各位

 

拝啓

 今年も異常な暑さですが、お元気にお過ごしでいらっしゃいましょうか。お伺い申し上げます。

 さて、このたび、『学問の未来――ヴェーバー学における末人跳梁批判』を上梓いたしましたので、一部お贈りさせていただきたく存じます。

「『学問の未来』とは、なんと大仰な標題を掲げたことか」とお咎めを受けるかもしれません。もとより、学問の一専門分野、いわんやその全領域にかんする鳥瞰図、そうしたものを前提とする未来構想、といったものではございません。ただ、わたくしこと、約半世紀間、学問研究に携わってきまして、近年とみに憂慮がつのってきたことがらを、このさい狭い専門領域のごく些細な問題からではあれ、それだけ具体的に、どうしても語っておかなければならない、と思い立ちました。と申しますのも、1980年代ころから、若い世代に、学問に謙虚に取り組む真摯な姿勢が薄れ、俗受けを狙う軽薄な身振りが目立つようになりました。なお悪いことに、そうした風潮をたしなめるべき「大人」たち、とくに「識者」が、「見て見ぬふり」をするばかりか、なかには「賞」を与えて煽て上げ、本人を始め、若い世代をスポイルする、といった無責任が横行し始めました。この思想状況になんとか歯止めをかけなければ、かつてのように「気がついたときにはもう手遅れ」ということになりかねません。先手を打って老醜を晒すと笑われても本望と思います。

 とはいえ、学問上の基本的なスタンスは、さればこそ堅持したつもりで、批判の積極面は、まもなく姉妹篇『ヴェーバー学の未来――「倫理」論文の読解から歴史・社会科学の方法会得へ』(未来社刊)として上梓される見通しです。こちらのほうも、後日お贈りいたしたく、お暇の折、併せご笑覧いただければ幸甚と存じます。

 では、炎暑の砌、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。

 

敬具

 

2005年8月11日

 

折原 浩