比較歴史社会学研究会 第一回(年9月19日 PM 1: 30~ 早稲田大学早稲田キャンパス8号館417番教室)
第二報告「社会科学の弁証法的発展を期して――ヴェーバーの比較歴史社会学とくに『宗教社会学』の研究に即して」レジュメ(後刻、引用資料集1、同2、資料も、本HPに掲載予定)
9月12日 折原浩
homo sum; nihil humani a me alienum puto [私は人間である。人間のことは何ごとも、私に無関係とは思えない]. Terentius, Adelphi, Ⅲ, 5, 25.
はじめに
Ⅰ.「ヴェーバー研究総体」における社会学の貧困
Ⅱ. 後期ヴェーバーにおける科学論の展開と比較歴史社会学の創成
Ⅲ. ヴェーバー社会学の基礎範疇
Ⅳ. 武藤他訳『宗教社会学』の問題点
Ⅴ. 今後の課題
はじめに(= 本報告の趣旨・構想 ⇨「『比較歴史社会学研究会』第一回 (9月19日) の報告に向けて」と題して本HPに別掲)
Ⅰ.「ヴェーバー研究総体」における社会学の貧困
ふたつの象徴的事実:「ヴェーバー生誕100年記念シンポジウム 」(1964) における社会学低迷の顕在化; 創文社版『経済と社会』全訳計画(1960~70年代)でも、社会学者は「蚊帳の外」。
戦前から戦中にかけて「社会学とは何か」の抽象論 (ヴェーバーにおける社会学の生成過程とその基礎範疇は、射程に入らない) ⇦ 社会学は、旧制帝国大学文学部哲学科の「軒を借りて」営業 ⇨「社会科学としての一市民権獲得」という観念的利害関心と悲願が、抽象論の駆動因。
日本社会の「前近代性」(「封建遺制」「家族主義」「無責任体系」etc.) 批判という問題設定-問題意識と (ヴェーバー社会学内容の批判的摂取を含む) 学問的成果とは、社会学の外で、ただし旧制帝国大学の「奥の院」で、「批判的少数者」の孤立分散的「離れ業」として用意され、敗戦後に「時宜をえて」満面開花。
敗戦後、政治主導の与件変更:「戦後改革」とアメリカ社会学の輸入⇨「戦後近代主義社会学」は、価値理念・価値関係の思想性は社会学外に仰ぎながら、家族・農村・都市・企業・労使関係・労組他、日本社会の(大学を除く)諸領域の「前近代性」を実証的に究明。他方、外面的には、「社会学科」のみか「社会学部」の簇生 ⇨ 内面的には、「専門学科として『陽の当たる』社会学」を与件とし、自明視して出発することに慣れ、もっぱら所産・業績を競って、前提は問わない、「時宜に適うzeitgemäß」スタンスが蔓延。ヴェーバーについても、かれ固有の「体系化中心」、そこからの「社会学の生成とその意味」は顧みられず、出来上がった成果が (同じくデュルケームらの出来上がった成果とともに) パーソンズないし「第三世代」に、いかに編入されたか等々、もっぱら学知の平面で問われる。「宴会に遅れてやってきただけで、いきなり上座に着こう」と「功を焦る」専門社会学者群。本質的には、戦前から戦中にかけての抽象論と同一の、学知主義の平面。日本の学界、少なくとも社会学界には、敗戦後の思想的混迷にもかかわらず、畢竟「実存主義」「実存哲学」が根づかなかった。
ただし、ヴェーバー研究を総体として見ると、社会学の外面的隆盛・内面的凋落を横目で見ながら、「未知の知」にもとづいてテクスト読解に取り組む (法制史・宗教史など)「歴史学」系の篤実な研究者が輩出。地道な読解の成果として、創文社版『経済と社会』の分担訳が、1960年代から1970年代前半にかけて続々刊行。とくに世良晃志郎氏の訳業、その方針に注目。「他の何学者でなくとも社会学者であることは間違いない」(丸山眞男) というヴェーバーの、社会学上の主著が、社会学者でない「非専門家」の分業 (≠社会学者も加わる協業) によって訳出される。この事態を、社会学者は、「不面目」とは感得しても、みずからの責任とは自覚せず⇦「日本社会学は、『ヴェーバー研究』という『たんなる一先行学説研究』の段階を越えて、実証研究の『本番』に入った」という自負⇨ヴェーバー研究 (ひいては社会学研究) のパラダイムは、問い返されなかった。
さて、創文社版『経済と社会』の各邦訳では、(法則科学としての社会学的一般命題の定立に例証として添えられている) 厖大な歴史的事象が、逐一究明され、詳細な注を施された。このことは、それ自体として、また、ヴェーバー研究総体にとっても、画期的な業績。ただ反面、ヴェーバーにおける「社会学の生成とその意味」は、やはり顧みられず、かれが科学論から、先行諸家にたいする「両義的」批判(以下のⅡ 参照)を集約して「理解社会学」に転ずるさい、とくにシュタムラー批判を媒介として構成した、『経済と社会』(旧稿) の社会学的基礎範疇 (以下のⅢ、ヴェーバー社会学の「体系化中心」に相当) は、突き止められなかった。テクスト編纂の過誤を不問に付して邦訳の底本とし、変更後の「改訂稿」の社会学的基礎範疇 (「基礎概念」) を、変更前の「旧稿」に持ち込んで、概念上の混乱と (全篇の体系構成にかんする) 読解不全をもたらす (後段Ⅳに具体例)。誤編纂の踏襲と読解不全との悪循環。筆者は、その責任はまずもって社会学者が負うべきと判断し、その後、「ヴェーバーにおける社会学の生成とその意味」、「理解社会学」の創成にいたる科学論の展開を追跡し、「範疇論文」と「旧稿」の社会学的基礎範疇を復元して (遺稿ながら) 「旧稿」全篇の体系的再構成に専念。
ところで、編纂上の過誤の踏襲は、なにも日本学界だけのことではなく、(1970年代まではしばしば語られた)「日本的特殊性」には還元できない。なるほど、「閉鎖的なくせに海外の最新流行には弱い日本の学界」(内田義彦)が、第二次ヨハンネス・ヴィンケルマン編(第四版1956、第五版 1972)、ついで第三次全集版(1999~)のテクストを、無疑問的に受け入れたのは事実。しかし、第一次マリアンネ・ヴェーバー編『経済と社会』テクスト編纂の(意図せざる)過誤・読者誤導・読解不全は、ドイツの学界にも、『経済と社会』を英訳、仏訳している英米、仏の学界にも、日本と同じように踏襲された。たとえば、後段Ⅳで「宗教社会学」章について例証するとおり、ヴィンケルマン編も英訳も仏訳も、第一次編纂者によって加えられた、テクスト本文と整合しない節題や中見出しを、無造作に襲用。全集版は逆に、中見出しを信憑性なしとして全面的に廃棄し、代替案も、全篇の構成にかんする解説も、断念。したがって、そうした過誤の踏襲はむしろ、少なくともヴェーバー没後の、科学史・科学哲学上の一般的問題で、ヴェーバー研究におけるその露呈は、当の一般的問題を究明し、克服していく格好の「手掛かり」とも「土俵」ともなろう。
では、その一般的問題とは何か。専門分化の進展と、「独創的」で「役に立つ」業績達成への要望から、「『体系化中心』を掘り起こして『全広袤』に迫る」といった「手間隙かかる」研究は避け、手っとり早く「自分独自の」「専門業績」を達成し、「専門経営」内部で地歩を占めようとするcareerismと「集団同調性」⇨ 学界一般における論争の欠如 (「一生に一度も論争しない」学者群)。「部分知」への安住による過誤や読解不全の看過、定着、踏襲 ⇨ Dialektik [ή διαλεκτική] は育たず、Philo [φίλω]-sophie [σοφία] も衰微。学問が「議論をとおしての民主化」「熟議-論証民主主義」に寄与せず。
Ⅱ. 後期(神経疾患緩解後)ヴェーバーにおける科学論の展開と比較歴史社会学の創成
[この論点につき、詳しくは、①拙稿「マックス・ヴェーバーにおける社会学の生成----Ⅰ. 1903~07年期の学問構想と方法」(神戸大学社会学研究会編『社会学雑誌』第20号、2003、pp.
3-41); ②拙著『マックス・ヴェーバーにとって社会学とは何か----歴史研究への基礎的予備学』2007、勁草書房; ③拙稿「比較歴史社会学――マックス・ヴェーバーにおける方法定礎と理論展開」(小路田泰直編『比較歴史社会学へのいざない----マックス・ヴェーバーを知の交流点として』2009、勁草書房、pp. 1-142); ④拙著『マックス・ヴェーバーとアジア----比較歴史社会学序説』2010、平凡社、参照。これら①~④では、ヴェーバー社会学の「歴史研究への基礎的予備学」という (どちらかといえば) 消極的側面に力点を置いたが、「現状況における『責任倫理』的実践に欠くことのできない契機」という積極的側面を補完・強調する論考として、⑤拙稿「歴史社会学と責任倫理」(『マックス・ヴェーバー生誕150周年記念論集』2015、創文社、近刊予定) を参照されたい。]
先行の諸家・諸説にたいするヴェーバーの「両義的」(否定的・肯定的) 関係 一覧
[以下の要約を裏付ける引用資料として、「『比較歴史社会学研究会』第一回、引用資料集1: 後期ヴェーバーにおける科学論の展開と比較歴史社会学の創成」を本HP に別掲]
1. ヴィルヘルム・ディルタイ (1833-1911)
「自然」 (「死せる自然」から「人間が動植物と共有する生命活動」まで) と「人間の高次の精神活動」という対象・素材の区分にもとづく「自然科学」と「精神科学」との対置。ヴェーバーは、これに代えて、「意味とは無縁sinnlosな自然」と「意味のあるsinnvoll非自然」とを区別。当の「意味」につき、(ジンメルに倣って)「客観的意味」と「主観的意味」とを区別し、前者につき、(イェリネク-ラスクに倣って)「(当為としての妥当性を問う) 規範学Dogmatik」の成立を認めるとともに、後者については (「意味」を「自然」= 「経験的存在」の一部と見て「因果的説明」を企てる)「経験科学empirische Wissenschaft」を「理解科学verstehende Wissenschaft」として定立。
2. ヴィルヘルム・ヴィンデルバント (1848-1915)-ハインリヒ・リッカート (1863-1926)
「一般化」的「法則定立」と「特殊化」的「個性記述」との方法的区分は、「法則科学」と「現実科学」(ないし「歴史科学」) と呼び換えて、原則として引き継ぎ、「社会科学」「社会経済学」を「現実科学」かつ「文化科学」と規定。ただし、「歴史家」としては、「一般的」「法則 (論) 的」知識の意義を強調。やがて、「理解科学」の「現実科学」的分肢として歴史学、「法則科学」的分肢として社会学を位置づけ、方法上は峻別しながらも、双方の緊張を生き、研究実践と生活実践において、事例ごとの具体的相互媒介を追求 (これを欠くと、歴史学は「素朴実証主義」に、社会学は「モデル構成の自己目的化」に傾く)。
他方、①「他人の精神生活の原理的解明不可能性」のドグマ、②「規範学」と「経験科学」との区別を欠く、法学と国民経済学との同等視、③「集団-個人」軸と「普遍-特殊」軸との混同、④人間協働生活の「因果結合の規則性」を網羅的に観察し、「単純なエレメント」に分析したうえ、類-類型的連関の決疑論を編成する「基礎科学」「原理科学」一般の拒否、など、リッカート説を否認して独自の所見を打ち出す面も多々ある。
3.
ゲオルク・ジンメル (1858-1918)
行為と表出との区別、主観的意味と客観的意味との区別を引き継ぐ (上記1. )。ただし、ジンメル自身は双方を意図して混同していると批判。
4.
ゲオルク・イェリネク
(1851-1911)-エミール・ラスク (1875-1915)
「判断の範疇」に準拠する「規範学」と「経験科学」との区別を引き継ぐ (上記1.)。
5. エドゥアルト・マイヤー (1855-1930)
『歴史の理論と方法』における論理学的定式化については、「病人の自己診断-自己申告」として難点を暴くが、じっさいの研究における「因果帰属」の実例 (ペルシャ戦争の「歴史的・因果的意義」の論証) は的確と見て、これを範例に、「史実的知識」と「法則的知識」との結合による「因果帰属の論理」を定式化。実質上、自然科学における実験ないし比較対照試験の論理を、人為的な実験や対照試験は不可能な歴史現象に適用する「思考実験」。
6.
カール・マルクス (1818-83)、ヴィルヘルム・ロッシャー (1817-94) 以降の「社会経済科学」
「社会形象
(構成体)」を「集合的主体」として「実体化」「神秘化」し、因果分析を遮る「流出論理」は拒否。他方、「経済現象」のみか「経済を制約する現象」「経済に制約される現象」も射程に入れる「総体志向」は引き継ぎ、分析的・「経験科学」的に再構成。
7. カール・グスタフ・アドルフ・クニース (1821-98) 他、「ドイツ・ロマン主義」。
逆に「個人」を、「意欲の自由」によって「因果律」を出し抜き、「計算不可能」ゆえに「神聖」とみなす「実体化」「神秘化」は、やはり否認。「自由な行為」こそ、思い違いなどの過誤(「客観的整合非合理性」)または、惰性や制御できない情動や「価値硬直性」(「主観的目的非合理性」)の制約を免れて「整合-目的合理的」。ただし、こんどは「個人の合理性」をこれまた「実体化」するのかというと、そうではなく、「意味とは無縁な主観的所与」にいたる「非合理性」の諸階梯を、(「自然」でなく「合理的整合型」と対比して)、順次「索出」していく方法を開鑿(「範疇論文」前半)。そのさい、
8.
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ (1844-1900) の「ルサンチマン」論およびジークムント・フロイト (1856-1939) の「精神分析」論
この先行二理論を、マルクス主義の「イデオロギー
(暴露)」論とともに、行為者当人には意識されていない動機づけの「合法則性」を、観察者が、当人の実践的「利害状況・利害関心」から「合理的」に索出しようとする (クレペリン流の「実験心理学」「精神物理学」とは異なる) 「理解科学」の一類型として、捉え返し、行為者に意識された「合理的な極」から「解明」を始める「理解社会学」と対比-区別して、「理解心理学」と命名。しかし、それらが、一種の「世界観」として「全体知」に「固定化」「ドグマ化」される傾向は峻拒し、「経験科学」的な「解明」の方法として援用。
9. カール・メンガー (1840-1921)
ここで、「社会科学方法論争」にたいするヴェーバーのスタンスを総括すると、
①「精密社会科学的分析の最後の要素である人間諸個人とその諸努力とは、経験的な性質をそなえている」から、「精密的な理論的社会科学は精密的な自然科学にくらべてずっと有利である」というメンガーのコント批判 ((Menger, Carl, Untersuchungen über die Methode der Socialwissenschaften und der politischen Oekonomie insbesondere, Leipzig: Dunker & Humblot: 157 Anm. 51、福井幸治・吉田章三訳、吉田章三改訳『経済学の方法』1986、日本経済評論社: 145-46: 注51) を、(ヴェーバーは)「社会科学の領域では、社会がそれによって構成され、社会諸関係のすべての糸がそこを通り抜けなければならない『もっとも微細な部分die kleinsten Teile』の内側を覗き込むことができるという幸福な状態にあるから、ほんとうのところ事態は逆であるという異論が、すでにメンガーによって、またその後多くの人々によって唱えられている」と述べて継承 (引用資料集Ⅰ、1-3)、「観察」に「解明」を加える方法の開拓に乗り出す。
② 歴史的社会形象の「全体を、個別現象から因果的に説明することは [事実上困難なだけでなく] 原理的に不可能」(WuG: 35-36、松井訳Ⅰ: 74-75) という (ロッシャーらの) ドグマに、メンガーは、社会形象が「目的意識的な立法によって実用主義的pragmatisch に設立されるのみか、歴史の経過のなかで「個人的な諸努力」の「無反省的 unreflectirt」所産・「意図されない合成果」としても成立する事実に注目し、「精密的exact」「原子論的atomistisch」説明方針を提起。たとえば、貨幣制度の発生は、誰かある個人が、直接交換の難点を、間接交換への突破口を開いて克服すると、この発明-革新-新機軸が、周囲の諸個人に模倣されて普及し、やがて慣習化する、というふうに(基本的にはガブリエル・タルドの「発明-模倣」図式に則った仕方で)説明できる。そのうえ、集落・市場・言語・国家・法など、数多の社会形象の始源と変遷も、この方針で説明できると主張。
ヴェーバーは、メンガーの主張(①②)を、基本的に受け入れ、一方では(社会形象にかんする「流出論理」に代えて)「精密的」・「原子論的」説明方針を採用し、その延長線上で、個人を実体化・神秘化するロマン主義を斥けて、「解明」「理解」の可能性を追求すると同時に、他方では(「合理性」の実体化は避け)、メンガー自身の精密理論を「経済的に合理的な理念型」と捉え返して相対化。まさにそのように「合理的理念型」を「索出手段」として活かすことにより、かえってメンガーの方針を、さほど「合理的ではない」諸領域にも (つまり人間協働生活一般に) 広く適用・展開していくことができた。 ヴェーバーが、メンガーに代わる説明方針を、一般理論的に定式化している箇所としては、『経済と社会』(旧稿)の「概念的導入部」における「当為教唆Eingebung」と「感情移入Einfühlung [模範の追体験]」による「革新Neuerung」の理論、「法社会学」章における「発明Erfindung」の付加と、「古代ユダヤ教」中の適用例の解説 (RSⅢ: 87-89, 内田芳明、上: 206-09) が重要。後者では、表向き「唯物史観」を、「返す刀」でじつはメンガーを批判。
10. ルードルフ・シュタムラー (1856-1938)
あとひとつ、残された難関として、先行学として発達した法学の思考方法と概念が、転用されたり、紛れ込んだりして、「社会形象」がこんどは「法人格」として「実体化」されたり、「規範学」的思考の混入によって「経験科学」的分析・解明・再構成が妨げられたり、歪められたりする障碍。代表例としてシュタムラーは、①「自然」と「人間の社会生活soziales Leben der Menschen」との対象的区別にもとづいて、「自然科学」と「社会科学」とを対置し、②「人間の社会生活」のメルクマールを「外的に規制された協働äußerlich geregeltes Zusammenwirken」に求め、これを、③「人間の社会生活」の「形式Form」として (経済などの)「質料Materie」に対置 (Wirtschaft und Recht nach der materialistischen Geschichtsauffassung: Eine sozialphilosophische Untersuchung, 2. Aufl. 1906, Leipzig: Veit & Comp.: 75-158)。それにたいして、ヴェーバーは、
①’ それまでに論争されてきた「科学」概念を批判的に集約して、(上記1. のとおり)「客観的意味」について「理念ないし当為としての妥当性」を問う「規範学」と、「主観的意味」について「存在と因果的意義」を問う「経験科学」とを区別し、そのうえで
②’ 「規則Regel」概念を吟味し、ⓐ規範学の対象としての「規範Norm」「命令Imperativ」、ⓑ 経験科学の対象としては、「経験的規則性empirische Regelmäßigkeiten」に加えて、ⓒ 行為の因果的一契機として、「適合的」には経験的規則性を引き起こす「規範の経験的表象」=「格率Maxime」(他に「目的論的格率」もあるので「規範的格率」) という範疇を定立 (WL: 322-45, 松井訳: 34-53)、
③’「法」ないし「慣習律」も、「社会生活」の「形式」ではなく、「質料」の一部 (「規範的格率」としての因果的一契機) と見る。
そこから、ヴェーバーは、シュタムラーが、「制定規則によって規制された協働」(社会生活) と「規制のない併存 (諸個人の孤立的棲息)」(自然) との (論理上は非和解的な) 二項対立を、経験的現実に持ち込み、後者から前者への移行は「絶対に不可能」で、両者間に「第三の範疇」が存立する余地はない、と説いていた (Ibid: 106-07)
のにたいして、これを「概念と現実」「規範学と経験科学」との混同として斥け、経験的現実においては、両対極間に「流動的な相互移行関係」があり、「第三の範疇」も存立すると見る。
この見地から、(社会科学の対象として「社会生活」概念の確立を目指した) シュタムラーが、本来「いいえたhätte meinen
können」(WL: 368) し、「いうべきであったhätte meinen
sollen」(WL: 427, 海老原・中野訳: 6) こととして、(「シュタムラー論文」「補遺」と「範疇論文」後半で)「ゲマインシャフト行為ないし関係の四階梯」、「経験的規則性と格率」の「四階梯」(「集群Gruppe」-「習わしGebrauch-習俗Sitte」-「慣習律Konvention」-「制定律Satzung」) を、「類的理念型gattungsmäßige
Idealtypen」的尺度として定立。総論的には「社会関係」一般の「合理化」、各論 ( 「連字符社会学」) 的には、当初にはもっぱら「神の賜物」としてあった「制定律」が、「人間の創作物」として再編成される経緯 (「法預言者」による「カリスマ的」「神聖法」「創造」から、「法名望家」「法律専門家」による「世俗的」「実定法」の「目的意識的」「定立」と「法典編纂」への「固有法則的」発展) を問う普遍史的視野を開く。「産婆役」としての批判。
Ⅲ. ヴェーバー社会学の基礎範疇
[この論点につき、詳しくは、拙著『ヴェーバー「経済と社会」の再構成----トルソの頭』(1996、東大出版会)、および『日独ヴェーバー論争――「経済と社会」(旧稿) 全篇の読解による比較歴史社会学の再構築に向けて』(2013、未來社)、参照]
1. 社会関係「合理化」の可逆的四階梯 (①相互に「意味」関係はない「同種の大量行為」「集群Gruppe」-② 無定型の「ゲマインシャフト行為-関係」-③ 非制定秩序に準拠する「諒解(的ゲマインシャフト)行為-関係」-④ 制定秩序に準拠する「ゲゼルシャフト(的ゲマインシャフト)行為-関係」)、
2.「仲間関係Genossenschaft」(の「ゲゼルシャフト結成態」として「結社Verein」) と「支配Herrschaft」(「団体Verband」と「ゲゼルシャフト結成態」としての「アンシュタルトAnstalt」)、
3.「臨機的gelegentlich」-「多年生的perennierend」「持続的dauernd, kontinuierlich」などの準術語
4. ゲマインシャフトの「閉鎖」(「ゲゼルシャフト結成」) ならびに「拡張」⇌ 経済的利害関心 (このダイナミズムの四類型)。
4-(1)「稀少」となったシャンスを独占しようとする「経済的」利害関心にもとづいて、「ゲマインシャフト」を対外的・対内的に「閉鎖」する「ゲゼルシャフト結成」。
4-(2)「ゲマインシャフト」を「代表」する人、人々、ないし機関の「職業的」特殊利害にもとづき、「ゲマインシャフト」の「存続」と「拡張」を自己目的とする「ゲゼルシャフト結成」。
4-(3)「ゲゼルシャフト関係」としての「目的団体」が、その「合理的目的」の範囲を越えて創成する「ゲマインシャフト関係」を、既得権として独占しようとする利害関心にもとづく「目的団体」の「閉鎖」と「変質」。
(前段について)「『自分たちには種族としての共通性がある』という信仰は、一種『人為的künstlich』な仕方で創り出されるが、こうした現象は、合理的なゲゼルシャフト関係が即人的なゲマインシャフト関係に解釈替えumdeutenされる、われわれにはすでに知られている図式に、完全に照応している。合理的に事象化 [脱即人化] されたゲゼルシャフト行為がほとんど普及していない条件のもとでは、いかなるゲゼルシャフト関係も、まったく合理的に創り出されたゲゼルシャフト関係も、『種族的』共通性の信仰にもとづく即人的同胞盟約persönliche Verbrüderungという形式で、当の目的の範囲を越えるübergreifend、ある包括的なゲマインシャフト意識を招き寄せるattrahieren [ad-traho]のが通例である」(WuG: 237)。また、「宗教的目的結社」「ゼクテ」への加入条件として、その「合理的目的の範囲を越える」厳格な「行状」審査がおこなわれると、そこから「認証」「正当化」「信用保証」機能が派生し、やがてこちらが主目的に転化し、ゼクテの変質と衰退を招き、それに代わる世俗的「クラブ」の簇生をもたらす [「近代的」現象形態]。
4-(4) 経済外的な「ゲマインシャフト」の、「存続」と「拡張」への利害関心にもとづく「利益約束」「利益参入」「利益を追求する自己経営の創設」
Ⅳ. 武藤他訳『宗教社会学』の問題点
上述のとおり、(社会学的一般経験則定立の起点ないし例証にかかわる) 宗教史上の諸事象を調べ、豊富な訳注を加えた点で、画期的な業績。しかし他面、ヴェーバー社会学の主著の邦訳としては、下記四類型の難点[引用文は、本HPに別掲の「『比較歴史社会学研究会』第一回、引用資料集2: 武藤他訳『宗教社会学』の問題点」参照]。
1. 社会学的基礎範疇の看過 ⇨ 術語にかんする訳語の混乱。
2. (当の基礎範疇にもとづく) 全篇の体系構成にたいする見通しの欠落 ⇨ とくに他章・他節の内容と密接にかかわる箇所に、問題が露呈。一例として、武藤他訳中、法社会学と支配社会学の内容にかかわる一節の訳文 [引用資料集2-2 参照] (武藤他訳以外の邦訳も大同小異。欧米語訳にも同様の難点。相対的にはG・ロート監修の英訳が最良)。
3. 編者が挿入した、多分にミス・リーディングな節分け・段落分け・節題・節内の中見出しを踏襲 [例証として、本HPに別掲の「『比較歴史社会学研究会』第一回、資料: 『経済と社会』 (旧稿) 「宗教社会学」章 中見出しと段落別内容要旨一覧(「第一節 諸宗教の成立Die Entstehung der Religionen」)」参照]。
4 .ときとして「教義学的dogmatisch」思考と表現・表記が、混入
[引用資料集2-1-(3) と2-2の引用文中、原文と対比して改訳している箇所を参照]。
Ⅴ. 今後の課題
1.「ヴェーバー研究総体」の枠内では----「宗教社会学」から始める全改訳と解説、
2. ヴェーバーの比較歴史社会学を「知の交流点」とする応用的展開----上掲小路田編『いざない』で提起されていた諸問題など