北アメリカ旅行における「ゼクテ」観察の理論的一般化(第一部会第二報告草案、その5、2006311日現在)――3. 1718京都シンポジウムに向けて(12)

折原 浩

[承前]

Ⅱ-9.「団体の経済的諸関係一般」の一論点(「ゲゼルシャフト結成」に随伴する「ゲマインシャフト形成」)にはカテゴリー論文に特有の図式が適用され、しかもそこにはカテゴリー論文への前出参照指示が付されている。

 では、「支配社会学」篇/「宗教社会学」篇以外で、「第二局面」に属する諸篇についてはどうでしょうか。

 シュルフター教授は、マリアンネ・ヴェーバー編では「経済と社会一般」、ヨハンネス・ヴィンケルマン編では「ゲマインシャフトの経済的諸関係(経済と社会)一般」、全集版では「ゲマインシャフトの経済的諸関係一般」と題されている、「1914年構成表」の1.[2]「団体の経済的諸関係一般」に相当するテクストを、「第二局面」に属すると考えておられます。

 そこで、その篇を取り上げてみますと、「ゲマインシャフトの排他的閉鎖と経済的利害関心との関連」を論じている第11段に、引用資料19. のような叙述があります。趣旨を要約しますと、① 宗教的ゼクテ/社交クラブ/ボーリング・クラブなど、特定の目的のもとに「規約」を「制定」して結成される「目的結社Zweckverein」「目的団体Zweckverband」は、「ゲゼルシャフト結成」の合理的な理念型に近いが、② 経済的/政治的類型とは異なり、構成員の補充にあたって、資格審査をおこなうのが通例です。そのさい、審査の対象項目は、結社目的の達成に必要な特定の能力や資格の「範囲を越えてübergreifend」、当人の「行状」や「人柄」一般にもおよびます。したがって、③ 審査に合格して加入を認められた構成員は、まさにそれゆえ、「行状」や「人柄」も認証された「ひとかどの人物」として「正当性」を取得し、④ 対外的には、第三者の「信用」をえて、取引関係その他を創出-拡大することができましょうし、⑤ 団体内部でも、そうした「仲間」同士、非公式な「コネ」を培って、相互に利益を与え合うこともできましょう。ところで、⑥ そうした対外的また対内的「人間関係」は、結社目的に沿う合理的「制定秩序」の「範囲を越えて」おり、そのかぎり「ゲゼルシャフト関係」ではありませんが、おおかた相互の「期待」を「妥当」と認め合って裏切らないような「ゲマインシャフト関係」――つまり、術語こそ適用してはいませんが「諒解関係」――の水準にあります。ところが、この「諒解関係」はしばしば、たとえば ④ のとおり、信用取引の創出/拡大といった経済的利益をともなうので、⑦ 正式の団体目的には無関心でいながら、そうした経済的利益を当て込み、もっぱらそのために、当の結社に加入しようとする申請者も出てきます。その結果、⑧「ゲゼルシャフト関係」と(そこから派生した)「諒解関係」との総体のなかで、重点はむしろ「諒解関係」に移動し、当初の目的がないがしろにされ、顧みられなくなることもある、というわけです。

 としますと、この論点は、ヴェーバーが北アメリカ旅行の途次に、バプテスト (「再洗礼派」) 系「ゼクテ」と (その世俗化形態である)「クラブ」の実態を観察し、その社会的/経済的機能への洞察を深め、そこで確認された関係を普遍化して、一般経験則/一般図式に定式化したものといえましょう。そして、この図式は、冒頭にある前出参照指示Nr. 24の指示どおり、カテゴリー論文「第二部」29段で、引用資料20.のように、こちらでは「諒解」という術語も使って、文字どおり「一般的に確定され」ています。ヴェーバーは、この「テクスト連関textlicher Zusammenhang」を念頭において「団体の経済的諸関係一般」篇を書き下ろし、まさにそうであればこそ、「諒解という術語の反復にはこだわらなかった、といえるのではないでしょうか。

 

Ⅱ-10.「種族的ゲマインシャフト関係」の一論点(「政治ゲマインシャフト行為による合理的ゲゼルシャフト結成が、種族ゲマインシャフト関係に解釈替えされる」)に、同一の一般図式が適用される。

 さらに、この一般図式は、後続の諸篇中、(「1913年晦日書簡」に初めて登場し、「1914年構成表」でも同じ位置に止め置かれるので)「第二局面」に属すると思われる「種族的ゲマインシャフト関係」篇にも具体的に適用され、「政治的ゲマインシャフト行為による合理的ゲゼルシャフト結成が、種族ゲマインシャフト関係に解釈替えされる」という論点の説明に活かされています。引用資料21.をご覧ください。たとえば、古代イスラエルの「十二部族」は、じつは王政に由来し、王にたいするライトゥルギー (実物貢納/給付義務) を各行政単位に割り当てる、合理的な「ゲゼルシャフト結成」によって「人為的」に創り出されたものですが、そうした「合理的に即物化されたゲゼルシャフト行為」が普及せず、人々の思考習慣にそぐわない当時としては、「王の食卓に月ごとに食事を供する十二部族」として、「種族的共属信仰にもとづく兄弟盟約」の表象が誘発/創成され、そうして初めて馴染まれ、定着し、伝承された、というのです。そうしますと、そこに見られる「われわれによく知られた図式」(参照指示Nr.55)とは、カテゴリー論文第29段で「一般的に確定」され、「団体の経済的諸関係一般」篇第11段に引き継がれていた例の一般図式にほかなりません。カテゴリー論文の基礎概念は、ここにも適用されていた、ことになりましょう。

 ちなみに、それ以外の諸篇について見ると、どうでしょうか。なるほど、「家ゲマインシャフト」から「オイコス」にかけての篇には、「諒解」とその合成語は姿を顕しません。しかし、それらの篇では、「家ゲマインシャフト」「近隣ゲマインシャフト」「氏族ゲマインシャフト」などの語が、そうした「ゲマインシャフト形象」を「実体化」することなく、それぞれ「ゲマインシャフト行為」の構造形式 (すなわち、「制定律」はないものの「諒解」によって秩序づけられた協働行為群) を指し示す術語として、頻繁に用いられています。また、「家長」や「氏族長老」など、「諒解」にもとづいて強制力を発動し、「諒解秩序」を維持する権力保有者の存在が想定でき、この側面に力点が置かれるばあいには、「家団体Hausverband」「近隣団体Nachbarschaftsverband」「氏族団体Sippenverband」という術語が用いられています。カテゴリー論文で、「団体Verband」が、「諒解にもとづく支配形象一般として、「ゲゼルシャフト関係」として構成される「アンシュタルトAnstalt」から区別されているのです。つまり、「家ゲマインシャフト」「近隣ゲマインシャフト」「氏族ゲマインシャフト」は、そのつど断るまでもなく、けっして「無秩序なゲマインシャフト行為」の散発態ではなく、「家計Haushaltの共有と恭順Pietät」「空間的近接と救難援助Nothilfe」「族外婚/財産相続/血讐義務Blutrachepflicht」といった「諒解」のシャンスにもとづき、「諒解行為」群が「諒解秩序」に準拠して秩序づけられた、一定範囲の「諒解ゲマインシャフト」をなし、多くのばあい、当の「諒解秩序」を維持する権力保有者のいる「団体」です。それらは、カテゴリー論文「第二部」の基礎概念、すなわち「『ゲマインシャフト行為』ないし『社会的秩序』の『合理化』尺度」が (前置されていて)、読者の念頭にあると前提できれば、いちいち「家-諒解ゲマインシャフトHaus-Einverständnisgemeinschaft」「近隣-諒解ゲマインシャフトNachbarschafts-Einverständnisgemeinschaft」「氏族-諒解ゲマインシャフトSippen-Einverständnisgemeinschaft」などと、長ったらしい術語を反復しなくとも、簡潔/的確に指示できます。著者ヴェーバーは、かえってそう前提していたからこそ、無用な反復は避けたのではないでしょうか。その意味で、「諒解」の概念は維持されながら、術語の用例は、そのかぎりで発展的に解消されている、といえましょう。

 それにひきかえ、「階級」「身分」「党派」「政治ゲマインシャフト」および比較的規模の大きい「支配形象」のばあいには、それぞれが「『ゲマインシャフト行為』の『合理化』尺度」のうえで、「同種の大量行為」から「無秩序なゲマインシャフト行為」をへて、「諒解行為」にいたっているかどうか、さらには「ゲゼルシャフト結成」にいたり、そこから、いかなる「諒解関係」が、どんな方向に、どの程度、派生しているか、といった階梯が、「階級」についてもっとも明白に看取されるとおり、けっして自明のことではありません。むしろ、そうした階梯を経る、「階級」などとしての組織 (成熟-凝結) 度/解体 (拡散) 度こそがまさに、当該「尺度」の術語を明示的に用いて問われ、弁別されるべき社会学的問題をなしています。

 したがって、「諒解」とその合成語がテクストに姿を顕すかどうかは、シュルフター教授の想定とは異なり、「執筆局面」による概念水準の違いを象徴する「作品史的werkgeschichtlich」指標ではありません。それは、執筆局面がどうあれ、当該の篇で対象として取り扱われる「社会形象」の一般性格によって決まる、明示的適用の必須度のメルクマールにほかなりません。「諒解」という術語でなく、概念そのものは、「旧稿全篇に一貫して適用されている、と見ないわけにはいきません。

 

結論

 というわけで、折原の結論は、カテゴリー論文の基礎概念、つまり「『ゲマインシャフト行為』ないし『社会的秩序』の『合理化』尺度」を構成する概念セットは、「旧稿」執筆の「第二局面」でも、いぜんとして規準的意義を失ってはいない、と出ます。シュルフター教授の忌憚ないご批判を期待します。

 

(2006311日記。このあと、全篇の短縮作業と、「旧稿」の体系的構成にかんする各所での論及を集約して「結論」+αにまとめる作業に、つづく