「比較歴史社会学会」第一回第二報告、引用資料集1

後期ヴェーバーにおける科学論の展開と比較歴史社会学の創成 

 

凡例: 以下、論文番号N論文名略号 (正式名、収録されたWL(『科学論集Gesammelte Aufsätze zur Wissenschaftslehre, 1922, 7. Aufl., 1988, Tübingen: Mohr』)のページ、引用番号 N(n)、引用の趣旨 (要約)、引用文 (原典と邦訳のページ) の順序で記載。ただし、訳文は、必ずしも既刊邦訳どおりではない。引用文中、太字による強調は著者ヴェーバー、アンダーラインによる強調は引用者折原。[      ] に括った補足および改行は、しばしば引用者が加える。]

 

1.「ロッシャー論文」(「ロッシャーとクニース――歴史的経済学の論理的諸問題」第一部「ロッシャーの歴史的方法」、『シュモラー年報』第27巻、1903WL: 1-42)

1(1) リッカートによる科学分類の継受。

「わたしは、いままで述べたところ[「現実科学」と「法則科学」との区別]では、われわれにとって重要であるかぎり、先に引用したリッカートの研究[『自然科学的概念構成の限界』、1902の本質的な観点に、かなり忠実にしたがったと信ずる。われわれの学科[国民経済学]にたいするこの著者の思想の有効性を検証することが、本研究の目的のひとつである。」(WL: 7、松井秀親訳『ロッシャーとクニース』1955、未來社: 18

1(2) ただし、人間行為・表出の解明は可能。

「┄リッカートの立場を原則的に受け入れるとしても、かれが鋭く考察した方法上の対立は、唯一のものではなく、また多くの科学にとってけっして本質的なものではない、ということは、いぜん疑う余地のないことであるし、リッカート自身もむろん [そのことに] 異論はなかった。とりわけ、『外的』経験と『内的』経験との客体がわれわれにたいして原則的には同様な仕方で『与えられている』というかれの命題を、かりに採るとしても、それでもなおいぜんとして、リッカートによって強調された『他人の精神生活の原理的な解明不可能性』に反して、いかなる種類の人間行為および人間の表出の経過も有意味的な解明eine sinnvolle Deutungが可能である、ということが成り立つ。……そうした解明が示す方向で『所与』を超える可能性は、リッカートの疑惑にもかかわらず、この解明を方法上使用する諸科学を、ひとつ別のグループ ([ディルタイのいう] 精神科学) に括ることを正当化する特性である。なるほど、後段で論ずるとおり [cf. 2(7)]、これらの科学には [自然諸科学にたいする] 数学の役割に相当する基礎づけが必要で、そのためには、ひとつの体系的な科学、すなわち社会心理学が創始されなければならない、と考えるのは、誤りである。しかし、上記のとおり、解明を方法上使用するという特性に注目して、諸科学をひとつのカテゴリーに括り、そのうえで当の方法特性を活かす方向に進むとしても、だからといって、なにもその種の誤謬に陥る必要はない。」(WL: 12-13, 松井訳: 31-32)

1(3)「『歴史的-社会的諸連関』の因果分析は、『自然の諸有機体』のそれ以上に困難である」というロッシャーの所見に反論して、メンガー説に言及。

「われわれは、社会科学Gesellschaftswissenschaftの領域では、社会がそれによって構成され、社会的諸関係のすべての糸がそこを通り抜けなければならない『もっとも微細な部分』の内側das Innere der »kleinsten Teile« を覗き込むことができる、という幸運な状態にあるから、ほんとうのところ事態は逆である、という異論が、すでにメンガーによって、またその後多くの人々によって唱えられている。」(WL: 35、松井訳: 74-75)

1(3)’当のメンガーの提唱:「人間諸個人とその諸努力」は、経験的性質をそなえていて理解できるから、精密的な理論的社会科学は、精密的な自然科学に比して有利」。

「自然現象の精密的な理論的解釈の帰着しなければならない最後の要素は、『原子』と『力』とである。ところが両者とも非経験的な性質のものである。われわれは『原子』というものをまるで思い浮かべることができないし、自然力は比喩としてしか思い浮かべることができないのであって、われわれはじっさいには現実の運動のわれわれには知られていない原因を自然力だと心得ているにすぎない。このことから、自然現象の精密的理解には、けっきょくのところ、まったく大変な困難が生まれる。だが、精密社会科学では、そうではない。ここでは、われわれの分析の最後の要素である人間諸個人とその諸努力die menschlichen Individuen und ihre Strebungenとは、経験的な性質をそなえており、したがって精密的な理論的社会科学は、精密的な自然科学とくらべてずっと有利である。じっさい、『自然認識の限界』とそこから自然現象の理論的理解にたいして生まれる困難は、社会現象の領域での精密的研究にはない。したがって、A・コントが、『社会』を現実的な有機体、しかも自然的有機体よりもいっそう複雑な有機体として理解し、その理論的解釈を、比較にならないほどずっと複雑で、ずっと困難な、科学的問題であるとしているとき、かれは重大な誤謬に陥っている。」(Menger, Carl, Untersuchungen über die Methode der Socialwissenschaften und der politischen Oekonomie insbesondere, Leipzig: Dunker & Humblot: 157 Anm. 51、福井幸治・吉田章三訳、吉田章三改訳『経済学の方法』1986、日本経済評論社: 145-46: 51)

 

2.「客観性論文」(「社会政策と社会科学にかかわる認識の『客観性』」1904WL: 146-214 富永祐治・立野保男訳、折原浩補訳・解説、1998、岩波文庫)

  この論文には、「科学の権能」論、「価値自由」論、「理念型」論など、その後の実践と研究に具体的に活かされる方法上の創見が犇いているが、ここでは主として「社会科学」論、とくに「現実科学」と「法則科学」との区別に注目する。

2(1) 社会科学 (= 社会経済学) の射程: ①経済現象、経済を制約する現象、経済に制約される現象。

「われわれの肉体的な生存と同じく、最高度に理想的な欲求の充足も、いたるところでそれに必要な外的手段の量的な制限と質的な欠少に突き当たり、それらの充足のためには、計画的な配慮と労働、自然との闘いや人間どうしのゲゼルシャフト結成が必要とされること、――これは、きわめて不正確な表現ではあるが、われわれがもっとも広い意味で『社会-経済的sozial-ökonomisch』と呼ぶあらゆる現象に結びついている根本的事態である。……

ところで、われわれは、そうした社会経済的問題の内部に、つぎのような区別を立てることができる。まず、[] その文化意義が、われわれにとって本質的に、その経済的側面に依存し、たとえば、取引所や銀行の生活過程のように、さしあたりは主に、この観点のもとにのみ、われわれの関心を引くような事象と規範・制度などの複合体がある。これに該当するのは、(もっぱら、とまではいえないが) 通例、意識的に経済的目的のために創設され、利用される制度である。われわれの認識のこうした対象を、われわれは狭い意味における『経済的wirtschaftlich [ökonomisch]』事象ないし制度と名づけることができる。

つぎに、[] たとえば宗教生活の事象のように、経済的意義の観点のもとで、あるいはまた、その経済的意義のゆえに、われわれの関心を引くのではなく、少なくとも第一次的にわれわれの関心を引くのでないことは確かだとしても、事情によっては、経済的観点からわれわれの関心を引くような作用が、そこから生ずることによって、この観点のもとに意義を獲得するような、『経済を制約するökonomisch relevant』現象がある。

そして最後に、[]われわれの意味においては『経済的』現象でないもののうち、その経済的作用はまったく、あるいはさほど、われわれの関心を引かないが、たとえば、ある時代の芸術的嗜好の方向のように、それはそれとして、個々のばあい、その特性のある重要な側面において、経済的な契機、すなわち、芸術に関心を向ける公衆の社会的編成のあり方によっても、多少とも影響を受けるような、『経済に制約されたökonomisch bedingt』現象がある。------

ところで、われわれの雑誌は、マルクスおよびロッシャー以降の社会経済科学sozial- ökonomische Wissenschaftと同様、『経済的』現象のみでなく、『経済を制約する』現象および『経済に制約される』現象をも取り扱う。そうした対象の範囲が、――そのときどきのわれわれの関心方向に応じて流動的ではあるが――明らかに、あらゆる文化事象の総体にまで押し広げられるのは当然である。経済に特有の動因、すなわち、われわれにとって意義のある特性において、上記の根本的事態にねざしている動因は、いかに非物質的な欲求であれ、その充足が、使用される外的手段の制限によって拘束されているところでは、どこにでも作用している。それゆえ、その重圧は、充足の形式のみでなく、もっとも内面的な種類の文化的欲求の内容さえも、他の要因とともに規定し、変形する。『物質的』利害の圧力のもとにある人間の社会関係・制度・および集団形成の間接的影響は、(しばしば無意識の裡にもあらゆる文化領域に例外なく広がり、審美的また宗教的な感覚の微細なニュアンスにまでおよぶ。日常生活上の事象も、大状況の政治、集団現象および大衆現象における『歴史的』出来事に劣らず、また、政治家の『特異な』行動や個々の文学上また芸術上の作品と同じく、他の要因とならび、経済に特有の動因によっても規定されている――つまり、『経済に制約され』ている。他方、歴史的に与えられたある文化の、あらゆる生活現象と生活条件の総体は、物質的な欲望形成とその充足の様式に、また、物質的な利益を追求する集団の結成とその権力手段のあり方に、したがって『経済的発展』の経過に、作用をおよぼす――つまり、『経済を制約する』。

われわれの科学が、経済的文化現象につき、因果的に遡行し、個々の――経済的または非経済的な性格をそなえた――原因に帰属させるとき、われわれの科学は、『歴史的認識を追求している。われわれの科学が、経済的要因を、文化現象のひとつの特殊な要素として、その文化意義につき、多種多様な文化の連関をとおして追求するとき、われわれの科学は、ひとつの特定の観点のもとに、歴史の解釈をえようとつとめ、十全な歴史的文化認識のために、ひとつの部分像・ひとつの予備労作Vorarbeitを提供しているのである。」(WL: 162-64、富永・立野訳: 55-60)

2(2) 社会科学は現実科学である。

「われわれが推し進めようとする『社会科学』は、ひとつの現実科学Wirklichkeits- wissenschaftである。われわれは、われわれが編入され、われわれを取り囲んでいる生活の現実を、その特性において――すなわち、一方では、そうした現実をなす個々の現象の連関と文化意義とを、その今日の形態において、他方では、そうした現実が、歴史的にかくなって他とはならなかった根拠に遡って――理解したいと思う。」(WL: 170-71、富永・立野訳: 73)

2(3) 現実科学とは文化科学である。

「われわれは、生活現象をその文化意義において認識しようとする学科を『文化科学Kulturwissenschaft』と名づけた [WL: 165、富永・立野訳: 63]。ところで、ある文化現象の形成の意義、およびこの意義の根拠は、法則概念の体系がどんなに完全になっても、そこから取り出したり、基礎づけたり、理解させたりはできない。というのは、そうした意義とその根拠は、文化現象を価値理念に関係づけることを前提としているからである。文化の概念は、ひとつの価値概念である。経験的現実は、われわれがそれを価値理念に関係づけるがゆえに [正負どちらの価値判断をくだすかにはかかわりなく]、またそのかぎりで、われわれにとって『文化』である [汚職も売春も麻薬耽溺も文化である]。文化とは、現実のうち、価値理念への関係づけによってわれわれに意義あるものとなる、その構成部分を、しかもそれのみを、包摂する。そのつど考察される個性的現実のほんのわずかな部分が、そうした価値理念に規定されたわれわれの関心によって色彩づけられ、それのみが、われわれにとって意義をもつ。そのわずかな部分が、価値理念との結合によって、われわれにとって重要となる関係を提示するからである。それゆえに、またそのかぎりで、その部分が、その個性的特性において、われわれにとって知るに値するwissenswertものとなる。ところで、何がわれわれにとって意義をもつかは、当然のことながら、経験的に与えられたものを『無前提に』研究することからは推論されず、むしろそうした意義を確定することこそ、何ものかが研究の対象となるための前提をなすのである。」(WL: 175-76、富永・立野訳: 82-83)

2(4) 文化科学は、法則科学ではない (ある対象の文化意義の認定も、その因果帰属も、当の対象を「法則」に下属させること、当の対象を「標本」として「法則」を定立することではない)

a.「もとより、意義あるものは、それ自体としてなんら法則そのものとは一致せず、しかも、当の法則が、普遍妥当的となればなるほど、そうである。というのも、現実のある構成部分が、われわれにたいしてもつ特定の意義は、もとより、その部分ができるかぎり多くの他の部分と共有する関係のうちに、見いだされるわけではけっしてない。現実の価値理念への関係づけが、当の現実に意義を付与するのであるが、そうすることによって色彩づけられた現実の構成要素を、その文化意義という観点のもとに抽出し、秩序づけることは、当の現実を分析して法則に下属させ、一般概念のなかに秩序づけることとは、まったく異質な別の観点 [のもとになされること] である。」WL: 178, 富永・立野訳: 83-84

b.「それゆえ、つねに無限に多様な個別現象の特定の側面、すなわち、われわれが普遍的な文化意義を認める側面のみが、知るに値し、それのみが因果的説明の対象となる。この因果的説明そのものも、これまた同一の現象を呈する。すなわち、なんらかの具体的現象を、その十全な現実性において因果的に遡及しつくすことは、じっさい上不可能なだけでなく、まったく無意味である。われわれは、個々のばあいに、ある出来事の『本質的』な構成部分が帰属されるべき原因だけを、摑み出す。ある現象の個性が問題とされるばあい、因果問題とは、法則を探究することではなく、具体的な因果連関を求めることである。当の現象を、いかなる定式Formelに、その標本Exemplarとして下属させるか、という問題ではなく、当の現象が、結果として、いかなる個性的布置連関Konstellation [⇦星座cumstella] に帰属されるべきか、という問題である。つまり、それは、帰属の問題である。」(WL: 178、富永・立野訳: 87-88)

2(5) さりとて、法則にかんする知識は、現実科学にとってまったく無縁・無用かというと、そうではなく、因果帰属の手段として有用、というよりも必要不可欠である。

a.「ある『文化現象』――われわれの学科の方法論においてすでにときとして用いられ、いまや論理学において正確に定式化され、普通に使われるようになっている術語を適用すれば、『歴史的個性体historisches Individuum』――の因果的説明が問題となるばあいにはいつでも、因果の法則にかんする知識は、研究の目的ではなく、たんに手段にすぎない。そうした法則にかんする知識は、ある現象の、個性において意義のある構成部分を、具体的原因に因果的に帰属するさい、そうした因果帰属を可能とし、容易にしてくれる。そうした効用があるばあい、またそのばあいにかぎって、法則にかんする知識は、個性的な連関の認識にとって価値がある。そして、当の法則が『一般的』すなわち抽象的になればなるほど、そうした法則にかんする知識は、個性的現象の因果帰属への欲求にとって、また、同時に文化事象の意義の理解にとって、それだけ効用が少なくなる。」(WL: 178, 富永・立野訳: 88-89)

b.「以上に述べたすべてのことから、……一般的なものの認識、抽象的類概念の構成、法則性の認識、および「法則的」連関を定式化する試みが、いかなる科学的権能ももたない、という結論が引き出されるわけではない。正反対に、歴史家の因果認識が、具体的な結果を具体的な原因に帰属させることにあるとすれば、なんらかの個性的結果の妥当な因果帰属は、『法則的知識』――すなわち、因果連関の法則性にかんする知識――の使用を抜きにしては、およそ不可能である。現実中のある連関について、ある要素を結果と見て、その因果的説明が問題とされ、その連関のなかにある別の個性的構成要素に、当の結果にたいする因果的意義を認めてよいかどうかが疑わしいばあい、われわれは、当の構成要素、ならびに、当の因果的説明のために考察に引き入れられる同一複合体の他の構成要素から、通例一般に予想される作用、すなわち当該の因果的要因から『適合的』に生ずる作用、を査定することによって初めて、上述の問いに答えることができる。」WL: 178-79、富永・立野訳: 89-90

2(6) 「法則的知識」の出所は、日常的生活経験ならびに特定の科学の援助。それらからえられる知識を、「法則」として定式化し、さらに体系化しておくかどうかは、合目的性の問題。

(もっとも広い意味における)歴史家が自分個人の生活経験によって培われ、方法的に訓練された想像力をもって、どれほど確実に、この帰属をなしとげることができるか、また、この帰属を可能にしてくれる特定の科学の援助に、どこまで頼るかは、個々のばあいに応じてまちまちである。しかし、いかなるばあいにも、したがって、複雑な経済事象の領域においても、そうした帰属の確かさは、われわれの一般的認識が確かで包括的であればあるほど、それだけ大きくなる。そのさいつねに、したがってすべてのいわゆる『経済』法則においても、例外なく問題となるのは、精密自然科学の意味における狭義の『法則的』連関ではなく、規則の形式で表される適合的な因果連関であり、ここでは立ち入って分析するわけにはいかないが、『客観的可能性というカテゴリーの適用である。このことは、上記の命題をいささかも損なうものではない。ただ、そうした規則性の確定・定式化は、認識の目標ではなく手段である。そして、日常経験から知られる因果結合の規則性を『法則』として定式化しておくことが、意味をもつかどうかは、いずれのばあいにも、そうすることが目的に適うかどうかの問題である。」WL: 179、富永・立野訳: 90-91

2(7) とはいえ、この「客観性論文」段階でも、文化意義の認定と因果帰属に向けての「予備研究」として、あくまでそのかぎりで、 「法則的知識」の方法的定式化-体系化の方向が、「仮定」として考えられている。

a.「…… [自然科学の代表例としての] 天文学にとっては、天体が、もっぱらその量的な、精密に計測できる関係において、われわれの関心を引き、考察されるのにたいして、社会科学において問題となるのは、事象の質的な色彩である。そのうえ、社会科学においては、精神的事象の協働が問題となるが、この精神的事象を追体験しつつ『理解するverstehen』ことは、当然ながら、およそ精密自然認識の定式によって解決でき、また解決しようとしているのとは異なる、特殊な性質をそなえた課題である。とはいえ、この区別は、一見原理的なものにみえても、それ自体としてはさほどでもない。精密自然科学といえども――純粋力学を別とすれば――、質を考慮せずに済ますわけにはいかない。さらに……数量化できないために数量的把握はできない規則性をも、『法則概念のもとに理解するかどうかはつきつめたところ、『法則概念を狭く解するか広くとるかにかかっている。とくに『精神的動機の協働にかんするかぎり、いずれにせよ、合理的行為の諸規則Regelnを定立することは、排除されないし、とりわけ、つぎのような見解は、今日なお完全に消滅してはいない。すなわち、個々の『精神諸科学』にたいして数学に相当する役割を演ずることは、まさに心理学の課題であって、心理学は、社会生活の複雑な諸現象をその心的な条件と結果とに分解し、それらをできるかぎり単純な心的諸要因に還元し、この諸要因をふたたび分類して、それらの機能的連関を探究しなければならない、というのである。そのようにして、社会生活の『力学』とまではいえないにせよ、その心的基礎にかんする一種の『化学』が創り出されることになろう。この種の研究が、いつの日か、価値があり、かつ――これとは区別されるべきであるが――文化科学に利用できる、個々の成果を提供するかどうか、については、ここであえて決定をくださなくともよいであろう。しかし、かりにそうした成果が提供されるとしても、現実をその文化意義と因果連関において認識するという、われわれの意味における社会経済的認識の目標が、法則的に反復されるものの探究によって達成される、ということにはなるまい。」WL: 173-74、富永・立野訳: 78-79

b.「人間協働生活の諸事象につき、考えられるかぎりの因果結合が、心理学によって、あるいは他の方法で、ことごとくすでに観察されたか、あるいはいつの日にか観察され、なんらかの単純な究極要因に分析されたうえで概念および厳密に法則的に妥当する規則からなる巨大な決疑論に編成されて漏れなく把握されたと仮定しよう。そうした成果は、歴史的に与えられた文化世界の認識にとって、あるいはそうした文化世界から選び出された、なんらかの個別現象――たとえば、すでに生成され、文化意義を帯びた資本主義――の認識にとって、いったいいかなる意味をもつだろうか。そうした成果の意味は、認識の手段として、ちょうど有機化学における化合例の辞典が、動物界および植物界の生物発生学的認識にたいしてもつ意味と同一であり、それ以上でも以下でもない。いずれのばあいにも、確かに重要で有益な予備研究Vorarbeitがなされたことにはなろう。しかし、いずれのばあいにも、いつかは生活の現実が、そうした『法則』や『要因』から演繹される、というようなことはけっしてなかろう。その理由は、……つぎの単純な事情にある。すなわち、われわれにとって現実の認識として問題なのは、上述の (仮定上の!) 『諸要因』が、歴史的に相集い、われわれにとって意義のある文化現象として現われてくるさいの、その布置連関であり、われわれが、そうした個性的な集合を『因果的に説明』しようとすれば、つねに、他のまったく同様に個性的な集合に遡行せざるをえず、ここからわれわれは、そうした個性的集合を、もとより上述の (仮定上の!) 法則概念を用いて説明することになる、という事情である。」WL: 174、富永・立野訳: 79-81

2(8) 「社会科学」研究の四階梯: ①予備研究-②特性把握-③因果帰属-④未来予知。

「それゆえ、上述の (仮定上の) 『法則』や『要因』を確定することは、われわれにとってはいずれにせよ、われわれの追求する認識に到達するための、いくつかの研究段階のうち、最初の段階にすぎない。上述の『諸要因』の、そのつど歴史的に与えられた個性的な集合と、それら『諸要因』の、この歴史的集合によって制約された、具体的な、独特の意義をそなえた協働作用とを、分析し、秩序づけて叙述すること、そしてとりわけ、この意義の根拠と性質とを [必ずしも価値理念を同じくするわけではない他者にも] 理解させることが、第二の段階であろう。これはなるほど、上記の予備研究を用いて解決されるべきではあるが、それにたいしてはまったく新しい、独立の課題である。つぎに、すでに生成したこの集合のもつ、現在にとって意義のある個性的特徴を、できるかぎり過去にまで遡り、これまた個性的な先行の布置連関から、歴史的に説明することが、第三の段階であろうし、――最後に、未来における可能な布置連関を見定めることが、考えられる第四の段階となろう。」WL: 17475、富永・立野訳: 81-82ここで、④未来予知については、この「第四の段階」言及があるのみ。

2(9) 「客観性論文」の本文中には、「社会学」への言及はない。ただし、ハインリヒ・ブラウン編『社会立法・統計雑誌』が、第19巻から、ヴェルナー・ゾンバルト、マックス・ヴェーバー、エドガー・ヤッフェの共同編集に移され、『社会科学・社会政策論叢Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitik』と改名されるにあたり、旧誌の最終第18巻に掲載された三者連名の「移行予告」欄には、つぎのとおり「社会心理学」「社会人類学」への言及が見られる。

「将来にわたっても、われわれは、この雑誌を、『国民経済学』のすべての――部分的にはかなり異質な――領域から寄せられる諸論文の、たんなる集積所とはしたくない。むしろ、もとよりもっとも広い意味においてではあるが、社会問題の取扱いに限定して、この領域のため、完成度の高い、独自の貢献をなす方向を追求したい。

 この種の自己限定は、分業という抗いがたい理由から生じてくるが、そうであるとすれば、まさにそれゆえ、この雑誌は他面、そうした特殊化に例外なくともなう危険に抗してわれわれの知識全体の関連を決定的に重視していくことを、その課題と考えなければならない。そのためには、一方では、問題の取扱い方を、その原理的な哲学的また方法論的な基礎について掘り下げることが不可欠であろうし、他方では、われわれの研究が、雑然たる素材と、個々バラバラな断想との集積に終わらないようにしなければならない。この目的には、われわれの論文欄における原理的また方法論的な問題の取扱いを強化することが、役に立つであろう。それと同時に、われわれは、われわれの学科の隣接領域との関連を、われわれにとって重要な研究成果との批判的な対決をとおして維持していく必要に迫られるであろう。われわれは文献にかんする報告と批判とを、この課題の達成に役立つように編成し、社会諸科学の全域のみならず、その境界領域をも、理論的側面 (一般的な科学論と認識批判、法哲学、一般国家学、社会心理学社会人類学、社会倫理) と実践的側面 (社会衛生学など) との両面にわたって取り扱い、われわれの読者が、これらの領域における重要な進展に継続的に通じていけるようにするであろう。」(富永・立野訳: 166-67)

2(10また、新編集の『論叢』初巻 (通巻 Bd. 19) 冒頭に掲載された「編集者 (複数)」名の「緒言Geleitwort」には、こうある。

「……新しい編集者は、今日の状況では、『アルヒーフ』が創刊当初のころ課題と取り組んだやり方にたいして、ふたつの点で変更を加える必要がある、と確信し、雑誌の編集にあたって、この状況の変化を考慮に入れていくつもりである。

 まず、『アルヒーフ』の研究領域は、今日、原則的に拡張されなければならない。従来、この点は、もっぱら事例ごとに、試行錯誤を繰り返しながら進められてきた。今日、われわれの雑誌は、資本主義発展の一般的な文化意義歴史的また理論的な認識を、学問上の問題とみなし、この問題の究明に役立てられなければならないであろう。そしてまさに、われわれの雑誌自体が、文化現象の経済的被制約性という特定の観点から出発し、また、出発しなければならないから、われわれは、一般国家学、法哲学、社会倫理といった隣接諸学科、ならびに、社会心理学的研究、および普通には社会学という名称のもとに括られている諸研究と、緊密な接触を保っていかざるをえない。われわれは、こうした領域における科学的研究動向を、主としてわれわれの系統的な書評欄で、立ち入って追跡していくであろう。われわれは、通例社会人類学的と呼ばれている問題、したがって、一方では、経済関係が人種的淘汰の過程におよぼす作用と、他方では、遺伝される身体的また心的な素質が、経済的生存競争と経済制度とにおよぼす影響という問題に、特別の注意を向けるであろう。生物学と社会科学との間の、こうした境界領域問題の取扱いは、従来ややもすると、ディレッタント的性格を免れなかったが、この性格を将来克服していくことに、われわれもまた応分の寄与をしたいと思う。

  第二の変更は、題材を取り扱う形式にかかわるものである。『アルヒーフ』が創刊された当時、それが果たすべきもっとも重要な任務として編集者の念頭にあったのは、素材の収集であった。その根底には、当時としてはまったく正しい思想、すなわち、散在している社会統計的データと、頻度を高めている社会立法とを収集し、一覧に供せる形で公刊する機関誌を創り出さなければならない、という思想があった。それは、科学と実践にとり、当時としてはもっとも緊急な最初の要求であった。というのも、その種の収集機関が皆無だったからである。ところが、それ以来、時代は急速に変わった。------

------ 一方では、潤沢な資源をもち、立派に役立つ上記誌報類に加え、この『論叢』のような科学誌に、純然たる素材収集の役割を負わせる必要はなくなっている。われわれは、社会統計報告を削減し------、新たに制定された法律原文の文字通りの復刻に、これまでのように大幅な誌面を割くことは止め、法律とりわけ法律の意味と意義とにかんする立ち入った批判的研究報告を拡充していくであろう。他方では、ひとつの重要な課題が、新たに成長を遂げてきている。すなわち、上記の収集機関誌に集積されている、無限に増大した素材に科学的総合によっていわば活を入れる、という課題である。15年前にはなお最良の人々の心をとらえていた、社会的事実にたいする渇望のあとに、哲学的関心一般の蘇生とともに社会理論への渇望が目覚めてきた。この渇望を力のかぎり満たすことが、この『論叢』の将来の主要課題となるであろう。われわれは、哲学的な観点のもとに社会的諸問題を論ずることと、われわれの専門領域で狭義には「理論」と呼ばれている研究形式、すなわち明晰な概念の構成とを、これまでよりいっそう心して重視していかなければならないであろう。というのも、われわれは、歴史的生活の豊かさを公式に押し込めることに重きを置くような意見には与しないが、そうであるからには、それだけ決然と、明晰で一義的な概念だけが、社会的文化現象に特有の意義を究めようとする研究にたいして、その障碍を取り除き、そうした研究を進めやすくする、と確信しているからである。

  ところが今日、いかなる機関誌も、社会理論を、厳格な科学性の要求に見合う仕方で育成することはできないであろう。いかなる機関誌も、理論的概念構成と現実との関係を認識批判的方法論的に解き明かすことによって原理的な明晰性を創出するという課題さえ、首尾よく達成していない。それゆえ、われわれは、認識批判および方法論にかんする学問的研究の進展をたえず注意深く見守っていくであろう。そしてわれわれは、ここに『論叢』新シリーズの刊行を開始するにあたり、編集者のひとりが執筆し、こうした問題を詳細に取り扱う論文を掲載することによって、われわれとしても、こうした原理的論究に持続的に関与していくつもりであることを表明しておきたい。」(Archiv, Bd. 19, 1904: -, 富永・立野訳: 180-85)

 

小括: ヴェーバーは、1.「ロッシャー論文」の冒頭、リッカートによる「文化科学」と「自然科学」の区別を採り上げたが、そのさい、かれ自身としては、「現実科学」と「法則科学」 というふうに (一見たんに) 呼び替えている。リッカートも、ヴィンデルバントのいう「個性記述」と「法則定立」とを、方法上「特殊化」的と「一般化」的とに代え、各個別科学を、双方のどちらか、あるいは「中間領域」に、あるいはまた、両方の「混成形態」として、位置づける概念的枠組を提供した。ところが、リッカートのこの用語法をそのまま踏襲すると、ヴェーバーにはすでに孕まれている (と思われる)「学問構想」において、「現実科学」と相互媒介をなすべき契機 (後の「社会学」) を、「『文化科学』の『自然科学』的契機」と呼ばなければならなくなる。ヴェーバーは、この「不自然さ」を予感し、「『現実科学』の『法則科学』的契機」と呼べるように呼称を改めたのではないか。とすれば、この一見たんなる呼び替えも、そうした新しい「学問構想」の予兆とも見られよう。すなわち、かれは、リッカートらにしたがって双方の方法は峻別しつつも、そのどちらかに収まって「能事終わり」とするのではなく、双方それぞれの特性を活かしながら総合し、「個性化」的「文化科学」としての「歴史学」と、「一般化」的「法則科学」としての「社会学」とを、相互媒介の関係に置き、「比較歴史社会学」に収斂させようとしていた、といえるのではないか。

こうした方法論と関連づけると、同時期に発表された「倫理論文」は、特定の対象(「資本主義の精神」)を、ヴェーバー自身の「価値理念」に照らして(「価値関係性」において)「知るに値する、文化意義をそなえた現象」として選び出し、その具体的特性(「職業義務」観を核心に据えた「禁欲的合理主義」の生活原則= 生活方法論)を捉え、これを、現実の因果連鎖の一環(被説明項)として、同じく「価値関係性」において選び出された特定の前件(「禁欲的プロテスタンティズム」)の具体的特性(説明項:「神の道具」として「恩恵の予兆」をたえず「確証」しようとする「世俗内禁欲」)に遡って、「因果的に説明」(「因果帰属」)する (かれみずからそう称しているとおり)「純然たる歴史叙述rein historische Darstellung(RS: 204) であったといえよう。

したがって「倫理論文」は、方法論上は、「文化科学」的・「現実科学」ないし「歴史科学」の一個別研究というふうに位置づけられる。そこでは、 「法則科学」 的契機が、それと断って明示されてはいない。ただし、そこでも、「歴史家」ヴェーバー「個人の生活経験によって培われ、方法的に訓練された想像力」(上記引用2(6に依拠して、「資本主義の精神」が「禁欲的プロテスタンティズム」に的確に「因果帰属」されている [「倫理論文」の「法則科学」的契機を具体的に取り出す試みとしては、折原『マックス・ヴェーバーにとって社会学とは何か』: 88-103

「客観性論文」段階では、以上のとおり、「社会科学」の「現実科学」的また「文化科学」的性格のほうに力点が置かれ、その「法則科学」的契機を、「経験科学の独自の一部門」あるいは「ひとつの専門学科」(結論を先取りしていえば、かれ流の「一般社会学」)として、方法的に基礎づけ、決疑論的に体系化していこうとはしていないし、そういうスタンスは看取されない。ただ、「法則的知識」 の意義が一般的に説かれたうえ、その出所が、「研究者個人の日常経験」と「特定の科学の援助」とに、二通りに求められているだけである。そこから出発して、(上記引用2(7にいう「心理学」、また、1(2) および後出4(1) の「社会心理学」、に代えて「理解社会学」を方法的に基礎づけ、その基礎範疇を定立して (「範疇論文」1913)決疑論的体系化に乗り出す (『経済と社会』「旧稿」1910-14) までには、紆余曲折が予想される。以下、その経過点をいくつか取り出して点描。

 

3.「クニース論文(「クニースと非合理性の問題」、『シュモラー年報』第29巻、WL: 42-105 )

3(1) 人間の行為ないし「人格」に特有の「非合理性」=「計算不可能性」(ゆえに「自由」「神聖」) という信仰・先入観は誤り。

----われわれは、クニースの見解に戻って、人間の行為ないし『人格』に特有の非合理性についての信仰を問題とし、二三の所見を述べることにする。われわれはここで、『非合理性』という概念を、さしあたって単純に『計算不可能性Unberechenbarkeit』という日常的な意味で受け取ろう。この計算不可能性とは、クニースや、相変わらずきわめて多くの他の人々の考えによれば、人間の『意思の自由』の徴候たるべきものであり、----『精神科学』の一種独特の尊厳を、そのうえに基礎付けようとの試みもなされる。

ところで、さしあたり、『体験された』現実のなかには、人間の所為に特有の『計算不可能性』を感知させるようなものは、まったくない。いかなる軍事上の命令、いかなる刑罰法規、また、他人との交渉におけるいかなる表出も、それが向けられる人々の『心』に一定の結果が生ずることを『計算している』――ただし、あらゆる関係とすべての人々に絶対的に一義的な結果が生ずるという計算がなされるのではなく、命令や法規や交渉における具体的な表出がおよそ役立とうとする目的にとって十分に一義的な結果がえられるかどうか、という計算である。論理的に考察すれば、そうした計算は、架橋技師の『静力学』的計算とも、農夫の農業化学的計算とも、家畜飼育者の動物生理学的考量とも、なんら異ならない意味でなされるのであり、他方、これらの計算も、これはこれで、仲裁人や定期取引仲買人の経済的考慮と、なんら異ならない意味でなされている。こうした『計算』の各々は、それらにとって必須の『精密さExaktheit』で満足し、それぞれに特有の目的にとり、手に入る資料の状態に照らして、具体的に到達できる程度の『精密さ』に甘んずるものである。

『自然事象』にたいする原理的区別は成り立たない。たとえば『天気予報』というような領域における『自然事象』の『計算可能性』は、われわれに熟知された人物の行為を『計算する』こと以上に『確実』ではけっしてない。じっさいそれ [自然事象の計算可能性] は、われわれの法則論的知識がどれほど完成されたとしても、それ [人物の行為の計算可能性] と同等の確実さにまで高められることは、まったくできない。ところで、特定の抽象的諸関係ではなく、将来の『自然事象』の十全な個性が問われるところでは、どこでも事情は変わらない。」(WL: 64-65、松井訳: 133-34)

3(2) 人間の個性的行為は、解明-理解が可能であるから、原理的な「計算不可能性」「非合理性」はそれだけ少ない

「われわれは、人間の行為Sichverhalten [自己行動] の解釈のためには、少なくとも原理的には、それを、われわれの法則論的知識に一致するという意味で『[客観的に] 可能』なものとして『把握』するばかりでなく、それを、『理解する』、すなわち、『内面的に』『追体験可能な』具体的『動機』ないし動機の複合体を突き止め、当の行為を、そうした動機に、そのときどきの素材資料 [したがって存在論的・史実的知識] の状態に応じて、一義性の度合いは異なるにせよ、ともかくもなんらかの一義性をもって帰属させる、という目標を立てることができる。別言すれば、個別の行為は、意味のある解明が可能なので、当の解明がおよぶかぎり、個別の自然事象よりも、原理的にはそれだけ『非合理的』でない、という特性をそなえている。『解明可能性がおよぶかぎり』というのは、解明可能性が止むところでは、人間の所為も、かの岩塊落下の結果と同じ状態にある [法則論的知識から、破片がどれほどの平均的な大きさをなして、どの範囲に飛び散るか、は計算-予測できても、個々の破片がどんな形状を呈するか、またそれらがどんな集合態をなし、どんな模様くか、といった個性的な結果は、計算-予測できない] からである。

解明可能性の欠如という意味における『計算不可能性』は、別言すれば『狂人』の原理である。われわれの歴史認識において、解明不可能という意味で『非合理』な行動がおよそ問題とされる場合には、もとより因果認識を求めるわれわれの欲求は、通例、たとえば精神病理学やこれに類する科学の法則論的知識に準拠する『把捉Begreifen』だけで [解明による理解なしに] 満足しなければならない。とはいえ、その『把捉』は、例の岩石の破片がいかなる集合態Gruppierungをなすか、という場合とまったく同じ意味であって、[計算-予測が可能の] 度合いが [自然事象よりも、原理的に] それだけ低いというわけではない。」(WL: 67-68、松井訳Ⅰ: 139-40)

 

4.「マイヤー論文」(「文化科学の論理学の領域における批判的研究」1906WL: 215-90盛岡弘通訳『歴史は科学か』1965、みすず書房: 99-244)

この論文では、生理学者フォン・クリースの確率論的因果帰属論、これを「客観的可能性」の理論として刑法上の責任認定に適用した法学者ラートブルッフの議論、などを踏まえ、 古代史の巨匠エドゥアルト・マイヤーがじっさいにおこなっている実例に即して、「因果帰属の論理」が定式化される。[なお、この論文全体の趣旨と意義については、拙稿「マックス・ヴェーバーにおける『歴史-文化科学方法論』の意義――佐々木力氏の質問に答えて」HP2014年欄所収(117日付け)参照]

4(1) マイヤーとの批判的対決の途上で、「人間個人には、『意欲の自由』があるから、『自由な行為』は『非合理的』で『計算できず』、その点にこそ『人格の尊厳』が宿る」という趣旨の信仰[ロマン主義的先入観]を誤謬として暴露。ヴェーバーは「ロッシャー論文」で、メンガーに倣って「社会形象」の実体化・神秘化を破砕し、社会形象を「個人の行為」から説明しようとする方向に踏み出したが、そこでこんどは「個人」を実体化・神秘化する先入観に直面。それをここで「自由=合理性」テーゼによって破砕。「合理的規則」の定立可能性を基礎づけ、しかもそのうえ、「理念型としての合理的整合型Richtigkeitstypus」を媒介索出手段として「合理的要素」を漸進的に解明」する方法を編み出す (「「範疇論文」前半)。メンガーの「精密-抽象理論」を「合理的理念型」として相対化し、その方法を「近代交換経済」以外の合理的」諸領域、たとえば「宗教」領域、にも転用・展開する可能性を開く(「範疇論文」後半と「旧稿)

「たとえどのように理解されていようと、意欲の『自由』と行為の『非合理性』とは同じものであるとか、行為の非合理性の原因は意欲の自由にあるとか、仮定することの誤りは、なんといってもハッキリしている。人間の行為でとくに『計算できない』のは、狂人の特権である。狂人の行為は、『盲目の自然力』が計算できないの同様に、計算できないが、『盲目の自然力』以上に計算できない、というわけではない [狂人の行為は、明証的に理解はできないが、精神病理学は、理解できない行動の規則性も観察し、法則論的知識を集積して、ある程度の計算-予測は立てる]。それとは逆に、最高度の経験的『自由感情』をともなうのは、合理的に実行した――すなわち、物理的ないし心的な『強制』や熱情的『感情』に攪乱されることなく、また、判断の明晰さが『偶然』曇らされることもなく、実行した――、とわれわれが意識するような行為にほかならない。すなわち、明瞭に意識したひとつの『目的』を、われわれの知識に応じて、つまり経験の規則に照らして、もっとも適合的な『手段』を採用して、追求するような行為である。

とはいえ、かりに歴史Geschichteが、この意味で『自由な』、つまり合理的な行為にのみかかわり合うのであれば、その課題ははてしなく容易になろう。というのも、適用された手段から、行為者の目的も『動機』も『格率Maxime』も一義的に推論できようし、行為において『即人的なものdas »Persönliche«(この多義的な語の植物的な意味における) を構成するすべての非合理性は排除されるであろう。厳密に目的論的に経過する行為はすべて、目的にもっとも適した『手段』を指示する経験規則の適用であるから、歴史も、そうした規則の適用以外のなにものでもない、ということになろう [ここに、メンガーの理論図式を『理念型』として捉え返す注記]。ところが、人間の行為は、そのようにもっぱら合理的に解釈できるようなものではなく、事態にかんする非合理的な先入観や、思い違いや、誤りばかりでなく、『気質』や『気分』や『情動』も、かれの『自由』を曇らせており、したがって、人間の行為にも、程度はさまざまでも、『自然事象』の経験的『無意味さSinnlosigkeit』に通じる面がある。まさにこうした事情が、純然たる実用教訓的歴史学を不可能にしている。しかしながら、この種の非合理性を、人間の行為は、まさしく個々の自然現象と分かち合っている。したがって歴史家が、人間行為の『非合理性』を、歴史的連関の解釈をかき乱す契機として語る場合、歴史家はまさにそのさい、歴史的-経験的行為を、自然における事象とではなく、純粋に合理的な、すなわち、目的を端的に定め、その目的を達成する適合的手段に徹頭徹尾準拠している行為の理想像Idealと比較しているのである。」WL: 226-27、盛岡訳: 117-19

この論点については、前出3.「クニース論文Ⅰ」(1) (2) (WL: 64-69, 松井訳Ⅰ: 133-43) と後出5.「クニース論文Ⅱ」(2) (WL: 132-37, 松井訳: 128-38) も参照。  

4(2) マイヤーは、マラトン戦におけるギリシア勢の勝利 (という一要因) の、その後の西欧における世俗的で自由な文化発展 (という結果) にたいする歴史的・因果的意義を、大意つぎのように論証した。すなわち、「かりにペルシア帝国側が勝ったとしたら、他の征服諸地域 (たとえば古代イスラエル) 採用したのと同じように、一種の『大衆馴致Massen- domestikation』政策として、被征服地の宗教を温存し、あるいはその萌芽を助長し、『神政政治Theokratie』体制を敷いたであろう。そうなると、その後、世俗的で自由な精神の発展は、阻止された「公算 (=客観的可能性) が大」。ところが、じっさいには、ギリシア勢の勝利によって、そうはならず、世俗的で自由なギリシア文化が花開いた。そのかぎり、ギリシア勢の勝利には、西欧における世俗的で自由な文化発展にたいする歴史的・因果的意義が認められる」と。別言すれば、「西欧における世俗的で自由な文化の発展」という「結果」が「マラトン戦を嚆矢とするギリシア勢の勝利」という歴史的与件に「因果帰属」される。

4(3) そのように、「因果帰属」にあたっては、歴史的状況にかんする「存在 () 的知識」に、研究者の「法則 () 的知識」が適用され、「適合的因果連関」が構成される。

「マラトン戦の『意義』を基礎づけるものとしての、こうした判断が、その根拠とする『知識』には、二通りある。ひとつは『歴史的状況』に属し、文献によってハッキリ証明できるような特定の『事実』についての知識、すなわち『存在論的 [史実的] 知識ontologisches Wissen』であり、いまひとつは、多くの人間が熟知している特定の経験的諸規則、とくに、『人間が与えられた状況に通例いかに反応するか』にかんする知識、すなわち『法則論的知識nomologisches Wissen』である。

エドゥアルト・マイヤーは、かれの主張が議論を呼ぶばあい、マラトン戦の『意義』にとって決め手となるかれの命題を証明するために、かの [ペルシア戦争の]『状況』を、いくつかの構成要素に分解して、われわれの『想像力』が、(『状況』にかんする)『史実的知識』に、『法則論的』経験知 (すなわち、自分自身の実生活や他人の振る舞いについての知見から汲み出されたわれわれの経験知) を適用できるように、しなければならないであろう。そうすれば、われわれは、ある特定の仕方でじっさいとは違っていたと考えられる条件[ペルシア勢の勝利]のもとで、かの諸事実[一方ではギリシアにおける宗教発展の萌芽、他方ではペルシアの「馴致」政策]の協働が、『客観的に可能』と主張された結果[神政政治による世俗的文化発展の阻止]を引き起こし『えた』と、積極的に判断できるであろう。」WL: 276-77, 森岡弘通訳: 192

4(4) このように、「法則科学」的契機はここで、「史実的知識」と並ぶ「法則的知識」と命名され、(「因果帰属」に不可欠の) 権能が確定されている。しかしなお、それ自体として方法的開拓-定式化-体系化の対象とされてはいない。ただ、この一具体例に即して考えてみても、政治的「帝国」支配一般と宗教的「神政政治」・「教権制」一般、ならびに双方の関係一般にかんする 「法則的知識」 が、「決疑論」に編成され、整備されていれば、こうした具体的事案への適用、したがって歴史的「因果帰属」も、それだけ円滑かつ的確になされると予想される。「神政政治」「教権制」「大衆馴致」といった一般概念も、そうした観点から、ほどなくして「経済と社会的秩序ならびに社会的勢力」(『経済と社会』「旧稿」) で定式化されるが、この「マイヤー論文」ではまだ、明示的に使われてはいない。

4(5) ここではむしろ、マラトン戦の意義にかんする専門家の巨匠マイヤーの判断も、なにか特別に深遠な論理を弄んでいるわけではなく、人間の日常的行為にかんする普通人 (一般市民) の判断と同一の論理にしたがっていることが、確認され、例証される。

ある若い母親が、夫の留守中、子どもの悪戯に手をやいて、「叩くことは上辺の効果しかもたない」という教訓も忘れ、つい手荒いビンタを加えてしまった。帰宅した夫が咎めたところ、自分でも思いなおしていた妻は、「あのときはたまたま、別人と喧嘩してひどく興奮していたので、つい『かっと』なってしまった。いつものわたしなら、もし叱ったとしても、あんなに手荒いことはしなかったろう。その点は、あなたもよくご存知のはず」と弁明。つまり、自分の「恒常的動機」にかんする夫の「日常的経験知(「法則論的知識」) に訴え、問題のビンタが、別人との喧嘩という特定の例外的条件に誘発された、そのかぎりにおける「偶然的」反応で、「適合的」な「因果連関」をなしてはいないと、論証したことになる。

4(6) この点は、ヴェーバーがその後、どんなに「社会学」的決疑論の編成と体系化を進めても、「日常的経験知」「通俗心理学的知識」から離れない根拠として重要。たとえば『古代ユダヤ教』(1917-19) に初めて登場する、「新たな宗教思想は、合理的文化の大中心地ではなく、さりとてその影響のおよばない遠隔僻地でもなく、影響がおよんで『驚き』を触発された (空間的には) 辺境の文化接触地点で、創成される」という件の一般経験則にも、「電車通学に慣れっこになった子どもは、『なぜ電車が動き始めるのか』という問いに自分からは思いいたらない」という「日常経験知」「通俗心理学的知見」が織り込まれている。

4(7) ところが、「歴史家」はしばしば、“historical if”を忌避する。しかしそれは、かれが、歴史的事実の「あるがままの」確定だけで満足し (「素朴実証主義」)、「因果帰属」に思い至らないためではないか。

「ひとつの『具体的事実』の歴史的『意義』にかんするもっとも単純な歴史的判断でさえ、『目の前に見出された現存するもの』のたんなる記録ではけっしてなく[「客観的可能性」と「適合的連関」の] カテゴリーによって形成される思考形象をなすばかりか、『与えられた』現実に、われわれの『法則論的経験知の全宝庫を適用することによって初めて、事実上も妥当性を取得することができるのである。」WL: 277, 森岡訳: 193

4(8) また、こうした議論の系として、歴史学であれ、数学であれ、自然科学であれ、科学的認識が創始される心理的過程は同一、と論定される。

「ランケは過去を『読み取った』。ランケに比べれば数段劣るような歴史家でも、この『直観』という天賦の才を思う存分使いこなすことがなければ、かれの認識は進歩に乏しいものとなろう。直観がはたらかなければ、その歴史家はつねに、歴史学のうえでは一種の下級官吏に止まる。ところが、数学や自然科学の真に偉大な認識のばあいにも、事情は歴史のばあいとまったく同様である。数学や自然科学の偉大な認識は、いずれもまず想像のなかで『直観的に』仮説としてひらめき、ついで事実に即して『検証』される。すなわち、すでに獲得していた経験知を使用することによって、仮説の状態にある認識の妥当性が査定され、そのうえでその認識が、論理的に正確に『定式化』されるのである。歴史のばあいもまったく同様である。」WL: 278、森岡訳: 194-95

 

5.「クニース論文Ⅱ」(「クニースと非合理性の問題 ()1906、『シュモラー年報』第30巻、おそらく「マイヤー論文」より後に執筆、WL: 105-45、松井秀親訳『ロッシャーとクニース』: 1956、未来社: 73-154)

5(1)「『[法則論的知識としての] 経験規則』はつねに、歴史的 [因果] 帰属に役立つ『通俗心理学的』日常経験 vulgär-psychologische Alltagserfahrung の洪水の内部で、ひとつの飛び地Enklaveをなすにすぎない」が、それを「方法的研究にもとづいて獲得し、さらに獲得していく」ことには意義がある、と認定。その方法としては、クレペリン流の自然科学的「心理学」(=「精神物理学」) ではなく、ここでは「社会心理学」が考えられている。

「[ヴィルヘルム・ブッシュの著作には]『ひとが悲しむときに喜ぶ人は、たいてい [通例] 他人に好かれない』という適切な成句が出てくる。とくに、かれが事象の類的なものを、きわめて正確に、必然性の判断ではなく『適合的因果の規則として捉えているあたり、この成句は、『歴史法則』として非の打ちどころなく定式化されている。その内容の経験的真理性が、たとえばボーア戦争後における英-独間の政治的緊張の『解明』に適した補助手段として(もとより、おそらくは本質的にいっそう重要な、他のきわめて多くの契機とならんで)活かされることは、疑う余地がない。

ところで、その種の政治的『気分』の発展を [なにほどか方法的また系統的に、たとえば]『社会心理学』的に分析すれば、もとより多種多様な観点のもとに、たいへん興味深い成果が達成され、その成果は、そうした事象の歴史的解明にとっても、このうえなく重要な価値を獲得できるかもしれない。しかし、その成果が、かならずそうした価値を獲得するとはかぎらない。具体的なばあいに、『通俗心理学的』的経験では物足りないといって、歴史的(ないし経済的)叙述にも、つねにできるかぎり心理学的『法則』を引き合いに出して飾り立てようとする向きは、一種の自然主義的な虚栄心に根ざすもので、具体的なばあいには、科学的研究の経済性にたいするひとつの違反[『通俗心理学』的経験で十分なのに、ことさら手間隙をかける無駄]になろう。

原則上『理解的解明verstehende Deutung』という目標を堅持する、『文化諸現象』の『心理学的』取り扱いには、論理上かなり異質な性格をそなえた概念を構成することが課題になると考えられるが、類概念Gattungsbegriffeと、『適合的因果の規則』という広い意味における『法則Gesetze』の構成もまた、必然的にそうした課題に含まれることは、明らかである。後者[『適合的因果規則』という広い意味における『法則』] は、文化現象を解明するばあい、解明の『一義性』への関心に照らして必要な程度の、因果帰属の相対的な確実性を、『日常経験』が保証するには足りないばあいにのみ、しかしながらそのばあいにはつねに、価値あるものとなる。

ただし、そうした [概念構成の] 成果の認識価値は、まさにそれゆえ、通例、具体的な歴史的形象を直接理解し「解明」することとの関連を犠牲にしても、数量化的な自然科学に似た定式や分類を追求しようとすることが、少なければ少ないほど、また、その結果、自然科学的諸学科が各々の目的のために使用する諸前提を受け入れることが少なければ少ないほどそれだけ大きくなろう。たとえば『精神物理学的並行関係』というような概念は、『体験しうるものの彼岸』にあるので、当然のことながら、この種の研究には、直接にはいささかも意義をもたない。そして、われわれが所有している『社会心理学』的解明の最良の業績も、その認識価値において、こうした [自然科学的諸学科の] 諸前提のいかなる妥当性からも独立しており、したがって、そうした業績を『心理学』的認識の包括的体系のなかに編入することは、まったく無意味であろう。

その論理上決定的な根拠は、まさに、歴史はなるほど、なんらかの現実の全内容を『模写する』――それは、原理上不可能である――という意味の『現実科学』ではないが、別の意味で、すなわち、与えられた現実の、それ自体として概念上は相対的にしか確定されえない構成要素を、『現実のreal』構成要素として、ある具体的な因果連関のなかに嵌め込む、という意味では『現実科学』である、という点にある。ある具体的な因果連関の存在にかんするそうした個々の判断は、いずれも、それ自体としてただちに、かぎりなく分割されうるものであり、そうした判断のみが――法則論的知識がまったく理想的に完成した暁には――精密な『法則』を用いて、完全な帰属に到達するであろう。しかし歴史認識は、具体的な認識目的が要求するかぎりで、そうした分解をおこなうにすぎない。そしてこの、必然的に相対的でしかない、因果帰属の完全性は、それを実現するために使用される『経験規則』の、必然的に相対的でしかない確実性に、表明される。このことは、言葉を替えていえば、方法的研究にもとづいて獲得されさらに獲得されるべき規則も、つねに、歴史的[因果]帰属に役立つ、『通俗心理学的日常経験の洪水のなかにあるひとつの飛地にすぎない、ということである。だが、経験とは、論理的な意味では、まさにそうしたものである。」WL: 112-14, 松井訳Ⅱ: 87-90

ここには、もってまわった言い方ながら、さまざまな留保条件のもとに「(域内) 飛地」の開拓に乗り出し、「一般経験規則」を「社会心理学」的 (後に「理解社会学」的) 決疑論に編成していこうとするスタンス (ないしその端緒) が表明されている、と読める。他面、たとえば「限界効用理論」を「精神物理学」的に (「ヴェーバー・フェヒナーの法則」によって)「基礎づけ」ようとするような「自然主義的な虚栄心」がいかに蔓延していたか、ヴェーバーの「理解社会学」的決疑論がそうした「虚飾にたいする批判的対抗の所産でもある、という関係が、間接的に表明されている。

5(2) 行為が「自由に」なると、それだけ「目的」と「手段」のカテゴリーによって律せられ、研究対象としての行為者においても、研究者においても、「法則論的知識」の果たす役割が大きくなる。

「行為者の『決意』が『いっそう自由』になればなるほど、すなわち『外的な』強制や抑えがたい『情動』によって混濁させられない、『自分自身の』『考量』にもとづいてなされればなされるほど、行為の動機づけは、他の条件が等しければ、それだけますます徹底的に、『目的』と『手段』の範疇に嵌め込まれて整序され、したがって、その合理的分析、場合によってはそれをひとつの合理的行為図式に編入することが、ますます完全におこなえるようになる。ところが、その結果、一方においては行為する者、他方においてはそれを分析する研究者において、法則論的な知識が演ずる役割も、それだけ大きくなる。前者は、『手段』にかんするかぎり、 [自分自身の合理的考量において法則論的な知識によって] それだけますます『決定されている』。

  そして、じつはそれだけではない。『行為』がここにいう意味で『いっそう自由』になればなるほど、すなわち、それが『自然のままの出来事』という性格を帯びることが少なくなるにつれて、それとともに最終的には、つぎのような『人格』の概念、すなわち特定の究極的『価値』と生の『意義』――これは、人格の所為のなかで目的に注ぎ込まれ、目的論的に合理的な行為に転化されよう――にたいする恒常的な内面的関係のうちにその『本質』が見出されるような人格の概念も、ますます多く力をもってくる。したがって、逆に、人格的生のほの暗い未分化・不分明な植物的『底層』のなかに、すなわち、気質と気分の展開のかぎりない精神物理的諸条件が無限に錯綜して生み出される、『人間』が動物とも共有している、あの『非合理性』のなかに、人格的なものに固有の神聖さを求めようとする、『人格』観念のあのロマン主義的・自然主義的傾向は、ますます衰退していくのである。」(WL: 132、松井訳: 128-29)

 

6.「シュタムラー論文」(R・シュタムラーにおける唯物史観の『克服』」1907WL: 291-359、松井秀親訳「R・シュタムラーにおける唯物史観の『克服』」、『ヴェーバー宗教・社会論集』: 3-65)

6(1) シュタムラーの目的は、「社会生活」を対象とする「社会科学」の基礎づけ。しかし、「社会生活」を「自然」との二者択一的対立において捉える。

「シュタムラーが公然と表明している目的は、『社会生活の科学Wissenschaft vom sozialen Leben』が、『自然諸科学』とは端的に異なる一科学であることを、つぎのようにして論証することにある。すなわち、『社会生活』が『自然』とはまったく異なる考察の対象Objektであり、したがってまた、社会科学の原理が『自然科学の方法naturwissenschaftliche Methode』とは論理的に異ならざるをえないことを、示すことによってである。この対立は、明白に排他的な二者択一と考えられているので、『自然』『自然科学』『自然科学の方法』という言葉で何が考えられているのか、その決定的な標識となるべきものが何か、を確定することがきわめて重要であろう。後者がけっして自明でないことは、----先年の論理学上の論争で、十分明白に示されたとおりである。このさい、われわれがすべて、『自然』や『自然科学的』という言葉を、しばしば無造作に、不正確なまま使い、それらの意味が具体的な場合には明瞭であるかのように思い込んでいることを、あらかじめ認めるべきである。このままでいては、やがて手ひどい報いを受けるであろう。自分の全教義を、『自然』と『社会生活』という対象の非和解的な概念対立のうえに築こうとする者は、誰であろうと、少なくとも『自然』という言葉で何を理解したいのかに思いをいたすことが、まさに死活問題であろう。」(WL: 320-21、松井訳: 32-33)

6(2) さまざまな先行分類 (「自然」「自然科学」の概念): ディルタイなどの、対象素材による区別 (「死せる自然」「人間が動植物と共有する生命活動」対「人間固有の高次の精神活動」); ヴィンデルバント-リッカートの、方法による区別(「一般化」-「法則定立」と「特殊化」-「個性記述」); イェリネク-ラスクの、判断の範疇による区別(「経験的因果説明」と「規範的概念分析」)。ヴェーバーはこれらに加えて、④「意味」のカテゴリーの導入により、対象・素材を「意味のあるsinnvoll現象」=自然」と「意味とは無縁のsinnlos現象」=「自然」とに分け、 ⑤当の「意味」を、ジンメルに準拠して「客観的意味」と「主観的意味」とに分け、前者について「規範学Dogmatik」の成立を認めると同時に、後者は「自然」=「経験的存在」の一部と見て、因果説明を企てる「経験科学」=「理解科学」を定立。ここにふたたび②の区別を導入し、「現実科学」「歴史科学」としての歴史学と、「法則科学」としての社会学とを区別。

このうちのについて: 「『普遍的な』もの、・時間を超えて妥当する経験的規則 (『自然法則』) をめざす経験的現実の研究を、『自然科学』として、同じ経験的現実の『個性的なもの』を因果的被制約性において考察すること (「文化科学」) に対置するならば、右のような、ありふれたもの [] とは論理的に異なる第二の『自然』概念が生ずる。すなわち、ここでは、考察様式の種類によって、科学が区分される。その場合には、『自然』の対立物は『歴史』である。そして、『心理学』・『社会心理学』・『社会学』・理論的な社会経済学・『比較宗教学』および『比較法学vergleichende Rechtswissenschaft』のような学問は『自然科学』に属するのに、教義学的な学科はすべて、この対立の埒外ということになる。」(WL: 321-22、松井訳: 33)

について:「最後に、経験的・因果的な『説明』をえようとする学科の全体を、規範的もしくは教義的・概念分析的な目標を追求する学科、すなわち論理学・理論的な倫理学・美学・数学・法規範学Rechtsdogmatik [規範法学・法教義学]・形而上学・(たとえば神学) 教義学に対置するならば、『自然科学』の第三の概念が、したがってまた間接的には、それとともに第三の『自然』概念が、生ずる。この場合には、(『存在』と『当為』という) 判断の範疇における対立で科学が区分される。したがって、たとえば芸術史・風俗史・経済史および法制史Rechtsgeschichteなどを入れた『歴史科学』の客体の全体までもが『自然科学』の概念にふくまれることになる。その場合、自然科学の範囲は、因果性の範疇を使っておこなわれる研究の範囲とぴったり重なるであろう」(WL: 322、松井訳: 33)

 

7.「シュタムラー論文」補遺R・シュタムラーにおける唯物史観の『克服』」補遺, WL: 360-83)

7(1) シュタムラーの論法では、母親に授乳を命ずる法規がないところでは、「授乳は社会生活の構成要素ではない」ということになる。

「母親が乳飲み子に授乳することは、そういう給付を母親たちに法的に命ずる『プロイセン一般ラント法』のもとでは、シュタムラーの意味における『社会生活』の構成要素と刻印される。ところが、自分の子どもに授乳するプロイセンの母親は、一般にこの『規範』を知ってはいないであろう。それは、同じ給付を少なくとも同様の規則性をもっておこなっているオーストラリアの黒人女性が、『外的規制』によって授乳が課されてはおらず、したがって、シュタムラーにしたがえば、授乳という事象が、その国では明らかに『社会生活』の構成要素ではなく、かりに『社会生活』のメルクマールを、[法ではなく]内容上は一致する[授乳を命ずる]『慣習律』規範に求めるとしても、その国にはそうした『慣習律』規範も存立してはいないから、授乳行為はやはり『社会生活』の構成要素ではない、というようなことを、知っていないのとまったく同様であろう。」(WL: 378)

7(2) 経験的規則性から格率-規範表象への漸進的発展、「社会生活」への経験的移行

------ 行動の主観的側面に注目すると、『慣習律』的規範の表象が、経験上きわめて頻繁に、純然たる事実上の規則性から――すなわち、事実上継承されてきた行動『習俗Sitte』]から逸脱することへの漠然とした不安感unbestimmte Scheuから、また、事実上長期間にわたって観察されてきた行動から、そうした逸脱が生じた場合に、これを見咎めた他人に起きる不審の念Befremdenや、そこから成長を遂げる反感Abneigungから、あるいは、神々や人間が、そうした逸脱によって(まったく利己的なものと考えられる)利害を侵害されたと感じて、復讐してくるかもしれない、という懸念Besorgnisから――『発展をとげる』ことは、まったく確かである。そしてその場合、『慣習に反する』行動への虞れから、純事実的『慣習』を遵守する『義務Pflicht』という表象が生まれ、『革新』や『革新者』にたいする純衝動的ないし利己的な反感から、『非難Mißbilligung』が発生することも、大いにありえよう。」(WL: 378)

7(3) シュタムラー批判の結語:「産婆術」としての批判。

「ここでは、つぎのことだけを確認すれば足りる。すなわち、[規範表象の漸進的発生、それにともなう「社会生活」への経験的]『移行Übergang』は『考えられない』という愚かな主張が、そもそもいかなる誤謬にもとづいているのか、ということである。じっさい、いかなる『移行』も排除するこの対立は、ある『規範』の『理念上の』妥当=当為を、なんらかの純然たる『経験上の』事態、たとえば経験的人間の事実行為、と対置するときに生ずる。この対立はもとより和解不可能で、『移行』は概念上『考えられない』。しかし、この場合、その理由はいたって単純で、われわれの認識の、まったく異なる問題設定と方向が、対立しているだけなのである。一方では、ある『制定律』を、その理念上の『意味』について規範学 [教義学] 的に考察し、経験的行為は、そうした『制定律』を規準として『評価的に』査定することだけが問題であるのにたいして、他方では、経験的行為を『事実』として確定し、それを因果的に『説明』することが問題である。われわれの認識には、そのように異なるふたつの考察の『視点』がある、というこの論理的事態を、シュタムラーは経験的事実に投射する。そうすることによって、後者 [経験的事実] の側には、『移行』の『概念上の』不可能というあのナンセンスが発生する。ところが、論理学の側に引き起こされる混乱も、それに劣らず重大である。ここでは逆に、論理上はまったく異質なふたつの問題設定が、たえず混同される。まさにこの混同によって、シュタムラーは、『社会科学』の領域と問題の確定というみずから提起した課題に、乗り越え難い障壁を創り出してしまった」(WL: 381-82)

 

小括 こうした一連の方法批判的考察において、ヴェーバーは、「ドイツ歴史学派」(ロッシャー、クニース、グスターフ・シュモラーら) にたいする「オーストリア学派」(カール・メンガー) の批判と、そこから開始された「社会科学方法論争」への (病前からの) コミットメントを深め、(それまでは「殻」とも「護符」ともしてきた) 前者の方法-技法から離脱し、独自の問題-方法設定を模索していく。

「歴史学派」は、たとえば「民族」「国家」といった「集合的主体」を措定して、歴史の動態を巨視的かつ総体的に捉えようとはしていた。これにたいしてヴェーバーは、メンガーの「方法的個人主義」「原子論」を採用し、「集合的諸主体」の「実体視」を破砕して、いったんは 個々人の「行為」(上記2(7) (8) の「単純な究極『要因』」に相当) にまで還元する。しかし、そこを起点としつつも、個々人の「行為」が、[主観的に抱かれた意味において他人の行動に関連づけられる]「ゲマインシャフト行為」に進み、そのなかから「秩序」【①習慣-慣習(=事実上の規則性)-②習俗 (事実上広まり、「多年生」となって定着した慣習)、②慣習律[違反にたいして、周囲の「非難」が向けられる制定律・「諒解」)-③制定律(そのうち、「強制装置」によって「妥当性」を「保障」された「制定律」が「法」)】が形成されて「ゲマインシャフト形象Gemeinschaftsgebilde(「制定」秩序のばあいには、そのかぎりで「ゲゼルシャフト結成(初発)-関係(継続)」を内包する「ゲゼルシャフト-ゲマインシャフト形象 [社会構成体]」)に、また「仲間関係形象Genossenschaftsgebilde」から、「権力Gewalt, Macht」という契機によって再編されて「支配形象Herrschaftsgebilde」に、「組織化」されていく「漸進的・流動的相互『移行』関係」に注目し、こうした「基礎範疇」を「範疇論文」(=「理解社会学の若干の範疇について」と題して1913年に別途『ロゴス』誌に発表)にまとめて提示するとともに、そうした「基礎範疇」にもとづいて、「集合的諸主体」「社会諸形象」を「実体化」せず、諸個人の行為の「協働連関」として定義し、それぞれの「類」-「類型」的特性と経験的「規則性」「変動傾向」を定式化していく191014年執筆の「経済と社会的秩序ならびに社会的勢力」=『経済と社会』「旧稿」に展開されるヴェーバー固有の「(一般) 社会学」)。これは、「客観性論文」で「仮定」されてはいた「巨大な決疑論に向けての飛地の開拓に相当するといえよう。

こうした概念構成をへて、「秩序」が一般に硬直性・拘束性を帯びて「殻」「護符」となりやすいのにたいして、「この世の中には、いったいいかにして『新しいこと』が起きうるのか」との問いが定立される。ここに「革新Neuerung」の理論が創始される。

したがって、ヴェーバーを「方法 [] 的個人主義」者と決めてかかるのは一面的。むしろ、「行為」理論を基礎に、「原子論atomism」と「全体論 holism」との「総合」をめざした論者として捉えるべきではないか。

 

ところが、そうした把握が、従来はなされてこなかった。その一因は、未定稿の遺稿「経済と社会的秩序ならびに社会的勢力」を、(別途発表ということで)「範疇論文」から切り離し、『経済と社会』「第部」に配置し、「第部」の冒頭には、(「範疇論文」の改訂版に相当し、基礎範疇の明示的変更を含む)「社会学的基礎概念」1920年)を据えた、従来のテクスト編纂(マリアンネ・ヴェーバー、後にはヨハンネス・ヴィンケルマンによる「二部からなる一書」「合わない頭をつけたトルソ」編纂)にあろう。というのも、この編纂では、邦訳者を含む読者は、ごく普通に、「第一部」から「第二部」へ、変更後の基礎範疇を変更前の「旧稿」に持ち込むように誘導され、それとは知らずにも、基礎範疇にかかわる概念上の混乱と、(この基礎範疇にもとづく) 全篇・全体系の読解不全に陥らざるをえない。この結果が翻って、誤編纂の踏襲とその黙認に拍車をかけ、悪循環に陥ってきた、といえよう。

2010年、刊行を終えた『マックス・ヴェーバー全集』版「旧稿」該当巻(Ⅰ-2215も、「「範疇論文」を前置せず、「羹に懲りて膾を吹く」かのように「全体としての統合的読解」は初めから断念し、題材別の五分巻 (「もろもろのゲマインシャフト」「宗教ゲマインシャフト」「法」「支配」「都市」) に解体して、体系的読解と (原著者の全体構想とその『固有価値』を踏まえたうえでの) 応用に、立ちはだかってしまった。

「ヴェーバー社会学研究」のこうした実情を直視し、ヴェーバー自身における科学論の展開を踏まえ、その「潜勢」を汲み取り、「比較歴史社会学」への応用的展開の道筋を見通すことが、いま必要と思われる。(2015914日記)