「比較歴史社会学会」第一回、引用資料集2 武藤他訳『宗教社会学』の問題点

 

1. 社会学的基礎範疇の看過 術語にかんする訳語の混乱。

1(1)「ところで、個人的な行為の場合もそうであるが、いかなる共同体行為Gemeinschaftshandelnであれ、それに対応する特殊神をもたないものは存在しないし、またその共同体関係(フェアゲゼルシャフトゥング)が永続的なものとして保証されるために、そういう神を必要としないものはない。一つの集団(フェアバント)または共同体関係Vergesellschaftungが、ひとりの権力者の個人的な権勢としてではなくnicht als eine persönliche Machtstellung eines einzelnen Gewalthabers [個々の権力保有者の即人的な権力地位としてではなく]、真の『集団』としてals ein Verband [ひとつの『団体』として] あらわれる場合には、そこで常にその集団だけの特別な神が必要とされるのである」(WuG: 252, 武藤他訳: 22. なお、原文中の隔字体による強調はイタリック体に、訳文中のルビ点は太字に変換)

1(2)「家族共同体ならびに種族(ゲシュレヒト)が、上述のような宗教的結束性をもって存立している場合には、これらよりもより広範な、ことに政治的な共同体関係(フェアゲゼルシャフトゥング)は、次のどちらかの性格のものとしてのみありうる。すなわち、1(実在または仮構のfiktiv) 諸氏族からなる宗教的に聖祓された連合体(コンフェデラツィオーン)としてあるか、あるいは、2、すでに弱体化した家長制eine abgeschwächte Hausherrschaft [ (規模の拡大によってそれだけ) 弛緩した家支配] の方式にならって構成された、(王制的) 大家政による『臣下(ウンタータン)』たちの家政の家産的支配としてあるか、のいずれかである」(WuG: 253, 武藤他訳: 23-24)

1(3)「後者の場合には、最大の権力をもつ主家の祖先、神々(ヌーミナ)守護神(ゲニイ)ないしは人格的な神々が、臣下たる家々においてそれぞれの家神とならんで祀られ、またそれらが支配者の地位を宗教的に合法化legitimieren [正当化] するという結果をもたらす。----

これに反して前者の場合には、政治的集団そのものの特別神(ゾンダーゴット)が生まれる。ヤハウェはこのような性格をもった神であった。ヤハウェが部族連合の神(コンフェデラツィオーンスゴット)であったということ、しかも伝承によればもともとユダヤ人とメディア人の同盟による神であったということ、このことからもたらされたきわめて重大な帰結は次のごとくであった。すなわちイスラエルの民は、ヤハウェの神を、誓約をもって受け入れたとき、同時に政治的な部族連合とその社会的諸関係の聖法的秩序とを受け容れたのであったが、このヤハウェのイスラエルの民にたいする関係は、一つの『契約(ベリース)』、すなわち一個の――ヤハウェによって授与され、服従をもって受け容れられた――契約(フェアトラーク)関係とみなされるものであった。このような契約関係からして、人間の側の儀礼的、聖法的、社会倫理的な義務が生ずると同時に、神の側からもまたきわめてはっきりした約束(フェアハイスング)が与えられるaus dem [Vertragsverhältnis] rituelle, sakralrechtliche und sozialethische Pflichten der menschlichen, aber auch sehr bestimmte Verheißungen des göttlichen Partners folgten [神の側にも、きわめて確定的な約束が生ずる]。そして人々は、このような巨大な威力に充ちた神に向かいあいながら命ぜられる諸形式のうちにあって、この約束がいかに破られがたいかを神自身に思い知らせうるとさえ感じたのであった an deren [Verheißungen] Unverbrüchlichkeit ihn, in den einem Gott von ungeheurer Machtfülle gegenüber gebotenen Formen, zu mahnen man sich berechtiftigt fühlen durfte.[恐るべき威力に満ち溢れた一神に対峙する所定の形式にしたがって (ではあるが)、当の神に、約束を忘れることがないようにと警告する権利がある、と感ずることができた]。イスラエルの宗教性にそなわる、このきわめて独特の約束性格は、他にも類例が見られるとはいえ、それがこれほどの強度に達したことは、他にはどこにもない。ところで、その最初の根基は、ここに据えられたのである」(WuG: 253, 武藤他訳: 23-24)

1(4)「このような宗教的な意味での『教団(ゲマインデ)』は――それは、国庫経済上の、あるいはその他の政治上の理由から組織される近隣的(フェアバント)という意味と並んでneben dem aus ökonomischen, fiskalischen, oder anderen politischen Gründen vergesellschafteten Nachbarschaftsverband、この言葉の第二の範疇であるが――われわれがここで理解した意味での預言においてのみ現れるわけではないが、さりとてまた、すべての預言において成り立つというものでもない。総じてそれは、預言の [もとでは] 日常化の産物として、はじめて成立するものである。すなわち、預言者自身あるいは彼の弟子たちが、宣教と恩寵授与 [の状態] を継続的に確立し、そのことによって恩寵授与とその管理者の経済的存立をも持続的に確保し、さらにこれによって義務を負わされた人々に対してもろもろの権利をも独占的に主張するにいたるとき、かかる教団は成立するのである」(WuG: 275-76, 武藤他訳: 83-84)

1(5)「けれども、当然のことながらこのような [帰依者ないし信奉者が、臨機的平信徒の「浮動票」的存在に止まっている] 状態は、すでに純粋に経済的な観点からいっても、祭儀を管理執行する人々の利益には合致しないのが普通である。そこで、彼らは、やがて事あるごとに、なんとかして一つの教団が形成されるよう、つまり信奉者たちを明確な権利と義務をともなう継続的な組織体eine dauernde Vergesellschaftung der Anhängerschaft mit festen Rechten und Pflichtenへと形成するように働きかける。信奉者の個人的persönlich [即人的] な関係から一つの教団へのこの改造は、それゆえ、預言者の教説が一つの恒常的な制度としての機能をもって日常生活のなかに入り込む場合の、よくある形式なのである。こうして預言者の弟子や門弟たちは、もっぱら宗教的な目的に仕える組織体eine ausschließlich religiösen Zwecken dienende Vergesellschaftung、すなわち信徒教団Laiengemeindeにおいて、それぞれ密儀師や教説家や祭司や司牧者に (あるいはこれらすべてに) なるのである」(WuG: 276-77, 武藤他訳: 85-86)

1(6)「政治権力と宗教的教団----とのあいだの関係は、『支配』の分析の領域に属することがらである。ここではただ、『教団宗教性Gemeindereligiosität』がさまざまな際立った特性をそなえた不安定な現象eine verschieden eindeutig ausgeprägte und labile Erscheinung [その特性の一義性の度合いはさまざまでも、不安定な現象] であるという点だけが確かめられなければならない。われわれは次のような場合だけを取りあげて、それの存立を問題にしてみようと思う。すなわち信徒たちが、1、一つの継続的な共同体行為を営むべく組織されてzu einem dauernden Gemeinschaftshandeln vergesellschaftet いる場合、そして、この行為の結果を目指してauf dessen Ablauf [当のゲマインシャフト行為の経過に]、彼らが、2、なんらかの意味でまた積極的に働きかけている場合である」(WuG: 277, 武藤他訳: 88)

 

2. (当の基礎範疇にもとづく) 全篇の体系的構成にたいする見通しの欠落 とくに章・節の内容と密接にかかわる箇所に、問題が露呈。一例として、武藤他訳中、「法社会学」と「支配の社会学」(「軍事カリスマ」と「呪術カリスマ」との対抗的相補性)の内容にかかわる一節の訳文。

「ところで、政治的暴力によって法の運用が壟断されたり、門閥間の反目から生まれるでたらめの仲裁裁定に過ぎないものが、有無をいわせず押し通されたり、あるいは宗教的ないし政治的悪業を犯しておきながら、社会全体を脅かす古めかしいリンチ裁判を持ち出してこれを正当化したりするなど、こういったことがおこなわれるところでは、真理を伝達するのは、ほとんど常に神の啓示 (神の判決) だけである。そして呪術師たちが託宣や神の判決やその準備過程をも掌握することを心得ていたところでは、彼らの権力的地位が、しばしば永続的な優勢を示すこととなるのである」(武藤他訳: 48)

   この箇所の原文は、„Wo nun die politische Gewalt den Rechtsgang an sich zieht, den bloßen unmaßgebenden Schiedsspruch bei der Sippenfehde in ein Zwangsurteil oder bei religiösen oder politischen Freveln die alte Lynchjustiz der bedrohten Gesamtheit  in ein geordnetes Verfahren gebracht hat, ist es fast immer göttliche Offenbarung (Gottesurteil), welche die Wahrheit ermittelt. Wo eine Zaubererschaft es verstanden hat, die Orakel und die Gottesurteil und ihre Vorbereitung in die Hand zu bekommen, ist ihre Machtstellung oft eine dauernd überwältigende(WuG: 262).

「ところで、政治権力が訴訟を引き受け、氏族間の私闘に介入して、権威のないたんなる仲裁裁定を、強制的な判決に置き換えたり、あるいは、宗教上ないし政治上の不法行為が犯されたさい、それによって脅かされた当事者が連帯して犯人を処罰する古いリンチ裁判に代えて、一定の秩序ある手続きを持ち込んだりする場合、真偽を突き止める手立てとなるのは、ほとんどつねに神の啓示 (神判) である。したがって、呪術者層が神託や神判や [神に事問う] 準備過程を掌握する術を心得ていたところでは、かれらの権力地位がしばしば持続的に優位を占めて、政治権力を圧倒する権力地位のひとつともなるのである」。

 

3. 編者が挿入した、多分にミス・リーディングな節分け・段落分け・節題・節内の中見出しを踏襲。 [例証として、本HPに別掲の「比較歴史社会学研究会」第一回、資料「『経済と社会』(旧稿) 「宗教社会学」章 中見出しと段落別内容要旨一覧 (第一節「諸宗教の成立Die Entstehung der Religionen) 参照」

 

4. ときとして「教義学的dogmatisch思考と表現表記が混入: 上記1(3) および2の引用文中、原文と対比して改訳している箇所、参照。