ヴェーバー「支配社会学」の基礎概念と体系的構成(第一部会第二報告草案、

その2200637日現在)――3. 1718京都シンポジウムに向けて(9)

折原浩

[承前]

Ⅱ-6.「諒解」とその合成語の、「支配社会学」への適用

 ヴェーバーの「支配社会学」は、「1910年構成表」には言及がなく、「1913年晦日書簡」に初めて登場します。「1914年構成表」では、(2.7.項「ゲマインシャフト」の発展形態を論ずる) 8.項に位置づけられています。したがって、シュルフター教授の所見どおり、「第二局面」(1913年初頭~1914年中葉) に執筆されたと見ることができましょう。

 ところが、その冒頭では、「支配」一般の意義が、カテゴリー論文の基礎概念を適用して説かれます。「支配Herrschaft」とは、「ゲマインシャフト行為Gemeinschaftshandeln」が、対称的な「仲間関係Genossenschaft」に止まることなく、一方に「命令権力」、他方に「服従義務」が発生して、非対称的な「上下関係」に移行するばあいです。ゲマインシャフト行為のあらゆる領域は、支配の影響を被ります。とりわけ「無秩序amorphなゲマインシャフト行為に、合理的なゲゼルシャフト結成rationale Vergesellschaftungが持ち込まれるばあい」、通例、支配が、そうした「合理化」の梃子として作動しています。ヴェーバーによれば、そのさい「たとえいっきょに合理的ゲゼルシャフト関係にはいたらなくとも、被支配者間に「『目標』への志向性Ausgerichtetheit auf ein "Ziel" が生まれる」(MWGA, Ⅰ/22-4: 127; WuG: 541; 世良訳Ⅰ: 3-4) ということです。この「目標への志向性が生まれる」とは、支配者が押しつける「目標」を「妥当」とみなして服従する「諒解」が生まれる、という意味に解せましょう。としますと、なるほどここには、「諒解」という語こそ出てきませんが、「ゲマインシャフト行為」「ゲゼルシャフト結成」が明示的に適用され、「諒解」の概念も黙示的には適用されている、と見られます。つまり、これらの概念がセットをなす、あの「合理化尺度」によって、支配一般の意義が論じられているのです。

 そのうえ、第一類型「合理的支配」についても、「官僚制化は、『ゲマインシャフト行為』を、合理的に秩序づけられた『ゲゼルシャフト行為』に転移させる特別の手段そのもの」で、「他の条件がひとしければ、計画的に組織され、指導される『ゲゼルシャフト行為』は、それに抵抗する [散発的で無計画な]『大衆行為Massenhandeln』はもとより、いかなる『ゲマインシャフト行為』にもまさ」り、官僚制が「いったん確立すると、その支配関係は不壊に近い」ともいわれます (MWGA, Ⅰ/22-4: 208; WuG: 569-70; 世良訳Ⅰ: 115)。ここにも、カテゴリー論文の「合理化尺度」が適用されて、官僚制が位置づけられ、「伝統にたいする第一級の革命力」(ただし「外から"von aussen" herの」革命力) として捉えられている、といえましょう(MWGA, Ⅰ/22-4: 481; WuG: 657; 世良訳Ⅱ: 115)

 そればかりではありません。第二類型「伝統的支配」の篇には、三箇所で、「諒解」とその合成語が、明示的にも適用されています。まず、引用資料1.をご覧ください。ここでヴェーバーは、「家ゲマインシャフト」の発展形態としてある「オイコスOikos [大家計]」の「家産制的patrimonial」支配について――それも、家父長の勢力が強まって、家産制的君侯Fürst/君主Herrにのし上がり、自分の「オイコス」だけでなく、他の「オイコス」をも、物理的強制力によって政治的に支配し、被支配者を、自分の「オイコス」の「家産制的従属民」と同等に取り扱おうとする「家産国家的 [政治支配] 形象patrimonialstaatliches Gebilde」について――語っています。そして、そこにおける君主と被支配者との関係を、「諒解ゲマインシャフト」として捉えているのです。ヴェーバーによれば、そうした支配形象も、君主がもっぱら軍事力で支配する「スルタン制Sultanismus」の極端な形態以外は、君主と被支配者が、「正当性諒解によって結ばれ、「伝統の枠内における権力行使は、君主の正当な権利である」、その意味で「妥当である」、として諒解/服従され、これによって支配が、相対的には長期間安定する、というのです。そのような被支配者が、ここで「家産制的従属民」と区別して「政治的臣民politische Untertanen」と命名されています。

 ところで、このように「支配」という現象を、たんに「力の強いほうが弱いほうを押さえつける」という外面的関係としてではなく、人間と人間との「意味関係として、「正当性諒解という内面的契機を介在させて捉えるヴェーバーの視点は、引用資料2.のとおり、カテゴリー論文で基礎づけられ、定式化されています。とすると、「旧稿」の「支配社会学」は、この視点を歴史的素材に適用/展開し、歴史上の多種多様な支配諸形象につき、それぞれを支える「正当性諒解の根拠に着目準拠して、「合理的」(後には「合法的legal」「依法的」)、「伝統的traditional」、「カリスマ的charismatisch」の三類型 (類的理念型) を設定し、それぞれの組織形態と変動傾向を「一般化」的/「法則科学」的に把握し、定式化した叙述である、といえましょう。その意味で、カテゴリー論文の基礎概念は、「第二局面」の代表作「支配社会学」にも、いぜんとして規準としてはたらいているのではないでしょうか。

 つぎに、資料3.には、「レーエンの譲渡には、新取得者とレーエン関係を取り結ぶことについての封主の諒解が必要であった」とあります。この「諒解」はここだけでは一見、なんの変哲もない普通名詞のようにも取れますが、じつはそうではありません。レーエン関係とは、支配者 (封主) が、従臣個人に、当初にはその臣従・軍事的給付とひきかえに、レーエン (土地とその支配権) を「固有権Eigenrecht」として与え (「授封verleihen」し)、支配の輔佐幹部Verwaltungsstabに起用する――半ば契約的な、個人的忠誠の誓約を取り結ぶ――関係です。

 さて、「伝統的支配」下では一般に、支配者と輔佐幹部との間で、陰に陽に権力闘争が闘われ、後者が支配権を「専有appropriieren」する分権化傾向と、前者がそれを「奪回expropriieren」する集権化傾向とが拮抗して、これが支配の変動要因をなしています。レーエン制は、そのうち、分権化傾向がたちまさる形態で、従臣はレーエンを「専有」(私物化)していき、やがては他人に「譲渡veraeussern」するまでにもなります。そのさい、だれに譲渡するかについては、当初には当然、封主の「諒解」――すなわち、制定律はなくとも、じじつ上、譲渡を「妥当」と認め、新取得者を後継の従臣として受け入れることへの同意/諒解――が必要とされましょう。しかしやがて、そうした諒解が「買い取られ」て、封主の最重要な収入源ともなり、これが「伝統によってtraditionell、あるいは制定律によってdurch Satzung 一般的に固定され」て、「レーエンの完全な専有die volle Appropriation des LehensMWGA,Ⅰ/22-4: 409; WuG: 635; 世良訳Ⅱ: 338に帰着します。とすると、資料3.Einverständnisは、直後のこのSatzungとセットをなし、「当該関係の『合理化』の度合いを測定する尺度」として用いられていることになりましょう。カテゴリー論文を熟読して、その基礎概念を下敷きにして「旧稿」を読んでいくのでなければ、このEinverständnisSatzungも、普通名詞として「なにげなく読み流されてしまう」のではないでしょうか。

 つぎに資料4.ですが、この箇所は、「たんなる諒解行為」から「そのつどの」「協定」締結(「臨機的ゲゼルシャフト結成」)を経て、「制定秩序」をそなえた「永続的な政治形象」としての「身分制 [等族] 国家」の成立へと、さながらカテゴリー論文の基礎概念「オン・パレード」の観を呈しています。「合理化尺度」の適用によって「身分制 [等族] 国家」が「伝統的支配」の限界点に位置づけられていることは、明白でしょう。

 ところで、「支配社会学」のこうした叙述の背後には、「なぜ、西洋文化圏では、中世から近世にかけて、『身分制 [等族] 国家』が成立するばかりか、そこから「近代官僚制国家への脱皮合理化が達成されたのか」という問題設定/「価値関係」的観点が控えています。叙述はそこから、この問題を他文化圏との比較において普遍史的に究明する、歴史・社会科学的な概念的道具立ての編成に向かい、その観点から体系的に制御されています。「旧稿」への帰属がしばしば問題とされる「都市」篇も、まさにそれゆえ、「1914年構成表」の、8.a)「正当的支配の三類型」、8.b)「政治的支配と教権制的支配」のあと8.d)「近代国家の発展」のまえ、つまりまさに8.c)非正当的支配」「都市の類型学の位置に、確かに配置/編入されているのです。というのは、こうです。

 8.a)「正当的支配の三類型」の「伝統的支配」篇では、叙述が、家産制の分権化形態としての「レーエン」制ないし「レーエン封建制」に向けて進められ、家産制君主/国王の正当的政治権力が、「身分制国家」に結集した従臣団/封建貴族によって大幅な制限を被る限界に到達します。「カリスマ的支配」篇では、軍事カリスマと呪術カリスマとの分化/緊張、「カリスマの日常化」による「血統(世襲)カリスマ」ないし「官職カリスマ」と、純正な個人カリスマとの緊張に、それぞれスポットが当てられます。これを前段に、8.b)「政治的支配と教権制的支配」では、西洋中世において (軍事カリスマに由来する) 王制と、(呪術カリスマから発展する) 教権制との緊張が、後者に有利な対抗的相互補完関係に帰着する事情が分析されます。すなわち、一方では、ローマ帝政において、血統カリスマが確立せず、非世襲の皇帝が、即位のつど教権制による正当化を必要として、教権制を補強せざるをえなかった外部事情、他方では、教権制における官職カリスマ(教皇/司教/司祭)と個人カリスマ (修道士) との緊張が、分裂を招いて教権制を弱める通例とは逆に、修道士を宣教の尖兵とし、また余剰業績によって余剰恩寵を教会の救済財庫に蓄える働き手として、修道院に首尾よく統合する形で解決された、という内部事情、――このふたつの事情があいまって、ローマ・カトリック教会は、歴史上に類例を見ないほど強力な教権制をなし、自律と合理化をとげて、世俗的政治的権力を制約しました。したがって、西洋中世には、古代中東の「治水耕作Flurregulierungskultur」を経済的基礎とする「家産官僚制的patrimonialbürokratisch」また「皇帝教皇主義的zäsaro-papistisch」な「世界帝国Weltreich」とは対照的に、複数の家産制君主たちが、①互いに、また、②結束した自国のレーエン制的従臣団(貴族身分)と、対立/抗争を繰り返し、さらに③最強の「教権制」による掣肘も受けて、正当的な政治権力の極小化に追い込まれたのです。この状況を、ヴェーバーは、「西洋文化に独自の発展の萌芽を蔵した」「諸勢力の緊張と一種独特の均衡」として捉え、「統一文化Einheitskulturの欠如」と呼んでいます(MWGA,Ⅰ/22-4: 649; WuG: 713; 世良訳Ⅱ: 608-9)

 この状況で、いわば「漁夫の利」を占め、非正当的にゲゼルシャフト結集し、非正当的に政治権力を「簒奪」して自律的自首的ゲマインデ」を結成したのが、「西欧中世内陸都市」ということになりましょう。ですから、8.c)「非正当的支配」「都市の類型学」は、まさにこの位置に置かれて、まずは古今東西の都市的社会形象にかんする一般概念/類型概念を構成し、そのなかで、西欧中世内陸都市の特性を浮き彫りにしていきます。中世内陸都市は、古代ポリスとは異なって、同時代における軍事的に最強の政治形象ではなく、なるほど軍事力を用いて自分たちの政治的自律を達成し、維持することはできても、それ以上に政治的軍事的に拡張をとげる道は、農村に城砦を構えた封建騎士・貴族によっても、国王権力によっても、遮られていました。封建制の文化は、市民的営利を貶価し、市民の富の「貴族化」を阻止しました。まさにそれゆえ、西欧中世内陸都市の市民層は、(政治的にでなく) 経済的に拡張をとげる道、すなわち、周辺の農村に市場圏を拡げ、農民を荘園領主制から解放しつつ、初期 (産業) 資本主義的経営の軌道に沿って進んだのです。

 富裕となった市民層は、やがて「身分制 [等族] 国家」の一角に「第三身分」として食い込み、封建貴族にたいしては国王と共同戦線を張って、そのかぎり国王とも対抗的に提携し、戦費を用立てたりもします。しかし、その見返りとして、自分たちの利害関心にしたがい、中世都市の合理的所産(自律的な法制定、相対的に形式合理的な裁判、有給官吏による行政、貨幣鋳造などの諸様式/諸技術)を国王が採用し、中央の裁判所や行政官庁に拡大的に制度化していくように仕向け、他方では市民層出自の法律家を中央官庁に送り込み、その方向で国王を輔佐させます。そのようにして、国王の家産官僚制が、(封建貴族によって分割「専有」された支配権をもういちど「奪回」し、一手に掌握しなおそうとする局面で) 近代官僚制へと脱皮する道を開き、促進もしました。ところが、ほかならぬその過程で、各都市ごとの政治的自律は、発展的に解消されることになります。ちょうどそこのところで、「旧稿」の叙述も、8. e)近代国家の発展」に引き渡される予定だったでしょう。ですから、8.c)を中に挟んで、8.a)8.b) はその条件8.e) はその帰結にかんする叙述、ということになります。

 というわけで、「旧稿」の叙述は、なるほど「一般化」的「法則科学」ではありますが、けっして「価値関係」と無縁ではなく、「なぜ西洋文化圏にのみ、近代国家、近代資本主義など、独自の『合理性』を帯びる文化諸形象が自生的endogenに発生してきたのか」という問題設定にもとづき、そうした発展を可能にした諸要因の「布置連関Konstellation」に焦点を合わせて、必要/不可欠の類型概念法則的知識を、系統立って定式化しています。なるほど、「都市」篇が「支配社会学」に編入されている事実は、「前後参照指示」のネットワークによっても確証できます。しかし、そのうえで、その編入が偶然ないし外的ではなく、「支配社会学」の内容的体系構成に内的に編入され、独自の位置価をそなえた環をなしている関連事実は、以上のとおり、「体系的systematisch」方法によっても立証されるのです。

 ヴェーバーの見るところ、近代資本主義/近代国家といった特殊「合理的」な文化諸形象への自生的発展の有無という一点にかけて、諸文化圏の歴史的運命を分けた主要な要因は、宗教性と「『支配』の内的構造形式 die inneren Strukturformen der "Herrschaft "(MWGA, Ⅰ/22-4: 441; WuG: 378; 武藤他訳: 332) とに絞られます。とすると、西洋中世に見られる、そうした「『支配』の内的構造形式」とは、いま取り上げた「布置連関」を指しているといえましょう。「騎士対祭司の対抗軸」を抽象的に取り出してきて実体化するようなやり方ではなく、こうした「内的構造形式」「布置連関」を突き止め、そのなかで「騎士」層や「祭司」層がそれぞれどういう相補的対抗関係におかれ、それぞれどういう位置価を帯び、どういう機能を果たすか、と問うていくのが、ヴェーバーの方法です。わたくしたちは、「旧稿」テクストへの沈潜をとおして、そういう方法をこそ、会得していきたいと思います。

200637日記、つづく