年次報告2014

 

昨年から今年にかけては、悲しい出来事がつづきました。

昨年暮れに雀部幸隆さん、今年の4月には北川隆吉先生、8月には舩橋晴俊君が、亡くなりました。本ホーム・ページの三つの記事(「昨今の仕事プラン――戦後精神史の構想とヴェーバー研究の前提反省」「戦後精神史の一水脈――北川隆吉先生追悼」「舩橋晴俊君の急逝を悼む」)は、三氏追悼の意味を籠めてしたためた文章です。故人との関連で小生が受けた影響とそのコンテクストを、追悼文としてはやや過剰で我田引水かと危惧しながらも、つとめて克明に綴りました。

 

他方、昨2013年は、マックス・ヴェーバー「理解社会学のカテゴリー」(「範疇論文」) の発表から数えて100周年にあたりました。小生は、一専門研究者としては、当の論文に初めて公表されたヴェーバーの「社会学的基礎範疇」を文字通り基礎に据えて、主著『経済と社会』 (旧稿) の初版以来の誤編纂 (すなわち、原著者は明記して注意を促していた「旧稿」から「改訂稿」にかけての概念変更に気づかず、「改訂稿」の「基礎範疇」を「旧稿」に持ち込み、読者を混同と誤読に導く、初歩的な誤りの踏襲) を正し、「旧稿」全体を著者自身の構想に即して読み直すという課題に、長年携わってきました。この件にかけては、『マックス・ヴェーバー全集』版 (「旧稿」該当巻) 編纂者のヴォルフガンク・モムゼンおよびヴォルフガンク・シュルフターと交わした四半世紀の論争を、体系的に集約し、併せて「旧稿」全篇の骨子を示す拙著『日独ヴェーバー論争――「経済と社会」(旧稿)全篇の読解による比較歴史社会学の再構築に向けて』(30922331ps.)を、未來社の好意と骨折りにより、なんとか100周年の昨年中に刊行できました。その余勢を駆って、この『論争』を「ネガ」とすれば「ポジ」にあたる長年の懸案『「経済と社会」(旧稿)の再構成――全体像』にも、今年の年頭から直ちに着手する予定でおりましたが、じっさいにはそうはいかなくなり、「ここがロードスだ、ここで跳べ」と発言を促される状況がつづき、年末を迎えてしまいました。しかも、ふたつの課題をかかえたままです。

 

ひとつは、「マックス・ヴェーバー生誕150年記念シンポジウム 20141207)に向けて――生誕100年記念シンポジウム 1964120506)を顧みる」という課題です。現役世代の「150年シンポ」に側面的に協力しながら、その企画を乱さないように、小生個人としての半世紀の総括は、本ホーム・ページに書き始めました。しかし、そうするとどうしても、1964年の「100年シンポ」を、「1960年安保」・「196263年大管法」と「196869年東大紛争」との狭間に、「戦後精神史の水脈」の一端に、位置づけることが必要になってきて、脱線に脱線を重ねました。しかし、来2015年には「150年シンポ」の記念論集が出版される予定で、小生にも、その一章の紙幅が与えられますので、連休開けの原稿締め切りまでには、本ホーム・ページの記事も素材稿として脱稿できるように努力するつもりです。

 

 いまひとつは、この118日付け『朝日新聞』朝刊「私の視点」に掲載された東大医学部六年生・岡崎幸治君の寄稿「東大不正疑惑 『患者第一』の精神今こそ」に触発されて書き始めた一連の論考です。この45年間、大学や研究機関は、「196869年大学紛争」を理性的には解決できず、強権に頼って秩序は回復したものの、データの改竄、捏造といった、学問研究の根幹に触れるところまで頽落してきている、と思われますが、その現場にいる学生諸君が、なぜ、かつてのように声を挙げ、行動に立ち上がらないのか、不思議にも思い、その動向に注目してきました。ところが、ここにきて、岡崎君らによる公開質問状の提起があったのです。そこで、同君らの発言に含まれている「大学」「学問」「プロフェッショナリズム」への問いに、196869年東大紛争」の事実に遡って答える責任を、当時渦中にあった一当事者として感じ、老生なりに記憶をたどって再考し、寄稿し始めたわけです。ところが、この論考も、東大紛争の事実経過に立ち入って、論証がやや詳細にすぎ、脱稿以前に「150年シンポ」を迎えたり、ある別稿に気を取られたりしたため、脱稿にこぎつけられませんでした。しかしこちらは、来春早々にも執筆を再開し、一月中にも脱稿する予定です。

 

   そういうわけで、 今年は思いかけず、昨年以前とはかなり違うスタンスで過ごし、執筆にかかわりました。昨年までは、「生涯現役」とばかり、もっぱら先を見据えて、一目散・一直線にひた走り、途中で「プツンと切れる」ことを理想としてきたのでしたが、昨年からはどうやら「守勢」にまわって、「行く末」よりも「来し方」を顧み、ある戦後世代の功罪を問う (あるいは、後続世代の問いに答える素材だけは整えておく) 課題に、力点を移してきたようです。若い人たちにいつも「がみがみいう」頑固爺は「かっこ悪い」けれど、さりとて「話の分かる好々爺」に収まって「無害」になるのもどうか、頑固爺は、まさにそうして、嫌われることも厭わず、やはり必要な、ある世代責任を果たしてきたのではないか、と考えたいわけです。

そこで、研究会における発言ほどには若い人たちの時間は奪わず、気が向いたら読んでもらえればよく、発表まで手間隙もかからない、このホーム・ページ発言という便利な形式を、来年もせいぜい活用していきたいと思います。

  みなさま、どうかよいお年をお迎えください。

 

 (1231日記、折原浩)