第一部会第二報告レジュメ(改訂版)および引用資料集――3. 1718京都シンポヴウムに向けて(8)

 

報告レジュメ(改訂版)

Die massgebende Bedeutung des Kategorienaufsatzes für das "Vorkriegsmanuskript" von "Wirtschaft und Gesellschaft"――Eine positive Auseinandersetzung mit Wolfgang Schluchter

Hiroshi Orihara

. Punkte, in denen Orihara mit Schluchter übereinstimmt:

1.     Stellungnahme zum Tenbrucks "Abschied": Abweisung der "ein Buch in

zwei Bänden"-Konstruktion und positive Rekonstruktion der Texte

2.     Authentizität und Gültigkeit der "Disposition von 1914" als eines

wichtigsten Massstabes

3.     Wechselseitig ergänzende Anwendung der "werkgeschichtlichen",

philologischen" und "systematischen" Methode

4.     "Die Wirtschaft und die gesellschaftlichen Ordnungen und Mächte"

  als einzig richtiger Titel

. Ein noch nicht übereingestimmter Punkt:

1.     Einige methodischen Verschiebungen

2.     Ein inhaltlicher Streitpunkt: die massgebende Bedeutung der Grundbegriffe vom Kategorienaufsatz für das "Vorkriegsmanuskript"

3.     "Multi-Schichtigkeit" des Textes bedeutet nicht notwendig "Desintegriertheit" desselben.

4.     Kritik an Stammler und der Begriff "Einverständnis"

5.     Die Grundbegriffe des Kategorienaufsatzes: nicht nur "Einverständnis" und seine Konposita, sondern die "Rationalisierungs"-Skala des "Gemeinschaftshandelns" oder der "gesellschaftlichen Ordnungen":

vorgemeinschaftliches "gleichartiges Massenhandeln" (Sitte)

amorphes oder einfaches Gemeinschaftshandeln

an nicht gesatzter, einverständnismässig als "gültig" angesehener

 Ordnung (Konvention) orientiertes Gemeinschaftshandeln = Einverständnishandeln

an gesatzter Ordnung (Recht : als deren durch "Zwangsapparat"

 garantierter Spezialfall) orientiertes Gemeinschaftshandeln =

Gesellschaftshandeln (vergesellschaftetes Handeln)

6.    Im Text von: "Herrschaftssoziologie" finden sich drei Anwendungsfälle der Termini: "Einverständnisgemeinschaft", "Einverständnis" und "Einverständnishandeln". [MWGA,Ⅰ/22-4: 274, 408, 412; WL: 470]

7.     Im Text von: "Herrschaftssoziologie" findet sich ein Rückverweis auf Kategorienaufsatz in bezug auf "Entleerung der Ideen als Begleiterscheinung der Rationalisierung". [Ⅰ/22-4: 482; WL: 472-3, 434-5]

8.     Im Text von "Religionssoziologie" findet sich ein Anwendungsfall des dem Kategorienaufsatz eigentümlichen Begriffes "Vergesellschaftung" in bezug auf "Gemeinde"; Exkurs: Webers Begriff der "Gemeinde" im "Vorkriegsmanuskript". [Ⅰ/22-1: 125; Ⅰ/22-2: 194-5, 196, 197, 198, 199, 240-1; Ⅰ/22-4: 279-80; Ⅰ/22-5: 72, 109]

9.     Im Text von: "Wirtschaftliche Beziehungen der Verbände im allgemeinen" findet sich ein Anwendungsfall des dem Kategorienaufsatz eigentümlichen Schemas: "Vergesellschaftung stiftet übergreifende Vergemeinschaftung", und noch dazu ein Rückverweis auf Kategorienaufsatz. [Ⅰ/22-1: 91-2; WL: 460-1]

10. Andere Fälle [Ⅰ/22-1: 175]

Schluss: Die Grundbegriffe des Kategorienaufsatzes haben in der "zweiten Phase" vom Ende 1912 bis Mitte 1914 ihre massgebende Bedeutung nicht verloren.

[Menger, Carl, Untersuchungen über die Methode der Socialwissenschaften, 1883, Leipzig: Duncker & Humblot: 157 Anm. 51; WL: 35 Anm. 1]

 

 

『経済と社会』「戦前草稿」にたいするカテゴリー論文の規準的意義

   ――ヴォルフガンク・シュルフターとの積極的対決――

折原 浩

. 折原がシュルフターと意見一致する諸点:

1.    テンブルック「『経済と社会』との訣別」への対応: 第一/二次編纂の「二部構成」は棄却したうえで、テクストを積極的に再構成する。

2.    そのさい、もっとも重要な一規準として「戦前草稿」にたいする「1914年構成表」の信憑性と妥当性を認める。

3.    「作品史的」「文献学的」「体系的」方法を相互補完的に適用する。

4.    『経済と社会』ではなく『経済と社会的秩序ならびに勢力』を、唯一の正しい表題とする。

. 折原がシュルフターとなお意見一致しない一点:

1.    方法上の若干のズレ

2.    内容上の争点: カテゴリー論文 (の基礎概念) の規準的意義: シュルフターは、1912年末から1914中葉にかけての「第二局面」(「宗教社会学」「支配社会学」「団体の経済的諸関係一般」執筆) では失われたとするが、折原は、失われていないと見る。

3.    テクストの「多層性」は必ずしもその「不統合」を意味しない。

4.    シュタムラー批判と「諒解」概念

5.     カテゴリー論文の基礎概念――「諒解」とその合成語だけではなく、「ゲマインシャフト行為ないしは『社会的秩序』の『合理化』尺度」:

 Ⓐゲマインシャフト行為以前の「同種の大量行為」(習俗)

 Ⓑ無秩序ないし単純なゲマインシャフト行為

 Ⓒ制定されず、諒解にしたがって「妥当」とみなされる秩序 (慣習律) に準拠

  するゲマインシャフト行為諒解行為

 Ⓓ制定された秩序 (:「強制装置」によって経験的妥当を保障された特例) に準拠

  するゲマインシャフト行為ゲゼルシャフト行為

  6.「支配社会学」への「諒解」とその合成語の適用例 [引用資料1.4.]

  7.「支配社会学」の一論点:「合理化にともなう没理念化」に、カテゴリー論文への前出参照指示 [引用資料5.7.] 

8.「宗教社会学」の一論点(「ゲマインデ」)に、「ゲゼルシャフト結成」概念がカテゴリー論文に特有の意味で適用;

 補論:「戦前草稿」におけるヴェーバーの「ゲマインデ」概念 [引用資料8.18.]

9.「団体の経済的諸関係一般」の一論点:「ゲゼルシャフト結成に随伴するゲマインシャフト形成」に、カテゴリー論文に特有の図式が適用され、しかもカテゴリー論文への前出参照指示が付されている。 [引用資料19.20.]

10. その他の諸例 [引用資料21.]

結論: カテゴリー論文の基礎概念は、「第二局面」でも、規準的意義を失ってはいない。

(その事実が確認され、「戦前草稿」全篇にカテゴリー論文が前置されて、全篇が整合的な概念的導入部にしたがって読まれるようになると、そうした「ヴェーバー社会学」の「現代的展開」として、どんな可能性が開けるか――「急ぎすぎ」て「明後日の問題」に踏み出すことになるが)[引用資料22.

 

引用資料集 

京都シンポジウム第一部会第二報告「カテゴリー論文の規準的意義」

                                                                  折原 浩

(ボールド体は著者、アンダーラインは引用者の強調。[ ]は引用者による挿入)

 

Ⅱ-6.「支配社会学」への「諒解」とその合成語の適用例: 引用資料1.4.

1.「政治的な家産制君主は通例、ひとつの諒解ゲマインシャフトEinverständnisgemeinschaftによって、被支配者と結ばれている。この諒解ゲマインシャフトは、君主が、かれ自身の意のままになる、被支配者からは独立した家産制的軍事権力を掌握しているかいなか、にかかわりなく存立し、伝統の枠内で行使される君主権力は君主の正当な権利である、という確信に支えられている。家産制君主によってこの意味で『正当にlegitim』支配されている人々を『政治的臣民,politischer Untertan』と呼ぶことにしよう。」(MWGA, I22-4: 274, WuG, 51972: 590; 世良訳Ⅰ: 174-5)

2.「いかなる授与力Oktroyierungsmachtも、具体的な人間 (予言者、王、家産制君主、家父長、長老その他の 名望家、官僚、政党『指導者』、また、社会学的性格はきわめてさまざまな他の『指導者』) が、他の人間の団体行為におよぼす、その範囲や様態においてはそのつど異なる特殊な影響力――『支配Herrschaft』――にもとづいている。この影響力は、これはこれで多種多様な動機にもとづいており、いかなる様態であれ物理的ないし心理的な強制が行使される可能性もまた、その動機に含まれる。しかし、ここでもいえるのは、予想 (とくに服従者の『恐怖』) だけに準拠した諒解行為Einverständnishandelnは、比較的不安定な極限事例でしかないということである。他の事情が同じであればここでも、服従者が支配関係を自分にとって『義務づけられた』ものと主観的にもみなすがゆえにこそ服従するということが、平均的にあてにできるようになればなるほど、諒解が経験的に妥当する可能性はそれだけ高く見積もられよう。このことが平均的あるいは近似的にいえるかぎりで、『支配』は『正当性諒解 "Legitimitäts"-Einverständnisにもとづくということになる。ほとんどあらゆる団体行為のこのうえなく重要な基礎である支配の問題が、ここに登場してきたわけであるが、これは当然、ここで片づけるわけにはいかない、特別の考察対象である。というのも、支配の社会学的な分析にとって重要なのは、『正当性』諒解の主観的意味をともなうさまざまなありうべき根拠だからであり、その『正当性』諒解は、直接に脅威を与える暴力への赤裸々な恐怖によって服従が生じている以外のあらゆるばあいに、根本的に重要な仕方で支配の独特の性格を決定する。しかしこの問題は、ここでことのついでに論じ尽くせる性質のものではないから、ここから始まる社会学的な団体-アンシュタルト理論に『固有の』諸問題に取り組むという手近な試みは、ここでは差し控えなければならない」(WL: 470, 海老原/中野訳: 118-20)

3.「レーエンの譲渡には、新取得者とレーエン関係を取り結ぶことについての封主の諒解Einverständnisが必要であった。」(MWGA,Ⅰ/22-4: 408, WuG: 635, 世良訳Ⅱ: 338)

4.「『身分制 (等族) 国家 Ständestaat』が存立するということは、ただつぎのことを意味するにすぎない。すなわち、いっさいの権利・義務が契約によって保障されている結果、また、このために生じた非弾力性の結果、(権力保有者相互間の) 協定Paktierenを繰り返し締結することが避けられなくなり、そうした事態が慢性的になった――この事態は、事情次第では、明示的な『ゲゼルシャフト結成Vergesellschaftung』により、ひとつの制定秩序gesatzte Ordnungに転化されることもある――ということである。身分制国家は、レーエン保有者たちがひとつの権利仲間Rechtsgenossenschaftに結集したあと、さまざまな機縁から、しかし主要には、ステロ化されて弾力を失ったレーエン保有者・特権者の支配形象を、行政上異例ないし新たに発生した必要に適合させる一形式として成立した。……[戦費として] 巨額の貨幣を一挙に調達するには、ステロ化した封建制的-家産制的行政構造の通常の手段では、とうてい不可能である。……そうした方法はなにも用意されていなかったから、[君主は個々の特権保有者と]たえず改めて諒解しあうVerständigung必要があり、この目的のために、個々の権力保有者を、一定の秩序ある団体的結集という形で、ひとつの [制定秩序をそなえた] ゲゼルシャフト関係に組織化することeine Vergesellschaftung der einzelnen Gewaltenträger in Gestalt eines geordneten korporativen Zusammentrittsが不可避となった。そして、まさにこうしたゲゼルシャフト結成diese Vergesellchaftungから、君主との間にもゲゼルシャフト関係が締結されるようになり、特権保有者たちがそうした『身分 (等族)』をなし、さまざまな権力保有者のたんなる諒解行為 blosses Einverständnishandeln そのつどのゲゼルシャフト結成 Vergesellschaftung von Fall zu Fallから、ひとつの永続的な政治形象 [等族国家] が生まれてくることにもなったのである。」(MWGA,Ⅰ/22-4: 412, WuG: 637, 世良訳Ⅱ: 346-8)

Ⅱ-7.支配社会学」の一論点 (「合理化にともなう没理念化」) に、カテゴリー論文への前出参照指示: 引用資料5.7.

5.すでに前段で見たwir haben früher gesehenとおり [参照指示Nr. 474]合理化はつぎのように進展する。すなわち、広範な被指導者大衆は、かれらの利益に役立つような、外的また技術的な諸結果だけを取り入れ、あるいは、そうした諸結果にのみ適応していく (われわれが九九を「覚え」、あまりにも多くの法律家が法技術を「覚える」ように)。ところが、そうした諸結果を創造した人々の『理念』内容は、かれらにとってはどうでもよい。合理化と合理的『秩序』は『外部』から"von aussen" her革命する、というのは、まさにこのことを意味している。」(MWGA,Ⅰ/22-4: 482, WuG: 658, 世良訳Ⅱ: 412-3)

6.「アンシュタルトであれ結社であれ、あるゲゼルシャフト関係の合理的秩序は、第一の人々によって、かれらの間でもひょっとするときわめてさまざまに考えられている特定の目的のために、授与oktroyierenされるか『提唱suggerieren』される。第二の人々、すなわち、ゲゼルシャフトの『機関Organen』によっては、必ずしもそれが作られた目的を知ってではないが、多少とも同じように主観的に解釈され、積極的に実施される。第三の人々によっては、かれらの私的な目的にどうしても必要なかぎりで、それも普通の実施の仕方からはさまざまに隔たりながら、主観的に知られ、(合法的または非合法的な) 行為の準拠手段とされる。というのも、そうした合理的秩序が、他者の (『機関』の、またアンシュタルト構成員や結社構成員の) 行動にかんする特定の予想を引き起こすからである。しかし、第四の人々、すなわち『大衆』となると、合理的秩序の平均的に理解された意味になにほどか近似的に一致する行為を、いうなれば『伝統的』に身につけ、たいていは秩序の意味や目的を、さらにはその存在さえもまったく知らないままに、遵守しつづける。したがって、ほかならぬ『合理的』秩序の経験的『妥当』が、重点としては、これまたふたたび、習慣となったもの、馴れ親しんだもの、教え込まれたもの、いつも繰り返されるものには服するという諒解Einverständnisのうえに成り立つことになる。人々の行動は、その主観的な構造に即してみると、意味とのかかわりをまったく欠く、多少とも一様な大量行為gleichmässiges Massenhandelnの類型に、しばしばきめめて近い。したがって、社会の分化と合理化の進展が意味するのは――必ずいつもというわけではないとしても、結果においてはまったく通常のばあい――、合理的な技術や秩序にじっさいにかかわる人々が、その合理的な基礎から、全体としてみればますます引き離されてくるということであって、かれらには総じて、『未開人』に呪術師の呪術的手続きの意味が隠されているのと同じように、その合理的基礎が隠されているのが通例である。」WL: 472-3, 海老原/中野訳: 123-5

7.「しかし、ある行為の現実の経過が、事実上整合型にきわめて接近すること、すなわち、事実上の客観的な整合合理性は、行為者の主観における目的合理的な行為――つまり、一義的に意識された目的と『適合的なもの』として意識的に選択された手段とに準拠している行為――に必ず一致するというわけではけっしてない。周知のとおり、今日の理解心理学的研究のきわめて重要な部分はまさに、まったく、あるいは不十分にしか意識されておらず、それゆえこの意味では主観的に合理的に準拠しているとはいえないが、それにもかかわらず事実上、客観的にはきわめて『合理的』に理解できる脈絡をたどる諸連関を究明することに向けられている。こうした性格をそなえているいわゆる精神分析学の業績の一部には、ここではまったく触れないとしても、たとえばニーチェのルサンチマン論のような理論的構成も、外的/内的な行動がもつ――理解できる理由から『自認されない』がゆえに、不十分にしか、あるいはまったく意識されない――客観的合理性を、利害状況のプラーグマから導き出すような解明を含んでいる。ちなみに、これはまさに、この点にかけてはルサンチマン論に何十年も先立つ経済的唯物論の理論がおこなったのと(方法的には)同じ意味のことである。ところで、このような理論においては、もとより往々にして、それと気づかれてはいないとしても、主観的に目的合理的なものと、客観的に整合合理的なものとが、必ずしも明瞭には区別されない関係に置かれている。しかし、この関係には、ここではこれ以上立ち入るまい。ここでは、『理解』において『たんに心理的なもの』がつねに孕む問題とその限界とを、素描風に(それゆえ不正確にもなるが)示すことだけが問題であった。一方には、一見するとまったく目的非合理的な行動が、気づかれていない(『自認されていない』)が相対的にはかなりの合理性をそなえていて、その合理性のゆえに『理解できる』というばあいがある。他方には、いくらでも(とりわけ文化史から例を引いて証明できるつぎの事実がある。すなわち、一見したところでは直接目的合理的に規定されたように思われる現象がじつは歴史的にはまったく非合理的な動機から生み出されその後生活諸条件の変化がそれに高度の技術的整合合理性をあてがって増大させる結果となりそれゆえに適合的なものとして生き残りしばしば普遍的に見られるようにもなった、という事実である。」WL: 434-5, 海老原/中野訳: 25-6

Ⅱ-8.「宗教社会学」の一論点 (「ゲマインデ」) に、「ゲゼルシャフト結成」概念がカテゴリー論文に特有の意味で適用;

   「旧稿」における「ゲマインデ」概念: 引用資料8.18.

8.「予言が成功すると、予言者は永続的な助力者を獲得する。この助力者は、仲間内、子弟、従者、使徒などと呼ばれ、ツンフトや官職位階制にゲゼルシャフト結成されたvergesellschaftet祭司や占い師とは対照的に、まったく個人的に予言者に帰依する。この [予言者と助力者との] 関係については、支配形態の決疑論を構成するさいに、なにほどか論及するであろう [参照指示Nr. 95]……さらに、かれら助力者のほかにも、予言者に宿舎や金銭や労役を提供して支援し、予言者の伝道から自分たちの救いを期待する帰依者のサークルが生まれる。かれらはかれらで、もっぱらそのつど臨機的な行為に結集するだけか、あるいは、持続的に、ひとつのゲマインデGemeinde [教団] ゲゼルシャフト結集されるばあいもある。この宗教的な意味における『ゲマインデ』は、経済的財政的あるいはそれ以外の政治的な理由でゲゼルシャフト結成される近隣団体aus ökonomischen, fiskalischen oder anderen politischen Gründen vergesellschafteter Nachbarschaftsverbandとならぶ、ゲマインデの第二範疇die zweite Kategorieである。それは、ここで確定した意味における予言にのみ出現するのではなく、他方、どんな予言にも発生するというわけではない。およそ宗教的な意味におけるゲマインデは、予言のもとでは、日常化の産物としてようやく発生する。すなわち、予言者自身か予言者の子弟たちかのどちらかが、宣教と恩恵授与を継続的に存続させ、したがって恩恵授与とその管理者の経済的存立ökonomische Existenzをも持続的に確保し、それによって義務を負わされる者たちに権利をも独占するようになって、初めて成立するのである。」(MWGA,Ⅰ/22-2: 194-5, WuG: 275, 武藤他訳: 83)

9.「近隣ゲマインシャフトは、『ゲマインデ』の原生的基礎urwüchsige Grundlageである。[ちなみに] この [ゲマインデという社会] 形象は、後段で論ずるとおり [参照指示Nr. 36]、十全な意味では、数多の近隣団体を包摂する政治的ゲマインシャフト行為と関係づけられて初めて創成されるerst durch die Beziehung zu einem, eine Vielzahl von Nachbarschaften umgreifenden politischen Gemeinschaftshandeln gestiftet wird。」(MWGA,Ⅰ/22-1: 125, WuG: 217, 厚東訳: 565)

10.「模範予言のばあいには、事情が異なる。模範予言者は、自分個人を範例として、ひとつの救いの道を教示する。この範例に無条件にしたがう者――たとえば、マハーヴィーラや仏陀にしたがう托鉢僧――のみが、狭い範囲の『模範』教団"exemplarische" Gemeindeに属し、その内部では、予言者と個人的に結ばれた弟子たちが、特別の権威を帯びるばあいもある。しかしこの『模範』教団以外にも、敬虔な信徒(インドでは『優婆塞Upasakas』と呼ばれる)がいて、自分自身では完全な救いへの道を歩むことはできないが、模範的な聖者にひたすら献身して、相対的に最善の救いに到達しようとする。かれらは、仏教の『優婆塞』が本源的にはそうであったように、およそいかなる永続的ゲマインシャフトも形成しないjeder dauernden Vergemeinschaftung entbehrenか、あるいは、かれらもまた、なんらかの形で、明確な権利と義務をそなえたゲゼルシャフト結成態に編入されるmit festen Rechten und Pflichten vergesellschaftetか、どちらかである。こうしたゲゼルシャフト結成は、祭司や祭司に類する牧者や秘教者 [密儀師] が、仏教の坊主のように、模範教団から分離して、祭祀にかんするさまざまな義務 (最古の仏教は、そうしたものを知らなかったが) の執行を委ねられるときには、きまって生ずる。しかし、通例は、自由な臨機的ゲゼルシャフト結成freie Gelegenheitsvergesellschaftungどまりである。こうした状態は、大多数の秘教者や模範予言者と、ひとつの万神殿にゲゼルシャフト結集された個々の神々を祀る寺院祭司とに、共通に見られるものである。」(MWGA,Ⅰ/22-2: 196, WuG: 276, 武藤他訳: 84-5)

11.「しかし、このような [帰依者が「浮動票」に比すべき「臨機的平信徒Gelegenheitslaie」にとどまっている] 状態は、当然のことながら、すでにもっぱら経済的な観点からも、祭祀を執り行う者の利害関心とはおよそ一致しない。それゆえかれらは、ことあるごとに、教団形成に移ろうとする。すなわち、帰依者たちを組織化して、明確な権利と義務をそなえた持続的なゲゼルシャフト結成態に移行しようzur Gemeindebildung, d. h. also zu einer dauernden Vergesellschaftung der Anhängerschaft mit festen Rechten und Pflichten überzugehenとする。というわけで、個人的帰依者層がひとつのゲマインデに編成されて変形をとげることは、予言者の教説が日常生活に入り込み、ひとつの恒常的な制度の機能となるさいの、正常な形式なのである。いまや、予言者の弟子ないし使徒は、もっぱら宗教的な目的に仕えるゲゼルシャフト結成態、すなわち平信徒教団Laiengemeindeの秘教者、教師、祭司ないし牧者 (あるいはこれらすべてもの) となる。」(MWGA,Ⅰ/22-2: 197, WuG: 276-7, 武藤他訳: 85-6)

12.「別の出発点から、同じ結果に到達するばあいもある。……政治団体お抱えの祭司層からゲマインデへの移行は、最初の大規模な例としては、西南アジアにおける世界帝国、とりわけペルシャ帝国の成立と結びついていた。政治団体は絶滅され、住民は武装解除されたが、祭司層は、一定の政治的権能を与えられ、地位を保障された。財政上の利益を確保するために近隣団体から強制ゲマインデがつくられるのに似て、ここでは宗教ゲマインデが、被征服民の馴致手段として利用されたのであるAhnlich, wie die Zwangsgemeinde aus dem Nachbarschaftsverband zur Sicherung fiskalischer Interesse, so wurde hier die religiöse Gemeinde als ein Mittel der Domestikation der Unterworfenen verwertet.。」(MWGA,Ⅰ/22-2: 198, WuG: 277, 武藤他訳: 86-7)

13.「政治権力と宗教ゲマインデとの関係は、……『支配』の分析に属する。ここでは、『教団宗教性Gemeindereligiosität』が、けっして一義的とはいえない特徴をそなえた、不安定な現象であることを、確認すれば足りる。われわれは、平信徒が、1. ひとつの持続的なゲマインシャフト行為にゲゼルシャフト結成され、しかもかれらが、その経過に2. 能動的にもはたらきかけているばあいwo die Laien 1. zu einem dauernden Gemeinschaftshandeln vergesellschaftet sind, auf dessen Ablauf sie 2. irgendwie auch aktiv einwirkenにのみ、教団宗教性の存立について語りたいと思う。」(MWGA,Ⅰ/22-2: 199, WuG: 277, 武藤他訳: 88)

14.[イギリスの]国王は、裁判や行政に必要な給付を、集団責任をともなう強制団体Zwangsverbände mit Kollektivpflichten を形成することによって確保した。これは、中国法/ヘレニズム法/後期ローマ法/ロシア法/その他の諸法にも知られていた強制団体と、原理的には類似のものであった。地方団体Gemeindeはもっばら、国王行政のためのライトゥルギー的義務団体という意味でだけ存在し、たんに国王による特権授与や寛容によってのみ、その権利を享有したにすぎない。」(WuG: 435, 世良訳法: 231)

15.「家産制君主が臣民の給付を確保する仕方には、支配の他の諸形態のそれに類似した点もあるが、独自の特色も認められる。とりわけ首長の政治的/経済的要求をライトゥルギー的に充足する仕方は、確かにもっぱら家産君主制にのみ固有なものとはいえないが、しかし家産君主制において最高度に発展をとげている。ライトゥルギー的需要充足の形式と作用は、さまざまでありうる。ここでわれわれの関心を引くのは、それを源泉として発生する臣民のゲゼルシャフト結成 Vergesellschaftungen der Untertanenである。首長にとって、需要充足をライトゥルギー的に組織することOrganisation der Bedarfsdeckungは、つねに、首長にたいして負担された諸義務を、それについて責任を負う他律的heteronomな、またしばしば他首的heterokephalな団体Verbändeを設定することによって確保するということを意味する。ちょうど氏族が、氏族成員の債務について責任を負うように、いまやこれらの団体が、君主にたいして、すべての個々人の諸義務について責任を負うわけである。じじつ、たとえばアングロサクソンでは、首長が依拠した最古の団体は氏族であった。氏族が、首長にたいして、氏族成員の服従を保証する義務を負ったのである。それとならんで、村落住民の政治的/経済的諸義務については、村落員の連帯責任が成立した。ここからして、その帰結として、村落への農民の世襲的拘束が生じうるし、また、土地保有への個々人の参与権が、これによって、土地利益の産出に参加する義務と化し、かくして支配者にたいして負担する諸貢租確保のための意味をももつ義務になる、ということも生じえた。これらの点については、まえに見たとおりである[参照指示Nr. 407]

さて、ライトゥルギー的確保のもっとも徹底した形態は、農民をその機能に世襲的に拘束する仕方を、他の職業団体Berufsverbändeにも拡張することである。いいかえれば、首長によってこの目的のために創始された、あるいは正当に存在しているものとして承認されかつ義務づけられた、ツンフト/ギルド/その他の職業団体Berufseinungenをして、その成員の特殊な賦役や貢租について、責任を負担させる形式である。首長は、その代償として、しかしとりわけ給付能力を維持するというかれ自身の利益のために、これらの団体の成員に、当該産業経営の独占を認め、また、人格も財産も含めて個々人とその相続人とを、団体成員の地位に拘束するのが通例である。」(MWGA,Ⅰ/22-4: 279-80, WuG: 592, 世良訳Ⅰ: 184-5)

16.「さて、とくに西洋においては、教団宗教性が通例、都市の中-ないし小市民層と緊密に結びついていたが、その自然な根拠は、まず、西洋都市の内部における血縁団体とくに氏族の相対的な衰退に求められよう。個々人は、その代替物を、西洋でもなるほど祭祀団体ではあったがもはやタブーの意義はもたなくなっていた職業団体と、それとならんでは、自由に創始される宗教的ゲマインシャフト形成frei geschaffene religiöse Vergemeinschaftungenとに、見いだすのである。ところが、この後者とのかかわりは、たんなる都市生活そのものの経済的特性からおのずと決定されるのではない。むしろ、容易に看取されるとおり、往々にしてその逆である。中国では、祖先崇拝の排他的意義と氏族外婚制が、個々の都市在住者を、いつまでも氏族と郷里の村落に縛りつけていた。インドでは、宗教的なカースト・タブーが、都市的な入植地でも田舎とまったく同様に、救済を約束する教団宗教性の発生を妨げたし、そうした教団宗教性が発生してもその意義を制限していた。この両文化圏においては、宗教的な契機が、すでに見たとおり [参照指示、補遺Nr. 11]、都市がひとつの『ゲマインデ』に発展するのを、村落が『ゲマインデ』に発展する以上に、顕著に阻止したのである。」(MWGA,Ⅰ/22-2: 240-1, WuG: 293-4, 武藤他訳: 127)

17.「確かに、都市の経済政策の担い手が君侯Fürstであり、都市とその住民とが、支配の対象として、かれの政治的支配領域に所属している、というようなこともありうる。このようなばあいには、都市経済政策なるものは――そもそもそうしたものを問題にしうるとして――、都市のためにおこなわれはするが、都市によっておこなわれるのではない。しかし、必ずしも君侯が、都市経済政策の担い手であるとはかぎらない。また、君侯が都市経済政策の担い手であるようなばあいにおいても、なおかつ都市は、なんらかの範囲で自律権をもった団体autonomer Verband、特別の政治的/行政的制度をそなえた『ゲマインデ』"Gemeinde" mit besonderen politischen und Verwaltungseinrichtungenとして考察されなけれならない。」(MWGA,Ⅰ/22-5: 72, WuG: 732, 世良訳都市: 25)

18.「中国には族外婚/フラトリア内婚制の氏族があり、インドには――家産制的国王とバラモンとの勝利以後は――氏族のほかに、内婚制をとり、タブーによって排他的に閉鎖された諸カーストがあった。これらによって、都市市民がひとつのゲゼルシャフト結成態Stadtbürgervergesellschaftung――すなわち、一般的な宗教的/市民的同権、通婚権、食卓の共同、対外的連帯を基礎とするゲゼルシャフト――に結集する可能性が、ことごとく阻止された。」(MWGA,Ⅰ/22-5: 109, WuG: 744, 世良訳都市: 83) 

Ⅱ-9.「団体の経済的諸関係一般」の一論点 (「ゲゼルシャフト結成に随伴するゲマインシャフト形成」) に、カテゴリー論文に特有の図式が適用され、しかもカテゴリー論文への前出参照指示が付されている。引用資料 19.20.

19.すでに前段で一般的には確定したとおりwir stellten schon früher allgemein fest [参照指示Nr. 24]、純然たる自発的加入にもとづく目的団体Zweckverbandはほとんどすべて、その [制定秩序に準拠した] ゲゼルシャフト行為によって目指される第一次的成果の範囲を越えて、ばあいによってはまったく異質な成果を目指すゲマインシャフト行為の基盤ともなる諸関係を、関与者の間に創成 stiftenするのがつねである。つまり、ゲゼルシャフト結成は通例、その『目的の範囲を越えるübergreifend』ゲマインシャフト形成 Vergemeinschaftungをともなう。

もとよりこれは、ゲゼルシャフト結成の、ある一部のばあいにかぎられる。すなわち、そのゲマインシャフト行為が、もっぱら実務的な接触に止まらず、なにほどかは『個人的なpersönlich』社交上の関係にまでおよぶことを前提としているばあいである。たとえば『株主』の資格を取得するには、一個人としての人柄が考慮されることはなく、通例は共同出資者の認知や承認を待たず、株式にかんする経済的な交換行為さえおこなえば足りる。これと同じことが、純形式的な要件をみたし給付をはたすだけで加入を認め、個々人の人柄の審査は断念している、すべてのゲゼルシャフト結成についてもいえる。ある種の純然たる経済ゲマインシャフトreine Wirtschaftsgemeinschaftと、純政治的な目的をそなえた結社Vereine mit rein politischem Zweckにおいては、とくにそうである。しかも一般に、そうした結社の目的der Zweck der Vereinigungが特化され、合理化されればされるほど、人柄のいかんを問わないことが通例となる。

とはいえ、ゲゼルシャフト結成には、一方では加入認可のさい、あからさまあるいは暗黙裡に、特定資格の取得を前提として要求し、他方ではそれとならんで、通例その目的の範囲を越える、上記のようなゲマインシャフト形成をともなうものが、きわめて多い。当然ながら、当のゲマインシャフトの構成員が、新規加入の認可のさい、申請者の人柄を受け入れられるかどうかの審査と同意を条件とするばあいには、殊にそうである。そういうばあい、個々の加入者は、少なくとも通例、かれの機能や、当該団体の明示的な目的にとって本質的な給付能力についてだけではなく、その『存在Sein』についても、すなわち、かれの人柄全体の価値評価Wertschätzung seiner Gesamtpersönlichkeit についても、他の構成員から審査されることになる。個々のゲゼルシャフト結成態を、こうした選択の契機がはたらいている度合いにしたがって分類するようなことは、ここでの課題ではない。ただ、きわめて多種多様なゲゼルシャフト結成態に、そうした契機が存立している事実を確認すれば、ここでは十分である。たとえば、宗教上のゼクテ、社交上の結社 gesellschaftlicher Verein、戦士の結社Kriegerverein、はてはボーリング・クラブでさえ、通例、他の構成員から非難されるような人物の加入は認めない。

まさにそれゆえ、加入を認められた者は、対外的に、第三者にたいして、当該団体の目的にかかわる資格の範囲をはるかに越えて、人柄ないし行状の審査に耐えた者として『正当化legitimieren』される。さらに、そうしたゲマインシャフト行為に関与する団体仲間間には、同じく限定された目的の範囲をはるかに越えて有利にはたらく諸々の関係 (『コネKonnexionen) も派生する。そのため、やがては、当の結社/団体目的にはまったく無関心でいながら、[第三者から信用を獲得し、拡大していく手段として] もっぱらそうした『正当性』や『コネ』のもたらす経済効果を求め、宗教上/政治上その他の団体や学生組合に加入することが、日常茶飯事としておこなわれるようにもなる。」(MWGA,Ⅰ/22-1: 91-2, WuG: 205, 厚東訳: 539-41)

20.「諒解行為からゲゼルシャフト行為への移行Uebergangは、もとより流動的flüssig[漸移的]である。ゲゼルシャフト行為とは、諒解行為のうちで、制定律によって秩序づけられた特例をなすにすぎない。……ある「支配」が、合理的秩序と官吏とからなる装置をそなえたばあい[には、ゲゼルシャフト関係に移行する]。それとは逆に、ほとんどあらゆるゲゼルシャフト結成Vergesellschaftungからは、通例、その合理的な目的の範囲を越える(『ゲゼルシャフト関係に制約されたvergesellschaftungsbedingt』)諒解行為が、ゲゼルシャフト関係にある人々の間に発生entspringenする。どんなボーリング・クラブでも、メンバー相互間の振る舞いについて『慣習律的konvontionell』な帰結をもたらす。つまり、ゲゼルシャフト関係の枠外にあって、『諒解』に準拠してなされるようなゲマインシャフト行為を創成stiftenするのである。」(WL: 460-1, 海老原/中野訳: 96-7)

Ⅱ-10. その他の諸例:「合理的な政治的ゲゼルシャフト結成」による「種族的ゲマインシャフト関係」の創成/解釈替え:

    引用資料 21.

21.(ここでいう意味の)種族的共属性ethnische Gemeinsamkeitは、それ自体としてゲマインシャフトをなすわけではなく、ゲマインシャフト形成を容易にする一契機ein die Vergemeinschftung erleichterndes Momentにすぎない。それは、ありとあらゆるゲマインシャフト形成、とりわけ……政治的なゲマインシャフト形成を促進する。他方、政治ゲマインシャフトのほうも、たとえそれがいかに人為的に構成されても、通例、種族的共属性信仰を喚起する。そしてこの信仰は、当の政治ゲマインシャフト自体が崩壊した後々までも生き延びるものである。ただし、習俗と容姿、とりわけ言語の違いが深甚にすぎると、そうはいかないこともある。

 種族的共属性への信仰が、このように『人為的künstlich』に創成されることは、合理的なゲゼルシャフト結成が個人的なゲマインシャフト関係に置き換えて解釈されるという、われわれによく知られた図式 [参照指示Nr. 55] に、完全に一致している。合理的に即物化されたゲゼルシャフト行為がまだ普及していない条件のもとでは、ほとんどすべてのゲゼルシャフト結成が、もっぱら合理的に創出されるゲゼルシャフト結成もまた、『種族的』共属性信仰を基礎とする個人的な兄弟盟約の姿をまとって、ゲゼルシャフト結成目的の範囲を越えるübergreifendゲマインシャフト意識を喚起するのである。……イスラエルの12部族は、輪番で月々特定の給付を引き受ける政治ゲマインシャフトの支分単位であった。ギリシャにおける [軍隊編制の地域的部族単位] フューレーとその支分 [フラトリア] も同様で、[原則として一フューレーは三フラトリアイから、一フラトリアは三十ゲネーから、合理的に編制されたが]、徹頭徹尾、血統を共有する種族に見立てられた。それに比して、ローマの旧い図式的な支分 (クーリエ) は、宗教的意義を帯びたり、種族に由来するかのように装われたりすることが、少なかった。ローマにおける政治ゲマインシャフト形成が、いっそう合理化されていたからである。」(MWGA,Ⅰ/22-1: 175, WuG: 237)

結論

ヴェーバーがカール・メンガーから継受し、カテゴリー論文で敷衍、展開した一視点: 引用資料22.

22.「自然現象の精密的な理論的解釈の帰着しなければならない最後の要素は、『原子』と『力』とである。ところが両者とも非経験的な性質のものである。……このことから、自然現象の精密的理解には、けっけょくのところ、まったく大変な困難が生まれる。だが、精密社会科学では、そうではない。ここでは、われわれの分析の最後の要素である人間諸個人とその諸努力die menschlichen Individuen und ihre Bestrebungenとは、経験的な性質をそなえており、したがって精密的な理論的社会科学は、精密的な自然科学にくらべてずっと有利である。……したがって、Aコントが、『社会』を現実的な有機体、しかも自然的有機体よりもいっそう複雑な有機体として理解し、その理論的解釈を、比較にならないほどずっと複雑で、ずっと困難な、科学的問題であるとしているとき、かれは重大な誤謬に陥っている。」(Menger, Carl, Untersuchungen über die Methode der Socialwissenschaften, 1883 Leipzig: Duncker & Humblot: 157 Anm. 51, 吉田昇三訳『経済学の方法』、1986、日本経済評論社: 145-6 51)

 

引用邦訳・略記一覧

 厚東訳=厚東洋輔訳「経済と社会集団」、尾高邦雄編『ヴェーバー』世界の名著501975中央公論社: 485-598

 世良訳法=世良晃志郎訳『法社会学』、1974、創文社

 世良訳都市=世良晃志郎訳『都市の類型学』、1964、創文社

 世良訳Ⅰ=世良晃志郎訳『支配の社会学』Ⅰ、1960、創文社

 世良訳Ⅱ=世良晃志郎訳『支配の社会学』Ⅱ、1962、創文社

 武藤他訳=武藤一雄/薗田宗人/薗田坦訳『宗教社会学』、1976、創文社

 海老原/中野訳=海老原明夫/中野敏男訳『理解社会学のカテゴリー』、1990、未來社