第一部会第二報告草案 (2006228日現在)――3. 1718京都シンポジウムに向けて(7)

折原浩

.折原がシュルフターと意見一致する諸点

1.テンブルック「『経済と社会』との訣別」への対応

 ヴェーバーの『経済と社会』は、「全体としては読まれない古典」でした。全体が見通しにくいので、「二部構成(の一書)ein Buch in zwei Bänden」という誤った編纂がなされ、翻ってはこの誤編纂のためにますます全体が読めない、という「悪循環(原因と結果との互酬構造Reziprozitätsstruktur」が生まれ、1970年代後半まで、疑われずにきました。

「二部構成」編纂の虚構を暴き、編纂論争の口火を切ったのはFriedrich H. Tenbruckでした。しかしかれは、『宗教社会学論集』を「主著」と見なし、『経済と社会』を貶価entwertenしました。いわば「主著」をめぐる前編纂者マリアンネ・ヴェーバーおよびヨハンネス・ヴィンケルマンとの「同位対立die korrespondierende Opposition」に陥ったのです。その結果、かれ自身は、ほかならぬかれの批判によって「二部構成」編纂から解放された『経済と社会』のテクストそのものを原著者マックスヴェーバー自身の構想に即して再構成再編纂する、という課題には、取り組みませんでした。

 それにたいして、一方では、テンブルックの批判を認めて「二部構成」編纂を棄却し、他方では、『経済と社会』もまた、ヴェーバーがかれの社会学を初めて全面的に展開しようとした体系的論策として重視し、テクストの批判的再構成/再編纂に進んだのが、シュルフター教授と、日本では折原でした。このスタンスにかけて、シュルフター教授と折原とは、基本的に一致しています。

2.1914年構成表」の信憑性と妥当性

 当のテクストは、「旧稿」「戦前草稿」(マリアンネ・ヴェーバー編の「第二/三部」、ヴィンケルマン編の「第二部」) と、戦後 (191820)、「旧稿」を素材に、根本的に改訂され、第四章冒頭までが印刷に付された「新稿」「戦後改訂稿」(両編ともに「第一部」)とに分かれます。このうち、当面の問題は、「旧稿」をどう取り扱うかにあります。「旧稿」は、1910年ころから執筆され、1914年夏の第一次世界大戦勃発によって中断され、その後、ほとんど手を加えられず、1918年から改訂の素材として使われ、それ自体としては仕上げられませんでした。その再構成/再編纂には、テクストの配列/章別編成につき、原著者自身に由来する規準が必要です。

 そうした規準として、シュルフター教授と折原は、「1914年構成表」を重視します。マリアンネ・ヴェーバーは、「1914年構成表」は「旧稿」かぎりで失効していると見て、「二部構成」全体の準拠標とはしませんでした。ところが、ヴィンケルマンは、「二部構成」編成を継承しながら、「1914年構成表」が「改訂稿」も含む全篇に妥当すると見ました。マリアンネ・ヴェーバーとの「同位対立」に陥ったのです。それにたいして、シュルフター教授と折原は、「1914年構成表」の妥当性を旧稿に限定します。ちなみに、モムゼンは、「旧稿についても、「1914年構成表」の信憑性と妥当性を否認しました。これにたいするシュルフター教授の論駁(「鍵としてのカテゴリー論文Kategorienaufsatz als Schlussel」、Individualismus: 179-89に、折原は全面的に賛同します。

3.「作品史的」「文献学的」「体系的」方法の相互補完的適用

 とはいえ、シュルフター教授も折原も、「1914年構成表」だけを、なにか「金科玉条」とするわけではありません。シュルフター教授は、テクスト再構成の方法として、①書簡資料などに依拠する「作品史的werkgeschichtlich」方法、②テクスト内の「構成指示句」「前後参照指示」「術語用例」などに準拠する「文献学的philologisch」方法、および③テクストに表現されている思想の対内的nach innen(「旧稿」内部での)また対外的nach aussen(「旧稿」以外の、たとえば方法論文献methodologische Schriftenとの)整合Koinzidenzに照準を合わせる「体系的systematisch」方法、の三つを区別し、これらを相互補完的/総合的に適用して、原著者マックス・ヴェーバーの構想に迫り、それに即したテクスト編成に到達しようとします。折原も、三方法の相互補完的適用に賛成で、この点でもシュルフター教授と基本的に一致します。

4.表題は「経済と社会的秩序ならびに社会的勢力」

 また、表題についても、「経済と社会」(モムゼン説)と「経済と社会的秩序ならびに社会的勢力」(シュルフター説)との二説があり、『全集』版では併記されていますが、折原は、シュルフター説に賛同します。そのように、シュルフター教授とは、基本的なところでも、それ以外の細かいところでも、一致点が多いのです。しかし、「一致点を確認し合あうsich der Uebereinstimmungen vergewissern」だけでは、学問は進歩しません。そこで、あえて「残された不一致点」を取り出し、シュルフター教授と討論したいと思います。

.折原がシュルフターとなお意見一致しない一点

1.方法上の若干のズレ

 まず、三方法それぞれへの力点の置き方には、若干のズレがあるように思います。折原は、三方法の区別に加えて、ⓐ「テクスト外在的指標aussertextliche Indizien」とⓑ「テクスト内在的指標innertextliche Indizien」との区別を重視します。たとえば、①関連書簡や「1914年構成表」は前者で、②「前後参照指示」「構成指示句」「術語用例」や、③テクスト内容の論理的/思想的整合性は、後者です。そして、ⓐⓑ両者の関係については、ⓐは仮説で、それだけでは「決め手」とはならず、そのつどⓑによって検証されなければならない、と考えます。たとえば、書簡の記載事項には、誤記や略記があり、「着想/構想止まり」ということもありえます。その点、同じⓐでも、「1914年構成表」のような正式に公表された構想には、それだけ責任、したがって重みがある、と見て差し支えないでしょう。いずれにせよ、ⓐから結論を引き出すまえに、たとえば構想がテクストそのものにおいて実現されているかどうか、ⓑの諸指標と「整合richtig koinzidieren」するかどうか、そのつど験されなければない、と折原は考えます。この点は、一般論としては、シュルフター教授も賛成してくださると思いますが。

 また、ⓑのうち「前後参照指示」については、「折原はそれを『王道Königsweg』とみなし、力点を置きすぎる」と、シュルフター教授から批判されています。ただ、批判の根拠が、「第一次編纂者も『前後参照指示』を書き替えているかもしれないから、信憑性に問題がある」ということでしたら (Individualismus: 180, Anm. 6)、それには反論があります。折原は、第二次編纂者のヴィンケルマンが、自分の編纂に合わせて「前後参照指示」を書き替えた事実を確認し、第一次編纂者も同じことをした可能性は拭いきれない、と考えて、「信憑性」問題を取り上げ、1994年の『ケルン社会学・社会心理学雑誌』に「信憑性論文」を発表しました。そこでは、テクスト中に、ヴェーバー著作としては異例に多い、約9%の「不整合指示」を検出したうえ、その「不整合」自体に「類型的系統性」があることを突き止め、第一次編纂者のテクスト配列替えに由来することを確認して、参照指示自体には第一次編纂者の介入はなかったろうと推認しました。

2.内容上の争点

 重要なのは、内容上の不一致です。それは、「戦前草稿」にたいするカテゴリー論文の意義をどう考えるか、という一点に集約されます。

「戦前草稿」全体の体系的構成とその統合性Integriertheit(の度合い)をどう見るか、といういまひとつの問題も、カテゴリー論文の意義と密接にむすびついています。というのも、「旧稿」全体の体系的構成も、1913年のカテゴリー論文に初めて定式化される「理解社会学verstehende Soziologie」の基礎概念のうえに成り立っている、と思われるからです。そして、当の基礎概念は、ヴェーバーが1902年から、ロッシャー、メンガー、シュタムラーらとの対決をとおして進めてきた方法論的思索の成果を初めて積極的に集約したものと考えられます。しかし、本日は、「旧稿」全体の体系的構成にまで間口を広げカテゴリー論文の規準的意義に焦点を絞ります。

 この問題についても、折原は、シュルフター教授が1998年に「マックス・ヴェーバーの『社会経済学綱要』寄稿: 編纂問題と編纂戦略 Max Webers Beitrag zum "Grundriss der Sozialökonomik: Editionsprobleme und Editionsstrategien(以下「編纂論文」と略記)を『ケルン』誌 (KzfSS 50: 327-43) に発表されるまでは、完全に意見が一致していました。すなわち、「旧稿」は、「改訂稿」冒頭の「社会学的基礎諸概念Soziologiesche Grundbegriffe」ではなく、カテゴリー論文の基礎概念にしたがって書かれているから、これにしたがって読まれるべきで、テクスト編纂としても、カテゴリー論文を「旧稿」に前置すべきである、という見解です。ところが、シュルフター教授は、1998年「編纂論文」以降、ヴェーバーの「旧稿」執筆について、ふたつの「局面Phase」を区別し、「第二局面ではカテゴリー論文の規準的意義が失われている、と主張されるようになりました。それにたいして、折原は、カテゴリー論文の規準的意義は、「第二局面」でも、失われいぜんとして活きている、と考えます。この対立からは、「旧稿」編纂の方針としても、シュルフター教授は、カテゴリー論文を「旧稿」に前置すべきではない (あるいは、学生版にかぎって前置してもよい)、折原は前置すべきである、という帰結が導かれます。

 シュルフター教授によれば、「第一局面」とは、ヴェーバーが分担寄稿の執筆を開始した1909ないし10年から1912年末までで、この時期に執筆された「旧稿」テクストは、「経済と秩序」「階級、身分および党派」「市場ゲマインシャフト」および「政治ゲマインシャフト」などです。

 それにたいして、「第二局面」とは、1912年末ないし1913年初頭から、1914年夏の第一次世界大戦勃発による執筆中断までで、この時期に属する主要なテクストは、「諸ゲマインシャフトの社会学」(「団体の経済的諸関係一般」「家ゲマインシャフト」「種族的ゲマインシャフト」「勢力形象。『国民』」)と「宗教社会学Religionssoziologie」、および「支配社会学Herrschaftssoziologie」とされていますcf. 『新展開』: 65, 100-1, 106, Individualismus: 187-8; Handlung: 238

3.テクストの「多層性」は必ずしもその「不統合」を意味しない

 念のためにお断りしておきますと、折原は、(19091014年という) 45年にわたって書かれた「浩瀚な旧稿」に、いくつかの執筆局面があり、それに応じて、当の執筆活動の所産であるテクストにも、いくつかのSchicht ないしGruppeがあるのは当然で、それらを「作品史的」に究明することは、きわめて重要であると思います。

 ところが、執筆者のヴェーバー自身は、第一次世界大戦後、ジーベック宛て書簡で、「旧稿」を執筆した往時を回顧しながら、「浩瀚な旧稿das dicke, alte Manuskript(27101919)「仕上がっている草稿das fertig daliegende Manuskript(23041920) に根本的改訂を加える、と伝えているそうです。つまり、草稿が浩瀚であると承知し特筆しながら単数形で語り単一のものと感得し、そう意味付与しています。ですからこのばあい、草稿が遺稿中に発見された (浩瀚ゆえ、おそらくは「束をなし」、「束ごとに茶封筒に包んであった」) 状態にかんする別人の外形的判断後代からの推測よりも、草稿執筆者当人の主観的感得/意味付与 (の表白) を優先すべきではないでしょうか。

 テクストの「多層性Multi-schichtigkeit」の確認は重要です。しかしそれが、「不統合性Desintegriertheit」と速断されてはならず、むしろ「多層間の連続Kontinuität」や「多層間の統合Integration」が探究されるべきでしょう。当面の問題にかぎれば、「『第二局面』には、カテゴリー論文の基礎概念は適用されていないのか、『第一局面』と『第二局面』とは『不連続』『不統一』なのか、その証拠はなにか」というふうに問題を再設定し、「統一」仮説 (折原)/「不統一」仮説 (シュルフター) 双方を、「第二局面」に執筆されたとされるテクストそのものによって検証し、討論し、慎重を期すべきでしょう。

4.シュタムラー批判と「諒解」概念

 さて、この報告の表題からは、カテゴリー論文の規準的意義とはなにかを、③「体系的」な議論によって、とりわけ方法論との関連で、明らかにし、その規準的意義から「旧稿」の概念構成を体系的に展望するという課題が、類推されましょう。そうした課題は、確かにいっそう重要で、折原もこの報告の途上や末尾で、少なくともその一端には触れるはずです。しかし、そうした②「体系的」な議論が、①「作品史的」また②「文献学的」事実から遊離して「宙に浮き」、シュルフター教授から「それは折原の解釈にすぎない」として斥けられることのないように、まずは ②「文献学的」事実――つまり、「第二局面」においてもカテゴリー論文の規準的意義が保持されていた「テクスト内在的」な具体的証拠――のほうから入ろうと思います。

 シュルフター教授は、カテゴリー論文に特有の「諒解概念とその合成語 "Einverständnis" und seine Kompositaが、「第二局面」では適用されなくなっている、と主張され、「第二局面における意義喪失」の証拠とみなされます。そこでこれから、この「不統一」仮説の検証にかかるわけですが、そのまえに、「諒解」概念に注目すること自体の意義に、触れておきたいと思います。「諒解」概念に着目し、しかもそれを、ヴェーバーの「シュタムラー批判論文」 (1907) との関連で、「シュタムラーが整合合理的richtigkeitsrationalには『いうべきであった』こと」の積極的定式化として捉えたのは、シュルフター教授の卓見で、折原も賛同します。この問題について、折原として若干「おさらいReview」をしてみますと:

 シュタムラーは、「(人間の) 社会生活」のメルクマールを「制定律Satzungによって外的に規制されたgeregelt協働」に求めました。それにたいしてヴェーバーは、それでは、「乳児に授乳を命ずる法 (制定律) のあるプロイセンで母親がきまって (規則的にregelmässig) 授乳するのは「社会生活」ということになろうが、同様の法のない他国で母親が同じことをしても『社会生活』にはならないのか」と詰め寄ります。この比喩の意味は、こうです。まず、プロイセンの母親がきまって授乳するのはおおかた、当の制定律を主観的に知ってそれを遵守するからではないでしょう。つまり、ある制定律が「客観的意味」をそなえた命令規範として存立しているとしても、「主観的意味」の次元では、もっぱらその命令規範の遵守として経験的規則性が生じ、対応する、とはかぎらない。逆に、他国の母親が、そうした制定律はないのに、「あたかもそうした制定律にしたがうかのようにals obきまって授乳するのは、「客観的意味」における命令規範の有無にはかかわりなく、「主観的意味」のうえで同一の経験的規則性が存立する、ということを意味する、と。

 このようにして、ヴェーバーは、制定律の「客観的・観念的妥当」と「主観的・経験的妥当」とを区別したうえで、制定律、とくに「強制装置」によって経験的妥当を保障された (制定律の特例としての) 法を、相対的な経験的妥当性をそなえた、人間行為の経験的規定根拠 (その意味で「社会生活」の「形式Form」ではなく、「経済」と同じく、やはり「実質Materienのひとつ) として捉え返しました。それと同時に、人間行為の事実上の類型的規則性には、制定律・制定秩序の経験的妥当にもとづくそれ以外に、「制定律・制定秩序はないのにあたかもそれがあるかのように」経過する規則性もあり、しかもそのなかには、他者の行動と有意味sinnhaftに関係づけられた「ゲマインシャフト行為」があり、歴史的には制定律・制定秩序以前の、いっそう広い領域を覆っている、と見ました。そして、そうした「ゲマインシャフト行為」の領域を、シュタムラー批判論文では「合意Verständigungにもとづく協働」と呼び、カテゴリー論文では、(制定律・制定秩序に準拠する「ゲゼルシャフト行為Gesellschaftshandeln」「ゲゼルシャフト関係Vergesellschaftung」と対比して)「諒解Einverständnis」にもとづく「諒解行為Einverständnishandeln」「諒解ゲマインシャフトEinverständnisgemeinschaft」と名づけたのです。「諒解」とは、「ある人 (ないし人々) の行動にたいする予想が、『制定律・制定秩序』はないのに、当の人 (ないし人々) によって『妥当gültig』とみなされ、そのように取り扱われて、予想が (裏切られずに) 実現するシャンス (客観的可能性)」と定義されます。そして、じっさいにそうしたシャンスを当て込む「ゲマインシャフト行為」が「諒解行為」です。

5.カテゴリー論文の基礎概念――「諒解」は「『ゲマインシャフト行為』ないしは『社会的秩序』の『合理化』尺度」に編入された一項

さて、カテゴリー論文「第二部」では、

   ゲマインシャフト行為以前の (習俗Sitteを含む)「同種の大量行為gleichartiges Massenhandeln(意味関係発生以前の) 群集行為massenbedingtes Handeln」「模倣行為nachahmendes Handeln」から、

秩序amorphないし単純なeinfachゲマインシャフト行為」、

   C制定律・諒解秩序・(慣習律Konvention) に準拠したゲマインシャフト行為 (=諒解行為)」をへて、

   「制定律・制定秩序・(『強制装置』によって保障された特例としての法Recht) に準拠したゲマインシャフト行為(=ゲゼルシャフト行為)」にいたる、

「ゲマインシャフト行為ないしは (ゲマインシャフト行為が準拠する) 社会的秩序の『合理化』尺度die "Rationalisierungs"-Skala des Gemeinschaftshandelns oder der "gesellschaftlichen Ordnungen"」が考えられており、「諒解行為」は、その尺度上に、中間領域して位置づけられています。

 しかも、この は、一方向的な進化図式ein unilineares Evolutionsschemaではなく、双方向の流動的移行関係flüssige Vor- und Rückübergängeを動態的に把握するために、「類的理念型gattungsmässige Idealtypen」によって構成された尺度、と考えられています。ゲゼルシャフト結成」からは、たえず「諒解関係」が「派生」し、あるいは「創成stiften」されて、「ゲゼルシャフト関係」もこのなかに (少なくとも部分的に)「ずれ込む」あるいは「呑み込まれる」のが常態です。あるいは、ゲゼルシャフト結成/関係も、既存の「諒解」を無視しては成り立たず/立ち行かず、既存の「諒解関係」をそのなかに取り込んで、再編成するのが通例です。その結果、「ゲマインシャフトの重層性Multi-Schichtigkeit(松井克浩) が生じます。たとえば、「大学」という「ゲゼルシャフト」が結成されますと、学生/院生の間に、「対等な議論仲間関係」から「スポーツ仲間関係」その他、多種多様の「諒解関係」が「派生」するでしょう。他方、「大学」としての制定秩序のほかに、「血縁/擬制血縁関係」を基礎とする伝統的な「権威/恭順Pietät関係」が「編入」され、「権威-温情主義」的な「慣習律」秩序」が存立して、「二重規範状態」を呈し、後者からは、教授が学生の「就職の面倒を見」たり、「成績評価に手心を加え」たり、「目をつぶって学位を認定し」たり、といったことも起きかねません。

 そういうわけで、カテゴリー論文の基礎概念というばあい、なにか「同種の大量行為」「ゲマインシャフト行為」「諒解行為」「ゲゼルシャフト行為」といった、上記尺度上の諸項目を、バラバラに切り離して取り出してはなりますまい。基礎概念のそれぞれが (たとえばテンニエスの「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」と比較して)きわめて特異ですし、しかも、相互に緊密に結びつけられ、独特の概念セット概念尺度をなしています。なるほど、「諒解行為」というのは、名辞としてはヴェーバーにしかない (他にはあまり聞かない)概念/術語でしょう。ですから、かれの (カテゴリー論文の) 基礎概念を代表する恰好の標識として、それがテキストに適用されているかどうかを調べてみるのは、手始めには最適です。しかし、それが適用されていないから、カテゴリー論文の基礎概念がもうなんの役割も演じていない、とは速断できないでしょう。たとえば「ゲマインシャフト行為」はどうかといいますと、カテゴリー論文では、「諒解行為」に優るとも劣らず、ヴェーバーに特有の概念です。「ゲゼルシャフト行為」も含め、こんなに広い、「社会的行為」一般の意味で「ゲマインシャフト行為」という術語を使うというのは、他には類例が見られないないにちがいありません。ですから、この概念セットのなかから「諒解」とその合成語だけを抜き出して、その適用例の有無を確認するだけではなく、からなる独特の概念尺度がそれ自体として――ということはつまり、たとえそのうちの項「諒解」が、「アド・ホックに/その場にかぎっては」なんらかの即対象的理由により、明示的には適用されていないとしても――なおかつ適用されている形跡があるかどうか、それなしでは、当のコンテクストが十全に読解できないかどうかを、「体系的」方法でよく検討してみなければなりません。そうすることによって、カテゴリー論文と「旧稿」の概念的導入部(の少なくとも一部)をシュタムラー批判の積極的展開として捉えるシュルフター教授の卓見を、十分に活かすことできるのではないか、と思います。

 まえおきが長くなりましたが、それではいよいよ、検証にかかりましょう。

2006228日記、つづく

 

続稿 執筆予定項目

6.「支配社会学」への「諒解」とその合成語の適用

7.「支配社会学」の論点「合理化にともなう没理念化」に、カテゴリー論文末尾への前出参照指示

8.「宗教社会学」の論点「ゲマインデ」に、「ゲゼルシャフト結成」概念がカテゴリー論文に特有の意味で適用; 補論:「戦前草稿」の「ゲマインデ」概念

(「宗教ゲマインシャフト」のうち「ゲマインデ」とは、平信徒が能動的に宗教生活に参加すると同時に、信徒の権利と義務について制定秩序が設定され、それに則って信徒の生活が規制される「ゲゼルシャフト」結成態。他方、「旧稿」には、三つの「ゲマインデ」概念。三「ゲマインデ」概念の相互関係は、カテゴリー論文のゲゼルシャフト概念、「ゲゼルシャフトからゲマインシャフト関係の派生」という視点を適用して規定されている。大塚久雄の折衷的「ゲマインデ」概念批判。)

.「団体の経済的諸関係一般」章の論点「ゲゼルシャフト結成に随伴するゲマインシャフト形成」に、両概念がカテゴリー論文に特有の意味で適用、しかもカテゴリー論文への前出参照指示

10. その他の諸例

結論: カテゴリー論文の基礎概念は、「第二局面」でも、規準的意義を失ってはいない。

(その事実が確認され、「戦前草稿」全篇にカテゴリー論文が前置されて、全篇が整合的な概念的導入部にしたがって読まれるようになると、そうした「ヴェーバー社会学」の「現代的展開」として、どんな可能性が開けるか――「急ぎすぎ」て「明後日の問題」に踏み出すことになるが。)