ヴェーバー法理論・比較法文化研究会の第一回公開シンポジウム (919日、於一橋大学・佐野書院) に向けて (3) (2010811日)

 

来る919()、一橋大学佐野書院ホールで、「ヴェーバー法理論・比較法文化研究会」の第一回公開シンポジウムが開かれます。折原は、コーディネーターの水林彪氏から、「『経済と社会』(旧稿)全体の構成と「法社会学」章の位置」と題する報告を依頼され、過大なテーマとは承知しながら、お引き受けしました。これを機会に、歴史学者と社会学者との相互交流を進め、個人的には懸案の『「経済と社会」(旧稿)の再構成――全体像』の執筆準備にも取り掛かりたいと思います。

つきまして、第一回報告に向けての準備稿を、このホームページに連載しております。ヴェーバー研究者として、他領域の研究者と対等な相互交流関係に入るには、ヴェーバー研究の特殊事情(社会学上の主著『経済と社会』の誤編纂)から生じているテクストの不備を補い、全体としての読解の欠落も埋め、まずは対等な出発点に立たなければなりません。今回のテーマにつきましても、ヴェーバー研究の現状では、「『経済と社会』(旧稿)全体の構成」をなにほどか既知の前提として「法社会学」章の位置を論ずるわけにはまいりません。そこで、できるかぎり不備を補い、欠落も埋め、対等な出発点に立つための準備研究を、あらかじめこのホームページに発表したうえ、当日の相互交流に臨み、多少なりとも実りあるものにしていきたい、と念願する次第です。

なお、「ヴェーバー法理論・比較法文化研究会」の概要と、第一回公開シンポジウムのプログラムにつきましては、公式サイトhttp://www.law.hit-u.ac.jp/asia/j/weber.html が開設されましたので、ご参照ください (2010811日記)

 

 

『経済と社会』(旧稿)全体の構成と「法社会学」章の位置

目次

はじめに                                           前稿 

1.「旧稿」の誤編纂とその後遺症――基礎カテゴリーの看過-逸失                 前稿

2. ゲゼルシャフト形成としての「社会」の合理化と、ゲマインシャフトの「重層性」 前稿

3.「旧稿」編纂論争史の到達点と現状                                               本稿  

4.「旧稿」全体の再構成 (テクスト再編纂と内容再構成)                           次稿

5.「法社会学」章の内部構成

6. 結論――「旧稿」全体の構成と「法社会学」章の位置

 

 

(承前)

3.「旧稿」編纂論争史の到達点と現状

さて、そういうわけで、こんどはわたくしたち自身が、「旧稿」全体の再構成を企てなければなりません。しかし、この「旧稿」のばあい、再構成とはいえ、信頼のおけるテクストがすでにあって、その再解釈を企てればすむ、というわけにはいきません。第五版までの「合わない頭をつけたトルソ」、『全集』版の「そもそも頭のない五死屍片」に代えて、いわば「合う頭をつけたトルソ」に相当するテクスト再編纂案を、しかるべき理由と証拠を添えて提唱しながら、内容上の再構成も同時に並行して進めていかなければなりません。

では、いかにして、「旧稿」テクストそのものを、(別人の編纂者ではなく)原著者マックス・ヴェーバー自身の構想に即して再編纂すべきでしょうか。この問題をめぐっては、なんどか触れましたとおり、『全集』版「旧稿」該当巻(Ⅰ/2215の刊行が終結しようとしている現在でも、論争が収束していません。「旧稿」全体の再構成という課題にたいして素材上の前提条件となる「旧稿」テクストの編纂が、『全集』版でも、全体としての統一(体系構成の基礎カテゴリーにもとづく、少なくとも「相対的な統合性relative Integriertheit」)にかんする議論を尽くさないまま、多分に便宜的に、題材ごとに、おそらくは出版技術上の「等量原則」にしたがって、五分巻(「もろもろのゲマインシャフト」「宗教ゲマインシャフト」「法」「支配」「都市」)に分割され、いわば「見切り発車」され、既成事実が積み重ねられてきました。わたくしたちは、(各分巻のかぎりでは、編集報告や脚注を施してよく編集された) この五分巻テクストを素材に、改めて、あるいは出発点に立ち帰って、「旧稿」テクスト全体の再編纂と、内容上の全体像構築に着手しなければならないわけです。

 

そこで、本来ならば、この現状にいたる経緯を、

⒈「旧稿」テクストの(原著者マックス・ヴェーバー自身における)創成史

(遺稿として残された)「旧稿」テクストの、別人(マリアンネ・ヴェーバーとヨハンネス・ヴィンケルマンと)による編纂史

フリートリヒ・H・テンブルックによる画期的批判(1977)以降の編纂論争史

論争継続中の前世紀末から、分巻刊行に踏み切った『全集』版の問題点と、これをめぐる「ヴォルフガンク・シュルフター対折原浩論争」の到達点

という順序で、辿ってこなければなりません。

しかし、このうち⒈~⒊ の概要には、本稿前段でも触れましたし、詳細な別稿も用意されています。すなわち、去る200631718日、京都大学で、(京都大学と学術交流協定を結んでいるハイデルベルク大学から) シュルフター教授、ヴォルフガンク・ザイファート教授らを迎え、「マックス・ヴェーバーと現代社会――ヴェーバー的視座の現代的展開」と題するシンポジウムが開かれました。これに折原も参加し、その第一部会(「ヴェーバー的理論の枠組みを求めて――『経済と社会』を中心に」)で、「『経済と社会』戦前草稿における「カテゴリー論文」の規準的意義――ヴォルフガンク・シュルフターとの積極的対決」と題する報告をおこない、シュルフター教授と論戦を交えました。その準備稿が、「31718京都シンポジウムに向けて」(1)(15) として、今回と同様、このホーム・ページに連載されています。そこで、詳細については、そちらを参照していただくこととし、ここでは⒋「現状と問題点」にかんして、それも主として京都シンポジウム以降の展開と現在の主要な争点につき、概略ご紹介していきます。

 

「旧稿」再編纂をめぐる「シュルフター-折原論争」の中間報告は、『「経済と社会」再構成論の新展開――ヴェーバー研究の非神話化と「全集」版のゆくえ』(鈴木宗徳・山口宏訳、2000、未来社)と題する共著の形で、発表されています。

シュルフターと折原とは、つぎの点で見解が一致しています。すなわち、両者とも、①テンブルックの「『経済と社会』との訣別」を正面から受け止め、マリアンネ・ヴェーバーとヨハンネス・ヴィンケルマンによる「二(三)部構成の一書」編纂は棄却しますが、テンブルックの批判によって誤編纂から解放された「旧稿」テクストそのものは、原著者の意図と構想に即して再編纂しようとし、そのかぎりテンブルックの「訣別とも訣別」します。②再編纂 (テクスト再配列) の指標となるべき、原著者に由来する(「テクスト外在的」)一規準として、「旧稿にかぎって、「1914年構成表」の信憑性と妥当性を認めます(この点で、「1914年構成表」の信憑性も妥当性も認めず、それだけ恣意に走ったヴォルフガンク・モムゼンとも、「旧稿」のみか「新稿」も「1914年構成表」の妥当範囲に含めてしまったヴィンケルマンとも、対立します)、③再編纂には、(シュルフターの分類法では)「作品 (発生) 史的werkgeschichtlich」、「文献学的philologisch」、「体系的systematisch」方法を、相互補完的に適用します (ただし、力点の置きどころには、後述のように、本質的ともいえる違いがあります)、④「経済と社会」ではなく、「経済と社会的秩序ならびに社会的勢力」を、唯一の正しい表題と認めます。

しかも、1998年までは、シュルフターも、⑤「旧稿」には、«基礎概念» ではなく、「カテゴリー論文」の基礎カテゴリーが適用されているから、「旧稿」には「カテゴリー論文」を前置すべきである、と主張し[1]、折原と見解が一致していました。ところが、かれは、ちょうど『全集』版「旧稿」該当巻が、「カテゴリー論文」を前置せず分巻形式で(「頭のない五死屍片」として)刊行され始める直前の1998年、論文「マックス・ヴェーバーの『社会経済学綱要』寄稿――編纂問題と編纂戦略」を『ケルン社会学・社会心理学雑誌』に発表し、持説を改め、所見を変更しました。すなわち、ヴェーバーの「旧稿」執筆にふたつの「局面Phase (ないし時期)」を区別し、「第二局面」では「カテゴリー論文」の規準的意義が失われている、と主張し始めたのです。それにともない、少なくとも含みとしては、ふたつの局面に書き下ろされた二群のテクストの間に、(「カテゴリー論文」の規準的意義の一貫性にもとづく)統合はない、あるいは少なくとも両者間の統合が薄れている、と見る「不統合」説に傾きました[2]。ちなみに、「第一局面」とは、ヴェーバーが分担寄稿の執筆を開始した1909-)10年から1912年末まで(とのこと)で、この時期に執筆されたテクストとしては、「経済と秩序」「階級、身分、党派」「市場ゲマインシャフト」および「政治ゲマインシャフト」などが挙げられます。「第二局面」は、1912年末ないし1913年初頭から、1914年夏の第一次世界大戦勃発による執筆中断まで(とのこと)で、この時期の主要テクストは、「諸ゲマインシャフトの社会学」(「経済とゲマインシャフトとの原理的関係」「家ゲマインシャフト」「種族ゲマインシャフト」「勢力形象。『国民』」) と、「宗教社会学」および「支配社会学」とされます。

 

それにたいして、折原はこう反論します。なるほど、191014年の四~五年間にわたって執筆された膨大な草稿に、いくつかの執筆局面があり、所産としてのテクストにも、それぞれに対応する「層Schicht」ないし「群Gruppe」があっても不思議はなく、それらを「作品(発生)史」的研究によって突き止め、区分けすることは重要でしょう。しかし、多層性は多層性、不統合は不統合で、ひっきょう別個のことです。「多層性」からただちに(内容上、とりわけ体系構成上の)「不統合」という結論を引き出すとなると、いささか性急で、短絡というほかはありません。そう結論するまえに、(ひとつのプロジェクトとしてむしろ自然な)「多層間の連続」ないし「多層間の統合」が顧みられ、探究されなければなりますまい。すなわち、「第二局面」に執筆された(という)テクストに、ほんとうに「カテゴリー論文」の基礎カテゴリーが適用されていないのかどうか、「第一局面」と「第二局面」とは、内容上どう「不連続」「不統一」なのか、その「文献学的」また「体系的」証拠はあるのか、というふうに問題を再設定し、「不統一仮説」(シュルフター) と「統一仮説」(折原) との双方[3]を、両局面のテクストそのものに就いて、「文献学的」にも「体系的」にも、慎重に検証すべきでしょう。折原は、こうした趣旨の反論を提起し、(『ケルン社会学・社会心理学雑誌』誌上における先行論争[4]のあとを受けて)京都シンポジウムに臨みました。

 

京都シンポジウムで、折原は、「カテゴリー論文」に特有の基礎カテゴリーとして、いきなり「諒解とその合成語」だけを抜き出してはならず、それが、他の基礎カテゴリー(①同種の大量行為、②無定型のゲマインシャフト行為、④ゲゼルシャフト行為)とともに、「ゲマインシャフト行為ないし秩序の『合理化』にかんする四階梯尺度」をなしている関係を、「まえおき」として強調し、そのうえで、テクストによる検証に着手しました。そしてまず、シュルフターが「第二局面」に執筆されたと見る「支配」篇中、「正当的支配の三類型」章「伝統的支配」節の三箇所[5]で、術語「諒解ゲマインシャフト」「諒解」「諒解行為」が明示的に用いられ、「カテゴリー論文」の基礎カテゴリーが適用されている、紛れもない事実を挙示しました。しかもそのうち、「身分制(等族)国家」の成立にかかわる箇所は、本稿の⒈ でも採り上げたとおり、「諒解行為」概念の孤立的使用例ではなく、「四階梯尺度」をなす基礎カテゴリーをいわば総動員して「身分制(等族)国家」成立の経緯と機縁を解き明かす(「四階梯尺度」を携えて読まなければ、その意味を十全に把握することができない)叙述でした。

 

それでは、同じく「第二局面」に執筆されたという「支配」篇「正当的支配の三類型」章中、「伝統的支配」節以外のテクストは、どうでしょうか。「支配」篇「概念的導入」章と、「正当的支配の三類型」章中の「合理的支配」節には、なるほど「諒解とその合成語」は見当たりません。しかし、「カテゴリー論文」の基礎カテゴリー「四階梯尺度」が適用されていることは確かで、これについても、本稿の⒈で引用し、解説したとおりです。

ただ、同じ章の「カリスマ的支配」節には、「諒解とその合成語」ばかりか、「四階梯尺度」の基礎カテゴリーも、少なくとも明示的にはごくわずかしか姿を顕しません。しかし、そのわずかな例を取り出して、仔細に検討してみますと、「カリスマ的支配」節で、なぜ基礎カテゴリーの使用頻度が低いのか、それが基礎カテゴリーの意義喪失によるのか、それとも、基礎カテゴリーは依然として規準的意義を保持しながらも、そこで採り上げられる対象の性質上、術語の頻繁な明示的適用は必要とされないからなのか、が判明します。

たとえば、カリスマ現象の包括的位置づけとして、「カリスマが、ゲマインシャフト行為 [世良訳では「共同社会行為」] の永続的組織Dauergebildeのなかに流入していくときには、常にその勢力は減退し、それだけ、伝統Traditionか、あるいは合理的ゲゼルシャフト関係rationale Vergesellschaftung [世良訳では「利益社会関係」] の勢力が増大する[ここで、「ゲマインシャフト」が、明らかに「ゲゼルシャフト」の上位概念をなし、«基礎概念» でなく「カテゴリー論文基礎カテゴリーが適用されていることに注意]。これが、カリスマなるものの運命である」(WuG: 681, 世良訳: 502)あるいはまた、「カリスマ的支配が、多年生の制度perennierende Institutionに変形を遂げようとするとき、それが第一に直面する根本問題は、……[予言者・英雄・政党首領といったカリスマ的支配者の] 後継者問題で、……まさにこの問題において、最初に、制定秩序Satzungや伝統Traditionの軌道への合流が、不可避的に開始される[ここでも、「ゲマインシャフト」が、明らかに「ゲゼルシャフト」の上位概念をなし、«基礎概念» でなく「カテゴリー論文基礎カテゴリーが適用されていることに注意](WuG: 663, 世良訳: 430) とあります。

この二引用句からも明らかなとおり、カリスマは、日常的秩序の「危機」の所産で、元来は反秩序的――したがって反慣習律的ないし反制定律的――に作用し、既存の伝統的(諒解)秩序や合理的(制定)秩序を覆します。なるほど、カリスマも、やがて「日常化」して、伝統や制定秩序と合流し、しばしばこれらを補強しますが、そのばあいには、必ず変質、変形を遂げます。したがって、真正なカリスマがそれに固有の力を発揮する本来の領域にかんするかぎり、その叙述に、「多年生の制度」や「永続的[社会]形象」における秩序の「合理化」にかかわる基礎カテゴリーを、直接適用することはできず、その必要もないわけです。ただ、それにもかかわらず、あえて適用するとなれば、反面ないし対極を指示する概念として、否定的間接的に適用することになりましょう。たとえば、「[教理上、後継者問題にかんして、新たな受肉は期待できない、という帰結を引き出した]真正 [カリスマ的] (南伝) 仏教では、仏陀の弟子たちが、かれの死後、托鉢僧団Mönchsgemeinschaftにとどまり、なんらかの組織Organisationやゲゼルシャフト関係Vergesellschaftung [世良訳では「利益社会関係」] 最小限しかもたず、できるかぎり無定型の臨機的ゲマインシャフト形成amorphe Gelegenheitsvergemeinschaftung [世良訳では「共同社会関係」] の性格を維持した。……僧団の、そのように高度に無定型な性格が、インドにおける仏教の衰滅に大いに貢献したことは確かである(WuG: 663, 世良訳: 430-31) という用例のように。

これらの明示的適用例は、ヴェーバーが「カリスマ的支配」節にも依然として基礎カテゴリーの「四階梯尺度」を適用している事実と、ただしそこでは術語の使用頻度が、叙述対象の性質に応じて必然的に低下している、という事情とを、ふたつながら証明しています。いずれにせよ、術語の使用頻度の低下を、ただちに (用例を具体的なコンテクストのなかで具体的に検討することなく) 基礎カテゴリーの規準的意義の減衰ないし喪失の証と速断してはなりません。

 

  そのうえ、著者ヴェーバーが「カリスマ的支配」節を執筆中、つまりシュルフターのいう「第二局面」でも、当該節の叙述を「カテゴリー論文」に結び付け、両者の関連を意図して読者に示そうとした、歴然たる証拠があります。これを、用語法以外のテクスト内在的・「文献学的」検証方法のひとつ(=「参照指示法」「参照指示ネットワーク法」)の一適用例として、ここでも採り上げてみましょう。

ヴェーバーは「カリスマ的支配」節で、カリスマと官僚制的合理化とを対置しながら、両者がともに、伝統を覆す革命的作用を発揮すると見ました。ただ、その作用様式は対照的です。カリスマはまず、それにしたがう人間を「内から」変革し、事物や秩序は、(解体のあとを受け、あるいはいったん解体したうえで)そのように変革された追随者の革命的意欲にしたがって新たに形成します。それにたいして、官僚制的合理化は、「外から」技術的手段によって、まず事物や秩序を変革し、そうすることをとおして、変化した外界に適応する人間のありようもなし崩しに変え、そのさいしばしば、合理的な目的と手段を設定して、適応能力をたかめもします。しかし、ここでヴェーバーは、革命のそうした二類型間の差異が、カリスマ的指揮者にも官僚制的支配者にも等しく直観的に孕まれる初発の理念にあるのではなく、当の理念が被指揮者ないし被支配者に「獲得されangeeignet」、「体験されるerlebt」仕方にある、と述べて、こうつづけます。「われわれが前段で見たとおり、合理化なるものはつぎのように経過する。すなわち、広汎な被指揮者大衆は、かれらの利益に役立つような外的また技術的な諸成果のみを取り入れ、あるいはそうした諸成果に適応していくが (われわれが九九を「覚え」、あるいはあまりにも多くの法律家が法技術を「覚える」ように)、そのさい、そうした諸成果を創造した者の『理念』内容は、被支配者大衆にとってはどうでもよい、というように。合理化と合理的『秩序』とは『外から』革命するという命題は、まさにこのことを意味している」(WuG: 658, 世良訳: 412-13) と。

さて、「合理化」一般の随伴結果にかんするこの命題は、引用句冒頭の前出参照指示 (「前段で見たとおり」) にしたがって「旧稿」中を遡っていっても (念のため後段を探査してみても)どこにも内容上対応する被指示叙述を見出すことができません。ただ「カテゴリー論文」の末尾 (39) でのみ、内容上的確に一致する論点に行き当たります。そこでヴェーバーは、「ゲマインシャフトの秩序の合理化とは、じっさいには何を意味するのか」と問い、こう答えます。すなわち、大衆は、合理的に制定された秩序や合理的に製造された日用財に、適応しながらも、そうした秩序や財が創造される基礎となった合理的理念や原理からは、ますます引き離され、ただ、それらが合理的に計算可能な仕方で機能する、と信じているにすぎない、と。しかも、そのコンテクストで、九九を、その「経験的 『妥当』 は、『諒解的妥当』の一例である。ただし、『諒解Einverständnis』と『理解Verständnis』とは同一ではない」(WL: 471, 海老原・中野訳: 121) といって、引き合いに出し、「あまりにも多くの法律家」については、こう述べています。「新しい『法律』や『結社規約』の新しい条項を創設することが議論されているかぎりでは、少なくとも、その創設にじっさい上特別に密接な利害をもっている関係者は、新しい秩序の現実に考えられた『意味』を見抜いているのが通例である。しかし、その新しい秩序がじっさいに定着し『馴染まれる』と、当初には創造者によって多少とも統一的に考えられていた意味は、まったく忘れ去られるか、意義変換Bedeutungswandelによって覆われるかするので、複雑な法規範がかつて協定ないし授与されたさいの『目的』を現実に見抜いている裁判官や弁護士の数はごくわずかになるし、『公衆』にいたっては、法規範が創られ、経験的に『妥当』していることからさまざまな可能性が帰結する事実さえ、このうえない不都合を避けるために必要なかぎりで知っているにすぎない。秩序がますます複雑化し、社会生活が分化を遂げていくにつれて、この事態はいよいよ遍くいきわたる。制定された秩序の経験的に妥当している意味を、すなわち、秩序がかつて創られ、現在特定の仕方で平均的に解釈され、強制装置によって保障されていることから平均的に十分な確率で導き出される『予想』を、もっともよく知っているのは、疑いなく、計画的に諒解に反して行為する、したがって秩序を『犯す』か『くぐり抜ける』ことを目論む人びとにほかならない」(WL: 472, 海老原・中野訳: 122-23) と。

この「旧稿」側「カリスマ的支配」節中の前出参照指示 [マリアンネ・ヴェーバー編のテクストで数えると、「旧稿」中第474番目に出てくる参照指示Nr. 474] については、さすがにヴィンケルマンも、「いまではjetzt、『科学論集』471ページ以下」(WuG: 658 Anm. 2) と、「カテゴリー論文」第39段の参照を指示し、世良晃志郎も、「ここに『上に見た』(früher gesehen) とあることからしても、『カテゴリー論文』の第二部が、元来は『経済と社会』の旧い草稿の一部をなしていたことが分かる」(世良訳: 415-16) と注記していました[6]

 

折原もかつて、シュルフター1998年論文の所見変更にたいして、「この前出参照指示 [Nr.474] 内容的に対応するのは、『九九』と『法技術』の例を含む、カテゴリー論文の最後のパラグラフのみである (WL: 471-73=海老原・中野訳: 120-26)。『当初の頭』[「カテゴリー論文」第二部]がその役割を失ったとするならば、こうしたことがどうして可能なのだろうか」と反問しました (『「経済と社会」再構成論の新展開』: 80)。あくまで論点内容の一致を中心に置き、「九九と法技術」という例示の一致は補足として加えるだけで、「カリスマ的支配」節を「カテゴリー論文」に架橋する原著者の意図と、これにもとづく結節環の厳存を、動かぬ証拠として挙示し、(「第二局面」「支配」篇では「カテゴリー論文」の規準的意義が失われたという) シュルフターの「新」説に、疑義を呈し、反省と再考を促したのです。

ところが、シュルフターは、この批判を、折原が、論点内容は抜きに、例示の一致のみからテクスト連関を主張していると解し、こう断をくだしました。「ところで、ヴェーバーが用いる例や引用は、配置問題を解くためにはまったく役に立たない。当時ヴェーバーは、数年をかけて、後からさまざまな脈絡で用いることになる [例や引用の] 連のレパートリーをつくり出していた。前出参照指示474 [=理念を伴わない合理化の進行] と同じ箇所に、繰り返して何かを覚えるという例 [=九九や法技術] が挙げられているからといって、そこから導き出せることはほとんどない。このばあい、挙げられている例を前出参照指示とはまったく関係なく、述べられた事態に説明を加えるものであるかのように読むことも可能なのだから、なおさらである。こじつけることはいくらでもできる。つまり参照指示の大半は一義的ではない、ということである。いずれにせよ参照指示は決定的な証拠をえるための道具にはならない」(『「経済と社会」再構成論の新展開』: 103) と。

これは、(折原が所在を明記して参照を求めている)「カテゴリー論文」最終段落の論点参照は怠り、論点内容間の一致を、引例間の一致に「すり替え」たうえ、「こじつけ」として一蹴する、シュルフターにしては珍しく性急で強引な断定というほかはありません。この一例が「こじつけ」であるかどうか、の判定は、読者に委ねましょう。折原としては、こちらが具体的に提示している参照指示連関に、正面から具体的には反論せず、それでいて「参照指示の大半は一義的ではない」「参照指示は決定的な証拠をえるための道具にはならない」と抽象的に断定を連ね、結論を急いで、「参照指示ネットワーク法」一般の方法的意義を否定するかのようなシュルフターの対応は、編纂陣としても「旧稿」の再構成・再編纂に利用できる有効な武器を、みずから拒否し、放棄するに等しく、どう見ても不可解で、(編纂陣に最良の『全集』版編纂-刊行を期待している全世界のヴェーバー研究者・読者の立場から)まことに残念というほかはありません。これは、「旧稿」全篇の再編纂・再構成にかかわる方法上重要な問題なので、後段でまた採り上げます。

 

それでは、シュルフターが、「支配」篇とともに「第二局面」の主要所産と見る「宗教社会学」章のほうは、どうでしょうか。

なるほど、ここにも「諒解とその合成語」は見当たりません。しかし、宗教上のゲマインシャフト形成Vergemeinschaftungの主題をなす「Gemeinde(このばあい教団)」論には、ゲマインシャフトをゲゼルシャフトの上位概念とする«基礎概念» ではなく)「カテゴリー論文」の基礎カテゴリーが適用され、ゲマインデ一般が、「ゲゼルシャフト形成に媒介されたゲマインシャフト」「ゲマインシャフトへのゲゼルシャフト形成」という特徴的な表記を用いて概念規定されています。じつは、この一般的規定を突き止めて初めて、宗教ゲマインシャフトとしての「教団」と、地域ゲマインシャフトとしての「村落ゲマインデ」「都市ゲマインデ」との関係も、明らかにされます[7]。そうして初めて、「旧稿」全篇の各所に散在し、一見「そのつどad hoc」バラバラに論じられているかに見える、さまざまな「ゲマインデ」が、まさにGemeindeという統一的術語をもって論じられる整合的意味も、判然とするのです。

ヴェーバーによれば、宗教的意味における「教団」の発生には、いくつかの類型がありますが、そのうちもっとも典型的なのは、それが「予言の日常化Veralltäglichung der Prophetie」として成立するばあいです。予言者個人の弟子や助力者 (支配社会学のカテゴリーを当てれば、カリスマ的支配者として権力を握る予言者の「輔佐幹部」) 、予言者を即人的persönlichに崇拝してその周囲に集まった帰依者たち(被支配者大衆)を、「臨機的平信徒Gelegenheitslaien(すなわち「無定型のゲマインシャフト」ないし「浮動票状態」) に留め置かず、双方の権利-義務を定め、そうした制定秩序のもとに平信徒の積極的関与を促し、持続的(多年生の)教団構成員に組織し、よってもって自分たちの経済的存立も確保しようとします。そのように、もっぱら宗教上の目的に仕える持続的ゲゼルシャフト形成dauernde Vergesellschaftungに媒介されて生まれる、近隣在住平信徒の持続的ゲマインシャフトが、「信徒教団Laiengemeinde」にほかなりません。そのなかで、カリスマ的予言者の (みずからも多少はカリスマを帯びた輔佐幹部の) 弟子や助力者も、密儀師・教説家・祭司・司牧者などに転態を遂げていきます。としますと、「ゲゼルシャフト形成に媒介された多年生ゲマインシャフト」へのこの教団形成は、なにも予言の日常化からだけではなく、ある神への供儀祭司が、その神の信奉者たちに、首尾よく制定秩序を課して、多年生の信徒ゲマインシャフトにゲゼルシャフト形成vergesellschaftenすれば、そこにも成立することになりましょう。

ここで重要なのは、ヴェーバーが、「こうした宗教的意味におけるゲマインデは、経済的、財政的、あるいはその他の政治的理由で、ゲゼルシャフト関係に統合される近隣団体der aus ökonomischen, fiskalischen oder anderen politischen Gründen vergesellschaftete Nachbarschaftsverbandと並ぶ、ゲマインデの第二カテゴリー die zweite Kategorie von Gemeindeである」(WuG: 275, 武藤他訳: 83) と述べていることです。ここにいきなり「第二カテゴリー」という表記が出てくるのですが、それでは、「第一カテゴリー」とは何でしょうか。双方は、どういう関係にあるのでしょうか。

しかし、この「第一カテゴリー」という文言を当てて特定のゲマインデを論じている箇所は、「旧稿」中どこにも見当たりません。ところが、「ゲマインシャフト」篇中の「近隣ゲマインシャフト」章に遡ってみますと、「近隣ゲマインシャフトは、ゲマインデの原生的な基礎urwüchsige Grundlageである。ただし、ゲマインデとは、十全な意味では、後述のとおり [後出参照指示Nr. 36] 数多の近隣ゲマインシャフトを統括する政治的ゲマインシャフト行為との関連によって初めて創成される形象 (構成体) にほかならない」(WuG: 217) という記述に出会います。ここで、「旧稿」の英訳者は、この後出参照指示Nr. 36を、後出「支配」篇「都市」章の「ゲマインデとしての都市」を指すものと解し、その旨注記しています[8]。しかし、それでは、「都市ゲマインデ」が、はたしてゲマインデの「第一カテゴリー」でしょうか。この点、疑問なしとしません。

とまれ、このふたつの引用からは、「ゲマインデ」とは、「複数の原生的近隣ゲマインシャフトが、なんらかの政治的ゲマインシャフト行為 (すなわち、ある領域を、物理的強制力の威嚇ないし発動によって、秩序ある支配のもとに置こうとするゲマインシャフト行為) により「上から」制定秩序を課されこれによって規制されてvergesellschaftet、創成される (つまり「上からの」ゲゼルシャフト形成に媒介された) 第二次的ゲマインシャフト形象 (構成体)」を意味するらしい、と見当がつきます。

そこでいったん、宗教的教団形成のいまひとつの類型に戻りますと、ペルシャ帝国の政治的ゲマインシャフト行為によるユダヤ国家の宗教教団への再編-温存に、典型例が見られるとおり、一般に世界帝国の支配者・征服者は、「被征服民の馴致 Massendomestikation der Unterworfenen」を目的とし、稀ならず、被征服民の政治団体を宗教教団に再編成して利用しようとします。そのさいには、征服された政治団体は解体entpolitisierenされ、住民は武装解除entmilitarisierenされますが、従来の政治団体付祭司は、祭司の地位には留め置かれ、教団の長として身分を保障され、「総督」のもとになにがしかの政治的権限さえ与えられて、被征服民の統治に当たります。ここにヴェーバーは、「近隣団体からなる強制ゲマインデdie Zwangsgemeinde aus dem Nachbarschaftsverbandが、財政上、国庫の利益を確保するため [政治的に] 利用されるように、ここでは宗教上のゲマインデが、被征服民を馴致する手段として [政治的に] 利用される」(WuG: 277, 武藤他訳: 87) と付記しました

とすると、国庫の歳入確保や治安維持といった政治-行政目的のもとに、「上から」ゲゼルシャフト関係をあてがわれ、これによって再編成される近隣ゲマインシャフトとして、「旧稿」中の飛び飛びの箇所に、つぎのような叙述が見出されます。ひとつは「法社会学」章で、「[イギリスの] 国王は、裁判や行政に必要な給付を、集団責任をともなう強制団体die Zwangsverbände mit Kollektivpflichtenを形成することによって確保した。これは、中国法、ヘレニズム法、後期ローマ法、ロシア法およびその他の諸法にも知られていた強制団体と、原理的には類似のものであった。ゲマインデGemeinde (communaltie) は、もっぱら国王行政のためのライトゥルギー的義務団体という意味でだけ存在し、国王による [特権] 授与や寛容によってのみ、権利を帯びたにすぎない」(WuG: 435, 世良訳: 231) とあります。

また、「支配」篇「正当的支配の三類型」中の「伝統的支配」節でも、そうしたライトゥルギー的需要充足が、家産君主制において発展を遂げた特徴的形式とみなされ、これについてつぎのように述べられています。「ライトゥルギー的需要充足の形式と作用とはさまざまでありうるが、ここでわれわれの興味を引くのは、それを源泉として成立する臣民のゲゼルシャフト形成Vergesellschaftung der Untertanenである。首長にとって、需要充足をライトゥルギー的に組織することは、つねに、首長にたいして負担された諸義務を、それについて責任を負う他律的またしばしば他首的な団体を設立することによって確保することを意味した。ちょうど氏族Sippeが、氏族成員の給付について責任を負ったように、いまやこれらの団体が、君主にたいして、すべての個々人の諸義務について責任を負うのである。じじつ、たとえばアングロ・サクソン族のもとで、首長が依拠した最古の団体は氏族であった。氏族が首長にたいして、氏族員の服従を保障する義務を負ったのである。これと並んで、村落住民の政治的また経済的な義務について、村落員の連帯責任が成立した。ここから、その帰結として、村落への農民の世襲的拘束が生じうるし、また、土地保有への個々人の参与権が、これによって、土地利益の産出に参加する義務と化し、そのようにして、支配者にたいして負担する諸貢租 [確保] のための意味をももつ義務になる、ということも生じえた」(WuG: 592, 世良訳: 184)

とすると、この、家産制的支配者のライトゥルギー的需要充足のため、「[家産制的「直轄地」従属民の埒外にいる] 政治的臣民のゲゼルシャフト形成 [上からの制定秩序授与]によって、連帯責任を負わされ、氏族にとって代わる近隣-地縁団体こそ、ゲマインデの「第一カテゴリー」に当たるのではないでしょうか。というのも、「団体Verband」とは定義上、(家長、村長、氏族長老といった) 特定の権力者・権力保有者が存立して、諒解によって所属の決まる団体員に、諒解によって実効力をもつ秩序を発令し、諒解に反して行為する者には、物理的また心理的な強制行使の用意をととのえている――そのかぎりで権力関係に再編された――「諒解ゲマインシャフト」ですから、この「ライトゥルギーへの連帯責任を負わされた近隣-地縁団体」としての「ゲマインデ」は、「ゲゼルシャフト関係に媒介されたゲマインシャフト」という一般規定に該当し、そのうえ、「家ゲマインシャフト」「近隣ゲマインシャフト」という血縁・地縁ゲマインシャフトの「原生的基礎」には (少なくとも「ゲマインデとしての都市」よりも) 相対的に近く、その意味で「第一カテゴリー」に相応しい、といえるわけです。

さて、ヴェーバーは、そのようにゲマインデの概念を設定したあと、ここでも、その発展の対極的(東-西)分岐を見通し、ふたつの類型概念を設定します。ひとつは、そうしたゲマインデが、イギリスにおけるように、「首長にたいして広範囲の独立性をもつ地方的な名望家行政」に帰着し、地方自治の源泉になるという発展方向です。いまひとつは、オリエントにおけるように、ライトゥルギーをむしろ全社会的に拡張して、すべての「個々人を土地・職業・ツンフト・強制団体に世襲的に拘束する、臣民の総体的即人的な家産制的従属die universelle persönliche Patrimonialhörigkeit der Untertanen に帰着する方向です。このようにヴェーバーは、ゲマインデの発展方向につき、ふたつの対極を理念型として構成し、大部分の発展を両者の中間に位置づけながら、そうした対極的分岐を規定する要因を索出します。「首長自身の家産制的な権力的地位や、とりわけ、いざとなれば政治的臣民を敵にまわしても確保できるような、かれの家産制的軍事力が、技術的に発展していればいるほど、第二の型、すなわち総体的隷属関係 das universelle Untertanenverhältnisが、それだけ容易に実現されえた」(WuG: 593-94, 世良訳: 188-89) と。

他方、「政治的ゲゼルシャフト形成に媒介され、再編された原生的近隣ゲマインシャフト」という「ゲマインデ」の一般概念を展開していきますと、もし都市君主が、都市の近隣ゲマインシャフトを原生的基礎として、制定秩序をあてがい、地縁団体にゲゼルシャフト形成するとすれば、そこには「ゲマインデとしての都市」が成立するでしょう。この点について、ヴェーバーは「都市」章で、つぎのように述べます。「確かに、都市経済政策の担い手が君侯 Fürst であり、都市とその住民が、[支配の] 対象として、かれの政治的支配領域に属しているということもありうる。このようなばあい、都市経済政策とは、そもそもそういうものがあるとして、もっぱら都市とその住民のためにおこなわれはするが、都市とその住民によっておこなわれるのではない。しかし、必ずしも君侯ばかりが都市経済政策の担い手であるとはかぎらない。また、君侯が都市経済政策の担い手であるようなばあいにも、なおかつ都市は、なんらかの範囲で自律権をもつ団体ein in irgendeinem Umfang autonomer Verband、すなわち、特別の政治的・行政的秩序をそなえた 『ゲマインデ』 eine “Gemeinde” mit besonderen politischen und Verwaltungsrichtungenとして考察されなければならない」(WuG: 732, 世良訳、都市: 25) 。つまり、当初には制定秩序を都市君侯によって上からあてがわれる他律的団体であった都市も、君侯を追放して農村の城砦に閉じ込め、あるいは君侯の譲歩を勝ち取り、それ自体の政治・行政秩序をそなえた、自律的また (たいていは) 自首的な組織ないし制度に成長を遂げることもありえましょう。そのばあい、当の政治・行政秩序は、互いに結束して市民層Bürgertumないし市民身分Bürgerstandをなす都市住民自身の「協定」によって制定されましょう。しかし、そのように十全に発展を遂げた自治都市も、複数の近隣ゲマインシャフトを原生的基礎とし、(誓約団体の結成という)ゲゼルシャフト形成によって媒介された地域-諒解ゲマインシャフト、したがって「ゲマインデ」の特例であることに変わりはありません。ただ、その秩序が自律的に制定され、市長や市参事会員といった権力保有者も、自首的に選出される、という違いがあるだけです。

そういうわけで、以上、「旧稿」の各所に散見され、一見無関係ともとれる「ゲマインデ」関連の叙述は、じつは「ゲゼルシャフト形成に媒介された近隣-地縁ゲマインシャフト」という一般概念(「カテゴリー論文」の基礎カテゴリー)を共有し、これを基礎に、①原生的な近隣ゲマインシャフトが、財政上その他、政治的目的のもとに「連帯責任団体」にゲゼルシャフト形成vergesellschaftenされた「村落ゲマインデ」(「第一カテゴリー」)、②同じく、宗教的目的のもとにゲゼルシャフト形成された「教団」(「第二カテゴリー」)、③都市在住者の近隣ゲマインシャフトに、都市君主または都市市民層自身により他律的または自律的に政治-行政秩序が制定され、首長他の権力保有者が他首的または自首的に選定されて創成される「都市ゲマインデ」(「第三カテゴリー」)という三類型に区分されています。「カテゴリー論文に固有の、ゲマインシャフトをゲゼルシャフトの上位概念とする基礎カテゴリー、これによって初めて意味をなす「ゲゼルシャフト形成に媒介されたゲマインシャフト」という一般概念に、揺るぎなく準拠し全篇を通読して初めて(「第一局面」執筆のテクストと「第二局面」のそれとに跨がる体系的関連と統合が、突き止められるのです。

ここで、これら「ゲマインデ」関連の類-類型概念を通観しますと、ゲマインデの原生的基礎としての「近隣ゲマインシャフト」は、原生的なるがゆえに、どの文化圏にも見られる普遍的現象です。ところが、ゲマインデの「第一カテゴリー」としての「村落ゲマインデ」となると、それ自体は普遍的であるとしても、家産制君主の権力構造、その他の条件次第で、「相対的に自律的な地方名望家行政」か、それとも「総体的即人的家産制的隷属」か、この二方向に発展を遂げる類型的分岐の起点としても、位置づけられています。さらに、「第二カテゴリー」としての「教団」と「教団宗教性」となると、宗教ゲマインシャフトの普遍的構造形式ではありながら、じっさいには西洋文化圏でのみ支配的となった特例としても捉えられ、それを社会的基盤とする祭司、予言者、(さまざまな社会層からなる)平信徒間の三つ巴の緊張関係と、これにもとづく宗教発展の諸相が、(「宗教社会学」章で)詳細に分析されます。近隣ゲマインシャフトを原生的基盤とする原生的「互恵倫理」が、「教団」に引き継がれて「誓約兄弟関係」に拡張され、「同胞愛」倫理にも醇化されて、血縁的氏族的紐帯の解体拍車をかけ、やがて「時満ちて」(西洋中世には)「第三カテゴリー」としての「都市ゲマインデ」の自治権簒奪を支える「都市市民身分」形成の発酵母胎となります。そのように、「ゲマインデ」関係の類-類型概念も、一見バラバラで関連と統合を欠くかに見えながら、じつはいずれも、ヴェーバーの普遍史的で包括的な問題設定――西洋文化圏の歴史を、他の文化圏から分けた、普遍的諸要因の個性的布置連関は、いかなるものか――に導かれ、なぜ西洋でのみ、「合理化」(としてのゲゼルシャフト形成)が、先行条件(先行の諸ゲマインシャフト)によって「引き戻され」「包摂され」ずに、むしろその制約を「一点突破」して「一人歩き」し「全面開花」するにいたったのか、という根底的な問いかけにたいして、それぞれがいわば「応答価値」をそなえ、しかるべき位置を占めているわけです。

 

残るのは、「支配」篇と「宗教社会学」章以外で、「第二局面」に執筆された (という) テクストについてはどうか、という問題です。そうしたテクストのひとつに、「経済とゲマインシャフトとの原理的関係」章があります。しかし、これについては、前稿2.で採り上げたとおり、「合理的目的結社形成の随伴結果として、当の合理的目的の範囲をこえるゲマインシャフト関係(じつは諒解関係)が創成される」という同章中の論点に、前出参照指示Nr. 25が付され、これが「カテゴリー論文」第29段末尾に、論点内容はもとより(宗教上のゼクテから、社交クラブを経て、ボーリング・クラブにいたる)例示までも一致する被指示叙述を見出します。この事実は、両テクストの架橋が、原著者自身によって意図されていた事実を、(当の架橋がふたたび放棄されたという、なにか具体的な反証によって覆されないかぎりは)見紛う余地なく証明しているというほかはありません。

また、(同じく「第二局面」に書かれたとシュルフターのいう)「種族」章についても、これまた前稿2.で検証したとおり、「種族的共通性信仰の政治的『人為的』創成」を「合理的ゲゼルシャフト関係が即人的ゲマインシャフト関係に解釈替えされる」通則の一例と見る論点に、前出参照指示Nr. 55が付され、これが、前出参照指示Nr. 25の論点を経由して、やはり「カテゴリー論文」第29段末尾に連なり、確たる結節環の存立を証していました。

 

最後に、「ゲマインシャフト」篇中の「家」「近隣」「氏族」の三章が、未検証のまま残されています。なるほど、これらにはやはり、「諒解とその合成語」が明示的に使われてはいません。しかし、これらは、けっして「無定型のゲマインシャフト」ではなく、いわば「もっとも原生的したがって普遍的な諒解ゲマインシャフトの代表例」です。成員は互いに、「家計の共有と家長への恭順」「近隣近接居住と救難義務」「族外婚、財産相続、血讐義務による安全保障」にかかわる「非制定秩序」に準拠してゲマインシャフト行為を交わし合っています。この点は、「カテゴリー論文が前置されほかならぬ諒解行為概念が堅持されていさえすれば、逐一Haus-Einverständnisgemeinschaft, Nachbarschafts-Einverständnisgemeinschaft, Sippen-Einverständnisgemeinschaft といった (正確でも長ったらしい) 表記を当てるにはおよばない、いわば「自明のこと」といえましょう。それらの章では、家ゲマインシャフト、近隣ゲマインシャフト、氏族ゲマインシャフトに代えて、家団体、近隣団体、氏族団体といった簡潔な表記はしばしば当てられ、これらが(常態としては、家長、村長、氏族長老といった権力保有者のもとに、諒解によって秩序が維持される)諒解ゲマインシャフトであることを表示しています。ですから、このばあいにも、「諒解とその合成語」のような術語が、どの程度明示的かつ頻繁に用いられるかは、テクストの書かれた局面ないし時期における「カテゴリー論文」の規準的意義の有無ないし強弱によってではなく、術語を直接明示的に適用して対象の特性を把握し位置づけする必要の度合いによって決められている、と見たほうが、はるかに無理がないでしょう。

その点、「種族」「階級」「身分」などの「社会形象」、あるいは「官僚制」「家産制」「封建制」「身分制等族国家」といった大規模な「支配形象」については、「家」「近隣」「氏族」とは事情が違います。たとえば、本稿の1. でも見たとおり、ある「階級状況」を共有する「人間群」「統計的集団」としての多数者が、互いに意味上の連携はない「同種の大量行為」から「無定型のゲマインシャフト行為」「諒解行為」を経て「臨機的ないし持続的なゲゼルシャフト形成」にいたる「四階梯尺度」のうえで、どこまで組織化され、「階級」としていわば「成熟」しているかは、そのつどこれらの術語を適用して分析し、位置づけしなければならない、まさに社会学的な問題をなしています。

 

そういうわけで、⑴「旧稿」全篇に散りばめられている術語を、「諒解とその合成語」だけではなく、「カテゴリー論文」(第二部)で定立された基礎カテゴリー①~④のすべてについて、しかもそれぞれの使用頻度を機械的に数え上げるといった皮相な観察ではなく、一例ごとに、それぞれの明示的また黙示的な適用とその必然性を、具体的なコンテクストに即して洗い出す、といった仕方で、網羅的に検索し、仔細に検討していきますと、「第二局面」に執筆されたテクストに、基礎カテゴリーが適用されず、「カテゴリー論文」の規準的意義が失われている(あるいは、薄れている)とは、とうていいえません。この検証結果はまた、⑵原著者マックス・ヴェーバーが意図して「旧稿」全篇に張り巡らした参照指示ネットワークの検出によっても、「第二局面」に執筆されたテクストと「カテゴリー論文」との結節環の厳存という「テクスト内在的」事実によって、補強されます。シュルフターが1998年以降の所見変更を貫徹するには、同じくテスクト内在的で具体的な反証により、折原のこの具体的批判を覆さなければなりません。

 

ところが、京都シンポジウム2009年春)におけるシュルフター-折原論争」については、遺憾ながら、報告すべきことはわずかしかありません。シュルフターは、別の仕事に多忙だったのか、折原が事前にメールで送っておいたレジュメを読み、対応を考え、反証の用意をしてシンポジウムに臨んだ形跡はなく、むしろ、「わたしが『カテゴリー論文』の意義を否定したことなど一度もない」と、「開き直り」ともとれる対応に出て、折原はいわば「肩すかしを喰い」ました。当日会場にいた何人かの参加者からも、同じような感想が寄せられました。

ただ、折原は咄嗟に、同じ「開き直り」でも、「カテゴリー論文」の意義を認める方向への「よい開き直り」と感知し、その場で「では、第二局面では『カテゴリー論文』の基礎カテゴリーが『規準的意義』を失った、という所見を引っ込めるのか」、「参照指示ネットワーク検出の方法的意義を積極的に評価するのか」という方向で「深追い」し、ストレートに「追い詰める」のは得策でない、と判断しました。シンポジウムのような公開場裡で、細部にわたる論証を重ね、議論に決着をつけるのには、もともと無理があります。そこで、その場の討論は適宜切り上げ、シンポジウムの直後、(シンポジウムで開陳し、本稿にも再録した)シュルフター批判を集約して、「マックス・ヴェーバー『カテゴリー論文』における『社会的行為と秩序の合理化にかんする四階梯尺度』と、かれの『経済と社会』旧稿にたいするその意義:シュルフターへの積極的批判Max Weber’s ‘Four-Stage Rationalization-Scale of Social Action and Order’ and its Significance to the ‘Old Manuscript’ of his ‘Economy and Society’: A Positive Critique of Wolfgang Schluchter」と題する論文を、英文でしたため、『マックス・ヴェーバー研究』誌に投稿しました。これが採択され、同誌の20087月号に掲載され、2009年春には公刊されています。

 

さて、この論文内容にたいする直接の応答は、シュルフターから寄せられませんでした。ただ、この間、シュルフター編の『全集』24が、「『経済と社会』――生成史と関連文書Entstehungsgeschichte und Dokumente」と題して2009年末に公刊され、折原にも一部、送られてきました。そこでこの編著24を、この間の一連の論争にたいするシュルフター側の総括、願うらくは (京都シンポジウムと英文投稿に表明されている) 折原の批判への応答を含む総括、に見立て、なお残る折原批判に、折原の反批判を対置しましょう。

 

ここでは、細かい対立点には立ち入らず、もっとも重要な三つの争点、すなわち、⑴「旧稿」の再構成・再編纂にたいする「カテゴリー論文」の規準的意義、⑵ 同じく「1914年構成表」の規準的意義、⑶ 同じく「参照指示 (ネットワーク) 法」の方法的意義、に絞ります。

そのうち については、シュルフターが、1998年論文以降の(「カテゴリー論文」の規準的意義を「第二局面」については否定ないし疑問視する)所見変更を、撤回はしないまでも、今回の24では、従前の(折原とともに「カテゴリー論文」の規準的意義を認めていた)見地に戻ってきた、少なくともふたたび歩み寄ってきた、という印象を受けます。というのも、ある箇所で、「1914年構成表」の第一項目⑴「社会的秩序のカテゴリー」に対応する(継承された)テクストとして、「理解社会学のいくつかのカテゴリーについて」を、そう明記して表示しています (24: 129)。また、「旧稿」のテクスト群についても、「カテゴリーの適用頻度の高いkategorienreich」テクストと「頻度の低い -arm」テクストとを区別し、たとえば①「カテゴリー論文」そのものについては、「カテゴリーの適用頻度が高い」けれども「(旧稿からは) 切り離された」、②「経済と秩序」章については、「カテゴリーのない基層に、拡張時にカテゴリーが書き加えられているが、おそらくは『旧稿』から切り離され (る予定であっ) た」、③「法社会学」章についても、「カテゴリーのない基層に、早期にカテゴリーが書き加えられ、拡張されているが、後にはカテゴリーなしに書き継がれた」というような、性格づけをしています[9] (24: 129)。つまり、「諒解とその合成語」が使われなくなったから「カテゴリー論文」は規準的意義を失った、とするような荒っぽい議論は止めて、テクストの実態に一歩近づいたわけです。

もっとも、折原からすれば、「カテゴリー論文」の基礎カテゴリーとは何か、について、はっきりと定義をくだし (たとえば「ゲマインシャフト行為と秩序の『合理化』にかんする四階梯尺度」、少なくとも「ゲゼルシャフトの上位概念としてのゲマインシャフト」)、その概念規定に該当する術語用例があるかどうかを、逐一、質的に検証していくのではなく、任意に抜き出した語彙 (たとえば「諒解とその合成語」) の使用頻度というような量的規準だけで、無概念的な議論をしていても始まらない、といわざるをえません。一例を挙げれば、シュルフターは、「支配」篇の「正当的支配の三類型」章を「圧倒的にカテゴリーに乏しいüberwiegend kategorienarm」と (当の「カテゴリー」とは何かを、概念的に正確に規定し、そのうえで僅少例を調べあげるような具体的検証を経なくとも、それだけで何かが分かるかのように、大雑把に) 性格づけ、やはりそこでは、「圧倒的にカテゴリーに乏しい」がゆえに「カテゴリー論文」の基礎カテゴリーが規準的意義を失っている、と言いたげです。しかし、テクストの実態がそうでないこと、術語の使用頻度の乏しさには別の理由があることは、「カリスマ的支配」節の僅少例などについて、本稿の前段で論証したとおりです。

 

いまひとつは、⑵「1914年構成表」の取り扱いをめぐる対立で、この争点は同時に、テクストの配列、したがってその統合を、どこまで1914年構成表に準拠して再構成できるか、にかかわってきます。この点について、シュルフターは、こう述べます。

「ヴィンケルマンの[「1914年構成表」に忠実にテクストを配列する]再構成戦略は、後に折原浩によって引き継がれ、参照指示法Verweismethodeを援用して精緻化されたが、このことが同時に、折原をしてヴィンケルマンに批判的な距離をとらせることになった。しかし、両者の間には、程度の違いしかない。マリアンネ・ヴェーバーによって創り出された両義的な出発点からは、ふたつの立場が導かれる。ヴィンケルマンと折原はそのうちの一方を代表する。他方の立場は、規準としての「1914年構成表」を原則上否認するもので、これをおこなったのが、ヴォルフガンク・モムゼンである。……異質な草稿群の完全な統合か、それとも関連の弛緩-解体か、このふたつの見地は、二者択一をなしているように見える。……しかし、このばあいにも、真理はおそらく中庸、つまり、相対的統合にある」(Ⅰ/24: 114)

 しかし、(この点は、シュルフターにも周知のことと思われるのですが)ヴィンケルマンが、マリアンネ・ヴェーバーによる旧稿と新稿との合体・「二(三)部構成の一書」編纂を踏襲して、「1914年構成表」がその全篇に妥当する、と誤って判断したのにたいして、折原は、(シュルフターとともに)「二(三)部構成の一書」編纂は棄却し、「1914年構成表」の妥当性を「旧稿に限定して認めます。ただし、「1914年構成表」を無批判に受け取って「金科玉条」とするわけではありません。ヴェーバーが、19146月付けの『社会経済学綱要』「序言」に、かれの分担寄稿を「同年10月には組版にまわす」(ちなみに「1915年には全巻刊行の予定」)と明記し、その「序言」につづく「全巻の構成(一覧)」に、かれの分担寄稿の項目として「1914年構成表」を公表したという状況証拠からは、かれが、残り四カ月で「組版にまわせる」までに仕上がっている草稿をまえに、その項目を抜き出して摘記し、責任をもって公表したという事情、したがって「1914年構成表」がそれ相応の「信憑性」と「妥当性」をそなえている事実が、確実に推認されましょう。折原は、そうした一定の検証を経て、「1914年構成表」を「テクスト外在的」ながらもっとも重要な準拠標に採用しています。さらに、その項目が、(末尾の二項目「近代国家の発展」「近代政党」を除き)遺稿テクストにほぼ照応する内容を見出す関係についても、それをただ事実として受け入れるだけではなく、下記に述べるような、折原独自の検証も経ています。ですから、「1914年構成表」にたいするマリアンネ・ヴェーバーの両義的な取り扱いから、(一方に「ヴィンケルマン-折原」、他方に「モムゼン」という)二項対立を導き、みずからは「中を行く」とするシュルフターの位置づけは、強引な括り方というほかはありません。

 

つぎに、⑶「参照指示法」の方法的意義についてですが、これにたいするシュルフターのスタンスは、両義性を帯びているようです。ある箇所では、こう述べています。「『全集』版では、旧稿のテクストを主題ごとにまとめ、各巻に配分しているが、この区分けでは、テクストの内的関連とその統合度が、第一次大戦勃発のさいにヴェーバーの到達していた状態と、ことごとくは[?― 折原]一致しない、という帰結を、どうしても避けられない。ところで、その状態が、正確にはどのようであったか、と問うても、いまから振り返ったのでは、もはや確かなことは何も分からない。というのも、遺稿は明らかに、なんども配列替えされているからである。当の状態への最大限の接近が、参照指示法の援用によってなされることは、疑いない。この方法は、折原浩によって初めて包括的に展開され、『全集』版でも広汎にわたって利用された。しかし、この方法によっても、確かな結果に到達することはできない。というのも、なるほどヨハンネス・ヴィンケルマンが、どこで参照指示を書き換えたのかは、示されても、マリアンネ・ヴェーバーがどこで書き換えをおこなったかは、突き止められないからである」(Ⅰ/24: 110)

  また、別のある箇所では、「あるテクスト内部の、あるいは複数のテクストの間に跨がる参照指示の精査さえも、なんら一義的な結果には到達しない。とはいえ、参照指示の点検は、形式的な再構成の方法のうち、いまなおもっとも有益なものである」(Ⅰ/2459と述べ、「ヴェーバーが目論んだテクスト配列の再構成にたいする参照指示の意義に、ヴェーバー研究の注意を喚起したのは、折原浩の功績である」(Ⅰ/2459-60 Anm. 45と注記し、折原が編纂陣に送った独訳資料と『ケルン社会学・社会心理学雑誌』に寄稿した論文との一覧表を掲げています。

 このとおりシュルフターは、参照指示法一般の方法的意義を、抽象的には一定程度評価しながら、初版編纂者マリアンネ・ヴェーバーのテクスト配列換えと(おそらくは)参照指示の書き換えによって妨げられてしまったので、いまとなっては原著者マックス・ヴェーバーのテクスト配列には到達できない、と考え、限界を設定します。この点、(折原は、後述のとおり、じつはそうではない、と考えるのですが、それはしばらくおき)かりにシュルフターの限界づけが正しいとしますと、「『全集』版でも広汎にわたって利用された」というのも、ひっきょう無益なことをした、ということにはならないでしょうか。ところが、じっさいには、分巻ごとには分巻編纂のかぎりで利用されており、これは「有益」と認められるようです。しかし、その域を超え、(たとえば、「カリスマ的支配」節を「カテゴリー論文」に架橋し、「カテゴリー論文」の基礎カテゴリーにもとづく全篇の体系的統合を示す参照指示Nr. 474 について、前段で見たとおり)「カテゴリー論文」との間、あるいは分巻と分巻との間に跨がる関連や統合を示唆して、分巻編纂方針そのものへの疑問を提起し、その方針を早まって採用した編纂陣の責任を問いかねないとなると、とたんに「無益」というよりも「有害」となって、拒否反応を招くらしいのです。

ここで簡単に「参照指示法」の由来に触れますと、テクスト配列問題にかんする「参照指示ネットワーク」の利用というこの「テクスト内在的」「文献学的」方法は、元来は、(生前には編纂陣の一員であった) ヴィンケルマンによって提唱されました。しかし、かれは、ハイデルベルク大学のボンフィク助手に参照指示一覧表の作成を命じ (その成果を自著の付録に収録するつもりでいて[10])、自分では網羅的検索に着手せず、むしろ自分の編纂に都合のよい数例だけを抜き出し、都合の悪い18例については、前出参照指示を後出(あるいはその逆)に書き換えることまでして、自分の編纂を正当化しました[11]。それにたいして、折原は、「参照指示法」そのものは全篇の再構成に有効と評価して、自発的に引き継ぎ、「旧稿」全篇に散見される全参照指示 (念のため「黙示的他出指示」も含めて567) を拾い上げ、それぞれの論点を要約し、被指示箇所の所在と論点内容(の一致)も、網羅的に調べ、独自に一覧表を作成し、それを独訳して[12]編纂陣に送り届けました。というのも、ボンフィク助手の「時期尚早の脱退」[13]によって編纂陣内部における同種資料の作成が滞っているとは仄聞していましたが、当該資料の重要性に鑑み、編纂陣内でだれか後継者が決まり、一覧表資料作成の作業を引き継いでいるにちがいなく、そうであれば、双方の成果を交換し、検証し合って、正確を期したい、と考えたからです。

それと同時に、1994年、『ケルン社会学・社会心理学雑誌』に、論文「マックス・ヴェーバー『経済と社会』再構成への基礎づけ――初版『23部』における参照指示の信憑性(『「経済と社会」再構成論の新展開』: 17-46) を発表して、ヴィンケルマンによる参照指示の書き換えを元に戻し、遺憾ながらそこから提起されざるをえない、「では、初~三版の編纂者についてはどうだったろうか」との問い(「信憑性問題」)に、つぎのとおり解答しました。

まず、①「旧稿」初版の全参照指示について、被指示叙述との整合性を問うと、被指示箇所が「旧稿」中には皆無だったり(類型A、そのうち、Nr. 474のように「カテゴリー論文」中にのみ被指示箇所を見出したり(類型C)前出参照指示が後続叙述中に、逆に後出参照指示が先行叙述中に、被指示箇所をもっていたり(類型B、逆転誤指示)、といった不整合が、(状況証拠としての他のヴェーバー著作と比べて) 異例に多く(「黙示的他出指示」を除く全447例中 41例で、一割弱) 発見されます。

ということは、②マリアンネ・ヴェーバーが、自分の初版編纂に合わせて参照指示を体系的に書き換えようとはせず、少なくともその企図を完遂してはいない、という事実を意味するでしょう(かりにそうしていたら、マリアンネ・ヴェーバーの作為による整合性」がそなわったはずですから)。しかし他方、夫の草稿を「祭壇に見立てて額ずいた」というマリアンネ・ヴェーバーが、なにか恣意的に草稿に介入し、参照指示も恣意的に書き換えた、とは考えられません。

では、なぜ、異例に多い不整合が生じたのでしょうか。そこで、③(前記の検証によって「旧稿」全篇への妥当性はもっとも高いと見られる)1914年構成表」に準拠して、試みに「カテゴリー論文」を前置し、テクスト配列も並べ替えてみますと、類型A を除く不整合が、ほとんどすべて解消されます。ということは、原著者がやはり「1914年構成表」に準拠して、恒常的習癖どおり整合的に挿入していた (ですから、それ自体としては信憑性のある) 参照指示が、初版編纂者によるテクストの並べ替え[14]によって、あたかも「不整合」であるかのように現れた「公算が大」といえましょう。この事実は、なんらかの具体的反証反論によって具体的に覆されないかぎり、「1914年構成表」の妥当性と、参照指示の信憑性とを、互いに証明し合っている、と解することができましょう。継承されている確かなデータを最大限に活用して過去の経緯を蘇らせるこの具体的論証は、「いわれなき抽象的懐疑主義」に優先されるべきではないでしょうか。

そのように、折原が1994年論文で明らかにしたのは、ヴィンケルマンが参照指示を書き換えたという単純な事実[15]のみではなく、マリアンネヴェーバーが参照指示を書き換えた「公算は低い」という「参照指示の信憑性」でした。だからこそ、「再構成への基礎づけ」と題したのです。

ところが、この論文の発表からすでに15年以上が経過しているのに、折原のこの論証を具体的反証-反論によって覆す批判も、独自の一覧表作成によって追検証する研究も、皆無です。それでいて、「マリアンネ・ヴェーバーがどこで参照指示を書き換えたのか、分からないから、参照指示法には限界がある」といった、具体的な検証のレヴェルに達しない抽象的懐疑論や否定論が、(本来なら、そうした研究に先鞭をつけていなければならなかった、ドイツの『全集』版編纂陣からも) いまだに唱えられ、大手を振ってまかり通っているのです。

折原は、参照指示法を適用することになれば、まさにそうした疑問と批判が出てくるにちがいないとあらかじめ予想し、「方法的にことを運ぼうと思えば、科学の最初の基礎を、もろくも崩れやすい砂のうえにではなく、硬い岩のうえに据えなければならない」という (当該論文のモットーに掲げたデュルケームの) 寸言にしたがい、まえもって予想される批判に答え、参照指示そのものの信憑性を上記のとおり証明していました。シュルフターの論難は、1994年論文以前の水準にあり、そこですでに答えられている疑問の「蒸し返し」にすぎないといわざるをえません。

では、なぜ、この種の議論が、いまだに立ち現れる、あるいは尾を引いている、のでしょうか。

折原が、独自に作成した参照指示一覧表を独訳して編纂陣に送り、「信憑性論文」を発表した1994年には、編纂陣はすでに、五分巻への解体方針と各巻の編纂担当者とを決め、それぞれの分巻編纂と分巻刊行を急ぐ態勢に移っていました。それにたいして、折原はむしろ、「旧稿」全篇、五分巻全巻の再構成・再編纂を目標に掲げ、この目標を達成するための一指標として、全巻に跨がる「参照指示ネットワーク」を具体的に検出し、全巻再編纂への基礎資料として提供したのです。ところが、編纂陣には、そうした参照指示一覧表がむしろ、「ひとつ前 (分巻方針決定前) の段階」では活かせた資料と感得され、いまとなっては、分巻編纂という既成事実の枠内で適宜利用するばかり、と判断されたのではないでしょうか。編纂陣内でつくられた同種の資料が、折原宛て送られてくることはなく、相互照合によって正確を期したいという願いは、叶えられませんでした。

しかし、当の資料は、そのように分巻ごとに利用されること自体は厭わないとしても、同時に、そうした基礎資料を自陣内では作成しないまま、したがって「旧稿」全体の内容上の再構成にかんする、そうした基礎資料にもとづく議論を、少なくとも十分には尽くさないまま、五分巻への解体方針を決めてしまった、当の「ひとつ前の段階」の当否を遡って問い、「時期尚早のボンフィク助手脱退」と「早まった解体方針決定」をいぶかり、編纂陣の既定路線に (全篇の再構成という学問上の要請に照らして)「整合合理的」との疑問を投じ、そのかぎり編纂陣の連帯責任を問い返す、という意味を、暗黙裡にせよ、帯びざるをえません。そうなると、分巻編纂方針の決定とそのうえに積み重ねられた既成事実に縛られている編纂陣にとっては、折原が提供し、その後の論争でも個別的また具体的に提示する前後参照指示資料が、一種「時期遅れの有難迷惑」とも感得されましょう。そこからして、参照指示ネットワークにかんする具体的論議には、それだけ気乗りがせず、編纂陣があわただしく通り抜けてしまった前提問題(分巻全篇の統合問題)の想起を迫るやいなや、抽象的な否定的断定による拒否に走り、既定方針と既成事実を正当化する方向に傾くのではないでしょうか。編纂陣を代表するシュルフターの不可解にも頑強な拒否には、編纂陣のそうした利害状況が反映されているように思えてなりません。

 

しかし、『全集』版「旧稿」該当巻も、未刊として残されているのは第三分巻「法」のみとなり、補巻(第六分巻)と位置づけられてきた「編纂史-編纂論争史」も、24として刊行されました。ここで、『全集』版編纂にたいする (全世界のヴェーバー研究者-読者に、こんどこそ「合う頭をつけた」最良の『全集』版が提供されてほしい、との願いに発する) 折原の「積極的批判」「積極的対決」も、限界に達し、使命を終えた、と考えるほかはありません。このうえは、折原自身の既定方針にもとづき、既刊の『全集』版「頭のない五死屍片」も素材としては活用し、折原編「合う頭をつけたトルソ」の全体像を構築して、提示していきたいと思います。そのほうが、編纂陣以外のヴェーバー研究者-読者には、否、編纂陣にたいしても、説得性を帯び、当初からの願いの実現に連なるかもしれません。次章から、稿を改めて、「旧稿」全体の再構成に取り組みます。

2010811日記、下記につづく)

 

4.「旧稿」全体の再構成 (テクスト再編纂と内容再構成)   次稿

5.「法社会学」章の内部構成

6.結論――「旧稿」全体の構成と「法社会学」章の位置

 

 

 



[1] »Wirtschaft und Gesellschaft«――Das Ende eines Mythos in: Religion und Lebensführung, Bd. 2, 1991, Frankfurt am Main: 597-634, insbes. 633.

[2] 編纂陣内にありながら、ただひとり正論を発表し、「善戦」してきたシュルフターですが、無概念の五分割方針決定以来、積み重ねられてきていた既成事実の帰結(「頭のない五死屍片」の刊行開始)に直面し、現実と和解し、現実に歩み寄った、とも見られましょう。

[3] 正確には、「相対的統合性」という共通の前提のうえに、どちらかといえば「統合」に懐疑的で、不統合に傾くシュルフターと、「統合」を強調する折原との対立と見たほうがよく、論争として生産的となりえましょう。

[4] の論争は、1998年論文にたいする折原の批判にシュルフターが応酬した前哨戦で、『「経と社会」再構成論の新展開』: 75以下、に収録されています。 

[5] 本稿1. 24 参照。

[6] ここまで到達していながら、マリアンネ・ヴェーバーとヴィンケルマンの誤編纂を疑い返し、「カテゴリー論文」第二部と «基礎概念» との概念規定上の異同を明らかにし、「旧稿」を前者に準拠して正確に読むにはいたらなかったのです。

[7] 武藤他訳『宗教社会学』には、「[中国では祖先崇拝による卿村への緊縛、インドではカースト・タブーが]都市が一つの『教団』へと発展するのを妨害し、しかもその妨害は村落においてよりもはるかに強烈であった」(127ページ)とあります。この訳語は、誤編纂の後遺症として「旧稿」全体の基礎カテゴリーが看過されたため、ゲマインデの一般概念も逸せられ、したがって「旧稿」全篇に散在するゲマインデ論(各論)の体系的統一も看過され、「第二カテゴリー」としての「教団」が唯一のゲマインデ」と受け取られた事情を、問わず語りに語り出している、と見られましょう。

[8] Economy and Society, tr. by Roth, Guenther et al, 1978, Berkeley: 363.

[9] 「経済と秩序」「法社会学」の両章は、原稿そのものが継承されているので、こうした「層」別を確認できるわけです。その詳細な報告は、第三分巻「法」の公刊を待たなければなりません。

[10] Max Webers hinterlassenes Hauptwerk, 1986, Tübingen: Mohr: .

[11] ちなみにかれには、別途『プロイセン年報』に発表されていた遺稿「正当的支配の三純粋型」を、第四版では「支配」篇に編入し、第五版では断りなく削除するとか、「市場」章の表題を断りなく「市場ゲゼルシャフト」に差し替えるとか、恣意的な独断的措置が目立ちました。編纂者の地位を長年独占していると、どうしてもテクストを「私物化する」感覚に囚われ、根拠の開示のない独断を犯しがちになるようで、その点からも、外部からの批判が必要とされましょう。『全集』版編纂についても、まったく同様です。

[12] Cf. Orihara, Hiroshi, Über den “Abschied” hinaus zu einer Rekonstruktion von Max Webers Werk: “Wirtschaft und Gesellschaft”, 2. Teil: Das Authentizitätsproblem der Voraus- und Zurückverweisungen im Text des “2. und 3. Teils” der 1. Auflage als eine Vorfrage zur Rekonstruktion des “Manuskripts 1911-13”, Working Paper No. 36, Juni 1993, University of Tokyo, Komaba, 144 ps. ちなみに、「カテゴリー論文」の基礎カテゴリーにもとづく術語の用例を「旧稿」全篇にわたって網羅的に調べた独訳資料も、ほどなくして編纂陣に送りました。Cf. Orihara, Hiroshi, Über den “Abschied” hinaus zu einer Rekonstruktion von Max Webers Werk: “Wirtschaft und Gesellschaft”, 3. Teil: Wo findet sich der Kopf des “Torsos”? Die Terminologie Max Webers im “2. und 3. Teil” der 1. Auflage von “Wirtschaft und Gesellschaft”, Working Paper No. 47, Juni 1994, University of Tokyo, Komaba, 38 ps. 

[13] ちなみに、「参照指示一覧表」の作成は、機械的な作業にすぎず、パソコンに委ねてもよいように見受けられましょう。しかし、じっさいには叙述内容がよく分かっていないとできない仕事です。折原は、567例の被指示叙述を「旧稿」全篇から探し出すのに、数年の根気を要しました。ヴィンケルマンが、学界の悪しき慣行を踏襲し、ボンフィク助手の労多い仕事の成果を自著の付録に掲載しようとしていたのでは、「早期脱退」もやむをえなかったでしょう。

[14] これは、原著者没後の、マリアンネ・ヴェーバーと出版社との往復書簡から、立証されます。

[15] それだけだったら、ヴィンケルマン編のテクストをマリアンネ・ヴェーバー編のそれと機械的に比較してみさえすれば、すぐ分かることで、研究の名にも値しないでしょう。