2012年の仕事、年次報告(2012年12月31日)
1月10日、論稿「ヴェーバーの科学論と原発事故」執筆開始。
2月11日、「内田雄造先生を偲ぶ会」(私学会館アルカディア市ヶ谷3階富士の間) に出席。
2月20~22日、韓国法史学会・ソウル大学校法学研究所主催のシンポジウム「東アジアにおける民法の受容と展開――民法の歴史的基盤と民法改正の課題」(ソウル大学校法学大学・ソアム・ホール)に出席。2月23日、ソウル市内、昌徳宮と景徳宮を見学。
3月18日、ヴェーバー研究会21「ヴェーバーと社会調査」(東洋大学白山校舎 6214) に出席。
3月20日、論文「マックス・ヴェーバー『経済と社会』(旧稿) の基礎範疇と体系構成――『全集』版編纂をめぐる対シュルフター論争の総括」(名古屋大学大学院社会学研究室編『名古屋大学社会学論集』32、2011、pp.
99-120)刊行。
5月14日、論稿「ヴェーバーの科学論と原発事故」を「ヴェーバーの科学論ほか再考――原発事故を契機に」と改題して脱稿。『名古屋大学社会学論集』33 に投稿。
5月23日、新著『日独ヴェーバー論争――「経済と社会」(旧稿)の編纂をめぐって』執筆開始。
8月11日、『名古屋大学社会学論集』に投稿した論文を、編集者の査読にもとづく要望にしたがって改稿(8月15日、改訂稿を脱稿し、編集部宛て郵送)。
8月16日、『日独ヴェーバー論争』執筆再開、続行。
9月19~22日、三陸海岸 (久慈、普代、田野畑、岩泉、宮古、釜石)、遠野、平泉に旅行。
10月5日、『日独ヴェーバー論争』執筆を中断して、論稿「(1969年の) 授業拒否とその前後」の執筆に着手。熊本一規・清水靖久・三宅弘との共著『東大闘争と原発問題』(仮題) に寄稿の予定。
10月31日、論文「範疇論文とトルソの頭――『経済と社会』(旧稿)の社会学的基礎範疇」(茨木竹二編『ドイツ社会学とマックス・ヴェーバー――草創期ドイツ社会学の固有性と現代的意義』、10月31日、時嘲社、332-69)刊行。
11月10日 研究会「ヴェーバー法理論-比較法文化研究会」(一橋大学・佐野書院) に出席。
11月14~15日 北茨城・五浦海岸に、(津波に流され、その後再建された) 岡倉天心の六角堂 (観瀾亭) を訪ねる。
12月30日、論稿「授業拒否とその前後」(約72,000字) ひとまず脱稿。
[2012年12月31日記]