記録と随想44――「正当性」と「正統性」との混同から解放されると、どんな展望が開けるか?(東島誠著『「幕府」とはなにか――武家政権の正当性』への一応答。2023年1月31記)

 

東島 誠 様、

拝復

御高著『「幕府」とはなにか―武家政権の正当性』2023年1月25日、NHK出版刊)をご恵送いただき、まことに有難うございます。

早速、卒読いたしましたが、貴兄が、いつもの歯切れよい論法で、佐藤進一先生、また、ヴェーバーの方法にかんする、日本歴史学界積年の「正統的誤解を剔抉され、「正当性」を基軸に、諸「幕府」の存立-維持の根拠を「剴切gueltigに」究明なさった力業に敬意を表します。一ヴェーバー研究者としましては、かつて水林彪氏が発表された周到な内在的批判が、やっとまっとうに受け止められ、 実を結び、歴史学の発展が軌道に乗った、と言祝ぐ次第です。

佐藤先生とは、「1968-69年東大闘争」のただなかで面識を得、ずっと尊敬しておりました。「鎌倉幕府の権力-支配構造を長年研究してきたわたしが、この事態(文学部教授会が、「即人的(ペルゼーンリヒ)」情緒に引きずられ、学生処分問題にかんして、事実誤認を犯し、事実隠蔽の泥沼に陥った事態)を予測し、事実と理にもとづく解決に導けなかったことは、われながらなさけない」、「『全国教員共闘会議』は時期尚早で、賛成いたしかねる」と語っておられたのを、つい先日のように、思い出します。

佐藤先生はその後、「教授会が責任をとらないのなら、せめてわれわれが……」と、藤堂明保先生とともに辞任-退官されました。その見事な去就が、先生の学問研究とも深く結びついていたことを、御高著によって、改めて確認できました。

小生はその後、大学に踏み止まりましたが、「文学部処分問題」の究明と解決に活かそうと試みた、ヴェーバーの方法を、「理解科学」「比較歴史社会学」として捉え返し、その端緒-展開経緯-到達限界を具体的に追跡し、後続世代による批判的継承と展開に備えようとつとめてはきました。

貴兄には、ヴェーバーの方法をもう十分に会得しておられますから、蛇足とは思いますが、かれの三主著『科学論集』『経済と社会』『宗教社会学論集』の内在的-相互補完的読解につきましては、なにかお役にたつ論点も拾っていただけようかと念願し、同封にてお送り申し上げます。

それでは、極寒の砌、くれぐれもご大切に、いっそうのご発展-ご活躍を祈念いたします。

なお、この返信は、内容上、公刊された貴著への一隣接領域からの応答ともいえましょうから、多少補訂のうえ、小生のHPには発表させていただこうと思います。どうかご了承ください。

敬具

2023131

折原 浩