市野川容孝様
拝復
メールありがとうございました。
西村秀夫先生の「送る会」では、お目にかかれず残念でした。
「送る会」当日は、先生の信仰のお仲間関係を主に、2~300人の参列者が、苦難の一時代を生き抜いた西村先生の「闘いの生涯」を語る代表4~5人の言葉に聴き入り、賛美歌をうたい、心をひとつにして、薫子夫人、泰君(「お父さん、こちら側に下りてきてください」と書き遺したご次男)の待つ、神のもとにお送りするという、キリスト教式の葬儀とはかくありなんと思える、すばらしい会でした。
終了間際、第一次東大闘争(1968~69年)のころ文学部学生だった長女のみどりさん、北大で闘った次女のいずみさんと握手しましたが、小生が近づいてもだれか分からないらしく、「折原です。おじいちゃんになりましたか」とききますと、「ええ、昔は颯爽としていらしたから」と苦笑しあい、「ところがいま、第三次東大闘争の最中なんですよ」と説明しかけましたが、時間がありませんでした。
貴兄も、(東大教養学部駒場寮)廃寮問題では、ずいぶん苦労されたことでしょう。小生も、定年退職して名古屋に行くころ、西村先生を通して、あるいは寮生から直接、廃寮反対闘争をしている学生たちの主張を聞き、(これを贅沢/身勝手として退け)再開発による有効利用を志す教授会とのあまりの隔たりに、これは現場の後輩に委ねる以外にはないと観念しました。小生自身、学生時代には入寮せず、個人主義/個室主義のスタンスでしたから、寮生の主張は、いまひとつ自分のこととしては受け止めかね、無理があるとも思いました。それだけに、途中から間に入ってなんとか和解の道を模索した貴兄らのご苦労はよく分かります。ただ、強制執行のさいに「このうらみ、一生忘れないからな」といったほうも、それを聞いて「忘れない」というほうも、それぞれの人生にとり、今後の準拠標ができてよかったのではないか、とも思います。トルストイの『戦争と平和』の一齣ですが、プラトン・カラタイエフを助けられなかったピエールの心に、かえって後々プラトンが活きていくように。
案外、そう口外したほうは、あっけらかんと生きていってしまうかもしれません。学生時代に闘争を経験して、それを後の人生にどう活かしていくか、という観点から見わたしますと、じつにひとさまざまで、全般的にはあまりポジティヴに評価できないのではないかと思います。老生は第三次東大闘争として羽入書批判を進めてきましたが、第一次東大闘争では小生らを突き上げた闘士たちのうち、いま研究者/大学教官となって、どう対応したものか、困っている人もいるようです。
とりとめもないことを書きましたが、季節の変わり目につき、くれぐれもご大切に。
草々。
2005年10月1日
折原浩
----- Original Message -----
送信者 : "Yasutaka Ichinokawa" <ichinoy@waka.c.u-tokyo.ac.jp>
宛先 : "hiroshi orihara" <hkorihara@ybb.ne.jp>
送信日時 : 2005年9月28日 16:23
件名 : ご高著拝受+お詫び
> 折原浩先生
>
> 御礼が遅くなってしまいましたが、先生のご高著『ヴェーバー学の未来』、拝受さ
せていただきました。折原先生らしい緻密なテクスト(+理論)クリティークで、私
には一行一行、呑み込むのに、時間がかかりそうですが、拝読させていただきます。
本当にありがとうございました。
>
> それから、西村先生を「偲ぶ会」、折原先生に久々にお目にかかれるとの思いもあ
り、是非、参加するつもりでおりましたが、身内が急に体調を崩し、病院への付き添
いやら看護やらで、ご連絡もできずに欠席してしまいました。誠に残念と思うと同時
に、先生にもお詫び申し上げなければなりません。
>
> その上で、全く不躾にも程があるとお叱りを受けるかもしれませんが、当日の「偲
ぶ会」の様子、もしご迷惑でなければ、幾許なりともお教えいただければ幸いです。
>
> 西村先生には、晩年、いくつかの機会にお会いしたのですが、その一つが、駒場寮
問題でした。
> 私がこちらに赴任した1998年4月には、もうどうにも修復しがたいほど、学生
と大学当局の関係は捩じれておりましたが、それでも、明け渡し裁判の結審と、強制
執行が近づきつつあった頃、教養学部教授会で、各先生方に睨まれるのを覚悟で──
実際そうなりましたが──「平和的解決」の道を探るべきと意見し、何人かの先生方
(小森陽一、高橋哲哉、蜂巣泉、村田純一、代田智明)とともに、学部の正式窓口と
は別に、廃寮反対の学生たちと何度も交渉を重ねながら、「妥協点」を探る努力をし
ました。廃寮反対のOBには、私の旧友も多く、彼らとも議論しながら、何とかなら
ないかと努力したのですが、結局、大学側も、学生側も、最後まで折れることなく、
2001年夏に強制執行と相成りました。
> 私自身は、警察権力の学内導入と、反対派学生の逮捕だけは容認できず、実際、そ
れだけは回避できたのですが、強制執行当日、ある反対学生が、寮から自主退去しつ
つ、私を睨みながら放った、「この恨み、一生、忘れないからな!」という言葉にか
んがみても、情けない結果にしか終わらなかった、できなかったことが悔やまれま
す。
> 西村先生も、駒場寮問題には胸を痛めておいでで、わざわざ私の研究室にも足を運
んでくださり、こうしてはどうか、ああしてはどうかと、ご助言いただきました。し
かし、ああいう結果にしかできなかったことについては、西村先生に対しても、本当
に申し訳ないことをしたと今でも思っています。
>
> 愚痴に過ぎぬことを長々と書いてしまいましたが、そんな思いも秘めつつ、「偲ぶ
会」には是非、出席したかったのですが、できませんでした。せめて、会の様子なり
とも、折原先生のお手空きの時で一向に構いませんので、お教えいただければ幸いで
す。
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> 市野川容孝
> 東京大学大学院総合文化研究科
> 国際社会科学専攻
> 〒153-8902 目黒区駒場 3-8-1
> TEL 03-5454-6474
> FAX -4339
> E-mail: ichinoy@waka.c.u-tokyo.ac.jp
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