2010年の仕事、年次報告(20101220日)

 

 今年は、①「サステイナビリティ研究のフロンティア」(123日、法政大学サステイナビリティ研究教育機構設立記念シンポジウム、法政大学外濠校舎)、②「宗教と自由」(314日、ヴェーバー研究会21、法政大学市ヶ谷キャンパス九段校舎)、③「公共圏の創成と規範理論の探究」(523日、国際シンポジウム、法政大学多摩キャンパス)、④「『持続可能な社会』と『サステイナビリティ・エシックス』の役割」(930日、サス研フォーラム、法政大学市ヶ谷キャンパス富士見坂校舎) に出掛け、それぞれの報告と討論から学んだほかは、ふたつの国際シンポジウムにおける報告に向けての準備に(春から秋にかけて)集中しました。

 

報告のひとつは、「ヴェーバー『経済と社会』(旧稿)全体の構成と『法社会学』章の位置」(919日、「ヴェーバー法理論・比較法文化研究会」の第一回公開シンポジウム、一橋大学)、いまひとつは、「『経済と社会』(旧稿)の社会学的基礎範疇と体系的統合」(1122日、第三回「日独社会学会議」、いわき明星大学)です。双方とも、準備稿と当日稿ならびに資料を、このホームページに連載しました。しかし(それらをフォローしていただくと一目瞭然なのですが)、前者は「『経済と社会』(旧稿)全体の構成」、後者は「『経済と社会』(旧稿)の体系的統合」の的確な把握を前提に、「『法社会学』章の位置」なり、「『マックス・ヴェーバー全集』版編纂における統合の解体とその再建方針」なりを、論じなければならないところでしたのに、共通の前提である「『旧稿』全体の体系構成」の把握が、いまひとつ不明確なため、制限時間内への圧縮も成らず、失敗に終わりました。そうなることは、重々予見できたはずなのですが、あえて過大な課題を抱えて、懸案『「経済と社会」(旧稿)の再構成――全体像』執筆のステップにしようとした無理(判断の甘さ)が、露呈しました。

来年は、この反省を踏まえ、『「経済と社会」(旧稿)の再構成――全体像』に専念して、遅くとも2020年のヴェーバー没後百年までには、なんとか脱稿したいと思います。

 

今年の三月には、拙著『マックス・ヴェーバーとアジア――比較歴史社会学序説』(平凡社)を上梓し、粗削りながら、欧米近代の「マージナル・エリア(に生きるマージナル・マン)」の視点から、「欧米近代の嫡子」ヴェーバーの「潜勢」を引き継ぎ、批判的に展開していく構想を打ち出しました。そして、歴史学と社会学との相互交流をとおして、この構想を具体化していく態勢をととのえようとしましたが、有り難いことに、水林彪さんはじめ、歴史学関係の同僚にも、この問題関心を受け止め、そうした具体化への場を設定していただくことができました(「ヴェーバー法理論・比較法文化研究会」の発足を、少なくとも小生は、そのように受け止めました)。そうしたアリーナで、ヴェーバー研究者が歴史学者と対等に交流していくには、ヴェーバー社会学を「歴史研究への基礎的予備学」として活かせるように、「一般社会学」上の主著『経済と社会』(旧稿)の体系構成を究明し、参考資料として(とくに部分的摂取の準拠枠として)提供しなければならず、「ヴェーバー『経済と社会』(旧稿)全体の構成と『法社会学』章の位置」という過大なテーマも、そういう相互交流への責務としてお引き受けしたのですが、「意余って力足らず」に終わったわけです。

 

冷静に考えれば、『経済と社会』(旧稿)の体系構成を、短時間で述べ尽くすのは、土台無理でした。むしろ、かなり浩瀚な書籍を用意し、そのときどきのテーマ設定に即し、そのつど関連する理論(カズイスティクをなす類型概念)を抜き出して対応する態勢をととのえ、歴史学者との相互交流への責を塞ぐ形をとるべきだと悟りました。というわけで、来年は再度、懸案『「経済と社会」(旧稿)の再構成――全体像』執筆(に閉じ籠もるのではなくとも、それ)への傾斜の度合いを強めようと思います。(20101223日記)