか、ルター派に「宗門替え」した、というわけではありません。日本の学界-ジャーナリズム複合体には、そのように党派 (学派) 政治的に決めつける風が蔓延っていて、困るのですが。

 

(6) その他、「鉄の檻」とは、1930年代のパーソンズの訳語で、大塚氏は、梶山力氏との共訳では「外枠」と訳していたのですが、単独訳から英訳を採用しました。しかし、原語はGehäuse で、精神の「凝固態」、そのなかで幼弱な生命が守られ、生長して、やがて「殻」を割って出る、という「生と形式の弁証法」のニュアンスがあります。「檻」と訳すと、これが脱落します。

また、196ページの引用文では、「それはそれとして、こうした文化発展」の「こうした」が、その直前に提示されている三つの可能性のうち、どれを受けているのか、曖昧です。原文では、第三の可能性を受けており、この誤訳は、かつて故安藤英治氏と小生が問題としたところです。ところが最近、「大塚は、あえて誤訳して意味を込めたのだ」というような、つまり「私物化容認」の擁護論も出ています。誤訳は誤訳として、訳者の責任として、はっきり認めたうえで、その意味を論ずればよいのですが、依然としてそうはならないのです。

 

 以上、ご高著の終章に触発されて、ヴェーバー研究の側から関連論点を (あくまで情報として) お伝えしました。もとより、ご高著には、それ以外に、独自の固有価値が多々あります。たとえば、バーリ/ミーンズ説にたいするチャンドラーの批判が、鉄道経営にかんする事例研究から導き出されたという論点も、たいへん興味深く拝読しました。その感想として一歩を進めることが許されれば、欧米各国を鉄道旅行していて常々思うのですが、日本の近代鉄道経営-利用文化は、短期間のうちに列島の隅々まで鉄道網を張り巡らし、しかも厳格な定刻運行を実施し、利用者も細密な『時刻表』を駅の売店で買って計画的に旅行する、という点で、欧米に比して遜色のない、たいへん高度なものだったと思います。それが、敗戦後、アメリカに倣う自動車文化の模倣的普及により、惜しげもなく捨てて顧みられなかったり、押され気味だったりするのは、まことに残念というほかはありません。敗戦後のアメリカ社会学の隆盛にたいして、小生が戦前からのヴェーバー研究の蓄積を踏まえて立とうとするのも、同じ批判的スタンスからです。

 

 とりとめもない感想にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 では、向寒の砌、ご自愛のうえ、よいお年をお迎えください。敬具。20101218日。折原浩]

 

50. 124日着、リヒャルト・グラトホーフ編著・佐藤嘉一訳『亡命の哲学者たち――アルフレッド・シュッツ/アロン・グールヴィッチ往復書簡19391959』、1996930日、木鐸社刊、558ps.

[佐藤嘉一様

先日はいわきで、それこそ半世紀ぶりに、思いがけずお目にかかることができ、ほんとうにうれしく存じました。そのさい撮らせていただきました写真を、同封にてお送り申し上げます。

 

そのうえ、このたびは、渾身の浩瀚なご髙訳『亡命の哲学者たち――アルフレッド・シュッツ/アロン・グールヴィッチ往復書簡 19391959』をご恵送たまわり、まことにありがとうございます。厚く御礼申し上げます。

 

まだ、「訳者あとがき」と「序論」「ノート」を卒読しただけですが、ふたりのフッサール門下が、苦難の流浪と亡命生活のなかで、相互に、また師匠にたいしても、積極的な批判を重ね、互いの槌音を聞きながら励まし合ってトンネルを掘り続けた軌跡は、戦争と革命の前世紀に放たれた光芒というほかはありますまい。この往復書簡を通じて、前提遡及的思考における「マージナル・マン」の可能性を探り出すことができそうに思います。

 

内容としても、シュッツの仕事が、ヴェーバー行為論の哲学的基礎付けで、急逝したヴェーバーの「潜勢」を受け継ぐひとつの重要な課題であることは、以前から察知しておりましたが、なにぶんにも「自然的態度」を脱することのできない小生は、ヴェーバーの仕事の普遍史的展開を跡づけ、その方向でかれの「潜勢」を引き出すことに精一杯で、なかなかシュッツの貴重な仕事に、しかるべくは取り組めません。しかし、一区切りつきましたら、ぜひ、前回お送りいただいた記念碑的ご髙訳(『社会的世界の意味構成――理解社会学入門』、改訂版、20061125日、木鐸社刊)ともども、熟読し、沈思黙考させていただきたいと、つねづね念願しております。

 

本日は、とりあえず、ご髙訳のご恵送に、心より御礼申し上げます。

いずれまた、お目にかかる機会もあろうかと存じます。

向寒の砌、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。敬具。125。折原浩]

 

51. 1222日着、橋本努他編著『1970年転換期における「展望」を読む』、20101225日、筑摩書房刊、479ps

 

52. 1224日着、牧野雅彦著『マックス・ヴェーバーの社会学――「経済と社会」から読み解く』(2011120日、ミネルヴァ書房刊[予定])、244ps.

[拝啓。今年も残り少なくなりました。

さて、このたびは、ご高著『マックス・ウェーバーの社会学――「経済と社会」から読み解く』(ミネルヴァ書房刊) をご恵送たまわり、まことにありがとうございます。

早速、卒読しましたところ、ドイツ歴史学派の問題構成のコンテクストでヴェーバーの業績を捉え返すという年来の視点を、こんどは『経済と社会』に集中的に適用された、画期的なお仕事とお見受けいたします。

これで、これまでテクストを読んでいただけでは分からなかった論点が分かるようになり、いちおう分かっていた論点もその意義がいっそうよく分かるようになる、といったことが多々あろうかと思います。

詳細につきましては、いずれ著書のほうで応答することとし、とりあえず、ご恵送に心より厚く御礼申し上げます。

それでは、厳寒の砌、ご自愛のほど、お祈り申し上げます。早々。1228日。折原浩]

 

53. 1226日着、野崎敏郎 「カール・ラートゲンの少年期と青年期)――歴史のなかの自我形成と思想形成」(『仏教大学社会学部論集』第51号、20109月、pp. 55374)、②“Karl Rathogen in Japan (18821890)“ in: Karl Rathogen (18561921): Nationalökonom und Gründungsrektor der Universität Hamburg, Reden, gehalten beim Akademischer Festakt zum 150. Geburtstag, 2009 Hamburg, S.19-31、③「マックス・ヴェーバーのジャパン・デビュー――その名を記した最初の日本語文献の発見」(『月刊百科』第527号、20106月、pp. 6-9ならびに ④その資料「海外記事」(『法学協会雑誌』第10巻第10号、1892pp.906-09)

[拝復。今年もいよいよ残り少なくなりました。

さて、このたびは、お便りと、上記四点のご著作をご恵送たまわり、まことにありがとうございます。

 

  いずれも、第一次資料からご自身が発掘され復元された諸事実と、これにもとづくオリジナルな考察で、日独を股にかけての精力的な研究活動の成果に、満腔の敬意を表します。この間ずっと、野崎さんの研究活動に瞠目し、その成果をフォローさせていただいてきましたが、もともとラートゲン研究から出発されながら、偶然にも、マックス・ヴェーバーにかんする、埋もれていた第一次資料に遭遇され、その偶然を見事に活かしきって、ヴェーバーの生活歴にかんする「常識」を覆された (ちなみに、ヴィッテ氏も、“mit Gehalt beurlaubter Max Weber“ と誤解していますね) ばかりか、今回また、ラートゲンの「少年期・青年期」につき、お孫さんのヴィッテ氏も知らなかった経緯を復元され、後年の離日事情についても、通説を覆す所見が熟しつつあるようで、興味津々です。故安藤英治氏の徹底した戸籍調査に、ヴィンケルマンも唸った、という一件を思い出します。

 

内容としましても、カール・ラートゲンが、歴史家ニーブールの孫、歴史学派の総帥シュモラーの義弟、という教養ある名門に生まれながら、かえってそれゆえに、父親の期待を重荷に感じて、長兄は別の人生行路に逃れ、末っ子のカールも、複数のギムナジウムに入退学を繰り返して悪戦苦闘する羽目に陥ったのでしょうか。市民革命が完遂されなかったドイツ文化史のもとでの「恵まれすぎた不幸」ともいうべき境遇に、マックス・ヴェーバーの生活歴にも一脈通ずるものがあるかに思われます。

 

野崎さんの学問も、そのときどきの偶然に徹底的に付き合われて、一見「道草」とも思われかねませんが、けっしてそうではなく、ヴェーバーを同時代人として背景に据え、ラートゲンの思想-学問形成を中心に、日独近代化の比較史的再検討-再評価にいたる、という道筋が、時塾しつつあるようにお見受けいたします。

 

『月刊百科』に寄稿のエッセイも、1893年の社会政策学会における東エルベ農業労働事情調査報告というヴェーバー自身の学界デビューが、早くも当時の日本学界に紹介され、参加が呼びかけられていたという新発見で、書肆の要望とはいえ、そこで拙著に言及してくださったのは、まことに恐縮ながら、光栄に存じます。

 

それでは厳寒の砌、どうかご自愛のうえ、よいお年をお迎えください。

来年には、ご高著が刊行されるものと期待しております。

早々。20101230日。折原浩]

 

54. 1230日着、Edith Hanke/Gangolf Hübinger/Wolfgang Schwentker, „Die Entstehung der Max Weber-Gesamtausgabe und der Beitrag von Wolfgang J. Mommsen“, in: Christoph Cornelißen (Hg.), Geschichtswisssenschaft im Geist der Demokratie, Akademie Verlag, S. 207-238.

[拝復。今年も、残り少なくなりました。

 さて、このたびは、ハンケさん、ヒュービンガーさんとお三人で執筆されたご論考「マックス・ヴェーバー全集の成立とヴォルフガンク・J・モムゼンの寄与」の抜き刷りをご恵送たまわり、まことにありがとうございます。

 早速拝読し、独文で御礼をしたためるべきところですが、とりあえず邦文で、ご恵送に厚く御礼申し上げます。

 

さる112022日、いわき明星大学で、第三回「日独社会学会議」が開かれ、ヨハンネス・ヴァイス氏他、ドイツ語圏からも、五人の社会学者が参加されました。小生、ヴァイス氏が「カテゴリー論文」と「価値自由論文」の編纂者に選任されたと聞き知り、主題別に五分されてしまった『経済と社会』(「旧稿」)の社会学的基礎カテゴリーが、ほかならぬ「カテゴリー論文」で定立され、その基礎カテゴリーが「旧稿」の体系的統合を再構成する「扇の要」をなしているという持論を、ヴァイス氏に直接お伝えし、当の基礎カテゴリーにかかわる術語一覧表と、前後参照指示ネットワークの一覧表を贈呈いたしました。

 

この持論とそれを裏付ける資料は、生前のモムゼン氏にも、氏がわざわざ名古屋に小生をお訪ねくださり、第一分巻「諸ゲマインシャフト」の編纂者序論の草稿を託され、「できるだけ鋭く批判してほしい」と要望されたご好意に応え、率直な批判とともにお送りしたものと同一です。しかし、モムゼン氏からは、直接にはご返事がなく、おそらくは代理として、ミハエル・マイヤー氏から、「細かいことはともかく、全般的な編纂方針に賛同してほしい」旨を要望する書簡が送られてきました。

 

遺憾ながら、小生、『マックス・ヴェーバー全集』の「旧稿」該当巻(Ⅰ/22)にかんするかぎりは、学問上、モムゼン氏にもマイヤー氏にも賛同はできませんでした。端的に申し上げてよければ、なぜ、モムゼン氏が、ヴェーバーの社会科学方法論と社会学とに通じた専門家をさしおいて、第一、第四分巻の編纂を担当なさることになったのか、まことに不可解で、『全集』編纂の「七不思議」と受け止めてまいりました。

 

しかし、『全集』の企画が成立した当初から、いろいろな経緯があったであろうことは十分に予想できます。その経緯を追跡すれば、「七不思議」が氷解することも、ありえないことではない、と思います。そうした予想と再評価の可能性も念頭において、ご論考をしかるべく集中的に拝読する所存です。

 

なにかの機会に、ハンケさん、ヒュービンガーさんにも、なにとぞよろしくお伝えください。

よいお年をお迎えになりますように、祈念いたします。

 

早々20101231日。折原浩]