「旧稿」における「ゲマインデ」の概念(第一部会第二報告草案、その4、2006310日現在)――3. 1718京都シンポジウムに向けて(11)

折原 浩

[承前]

Ⅱ-8.「宗教社会学」の一論点(「ゲマインデ Gemeinde」)に、「ゲゼルシャフト結成 Vergesellschaftung」概念が、カテゴリー論文に特有の意味で適用されている。併せて:「旧稿」におけるヴェーバーの「ゲマインデ」概念;日本におけるその受容。

 つぎに、「旧稿」執筆「第二局面」の主要作品として「支配社会学」とならぶ「宗教社会学」については、どうでしょうか。

 この「宗教社会学」篇が、「第二局面」に執筆されたであろうことは、つぎの四つの理由から、ほぼ確かです。四つの理由とは、①「1910年構成表」では、ほぼ対応する項目が「4. 経済と社会」の「c 経済と文化 (史的唯物論の批判)」としてあるものの、「b 経済と社会集団 (家族団体と地域団体、身分と階級、国家)」とは別立てにされており、しかも c) には「宗教」の表記はなく、適切な該当項目とはいえないこと、他方、②「1913年晦日書簡」には、トレルチを引き合いに出しての特筆があり、1912年に出たトレルチの大著『キリスト教教会と集団の社会教説』の向こうを張って、「宗教性」の考察について「ロゴスからエートスへ」と「関心の焦点」を移すと同時に、考察の範囲をキリスト教文化圏から「世界宗教」へと拡大していくヴェーバーのスタンスが簡潔に表明されていること、③ 1913年にカテゴリー論文を『ロゴス』誌に発表する直前に執筆したと思われるカテゴリー論文「第一部(§§13) に、「脱呪術化」にともなう「宗教性」の「非合理化」/ルサンチマン理論の射程/神秘主義的救済追求の副産物としての「無宇宙愛 akosmistische Liebe」といった、「宗教社会学」篇と共通で特徴のある論点が取り入れられて、執筆期の重なりを示唆していること、④「1914年構成表」には、項目5.に、「(1) 宗教ゲマインシャフト、(2) 宗教の階級的被制約性、(3) 文化宗教と経済エートス」という現行「宗教社会学」篇の三大区分に正確に対応する見出しがあること、です。

 さて、この「宗教社会学」篇には、なるほど「支配社会学」篇とは異なって、「諒解」とその合成語は出てきません。しかし、引用資料 8., 10.13., 16. に明らかなとおり、「(1)宗教ゲマインシャフト」の中心テーマ「ゲマインデGemeinde」には、カテゴリー論文の基礎概念のひとつ「ゲゼルシャフト結成Vergesellschaftung」が、カテゴリー論文のヴェーバーに固有の意味で首尾一貫して適用されています。宗教的意味の「ゲマインデ」は、いくつかの経路で発生します。ひとつには「予言者Prophet」の「弟子Schüler」「門弟Jünger」「使徒」などの個人的「助力者Helfer(「支配」のカテゴリーでは「カリスマ的支配者」の「輔佐幹部」)が、「帰依者Anhänger」を、離合集散たえまない「臨機的平信徒Gelegenheitslaie」の状態に止め置かず、「教典」「法典」「律蔵」などの「制定律」を定めて「権利」「義務」を規定し、持続的な「教団生活」のゲマインシャフト行為に、多少とも能動的に参加させるときに、「予言の日常化」の典型的な様式として成立します。いまひとつの経路としては、引用資料12.のように、たとえば古代中東のペルシャ帝国の支配下で、被征服民の政治団体は絶滅され、住民は武装解除されましたが、エズラ/ネヘミアらの「エルサレム帰還教団」のように、「祭司Priester」は地位を保障され、一定の政治的権能さえ与えられて、被征服民の「馴致手段Domestikationsmittel」として利用されました。いずれにせよ、「平信徒が、ひとつの持続的なゲマインシャフト行為(「教団生活」)にゲゼルシャフト結成され、しかもかれらが、そのゲマインシャフト行為の経過に、能動的にもはたらきかけている」ばあいにのみ、「教団宗教性Gemeindereligiosität」について語ろうというのです。

 ところで、この「ゲマインデ」という概念は、宗教的意味の「教団」にかぎられてはいません。引用資料8. には「この宗教的意味における『ゲマインデ』は、経済的財政的あるいはそれ以外の政治的な理由でゲゼルシャフト結成される近隣団体とならぶ、ゲマインデの第二の範疇 die zweite Kategorieである」とあります。とすると「第一範疇」とはなにか、ということになりますが、別の箇所 (引用資料9.) には、「ゲマインデ」は、「近隣ゲマインシャフト」を「原生的urwüchsigな基礎」とし、「数多の近隣団体が、それらを包摂する政治的ゲマインシャフト行為と関係づけられて初めて創成される」とあります。また、引用資料12.の「教団」についても、それが被征服民の馴致手段として政治的に利用されるのは、「財政上の利益を確保するために、近隣団体から強制ゲマインデがつくられるのと似て」いる、といわれています。これらの箇所を総合し、引用14., 15.も勘案しますと、「第一範疇」とは、家産制的君侯/君主が「政治的臣民」を「地方団体」に組織して支配する様式で、複数の近隣ゲマインシャフトに「上から」「制定秩序」を「授与」し、貢租などを賦課し、連帯責任を追わせる「強制団体」「ライトゥルギー的義務団体」を指すといえましょう。そして、ヴェーバーは、この意味の「ゲマインデ」が、1.「首長にたいして広範な独立性をもつ地方的な名望家行政」に発展する方向と、逆に、2. 「臣民の総体的/個人的persönlichな家産制的隷属」に帰着する方向とを、理念型的に区別し、そうした分岐の諸条件を索出していましたMWGA, Ⅰ/22-4: 284; WuG: 593; 世良訳Ⅰ: 188

 さらに、引用資料17., 18.に見られるとおり、「『ゲマインデ』としての都市」、いうなれば「第三範疇」も登場します。これも、複数の都市「近隣ゲマインシャフト」を「原生的な基礎」とし、それらを包摂する都市君侯の政治ゲマインシャフト行為によって創成される「ゲゼルシャフト結成」態で、そう考えれば「ゲマインデ」の規定に合致します。ここでも、そうした「都市ゲマインデ」が、「村落ゲマインデ」と同じく、「臣民の総体的/個人的な家産制的隷属」体制に編入されるか、それとも「西欧中世内陸都市」のように、局地的支配権を都市君侯から「簒奪」し、「自律的かつ自首的なゲゼルシャフト」つまり「自治都市」を結成し、その所産を「身分制[等族]国家」を介して中央君主/国王に採択させ、「近代官僚制」への脱皮を側面から促すか、という理念型的区別が立てられ、そうした分岐の諸条件が論じられます。

  このように、「ゲマインデ」の三範疇は、「旧稿」内部で、あちこちに分散し、バラバラに論じられているようにも見えますが、じつはそうではなく、カテゴリー論文に特有の「ゲゼルシャフト結成」概念によって結びつけられています。「『ゲゼルシャフト結成』に媒介された持続的な『近隣-地域ゲマインシャフト形成』」という一般概念を基礎に、「教団」「(村落)共同体」「都市」といった「地域団体形成」の具体的様態が、やはり「西洋文化圏の運命を他の諸文化圏から分けた諸条件の『布置連関』はいかなるものか」という問題設定のもとに、体系的に問われているのです。

 

 ところで、この「ゲマインデ」概念は、日本ではどう受容されたでしょうか。ある年輩以上の方々は、真っ先に大塚久雄先生の『共同体の基礎理論』を思い浮かべられるでしょう。1955年に出たこの名著を、わたくしたち学生は争って読んだものでした。ところが、その「共同体」概念=大塚流「ゲマインデ」概念は、全面的にマルクスの『資本制生産に先行する諸形態』に依拠しており、「マルクスとヴェーバー」という旗印にもかかわらず、ヴェーバーの「ゲマインデ」概念については、ほとんど掘り下げられていませんでした。大塚先生の「共同体」= 前近代的再生産機構が、ヴェーバーでは「ゲゼルシャフト」として論じられていたなんて、だれが思ってみたでしょうか。大塚先生も、『経済と社会』を「全体としては読まれなかった」のではないでしょうか。

 しかし、問題はむしろ、大塚先生個人よりも、大塚先生を批判的に乗り越えようとはしないそういうスタンスをとらない門下生や後輩にある、というべきでしょう。日本では、歴史・社会科学が、(単線的ないし弁証法的)進歩の成り立つ「文明過程Zivilisationsprozess」ではなく、一回的な「文化運動Kulturbewegung」の様相を呈します。「大塚学派Schule」とか「丸山学派」とかは、いってみれば「『ゲオルゲ』クライス"George-"Kreis」のようなものです。あるいは「天皇制小集団」といえるかもしれません。大塚や丸山といった「カリスマ的オピニオン・リーダー」が「時宜に適った」画期的業績を出すと、崇拝者が群がりますが、だれもその誤りなり、難点なりを正面から指摘して、批判的に乗り越えようとはしません。学問としての進歩はないまま、やがて「時が移って」「忘れられ」ます。この会場におられる若い方々のうち、「大塚先生の『共同体の基礎理論』なんて知らないよ」という人も多いのではないでしょうか。

『経済と社会』の「旧稿」だけでも、カテゴリー論文の基礎概念に即して、全体として体系的に読み抜こう、というのも、日本の学問・文化風土のそうしたありようにたいするささやかな抵抗でもあります。これは意外に、大塚や丸山自身のスタンスでもあった、と思えるのですが。

(2006310日記、つづく