誤訳をどう改めていくか―― 一社会学者としての経験から 折原 浩
わたくしは、大学教養課程で、長らく社会学の入門講義を担当し、学生に古典を(翻訳でも全篇を)読むように勧めてきましたので、しばしば誤訳問題に直面しました。社会科学の古典のばあい、ある文献には (初訳者が苦労した) 良い邦訳があり、未訳の重要文献は数多く残されているのに、別人が第二次、第三次、……訳を出し、そのさい誤訳が改められない、という現象が目立ちます。しかも、いったん誤訳を含む翻訳が出版されますと、その旨を指摘しても、なかなか訂正されません。その理由として、訳者には、①
翻訳を自説の発表に比して軽んずる傾向 (とくに科学のばあい)、② 訳者としての学問的また社会的責任感の稀薄さ、③
誤りを率直に認めて改め合う「知的誠実」慣行の欠落、出版社には、④ 訳文の是正 (とくに字数の異なる象嵌による大幅な紙面刷新) を嫌う傾向、読者には、⑤ 翻訳については「欠陥商品」の「製造物責任」を厳しくは問わない寛容、などが考えられます。
かくいうわたくしも、数種の邦訳のあるマックス・ヴェーバー著「社会科学と社会政策における認識の『客観性』」を改訂(補訳、解説)しています。ただそのさい、つぎのことは試みました。① 初訳者名を保存し、初訳者の解説を巻頭に掲げる。② 本文の理解に役立つ付録三篇を加える。③ 本文の訳文には段落ごとに番号を付し、それぞれに表明された原著者の思想内容について、詳細に解説する。そのさい、④ 既訳中に誤訳が認められるばあい、注に「原文(独文)-既訳(英訳、仏訳を含む)対照表」を収録して、改訳の根拠を示し、先訳者の応答を呼びかける。⑤ 増刷のさい、巻末に「第○刷へのあとがき」を付し、その間に寄せられた批判と釈明ないし反批判を記載する。この ⑤ は、訳者が自分のHPに掲載することもできましょうし、学会のHPに「誤訳問題コーナー」を開設し、会員から申請があって重要と認定したばあい、審査委員会を設けて審査し、その結果を公表して、関連分野における翻訳の水準維持に配慮し、高度に責任を担っていく、という方途も考えられましょう。香り高い仏文の邦訳に識見をお持ちのフランス語・フランス文学会こそ、日本で真っ先にその種の試行に乗り出していただけるのではないか、と期待するのですが。