第一部会第二報告案2006314日現在)――3. 1718京都シンポジウムに向けて(14)

折原

. 折原がシュルフターと意見一致する諸点

1. テンブルック「『経済と社会』との訣別」への対応

 ヴェーバーの『経済と社会』は、「全体としては読まれない古典」でした。全体が見通せないので、「二部構成(の一書)ein Buch in zwei Bänden」という誤った編纂がなされ、翻ってはそのためにますます全体が読めない、という「悪循環」が生まれていました。ちなみに「二部構成」とは、著者マックス・ヴェーバーのふたつの未定稿を、執筆順とは逆に、「旧稿das alte Ms.」を「第二部」、「改訂稿das revidierte Ms.」を「第一部」に配置する編纂方針で、読者にながらく、改訂の基礎概念で改訂の叙述を読ませる無理を強いてきました。

「二部構成」の虚構を暴き、編纂論争の口火を切ったのはFriedrich H. Tenbruckでした。しかしかれは、『経済と社会』のテクストそのものを著者自身の構想に即して再構成する、という課題には、取り組みませんでした。

 それにたいして、一方では、テンブルックの批判を認めて「二部構成」編纂を棄却し、他方では、『経済と社会』もまた、ヴェーバーがかれの社会学を初めて全面的に展開した体系的論策として重視し、テクストの批判的再構成に進んだのが、シュルフター教授と、日本では折原でした。このスタンスにかけて、シュルフター教授と折原とは、基本的に一致しています。

2.1914年構成表」の信憑性と妥当性

『経済と社会』は、「旧稿」と「改訂稿」とに分かれますが、当面の問題は、「旧稿」をどう取り扱うかにあります。「旧稿」は、1910年ころから執筆され、1914年夏の第一次世界大戦勃発によって中断され、その後、ほとんど手を加えられず、1918年から改訂の素材として使われました。著者自身が仕上げて発表したわけではありません。

「旧稿」の再構成/テクストの再配列にあたっては、著者自身に由来する準拠標にしたがう必要があります。そうした準拠標として、シュルフター教授と折原は、「1914年構成表Disposition von 1914」を重視します。これは、1914年に刊行された叢書『社会経済学綱要Grundriss der Sozialökonomik』の第一回配本に添付された「全巻の構成 Einteilung des Gesamtwerkes」見出し一覧のうち、マックス・ヴェーバーが担当した部分の項目表です。これを、第一次編纂者のマリアンネ・ヴェーバーは、「旧稿」かぎりで失効していると見て、「二部構成」全体の準拠標とはみなしませんでした。第二次編纂者のヴィンケルマンは、反対に、「1914年構成表」が「改訂稿」も含む全篇に妥当すると見ました。シュルフター教授と折原は、「1914年構成表」の妥当性を旧稿に限定します。

3.「作品史的」「文献学的」「体系的」方法の相互補完的適用

 とはいえ、「1914年構成表」だけを、なにか「金科玉条」とするわけではありません。シュルフター教授は、「旧稿」再構成の方法として、① 書簡資料などに依拠する「作品史的werkgeschichtlich」方法、② テクスト内の「術語用例」「前後参照指示」などに準拠する「文献学的philologisch」方法、および ③ テクストに表現されている思想の整合Koinzidenzを規準とする「体系的systematisch」方法、の三つを区別されます。これらを相互補完的に適用して、原著者の構想に迫り、それに即してテクストを再編成しようとするわけです。折原も、三方法の相互補完的適用に賛成です。

4. 表題は「経済と社会的秩序ならびに社会的勢力」

 また、表題についても、「経済と社会」(モムゼン説)と「経済と社会的秩序ならびに社会的勢力」(シュルフター説)との二説があり、『全集』版では併記されていますが、折原は、シュルフター説に賛同します。

 そのように、シュルフター教授とは、基本的なところでも、それ以外の細かいところでも、多くの点で意見一致します。しかし、「一致を確認し合あうsich der Uebereinstimmungen vergewissern」だけでは、学問は進歩しません。そこで、「残された不一致点」につき、ここで討論したいと思います。

. 折原がシュルフターとなお意見一致しない一点

1. 方法上の若干のズレ

 まず、三方法それぞれへの力点の置き方には、若干のズレがあるように思います。折原は、三方法の区別に加えて、ⓐ「テクスト外在的指標aussertextliche Indizien」とⓑ「テクスト内在的指標innertextliche Indizien」との区別を重視します。たとえば、① 関連書簡や「1914年構成表」は前者で、②「術語用例」「前後参照指示」や、③ テクスト内容の論理的/思想的整合性は、後者です。そして、ⓐ のみに依拠した立論は仮説で、そのつど ⓑ によって検証されなければならない、と考えます。たとえば、書簡の記載事項には、誤記や略記があり、「着想/構想止まり」ということもありえます。その点、同じ ⓐ でも、「1914年構成表」のような正式に公表された構想には、それだけ責任、したがって重みがある、と見て差し支えないでしょう。いずれにせよ、ⓐ から結論を引き出すまえに、たとえば構想がテクストそのものにおいて実現されているかどうか、ⓑ の諸指標と「整合richtig koinzidieren」するかどうか、そのつど験されなければない、と考えます。この点は、一般論としては、シュルフター教授も賛成してくださると思いますが。

2. 内容上の争点

 内容上の不一致は、「旧稿にたいするカテゴリー論文の意義をどう考えるか、という一点に集約されます。カテゴリー論文とは、ヴェーバーが1913年に別途『ロゴス』誌に発表した「理解社会学の若干のカテゴリーについてUeber einige Kategorien der verstehenden Soziologie」の謂いです。

 この問題についても、シュルフター教授が1998年に論文「マックス・ヴェーバーの『社会経済学綱要』寄稿: 編纂問題と編纂戦略 Max Webers Beitrag zum "Grundriss der Sozialökonomik: Editionsprobleme und Editionsstrategien」を『ケルン社会学・社会心理学雑誌』 (KzfSS 50: 327-43) に発表されるまでは、折原も意見が一致していました。「旧稿」は、「改訂稿」冒頭の「社会学的基礎諸概念Soziologiesche Grundbegriffe」ではなくカテゴリー論文の基礎概念にしたがって書かれているので、これにしたがって読まれるべきであり、テクスト編纂としても、カテゴリー論文を「旧稿」に前置すべきである、という意見です。

 しかし、シュルフター教授は、1998年論文以降、ヴェーバーの「旧稿」執筆には、ふたつの「局面Phase」があり、「第二局面ではカテゴリー論文の規準的意義が失われていると主張されるようになりました。それにたいして、折原は、カテゴリー論文の規準的意義は、「第二局面」でも、失われていない、と考えるのです。

 シュルフター教授によれば、「第一局面」とは、ヴェーバーが分担寄稿の執筆を開始した1909ないし10年から1912年末までです。この時期に執筆されたテクストには、「経済と秩序 Wirtschaft und Ordnungen」「階級、身分および党派Klassen, Stände, Parteien」「政治ゲマインシャフトpolitische Gemeinschaft」などがあります。それにたいして、「第二局面」とは、1913年初頭から、1914年夏の (第一次世界大戦勃発による) 執筆中断までです。この時期の主なテクストとしては、「支配社会学Herrschaftssoziologie」、「宗教社会学Religionssoziologie」および「諸ゲマインシャフトの社会学」(「団体の経済的諸関係一般Wirtschaftliche Beziehungen der Verbände im allgemeinen」「家ゲマインシャフトHausgemeinschft」「種族ゲマインシャフトethnische Gemeinschaft」など)が挙げられますcf. 『新展開』: 65, 100-1, 106; Individualismus: 187-8; Handlung: 238 

3. テクストの「多層性」は必ずしもその「不統合」を意味しない

 さて、この問題について、折原は、45年にわたる「浩瀚な旧稿」の執筆に、いくつかの局面があり、それに応じて、当の執筆活動の所産であるテクストにも、いくつかのSchichtenがあるのは当然で、それらを「作品史的」に究明することは重要と認めます。

 ただ、執筆者のヴェーバー自身は、第一次世界大戦後に、出版社主ジーベックに宛てて、「旧稿」執筆の往時を回顧する書簡を送っていますが、そのなかで「浩瀚な旧稿das dicke, alte Manuskript(27101919)「仕上がっている草稿das fertig daliegende Manuskript(23041920) に言及し、それが根本的に改訂されなければならない旨を伝えています。つまり、草稿が浩瀚であると特筆しながら単数形で語り、「仕上がりさえ、示唆しているのです。

 テクストの「多層性Multi-schichtigkeit」の確認は重要です。しかしそれが、「不統合Desintegriertheit」と速断されてはならず、むしろ「多層間の連続Kontinuität」や「多層間の統合Integration」が探究されるべきではないでしょうか。「『第二局面』には、カテゴリー論文の基礎概念は適用されていないのか、その点で『第一局面』と『第二局面』とは『不連続』『不統一』なのか」と問題を再設定し、「統一」仮説/「不統一」仮説双方を、「第二局面」のテクストそのものによって検証し、討論したいと思います。

4. シュタムラー批判と「諒解」概念

 まず、②「文献学的」事実のほうから入りますと、シュルフター教授は、カテゴリー論文に特有の「諒解概念とその合成語 "Einverständnis" und seine Kompositaが、「第二局面」では適用されなくなっている、と主張され、「第二局面における意義喪失」の証拠とみなされました。

 そのように「諒解」概念に着目し、しかもそれをヴェーバーのシュタムラー批判 (1907) と関連づけ、「シュタムラーが『いうべきであった』こと」の積極定式化eine positive Formulierungと捉え返されたのは、シュルフター教授の卓見です。ただ、「諒解」概念は、ほかならぬシュタムラー批判のコンテクストのなかで、「ゲマインシャフト行為Gemeinschaftshandeln」や「ゲゼルシャフト結成Vergesellschaftung」といった別の基礎概念と、引き離しがたく結びきそれらとセットをなして「『ゲマインシャフト行為ないし社会的秩序合理化尺度die "Rationalisierungs"-Skala des "Gemeinschaftshandelns" oder der "gesellschaftlichen Ordnungen"」を形づくっています。

5. カテゴリー論文の基礎概念――「諒解」は「『ゲマインシャフト行為』ないし『社会的秩序』の『合理化』尺度」に編入された一項

その尺度は、つぎのように要約されましょう。

ゲマインシャフト行為以前の (習俗Sitteを含む)「同種の大量 (大衆) 行為gleichartiges Massenhandeln」「(「意味」関係発生以前の) 群集行為massenbedingtes Handeln」「(単純な) 模倣行為nachahmendes Handeln」から、

秩序amorphないし単純なeinfachゲマインシャフト行為」、ついで、

制定律・諒解秩序・(慣習律Konvention) に準拠したゲマインシャフト行為(=諒解行為)」をへて、

「制定律・制定秩序・(『強制装置』によって保障された特例としての法Recht) に準拠したゲマインシャフト行為(=ゲゼルシャフト行為)」にいたる、と。

 このように「諒解」ないし「諒解行為」は、この尺度の一階梯として、中間領域Cに位置づけられています。ちなみに、「諒解」とは、「ある人 (ないし人々) の行動にたいする予想が、『制定律Satzung』『制定秩序gesatzte Ordnung』はないのに、当の人 (ないし人々) によって『妥当gültig』とみなされ、そのように取り扱われて、予想が (裏切られずに) 実現するシャンス (客観的可能性)」と定義されましょう。じっさいにそうしたシャンスを当て込む「ゲマインシャフト行為」が「諒解行為」です。

 しかも、この は、一方向的な進化図式ein uni-lineares Evolutionsschemaではなく、双方向の流動的 (漸移的) 相互移行関係flüssige Vor- und Rückübergängeを動態的に把握するための尺度、と考えられています。ゲゼルシャフト結成」からは、たえず「諒解関係」が「派生」し、あるいは「創成stiften」されて、「ゲゼルシャフト関係」もそのなかに (少なくとも部分的に)「ずれ込み」あるいは「呑み込まれ」ます。あるいは、ゲゼルシャフト結成/関係も、既存の「諒解」を無視しては成り立たず/立ち行かず、既存の「諒解関係」をそのなかに取り込んで、再編成するのが通例です。その結果、「ゲマインシャフトの重層性Multi-Schichtigkeit(松井克浩) が生まれます。たとえば、「大学」という「ゲゼルシャフト結成」からは、その構成員(学生/院生)の間に、「対等な議論仲間関係」から「スポーツ仲間関係」その他、多種多様の「諒解関係」が「派生」するでしょう。他方、「大学」のなかには、「制定秩序」のほかに、「血縁/擬制血縁関係」を基礎とする伝統的な「権威/恭順Pietät関係」が「編入」され、「権威-温情主義」的な「慣習律秩序」が存立して、「二重規範状態」を呈し、後者からは、「学位に値しない論文に目をつぶって学位を認定する」というような事件も起きかねません。

 そういうわけで、カテゴリー論文の基礎概念というばあい、「同種の大量 (大衆) 行為」「ゲマインシャフト行為」「諒解行為」「ゲゼルシャフト行為」といった項目がバラバラに切り離されて、取り出されてはなりません。基礎概念のひとつひとつが、たとえばテンニエスの「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」の概念と比較して、きわめて特異ですし、しかも、相互に結びつけられ、独特の概念セット概念尺度をなしています。ですから、あるテキスト群にカテゴリー論文の基礎概念が適用され、その規準的意義が活かされているかどうかを判定しようとするばあい、この概念セットから「諒解」とその合成語だけを抜き出して、適用例の有無を確認する、というのではなく、からなる独特の概念尺度がそれ自体として適用されているかどうか、それなしでは、当のコンテクストが十全に読解できないかどうか、を「体系的」方法でよく検討してみなければなりません。たとえ、概念尺度のうちの項「諒解」が、問題のテクストに術語としては顕れないとしても、なんらかの、たとえば適用対象側の理由で、明示的適用/表記の必要がないからかもしれません。

 まえおきが長くなりましたが、検証にかかりましょう。

6.「諒解」とその合成語の、「支配社会学」篇への黙示的/明示的適用

「第二局面」の代表作として、まず「支配社会学」を取り上げましょう。「支配社会学」は、「1910構成表」には言及がなく、「19131230書簡」に初めて登場します。「1914年構成表」では、8.項に位置づけられています。したがって、シュルフター教授の所見どおり、「第二局面」に執筆されたと見ることができます。

 その「支配社会学」篇テクストの冒頭では、「支配」一般の概念が規定され、その意義が説かれています。「支配Herrschaft」とは、「ゲマインシャフト行為」が、対称的な「仲間関係Genossenschaft」に止まることなく、一方に「命令権力」、他方に「服従義務」が発生して、非対称的な「上下関係」に移行するばあいです。ゲマインシャフト行為の諸領域は、大多数のばあい、なにほどか「支配」の様相を帯び、支配の影響を被ります。とりわけ「無秩序なゲマインシャフト行為に、合理的なゲゼルシャフト結成が持ち込まれる」ばあいには、通例、「支配」が、そうした「合理化」の梃子として作動しています。ヴェーバーによれば、そのさい「無秩序なゲマインシャフト行為」が「いっきょには合理的なゲゼルシャフト関係にいたらなくとも、被支配者の間に「『目標』への志向性Ausgerichtetheit auf ein "Ziel" が生まれる」(MWGA, Ⅰ/22-4: 127; WuG: 541; 世良訳Ⅰ: 3-4) とのことです。ということは、支配者が提示する(あるいは押しつける)「目標」を「妥当」とみなして「服従」する「諒解」が生まれる、という意味に解せましょう。としますと、なるほどここには、「諒解」という術語は出てきませんが、「無秩序なゲマインシャフト行為」と「ゲゼルシャフト結成」は明示的に適用され、両者の中間領域について、「諒解」の概念が黙示的には適用されている、と見ることができます。つまり、カテゴリー論文の基礎概念セット/「合理化尺度によって支配一般の意義が論じられている、といえましょう。

 そのうえ、「支配の三類型」のうちの第一類型「合理的支配」についても、「官僚制化Bürokratisierung」が、「『ゲマインシャフト行為』を、合理的に秩序づけられた『ゲゼルシャフト行為』に転移させる特別の手段そのもの」と見られています。「他の条件がひとしければ、計画的に組織され、指導される『ゲゼルシャフト行為』は、それに抵抗する [散発的で無計画な]『大量 (大衆) 行為Massenhandeln』はもとより、いかなる『ゲマインシャフト行為』にもまさ」り、したがって官僚制が「いったん確立すると、その支配関係は不壊に近い」ともいわれます (MWGA, Ⅰ/22-4: 208; WuG: 569-70; 世良訳Ⅰ: 115)。ここにも、「諒解」の語こそ出てはこないものの、カテゴリー論文の「合理化尺度」は適用されて、「官僚制」が、「伝統にたいする第一級の革命力」――ただし、「『内から』"von innen" herausの」カリスマ革命にたいする「『外から』"von aussen" herの」革命――として位置づけられている、と申せましょう(MWGA, Ⅰ/22-4: 481; WuG: 657; 世良訳Ⅱ: 115)

 そればかりではありません。第二類型「伝統的支配」篇には、三箇所で、「諒解」とその合成語が、明示的にも適用されています。まず、引用資料1.をご覧ください。ここでヴェーバーは、「家ゲマインシャフト」の発展形態としてある「オイコスOikos [大家計]」の「家産制的patrimonial」支配について――それも、ある「家父長Hausvater」の勢力が強まって、「家産制的君侯Fürst/君主Herr」にのし上がり、自分の「オイコス」だけでなく、他の「オイコス」をも、物理的強制力によって政治的に支配し、被支配者を、自分の「オイコス」の「家産制的従属民」と同様に取り扱おうとする「家産国家的 [政治支配] 形象patrimonialstaatliches Gebilde」について――語っています。そして、そこにおける君主と被支配者との関係を、明示的に「諒解ゲマインシャフト」として捉えます。ヴェーバーによれば、そうした政治支配形象も、君主がもっぱら軍事力で支配する「スルタン制Sultanismus」の極端な形態以外は、君主と被支配者が、「正当性諒解によって結ばれ、「伝統の枠内における権力行使は、君主の正当な権利」で、そのかぎり「妥当」である、として「諒解」/「服従」され、これによって支配が、相対的には長期間、安定するというのです。そういう被支配者が、ここで「家産制的従属民」と区別して、「政治的臣民politische Untertanen」と名づけられます。

 ところで、このように「支配」という現象を、たんに「力の強いほうが弱いほうを押さえつける」外的関係としてではなく、人間と人間との「意味関係として、「正当性諒解という内的契機を介在させて捉えるヴェーバーの視点は、引用資料2.のとおり、カテゴリー論文で基礎づけられ、定式化されています。とすると、「旧稿」の「支配社会学」は、この視点から歴史上の多種多様な支配諸形象を展望し、それぞれを支える「正当性諒解の根拠に着目/準拠して、「合法的」「伝統的」「カリスマ的」の三類型 (類的理念型) を設定し、それぞれの組織形態と変動傾向を「一般化」的/「法則科学」的に把握し、定式化しようとした体系的叙述である、といえましょう。その意味で、カテゴリー論文の基礎概念は、「第二局面」の代表作「支配社会学」にも、いぜんとして規準としてはたらいています。

 つぎに、引用資料3.には、「レーエンの譲渡には、新取得者とレーエン関係を取り結ぶことについての封主の諒解が必要であった」とあります。この「諒解」は、ここだけでは一見、なんの変哲もない普通名詞のようにも取れますが、じつはそうではありません。レーエン関係とは、支配者 (「封主Lehensherr) が、「従臣Vasall」個人に、当初にはその臣従・軍事的給付とひきかえに、「レーエンLehen (土地とその支配権)」を「固有権Eigenrecht」として授与し (「授封verlehen」し)、支配の輔佐幹部Verwaltungsstabに登用する、半ば契約的な個人的忠誠誓約関係です。

 ところで、「伝統的支配」下では、一般に、支配者と輔佐幹部との間で、陰に陽に権力闘争が闘われ、これが支配関係の変動要因をなします。輔佐幹部が支配権を「専有appropriieren」しようとする分権化傾向と、支配者が (そのように「専有」された) 支配権を「奪回expropriieren」しようとする集権化傾向とが、どこかで不安定に拮抗します。「レーエン制」とは、そのうち、分権化傾向がたちまさる形態で、従臣はレーエン「専有」の度合いを強め、やがては他人に「譲渡veraeussern」するまでになります。そのさい、だれに譲渡するかについては、当初には当然、封主の「諒解」――すなわち、「制定律」はなくとも、じじつ上、譲渡を「妥当」と認め、新取得者を後継の従臣として受け入れることへの同意/諒解――が必要とされましょう。しかしやがて、そうした諒解が「買い取られ」て、封主の重要な収入源ともなり、これが「伝統によってtraditionell、あるいは制定律によってdurch Satzung 一般的に固定され」、「レーエンの完全な専有die volle Appropriation des LehensMWGA,Ⅰ/22-4: 409; WuG: 635; 世良訳Ⅱ: 338に帰着します。とすると、引用資料3.Einverständnisは、直後に出てくるこのSatzungとセットをなし、「当該関係の『合理化』の度合いを測定する尺度」の一指標として用いられていることになりましょう。カテゴリー論文を熟読し、その基礎概念を下敷きにして「旧稿」を読んでいくのでなければ、このEinverständnisSatzungも、普通名詞として「なにげなく読み流されてしまう」のではないでしょうか。

 つぎに引用資料4.ですが、この箇所は、「たんなる諒解行為」から「そのつどのvon Fall zu Fall」「協定Vereinbarung, Paktierung」締結(「臨機的ゲゼルシャフト結成Gelegenheitsvergesellschaftung」)を経て、「制定秩序」をそなえた「永続的dauerndな政治形象」=「身分制 [等族] 国家Ständestaat」の成立へと、さながらカテゴリー論文の基礎概念「オン・パレード」の観を呈しています。その「合理化尺度」の適用により、「身分制 [等族] 国家」の漸移的形成過程がたどられ、形成理由/形成条件が明らかにされると同時に、「身分制 [等族] 国家」という西洋中/近世に独特の政治形象が「伝統的支配」の限界点――国王の「家産官僚制」が合理的な近代官僚制」に推転を遂げる旋回点――に、位置づけられています。 

7.「支配社会学」の一論点(「合理化にともなう没理念化」)に、カテゴリー論文への前出参照指示あり

 以上のとおり、「支配社会学」には、カテゴリー論文の「合理化尺度」が適用され、とりわけ「伝統的支配」篇には、「諒解ゲマインシャフト」「諒解」「諒解行為」の明示的な適用例も見られました。しかし、その事実は、「統合」仮説にあまりにも好都合なので、かえって「自説に好都合な例ばかりを並べ立てても論証にはならない」という警句を思い起こさせます。そこで、反対に、「不統合」仮説に有利で「統合」仮説には不利な事実を取り上げて、検討してみることにしましょう。

 シュルフター教授によれば、「カリスマの概念したがって術語は、「第二局面で初めて使われるようになり、カテゴリー論文と「第一局面」に属するテクスト、たとえば「経済と秩序」篇には、まだ登場しません。なるほど、「経済と秩序」篇では、(既存の「習俗Sitte」や「慣習律Konvention」にもとづく)「大量(大衆)行為Massenhandeln」や「ゲマインシャフト行為」の規則性を覆す「革新Neuerung」が問題として取り上げられ、そこに「特定の『異常abnormな』体験をし、これによって他人に影響をおよぼすことのできる個人」という表記が出てきます。ところが、その「個人」は、「カリスマ的」個人とは呼ばれていません。ヴェーバーはむしろ、そうした「『異常な』個人」による影響のあり方につき、(ルドルフ・ゾームではなくヘルパッハによる「鼓吹Eingebung」と「感情移入Einfühlung」との区別を導入して、「予言」を「倫理予言ethische Prophetie」と「模範予言exemplarische Prophetie」とに分類する伏線を敷いているだけです。その「予言」の担い手、つまり「予言者」を、「第二局面」の「宗教社会学」篇におけるように、「使命によって神の命令ないし宗教上の教説を告知する個人カリスマの担い手」というふうに定義してはいません。ですから、「カリスマ」という語は、ヴェーバー固有の術語の意味では「第二局面」から使われるようになる、というシュルフター教授の指摘は、正鵠を射ています。

 問題は、この正しい事実が、「『第二局面』ではカテゴリー論文の基礎概念までが規準的機能を失う」という主張の証拠となりうるか、にあります。

 反証として、ひとつには、ヴェーバーが「第二局面」の「支配社会学」で、「カリスマという術語を明示的に用いて「カリスマ的支配」を論じながら、なおかつ同時にカテゴリー論文の参照を指示している事実 [前出参照指示Nr.474] を指摘することができます。引用資料5.をご覧ください。そこでヴェーバーは、「合理化」とくに「官僚制的合理化」を、「『外から』の」革命として捉えています。ただし、それが広範な大衆を捉えて実現された暁には、被指導者大衆においてはすでに「没理念化」されている、という随伴結果の指摘も忘れません。そしてこの論点は、前出参照指示Nr.474の指示どおり、引用資料6.にあるカテゴリー論文の末尾に、内容上正確に一致します。

 この事実は、ヴェーバーがなるほど、直接「カリスマ革命」自体についてではないとしても、それとになっている「外から」の革命については、カテゴリー論文の規準的意義を明示的に認めながら草稿をしたためている証左、と解せましょう。「カリスマ的支配」篇では、なるほど「カリスマ」という術語が新たに導入されているにせよ、そのためにカテゴリー論文の規準的意義が失なわれたわけではありません。

8.「宗教社会学」の一論点(「ゲマインデ Gemeinde」)に、「ゲゼルシャフト結成 Vergesellschaftung」概念が、カテゴリー論文に特有の意味で適用されている。併せて「旧稿」におけるヴェーバーの「ゲマインデ」概念

「支配社会学」篇についてはそのくらいにしまして、「旧稿」執筆「第二局面」のいまひとつの主要作品とされる「宗教社会学」については、どうでしょうか。

 この「宗教社会学」篇が、「第二局面」に執筆されたであろうことは、いくつかの[つぎの四つの]理由から、ほぼ確実です。[省略: ①「1910年構成表」では、ほぼ対応する項目が「4. 経済と社会」の「c 経済と文化 (史的唯物論の批判)]としてあるものの、「b 経済と社会集団 (家族団体と地域団体、身分と階級、国家)]とは別立てにされており、しかも c には「宗教」の表記はなく、適切な該当項目とはいえないこと、他方、②「19131230日書簡」には、トレルチを引き合いに出しての特筆があり、1912年に出たトレルチの大著『キリスト教教会と集団の社会教説』の向こうを張って、「宗教性」の考察について「ロゴスからエートスへ」と「関心の焦点」を移すと同時に、考察の範囲をキリスト教文化圏から「世界宗教」へと拡大していくヴェーバーのスタンスが簡潔に表明されていること、③1913年にカテゴリー論文を『ロゴス』誌に発表する直前に執筆したと思われるカテゴリー論文「第一部(§§13) には、「脱呪術化Entzauberung」にともなう「宗教性」の「非合理化Irrationalisierung」/ルサンチマン理論の射程/神秘主義的救済追求の副産物としての「無宇宙愛 akosmistische Liebe」といった、「宗教社会学」篇と共通で特徴のある論点が取り入れられて、執筆期の重なりを示唆していること、④「1914年構成表」には、項目5.に、「(1) 宗教ゲマインシャフト、(2) 宗教の階級的被制約性、(3) 文化宗教と経済エートス」という見出しがあり、これが現行「宗教社会学」篇の三大区分に正確に対応すること、です。]

 この「宗教社会学」篇には、なるほど「支配社会学」篇とは異なって、「諒解」とその合成語は出てきません。しかし、「宗教社会学」篇からの引用資料8., 10.13., 16.に明らかなとおり、「(1)宗教ゲマインシャフト」の中心テーマ「ゲマインデGemeinde」には、カテゴリー論文の基礎概念のひとつ「ゲゼルシャフト結成」が、カテゴリー論文のヴェーバーに固有の意味で首尾一貫して適用されています。

 宗教的意味の「ゲマインデ」は、いくつかの経路で発生します。ひとつには「予言者Prophet」の「弟子Schüler」「門弟Jünger」「使徒」などの個人的「助力者Helfer(「支配」のカテゴリーでは「カリスマ的支配者」の「輔佐幹部」)が、外囲の「帰依者Anhänger」たちを、離合集散たえまない「臨機的平信徒Gelegenheitslaie」の状態に止め置かず、「教典」「法典」「律蔵」などの「制定律」によって双方の「権利-義務」を規定し、持続的な「教団生活」の「ゲマインシャフト行為」に、多少とも能動的に参加させるとき、そうした「予言の日常化」の随伴結果として成立します。いまひとつの経路としては、引用資料12.のとおり、たとえば古代中東のペルシャ帝国の支配下では、被征服民の政治団体は絶滅され、住民は武装解除されましたが、エズラ/ネヘミアらの「エルサレム帰還教団」では、「祭司Priester」は地位を保障され、一定の政治的権能さえ与えられ、被征服民の「馴致手段Domestikationsmittel」として利用されました。ヴェーバーは、いずれにせよ「平信徒が、ひとつの持続的なゲマインシャフト行為(「教団生活」)にゲゼルシャフト結成され、しかもかれらが、そのゲマインシャフト行為の経過に、能動的にもはたらきかけている」ばあいに、「教団宗教性Gemeindereligiosität」について語ろうというのです。

 ところで、この「ゲマインデ」という概念は、宗教的意味の「教団」にかぎられません。引用資料8.には「この宗教的意味における『ゲマインデ』は、経済的財政的あるいはそれ以外の政治的な理由でゲゼルシャフト結成vergesellschaftenされる(「ゲゼルシャフト関係」に編入される)近隣団体とならぶ、ゲマインデの第二範疇 die zweite Kategorieである」とあります。とすると「第一範疇」とはなにか、が問題となりましょう。そこで、関連箇所を網羅的に検索してみますと、別の箇所 (引用資料9.) に、「ゲマインデ」は、「近隣ゲマインシャフトNachbarschaftsgemeinschaft」を「原生的urwüchsigな基礎」とし、「数多の近隣団体Nachbarschaftsverbändeが、それらを包摂する政治的ゲマインシャフト行為と関係づけられて初めて創成される」とあります。また、引用資料12.の「教団」についても、それが「被征服民の馴致手段」として政治的に利用されるのは、「財政上の利益を確保するために、近隣団体から強制ゲマインデがつくられるばあいに似て」と言い添えられています。これらの箇所を総合し、引用資料14., 15.も勘案しますと、「第一範疇」とは、家産制的君侯/君主が「政治的臣民」を「地域団体」に組織して支配する様式で、複数の近隣ゲマインシャフトに「上から」「制定秩序」を「授与oktroyieren」し、貢租Abgabenなどを賦課し、連帯責任を追わせる「強制団体」「ライトゥルギー的義務団体leiturgische Pflichtenverbände」を指すと読めましょう。そして、ヴェーバーは、この意味の「ゲマインデ」が、1.「首長にたいして広範な独立性をもつ地方的な名望家行政」に発展する方向と、逆に、2. 「臣民の総体的/個人的persönlichな家産制的隷属」に帰着する方向とを、理念型的に区別し、そうした分岐の諸条件を索出していましたMWGA, Ⅰ/22-4: 284; WuG: 593; 世良訳Ⅰ: 188

 さらに、引用資料17., 18.に見られるとおり、「『ゲマインデ』としての都市」、いうなれば「第三範疇」も登場します。これも、「都市の複数の『近隣ゲマインシャフト』を『原生的な基礎』とし、それらを包摂する都市君侯の政治ゲマインシャフト行為によって創成される『ゲゼルシャフト結成』態」と考えれば、「ゲマインデ」の一般概念に該当します。ここでも、そうした「都市ゲマインデ」が、「村落ゲマインデ」と同じく、「臣民の総体的/個人的な家産制的隷属」体制に編入されるか、それとも「西欧中世内陸都市」のように、局地的支配権を都市君侯から「簒奪usurpieren」し、「自律的autonomかつ自首的autokephalゲゼルシャフト」つまり「自治都市」を結成し、その合理的所産を「身分制[等族]国家」を介して中央君主/国王に採択させ、「近代官僚制」への脱皮を側面から促すか、という理念型的区別が立てられ、そうした分岐の諸条件が論じられています。

  このように、「ゲマインデ」の三範疇は、「旧稿」内部で、あちこちに分散し、バラバラに論じられているようにも見えますが、じつはそうではありません。カテゴリー論文に特有の「ゲゼルシャフト結成」概念によって結びつけられ統合されています。「『ゲゼルシャフト結成』に媒介された持続的な『近隣-地域ゲマインシャフト形成』」という一般概念を基礎に、「教団」「(村落)共同体」「都市」といった「地域団体形成」の具体的様態が、やはり「西洋文化圏の運命を他の諸文化圏から分けた諸条件の『布置連関』いかん」という問題設定のもとに、体系的に問われているのです。カテゴリー論文の基礎概念/「合理化尺度」をしっかり把握してかかりませんと、こうした体系的関連が、看過され、まったく視界に入ってこない、ということにもなりかねません。

[時間を見て、以下、中略可能。レジュメ項目だけ読み上げる]

9.「団体の経済的諸関係一般」の一論点(「ゲゼルシャフト結成」に随伴する「ゲマインシャフト形成」)にはカテゴリー論文に特有の図式が適用され、しかもそこにはカテゴリー論文への前出参照指示が付されている。

 では、「支配社会学」篇/「宗教社会学」篇以外で、「第二局面」に属する諸篇についてはどうでしょうか。

 シュルフター教授は、「団体の経済的諸関係一般」篇を、「第二局面」の作品と考えておられます。

 そこで、その篇を取り上げてみますと、「ゲマインシャフトの排他的閉鎖と経済的利害関心との関連」を論じている箇所に、引用資料19.のような叙述があります。趣旨を要約しますと、① 宗教的ゼクテ/社交クラブ/ボーリング・クラブなど、特定の目的のもとに「規約」を「制定」して結成される「目的結社Zweckverein」「目的団体Zweckverband」は、「ゲゼルシャフト結成」の合理的な理念型に近いのですが、② 経済的/政治的類型とは異なり、構成員の補充にあたって、資格審査をおこなうのが通例です。そのさい、審査の対象項目は、結社目的の達成に必要な特定の能力や資格の「範囲を越えてübergreifend」、当人の「行状」や「人柄」一般にもおよびます。したがって、③ 審査に合格して加入を認められた構成員は、まさにそれゆえ、「行状」や「人柄」も認証された「ひとかどの人物」として「正当性」を取得し、④ 対外的には、第三者の「信用」をえて、取引関係その他を創出-拡大することができましょうし、⑤ 団体内部でも、そうした「仲間」同士、非公式な「コネ」を培って、相互に利益を与え合うこともできましょう。ところで、⑥ そうした対外的また対内的「人間関係」は、結社目的に沿う合理的「制定秩序」の「範囲を越えて」おり、そのかぎり「ゲゼルシャフト関係」ではありませんが、おおかた相互の期待妥当と認め合って裏切らないような「ゲマインシャフト関係」、つまり、術語こそ適用してはいませんが「諒解関係」にほかなりません。ところが、この「諒解関係」はしばしば、信用取引の創出/拡大といった経済的利益をともなうので、⑦ 正式の団体目的には無関心でいながら、そうした経済的利益を当て込み、もっぱらそのために、当の結社/団体に加入しようとする申請者も出てきます。その結果、⑧「ゲゼルシャフト関係」と(そこから派生した)「諒解関係」との総体のなかで、重点はむしろ「諒解関係」に移動し、ばあいによっては当初の目的がないがしろにされ、顧みられなくなる、というわけです。

 としますと、この論点は、ヴェーバーが北アメリカ旅行の途次に、バプテスト (「再洗礼派」) 系「ゼクテ」と (その世俗化形態である)「クラブ」の実態を観察し、その社会的/経済的機能への洞察を取得し、そこで確認された関係を普遍化して、一般経験則/一般図式に定式化したものといえましょう。そして、この図式は、冒頭にある前出参照指示Nr.24の指示どおり、カテゴリー論文「第二部」29段で、引用資料20.のように、こちらでは「諒解」という術語も使って、文字どおり「一般的に確定され」ています。ヴェーバーは、この「テクスト連関textlicher Zusammenhang」を念頭において「団体の経済的諸関係一般」篇を書き下ろし、まさにそうであればこそ、「諒解という術語の反復にはこだわらなかった、といえるのではないでしょうか。

10.「種族的ゲマインシャフト関係」の一論点(「政治ゲマインシャフト行為による合理的ゲゼルシャフト結成が、種族ゲマインシャフト関係に解釈替えされる」)に、同一の一般図式が適用される。

 さらに、この一般図式は、後続の諸篇中、(「19131230日書簡」に初めて登場し、「1914年構成表」でも同じ位置に止め置かれるので)「第二局面」に属すると思われる「種族的ゲマインシャフト関係」篇にも具体的に適用され、「政治的ゲマインシャフト行為による合理的ゲゼルシャフト結成が、種族ゲマインシャフト関係に解釈替えumdeutenされる」という論点の説明に活かされています。引用資料21.をご覧ください。たとえば、古代イスラエルの「十二部族」は、じつは王政に由来し、王にたいするライトゥルギー (実物貢納/給付義務) を各行政単位に割り当てる、合理的な「ゲゼルシャフト結成」によって「人為的」に創り出されたものですが、そうした「合理的に即物化されたゲゼルシャフト行為」が普及せず、人々の思考習慣にそぐわない当時としては、「王の食卓に月ごとに食事を供する十二部族」として、「種族的共属信仰にもとづく兄弟盟約」の表象が誘発/創成され、そうして初めて馴染まれ、定着し、伝承された、というのです。そうしますと、そこに見られる「われわれによく知られた図式」(参照指示Nr.55) とは、カテゴリー論文第29段で「一般的に確定」され、「団体の経済的諸関係一般」篇第11段に引き継がれていた例の一般図式にほかなりません。カテゴリー論文の基礎概念は、ここにも適用されています。

[中略止め、以下、活かす]

 ちなみに、それ [「団体の経済的諸関係一般」と「種族ゲマインシャフト関係」] 以外の諸篇について見ると、どうでしょうか。なるほど、「家ゲマインシャフト」から「オイコス」にかけての篇には、「諒解」とその合成語は姿を顕しません。しかし、それらの篇では、「家ゲマインシャフト」「近隣ゲマインシャフト」「氏族ゲマインシャフトSippengemeinschaft」などの語が、そうした「ゲマインシャフト形象」を「実体化」することなく、それぞれ「ゲマインシャフト行為」の構造形式 (すなわち、「制定律」はないものの「諒解」によって秩序づけられた協働行為Zusammenhandeln連関) を指し示す術語として、頻繁に用いられています。また、「家父長」や「氏族長老」など、「諒解」にもとづいて強制力を発動し、「諒解秩序」を維持する権力保有者の存在が想定できるばあいには、「家団体Hausverband」「近隣団体Nachbarschaftsverband」「氏族団体Sippenverband」という術語が用いられています。カテゴリー論文で、「団体Verband」が、「諒解にもとづく支配形象一般として、(「ゲゼルシャフト関係」として構成される)「アンシュタルトAnstalt」と区別されているからです。つまり、「家ゲマインシャフト」「近隣ゲマインシャフト」「氏族ゲマインシャフト」は、そのつど断るまでもなく、けっして「無秩序なゲマインシャフト行為」の散発態ではなく、「家計Haushaltの共有と恭順Pietät」「空間的近接と救難援助Nothilfe」「族外婚/財産相続/血讐義務Blutrachepflicht」をめぐる「諒解」のシャンスにもとづき、「諒解行為」群が「諒解秩序」に準拠して秩序づけられた、一定範囲の「諒解ゲマインシャフト」をなし、多くのばあい、当の「諒解秩序」を維持する権力保有者が厳存する「団体」です。それらは、カテゴリー論文「第二部」の基礎概念/「合理化尺度」が前置されていて、読者の念頭にあると前提することができれば、そのつどいちいち「家-諒解ゲマインシャフトHaus-Einverständnisgemeinschaft」「近隣-諒解ゲマインシャフト」「氏族-諒解ゲマインシャフト」などと、長ったらしい術語を反復しなくとも、指示できます。著者ヴェーバーは、かえってそう前提していたからこそ、無用な反復は避けられたし、じじつ避けたのではないでしょうか。その意味で、「諒解」の概念は堅持されながら、術語の用例は発展的に解消している、といえるではないでしょうか。

 それにひきかえ、「階級」「身分」「党派」「政治ゲマインシャフト」および比較的規模の大きい「支配形象」のばあいには、それぞれが「『ゲマインシャフト行為』の『合理化』尺度」のうえで、「同種の大量行為」から「無秩序なゲマインシャフト行為」をへて、「諒解行為」の水準に達しているかどうか、さらには「ゲゼルシャフト結成」にいたり、そこから、いかなる「諒解関係」が、どんな方向に、どの程度、派生しているか、といった階梯や様相が、「階級」についてもっとも明白なとおり、けっして自明のことではありません。むしろ、そうした階梯をへる、「社会形象としての (たとえば「階級」としての) 成熟度、また逆に拡散度こそが、まさに当該「尺度」の術語を明示的に用いて問われ、弁別され、その諸条件が索出されるべき、社会学的問題をなしています。

 したがって、「諒解」とその合成語がテクストに姿を顕すかどうかは、シュルフター教授の想定とは異なり、「執筆局面」による基礎概念の違いを象徴する「作品史的werkgeschichtlich」指標ではないと考えられます。それは、執筆局面がどうあれ、当該の篇で対象として取り扱われる「社会形象」の一般性格によってきまる、明示的適用の必須度のメルクマールではないでしょうか。「諒解」という術語でなく、概念そのものは、「合理化」尺度の一環として、「第二局面を含む旧稿全篇に適用されている、と見ないわけにはいきません。

 

結論

 というわけで、折原の結論は、カテゴリー論文の基礎概念、つまり「『ゲマインシャフト行為』ないし『社会的秩序』の『合理化』尺度」を構成する概念セットは、「旧稿」執筆の「第二局面」でも、いぜんとして規準的意義を失ってはいない、と出ます。シュルフター教授の忌憚ないご批判を期待します。

[以下、省略。時間と機会があれば、討論のさいに述べる]

 以上で、この報告の意図して限定した問題設定には、結論が出ました。

 いったんこの結論が認められ、カテゴリー論文が「旧稿」に前置され、その基礎概念を踏まえて「旧稿」が再読されますと、「旧稿」全篇の体系的構成にも、「理に適う」展望が開けるでしょう。たとえば、「1914年構成表」の第8.項「支配」に相当する「支配社会学」篇が、「西洋文化圏の歴史的運命を他の諸文化圏から分けた諸要因の布置連関いかん」という統一的問題設定のもとに、「価値関係類型概念と一般経験則を定式化した叙述であること、さればこそ「都市」篇は、「混入異物」(モムゼン)どころか、「西洋中世内陸都市」類型が「ゲマインデ」として「政治的自律」を達成する諸条件にかんする8. a)「正当的支配の三類型」と8. b)「政治的支配と教権制的支配」とのあと、その帰結としての8. d)「近代国家の発展」のまえ、まさに8. c)の位置で、「支配社会学」篇に編入されなければならなかったこと、ところが、従来の読み方では、8. a)だけが、そうした「布置連関」から切り離されて、多分に「一人歩き」してきたこと、などが、はっきり見えてくるでしょう。

 また、たとえば「『内から』の革命」としての「カリスマ」にかんする叙述も、カテゴリー論文からの引用資料7.(末尾)に抽象的に提示されている理論視角と結びつけ、併せてカテゴリー論文にいたる方法論的模索――シュタムラーのみでなく、たとえばカール・メンガーにたいする対決――との関連も問いなおしますと、いろいろと興味深い問題が出てきます。たとえば、新しい社会制度/社会形象の創始/「革新Neuerung」/「革命Revolution」にかんするヴェーバーの理論視角と、ドイツ歴史学派やコント/デュルケーム系統のフランス社会学に対抗するヴェーバーのスタンスの独自性も見えてきます。

 しかし、本日は、そうした問題に心置きなく取り組むためにも、問い残されてきた「最初の一歩」を固める課題に、自己限定した次第です。細かい論点にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

 

プラスα 二論 [省略]

1.「支配社会学」の、「文化科学」的「法則科学」としての全体系構成と、「都市」篇の編入

「支配社会学」の叙述の背後には、「なぜ、西洋文化圏では、中世から近世にかけて、『身分制[等族]国家』が成立するばかりか、そこから「近代官僚制国家への脱皮合理化が達成されたのか」という問題設定が控えています。叙述はそこから、この問題を他文化圏との比較において普遍史的に究明する、歴史・社会科学的な概念的道具立ての編成に向かい、その観点から体系的に制御されています。「旧稿」への帰属がしばしば問題とされる「都市」篇も、まさにそれゆえ、「1914年構成表」の、8.a)「正当的支配の三類型」、8.b)「政治的支配と教権制的支配」のあと8.d)「近代国家の発展」のまえ、つまりまさに8.c)非正当的支配」「都市の類型学の位置に、配置/編入されている、と思われます。というのは、こうです。

 8.a)「正当的支配の三類型」の「伝統的支配」篇では、叙述が、家産制の分権化形態としての「レーエン」制ないし「レーエン封建制」に向けて進められ、家産制君主/国王の正当的政治権力が、「身分制国家」に結集した従臣団/封建貴族によって大幅な制限を被る限界に到達します。「カリスマ的支配」篇では、軍事カリスマと呪術カリスマとの分化/緊張、「カリスマの日常化」による「血統(世襲)カリスマ」ないし「官職カリスマ」と、純正な個人カリスマとの緊張に、それぞれスポットが当てられます。これを前段に、8.b)「政治的支配と教権制的支配」では、西洋中世において (軍事カリスマに由来する) 王制と、(呪術カリスマから発展する) 教権制との緊張が、後者に有利な対抗的相互補完関係に帰着する事情が分析されます。すなわち、一方では、ローマ帝政において、血統カリスマが確立せず、非世襲の皇帝が、即位のつど教権制による正当化を必要として、教権制を補強せざるをえなかった外部事情、他方では、教権制における官職カリスマ(教皇/司教/司祭)と個人カリスマ (修道士) との緊張が、分裂を招いて教権制を弱める通例とは逆に、修道士を宣教の尖兵とし、また余剰業績によって余剰恩寵を教会の救済財庫に蓄える働き手として、修道院に首尾よく統合する形で解決された、という内部事情、――このふたつの事情があいまって、ローマ・カトリック教会は、歴史上に類例を見ないほど強力な教権制をなし、自律と合理化をとげて、世俗的政治的権力を掣肘しました。したがって、西洋中世には、古代中東の「治水耕作Flurregulierungskultur」を経済的基礎とする「家産官僚制的patrimonialbürokratisch」また「皇帝教皇主義的zäsaro-papistisch」な「世界帝国Weltreich」とは対照的に、複数の家産制君主たちが、① 互いに、また、② 結束した自国のレーエン制的従臣団(貴族身分)と、対立/抗争を繰り返し、さらに ③ 最強の「教権制」による掣肘も受けて、正当的な政治権力の極小化に追い込まれたのです。この状況を、ヴェーバーは、「西洋文化に独自の発展の萌芽を蔵した」「諸勢力の緊張と一種独特の均衡」として捉え、「統一文化Einheitskulturの欠如」と呼んでいます (MWGA,Ⅰ/22-4: 649; WuG: 713; 世良訳Ⅱ: 608-9)

 この状況で、いわば「漁夫の利」を占め、非正当的にゲゼルシャフト結集し、非正当的に政治権力を「簒奪」して自律的自首的ゲマインデ」を結成したのが、「西欧中世内陸都市」ということになりましょう。ですから、8.c)「非正当的支配」「都市の類型学」は、まさにこの位置に置かれて、まずは古今東西の都市的社会形象にかんする一般概念/類型概念を構成し、そのなかで、西欧中世内陸都市の特性を浮き彫りにしていきます。中世内陸都市は、古代ポリスとは異なって、同時代における軍事的に最強の政治形象ではなく、なるほど軍事力を用いて自分たちの政治的自律を達成し、維持することはあっても、それ以上に政治的軍事的に拡張をとげる道は、農村に城砦を構えた封建騎士/貴族層によっても、国王権力によっても、遮られていました。封建制の文化は、市民的営利を貶価し、市民の富の「貴族化」を阻止しました。まさにそれゆえ、西欧中世内陸都市の市民層は、(政治的にでなく) 経済的に拡張をとげる道、すなわち、周辺の農村に市場圏を拡げ、農民を荘園領主制から解放しつつ、初期 (産業) 資本主義的経営の軌道に沿って進んだのです。

 富裕となった市民層は、やがて「身分制 [等族] 国家」の一角に「第三身分」として食い込み、封建貴族にたいしては国王と共同戦線を張って、そのかぎり国王とも対抗的に提携し、戦費を用立てたりもします。しかし、その見返りとして、自分たちの利害関心にしたがい、中世都市の合理的所産(自律的な法制定、相対的に形式合理的な裁判、有給官吏による行政、貨幣鋳造などの諸様式/諸技術)を国王が採択し、中央の裁判所や行政官庁に拡大的に制度化していくように仕向け、他方では市民層出自の法律家を中央官庁に送り込み、その方向で国王を輔佐させます。そのようにして、国王の家産官僚制が、(封建貴族によって「専有」された支配権をもういちど「奪回expropriieren」しようとする局面で) 近代官僚制へと脱皮する道を開き、促進もしました。ところが、ほかならぬその過程で、都市ごとの政治的自律は、発展的に解消されることになります。ちょうどそこのところで、「旧稿」の叙述も、8. e)近代国家の発展」に引き渡される予定だったのでしょう。ですから、8.c)を中に挟んで、8.a)8.b)はその条件8.e)はその帰結にかんする叙述、ということになります。

 ですから、「旧稿」の叙述は、なるほど「一般化」的「法則科学」ではありますが、けっして「価値関係」と無縁ではなく、「なぜ西洋文化圏にのみ、近代国家、近代資本主義など、独自の『合理性』を帯びる文化諸形象が自生的endogenに発生してきたのか」という問題設定にもとづき、そうした発展を可能にした諸要因の「布置連関Konstellation」に焦点を合わせて、必要/不可欠の類型概念法則的知識を、系統立って定式化しています。なるほど、「都市」篇が「支配社会学」に編入されている事実は、「前後参照指示」のネットワークによっても確証できます。しかし、そのうえで、その編入が偶然ないし外的ではなく、「支配社会学」の全体系構成に内的に編入され、独自の位置価をそなえた環をなしている関連は、以上のとおり、「体系的systematisch」方法によっても立証されるのです。

 ヴェーバーの見るところ、近代資本主義/近代国家といった特殊「合理的」な文化諸形象への自生的発展の有無という一点にかけて、諸文化圏の歴史的運命を分けた主要な要因は、宗教性と「『支配』の内的構造形式 die inneren Strukturformen der "Herrschaft "(MWGA, Ⅰ/22-4: 441; WuG: 378; 武藤他訳: 332) とに絞られます。とすると、西洋中世に見られる、そうした「『支配』の内的構造形式」とは、いま取り上げた「布置連関」を指しているといえましょう。「騎士対祭司の対抗軸」を抽象的に取り出してきて実体化するのではなく、こうした「内的構造形式」「布置連関」を突き止め、そのなかで「騎士」層や「祭司」層がどういう相補的対抗関係におかれ、それぞれどういう位置価を帯び、どういう機能を果たすか、と問うていくのが、ヴェーバーの方法です。わたくしたちは、「旧稿」テクストへの沈潜をとおして、そういう方法をこそ、会得したいと思います。

 

2. メンガー由来の「方法論的個人主義」からする「革新」「革命」の理論――カテゴリー論文の定式化とその適用例

 カテゴリー論文 (このばあいは「第一部」) には、引用資料7.のような観点が提示されています。この引用のお終いのところで、ヴェーバーが、文化史からいくらでも具体例を引けるといって抽象的に要約している命題は、「社会科学方法論争」の一方の旗頭であったカール・メンガーとの関連で、きわめて重要と思われます。

 折原の理解では、メンガーは、社会制度/社会形象の創始(「革新」)に、「実用主義的pragmatisch」と「無反省的unreflectirt」との二類型を考えました。「実用主義的」とは、目的意識的な立法による制度創設で、ヴェーバーの「新しい制定秩序の授与ないし協定」=「ゲゼルシャフト結成」=「合理化」=「『外から』の変革」に相当するでしょう。それにたいして、メンガーは、社会形象が、歴史の経過のなかで「無反省的」にも成立する、という事実に注目し、そうした社会形象を、オーギュスト・コントやドイツ歴史学派と同じく「有機的organisch」と呼ぶことも容認したうえで、なおかつその成立を、かれの「精密的exact」方針にしたがって「原子論的atomistisch」に説明することができる、と主張しました。たとえば、貨幣制度の発生は、直接的な物々交換の難点を、だれかある個人が、いったん第三の (自分の需求を直接充足しはしないけれども、「販売力」はある) 財貨と交換し、その特定量を自分の需求に適う財貨と交換する、という具合に、間接交換への突破口を開くことによって克服し、この新機軸が、周辺の諸個人に「模倣」されて「普及」し、やがて「慣習化」する、というふうに説明できる、というわけです。しかも、メンガーは、貨幣制度だけではなく、集落/市場/言語/国家/法など、(立法による創設態を除く) 数多の社会制度も、その始源と変遷を、このように個人的な諸努力の「無反省的」所産/「意図されない合成果」として説明できると述べ、「精密的」「原子論的」方針を、社会諸制度に普遍化的に適用/展開する道を開きました。

 この方針を説くコンテクストのなかで、メンガーは、引用資料22.のように、オーギュスト・コントを批判しています。ヴェーバーはといえば、社会形象の「全体を、個別現象から因果的に説明することは、(事実上のみでなく) 原理的に不可能」というロッシャーの見地を「ドグマ」としてしりぞけ (WL: 35-6)、つぎのような見解を対置し、そのさいメンガーに言及します。すわなち、「われわれは、社会科学Gesellschaftswissenschaftの領域では、社会がそれによって構成され、社会諸関係のすべての糸がそこを通り抜けなければならない『もっとも微細な部分die kleinsten Teile』の内側を覗き込むことができるという幸福な状態にあるから、ほんとうのところ事態は逆である、という異論が、すでにメンガーによって、またその後多くの人々によって唱えられている」(WL: 35 Anm. 1) というのです。つまり、ヴェーバーも、「もっとも微細な部分」すなわち社会を織りなす人間諸個人について、内面的/精神的「動機」を「有意味的に解明」ないし「追体験的に理解」する可能性があり、したがって、社会科学は、「観察」に加えて「理解」もでき、「理解」された意味・動機を因果的契機として行為を「説明」できる、というふうに、積極的に捉え返します。まさにそれゆえ、社会形象ないし「集合的なものthe collective」を実体化して、そこから出発するのではなく、それらをいったんは(「意味」の担い手としての)個人の行為にまで還元して、ここから出発し、社会諸形象/ゲマインシャフト諸形象を、「諸個人の行為の多少とも秩序づけられた協働行為連関」として捉え返していく「方法論的個人主義」の方針を採用するのです。そういうヴェーバーは、「他人の精神生活を解明することは原理的に不可能」というリッカートに反対して、「どんな種類の人間行為ないし人間表現の経過も、意味のある解明sinnvolle Deutungが可能である」(WL: 12-3 Anm.) と主張するかれでもあります。フランス社会学史の系譜に置き換えていえば、ヴェーバーは、メンガーの視点を継受することによって、基本的には、コント-デュルケームの伝統ではなく、ガブリエル・タルドの(「発明-模倣」図式の)見地に立ったといえましょう。

 管見では、デュルケーム社会学は、「集合的なもの」「集団表象」を起点に据えますが、当の「集団表象」の発生成立を、少なくともその個性的な質に立ち入ってまでは説明できない、という難点を抱えています。その点、諸個人の有意味的行為から出発して「社会形象」「ゲマインシャフト形象」の成立変遷(再成立)を説明しようというメンガー-ヴェーバーの「方法論的個人主義」の説明方針は、デュルケーム社会学の難点を越え、それだけ優位にある、といえるのではないでしょうか。そして、ヴェーバーが、ロッシャーやメンガーのみでなく、もとよりシュタムラーのみではなく、ヴント/ジンメル/リッカート/ディルタイなど、同時代の主だった方法論者との批判的対決をとおして進めてきた方法論的模索の積極的集成定式化が、ほかならぬカテゴリー論文にある、ということになるのではないでしょうか。しかし、方法論的諸論稿とカテゴリー論文との関係を、フランス社会学の系譜も対照的類例として射程に入れ、浮き彫りにする課題は、ここでついでに論じられるようなものではありません。

 当面の問題は、ヴェーバーが、社会科学の基本的なスタンスを、そのようにメンガーから継受しているとすれば、社会制度/社会形象の成立にかんする「実用主義的」と「無反省的」との区別、とくに後者を、どのように捉え返し、再定式化しているのか、それが「カリスマ革命」とどのような関連にあるのか、という論点にかぎられます。引用資料7.では、まえのコンテクストを少し長めに引用しておきましたが、そこでヴェーバーは、精神分析/ルサンチマン説/「経済的唯物論」を挙げ、それらの理論においては「主観的に目的合理的なものと、客観的に整合合理的なものとが、必ずしも明瞭には区別されない関係に置かれている」といって批判しています。そのうえで、では両者を「明瞭に区別して」かかるとどうなるのか、と問い、「直接『目的合理的』な動機によって生み出されたと見えるものが、発生状況に穿ち入ってみると、じつは『(主観的には目的)非合理的』な動機によって生み出され、それが事後的に、生活技術的な『(客観的)整合合理性』を取得し、それゆえに『生き残り』『普及』もする、――その関係を、後世から『成功物語success story』風に眺めて再構成すると、『「成功」目当てに、主観的に目的合理的に生み出されたかのように』錯視されもする」と答え、文化史からいくらでも例を引ける、と述べていたわけです。そこで、ヴェーバーの数々の文化史的研究から、具体的な例証を探してみますと、「古代ユダヤ教」の一節で、同じように「経済的唯物論」の説明方針に対置して、「主観的目的合理性客観的整合合理性との区別を基礎とするかれの説明方針を具体的に適用しているところが、確かにありますRS: 87-8, 188

 古代パレスチナの砂漠/草原地帯に住んでいた牧羊者Hirten/反遊牧的小家畜飼育者halbnomadische Kleinviehzüchter層において、「氏族Sippe」の規模を越える政治的「部族Stamm」結集は、自然環境/物質的生活諸条件に規定されて、著しく不安定でした。すなわち、人口の自然増と牧草地の稀少化にともない、氏族単位の定住に移行する分解/分散傾向を免れませんでした。ところが、諸氏族が「宗教的兄弟団Bruderschaft」を結成して「部族」をなすばあいには、他のそうでない諸部族の分散傾向/不安定性とは顕著な対照をなして、長期にわたる安定と存続を確保しえたというのです。

 さて、問題は、この事実をどう説明するか、にあります。まず、「経済的唯物論」にしたがって、草原地帯の物質的/経済的生活条件が「土台」ないし「下部構造」をなし、その「イデオロギー」ないし「上部構造」として、宗教の領域に、おのずと「兄弟団」が生み出された、というふうに「客観主義的」に説明するのは、無理でしょう。そのように説明できるのはむしろ、繰り返し起きる「氏族」への分解/分散傾向のほうだからです。他方、メンガーの「実用主義」的成立という説明方針にしたがって、諸氏族ないし諸氏族のゆるやかな連合が、自分たちの生活条件に由来する分解傾向を冷厳に認識し、これを克服しようとの目的を設定し、その手段として、初めから主観的に目的意識的/目的合理的に「宗教的兄弟団」を設立した、というふうに解釈するのも、やはり行き過ぎでしょう。

 ヴェーバーが、このふたつの先行方針を考慮に入れ、「経済的唯物論」批判のほうを前面に押し立てながら説くところは、こうです。すなわち、「宗教的兄弟団」の創始そのものは、宗教上の――したがって、政治上/経済上は「偶然」で「非合理――理由によって生起し、「まったく具体的な宗教史的、しかもしばしばきわめて個人的な事情と運命」によってきまる。しかし、ひとたび「宗教的兄弟団」が創始されるや、そのようにして宗教的に裏打ちされた「部族」結集態は、当の社会層の生活諸条件のもとで、他の不安定な政治諸形象――「宗教的兄弟団」はなさない政治的等価態の「部族」結集――に比して、淘汰に耐えて生き延びる、はるかに大きな客観的可能性、つまり「生活技術」「ライフ・スタイル」としての「客観的整合合理性」を取得した。そのうえで、「宗教的兄弟団」の結成が、政治的勢力手段/経済的存続手段としてはからずも有効/適切であると、事後的に証明され、広く認識されると、この認識が翻って、その普及には寄与する。つまり、有効と証明された手段が、いまや競って、こんどは目的意識的――「主観的に目的合理的」――に、採用される。レカブの子ヨナタブの告知も、ムハンマドの宣教も、そういう「意図されない合成果」をともなった、というのです。

 とすると、この説明方針は、社会制度/社会形象の「無反省的」成立にかんするメンガーの「精密的」「原子論的」説明方針を、ヴェーバーが継承し、マルクスやドイツ歴史学派の「総体論的説明方針との相互媒介関係のなかに置いてWL: 163敷衍し、文化史的研究に適用して鍛え上げた成果、といえるのではないでしょうか。ヴェーバーは、一方では「総体論的」説明方針を継受していたために、メンガーの多分に「合理主義」的な適用制限は取り払って、初発の合理的」「革新」「革命」を宗教の領域に求め、その「意図せざる」「合理的合成果」を政治や経済の領域に探る、というような大胆な間領域的適用の道が開けたのではないでしょうか。その意味で、ヴェーバー歴史・社会科学の方法は、メンガーと歴史学派との間で闘わされた「社会科学方法論争」のひとつの創造的な解であり、(歴史学派とじつは等価の)コント/デュルケーム学派の系譜にたいしては「一頭地を抜きん出て」いた、といえるのではないでしょうか。じつは「倫理」論文も、「淘汰」説の批判において、同じ説明方針が貫徹されている、と読めるのではありますまいか。

 ただし、ヴェーバーは、「古代ユダヤ教」でも「倫理」論文でも、初発の「革新」局面に、「カリスマ」概念を術語として明示的に適用してはいません。一方ではレカブの子ヨナタブもムハンマドも、他方ではルターもカルヴァンも、「カリスマ的」な予言者あるいは宗教改革者に違いないのですが。また、「『内から』の革命」としてのカリスマ的「革新」が、必ず「客観的に整合合理的」な帰結をともなうときまっているわけではありません。それがいかなる歴史的運命をたどるのかは、非日常的な「カリスマ」が不可避的に「日常化」していく、そのときどきの諸条件の布置連関によってきまる、と見なければなりません。

 ですから、折原は、「古代ユダヤ教」の一節にもっとも明晰に定式化された、社会制度/社会形象の歴史的創始にかんするヴェーバーの説明方針と、「旧稿」の「支配社会学」に定式化されている「カリスマ的」「突破」「革新」「革命」の理論とを、ここで性急に結合/等置/同一視しようとは思いません。ひとつの仮説的問題提起にとどめて、議論を喚起したいだけです。

 ただ、ここで垣間見てきたような、ヴェーバーの方法論的模索の成果/メンガーと歴史学派との相互媒介の一端が、カテゴリー論文からの引用資料7. にいったん集約されていること、また、「主観的目的合理性」と「客観的整合合理性」との――ヴェーバー、というよりも、かれのカテゴリー論文に独自の――区別にもとづく、そうした理論的着想と視点が、その後の文化史的研究一般(「古代ユダヤ教」では明示的に)適用され、展開されていくことも、確かでしょう。したがって、そのカテゴリー論文と「旧稿」とを切り離し、「旧稿」の「カリスマ的支配」篇を孤立させて読むのでは、その背後にある豊かな理論的含蓄や歴史的適用への潜勢を引き出せずに終わるのではないか、と危惧するのですが、いかがでしょうか。

 

(このHPの連載記事(7)~(12)を、317日当日の報告時間制限約30分に向けて圧縮しました。そのため、途上の二論点を切り離し、「プラスα 二論」として後に回しました。シンポジウムとしては、こうした論点のほうが、関心を引くとは思うのですが、このさいやむをえません。結論までの部分も、さらなる短縮が必要で、あと二日でなんとかします。時間的余裕があれば、独訳を作成しようと考えていましたが、ちょっと無理のようです。ヴェーバー特有の表記に頻繁に原語を添えているのは、通訳の方がその場で訳語に戸惑われないようにするためで、衒学癖からではありません。313日記。つづく)

(昨日案をさらに推敲/圧縮すると同時に、会場での報告は書斎でのリハーサルより時間を食うことを考慮して、大幅な省略可能箇所を選定しました。314日記。最終回につづく)