記録と随想37――「『ごく当たり前』のことが、……」(季刊『未来』2022年夏期号への寄稿を僅かに補訂して収録。2023年1月8日)

 

このたび、前著『東大闘争総括――戦後責任・ヴェーバー研究・現場実践』2019118日、未來社刊)の姉妹篇として、『マックス・ヴェーバー研究総括』を世に問う運びとなりました (未來社、近刊)。この二著では、この国の大学現場と学問研究者が抱えている諸問題について、「ごく当たり前」のことがなおざりにされている実態を、具体的に、実名で語っています。

まず、「東大闘争」については、医学部と文学部の学生処分という現場の争点につき、両教授会が発表した文書と、学生側の異議申し立てとの双方を、予断ぬきに(「価値判断からは自由」に)比較-照合して、処分理由とされた教員と学生との「摩擦」を、当事者個人間の行為連関」として捉え返しました。その結果、両教授会と東大評議会が、処分決定のさいには事実誤認を犯し、その後も事実隠蔽をつづけた事実を、具体的に突き止め、解き明かして論証しました。

そうすることは、争点となった問題に現場で直面した一個の人間として、とりわけ「甲説と乙説との対立」の狭間に立った、学問研究者の一教員として、問題解決への「ごく当たり前」の手順と思われました。小生は、そう確信して、当時も教授会で所見を述べ、実名で批判書を発表し、議論を呼びかけましたし、その後も再検討を求めつづけました。ところが、東大当局は、学生側の異議申し立てを (1969118-19日の) 機動隊再導入によって圧殺し、事実と理非曲直の直視を避けたのです。また、そういう強権的措置に黙従した圧倒的多数の東大教員も、双方の所見を予断なしに捉え、事実と理に即して自分の意見を形成し、公正な解決に向けて議論する、という「ごく当たり前」の努力を回避するばかりでした。そういう姿勢を、問題とは認めず、その後も、正視して反省しようとはしなかったのです。他方、首尾よく状況に復帰して教員に昇進した全共闘OBOGの多数も、やがて「見て見ぬふり」をして、闇に葬ったようです。

なるほど、「学生処分など『些細な問題』で、そんなことにいつまでも拘ってはいられない」というのかもしれません。しかし、状況の問題への対処にかけて「ごく当たり前」のことをなしえず、国家権力や世間の大勢に追随して怪しまない姿勢 (「集団同調性」) を、そのまま放っておいてもよいのでしょうか。

つぎに、姉妹篇『マックス・ヴェーバー研究総括』では、「ごく当たり前」のことが回避される問題を、こんどは「ヴェーバー研究」という一専門的研究領域に焦点を絞りながらも、学者一般の姿勢(スタンス)の問題として、やはり具体的に摘出しました。

学問は原則上、議論と論争をとおして、旧説の誤謬――あるいは、狭隘な妥当限界――が、突き止められ、それに代る、正しい――あるいは、いっそう包括的な――新説によって乗り越えられる、という形で、発展し、進歩を遂げます。こういう抽象的な建前のかぎりでは、誰しも「ごく当たり前」のことと認めるでしょう。ところが、学界の内部を見回しますと、「議論を好まず、一生に一度も論争しない学者」が、圧倒的多数を占めます。拙著では、そういう「建前と実態との乖離」を、小生が確認できた範囲で、いくつか具体的な類型にまとめて提示しました。

たとえば、➀「ヴェーバーの主著のひとつ」と目され、じっさいにもそうにちがいない『経済と社会』のテクストは、じつは初版で、編纂者が原著者自身の注記を見落とし、改訂の基礎概念で改訂の本文を読むように、誤って逆転配置されました。その既成事実が改められず、第二次世界大戦後の第二次ヴィンケルマン編にも、第三次『全集』版にも、踏襲されて、意図されなくとも、読者を長らく誤導してきたのです。第二次ヴィンケルマン編は、いわば「合わない頭をつけたトルソ」でしたし、第三次『全集』版は「そもそも頭のない五死屍片」でした。その事実を、小生は文献内在的-実証的に指摘し、代替案を提唱し、独訳して編纂陣に送り届け、『ケルン社会学・社会心理学雑誌』や『マックス・ヴェーバー研究』誌 (英文) にも、批判の要旨を発表しました。ところが、ドイツの『全集』版編纂陣と学界は、反論を対置せず、有耶無耶のまま、既成事実を踏襲し、誤編纂テクストを刊行し、いまもってそうしつづけています。

日本の「ヴェーバー研究」学界も、「本店-出店意識から脱却せよ」という日高六郎の提言にもかかわらず、誤編纂テクストを無疑問‐無批判のまま輸入し、議論しようともしませんでした。日本の人文-社会科学界は、議論の基礎となるテクストの誤編纂という重大な問題に直面しても、その批判と是正を企てる国際論争には乗り出そうとせず、「明治開国」以降「伝統」となった、受け身で内向きの消極的姿勢を保持したのです。

また、➁ 日本の「ヴェーバー研究」総体を展望しますと、1950-60年代に、金子栄一やR・ベンディクスが「全体像」ないし「包括的肖像」の構築を提唱して以来、ヴェーバーの厖大な著作、とりわけ『科学論集』『経済と社会』『宗教社会学論集』という三主著の相互補完的・総合的読解を、いったんは学界の基本的課題としました。テクスト編纂の改訂-整備を基礎として、そういう読解により、「ヴェーバーの学問」の「全体像」に思いをいたし、その到達限界も突き止め、そのうえで、各研究者それぞれに固有の、特定の問題に、応用と展開を企てよう、そうすることが学問として必要かつ重要、と考えはしたのです。また、そうすることをとおして、専門を異にする研究者の間でも、当の全体像を媒体として、相互に交流を図れるのではないかと、これまた抽象的には期待されました。

しかし、そういう「全体像」構築は、ヴェーバー著作の厖大さからして、じっさいには至難のことでした。小生も、今回の『ヴェーバー研究総括』でようやく、『宗教社会学論集』に収録されている(「儒教と道教」「ヒンドゥー教と仏教」「古代ユダヤ教」からなる)「世界宗教の経済倫理」三部作それぞれの問題設定と内容構成を、『科論集』ならびに『経済と社会』との関連に即し、ヴェーバー独自の (「個別化的文化諸史学」と「普遍化的法則科学としての一般社会学」とを相互補完的に媒介し、総合していく)「比較歴史社会学」の結実として、見通し、概説し、その方法を例解することがもできたと思います。

ところが、ヴェーバー自身は、そういう「比較歴史社会学」の「普遍史」的展開の途上で、おそらくはスペイン風邪に罹患し、働き盛りの56歳で急逝しました。そこで、かれの到達限界、つまり、後続世代による継承の起点と方法上の基礎を、三部作の具体的内容に即し、例示も交えて概説し、ひとまず年来の課題は果たし、後続世代による批判的継承にそなえて、その素材は整えようとしたわけです。

その他、➂ (『中世商事会社の歴史』や『古代ローマ農業史』のような)重要な大著が、未邦訳のまま残されている一方、「職業としての学問」「社会科学ならびに社会政策にかかわる認識の客観性」「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」といった、有名な諸短篇は、誤訳や不適訳にかんする議論や是正はなされないまま、「屋上屋を架する」かのように、別人による第二次訳、第三次訳、…… がつぎつぎに出版され、初訳の労苦が闇に葬られる――つまりは、学者の「業績稼ぎ」と出版社の販売利害との学問的癒着としか考えらない――奇怪な慣行、あるいは、➃「学問の自由」が濫用され、なんと『マックス・ヴェーバーの犯罪――「倫理」論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』と題して、無理解のまま明らかに耳目聳動と虚名誇示を狙った際物が、「書籍」として論壇に登場し (ミネルヴァ書房、2002年刊)、学問文化が「下降平準化」の悪循環に陥りかけた状況で、「ヴェーバー研究者」の圧倒的多数は、口を噤んで、論争の口火を切ろうとせず、なんと「日本倫理学会」までが、学界賞「和辻哲郎賞」を授与して、泡沫コメンテーター群に唱和-追随し、お先棒を担いだ一件など、小生が一研究者として直面した諸問題と、それらをめぐって「ごく当たり前」の批判を厭い、議論も回避する「学者」群の「事なかれ主義」の姿勢を、正面から採り上げて論じています。

なるほど、こういう諸問題自体、直接には、大学や学問研究という狭い抽象的世界の「揉め事」ないし「コップのなかの嵐」として、無視されがちでしょう。しかし、そうばかりとはかぎりません。大学、とくに教養課程で、ヴェーバーの生き方と学問内容を学び、自分自身の状況への企投に活かし、そうするなかで、「ごく当たり前」のことを「知的誠実」をもって直視し、具体的な議論と論争をとおして問題の公正な解決を企てる、そういう経験科学と実践に跨がる「責任倫理」のスタンスが、各人の「教養」つまり「自己形成」の核心として育成されていくならば、広く「個人の自律化を基礎とする社会の民主化」に連なり、寄与できるのではないか、と期待されましょう。小生も、若い諸君のそういう健闘を、できるかぎり見守っていきたいと思います。

なお、この『マックス・ヴェーバー研究総括』は、「ヴェーバー没後100年」(2020) にも上梓したいという当初の希望と予定が、思いどおりには達成できず、大幅に遅延して、各位に多大なご迷惑をお掛けしたことを、心よりお詫びいたします。

(202265日記、20231日補訂)