「比較歴史社会学研究会」第一回 (919) の報告に向けて                                         729 (817日改訂)  折原浩

 

[きたる919(土)PM 1: 30~、早稲田大学早稲田キャンパス8号館417教室で、第一回「比較歴史社会学研究会」が開かれます。

この研究会は、「ヴェーバー法理論・比較法文化研究会」(一橋大学法学研究科が、中国人民大学および韓国釜山大学校と共同で、2007年から2011年までの5年間に展開した、アジア研究教育拠点事業「東アジアにおける法の継受と創造――東アジア共通法の基盤形成に向けて――」の一部門)の参会者有志が、「マックス・ヴェーバー生誕150周年記念シンポジウム」(2014127日、早稲田大学早稲田キャンパス8号館B 101教室で開催) をへて、今年から立ち上げ、ヴェーバーの比較歴史社会学を「知の交流点」として、思想と学問への関心に依拠する自由なネットワークの形成を目指しています。東京と神戸に事務局を置き、各年秋に (春の「ヴェーバー研究会21」にタイアップする形で) 東京-神戸-東京-神戸-……と交互に会場を設定して開催していく予定とのことです。

その第一回に、高橋裕氏(神戸大学)による第一報告「M.ヴェーバーの社会学における法の定位――その法概念論を手がかりに」のあと、第二報告を依頼され、表題と趣旨にかんするお問い合わせに、下記のとおりお答えしましたので、事務局の許可をえて、ここに転載します。(817 折原浩) ]

 

 

 

お問い合わせの表題の件、いまのところ、「社会科学の『弁証法的発展』を期して――ヴェーバーの比較歴史社会学とくに『宗教社会学』の研究に即して」と題することにしようか、と考えております。

   趣旨、というよりも構想は、以下のとおりです。

 

1. ヴェーバー自身も、「職業としての学問」では、ご承知のとおり、(アルフレート・ヴェーバーによる「文明過程」と「文化運動」との区別と同じ趣旨で) 科学一般には、芸術一般とは異なり、『進歩』が成り立つから、どんな業績も『乗り越えられる』運命にあり、学者たる者、自分の仕事が『50年も経てば時代遅れになる』と覚悟し、それをむしろ『目的』としなければならない」と説きました。

 

2. この論点はじつは、「そのように、いつまでたっても『完成』にいたらず、『未知』の領域を残さざるをえない『限界状況』 (ヤスパース) の仕事に、職業として専念することに、どういう意味があるのか」という問いを触発する伏線をなしています。ここから、そういう有限性の自覚(=「無知の知」)にもとづく「科学の三権能」(①所与の目的にたいする手段の適合度の検証、②随伴結果の予測、③目的そのものの意義にかんする反省=価値理念との整合-非整合関係の検証) が確認され、「個人生活にたいする科学一般の意義」が論じられます。

小生は、このコンテクストから、実生活に科学の三権能を編入して活かす「責任倫理」的「理性的実存」というカテゴリーを定立し、「没意味」的「学知主義」に対置してきました。

 

3. ところが、「職業としての学問」における思想展開のコンテクストは無視して、「時代遅れになる」テーゼだけを取り出し、逆手にとって、「ヴェーバリアン」ないし「ヴェーバー研究」を「批判」する風が、まま見受けられます。

一昔前、「マルクスの言説を引いてマルクス主義者の、レーニンの言表をかざしてレーニン主義者の、『足を攫う』論法」が流行りましたが、これとよく似た学知主義的「ヴェーバリアン批判」です。「宴会に遅れてやってきただけで、いきなり上座に着こうとする」zeitgemäß な人は、どの時代にもいるのでしょう。

 

4. さて、それはともかく、「ヴェーバリアン」ないし「ヴェーバー研究者」を自認する小生は、この半世紀間、この種の「批判」にしばしば曝されましたし、曝されなくとも、そう自認するからには、そうしたzeitgemäßな議論を念頭に置いて、思考を凝らしてはきました。

その内容を、昨年の「ヴェーバー生誕150周年」(小生にとっては、ヴェーバー研究半世紀) を機に、多少展開して発表する必要もあろうか、と考えました。

 

5.生誕150周年記念論集』への寄稿では、そうした展開の理論的手掛かりとして、カール・マンハイムの学問論に着目し、「結び」で採り上げています。

マンハイムは、マックス&アルフレート・ヴェーバー流の二分法に加えて、少なくとも社会科学には「弁証法的な発展」も成り立つ、と考えました。すなわち、ある(「遠近法」的視座の)「体系化中心」から見て、それぞれなんらかの位置を占めていた個々の命題が、各々の属する領域の「専門経営」に引き渡され、「単線的進歩」に委ねられて、棄却されたり、是正されたり、いずれにせよ「意義変化」を被るとしても、それによって、当の「体系化中心」そのものが棄却され、「時代遅れになる」とはかぎらない。むしろ「体系」全体としては、個々の分肢の「意義変化」によって補正され、いっそう活性化することもあるし、あるいは、当の「体系化中心」が、固有の活性と潜勢力は保ったまま、いっそう包括的な「体系」に「止揚」され、たとえ「中心」の座は明け渡しても、「下位体系」ないし「地下水」として命脈は保ち、やがて「中心」に「返り咲く」こともありうる、というのです。少なくとも、そういうふうに再解釈できます。

 

6. この発想を、科学史家の「パラダイム変換」や「科学の制度化・体制化」の議論と結びつけると、興味深い展開が期待されます。たとえば、泊次郎氏は、最近の大著『日本の地震予知研究130年史--明治期から東日本大震災まで』(2015、東大出版会刊) において、「政治主導で組織され、制度化された諸プロジェクトが、先行研究を無視して、同じ過ちを繰り返してきた」と指摘しています。しかし、ここでは、この方面に立ち入ることは禁欲して、

 

7. 問題を、戦後日本のヴェーバー研究、とくに社会学者の関与に焦点を絞り、「生誕100周年」頃からの展開をおおまかに捉えますと、

1) 戦前・戦中から引き継いだ「ヴェーバー社会学とは何か」の(『経済と社会』の社会学的基礎範疇には到達しない)抽象的議論 (These段階)

2)「それでは駄目」と見限っての「連字符社会学」の具体的研究 (Anti-these段階)196070年代の創文社版『経済と社会』全訳計画は、もっぱら個別諸領域の専門家による訳注豊富な画期的研究で、社会学者は「蚊帳の外」でした。ただし、そのためもあってか、反面社会学的基礎範疇 (いわばヴェーバー自身における 「体系化」中心) は看過されたままでした。そこに起因する欠落や問題点がとくに目立つのが、「宗教社会学」章 (わけても「ゲマインデ」節) です。としますと、その

3)「体系化中心」を掘り起こし、復権させ、中心に据えたうえで、第二段階に豊富になった素材を、ヴェーバーその人にあったのと同じように、「比較-歴史-社会学」として集大成する課題が、Syn-these段階として、設定されます。

4) その応用的展開と、可能ならば「社会科学全体の『体系化中心』への『返り咲き』」が、今後に期待され、そのためには(「知の巨人」待望ではなく)「協業的分業」の「ゲゼルシャフト」結成とそれにともなう「諒解関係」の拡大・深化が、求められましょう。

 

8. 研究会発足第一回ということで、以上のとおり、総論的に、やや大風呂敷を広げる嫌いはありますが、当日の報告では、もとより、

1) 後期ヴェーバーにおける科学論の展開と社会学の生成――とくに、「因果帰属」および「責任倫理」的実践に欠くことのできない、歴史学 (現実科学) と社会学 (法則科学) との相互媒介の要請、

2) 宗教史学・人類学などの諸成果から「法則科学」的に一般経験則を抽出して、「宗教」の類型と展開を見渡し、決疑論に集約する、いわば「一般化の極限」としての「宗教社会学」(『経済と社会』「旧稿」中の一章) の成立、

3)宗教社会学」章について、編纂者が加えた見出しの点検-改訂による、つとめて精確な再読・再構成、

4)「儒教と道教」「ヒンドゥー教と仏教」「古代ユダヤ教」の、「類型論的個別化」としての位置づけ、

などのトピックスについて、網羅的な解説は時間的に困難ですから、いままで看過されたり相応に重視されてこなかったりした諸論点を拾い上げ、資料を用意して、補完につとめたいと思います。

 

9. 九月に入って、しばらくしましたら、過日の「ヴェーバー研究会21」第七回 (324) の場合と同様、919日当日の報告レジュメと引用資料集を用意して、本ホームページに掲載します。

 

以上です。猛暑の砌、たいへん恐縮ですが、準備よろしくお願いいたします。816日、折原浩