京都シンポジウム後日譚――対シュルフター論争に向けて英訳稿「マックス・ヴェーバー『カテゴリー論文』にみる『社会的行為ないし秩序の合理化尺度』と、『経済と社会』『旧稿』にたいするその意義――ヴォルフガンク・シュルフターとの積極的討論のために」を起草

20061002 折原

 今年三月十七、十八日の両日、京都大学で、同校の提携校ハイデルベルク大学からヴォルフガンク・シュルフター氏らを迎え、シンポジウム「マックス・ヴェーバーと現代社会――ヴェーバー的視座の現代的展開」が開催されました。わたくしもこれに参加し、第一部会の第二報告として「『経済と社会』「戦前草稿」にたいするカテゴリー論文の規準的意義――ヴォルフガンク・シュルフターとの積極的対決」と題する講演をおこないました。そのあと、シュルフター氏と討論し、そのやりとりを踏まえて、頭書の表題の英訳稿を起稿しようと決意しました。討論内容とこの英訳稿との関連については、下記に収録する「矢野編集委員宛て趣旨説明」文書をご参照ください。その後、新著『大衆化する大学院』と並行する形で、粒々辛苦の英訳稿執筆を進めてきましたが、新著脱稿後、集中的に作業を進め、928日までに第一次稿は仕上げ、イギリスで編集され発行されている専門誌Max Weber Studiesに寄稿すべく、同誌編集委員の富永健一、矢野善郎両氏に、趣意書きを添えて、メールで送りました。また、ヴェーバー研究者と「論文相互批評サークル」の仲間たちにも、同じように趣意書きを添えて草稿をメールし、批判、助言を求めました。

 下記に、富永健一委員への趣旨説明、矢野善郎委員への趣旨説明、ヴェーバー研究者および論文相互批評サークルの仲間宛て批判/助言要請状と、英訳稿の問題提起章ならびに結論とを収録して、ご参考に供します。

[当の草稿は、矢野委員をとおして、Max Weber Studies編集部のSam Whimster氏に送られ、受理され、編集にかなりの日数を要したようですが、Volume 8. 2July 2008, pp. 141-62に掲載され、発刊されました。ただし、矢野氏を介して同号の現物が送られてきて落手したのは、2009521でした。この欄へのご報告も遅れました。201041日記

 

Max Weber Studies誌編集委員・富永健一氏宛て趣旨説明

拝啓

 金木犀の香り漂う候となりました。ますますご清祥のことと拝察いたします。

 さて、このたび、「マックス・ヴェーバー『カテゴリー論文』にみる『社会的行為ないし秩序の合理化尺度』と、『経済と社会』『旧稿』にたいするその意義――ヴォルフガンク・シュルフターとの積極的討論のために」と題する英訳稿を草しました。ご多忙のところたいへん恐縮ですが、Max Weber Studies誌への掲載をご検討いただきたく、このメールに添付してお送り申し上げます。もうひとりの編集委員、矢野善郎君にも、同時に草稿を添付して送ります。

 完成稿に仕上げてからとも思いましたが、いきなりお送りするのもどうかと考えなおし、あと引用注をつけるだけの段階で、ひとまずお目にかけたいと存じます。10月中頃までには、引用注記とそれにともなう多少の補正を終えて、完成稿に仕上げる予定でおります。

 掲載お願いの趣旨は、ふたつあります。

 まず、わたくしには、先方から英訳を申し出られるような傑出した業績はありませんし、若いころに外国に留学する機会も逸して(駒場に就職して、松島静雄先生から「そろそろ海外に出掛けて勉強してきたらどうか」と勧められていましたが、三年目に「東大紛争」に直面し、とても留守できる状況ではなくなりました)英語力も劣っています。したがいまして、そのわたくしでも、日本でこつこつと仕事をしてきて、齢七十にもなれば、なんとか独力で英訳稿をしたためられ、それが国際的な専門誌に掲載されるとあれば、そのこと自体、「中堅」や「若手」には、「そんなことなら……」と、自分の論稿を外国語に訳出して発表し、諸外国の研究者と「国際場裡で伍していく」方向を目指すように促し励ます意味も帯びてこようかと思われます。

 富永さんはかねがね、日本人研究者はどうも、島国日本の「学界-ジャーナリズム複合体制」を業績評価の準拠枠として、そのなかで自足し、普遍的な学問文化にふさわしい普遍的なアリーナにみずから参入して、学問内容で実質的に『勝負する』気概と意欲に乏しい、と歎いてこられた、とお見受けしております。わたくしたちの世代は、「本店-出店意識」の克服という日高六郎先生の掛け声を真に受けて育ちましたから、その方向で実のある貢献をし、一歩一歩内向きのスタンスを打破しよう、との思いが強いのかもしれません。

 としますと、この論稿のMWS誌掲載は、並の研究者でも努力次第でそうした国際貢献ができるという事実を示し、精神的島国状況の打開に一役買うことができるのではないか、と思われます。

 いまひとつ、草稿の内容につきましては、つぎのように考えております。

今年の三月、京都大学が、提携校のハイデルベルク大学からシュルフター氏らを招いて国際シンポジウム「マックス・ヴェーバーと現代社会」を開催しました。本稿は、そのシンポジウムへの報告「『経済と社会』の『旧稿』にたいするカテゴリー論文の規準的意義――ヴォルフガンク・シュルフターとの積極的対決」を、報告につづく討論を踏まえて改訂、推敲したものです。

 ご承知のとおり、マックス・ヴェーバーの『経済と社会』は、「旧稿」執筆からもう一世紀にもなろうというのに、さんざん食い散らされながら(とはいえ、それ自体として優れた成果に活かされたのであれば、それはそれとして結構なのですが)、原著者の意図と構想に即して再構成されておりません。それどころか、まともなテクスト編纂さえ、まだ達成されておりません。マリアンネ・ヴェーバー編、ヨハンネス・ヴィンケルマン編は「合わない頭を付けたトルソA Torso with a Wrong Head」でしたし、『全集版』のモムゼン他編は、「頭のない五死屍片Five Pieces of Carcass without a Head」への解体に終わろうとしています。

 この間、わたくしは、『全集版』にたいして、もとより編纂者ではありませんが、さりとて拱手傍観していたわけではありません。一ヴェーバー研究者として責任を感じ、いく篇か独訳論稿を編纂陣に送り届け、全世界の読者が「旧稿」も信頼して読めるような編纂がなされるように、側面的に協力してきたつもりです。いままで独語で連絡をとり、論稿も独訳で発表したのは、独語力のほうがいくらかましという事情もさることながら、そうすることが、ドイツの編纂陣にたいしてはフェアであると判断したからでした。

 ところが、それではどうも埒があきません。たとえば、モムゼン氏は、名古屋にまで出掛けてきて、第一分巻の序論草稿をわたくしに託し、「できるかぎり鋭く批判してほしい」とはいいました。そこでわたくしも、その足労には応えようと、詳細に批判をしたため、独訳して送りました。しかし、第一分巻が公刊されてみますと、わたくしの批判を読んでいさえすれば避けられたはずの明らかな過誤が、かれ執筆の序論に多々散見されるのです。これには、MWS誌への前回の寄稿(vol. 3-2, June 2003, pp. 133-68所収)で批判を加えました。

 しかし、いちばん問題なのは、モムゼン編纂が、「旧稿(191014)は、『社会学的基礎概念』(1920)ではなく、『カテゴリー論文』(1913)を前置し、後者の基礎概念で具体的諸章を読まなければ読めない」という基本的な問題提起を無視し、「カテゴリー論文」を前置せず、「頭」=概念的導入部のない第一分巻を出してしまったことです。それに、「カテゴリー論文」からの引用も、どういうわけか、現在入手しやすい『科学論集』版からではなく、稀覯本に類する『ロゴス』誌1913年号からで、読者による検証を困難にしています。

 そもそも、編纂陣のなかで、ヴェーバーの社会学にも方法論にも通じていないモムゼン氏が、なぜ双方に通じているシュルフター氏をさしおいて幅を利かせてきたのか、不可解というほかはありません。第一分巻「諸ゲマインシャフト」がモムゼン、第二分巻「宗教ゲマインシャフト」がキッペンベルク、第三分巻「法」がゲッファート、第四分巻「支配」がモムゼン(死去後、ハンケ女史に交替)、第五分巻「都市」がニッペルという布陣で、シュルフター氏はどの分巻にも登場していません。モムゼン氏が、ヴィンケルマン編纂にたいする批判の急先鋒だったとか、紛失した原稿を探しにアメリカまで出掛けた、というような実績は、それはそれとして評価すべきですが、さりとて、だからみずから編纂を手がければうまくいく、とはかぎりません。シュルター氏もシュルフター氏で、共同編纂者としてモムゼン氏の無理に半ば歩み寄り、「カテゴリー論文」前置を断念したばかりか、「カテゴリー論文」の意義についても、1998年以来、当初の主張を緩和してしまいました。この点を、今度の英訳稿で集中的に問題とします。

 ただ、幸いなことに、こんど京都で聞いた話ですが、第六分巻「編纂資料および索引」の編集は、シュルフター氏が担当することに決まったそうです。ですから、シュルフター氏が、ふたたび当初の見解に復帰して、「本来は第一分巻冒頭に『カテゴリー論文』を配置すべきであった」と第六分巻の序論に明記するか、それが無理なら「そういう配置がかねてから一貫して主張されてはいる」と記してくれれば、読者が、第六分巻を読んで「五死屍部分」を読み直す、あるいは、第六分巻から読み始める、という余地が残されることになります。日本ではしばしば、「『全集版』など見限って、日本語の折原版を早く出せばいいではないか」という批判が寄せられるのですが、『全集版』の影響力を考えますと、やはりその余地に「一縷の望」をつないで、やるだけのことはやっておきたいと思います。

 そこで、第六分巻編纂者としてのシュルフター氏に期待をかけ、初心への復帰を促そう、ということになります。それには、「カテゴリー論文」の意義にかんする当初の主張を緩和してしまったさいの論拠を取り上げ、これに反論し、かれの翻意を促さなければなりません。それが、今回の英訳稿の追求目標です。これを独訳ではなく英訳で発表しますのも、英語圏の読者も見守るなかでフェアに勝負したい、と考えるからです。

 さて、その論拠ですが、シュルフター氏は、「旧稿」執筆にふたつの時期を区別します。そして、その「第二期」(1912年末から1914年夏の第一次世界大戦勃発による執筆中断)になると、ヴェーバーは、シュタムラー批判の積極的展開として定式化された「カテゴリー論文」の基礎概念を適用しなくなる、その証拠に、「カテゴリー論文」にのみ固有で、特徴のある「諒解とその合成語Einverstandnis und seine Komposita」が「第二期」には使われていない、と主張します。こうした論拠で、「第二期」には「カテゴリー論文」が規準的意義を失ったと論定するわけです。

 これにたいするわたくしの反論は、要旨つぎのとおりです。

 なるほど、シュタムラー批判と「カテゴリー論文」の基礎概念との関連に注目したのはシュルフターの炯眼である。しかし、ヴェーバーがシュタムラー批判の積極的展開として導き出したのは、「諒解とその合成語」だけではなく、「社会的行為ないし秩序の合理化尺度」である。「諒解とその合成語」にしても、この尺度の「第三階梯」を指示する術語として、その一環と見なければならない。

 そのうえで、「旧稿」への適用について見ると、(1)シュルフターが「第二期」の代表作品のひとつと見る「支配の社会学」の「伝統的支配」篇にも、三箇所で、「諒解とその合成語」が紛うかたなく適用されている。他方、(2)「第二期」のもうひとつの代表作品「宗教社会学」章には、なるほど「諒解とその合成語」の明示的適用例は見いだせないけれども、「ゲマインシャフト(ゲマインデ)へのゲゼルシャフト形成Vergesellschaftung zur Gemeinschaft」というような、きわめて特異な表記がみられる。これは、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトとを「対概念」とするテンニースの術語とも、1920年「新稿」におけるヴェーバー自身の術語とも、異なって、ゲマインシャフトをゲゼルシャフトの「上位概念」とする、「カテゴリー論文」にのみ特有の用語法を前提として初めて意味をなす。したがって、そうした箇所には、「カテゴリー論文」に固有の基礎概念、「合理化尺度」そのものは適用されていると見られよう。その他の諸章も、この「合理化尺度」を準拠標として初めて、的確に解読される。

 では、なぜある章には「諒解とその合成語」が明示的に適用され、他の章ではそうでないのか、といえば、「家」「近隣」「氏族」のように、「無秩序のゲマインシャフト」ではなく、さりとて「制定秩序」によって規制される「ゲゼルシャフト」でもなく、中間項の「諒解ゲマインシャフト」であることが自明なばあいには、Nachbarschaftseinverstandnisgemeinschaftというような(術語としては正確でも、ぎこちない)表記は避け、近隣団体Nachbarschaftsverbandといった自然な表記が多用されている。それにたいして、「種族」「階級」「身分」「党派」ならびに大規模な「支配団体」のばあいには、「統計的集団」から「無秩序なゲマインシャフト」、「諒解ゲマインシャフト」をへて「臨機ないし常時のゲゼルシャフト形成」にいたっているかどうか、がまさに社会学的問題(たとえば「階級形成の社会学」における「階級としての成熟度/拡散度」の測定)となり、問題の社会形象を、尺度上に乗せ、四階梯の術語を明示的に適用して正確に位置づけなければならない。つまり、「諒解とその合成語」が明示的に適用されるかどうかは、執筆期の識別標識(シュルフター)ではなく、当該のコンテクストで取り上げられる対象のいかんによってきまり、明示的適用の必須度の徴表(折原)である。

 そういうわけで、この「合理化尺度」を提出/定式化している「カテゴリー論文」を前置し、当の尺度を十全に会得してから「旧稿」を読むと、その諸部分が相互の概念的関連においていっそうよく解読できるばかりか、「旧稿」の全体としての体系的統合も見通せるようになる。つまり、「巨大なトルソ」(モムゼン)が初めて、「合うのついた、読める古典 a Readable Classic with a Correct Head」になる。

 ほぼ上記のような趣旨で、この立論には自信をもっております。また、この種の国際論争では、術語用例を調べ上げるような地道な「訓詁学」が、かえって有力な武器となり、日本における否定的な評価は再考すべきではないかとも考えております。しかし、そこは、なかなか負けてはいないシュルフター氏のことですから、きっと手強い反論が出てきて面白くなるでしょう。いずれにせよ、ひとつの論争になれば、わたくしの論旨と提案が第六分巻に編纂論争の一環として記され(そういうフェアプレーにかけて、シュルフター氏は信頼できます)、広く読者に紹介され、ヴェーバー学、ヴェーバー流の歴史・社会科学の国際的進捗にとって望ましいことになろう、と愚考いたします。

 そういうことですので、ご多忙のところまことに恐縮に存じますが、なにとぞご査読のほど、よろしくお願いいたします。書式その他、実務的な細かいことは、矢野君がやってくれましょうから、どうか大局的な評価をくだされ、矢野君にお伝えくださいますよう、お願い申し上げます。もとより、わたくしに直接ご教示、ご助言たまわれれば、それ以上有り難いことはございません。

 なお、ここに記しました趣旨を、矢野君ほか、常時論文をやりとりして批評しあっている何人かの同学の友人にも伝え、今回も助言を求めますとともに、外国語での論文発表を奨励したい、と考えますので、CCおよびITのホームページに転載して発表することをお許しいただければ幸甚と存じます。

 では、良い季節とはいえ、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。

敬具

 2006929

折原 浩

 

 

Max Weber Studies誌編集委員、矢野善郎氏への趣旨説明

拝啓

 秋もたけなわとなりました。しばらくご無沙汰していますが、お元気ですか。

 さて、このたび、「マックス・ヴェーバー『カテゴリー論文』にみる『社会的行為ないし秩序の合理化尺度』と、『経済と社会』『旧稿』にたいするその意義――ヴォルフガンク・シュルフターとの積極的討論のために」と題する英訳稿を草しました。ご多忙のところたいへん恐縮ですが、Max Weber Studies誌への掲載をご検討いただきたく、このメールに添付してお送りいたします。

 もうひとりの編集委員、富永健一氏にも、英訳草稿を添付してメールしました。

 完成稿に仕上げてからとも思いましたが、いきなりお送りするのもどうかと考えなおし、あと引用注をつけるだけの段階で、ひとまずお目にかけます。10月中頃までには、引用注記とそれにともなう多少の補正を終えて、完成稿に仕上げる予定です。

 前回は、貴兄に訳者になっていただきましたが、今回は、なんとか意味が通じる英文にまでこぎ着けられたと思うのですが、いかがでしょうか。ただし、お気づきの点、なにとぞご指摘、ご助言ください。

 寄稿の趣旨は、富永氏宛てのメールに記しました。それをこちらにも添付しますので、適宜ご参照ください。

 多少補足しますと、三月の京都シンポジウムでは、「『経済と社会』の戦前草稿にたいするカテゴリー論文の規準的意義」と題して、ほぼ同内容の報告をし、シュルフター氏と討論しました。

 氏は、公開の討論ではいつもそうなのですが、「自分はカテゴリー論文の意義を否定したことなどいちどもない」と強気に出てきました。かれが、(カテゴリー論文の意義を認めず、第一分巻に前置しない)モムゼン編纂を、共同編纂者のひとりとして容認し、1998年論文以来、「第二執筆期」には規準的意義が失われた、と主張していることは確かなのですから、この対応は一種の「肩すかし」で、こちらとしては、「いや、そんなことはない」と証拠を挙示して問い詰めることは、やろうと思えば容易でした。しかし、シュルフター氏の強弁は、「肩すかし」は「肩すかし」でも、内容としてはよい方向への主張にちがいありません。そこで、「ここは、深追いは愚」と咄嗟に判断し、「そういわれればそうともいえるけれども、1998年以来、その意義の強調の度合いがやや緩和された嫌いがある」とかわし、細かい議論は、紙誌やメール上で引用を交えながら続行しましょう、と結びました。

 その続行第一弾が、今回の英訳稿です。ここでは、「シュルフター氏は、カテゴリー論文の意義を認め、しかもシュタムラー批判との関連を炯眼にも探り出している」と評価し、「ただし、自分自身の洞察を活かしきっていないようだ。それを活かすには……」と問題を立てなおし、シュタムラー批判の積極的展開は「諒解とその合成語」だけではなく、「社会的行為ないし秩序の合理化尺度」であり、これは「旧稿」の全篇に適用されている、というふうに議論を運んでいます。

 また、これは非公式の談話のさいに聞いた話ですが、第六分巻「編纂資料と索引」の編集はシュルフター氏の担当ときまったとのことです。そうしますと、シュルフター氏の対応いかんによっては、『全集版』「旧稿」該当巻は、第六分巻から読み始める、少なくとも、第六分巻で「カテゴリー論文」の意義を知って「五死屍片」を読み直す、という活路が開けることになりましょう。シュルフター氏が、「五死屍片」との不整合を厭わず、どこまで(カテゴリー論文の意義を十全に認めて前置を主張していた)初心に立ち返ることができるか、やってみなければわかりませんが、ともかく追求に値する目標で、議論にはなりましょう。「前置説が正しかった」と正面から認めることはないとしても、編纂論争の経過報告として、「当初から前置説が主張されてはいる」と紹介してくれれば、読者はそれを読んで考えなおすこともできる、というわけです。 

 そういうわけで、ご多忙のところまことに恐縮ですが、富永委員の評価も聞かれ、ロンドンのサム・ウィムスター氏に取り次いでくださるよう、よろしくお願いいたします。10月中頃までに、完成稿をお届けします。

 なお、上記の趣旨を、いつものヴェーバー研究仲間ほか、常時論文をやりとりして批評しあっている知友にも伝え、助言を求めたいと思いますので、CCおよびITのホームページに転載して発表することをお許しください。

 では、良い季節とはいえ、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。

敬具

 2006929

折原 浩

 

 

 

ヴェーバー研究者および論文相互批評サークルのみなさまへ

拝啓

 秋もたけなわとなりました。ますますご清祥のことと拝察いたします。

 さて、このたび、英訳稿「マックス・ヴェーバーの『カテゴリー論文』にみる『社会的行為ないし秩序の合理化尺度』と、『経済と社会』『旧稿』にたいするその意義――ヴォルフガンク・シュルフターとの積極的討論のために Max Weber's "Rationalization-Scale of Social Action or Order" in "Categories" and its Significance to "Old Manuscript" of his "Economy and Society――For the Sake of a Positive Discussion with Wolfgang Schluchter"を草し、Max Weber Studies誌に発表すべく、編集委員の富永健一氏と矢野善郎氏宛て、趣意説明を添えてメールいたしました。

 つきましては、ヴェーバー研究者各位、また常日頃論文を相互に批評し合っていただいている知友の各位に、草稿と両編集委員あての趣旨説明とを、このメールに添付してお送りし、ご批判ご助言に与りたいと存じます。ご多忙のところまことに恐縮ですが、お暇の折ご笑覧たまわり、なんなりとお気づきの点をご教示いただければ幸甚と存じます。

 では、よい季節とはいえ、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。

敬具

 2006929

折原浩

 

 

Max Weber's "Rationalization-Scale of Social Action or Order"

In "Categories" and its Significance to "Old Manuscript"

Of his "Economy and Society"

――For the Sake of a Positive Discussion with Wolfgang Schluchter

Hiroshi Orihara

Contents

1. Max Weber's Basic Concepts of "Categories" and their Connection with his Critique of Stammler

2. "Rationalization-Scale of Social Action or Order"

3. General Composition of OM

4. Weber's Sociological Concept of Domination in "Categories" and OM

5. "Consensus and its Composites" Applied in "Traditional Domination"

6. Textual Connection between "Charismatic Domination" and "Categories"

7. Concept of "Gemeinde" in OM

8. Chapter on "City" Incorporated and Positioned in OM

9. Consensual Group Conditioned by Association-Formation

10. Political Association Reinterpreted to Ethnic Relationship

11. Working Period or Object Applied?

Conclusion

 

1.     Max Weber's Basic Concepts of "Categories" and their Connection with his Critique of Stammler

Wolfgang Schluchter has found out the decisive significance of Max Weber's essay "Some Categories of Interpretive Sociology (Ueber einige Kategorien der verstehenden Soziologie)" (hereafter: "Categories") to the "Old Manuscript" (hereafter: OM) of his "Economy and Society (Wirtschaft und Gesellschaft)" (hereafter: E&S) (Schluchter, 1998: 335-6,). Moreover, he has appropriately discerned that Weber elaborated the basic concepts of "Categories" in a close connection with his critique of Stammler (Schlucher, 1998: 338-9).

But it seems to me that Schluchter has not made the best of his own insight. For he limited that connection to the adoption and application of the terminology "consensus and its composites (Einverstandnis und seine Komposita)". Regarding this terminology as a distinctive mark, he looked for the terms throughout the OM. And he asserted that they could not be found in the texts that he presumed to be written by Weber in the "second working period (from the end of 1912 to the middle of 1914)", such as "Sociology of Religion", "Domination" etc. Thus, he has begun to suspect that the basic concepts of "Categories" lost their role as the guiding principle to the whole OM in that "second period" (Schluchter, 1988: 339-40).

In my view, however, the connection of "Categories" with his critique of Stammler can not be reduced to the terms "consensus and its composites". According to Weber, Stammler properly questioned what constitutes the "social life", but his answer, the "living together regulated externally through rules", was problematical. Stammler confused then the conceptual with the empirical to be conceptualized so much that he brought the dichotomy between the natural and the social, that holds true merely of the conceptual, also into the empirical too. As a result, he could not recognize the liquid transition in the empirical reality from "the temporal-spatial coexistence of plural individuals without meaning-relationship" to their "living together meaningfully regulated through enacted rules". Based on this negative critique, Weber himself conceptualized the very transition, in connection to his meaning (Sinn) theory, as a positive unfolding and formulation of what Stammler should have said. Thus, Weber has outlined in "Categories" a conceptual scheme, a "rationalization-scale of social action or order", and applied it to the whole OM including the texts written in the "second period".

Ten chapters (211) omitted

Conclusion

With these proofs above, we must conclude that the basic conceptual scheme of "Categories", the rationalization-scale of social action or order", has never lost its role as the guiding principle to the whole OM.

Without intensively reading "Categories" and recapturing the scale beforehand, we could not read the whole OM appropriately according to the author's original conception and systematization, but make every effort to disintegrate it into various fragments as desired or arbitrarily to contrive its "comprehensive whole".

Max Weber declared his fundamental intention and viewpoint in the "Foreword to the Compendium of Social Economics" in June 1914. Assuming that every sphere of life possesses its own autonomy, he would like to "grasp the development of the economy as a partial phenomenon of the general rationalization of life". The part allotted to him is titled "Economy and the Social Orders and Powers". As this title clearly indicates, it was destined to focus on the relationship of the economy with the "society", in his case "the structural forms of human groups". If so, the development of these "structural forms" also must be grasped alike as another partial phenomenon of the general rationalization of life. So did Max Weber. How could he do so then without a master compass, the "rationalization-scale of social action or order"? How could we read his product without it?

However, all the editions of the OM hitherto remain "A Torso with a Wrong Head" (editions originally composed as "One Book with Two or Three Parts" by Marianne Weber or by Johannes Winckelmann) or "Five Pieces of Carcass without a Head" ("Complete Works" edition by Wolfgang Mommsen et al). That is to say, they plainly lack the very Head, the guiding principle of the author himself. So, they cannot but compel the reader and even the editor himself to "drift about without the compass at the mercy of waves".

On the contrary, with the "rationalization-scale of social action or order" of "Categories" decidedly in our minds, we can read better the individual sections or chapters of the OM, in connection with one another, as is illustrated above with the theme "Gemeinde". Moreover, we can grasp, on its basis, the relatively high degree of the systematic integration of the whole OM, as is previously suggested with our bird's-eye view.

A closing remark to be added, any multi-layers within one text do not necessarily mean the disintegration of the text. It is natural that the text written for the four or five years 1910-14 should have some layers. To discover such layers is one thing. To find out any conceptual disintegration among them is another. The next step, after we ascertain such layers to exist on the basis of comparing some variants with one another, is to ask, if or to what degree the original conceptual integration remains among so different layers. So long as this question is duly denied, the loss of the original integration can be proved to be warrantable to that extent.

 

[この草稿は、矢野委員をとおして、Max Weber Studies編集部のSam Whimster氏に送られ、受理され、編集にかなりの日数を要したようですが、Volume 8. 2July 2008, pp. 141-62に掲載され、発刊されました。ただし、矢野氏を介して同号の現物が送られてきて落手したのは、2009521でした。Ten chapters (211) につきましては、同誌同号をご参照ください。201041日記