恵贈著作kindly sent and gratefully received writings2009

   

本欄開設の趣旨:

老生は、長年教養課程の教員を勤め(196596)、「解放連続シンポジウム『闘争と学問』」(196972)や「公開自主講座『人間-社会論』」(197794)を開催していた関係もあって、多方面・多領域の知友から、しばしば著作の恵贈を受けます。また、発表した拙作との関連で、未見の方々からも、著作や論考の抜き刷りを送っていただくことがあります。

そのつど、手にとっては、恵贈に感謝し、心血を注がれた作品を、しかるべく熟読し、なにがしか感想もお伝えしたいと心がけてはきました。しかし、在職中は多忙にかまけ、退職後も、年来の仕事を細々とつづけるかたわら、歴史の勉強も始め、応答がなかなか思うにまかせません。とくに近年は、年齢のせいか、研究と著述への集中の持続に苦労し、拝読と感想ばかりか、恵送へのお礼も遅れがちです。

 

そこで、この欄を開設して、少なくとも著作拝受の事実は記録し、(専門や当面の関心事にかかわりが深い場合には)少々の雑感も書き添えて、とりあえずはお礼に代えることにしました。そのうえで、いつか、老生の関心方向が恵贈著作に近づき、拝読する機会をえましたら、そのつど感想を付記していきます。(私的に恵贈された著作につき、雑感を公表するのはいかがか、とも考えましたが、公刊された著作にかんすることでもあり、とくにお断りがないかぎり、ホーム・ページへの掲載は、さしつかえないのではないかと判断しました。もとより、ご異議があれば、取り下げます。)

 

その昔、故上原淳道先生(東大教養学部で、東洋史担当の先輩同僚)が、長年、謄写印刷の『読書雑記』を、ほぼ月一通の頻度で、表裏手書きの封筒に入れて郵送してくださっていたことがあります。小生は、碌に応答もせず、いただきっぱなしで、思い出しては恐縮するばかりです。先生の顰みに倣うことはとうていできませんが、ホーム・ページ上のこの形式でしたら、なんとかつづけていけるのではないか、と思います。そのため、お礼と応答が数カ月遅れることも、少なからずあろうかと思いますが、どうかご海容ください。(2009712日記)

 

 

20094月から712日にかけての恵贈著作(敬称略)

 

橋本努著「対抗的創造主義を生きよ!――『労働論の根本問題』に応える」、東浩紀・北田暁大編(NHKブックス別巻)『思想地図』第2巻、特集ジェネレーション、日本放送出版協会、pp. 93-114.

同上「グローバルな公共性はいかにして可能か」、(岩波講座哲学10)『社会/公共性の哲学』、岩波書店、20093月、pp. 151-68.

同上「『革命家』を求める現代社会?――なぜいま『ゲバラブーム』か」、『週刊エコノミスト』、毎日新聞社、2009311日号、pp.77-79.

  [一般的・抽象的には、既成秩序と(血統カリスマその他による)その「正当性」が、「革命」によって覆されたあと、蜂起した諸勢力の諸「正義」と諸「利害」を調停して、いかに新しい日常的「秩序」を樹立し、どうその「正当性」を再建して、「革命」を収束するか、――この難問をめぐっては、「大衆」ないし「民衆」の自己統治力に過度に期待することはできません。むしろ、その欠落に由来する「無政府状態」から、「カリスマ待望」が生じ、その体現者(オリヴァー・クロムウェル、ナポレオン・ボナパルト、ナポレオンⅢ世、ヒットラー、レーニン-スターリン、その他)が、「無政府状態」にともなう不満を、防衛戦争と対外侵略によって、また、異教徒・異端者をスケープ・ゴートとし「見せしめ」ともして、逸らすとか、あるいは、引き続き「外部の敵」との「闘争」を呼号して切り抜けながら、日常的諸利害との妥協形態を探る、とかの経緯が、「革命」をめぐるおおかたの歴史的経験として、思い返されましょう。カストロは、某強国によって対外的な通風口を塞がれながら、「革命」を収束しえた数少ない例のひとつですが、ゲバラはむしろ、かれの「革命の正義」をひたすら貫こうとした殉教者といえましょう。それも、ひとつの選択にはちがいありませんが、過当な一般化は、日常性に耐えられない若者大衆の間にエピゴーネンを生み出すばかりでしょうから、考えものです。むしろ、「革命の失敗」にかんする歴史的経験が、正面から比較歴史社会学的に切開-考察され、「こうすれば『難問』を解決できる」という方向性が示されないかぎり、見通しもなく「革命」に突っ走っては「内ゲバやリンチを繰り返すという悲惨な状況」が再現されるばかりでは、と危惧されます。]

同上「私の読書日記 (連載)」、第246810回、『経済セミナー』、20085791120091月号.

[第2回には、ヴェーバーの『ヒンドゥー教と仏教』が、広松渉『マルクス主義の地平』と並べられていますが、老生も、「比較歴史社会学――マックス・ヴェーバーにおける方法定礎と理論展開」(小路田泰直編『比較歴史社会学へのいざない』、勁草書房近刊)で採り上げました。ただ、老生はむしろ、『ヒンドゥー教と仏教』を、「唯物史観の積極的批判」=「止揚態」をなす「ヴェーバー史観」の一適用例として――つまり、インド文化圏に固有の「普遍的諸要素の個性的互酬-循環構造」を、同じくインド文化圏に固有の「普遍的諸要因の個性的布置連関」に因果帰属し、インド文化圏に固有の発展として捉え返して「西洋的発展」と対比しようとする、一般方針の具体的例解として――、取り扱っています。この再解釈が、マルクス主義の単線的・発展段階論による「社会主義」への移行も暗に含み込んだ「敗戦後近代主義」にたいする批判をなしている関係は、貴兄にも容易に読み取っていただけましょう。]

 

矢野修次郎・小山花子訳、マニュエル・カステル著『インターネットの銀河系――ネット時代のビジネスと社会』、東信堂、2009325日刊、A5判、339ページ、3600.

 [老生も、2006年春、「教会空間の比較研究」の途次、ナンテール校を訪ねました。ソルボンヌとの関係が、ちょっと本郷にたいする駒場のそれに似ていて、ふらっと立ち寄ったところ、社会学棟がなんと ”MAISON MAX WEBER” とあります。そこでつい、アポイントメントもとっていないのに、偶然出てきた老前所長に話しかけ、なぜ ”MAISON EMILE DURKHEIM” でないのか、などと無遠慮に質問したりしたのですが、現所長のJean-Paul Billaud教授はじめ、リベラルに歓待してくださいました。学生たちはちょうど、「新雇用法」反対のデモ (マニフェスタシオン) に出払っており、キャンパスに立ち並ぶタテカンを、久しぶりに見て、1968年当時を思い出しました。

1993年にミュンヒェンで出会ってから、論文を交換し合っている、マルセイユはSHADYCJean-Pierre Grossein氏も、アルチュッセール派の流れからヴェーバー研究に転じたひとりと見えます。

「あどがき」を拝見し、本の内容には関係のない、雑駁な思い出を書いて、たいへん恐縮です。ここ数日、韓国とアメリカの官庁が受けたという「サイバー攻撃」のことも、すでにこの本で論じられているのですね。老生の関心は、いまのところ、とてもここまでは届きませんが、そのうち拝読する機会もあろうかと思います。]

 

NAKATOMI Kiyokazu, Sur la synthèse de la théorie de la relativité et de la théorie quantique, in: Cztowiek i filozofia, 2008, Warzawa, pp. 185-202; On the concept of energy by Bergson and Einstein, in: Parerga, nr 3, 2007, Warzawa, pp. 23-28.

[著者の中富清和氏は、千葉県の東金商業高校に勤務しながら哲学研究に携わり、ポーランドの学界ともコンタクトをとり、今回、上記の論考を、仏文と英文で専門誌に発表されました。大学に専任の職をえ、留学経験もある研究者が、中富氏に見倣って、研究成果をどんどん世界に向けて発信してほしいものです。]

 

熊本一規著『日本の循環型社会づくりはどこが間違っているのか?――「汚染循環型社会」から「資源循環型社会」に転換するために』、合同出版、2009520日刊、46判、207ページ、1500.

[196972年の「解放連続シンポジウム『闘争と学問』」以来、一貫して反公害住民運動に寄り添い、訴訟関係その他で地域住民の力となり、その経験を踏まえて理論化を企て、分かりやすくて運動に役立つ著作をつぎつぎに出版してきた、著者のスタンスに、改めて敬意を表します。前作には、『ごみ行政はどこが間違っているのか?』、合同出版、『これでわかるごみ問題Q&A』、合同出版、があります。目下没頭している仕事が一段落したら、かならず拝読します。]

 

Kalberg, Stephen, ed., Max Weber: Readings and Comentary on modernity, Blackwell Publishing, 2005, 398ps.

[著者ステファン・コールバーク氏は、ボストン大学教授で、Max Weber’s Comparative-Historical Sociology, Polity Press, 1994, 甲南大学ヴェーバー研究会訳『マックス・ヴェーバーの比較歴史社会学』(ミネルヴァ書房、1999年刊) の著者です。フリードリヒ・テンブルックの門下で、確か1990年代中葉の来日以来、相互に交流しています。上記の本も、2009518日付けで、”Für Hiroshi Orihara――dieses Buch trägt ein bisschen zu unserer gemeinsamen Untersuchung bei.(この本は、われわれ共通の研究に多少寄与します) との献辞を署名に添えて、送られてきました。じつは、拙論 ”Max Weber’s ‘Four-Stage Rationalization-Scale of Social Action and Order’ in the ‘Categories’ and its Significance to the ‘Old Manuscript’ of his ‘Economy and Society’: A Positive Critique of Wolfgang Schluchter” の掲載されたMax Weber Studies, vol. 8-2, July 2008が、最近やっと刊行されたのですが、氏は多分、それを見て思い出し、編著を送ってくれたのでしょう。

  なお、氏は、ヴェーバーの歴史・社会科学を、上記前著の表題どおり「比較歴史社会学」と解し、Max Weber’s Sociology of Civilization

と題する大著の刊行を予告しています。上記のReadingsも、テクストの抄訳-編集は的確で、格好の教科書ないし参考書として広く使われるでしょう。そのほか、二篇の論文 ”The Origin and Expansion of Kulturpessimismus: The Relationship between Public and Private Spheres in Early Twentieth Century Germany” in: Sociological Theory, 1987, vol. 5, Fall: 150-65; “The Perpetual and Tight Interweaving of Past and Present in Max Weber’s Sociology” in: Chalcraft, David, et al, ed., Max Weber Matters: Interweaving Past and Present, 2008, Famham: Ashgate Publishing: 273-88が、メールで送られてきています。

氏のお仕事については、そのうち密接な並行研究として、まとめてコメントしたいと考えています。]

 

[後日譚:2010年 年頭の交信

13日コールバーク氏より

Lieber Herr Orihara,

ich wuensche Ihnen alles Gute fuer das neue Jahr und einen guten Rutsch.   Ich hoffe, Sie sind gesund und munter, und schreiben immer weiter.     Ich wuensche Ihnen auch viele Energie und Kraft.   

Mir geht's okay.   Ich habe ein sehr intensives Semester hinter mir.   Zu viel lehren; zu wenig schreiben.   Aber jetzt kehre ich zurueck zum "Max Weber's Sociology of Civilizations."    Im Sommer dachte ich, nur die Einfuehrungs- und Schlusskapitel hatte ich noch zu schreiben, aber dann bin ich zu dem Schluss gekommen, ein Kapitel ueber die Entstehung (bei Weber) des westlichen ethischen Individuums muesste doch dabei sein.   Wieder ein sehr anspruchsvolles Kapitel.   Ich habe im Herbst etwa eine Haelfte geschrieben.    

Worueber schreiben Sie im Moment?    Mein kleiner Einfuehrungsband -- Max Weber Lesen (ich nehme an, ich habe Ihnen eie Kopie geschickt!) -- ist gerade auf Turkisch herausgekommen.    In April auf Portugesisch (Brasilien).

Mit herzlichen Gruessen,

Stephen Kalberg

 

14日、折原より

Lieber Herr Stephen Kalberg,

 

haben Sie vielen Dank fuer Ihren Neujahrsgruss.

Herzlich wuensche ich Ihnen alles Gute fuer das neue Jahr.

Es ist fuer mich auch grosse Freude, dass Ihr treffendst ediertes Lesebuch, das ich 

uebrigens in einer Ruebrik "Kindly sent and gratefully received writings" meiner URL unten

mit japanischen Lesern bekannt gemacht habe, diesmal ins Turkische und Portugiesische (Brasilien)

uebersetzt worden ist.

Beide sind die "marginal areas" der modernen europaeischen Kulturwelt gleich wie Japan.

Deshalb koennen sie sich fuer "Max Weber's Sociology of civilizations" interessieren

und das Paradigma irgendwie wechseln.

Es freut mich sehr, dass Ihr grosses Buch sich von Minute zu Minute seiner Vollendung naehert.

 

Mir auch geht es gut. Waehrend dieser einigen Jahre, habe ich drei Buecher auf japanisch

geschrieben, genannt

"Max Webers Grundlegung der Soziologie als einer fundamentalen Vorarbeit fuer historische Studien",

"Vergleichende historische Soziologie bei Max Weber――Grundlegung der Methode und theoretische

Entfaltung", und 

"Max Weber und Asien――Prolegomena zur vergleichenden historischen Soziologie”. 

 

Kurz gefasst, gruendete Max Weber als einen positiven Schluss seines methodologischen Denkens

die verstehende Wissenschaft, deren generalisierender, gesetzeswissenschaftlicher Zweig

seine Soziologie, deren individualisierender wirklichkeitswissenschaftlicher Zweig

seine Geschichte ist. Auf dieser Unterscheidung konzipierte er eine vergleichende historische

Soziologie als eine ihm eingentuemliche Synthese von den beiden Zweigen, um die Eigenart der  

modernen europaeischen Kulturwelt auf dem univerasalhistorischen Horizont zu greifen

und diese ursaechlich zu erklaeren. Dafuer bildete er idealtypische Gattungs- und gattungsmaessige

Begriffe in WuG und wandte sie individualisierend auf China, Indien und antike Palaestina an. 

Dann verstorb er ploetzlich zu frueh. Also muessen wir seine Werke als einen unvollendeten Entwurf

uebernehmen und ihre Potenz herausschoepfen, als Soehne der modernen japanischen Kulturwelt, 

d. h. in einem Grenzgebiete der modernen europaeischen Kulturwelt lebenden, "marginal men".

 

Mit herzlichen Gruessen

Hiroshi Orihara
URL: http://hwm5.gyao.ne.jp/hkorihara

                                                   

201014日追記]

 

三橋修著『作家は何を嗅いできたか――におい、あるいは感性の歴史』、現代書館、2009年6月1日刊、46判、229ページ、1900.

[長らくの和光大学学長職、お疲れさまでした。添え書きに「社会学からどんどん遠くなって」とありますが、どうしてどうして。最新の「技法」を駆使して、分かりきったことを「実証」している調査報告よりも、ずっと高度な社会学とお見受けしました。「差別」の深層は「におい」にあると納得させられます。]

 

名和田是彦編『コミュニティの自治――自治体内分権と協働の国際比較』、日本評論社、2009610日刊、A5判、276ページ、4700

[ヴェーバーの法社会学から出発し、前著『コミュニティの法理論』(創文社、1998年刊)、前編著『社会国家・中間団体・市民権』(法政大学出版会、2007年刊) をへて、今回の編著へと、一貫したコミュニティ研究の進捗、ご同慶に存じます。老生の比較歴史社会学も、ここまで現代的に展開してきて、接点ができれば、と念願してはいるのですが。]

 

佐藤貴美子著『われら青春の時』、新日本出版社、2009620日刊、46判、286ページ、2000.

[「公開自主講座『人間-社会論』」に参加しておられた岩城弘子さんの初期民医連活動を、主要なモデルに、著者がまとめられた、楽しく読めて感動的な物語です。

岩城さんは、併せて、『灯ここに――あかつき学園40年の軌跡』(1993、風媒社刊、46258ページ、2000円)も送ってくださいました。この論集の刊行委員会代表・戸谷修先生は、小生が椙山女学園大学に勤めていた19992002年の間、先輩同僚として、なにかとお世話になりました。二年前、戸谷先生のお勧めで、石岡繁雄・相田武男著『石岡繁雄が語る氷壁・ナイロンザイル事件の真実』(株式会社あるむ、20071月刊) を読み、その書評をしたため、このホーム・ページに掲載しました (200742)。それが、畏友白鳥紀一氏の目に止まり、氏の編集する『科学・社会・人間Science, Society and Humanity』にも掲載されました。]

 

佐野誠・林隆也訳、W=シュルフター著『マックス・ヴェーバーの研究戦略――マルクスとパーソンズの間』、

W=シュルフター著作集3、風行社、2009625日刊、46判、214ページ、3000円.

[しばらく途絶えていたシュルフター著作集の続刊、ご同慶のいたりです。貴兄の恒常的学風からして、篤実、

正確なご高訳と確信します。ご承知のとおり、小生は、『経済と社会』「旧稿」の全集版編纂におけるシュルフ

ター氏のスタンス変更には批判を向けていますが、この関連点は、シュルフター氏のお仕事のほんの一部分に

すぎず、しかも、その一部分についても、Max Weber Studies, vol. 8-2, July 2008 所収の拙論 ”Max Weber’s

‘Four-Stage Rationalization-Scale of Social Action and Order’ in the ‘Categories’ and its Significance to the

 ‘Old Manuscript’ of his ‘Economy and Society’: A Positive Critique of Wolfgang Schluchter” をご一読いた

だければ明らかなとおり、氏の仕事には敬意を払い、それを踏まえて「氏が本来引き出すべきであったと思わ

れる結論を代わって引き出す」という役柄に徹しています。

というわけで、ご高訳は、ここしばらく専念している仕事に一区切りつきましたら、早速拝読します。

Mohr Siebeck社から出た浩瀚な近著 Grundlegungen der Soziologie, Eine Theoriegeschichte in systematischer Absicht, Band(マルクス、デュルケーム、ヴェーバー論) u.(パーソンズ、ミード、ハーバーマス、ルーマン論) は、小生宛てにも恵送に与りましたが、内容は今回のご高訳の延長線上にあり、著作集に収められてしかるべきものと思われますが、計画はおありでしょうか。富永健一氏の『思想としての社会学史』(2008年、新曜社刊) と同じく「社会学」というディシプリンを重視し、富永氏のサン・シモンに替えてマルクスを入れ、ルーマンとパーソンズにミードとハーバーマス (言語論的展開) も加えた構成で、日独両国における専門的理論社会学者それぞれの集大成を比較して見るのにも好適です。]

 

苅谷剛彦著『教育と平等――大衆教育社会はいかに生成したか』、中公新書、2009年6月25日、新書判、290ページ、840円.

[著者は、教養課程から学部にかけての学生時代、「公開自主講座『人間-社会論』」を手伝ってくださいました。これに付帯しては、「卒論たたき会」と称する討論会を、みずから提唱し、組織し、厳しい相互批判を交わし合いました。

新著は、前著『大衆教育社会のゆくえ』につづく歴史的遡及篇で、今後『大衆教育社会論』を加えて三部作となる予定の、第二作とのことです。ちょっと目を通し始めたのですが、とても難解で、これはやはり、出直して集中的に拝読するほかはない、と決めました。

  そんなわけで、内容にはかかわりなく、たいへん恐縮ですが、「あとがき」にも記されていて、公表事項と

判断してもいいと思われる事情について、僣越ながらひとこと希望を述べさせてください。というのも、氏は、

昨年からオックスフォード大学の教職を兼務してこられましたが、この9月末で東大教育学部を辞め、10月か

ら専任として渡英されるとのことです。そのこと自体は、氏の実力が国際的に評価され、新しいお仕事に専念

されようということで、たいへんよろこばしく、ぜひ頑張ってきていただきたいと思います。

ただ、望むらくは、消極的また積極的、ふたつの理由で、イギリスにおける研究計画を予め公表してご出発になるように、お勧めします。消極的理由とは、日本には、幕末開国以来の「脱亜入欧米路線」の延長線上で、「なんのために」との問い抜きに、欧米への遊学や赴任を即正当視する慣行が根強く残っており、氏にはそれを否定していただきたいからです。いまひとつ、積極的理由としては、『比較社会・入門――グローバル時代の<教養>』の編著者でもある氏に、この機会にぜひ、腰を据えて、イギリスと日本とのマクロな「比較歴史社会学」的考察に取り組んでいただきたい、と期待するからです。

イギリスと日本とは、いうまでもなくユーラシア大陸の西の島国と東の島国ですが、一方は、異種族による波状的な征服に加え、ローマ帝国にも攻め込まれて直接支配され、それ以来、余勢を駆ってヨーロッパ亜大陸や全世界に覇権を樹立しようと、戦争と政治的・外交的駆け引きに明け暮れてきました。それにたいして、他方は、幕末開国まで、そうした経験ないし苦労を経ずにきました。そうしたところから、歴史的文化の重畳構造ともいうべきものが、単線的発展段階論の図式ないし単線的進化論の尺度を適用して処理するには、あまりにも違いすぎます。むしろひとまず、双方を相対化して、価値自由に捉え返す必要があるように思います。

ところが、日本の「敗戦後近代主義」は、そうした試みを回避してきました。むしろ「イギリス」を、「議会制民主主義の母国」「ヨーマンリの勤労が芽生えた土地」「産業革命の発祥地」「(本来の)『近代社会主義』革命が真っ先に達成されるべき最先進資本主義国」「第二次世界大戦直後に、凱旋将軍のチャーチルを避けて労働党のアトリーを選出した、政治的に成熟した市民社会」など、「遥か彼方の目標-理想-規範」に見立てて宣揚しました。これはやはり、アメリカ軍の絨毯爆撃と原爆投下によって死屍累々の野焼け野原と化した焦土に立って初めて、彼我の生産力格差を思い知らされ、開戦時点におけるみずからの積極的・消極的戦争荷担加害者性は棚に上げ、あるいは隠蔽し、戦勝国アングロ・サクソン流の自然法的民主主義・社会契約論・議会主義への「過同調」によって「自己義認・自己正当化」を遂げ、事後の過補償」動機から、軍国主義・超国家主義・天皇制ファシズムと「日本の前近代性、封建性」をそれだけ鋭く批判し、「近代化の人間的基礎」を改めて説こうとした、「戦前派(開戦時青年・発言可能世代)」知識人の遺産であり、へロデ主義的「脱亜入欧米路線」の敗戦後版であった、と考えざるをえません。貴兄の批判的労作にまったく反応しなかったという「<進歩派>教育学の先達」も、そうした「敗戦後近代主義」の系譜に連なる人たちだったにちがいありません。

そのあたりのことを、イギリスに長期滞在され、歴史と現状を観察しながら、じっくり考えてみていただけませんか。

いずれにせよ、なんといっても生活環境が変わりましょうから、ご家族ともども、くれぐれもご自愛のうえ、ご活躍ください。]

 

西谷能英著『出版のためのテキスト実践技法・総集篇』、未來社、2009710日刊、46判、219ページ、1800.

[『出版のためのテキスト実践技法・執筆篇』、『同・編集篇』、『秀丸エディタ超活用術』につづいて、今回は『同・総集篇』をお送りいただき、ありがとうございます。

未來社の編集は、原稿引き渡しから刊行までの段階がじつに確実かつスピーディで、執筆者としての予定が立てやすくて助かります。これも、独自に開発された技法と長年の鍛練の賜物と、いつも感謝しています。

今後の企画のさいには、せめて一部分でも執筆段階で先取りできるようにしたいと念願しています。]

 

(以上2009713日記)

 

713日着、清水靖久著「丸山眞男の秩序構想」、政治思想史学会編『政治空間の変容』、政治思想研究、第9号、風行社、20095月刊、所収。

[丸山眞男氏については、いいたいことが山ほどありますが、これはいずれ別の機会に、まとめて]

 

715日着、日本社会学史学会編『社会学史研究』、第31号、いなほ書房、2009625日刊。

 

725日着、季刊iichiko, a journal for transdisciplinary studies of pratiqueNo. 103, Summer 2009, 特集ミハイル・ブルガーコフ第一部

 

728日着、東京大学社会学研究室同窓会報『クローネ』、第7号、2009724日刊。

[なにごとにも努力を惜しまれない先輩・富永健一氏の平成20年度文化功労者顕彰受賞特集。]

 

728日着、日本社会学会理事選挙管理委員会、理事選挙投票用紙。

[日本社会学会とは、「1968-69年大学闘争」後、機関誌『社会学評論』に傍観者的な「大学問題」特集号が組まれて以来、自然に足が向かなくなっていましたが、1996年に名古屋大学に勤務し、院生の研究指導上、復帰しました。その後もあまり熱心な会員ではなく、今回も、つい失念して、理事選挙を棄権してしまいました。2020年のヴェーバー没後100年を、日本社会学会がどう迎えるか、を見届けるまでは、会員でいようと思ってはいます。]

 

729日着、八木紀一郎監訳『ハイエク全集 -7 思想史論集』、春秋社、2009725日刊。

[小生は、門外漢ながら、八木氏によるメンガー研究の労作は、熟読し、ヴェーバーにおける「社会制度の創始と普及」の理論は、メンガーの二分法(「実用主義的」と「無反省的」) と唯物史観との相互媒介による止揚の所産と解して、かれにも試論として書き送ってはいるのですが、応答がありません。今回の監訳書でも、ところどころにヴェーバーへの言及はあるのですが、これに対応する問題点には触れられていないようです。]

 

729日着、『ちくま』、No. 461, Aug. 2009.

 

730日着、『未来』、No. 515, Aug. 2009.

[西谷氏の「未来の窓」と永井潤子さんの「ドイツと私」欄は、毎号読んでいます。]

 

87日着、『UP』、No. 442, Aug. 2009.

 

811日着、滝沢克己協会『滝沢克己協会報』、第53号、20097月。

[協会の催しには、一度も出席したことがなく、まことに申しわけありません。滝沢先生は、1968年以来、一貫して小生の原点で、著作類では、直接間接、かならず言及しています。ご盛会とご発展を祈り上げます。]

 

812日着『社会科学と社会政策にかんする認識の「客観性」』、第12刷、200984日刊。

[昨年5月、「日本フランス語・フランス文学会」のワークショップ「翻訳の社会学」で、翻訳水準の向上のため、訳者自身が各々自分のホーム・ページに「誤訳訂正欄」を開設して、誤訳を見つけ次第訂正していくという提案をしました。そこで、まず自分自身、その提案を実施に移し、この邦訳についても、第1刷をお持ちの読者には、「第2刷へのあとがき(訂正と補足)」、第36刷をお持ちの読者には、「第7刷へのあとがき(訂正と補足)」を参照していただけるようにしなければ、提案者としての責任を果せないと、心にかかってはいました。しかし、書肆の文庫編集者から、次回の訂正を最終回にしてほしいと、いささか無理な要求を出されているので、つい全面的な再検討と改訂には手を着けられず、増刷だけが進行してしまいました。そのうち、なるべく早く、懸案の「誤訳訂正欄」は開設したいと思います。]

 

821日着、福岡安則他編『栗生楽泉園入所者証言集』、上中下、栗生楽泉園入園者自治会/創土社、2009831日刊。[ハンセン病患者にたいする強制隔離絶滅政策の実態を、当事者が証言した、上巻474ページ、中巻446ページ、下巻477ページの膨大な聞き取り集。当事者の悲痛な証言を読むにつけても、京都大学の小笠原登氏のように、ハンセン病の伝染性は乏しく、隔離せずにも治療が可能、と正論を唱える医師がおり、他の医師たちも、小笠原氏の論証を読んで知っていたでしょうに、なぜ、厚生省や学会権威者や世論に追随ないし迎合して、強制隔離絶滅政策になだれ込み、これほどの犠牲を出してしまったのでしょうか。そのように考えると、これはけっして過去のことではない、他大学、他領域の大学関係者の精神構造も、まったく変わってはおらず、自分に不都合なことは直視したがらず大勢に順応する「黙学追世」の徒が、いぜんとして多数を占めているのではないでしょうか。ですから、同じようなことがいつ再発するか分かりません。そうした意味で、強制隔離絶滅政策に、直接間接荷担した医師たちの言い分も、収録されたほうがよかったのではないか、と思います。]

 

829日着、『未来』、No. 516, Sept. 2009.

 

831日着、『ちくま』、No. 462, Sept. 2009.

 

9月4日着、『学士会会報』、No. 878Sept. 2009.

[理事長だったという大内力氏の追悼特集。小生は、マルクス経済学者の氏が、1968-69年東大闘争当時、事実誤認処分を認し、組織維持を自己目的化して学問を棄てた加藤一郎総長代行の補佐をつとめ、機動隊導入による「収拾」強行の責任者であったことを、けっして忘れません。学問以前の人間の問題です。]

 

911日着、関正則氏より、氏の編集した二点。イブン・ファドラーン著、家島彦一訳注『ヴォルガ・ブルガール旅行記』、東洋文庫789、平凡社、2009910日刊、および、マルティン・ハイデガー著、関口浩訳『技術への問い』、平凡社、916日刊。

[後者にまとめられたハイデガーの講演会には、オルテガ・イ・ガセが出席していたそうです。かつて、オルテガ・イ・ガセの『技術とは何か』を愛読したひとりとして、ハイデガーのこの『技術への問い』も、いつか読んでみたいと思いますが、なかなか時間がとれません。]

 

919日着、ブルデュー著、加藤晴久訳『パスカル的省察』藤原書店、2009930日刊。

加藤晴久大兄 

ご高訳のブルデュー著『パスカル的省察』をご恵与いただき、まことにありがとうございます。昨年お目にかかったとき、ブルデューの翻訳はぜひとも仕上げたいと語っておられたのを思い出し、これこそそれ、ないしその一部、と拝察し、完訳に心から祝意を表します。

 

ブルデューのアンガージュマンの書が、デュルケームからの引用で結ばれていること、その事実にかんする大兄のあとがき、ともに強い印象を受けながら拝読しました。じつは、デュルケーム社会学の勝義の政治性について、昨年、小論を発表しましたので、コピーを添付してお送りいたします(『未来』20084月号所収)

カトリックの教育壟断にとって代わる、科学を基礎とする世俗道徳を教壇から説き、祖国フランスの社会的・道徳的再建、第三共和政の確立をめざすデュルケームは、言ってみればローマ教皇にとって代わろうとしたのであり、その重大な責任を一身に受け止めて、大学、学会、ドレフュス事件へのアンガージュマンほか、すべての生活を律していました。

フランス社会学のそうした優れた政治性の伝統を、ブルデューも一身に受け止め、真摯に講義し、著作したのでしょう。コレージュ・ド・フランスの講義を聴講した白鳥義彦君からも、かれが講義にたいへん熱心であると聞き、同じ感想をもちました。

 

そのように、デュルケーム、ブルデューの政治性に満腔の敬意を払いながらも、小生は、大兄も先刻ご承知のとおり、ヴェーバリアンです。ただ、ヴェーバーの「価値自由」は、断じて「倫理的ないし価値論的中立性」ではありません。むしろ、デュルケームのように、(じつは繊細すぎる)啓蒙理性に、あまりにも過重な責任を負わせることの弊を反省するところから生まれた、醒めたスタンスともいえましょうか。

ヴェーバーの「価値論的中立性」を楯にブルデューを批判する人がいるとすれば、そもそもヴェーバーの「価値自由」の何であるかが分かっていないのではないでしょうか。ブルデュー自身は、「自分はレーモン・アロン以上にヴェーバーをよく読んだ」と、どこかで語っていた、と記憶していますが。

 

明日、第二回のロシア旅行 (じつはヴェーバー比較歴史社会学の延長線上で着想を練る旅) に出掛けるため、ゆっくり拝読できないのが残念です。ご恵送に感謝し、続篇の恙ない進捗を祈って御礼に代えさせていただきます。

早々 922日 折原浩]

 

921日着、柴田寿子著『リベラル・デモクラシーと神権政治――スピノザからレオ・シュトラウスまで』、東大出版会、2009918日刊。

[柴田さんは、東大教養学部社会科学科の元同僚。数年前、イェール大学の構内をバスで通り抜けながら撮影した画像を織り込んだビデオをお送りしたところ、近々イェール大学に留学して、先方のスピノザ研究者と共同研究をするのだと、希望を語っておられました。それが、「ちょっとした病気で、延期することにしましたが、ご心配なく」といっておられたのに、こんなに早く、希望もはたせずに逝ってしまわれるとは。この本は、彼女が病床にあって、最後の力を振り絞ってまとめられた遺書です。医師から悪性腫瘍と告げられたとき、彼女は「これからというときに」と絶句されたそうです。ご葬儀のさい、その経緯を語られるご夫君も、そのくだりで絶句されました。なんとも痛ましいかぎりです。そのうち、拝読して、彼女の最後のメッセージを聞き取ることにします。]

 

930日着、『未来』、No. 517, Oct. 2009.

 

930日着、『人文会ニュース』、No. 106, Sept. 2009.

 

101日着、水田洋著『アダム・スミス論集――国際的研究状況のなかで』、ミネルヴァ書房、20091020日刊。

[水田先生のご新著をご恵贈いただいたにつきましては、じつは、「卒寿をお祝いする会」に、(小生はやむなく欠席したにもかかわらず)ご出席の方々と同等に扱ってくださって、ご新著をご恵送いただいたものと拝察します。

「卒寿をお祝いする会」には、下記のような欠席お詫びの書状を、お送りしていました。

 

「拝復

「水田洋先生卒寿を祝う会」のご案内をいただきました、折原浩です。

あいにく、923-30日、外国出張の予定が入っておりまして、まことに残念ですが、失礼させていただかなければなりません。

 

1996-99年、名古屋大学文学部社会学科のお手伝いに、名古屋に在住しておりました折りにも、院生から、老齢の水田先生ご自身が、万博反対運動事務局の留守をまもっておられると聞いて、驚き入り、「誰に対しても同じ対等な市民としてフランクに向き合って」おられるお姿に、深い感銘を受けました。

 

それ以前から、克明なお年賀状を頂戴し、岩波文庫版『社会科学方法論』の改訳につき、書肆にご紹介いただいたりもして、在名中に一度、御礼、ご挨拶に伺わなければと思いながら、ついつい果せませんでした。そのお詫びも兼ねて、この機会にはぜひ出席させていただき、初めてお目にかかり、直接お話も伺いたい、と思いましたのですが、どうしても日程の繰り合わせがつかず、今回もまた、失礼させていただかなければなりません。

 

先生のご壮健といっそうのご活躍、および、この会のご盛会を、心よりお祈り申し上げて、お詫びに代えさせていただきたく存じます。

 敬具

721  折原浩」

 

102日着、古田元夫著『ドイモイの誕生――ベトナムにおける改革路線の形成過程』、青木書店、2009910日刊。

[ベトナムには、数年前旅行して、アメリカ離脱衆国の陰影を映し出す鏡、また、中華帝国と地続きの隣国として、実情を見聞して以来、ずっと関心を向けています。今回のご労作、そのうちかならず拝読します。ご恵送ありがとうございました。]

 

102日着、アルバート・R・ジョンセン著、細見博志訳『生命倫理学の誕生』、勁草書房、930日刊。

[浩瀚な邦訳で、さぞたいへんなお仕事だったでしょう。いまのところ、貴兄の労をねぎらうのに、これだけで、ごめんなさい。]

 

107日着、『UP』、No. 443, Sept. 2009.

 

1013日着、徳永恂著『現代思想の断層――「神なき時代」の模索』、岩波新書、2009918日刊。

[社会学科の先輩中、フランクフルト学派を初めとするドイツ思想に造詣の深い徳永さんのご著作は、いつも注目しているのですが、どういうわけか、いただいてからかなり遅れて拝読することになります。今回もちょうど、ずっと以前にいただいた『ヴェニスのゲットーにて――反ユダヤ主義思想史への旅』(みすず書房、1997620日刊)と、小岸昭氏との共著『インド・ユダヤ人の光と闇――ザビエルと異端審問・離散とカースト』(新曜社、2005715日刊)を拝読し、たいへん感銘を受け、従来の西欧観・キリスト教観への疑念を深めると同時に、旅を思索のなかに取り入れていく手法について、示唆をえたところでした。近刊予定の拙著『マックス・ヴェーバーとアジア――比較歴史社会学序説』(平凡社)では、この二著は引用させていただいています。というわけで、今回のご著書も、そのうちゆっくり味読させていただくことになりそうです。どうかあしからず。]

 

1014日着、八木紀一郎著「体制転換と制度の政治経済学」、『ロシア・ユーラシア経済』、20099月刊、pp. 1-17、同「中国における () 移行経済学の起原」、『マルサス学会年報』第18号、pp. 61-77.

[オーストリアに留学し、カール・メンガーを初めとするオーストリア学派経済学にかんする業績を積み上げながら、京都大学で (河上肇を初代とする) マルクス経済学原論講座を担当している八木氏が、ロシア、東欧諸国、および中国の「移行経済学」(transition economics)を概観しながら、三地域の体制転換の特性にも論及している興味深い論考です。老生の比較歴史社会学的考察は、いまのところ三地域のさらなる過去に遡って止まっていますが、そのうち、「社会主義」革命とその挫折-体制転換にまで展開してきたいと願っています。その点に関連して、前者の冒頭に引用された、エリツィン辞任の弁(「我々が容易であると考えたものは、実はひどく困難であった。灰色で停滞した全体主義の過去から、明るく豊かで文明的な未来へ一気にジャンプすることができると信じていた人びとの希望をかなえることはできなかった」強調は引用者)は、デカブリストに始まり、ロシア・インテリゲンツィヤに連綿と流れていた (いる?) 幻想を表白しているようで、標語として適切と思います。今後も続稿が出るつど、お送りいただければ幸甚です。]

 

1023日着、水林彪編著『東アジア法研究の現状と将来――伝統的法文化と近代法の継受』、国際書院、111日刊。

[「東アジア共通法の基盤形成」という実践的目標を射程に入れ、「東アジアにおける [西欧] 法の継受と [日中韓三国における差異をともなう] 創造」というテーマを掲げた研究教育プロジェクトの第一年度として、まず「東アジア法研究の現状と将来」と題し、2007111718日に一橋大学でおこなわれた国際シンポジウムの記録。

Coordinatorの水林彪氏によれば、「比較研究の視座」が、①継受法の母国をなす西欧と、継受した側のアジアとの比較、②継受した側のアジア諸国内部の比較、という二重の仕方で設定されています。

  水林さんの「アジアの伝統的法文化に関する研究の現状と問題点」は、安田信之氏の「アジア法」論を採り上げ、安田説の要点を摘記したうえで、「中国における村落共同体の不存在」という自説を対置して批判を加えるもので、形式上、論争提起の範ともされるべき論稿です。これにたいして、安田氏は、「中国原国家法体制をどう理解するか?――水林彪氏の批判に答える」と題して、誠実に答えておられ、好論争とお見受けしました。

水林さんの問題提起は、明快ながらきわめて大胆で、小生は、『天皇制史論』をめぐる討論(小路田泰直編『比較歴史社会学へのいざない』所収)以後も、まだ納得させられずにいます。「一君万民体制」とは、法制上は成り立つとしても、「中間的媒介集団を欠く、支配者と被支配者大衆との直接対峙」は、「社会学上は化け物monstruosité sociologique(E・デュルケーム) と見られ、上からの専制と下からの無組織的反乱との悪循環を生むのみ、とされてきました。水林説は、この社会学的常識に挑戦しているわけで、もしそれが正しければ、デュルケーム説の妥当範囲を限定することになりましょう。

そのうち、安田著と両論客に引用されている専門的文献も参照して(ヴェーバー自身は、専門領域でのそうした論争には逐一対決して「儒教と道教」を書いているのですが)、自分なりに答えたいと思います。現時点ではただひとつ、この論争には「共同体」概念をどう解するか、という問題が微妙に絡んでいるように思われ、このさい(西洋中心的な単線的発展図式で、宗教性による媒介も看過している)マルクス-大塚流の「共同体」論をいったん棚上げし、「『上』(俗権と教権、双方の関係、一口にアジアといっても、これがじつにさまざまなはずですが)からのゲゼルシャフト形成-秩序授与に媒介された近隣ゲマインシャフトの重層構造」というヴェーバーの「ゲマインデ」概念から出発して、問題とされているアジア諸地域の伝統を捉え返すことはできないものか、そうするとどうなるか、などと抽象的に考える域を出ません。

いずれにせよ、本書全体は、日中韓三国の研究者による国際シンポジウムの成果で、これこそ、老生の別著にいう ([西欧近代に発する] 経済力と軍事力との互酬-循環構造」にとって代わるべき)「学問力・文化力・平和友好力の互酬-循環」路線への出立を告げる実践にほかなりません。とりわけ、この循環構造では、平和友好力への政治的制約が強まってこれが一人歩きしますと、学問上の相互批判が規制ないし自主規制され、学問力の低下をきたしかねません。その点、水林氏のフェアな論争スタイルは、このネックを克服する範例となりえましょう。共同研究の健やかな発展を祈念して止みません。]

 

1116日着、『聖学院大学総合研究所紀要』(2009, No. 45)、ニユーズレターVol. 19, No. 1、図書目録2009

[ときどきヴェーバー関連の論文や邦訳が掲載されるので、拾い読みし、同じくヴェーバー関連の研究会が催されると出席するだけなのですが、内容充実した部厚い紀要を毎回お送りいただいて、恐縮しています。]

 

122日着、加納格著『ニコライ二世とその治世――戦争・革命・破局』(ユーラシア・ブックレットNo. 14320091020日刊、東洋書店。

[善良な夫、父であったニコライ二世が、「家産的国家観」を棄てきれず、20世紀初頭に及んでも専制に拘り、ラスプーチンらにつけ込まれた、という著者の評価に賛同するとともに、(ピョートル一世、エカチェリーナ二世、アレクサンドル二世といった非凡なツァーリも生み、反面それだけ、凡庸なツァーリの恣意にも枠を嵌められない) 血統カリスマ的親政という伝統の深刻な問題性と、(官位を競い、王朝の御家騒動と豪華な宮廷生活に明け暮れ、結束してツァーリの恣意を制限するnoblesse obligeは果たさなかった) 新参帝国ロシア貴族の怠慢を、思わざるをえません。]

 

122日着、七大学のアカデミック・コミュニティクラブ編『U7No. 029 December 2009、学士会刊.

[旧制七帝大も、こういう小冊子を配って、受験生を募集しなければならない状況のようです。]

 

125日着、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻編『超域文化科学紀要』第14号、20091130日発行。

 

128日着、Max Weber GesamtausgabeⅠ/24, Wirtschaft und Gesellschaft, Entstehungsgeschichte und Dokumente, darstellt und herausgegeben von Wolfgang Schluchter, 2009, Tübingen: J. C. B. Mohr.

 

『マックス・ヴェーバー全集』の編纂者シュルフター教授から、左記のような献辞カードを添えて、Ⅰ/24巻『「経済と社会」の成立史と資料』が送られてきました。判読しにくい筆跡ですが、「折原さんへ、『経済と社会』再構成への寄与に感謝して」と読めます。本巻S. 59-60の注45にも「ヴェーバーによって意図されたテキスト配列の再構成にたいして、テキストの前後参照指示がもつ意義に、ヴェーバー研究の注意を向けたのは、折原浩の功績である」と同趣旨の評価が述べられ、筆者が1993年から95年にかけて、東大教養学部第三・国際関係論および相関社会科学のWorking Paper Nr. 36, 47, 49, 51, 53, 57に発表した六論文と、『ケルン社会学・社会心理学雑誌』46. Jg. S. 10321に寄稿した一論文 (邦訳「マックス・ヴェーバー『経済と社会』の再構成への基礎づけ――初版『23部』にみられる参照指示の信憑性」。シュルフター氏との共著『「経済と社会」再構成論の新展開』[未來社、2000] に再録) が列挙され、最後に、これらにたいして批判的なシュルフター「政治経済学ハンドブック (後の社会経済学綱要) に寄せたマックス・ヴェーバー草稿の成立史に寄せて」(氏の論文集 Individualismus, Verantwortungsethik und Vielheit, 2000, Velbruck, 179-236に収録) を見よ、と記されています (シュルフター-折原間の争点のひとつには、後で触れます)

この献本には早速目を通し、下記の感謝状をしたためてメールしました (1212日発信)

 

Sehr geehrter Herr Prof. Dr. Wolfgang Schluchter,

 

Vor einigen Tagen habe ich den von Ihnen schön herausgegebenen Band/24 der Max Weber Gesamtausgabe mit Ihrem freundlichen Dankschreiben erhalten.

Zuerst ist es für mich auch grosse Freude, dass die wichtigsten Stoffe, die für das Verständnis von Max Webers Projekt “Wirtschaft und Gesellschaft” in zwei Fassungen unentbehrlich sind, so präzis von Ihnen expliziert und publiziert worden sind.

Überdies bedanke ich mich bei Ihnen dafür, dass Sie meine bescheidene Arbeit freundlich als ein Verdienst für die Edition der MWGA (S. 59-60, 114) geschätzt haben.

Wenn ich bei dieser Gelegenheit ein Geständnis ablegen dürfte, bin ich lange damit unzufrieden gewesen, dass japanische Weber-Forscher meistens nur mit den vielen Subskribenten und –tinnen der MWGA zufrieden wären und darüber hinaus nicht so wünschen und streben möchten, umsomehr mit ihrem eigenen Arbeitsfrüchtlein zu der Edierung selbst beizutragen, wie bescheiden es auch sein mag.

Wie bekannt, hat mein Arbeitsfrüchtlein nicht nur etwas vieles gegen den verstorbenen Wolfgang Mommsen, sondern auch ein bisschen gegen Sie. Aber mit Ihrer Formulierung: “Die relative Integration der Vorkriegsmanuskripte” kann ich auch ganz übereinstimmen. Es bleibt, wie wir die “relative Integration” oder den Grad der “Relativität” deuten und verstehen sollen. Ich möchte auf diese Frage in Form von einer meinen eignen Interpretation antworten, deren erste Entwurf als eine positive Kritik in: Max Weber Studies, vol. 8. 2, July 2008, S. 141-62 steht.

Wenn ich einen Punkt addieren dürfte, habe ich in: KZfSuSp, 46. 1, S. 103-21 danach gestrebt, dafür zu argumentieren, dass eben Marianne Weber und Melchior Palyi die Verweisen in den Vorkriegsmanuskripten nicht veränderten.

Auf alle Fälle freut es mich auch sehr, dass sich die schwierigste Unternehmung der Edierung der MWGA, insbesondere der Bände/22-24 von Ihrem grossen Fleiss von Minute zu Minute ihrer Vollendung nähert.

  

Mit den herzlichen Wünschen zu fröhlichen Weihnachten und glücklichem Neujahr

Ihr Hiroshi Orihara

 

要旨は:

「旧稿」と「新稿」という草稿の二群からなる一企画『経済と社会』の理解に不可欠な、作品成立史とその資料が、貴台によって見事に解説され、公刊されたことは、ご同慶のいたりです。そのうえ、貴台が、小生の拙い仕事を、全集版の編纂にたいする貢献と評価してくださっていることに、感謝します。というのも、小生はかねがね、日本のヴェーバー研究者がおおかた、日本には全集版の予約講読者が大勢いるということだけで満足して、それならなおさら、たとえ僅かであれ、その編纂にも寄与しよう、というふうに考えて努力しようとはしない (受益者感覚に甘んじて、対等な関係を創り出していこうとはしない) ことに不満だったからです。

ご承知のとおり、小生の拙い仕事は、亡くなったヴォルフガング・モムゼン氏とは大いに対立するばかりでなく、貴台にたいしても僅かながら対立します。しかし、今回の貴台による「戦前草稿の相対的な統合」という定式化には、小生も全面的に賛成です。残る問題は、「相対的な統合」ないしその「相対性」の度合いをいかに解するか、にあります。小生は、この問いに、(今後は、編纂への提言と批判ではなく) 小生自身の解釈として、答えていきたいと思います。その最初の試みとして、Max Weber Studies誌、第8巻第2号(July 2008)に、(貴台にたいする) ひとつの積極的批判を寄稿しました。

なお、一点だけ付け加えてよければ、小生は、『ケルン社会学・社会心理学雑誌』第46巻(1994)への寄稿論文で、(ヨハンネス・ヴィンケルマンではなく) まさにマリアンネ・ヴェーバーとメルヒオール・パリュイが、前後参照指示を書き換えてはいない、ということを論証しようと努力したつもりです。

いずれにせよ、『マックス・ヴェーバー全集』とりわけ第22-24巻の編纂というきわめて困難な事業が、貴台の大いなる努力によって刻々と進捗していることを、たいへん喜んでおります。

 

この付加論点について敷衍しますと、小生は、ケルン誌への寄稿論文で、「旧稿」テキスト群を、「1914年構成表」に準拠して並べ替えると、(現行編纂でもマリアンネ・ヴェーバー編纂でも) 異例に多い「逆転指示」が解消する、という事実関係を、全参照指示567とそれぞれの被指示箇所を調べ上げて (拙著『ヴェーバー「経済と社会」の再構成――トルソの頭』[1996、東大出版会]pp. 301-19) 論証しました。かりにマリアンネ・ヴェーバーとメルヒオール・パリュイが、マックス・ヴェーバー手書きの草稿中にある前後参照指示を自分たちの編纂に合わせて書き換えていたとしたら、こうはならなかったろう、つまり、「1914年構成表」に準拠する並べ替えによって、参照指示関係の整合性が回復するという事実は、「1914年構成表」の信憑性と前後参照指示の信憑性とを同時に証明していると解するほかはない、と論定しているのです。ヨハンネス・ヴィンケルマンによる書き換えだけが問題なら、マリアンネ・ヴェーバー編のテキストとヴィンケルマン編のテキストとを見比べれば即座に分かることで、浩瀚なテキストの随所に張り巡らされている前後参照指示ネットワークを網羅的に検出する、というような面倒な作業は、必要とされなかったでしょう。

ところが、シュルフター氏は、どういうわけか、筆者がヨハンネス・ヴィンケルマンによる書き換えは剔出し、是正したとしても、そのテキスト中の前後参照指示が、マリアンネ・ヴェーバーとメルヒオール・パリュイによって書き換えられていないという保証はないから、前後参照指示のネットワークは決め手にはならない、と主張するのです (cf. S. 110)。少なくともその一点にかけて、シュルフター氏は、拙論における論証の意図と結論を理解していない、といわざるをえません。多分、あまりにも多忙なのでしょう、この誤解が、今回の解説にも持ち越されているのは、残念です。

 

しかし、筆者としては、これ以上そうした諸点に拘るよりもむしろ(もうここまで既成事実が積み重ねられてきたのでは、編纂方針の是正-改訂を編纂陣に求めても無理でしょうから)、前後参照指示と (もうひとつの決め手) 基礎カテゴリーの適用例とを確実なテキスト内在的指標とする再構成の内容的成果を、一解釈としてでも早く提示したほうがよい、と考えるようになりました。これまで独訳あるいは英訳して発表してきた編纂問題関連の論文は、意図して解釈を禁欲し、文献学的な作業に徹しています。そうしなければ、「あなたの説は、ひとつの解釈で、編纂の基礎ないし準拠標とはなりえない」とかわされてしまうからです。その結果、「旧稿」の再構成作業が、筆者のばあい、もう少し包括的なヴェーバー解釈――すなわち、中-後期ヴェーバーの労作全体を、「理解科学」の一般化的・「法則科学」的分肢としての社会学(「旧稿」)と、同じく個性化的・「現実科学」的分肢としての歴史学(さしあたり「世界宗教の経済倫理」)との、ヴェーバーに固有の「比較歴史社会学」的総合構想として捉え返し、その「固有価値」を救い出し、「潜勢」も汲み取りながら、応用的展開にそなえる、そういう(ここ数年の著作で開陳している)ヴェーバー解釈――と、じつは内容上密接に関連しており、「旧稿」の再構成という地道な作業の蓄積がなければ、こうした包括的理解には到達できなかったろう、という関係が、外国語訳論文の読者には伝わらず、筆者があたかも「旧稿」文献学者・訓詁学者であるかのような印象を与えてきたにちがいありません。そこで、そうした包括的ヴェーバー解釈の一環として「旧稿」の内容的再構成を開示-展開する著作を、独文ないし英文で著したい、という思いが萌したわけです。

 

歴史学との相互交流に加えて、そうした(外国学界・外国人学者との対等な相互交流のための)外国語著作のプランを語るとは、歳柄もなく欲張っているようで、気恥ずかしくもあります。しかし、このさいにあえていっておくことが許されるとすれば、日本の「学界-ジャーナリズム複合体」には、これは島国の悪い面で、「本店-出店意識」を批判した日高六郎氏ご当人も含め、自分の専門的研究成果を外国語訳の論文として発表し、外国の学界と対等に交流していこうとする気概に乏しいというほかはありません。華々しいスローガンはともかく、そういう実績の積み重ねを評価する規準もスタンスも、皆無にひとしいというのが実情です。

一例として、筆者が編纂問題関連の論文を発表し、今回のシュルフター氏による評価も含め、しばしば引用され、問い合わせもくるWorking Paperは、199395年当時、Department of Social and International Relations編の機関誌として発行されていました。東大教養学部教養学科第三・国際関係論および相関社会科学のスタッフが、任意に書き下ろし、ワープロで清書した論文原稿を、複写機で増刷し、Department of Social and International Relationsの表紙をつけてオーソライズし、関係者・関係機関に送るというもので、入稿から発行までさして時間がかからない、廉価で便利な交流媒体でした。ところで、こういう機関誌は、各スタッフがそれぞれ思い思いに質の高い論文を載せることによって、外国の読者にも、Department of Social and International Relationsの名が記憶され、「あの論文が載っていたあのWorking Paperへの寄稿だな、それなら読んでもみようか」というふうにして、徐々に普及し、評価をかちえていくものです。それには、よほどのことがないかぎり、機関名・機関誌名を変えずに、定着させていかなければなりません。ところが、東大教養学部教養学科第三・国際関係論および相関社会科学は、「改革」という名のもとに、「他部局とともに六文字に揃える」という「理由」で、「国際社会科学」に名を変えてしまいました。しかも、在職中にはなんども寄稿してWorking Paperの国際的評価に少々は貢献している筆者が、退職後にこの媒体によって論文を海外発信しようと問い合わせますと、有耶無耶のままに放置して応答せず、受け付けてくれません。ドイツ他、他国の大学で、Professor emeritusの論文掲載を渋るというのは、ちょっと考えられないことです。国際交流に熱意をもって取り組んでいると称する東大駒場の実態が、こと地道な実績の積み重ねにかけては、このとおりなのです。

そこで、いっそ外国語著作を、と思い立つのですが、『「経済と社会」「旧稿」の再構成――全体像』が先で、そのあと外国語著作の時間が残されているかどうか、の問題となりましょう。

なお、シュルフター氏が序文で特別の謝辞を表明しているミュンへンのエディット・ハンケさんにも、かの女の地道な貢献が多大であったにちがいないと思い、同趣旨の祝意を伝えて労をねぎらい、返信も受けて、喜びを分かち合いました。この一項目には、冒頭にシュルフター氏の献辞を掲げる一種の権威主義、あるいは、業績の国際性の誇示など、いろいろ非難を受けそうですが、筆者にとっては、こうした相互交流をひとつひとつ着実に積み重ねていくことこそ、「学問力・文化力・平和友好力の互酬-循環構造」を創り出していく実践にほかならず、その一例をご報告したかったまでです。

 

1212日着、山脇直司著『社会思想史を学ぶ』、ちくま新書、20091210日刊。

[山脇氏とは、駒場の同僚のころ、親しくしてなんでも言い合う仲でしたが、「一人の思想家を三年も研究していると、ドイツではバカだと思われますよ」と言い放たれたことがあります。こういうことは、言った本人はすぐ忘れるものですが、言われたほうは忘れません。しかし、この本を読むと、さすがそう豪語するだけのことはある、と納得させられます。少しでも話題になった現代思想家をつぎつぎに拉し来っては、主要な主張を要約し、評価をくだして鳥瞰図を描く手並みと博識には、感嘆するほかはありません。このような本を教科書とし、部分部分について学生に質問を促し、そのつど詳細に答えながら問題を投げ返していくというのが、教養課程における社会思想史の授業の理想と思われます。ただ、研究者として、「一即全」の境地はあっても、「全即一」という境位がはたしてあるのかどうか、筆者には分かりません。]

 

1212日着、小野川秀美著『清末政治思想研究1』、平凡社、20091210日刊。編集担当の関正則氏より。

 

1216日着、東京大学大学院総合文化研究科、国際社会科学専攻編『国際社会科学』2008、第58輯。

 

1221日着、井上勲著『坂本竜馬――海洋の志士』、山川出版社、20091221日刊。

[「マージナル・マンとしての坂本竜馬」とのこと、興味津々です。近々拝読します。]

 

補遺

5月上旬着、荒川敏彦著「ヴェーバーの二つの宗教社会学と『カメレオンの眼』」、『創文』No. 518, 20094月、pp. 19-22.

[玉稿掲載の『創文』冊子が、書類の山のなかに埋もれているのに、つい気がつかず、失礼しました。ヴェーバーの「二つの宗教社会学」、つまり『経済と社会』「旧稿」中の「宗教社会学」章と、「世界宗教の経済倫理」シリーズとを相互補完的に読解していくという方針提起に、全面的に賛同し、ヴェーバー文献の読解の困難を知るひとりとして、声援を送ります。そのことと「カメレオンの眼」との関連がいまひとつはっきりしないのですが、これは多分、紙幅を制限されたためでしょう。

なお、小生も、「倫理論文」以降、ヴェーバーの問題設定そのものが、欧米近代文化総体の「キリスト教的 [宗教性]・資本主義的 [経済システム]・法国家的 [政治-支配体制]」特性の把握と、中世から古代に遡り、非西洋文化圏も射程に収めた因果帰属というふうに、大拡張され、包括的となったことによって、かれの学問、方法上、客観的「特性把握」のための類-類型概念の決疑論体系(「旧稿」)と、その個性化的適用としての「世界宗教の経済倫理」シリーズとに、方法上・作品上は峻別されながら、潜勢としては、両者の独自の総合による「比較歴史社会学」的解答が目指されていた、という「問題論Problematik」的関連が重要で、「二つの宗教社会学の相互補完性」もその一環としてあった、と解しています。「旧稿」中、「宗教社会学」章とともに、「都市の類型学も含む「支配の社会学」が大きなウェイトを占め、「旧稿」が未刊行の時点における「世界宗教の経済倫理」シリーズの「見切り発車」に当たっては、ヴェーバーが「序論」にわざわざ「支配の社会学」の綱要を書き足したのも、宗教性と支配体制という二領域に、西洋文化圏と非西洋文化圏、それぞれの特性を分ける鍵、したがって「倫理論文」以降の包括的問題設定に答える鍵が潜んでいる、と見たからではないでしょうか。「儒教と道教」「ヒンドゥー教と仏教」も、表題どおりの内容ではなく、各文化圏における経済システム、政治支配体制、宗教性、といった諸領域間の「因果関係の両面」の究明 (小生の解釈では「普遍的諸要素の個性的互酬-循環構造」の特性把握と「普遍的諸要因の個性的布置連関」への因果帰属) が目指されていた、といえるのではないでしょうか。

とはいえ、貴兄も先刻ご承知のとおり、徒に問題、したがって読解の範囲を広げ、密度を下げるのは、好ましくありません。「ふたつの宗教社会学の相互補完的読解」とは、いま始まったばかりの、「言うは易く、答えるのは至難」の提題で、地道な沈潜こそが必要とされましょう。貴兄を初めとする中堅ないし新進の諸君が、日本の「学界-ジャーナリズム複合体」の、その時々の流行に振り回される大言壮語や毀誉褒貶に、右顧左眄することなく、「たんなる学習」「聖マックス崇拝」などと決めつけられようとも、微動だにせず、ヴェーバーの「固有価値」を汲み出す地道な研究に、根気よく取り組んでいかれるように、祈念して止みません。]

 

 

以上、200941日からこの1226日までの約9カ月間に、55点の著作の恵贈に与りました。

改めて、厚く御礼申し上げます。

お座なりの雑感でお茶を濁しているとのお叱りを受けるかもしれませんが、約「5日に一点」平均で届く恵贈著作に、そのつどしかるべく集中して対応していますと、自分の仕事への集中も途切れて持続できなくなるという事情も、ご賢察くださり、ご海容のほど、お願い申し上げます。来年もこの方針でいこうと思いますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(20091226日記)