『学問の未来』「あとがき」

 本書に収録した論稿は、「はじめに」、第一、八、九章およびこの「あとがき」を除き、北海道大学経済学部の橋本努氏が開設したインターネットHP「マックス・ヴェーバー、羽入/折原論争コーナー」から、他の寄稿者への応答を除く拙稿を取り出し、章題を改め、大幅な改訂も加えて、再編成したものである。主要な改訂は、つぎの三点にある。第一に、拙稿各篇は、脱稿後そのつど速やかに発表したため、十分に推敲するいとまがなく、重複や辛辣すぎる表記が多々残されていた。今回は、それらを極力削除した。第二に、この間拙論に寄せられた批判に対応して、改めるべき点は積極的に改めようとつとめた。第三に、本書第七、八章の元稿からは、(羽入書批判の関連論点を筆者がそのコンテクストを離れて独自に展開した)補説五篇を抜き出し、これも加筆/改訂のうえ、本書の姉妹篇『ヴェーバー学の未来――「倫理」論文読解からヴェーバー歴史・社会科学の方法会得へ』にまとめて公刊することにした。

 「倫理」論文初版発表から数えて百年の記念すべき年に、本書と姉妹篇『ヴェーバー学の未来』とを上梓できるのも、右記のような経緯から、橋本氏とそのHPコーナーに寄稿された諸氏のお蔭である。「ヴェーバーは罪を犯したのか」というテーマのもとに、HPコーナーで交わされた論争は、残念ながら、他方の当事者である羽入辰郎氏が参入しなかったため、双方の対決をとおして理非曲直が明かされる形はとれなかったが、インターネットを活用した短期集中型の意見交換/論点集約の例として残るであろう。寄稿された諸氏、とくに橋本氏に、筆者からも深甚の謝意を表し、いつの日か氏によって論争記録が編集されることを期待したい。

 橋本HPコーナーへの寄稿者でもある雀部幸隆氏は、前著『ヴェーバー学のすすめ』執筆のときと同様、拙稿一篇ごとに行き届いた助言と激励を寄せられるとともに、臨機応変の適切な見解表明により、論争に力を添えてくださった。前著にひきつづき、氏に心から感謝する。

 また、橋本HPコーナーへの寄稿者のうち、丸山尚士氏からは、一六世紀イングランドにおける聖書の翻訳史について、インターネットをフルに活用した文献調査と、ハイデルベルク大学図書館に出向いてヴェーバー当時の蔵書目録/関連蔵書を調べるといった、徹底した研究協力がえられた。橋本HPコーナーには、氏の六篇の寄稿が掲載されており、「エリザベスI世時代における宮廷用の英国国教会聖書」にかんする氏独自の研究成果も報告されている。その内容は、筆者が本書第四章第一二節で提出している仮説の域を越えるもので、筆者はあえてコメントせず、専門家の鑑定に委ねることにした。氏の協力は、そうした肯定的/補完的な支援のみでなく、筆者にたいする批判としてももたらされた。すなわち、筆者は前著『ヴェーバー学のすすめ』(64ぺージ)で、「かりに(ヴェーバーが依拠した)OEDに誤りがあったとしても、その責任はまずOED側にあり、その件でヴェーバーを責めるのは本末転倒」という論法で、羽入書第一章の糾弾に反論していた。この点を丸山氏は、そうした仮定法で「攻撃をかわす」便法はOEDにたいしてフェアでないと正面から批判してきた。この批判は、厳しいけれどももっともなので、筆者は、その点を自己批判して受け入れるとともに、他の諸章の問題点についても、氏の要求する水準にまで反論を詰めなければならないと考えた。疑似問題の持ち込みを暴露しておのずと結論は失当と論定していた前著から、結論にいたる疑似論証の過程も追跡して羽入書の難点を洗い出そうとする本書への(内在批判の)徹底は、そうした丸山氏の批判をひとつの機縁としている。氏の寄稿は、インターネットの活用により、アマチュアの学者が学問論争に参入して貢献する道を開き、いっそう広げる可能性を示した、といえよう。私事にわたるが、丸山氏は学生時代、筆者のゼミに参加し、ヴェーバー文献にかんする粒々辛苦の輪読をともにした研究仲間のひとりであった。その氏が、思いがけず、本業のコンピューター・ソフト開発に多忙のなかで、この論争に参入し、実りある批判をかかげてもくれたことは、教師冥利に尽きるというほかはない。

 末筆ながら、本書が、比較的スリムに首尾一貫性を保つ一書にまとまったのは、「はじめに」でも触れたとおり、ひとえに未来社西谷能英氏の英断による。前著につづき、氏の識見に敬意を込めて謝意を表する。校正その他、細かいところまで気を配って本書を仕上げてくださった天野みかさんにも深く感謝する。

2005年5月28日 利根川を見晴るかす取手の寓居にて

   折原 浩